1998年3月5日

青空文庫を始めるまで

 文庫の準備から開設に至る時期、取り交わしたメールやメモを見直してみても、私たちはお金の問題を、まったく話し合っていない。

 インターネットを使って何かしようと思えば、まずページの置き場所をどうするか、考える必要がある。けれどそこは、ボイジャーのサーバーにただで居候させてもらえると、早い時点で了解が取れていた。

「企業のサーバーに乗っていると、紐付きと見られる。活動を広げていく上では、得策ではない」
 文庫について取材を受けたとき、ある新聞記者からそうアドバイスされた。
 そこは以前から、私自身も引っかかっていた点だ。だがこの段階では、できるだけお金をかけないことを最優先したいと考え、ボイジャーの厚意に甘えることにした。

・出費はできるだけ抑える。
・それでも必要な経費は、自分たちが個人的に支払う。

 はっきり打ち合わせたわけではないが、準備にあたった全員がそう了解していたと思う。さらに、かかった経費を均等に配分するといった取り決めも、私たちはしなかった。
 基本的には、やりたい者がやりたいことをやる。その時に必要な金は、やりたいと思った本人が出す。お互いの振る舞いを見ていて、金銭的な負担が集中しそうになれば、他の者がきっと「分けよう」と声をかけるだろう。
 そんな信頼も、過去電子出版に関する議論を交わし、ブック制作で協力し合ってきた私たちの間には、あらかじめ育っていたように思う。

 著作権切れの作品や自分自身の原稿を、テキスト化して公開している人は、すでにかなりいる。そうした先輩には、収録やリンクをお願いする。入力や校正に力を奮ってくれる人も募る。
 けれど、あとから来た我々が突然、「登録させて欲しい」と言っても、すぐに受け入れられるわけでもないだろう。ボランティアとしては、かなり根気のいる入力や校正の仕事を、そうそう引き受けてくれる人がいるとも思えない。
 だから基本的には、誰の協力が得られなくても、私たちだけで進める覚悟でいよう。じっくり腰を据え、数年、十数年をかけて、少しずつでもテキスト化を進めていこう、と考えた。
 明確に言葉には出さなかったが、最初に集まった仲間には、「たとえ一人になっても、作業を進める」といった覚悟があったように思う。

   だからこそ、金銭的な支えをどう組み立てるかを、あらかじめ抑えておく気にはならなかった。

 とはいえ、準備期間においても、さらに実際に文庫が動き始めてからも、かかるものはやはりかかっている。以下に、この間の支出項目を列挙する。

・専用線に接続したディスクスペース維持費→ボイジャーに依存。後に「みずたまり」を提供してくれた、EDO長崎にも依存。さらにEDO長崎の米田利己さんは、文庫全体のデータベース化に力を奮おうと申し出て下さっている。これが動き出せば、米田さんの専門的知識と働きに加え、サーバースペースに関して、さらに大くEDO長崎に頼ることになる。
・通信費→各自で負担。ただし富田は、集合住宅のお隣さんである、neophilia社の藤井一寛さんが確保された専用線に、無償でぶら下げてもらっている。野口は所属するボイジャーの通信環境を、文庫の活動にも利用している。
・交通費→打ち合わせ、イベントへの出張宣伝などに際して必要な足代は、各自が負担。遠方への旅行に際しては、呼びかけ人の間でカンパを実施。
・図書、資料代→各自で負担。
・宣伝材料作成費→文庫の活動を紹介するため、「青空文庫の提案」とエキスパンドブックのBookBrowser、数点のブックを収めたフロッピーディスクを作成した。その際に必要となったディスク、ジャケット用紙代は、調達した本人が負担。ただし、支出が均等になるように、調達者の割り振りを行った。ジャケット作成には、かなり手間暇がかかるため、一度、業者に依頼して印刷、折り曲げ加工した。その際、約2万円の経費を、ボイジャーからカンパしてもらった。

