老人退場説

山浦貫一




老人醫學は考えもの


「老人の日」などと號して六十以上の老人を煽てあげることが流行して來たが、六十になつた私は却つて全くやり切れない程、くすぐつたい話だ。
 近年、老人病學なる醫學がアメリカで流行り出し、それがわが國にも傳染して來た。私なども正にその對象患者の一人で、ホルモンやビタミンやに大いなる關心をもつようになつたが、どつこいこいつは考えものだ。國家全體の利得という點を思うに、老人の死亡率が減つて、出生率がこれに併行して來ると弱體國家になつてしまう。例はフランスにある。
 厚生省の調査によると、近年この傾向が著しくなつている。現在のところ六十歳以上の人口は六百五十三萬人(廿六年)で全人口の一割弱を示しているが、だん/\パーセンテージを増して行つて、將來は老人優勢國になるというのだ。恐るべきことである。

姥捨山の眞理


 今でも信州に姥捨山という所がある。昔は老人になるとこゝへ捨てられたという傳説が殘つている。太平洋戰爭中、六十以上の老人には米その他の配給量が減らされた。一種のウバステ山方式である。生活の困難な時代では、生産に役立つことの少ない者は生産に役立つ者に席を讓つて、國家社會の共榮をはかる必要があつたのだろう。もつとも、あのバカ戰爭のように、生産に役立つた者をみな殺しにして、老人の生命をながらえるような逆効果を來したのは、甚だ愚かなる悲喜劇であつたが。
 さて、人生わずか五十年といつたのは、老人醫學の發達しない時分のことで、今では男の平均年齡が六十を越え、女が男より上まわるというのだから、人生わずか六十年にはなつたわけである。そこで、六十になつたら老人の仲間に入り、老人の日に奉られる資格を持つわけになる。アメリカのように廣大な領土と無限の富をもつて、世界中にMSAを出しているような國や、スウェーデンのように土地が日本の十倍もあつて人口が日本の十分の一しか無いという福祉國家では、いくらでも老人優遇の社會保障が成り立つだろうけれど、わが國のように、あり餘るのは人口だけ、後はないないづくしの國柄で、老人ののさばることは、即ち生産年齡層に對する社會保障を阻止することになる。だから、老人の日もいゝ加減にして、生命は自然の成り行きに委せる方が、可愛いゝ子や孫のためにもなろうというものだ。

安んじて天壽を完うせしめよ


 老人病學の對象と云えば、高血壓にガンが兩大關だろう。このほか、糖尿に腎臟に、インポテンツに、いろいろあるだろうが、生産増強の分には餘り關係は無さそうだ。恐らく、醫者と藥屋の繁昌をたすけるのがオチになる。それに……實は私もその一人だが……多くの老人は、金のあるにまかせて、無い者は質をおいて、一年でも長生きしようと、醫者を繁昌させ、インポテンツの惱みを解決しようとして、高いホルモン劑にとびつき、葉緑素だの綜合ビタミンだのと、手當り次第に試みるのである。
 金の都合のつく者はいゝが、田舍の百姓の老人などは金の都合がわるいものだから、自然に委せて天命を完うする。そこに社會的な不公平現象が起きて面白くない。結局、老人病學は富者の獨占になる。
 六百五十三萬人の老人中、藝術、學問、會社經營、生産政治になお役立つ者が無いわけではない。いや、人により、仕事によつては若い者の及ばぬ所を老人にあつて初めて可能にするものがある。藝人なら中村吉右衞門、學問なら牧野富太郎博士、電氣屋の松永安左エ門、政治家では吉田茂といつた人たちの眞似は、若い者では決して出來ない。しかし、そういつた人たちが、一割の六十五萬人も居るだろうか。それは問題だ。從つて大多數の老人は既に現世の役割を終え、早く天壽を完うして然るべきものだろうと思う。否、いやがられの年齡になり、にくまれ爺婆世にはばかるのも辛いにちがいない。
 こうはいうものゝ、自分も老人階級の仲間入りをしているものだから、老人謀殺法を制定しろ、などと提案する勇氣はない。老人をして、安んじて天壽を完うさせるような社會を建設したい、と思うのだ。

早く世に出すこと


 その一つ。一般の月給取りは五十五歳になると停年制で退職する。重役や大學教授は六十迄つながるが、この方は退職しても、何とかやつて行ける見込みは立つけれど、五十五で隱居させられた組は大概路頭に迷う仕組みになつている。
 子供は大概育ちざかりの食いざかり、使いざかりで伸びざかり。男の子は大學を出るか出ないかでスネをかじり、女の子はよく行つて孫を抱いている程度。よく行かないと嫁入り口を見つけている。退職金はよくいつて百萬か二百萬。貯金などありようがない。これじや安閑として隱居できるものではない。アメリカにも停年があつて、退職した者がよく退職ノイローゼ(精神病)にかゝるという話だが、無理もない。
 五十五で停年にする爲には、廿位から就職させなくては無理だろう。昔は、十代で一人前の仕事をした。今ではティンエイジャーと稱して親や社會の厄介になつている。
 明治維新に活躍する人物は十代から廿代、西郷南洲は最年長で、城山に討死にした時は四十を越えたばかりであつた。
 昔に還れ。早く世に出して、早くお引き取りをねがえるよう社會状態を變革することが、老人のためともなる。





底本:「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」文藝春秋新社
   1953(昭和28)年11月1日発行
初出:「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」文藝春秋新社
   1953(昭和28)年11月1日発行
入力:sogo
校正:富田晶子
2018年1月1日作成
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