忘れえぬ風景

島木健作




 日本の自然のうち、とくに自分の好きな風景などといふものはない。私は各地の名勝を何ほども探つてはゐないので、出題にたいして何かいふ資格すら持たぬものであるが、たとへ今後さういふ機会が多くあつたとしてもとくにとりたてて好きといへる自然の風光をあげうるかどうか疑問である。私の今までのわづかばかりの経験から推してさういへる。世間に著名な、海や山や河や、ただそれだけでは私はなにほどの感興も誘はれないのがつねである。自然の美しさにたいして生来鈍感なのであらう、大きな自然の景観に接して天地の悠久をおもふといふやうな情も格別切実なものとして迫つては来ぬ。ただ私の懐古趣味だけは人並なものがあるやうである。それの一つの理由は私の育つた土地のせゐであらう。私は北海道の札幌市に生れ、育つた。半殖民地として生れた札幌の町には長い歴史がない。封建的なものから自由な一面はあるが、同時に遠い父祖の生活を思はせるしつとりとした雰囲気といふやうなものは町のどこにもないのである。さういふところで育つた私は、のちに郷土を出てからは、城址とか、昔の面影の残つてゐる城下町とか、史蹟とか、古寺とか、さういふものには非常に強く心をひかれるのであつた。天地の悠久が実感として迫ることの少い私にも、一千年か二千年の人間生活の歴史の長さは身にしみて感じられるのである。古寺に苔むした古人の墓を前にしてゐる時など、こんな人間が果して実在してゐたのか、との疑に忽然としてとらはれることが多い。
 好きな風景、といふことではない。しかし何らかの意味で心に灼きついてゐる風景の場面場面がある。それはすべて、その風景を背景とする何らかの人間生活の姿の故にである。わけても過去のある時代の自分の生活の特殊な一節に結びついてゐる自然の風光には忘れ得ぬものがある。その風景だけをきりはなして見れば無味平凡なものにすぎないのであらうが。そして自然が人間にあたへる感銘といふものはみなそのやうにして生じるものにちがひあるまい。かつての時、あれほどいいと思はれた風景を、時を経て二度見て、案外つまらなかつたりするのはその為である。
 札幌の町と、その町を中心とする山や河や野や林やは忘れ得ぬものの第一である。そしてそれもすべて少年時の憂愁に結びついてゐるからである。大学の農場や植物園や、いたるところにある牧草畑や、豊平川の上流や、真駒内の牧場や、その頃はまだ今のやうではなかつた定山渓や、月寒や、円山や手稲山や藻岩山や、その頃近くでは熊の出る唯一の山であつた札幌岳や、煙を吐く樽前山や、――私がほんたうに自然に親しんだときがあつたとすれば、それは少年の頃であつた。家の生活から、中学へ入ることを拒まれた私は、不満を、少年らしく自然でいやすことをおぼえた。山のぼり、水泳、魚つり、スケッチを私はよろこんだ。つとめてゐた私は毎日曜に夜明けから握りめしを持つて出かけた。雪どけ頃の渓流の美しさ。渓流を下る鮭の子の群れ。サルカニ(ザリガニ)やトンギョ(トゲ魚)とり。夏になれば水泳ぎもたつしやで、冬になれば今のやうにスキーなどはない、つまご(雪沓)をはいて雪山をよぢる、からだのすぐれてよかつた私が、どうして今のやうになつたかとおもへばふしぎである。――札幌から五里の海岸に銭函といふさびれた漁村がある。昔鉄道のなかつた頃は大漁つづきで、銭函の名はそこから来たが、鉄道がかかつてからすつかりとれなくなつたものといふ。木のきれはしや、真黒なゴミなどのうちよせる汚い海岸だが、夏には札幌の人たちの海水浴場になる。私は夜暗いうちから五里の道をあるいて行き、人気のないあけがたの静かな海をわがもの顔にふるまふのが好きであつた。人が多く来てからは、浴場区域外のところへ行き、なぎさに火をたいた。――まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ。茂吉のこの歌を誦して私は涙ぐんだ。おなじころ私はこの海でおぼれかかつたことがある。潮にさらはれ、もうだめだと思つた。真ひるまのことで空も海も真白な光にみちて寂然としてゐた。天地の悠久の苛酷を感じたとしたらこの瞬間であつたらう。十年ののち私は病みながら囚人の護送用の車に乗つてやはり夏の日の白い道を走つてゐたことがある。車の窓から外の天地に満ちてゐるまばゆいばかりの光にうたれ、私が感じたのは、かつて海でおぼれかかつた時がおもひだされる心であつた。
 農民運動に最初に関係した年の秋、向う岸の村を訪はうと、舟でわたつた、河口に近いところの北上川の大きなうねりと、そのあたりの風光も亦忘れがたい。北海道生れの私が枝もたわわな柿の実の美しさにおどろき、同行の者にわらはれたのもおなじ時である。
 北海道の冬は別にして、心にのこつてゐる風景の多くが夏のものであるのはふしぎである。夏は自然のいきほひがさかんでしかもそれを受ける神経は弱つてゐるためであらう。刑事被告人として送られる途中、四国から対岸までの舟のなかから見た瀬戸内海の風景もその一つである。拘禁生活で弱つてゐた私は動悸がし、血痰がとまらず、甲板の手すりにもたれ、紺碧の海にぺつぺつと赤いものを吐くのであつた。――独房の窓から見た空の青さや、その小さな空間にはひつて来る鳶や、五位鷺や、その窓からのび上つて見るはるかにかすんだ下界の眺めなどにいたつては、あれほどの風光といふものはほかにたづねて得られるものではない。
 去年私は結婚し、初夏に、妻の郷里である津軽の農村をたづねた。津軽富士はまだ雪を被き、寒々とした風がむきだしの畑の上を吹いて、林檎の木肌だけが艶々と美しかつた。村の川では若ものが八ツ目うなぎを手捕りにしてゐた。私は弘前の町などもあるいて見たが、どこにもおなじやうな荒廃を感じた。――あつたかい関西よりも、東北の自然が、ひとしほ心にしむおもひがするのは、私の血によるところもあるのであらうとおもはれる。





底本:「日本随筆紀行第二巻 札幌|小樽|函館 北の街はリラの香り」作品社
   1986(昭和61)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「島木健作全集 第一三巻」国書刊行会
   1980(昭和55)年3月
入力:大久保ゆう
校正:noriko saito
2019年7月30日作成
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