青空文庫を始めてから

 ウェッブページの公開にこぎつけると、立ち寄ってくれた人からさまざまな反響が寄せられ、私たちの意識も、それにつれて微妙に変化し始めた。

 私たちはまず、読んでくれる人の実在を、具体的なアクセス数によって意識するようになった。
 9月の終わりから10月の始めにかけた1週間、まだ「青空文庫」がどこのメディアにも紹介されていない時点で、トップページには407件のヒットがあった。もっとも多い作品で、ダウンロードは73回を数えた。リンクして下さる方がどんどん現れ、ヒット数はその後も着実に伸びていく。雑誌に載り、とりわけ新聞に書いてもらうと、アクセスが爆発的に増えた。数え始めてから1か月くらいは、読まれている手応えを確かに感じていたが、次第に「もう分かった」という気持ちがわいてきて、数えたり仲間内で数を知らせたりするのはやめてしまった。

 名桜大学の波平八郎さんからは、文庫に収録した『たけくらべ』のテキストを使って、データベース・検索ページを作って良いかとの問い合わせをいただいた。波平さんは「日本文学テキスト検索」と名付けたページに、いくつかの作品を調べる仕組みを作っている。そこに、文庫のテキストを使ってもらえることは嬉しかった。
 茨城大学教育学部附属中学校の栗原裕一さんは、国語の授業に青空文庫の作品を使いたいと声をかけて下さった。
 読まれ、使われて、青空文庫がある役割を果たし始めたことを、私たちは意識した。

 テキスト入力や校正を手伝おうという申し入れも、繰り返し受けるようになった。
 まず、作業マニュアルを作っておくべきだと気づき、あわてて用意した。すでにテキスト化していた著作権切れ作品を、提供しようと申し出てくれる人も現れた。
 ウェッブページで公開している自分の作品を、図書カード化してほしいという申し込みも受けるようになった。これはと思う作品に出会うと、私たちからも収録をお願いした。

 加えて、言葉による表現を電子空間にも息づかせようと、地の塩の役割を担う人から、美しい贈り物を受け取ることができた。
 浜野サトルさんは、敬愛されるジャズ評論家、立花実さんの遺作『ジャズへの愛着』を整え、続いてフォーク&ブルース・シンガー、豊田勇造さんの『歌旅日記』を甦らせてくれた。
 著作権の切れた古典を入力してくれる人がいること、自作を公開する人がいることは事前に意識していた。だが、共感だけを力の源として埋もれた作品を掘り起こし、ウェッブに押し上げてくれる人の姿は、事前には明確に思い浮かべることができなかった。
 浜野さんは、著作権を所有する立花さんの遺族や豊田さんにていねいに説明し、了解を取り付けるところまで担ってくれていた。
 長尾高弘さんやすみれ文庫の渡辺洋さんが、現代詩において同じ役割を担われていることを知った。

 読み手がいる。作り手がいる。ここには確かに、なすべき仕事がある。
 そう深く確信していく一方で、私たちはまた、自分たちの非力にも直面させられることになった。

 すでに電子化された作品がどこにどれだけあるのか、福井大学の岡島昭浩さんや、明星大学の柴田雅生さんのページを参考に、確認していった。
 意外にたくさんあるのだという思いを、紙の本になったものに比べれば、ほとんどゼロに等しいという判断が追いかけてくる。
 そんな中で先ずやるべきは、すでに電子化されたものをきちんと文庫に取り込むことではないか。作業にあたった人の了解を取り付け、何を底本にしたかといった履歴を確認し、どんどん収録していこう。これから入力する人の作業をダブらせないためにも、この作業は欠かせないと考えた。

 だが、青空工作員マニュアルの準備や、収録を申し入れてくれる人への対応を優先した結果、まず真っ先にやるべきこの作業が、これまでは遅れ遅れになってきた。
 その間、自分たちでも入力作業を進めてきたのだから、所在確認と収録依頼にその時間をあてれば良かったではないかという反省はある。だが、リストを作り、連絡を取って収録させれくれるよう依頼し、履歴を確認していく作業は、淡々と進める、事務的な性格が強い。暮らしを支える仕事の合間を縫って進めるのが、少し難しい。自分の愛着ある作品を入力したり、胸に響くものを見つけだしたりするのに比べれば、気分的にもついつい後回ししたくなる。

