校訂者の権利に関する報告
1997年12月17日
富田倫生

【概要】

 世阿弥の著した『風姿花伝』を、青空文庫で公開することを前提に、テキスト入力したいという申し入れがあった。
 提案者は、岩波文庫版の同書(青1―1)を底本としようと考えていた。

 世阿弥は1443年に没しており、著者に関して、著作権上の問題は生じない。
 ただし岩波文庫版には、野上豊一郎と西尾実が校訂者として明示してあった。
 この校訂者に独立の著作権が認められるとすれば、岩波文庫版を底本として電子化、公開するためには権利所有者の同意が必要となる。同意が得られない場合、同書を底本とすることは、両者の死後50年を経るまで、控えざるを得ない。
 一方、校訂に著作権が認められないとすれば、岩波文庫版を底本として入力したものを、すぐに公開できる。

 岩波文庫版を底本とした『風姿花伝』を、青空文庫で公開できるか否か判断するために、著作権法を検討すると共に、校訂者の権利に関して関係者に問い合わせを行った。

【当初の文庫側の受けとめ】

『風姿花伝』入力の提案があったとき、青空文庫呼びかけ人からは、二つの考え方が示された。

 一つは、校訂者の権利を尊重しようとするものである。
「校訂は、高い専門性と高度な判断、大きな努力を要する作業である。それゆえ、校訂には著作権、もしくは著作権に準ずる権利があると想定するべきである。よって、岩波文庫版を底本とした『風姿花伝』の青空文庫収録は、校訂者の許可なしには行えない」とする見解がまず示された。
 こうした認識に基づき、「校訂者に連絡を取って、青空文庫の目指すところを説明しよう」という提案がなされた。

 この認識と提案に対し、異論が差し挟まれた。
 異論のポイントは、以下の通り。

1 校訂の成果は著作物か?
 校訂の成果は、著作権法が保護の対象として規定する「著作物」の対象にはあたらないのではないか。
 著作権法では、保護の対象とする著作物を、第二条の一において以下の通り定めている。
「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範疇に属するものをいう。」
 さらに同条の十一において、二次的著作物にあたるものを規定し、これも保護の対象とすると定めている。
「二次的著作物 著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物をいう。」
 この両項の規定に、校訂は該当しないのではないか。
 少なくとも著作権法は、「校訂」という言葉を明示的に掲げて、著作権保護の対象としてはいない。

2「校訂」と「編集」の同質性
 ある種の校訂は、きわめて知的な行為となりうるだろう。
 だが、同様の知的な貢献という性格は、編集作業にも多かれ少なかれある。
 両者のあいだで、明確な線引きを行うことは不可能だ。
 著作権法が、校訂を明示的に権利保護の対象としていない背景には、編集と峻別しがたいという性格がかかわっているのではないか。
 こうした「校訂−編集」行為一般に著作権を認めるとすれば、該当出版物を編集して刊行した出版社に独立の権利を認めることとなり、文化的な所産の利用という側面に強くブレーキがかかってしまうだろう。

 この異論に対し、「権利を尊重すべきだ」とする側から重ねて、「校訂者本人への説明の労を惜しむべきでない」とする意見が寄せられた。
 異論提出者は、岩波文庫版『風姿花伝』を参照し、同書の凡例、校訂者の言葉を読んで、本作品の校訂がきわめて高度なものであることを認識し、「校訂者が該当作品に対する自らの権利をどのように認識しているか、問い合わせてみよう」という提案を行った。

注:青空文庫は「工作員マニュアル」の2項「入力する作品を選ぶ」において、著作権の切れていない作品に対する働きかけを次のように制限している。「存命の作者には、青空文庫の狙いを伝えることまでを、働きかけの限度とします。作者との特別な信頼関係がない限り、公開の検討も申し入れません。」ただし、本書の校訂者に対して、著作権に対する問い合わせを行うことは、この規定に反しないだろうと考えた。
 なお、校訂者に問い合わせようと決めた段階では、岩波書店への打診を行うつもりはなかった。インターネット上でのテキストの公開は、1998年1月1日から施行される改正著作権法で新たに規定された、自動公衆送信権の実施にあたる。この権利は著作者が有する権利である。著作者と岩波書店が交わしている(だろう)出版権設定の契約は、この権利を拘束しないと考えたからである。

【問い合わせの実態】
 校訂者の一人である野上豊一郎が他界していることは、岩波文庫版『風姿花伝』の「校訂者の言葉」に示されていた。
 それゆえ、まず西尾実に連絡を取ろうと考えた。

