花巻・盛岡を巡つて帰つて、私は一顆の栗一顆の小なしを茶の間の卓上に置いてをいた。
一顆の栗と一顆の小なしはそのまゝに、幾日かそのまゝに置かれてあつた。さうした幾日かの後、それら一顆の物は二つとも箪笥の上にあつた。また幾日かして、小なしのはうは黍団子のやうに大事に、隆チヤンとタカチヤンに半分づゝやつてしまつた。
(クラムポンはわらつたよ。)
私は斯う言ふのである。
栗のはうは箪笥のなかに、さうして
(クラムポンはかぶかぶわらつたよ。)
女房は斯う言つてゐるのである。
小なしは、盛岡の菊池さんの兄さんの持地所といふところに百五十年の木があつて取つて貰つたのである。たねなしの小なしが、いま尋常三年生の隆チヤン一年生のタカチヤンの身の内に何れの時に生えるであらうか。栗は、花巻で森さんが路ばたで拾つて私に呉れた一顆の栗は、私の家の小さな庭のなかでも一本の木となるであらう。私は斯う言ふのである。
栗のはうは箪笥のなかに、さうして
(クラムポンはかぶかぶわらつたよ。)
女房は斯う言つてゐるのである。
(クラムポムは跳ねてわらつたよ。)
私はさう言つてはをれないのである。
「お父さんがなんぼ喜ぶことか、」
と言ってゐた清六さんのために、「風の又三郎」のために考へなければならない。私はさう言つてはをれないのである。
「お父さんがなんぼ喜ぶことか、」
〔『イーハトーヴオ』創刊号、昭和一四年一一月〕