1998年1月10日

 浜野サトルさんから、「青空にのせたい本」と題したメールが届いた。

 音楽ライター、翻訳者、編集者であり、『楽(GAKU)』と名付けたウェッブ雑誌を運営されている浜野さんからは、青空文庫をスタートさせて間もない時期に、最初の連絡をいただいた。ご自身のウェッブページで一部を公開してきた立花実さんの『ジャズへの愛着』を、青空文庫に登録したいという申し入れだった。立花さんはすでに他界されているが、著作権継承者であるご遺族の許可を得て、電子化されたという経緯が添えてあった。
『楽(GAKU)』に関しても、HTML版とネットエキスパンドブック版を並行して用意されている浜野さんは、ロゴを配し、きちっとレイアウトしたファイルをすべて準備した上で、声をかけて下さった。
 この本が、浜野さんにとっていかに大切なものであるのか、ひしひしと伝わってくるような物事の進め方だった。

 浜野さんとの出会いを通じて、三浦久さんというフォークシンガーを知ることができた。『Nagano Journal』というウェッブ雑誌に三浦さんが寄せている、「ぼくが出会った歌、ぼくが出会った人」を読み、おこがましい言い方になるが、この世では実現できなかったもう一人の自分がたどった人生の道筋を見せられたような気になった。
『メッセージ』と『セカンド・ウインド』という三浦さんのCDを注文し、昨年の暮れには浜野さんと一緒に、大きくて強くて、どこかやさしいクマのような三浦さんのライブを聞くことができた。

 浜野さんが「青空にのせたい」と思ったのは、豊田勇造さんの『歌旅日記』という本だった。
 以下に、浜野さんのメールを引く。

「さて、三浦さんのライブの際に少しお話しましたが、青空文庫に載せたいと思っていた本の著者からきょう了解のはがきが届きました。これから入力にかかりますが、半年くらいはかかるかもしれません。タイピングの速度には自信があるんですが、なにしろ毎日の生活に時間の余裕がありませんから。

著者は豊田勇造。ご存じかもしれませんが、三浦久さんとも親しいフォーク&ブルース・シンガーです。彼には『歌旅日記』という著書があり、1981年にプレイガイドジャーナル社(略称プガジャ)から発行されました。プガジャもいまは消えてしまいました(大将の村元武さんは、いまは豊田君のカセットやCDの発行元でもあるビレッジプレスという出版社をやはり大阪でやっていらっしゃいますが)し、当然ながら絶版です。
書名からも想像がつくように、内容は豊田君の旅日記です。レコーディングのために3か月ほど滞在したジャマイカでの日々、その後日本にもどってライブで日本中をまわる日々のことがつづってあります。
実は、ぼく自身は去年の12月9日にマンダラ2で行われた豊田君のライブに行くまでこの本のことを知りませんでした。ライブのあと、2〜3度顔を見かけたことのある豊田君のファンの女性からなぜか「浜野さんにさしあげます」と手渡され、そのあと読んでみたのですが、これがおもしろい。アメリカ風の物質文化の波に洗われ始めた当時のジャマイカの人たちの生き方や60年代末の東京から散っていって地方で生活を続けている人たちの気持ちが生き生きと伝わってくるんです。
豊田君はいわゆる文章家ではないし、メモのようにあっさりした書き方をしているんですが、だからこそかえって情景や気分が読む側にしっかり入り込んでくるという感じがあります。ぼくは亡くなった武田百合子さんの『富士日記』が大好きなんですが、内容は全く別ですが、共通するものを感じています。」

 浜野さん。
 メールを読みながら私の胸にあふれてきた思いを言葉にしようとすると、どうも芝居がかったウエットな表現になってしまいそうです。
「青空文庫をはじめてよかった」と、頂戴したメールでもう一度、確認できたことのみ、お伝えしたいと思います。

 入力にあたって下さっている、Hisashi Imai さん、藤本篤子さん、そして松田司郎さんの著作に取り組んで下さっている皆さん、あらためて私は今、あなた方が叩くキーの音に耳を澄ませています。(倫)



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