『風姿花伝』校訂者の権利に関して、呼びかけ人の一人は出版関係者が多く参加するメーリングリストに問いかけを行っていた。そのメンバーから、「西尾実先生はかなり前に他界されている。本書の校訂権に関して問い合わせるとすれば、法政大学能楽研究所の西野春雄先生が適当ではないか」とのアドバイスを受けた。
 そこで、西野春雄氏に電話を入れた。
 連絡をとった呼びかけ人の側には、能楽研究所をたずね、『風姿花伝』の校訂が実際にどのように進められたか学びたいという目論見があった。だが西野氏からは、「著作権関係のことは岩波書店に訊ねて欲しい。該当作品の校訂は大変な作業だったので、くれぐれも校訂者の権利を尊重して欲しい。実際の校訂作業には、能楽研究所の表章氏が大きく貢献された。」とのコメントを得るにとどまった。

 そこで岩波書店で著作権関係の対応にあたっている、編集総務部の浦部氏に電話連絡を取り、まず青空文庫を紹介し、『風姿花伝』校訂者の権利を同社がどのように扱っているかを訊ね、以下の回答を得た。

1 岩波書店では、古典作品の校訂、校注者に対して、翻訳者に相当する独立した著作権を認め、印税を支払っている。
2 校訂、校注者が他界した後も、死後50年を経過するまでは、増刷に際して遺族に印税の支払いを行っている。『風姿花伝』に対しても、この方針に従って処理している。

 浦部氏とはさらに、校訂者の権利に関して、率直な意見交換を行うことができた。
1 編集と校訂には、明確な区別がない。
2 著作権法は、「校訂」という名称を掲げて、権利保護の対象として定めてはいない。
3 ただし、岩波書店が現実に委嘱している校訂は、きわめて知的なレベルの高いものである。
4 上記1〜3の事情を背景に、もしも校訂者の死後50年を経ないうちに作品がそのまま流用されたとすれば、最終的には法廷において、該当作品の校訂が著作権を認められるレベルのものであるか否か、判断を求めるしかないだろう。
 との見解を、氏は示された。

注:野上豊一郎は1950年、西尾実は1979年に他界している。

【問い合わせを踏まえた提案】

 本報告の作成にあたった富田倫生は、上記の問い合わせ結果を踏まえて、「岩波文庫版を底本とした『風姿花伝』のテキスト化、青空文庫への収録を行わない」よう提案する。

 校訂と編集あいだには明確な境がなく、著作物に対して補助的な形でかかわる者一般に、独立した著作権を認めることは不適当であると考える。
 さらに、校訂と呼ぶにふさわしい、知的なレベルの高い作業の成果物であっても、研究者がすでにある仕事を批判的に乗り越えようとする際には、自由に利用できる方が望ましいだろう。

 ただし、テキスト化して公開することのみを目的とし、新たな学問上の貢献を果たそうとする気持ちを欠いている我々には、研究者間で事実、校訂や公開に向けた努力の成果が継承されているからとはいえ、底本を校訂した者の権利を軽んじて扱うことは、道義的に許されないだろう。

 校訂は、著作権を認めるべきか否かのグレーゾーンにある。
 判断は個別の案件ごとに、校訂の具体的な内容に鑑みて行うしかない。
 見解の相違が見られる場合、最終的には法廷において当否を決するしかないだろう。
 そうした基本的な構図を確認した後、あらためて岩波文庫版『風姿花伝』に向き直れば、ここに盛り込まれた校訂のための努力は、素人目にも実に大きなものであったろうと思われる。

 さらに我々は、岩波書店への問い合わせによって明らかとなった、「校訂には翻訳と同等の権利を認め、校訂者の死後50年を経過するまで印税を支払い続けている」とする点にも留意すべきだろう。
 こうした岩波書店側の姿勢も、厳密にいえば個別の校訂内容に照らして妥当性を問うべきものである。
 だが少なくとも校訂者は、岩波書店が提示したそのような条件を踏まえ、「自らの作業が著作権、もしくは著作権と同等の権利として保護される」という期待を持って、作業にあたったのである。

 こうした諸事情を考慮すれば、岩波文庫版『風姿花伝』を底本としたテキスト化、青空文庫への収録は、適当でないと考える。

注:青空文庫は「工作員マニュアル」の2項「入力する作品を選ぶ」において、著作権継承者への働きかけを、以下のように制限している。「著作権継承者に対しては、青空文庫を名乗っての連絡、公開要請など、一切の働きかけをおこないません。」

【『風姿花伝』公開のためのもう一つの道】
 岩波文庫版『風姿花伝』を底本とすることを避けたとしても、校訂者の死後50年を過ぎたものを底本となしうるのなら、問題は生じない。
 吉田東伍校駐『能楽古典世阿弥十六部集』もしくは他の版を底本として利用できないか検討することで、『風姿花伝』収録の可能性が開けるかも知れない。


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