著作権保護期間延長問題の中間整理について

――朝日新聞の「延長見送り」報道をどう読むか――

08.10.11
富田倫生



著作権制度に関するさまざまな問題は、外部からの委員を招いて文部科学省に設けられる、「文化審議会」で論議されます。

著作権保護期間を延長するか否かの検討も、文化審議会の「著作権分科会」に、2007年3月に設けられた、「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」(以下「小委員会」)で、進められてきました。

2008年9月18日の第6回小委員会は、およそ1年半をかけて進めてきた論議を踏まえ、著作権保護期間の延長には「十分な合意が得られた状況ではない」(「第4章 議論の整理と今後の方向性 (2) 保護期間の在り方について」)との「中間整理」をまとめました。

合意が得られないので、現時点では、延長の方向性は打ち出せない―。
そう認めた上で、「保護と利用のバランスについて、調和の取れた結論が得られるよう、検討を続けることが適当」(「第4章 議論の整理と今後の方向性 (3) 今後の議論について」)と、問題を先送りする形でおさめた「中間整理案」が、文化庁の官僚からなる事務局によって、事前に用意されていました。

「中間」の「案」とされてはいるものの、116ページに及ぶ文書は、これまでの検討の経緯をくわしく振り返った、集大成を思わせるものでした。
これが、ほぼそのままの形で、延長を求めてきた委員も顔をそろえた会議で、承認されたのです。

今後、中間整理は、親委員会の著作権分科会で10月に報告された後、一般からの意見募集を経て、明年1月に、文化審議会としての最終報告にまとめられる予定です。

1年半の検討を踏まえて確認された、十分な合意は得られていないとの認識が、短期間に、最終報告で変更されることはないはずです。

近々、著作権保護期間が延長される可能性は、低くなりました。

▼「検討の継続」をどう評価するか

ただし、中間整理はあくまで、落とし所を「検討を続けることが適当」と、先送りに求めています。

その点を重視した Internet watch は、「延長問題は継続課題に」と題して、「引き続きの検討」に焦点を当てた、抑えた調子のレポートをまとめました。

午後2時から開催された会議の前に、中間整理案をいち早く入手して、同日の夕刊に間に合わせたと思われる、朝日新聞の記事が、「見送り」に力点を置いていたのとは対照的です。

継続か、見送りか。
大局をつかんでいるのは、さて、どちらなのでしょう?

今回の中間整理に至る、延長問題の火付け役は、アメリカ政府です。
いわゆる「年次改革要望書」の2002年版以降、アメリカ側は一貫して著作権保護期間の延長を求めてきました。
「一般的な著作物については著作者の死後70年、また生存期間に関係のない保護期間に関しては著作物発表後95年という、現在の世界的傾向と整合性を保つよう、日本の著作権保護期間の延長を行う。」(「日米規制改革及び競争政策イニシアティブに基づく日本政府への米国政府の年次改革要望書」2002年10月23日)
これに対し日本政府は、2005年11月、翌々(2007)年度末までに結論を出すとの言質を与えました。
「日本国政府は、著作権保護期間延長について、国際的な動向や権利者・利用者間の利益の均衡を含む様々な関連要因を考慮しつつ検討を続け、2007年度までに著作権保護期間の在り方について結論を得る。」(「日米間の「規制改革及び競争政策イニシアティブ」に関する日米両首脳への第四回報告書」2005年11月2日)
アメリカはこの約束を、2007年の年次改革要望書で、「著作物の保護強化に向け日本が多様な方法を検討しており、また、2007 年度末までに以下の措置を採用するか否かについての検討を終了することが確認されたことを歓迎する。」と評価しています。

2007年3月の、小委員会設立の背景には、日本国内の権利関係諸団体からの延長要望にこたえることに加えて、アメリカへの期限付きの約束を果たさなければならないという事情があったのです。

ところが、著作権保護期間の延長には、反対意見や慎重な取り扱いを求める声が、幅広く寄せられることになりました。

2005年1月1日、青空文庫は、延長に反対を表明
2007年1月1日からは、延長を行わないよう求める請願署名活動を始めました。

2006年11月には、創作者、研究者、法律家、さまざま分野の実務家などからなる「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」が組織され、多様なセクターの意見や実証的なデータ、予測にもとづいて、この問題を慎重に論議することを、文化庁に要望しました。
同フォーラムはその後、7回にわたって公開シンポジウムを開き、論議を深め、その幅を広げる努力を重ねた他、小委員会のメンバー構成を、賛成派、反対派のバランスのとれたものとする上で、大きな役割を果たしました。

2006年12月には、日本弁護士連合会も、延長に反対する意見書を文化庁に提出しました。

2007年度末までに、検討を終了するというアメリカへの約束を果たす上では、同年中に文化審議会としての意見をまとめることが欠かせなかったはずです。

ところが、反対意見や、慎重な論議を求める声が強まる中で、2007年中に開いた10回の小委員会を経ても、文化庁は、延長の流れを固めることができませんでした。
翌2008年度に持ち越して、検討を続けることになったのです。

その第2期、6回目の会議でまとめられたのが、今回の中間整理です。

このタイミングで、小委員会としての整理を行った背後には、1年遅れとなったアメリカへの回答をさらに先延ばしすることはできず、反対意見が表明され続ける中で、「合意が得られた状況ではない」と認めざるをえないところまで、文化庁が追い込まれた事情が見て取れます。

そして、延長を求める側の委員も、現時点では合意未形成という判断には、異を唱えることができませんでした。

2009年1月の文化審議会としての最終報告もまた、落とし所としての、「検討を続けることが適当」という形を維持しながら、延長への十分な合意は得られていないとして、まとめられるでしょう。

今回見送られたとしても、収益源となし得る著作権管理市場の拡大を求める勢力が、保護期間の延長をあきらめることは、決してありません。
彼らにとって「検討の継続が適当」とする文言は、頼みの綱として生き残ることも事実です。

とはいえ、2002年以来、アメリカが要求し続けてきた案件への公式な回答、少なくとも、最初の回答は、「延長見送り」となるのです。

▼なすべきこと

著作権保護期間の70年延長は、ひとまず遠ざかりました。

著作権保護期間の延長反対署名をはじめるに際して、青空文庫はこう訴えました。
青空文庫では、夏目漱石や、芥川竜之介、太宰治などの作品を、誰でも自由に読むことができます。この「自由」は、作品を保護する期間を作者の死後50年までとし、そこから先は制限をゆるめて、利用を積極的に促そうと決めている、著作権制度のたまものです。すでにあるものをもとに、新しい作品を仕立てたり、翻訳したりする「自由」、演奏や上演などの「自由」も、著作権が切れた後は、広く認められます。
表現がよく巡り、よく生まれる社会の土台を築く可能性の窓を、我々はなおしばらく、開けておくことができました。

文化共有の青空を、どれほど広く、どれだけ長く、晴れ渡らせることができるのか―。
その答えは、必ず訪れるだろう、再び窓が閉じかかる日に先立って、この青空を耕し、楽しむ経験を、私たちの社会に、どれだけあつく積み上げていけるかにかかっています。



08.9.20 「文化審議会としての」を二箇所、削除。
08.10.11 「(「第4章 議論の整理と今後の方向性 (2) 保護期間の在り方について」)」「(「第4章 議論の整理と今後の方向性 (3) 今後の議論について」)」を追記。

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