丸一日続いた沈黙が破れた。「見えます。ああ見えた。見えてきましたよ」と言った。「冷たい。水だな、これは」と言った。言ったのは超能力者である。日本語だったことに皆驚いた。「流れています」と流暢な日本語で続けた。驚きは声にはならなかったが、次に、ははあ川かと誰かが口走って慌てて別の誰かにふさがれた。近くで、あるいは遠巻きに全部で十一、二名ほどの人々が取り囲んでいた。昨日、「何が見えるんですか。坊やは無事ですか。今どこにいるんでしょうか」と女が思わず声をあらげてしまい、肩をゆすってしまい、この超能力者のやる気を完全に喪失させてしまったのだった。昨日はそのためそこでおひらきとなり、温泉へ連れてゆき、ご機嫌を取らなければならなかった。通訳も雇っており一日のびればその分だけコストがかさむので事務局はやきもきしていたようである。さて今日になり、超能力者は昨日と同じ椅子に座り、皆を遠ざけて、目を閉じた。お香が焚かれて皆をリラックス空間へと導いた。長い沈黙が始まり、すでに触れたがその沈黙が丸一日続いたのである。そしてさっき、見えましたとようやく口を開いたわけだった。それが日本語だったことに皆が驚いたこともまたすでに触れた通りである。人は、何度でも同じことを言うのをもう恐れてはならないのである。市民の尽力によって来日したこの超能力探偵は瞼を伏せたまま手を床すれすれにおろし、かき混ぜるようなゼスチャーをしたのち、軽く振ったのはおそらく水のしずくを払ったのだろうと思われた。次にズボンをまくり、裸足になって、歩き出したのは、川にジャブジャブ入ったことを意味するように思われた。「まさか、息子は川の中に」と、見守っていたうちの一人の男がそう言いかけて倒れ込んだのを別の一人が支えたのである。「橋が見える」とか「人が見える」とかその後も何かと断片的に日本語で告げたけれどもその口から出るのは全国どこにでも当てはまってしまいそうな一般的なものばかりであり、皆を失望させた。もっと決定的な、場所をここだと特定できるような豊かな描写を皆は待った。「いったいどこの川なんですか」と、皆、喉のここのあたりまで出かかっていたのであるが、我慢して言葉を飲み込んだ。
「日の光を照り返しています」と流暢な日本語で言った。「せせらぎの音が聴こえます」とか「日の光が水の上にキラキラと輝いています」と言った。しばし沈黙したかと思えば「せせらぎの単調なあわただしさ」と早口で言って耳に手を当てた。「照りかへしの暑い日」と言って汗を拭った。「清い流れのせせらぎ」とだけ言うと超能力者はまた沈黙した。奇妙な緊張感がこの部屋を満たしていた。ちょっと外に出ようか、と誰ともなく言った。
喫煙室に入ってタバコを吸うと「これまでの捜査」と誰かが言った。「なんかもどかしいというか……」と首を振った。別の誰かが「全国の川を探すわけにはいかないし」とため息まじりに煙を吐いた。「こりゃあ、もう一人、探偵を雇う必要があるぞ」と軽口を叩く者もあった。頭の中を覗けたらいいんですけどね、と真顔で誰かが言った。喫煙室にいるのは十一、二名ほどであるが、つまり、超能力探偵を囲んでいた全員が愛煙家であったということになる。全員来ちゃったらまずいんでないの、と男がさも今気づいたかのように言うと、誰か残ってもらわないと困りますと女が調子を合わせた。確かにそうだと皆言いながら灰皿に吸い殻を押しつぶし、次々と戻って行った。こうやってタバコみたいに全部もみ消すことができたらいいのだが、と最後に誰かが言ったとか、言わなかったとか。
川の名前すら得られぬままの現状に、気まずいというか、責任をなすりつけ合う雰囲気がカモし出されつつあるようだった。この部屋で会話は厳禁だったはずだがもはや誰も気にしなくなっていた。演技という可能性もあるんじゃないのと誰かが超能力探偵をジロジロ見ながら言った。高額のギャラ支払ってこの程度と別の誰かが吐き捨てるように言った。実績があるからというのが事務局の見解であったわけだが、「その実績には、実はね、トリックがあって」と誰かが聞こえよがしに言った。「捜査に十一、二年かかることもあるんだって」と言った。「おいおい、そんなのないよ」とか「坊やはもう大人になっているじゃないか」とか、憤る声が響いた。子供がいる場合もあるそうですよ、見つかった時に、すでに、と別の誰かが言った。生きていることが大事だからそれでもいいと思うという声もどこから聞こえてきたが、そんな悠長なことを言ってたらこっちがあの世行きだよと誰かが言った。
「もう夜になっちゃいましたね」と誰かが言うと皆は窓を見上げようとしたが、窓がなかった。「