 シャープから出ていたX68000というマシン向けの、『電脳倶楽部』(満開製作所発行)というフロッピーディスク版の雑誌で、デジタル化したテキストの共用を目指す、PDD(パブリック・ドメイン・データ)という試みが進められていたことを知った。
 ウェッブ上に置かれている電子テキストのかなりが、ここで誕生したものを継いでいることが見えてきた。
 呼びかけ人仲間の野口英司さんが、かなりの数『電脳倶楽部』を持っていたが、ここは一番、すべてのバックナンバーを手に入れて成果を確認し、収録に繋げて行こうと考えた。だが、雑誌購入だけで十数万円かかることにためらったまま、この作業も先延ばしにしてしまっている。

 著作権切れテキストの所在確認、収録依頼、体裁の整備という、青空文庫の一つの柱とするべき作業は、片手間ではなかなかこなせない。できるなら、専従の担当者をおいて、着実に、どんどん進めていくのが望ましいくらいの仕事だ。
 さらに幅広く読まれる作家の作品に関しては、所在を確認して穴になっていることが分かれば、すぐにテキスト化に繋げていきたい。

 ある企業からの提案をきっかけに、私たちが文庫の財政問題に関して議論を始めたのは、この活動が果たし始めた役割を意識する一方で、私たちの力量の限界をも同時に痛感し始めた、そんな時期だった。

財政的基盤をどう整えるか

 あるソフトウエア企業から、「青空文庫のテキストを使わせてもらえないか」という打診があった。
 彼らは、HTMLファイルを縦組みで表示し、快適に読んでもらおうとするブラウザーを作った。これを認知してもらうには、実際になにか読んでもらうのが望ましい。そこで文庫のテキストに着目した。

   デジタル化の作業を担ったり、その際多少編集的な作業をしたりすることで、なにがしかの権利が発生したと称し、テキストを囲い込むような考えは、私たちにはない。
 扱いに関して確認しておきたい点があるので、利用に際しては連絡してもらえれば助かるが、著作権切れの作品は自由に使ってもらって構わない。新しい使い道を見つけてくれるのなら、感謝するのはこちらの方だ。
 営利が前面に出て、極端にいびつなことにでもならない限り、企業からの申し入れだからといって、これを特別扱いするつもりもない。
 ただ今回のケースでは、一点考慮するべき点があった。そのブラウザーは、専用に拡張したタグで処理すると、表紙や目次回りの表現がうまくまとまるように作ってあった。何度か相談した結果、拡張の処理は彼ら自身にやってもらい、ファイルも企業のサーバーにおいてもらうことにした。文庫で、「こんな形でも読める」と紹介し、リンクを張ろうと決めた。

   この交渉にあたった呼びかけ人の一人から、「文庫の活動資金を支援してもらえないか、彼らに話してみたい」という提案があった。
 提案者の頭にあったのも、古典的な作品の収録が、なかなか進まないという点だった。
 私たちの仲間内でももっともたくさんのテキストを入力し、HTML化、ブック化を一手に引き受けてくれてきた人がそう言い出した気持ちは、私自身良く理解できた。

 この提案を受けて、私たちは議論を始めた。

 寄付金提供の申し入れを支持する根拠としては、以下のようなものが上げられた。
○われわれの労働力はともかく、活動に伴って具体的な出費が生じている。(活動紹介用のフロッピーディスク制作代。交通費。さらにサーバーの維持経費は実際には発生しているわけで、ただですんでいるように見える現状は、単にボイジャーとEDO長崎が肩代わりしてくれているに過ぎない。)
○古典的な作品の一括収録、あるいは「みずたまり」で話題に上った圓朝の速記本を電子化するといったまとまったプロジェクトに関しては、財政的な基盤が作れないのなら諦めざるを得ない。

 同時に、以下のような懸念も表明された。
●企業が絡んでくると、いろいろと面倒くさい事が出てくる。(企業の活動や製品に対して文庫で言及する際、発言がなまくらになりはしないか。)
●企業から活動資金を得ることは、甘美な誘惑である。(活動のための資金であるはずのものが、やがて寄付を集めることが自己目的化する可能性がある。)
●企業なら経営上の判断で、電子出版がらみの試みを打ち切ることもあるだろう。その際、青空文庫側にダメージが跳ね返ってこないだろうか。企業と付き合う際は、あらかじめの覚悟と用心がいる。(この指摘の延長上には、提供される資金への依存体質が、私たちの内に生じるおそれが想定できる。複数の企業から定期的に資金援助が得られるようなことにでもなれば、それをあてにして活動を設計するようになるだろう。そうなった段階で打ち切りに合うと、文庫は大きく揺らぎかねない。)
●「喜んで、自らの楽しみとして働く」のが、文庫をスタートさせたときの初心だったはずだ。寄付金を介在させれば、その基本が歪む。(社会的な役割といった次元の異なった目標を設定すれば、私たちは背伸びせざるを得ない。そうではなく、自らの喜びとして働ける範囲に、文庫の活動はとどめるべきだ)

 これらに関して意見を述べ合ううちに、議論の大筋は「問題はさまざま起こるだろうけれど、可能な場合は寄付金の提供を申し入れてみよう」という方向に流れていった。 
 さらに、より広く財政的な基盤を固めるために、以下のような手順で物事を進めてみようという提案がなされた。

1 資金を何に使い、何に使わないかという原則をあらかじめ示す。(使い道の中心となるのは、入力と校正を業務として発注する費用だろう。なお、集まった資金は飲み食いには一切使わない。長距離の交通費に限って、足代に使うか否かは検討課題。)
2 誰がいくらだし、何にいくら使ったかを、ウェッブページ上ですべて公開する。(これに関して、「我々自身のストレスを外部の人にさらすのは、望ましくない」と考える仲間もいる。)
3 1、2の条件で寄付を申し入れてくれる団体、企業、個人からのお金をいただく。(「誰でも良いからお金を下さい」といった形で、個人からの寄付を表だって募るのには反対、という意見もある。)
4 その他、資金確保の可能性があれば、ためらわずに試み、申し入れてみる。(青空文庫も選定されているAVCCによる、公共ホームページ(goodsite)運動には、活動資金の支援プロジェクトがある。こうしたものに、応募する。さらに青空文庫のアピールと資金確保の両面を狙って、そらもようの内容を中心とした書籍の刊行を出版社に働きかけてみる。)

 以上が、これまで呼びかけ人の間で取り交わしてきた議論の大筋である。
 このような道筋をたどって考えを進めていく中で、私自身がもっとも大きな不安を感じたのは、ボランティアによる入力、校正と、業務委託して進めるものとが同時に進み始めたとき、私たち自身、また自らの意思でこれらの作業に携わる人に、どのような意識の変化が現れるだろうかという点だった。

「何を外部に出し、何を自分たちでやるかの切り分けは難しい。現在は、その本に愛着を感じている人が、その気持ちをテキストのなかに込めている。読む人も、その気持ちのいくらかを、受け取っている。そうした手渡しの感覚が薄れていく分、我々はいっそう気を引き締めていかなければいけないだろう。いつのまにか、遠くに行ってしまったと言われないように。」

 このコメントに対して、私は次のように言葉を返した。

「この問題は、深刻に難しい。予測や判断の材料の乏しさが、不安とでも言うしかない気持ちを募らせる。
 ただ私としては、こうした分からないことに踏み込んでいって〈実験データー〉を残していくのも、青空文庫の課題ではないかという気がしている。これで、私たちは深い傷を負ったり、決定的に失敗してしまうかも知れない。けれどその過程をきちっと報告として残していけば、私たちの社会全体がテキストの共用に向かって進んでいく上での礎にはなれるだろう」

 現時点で私たちは、上記の1から4に示した方向で、青空文庫の財政的な基盤作りを試みようと考えている。
 皆さんの意見と批判を仰ぎたい。(倫)



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