夜に就て

立原道造




※(ローマ数字1、1-13-21)


 凡そ人は夢のなかに氣ままにしのびいることの出來ないたちのものである。それは夢といふものが、シヤボン玉に似て、無理になかへおしこまうとするとやぶれてしまふからである。
 ところが、ゴンゴンといふ者には、その不思議が出來た。
 これは、彼の夢物語であるが、それを諸君にお傳へしよう。

 A――
 それは、にぎやかな町であつた。多分、夕方であつたのであらう。靄のやうなものがうつすら流れてゐた。ゴンゴンは、とある横町に一軒のサアカス小屋をみつけたのである。
 その看板には、ごくうすい色で、栗毛の馬に乘つたふたりの少女の圖が描いてあつた。その少女たちは、いづれもポツリとした瞳を持つて居り、水色の上衣を着てゐた。
 そこで、ゴンゴンはその小屋へはいつた。
 なかは、人混みで、人の空氣のために、最初はつきりものが見えなかつた。

 目が馴れると、舞臺では、一種の舞踊が行はれてゐた。それといふのは、ひとりの踊り子が片方の手と足と目をめちやくちやに速く動かし、もう片方の手と足と目はぽかんとしてゐるといつた具合に、それも手を交へながら、空中で踊つてゐた。實に奇妙であつた。カンカン踊りといふものがあるときいたが、これは半分づつのカンカン踊りともいふのであらう。
 勿論、それを見るや、ゴンゴンはふきだしてしまつたのである。

 B――
 或る日、ゴンゴンはひとりの神さまに出會つた。そこで、ふだんから不思議に思つてゐたから、※(始め二重括弧、1-2-54)なぜ雲を作るんですか?※(終わり二重括弧、1-2-55)と尋ねると、神さまはそれには答へないで、そのかはりにゴンゴンの目の前で雲を作つてみせて下さつた。それはたいへんうつくしいうろこ雲であつた。さうして、よく見ると、その小さな一片一片には、可愛らしい少女が乘つてゐたのである。

 C――
 ゴンゴンが、町を歩いてゐたら、白い雲が、頭のうへを飛んで行つた。
 暫くすると、大きな音がポンポンとして、四つ角に人がもう大勢あつまつてゐる。かきわけてゆくと、なアんだ――今の雲が、粉々になつて、そこに散らばつてゐた。

 僕は、ゴンゴンの服裝のことをまだ一言も言つてゐなかつた。――彼は、いつも赤いチヨツキを着て、青い帽子をかぶつてゐるのである。

 或るとき、彼は谷川の水のところに下りて行つた。水をのまうとしたのである。すると、彼とおなじ姿の者がそこにもうひとり居るのであつた。驚いてよく見ると、その人も青い帽子をかぶり赤いチヨツキを着てゐた。
 これは不思議なことだつた。その人の頭の下には白い雲が流れてゐる。で、ゴンゴンはキヨトンとした顏で空を振り仰いだ。すると彼の頭のうへにも白い雲が浮いてゐるではないか。
 ゴンゴンは、突然ほほゑんでしまつて、※(始め二重括弧、1-2-54)それでいいんだな※(終わり二重括弧、1-2-55)と、呟いた。しかし、彼にはどうしても上と下の具合がよくわからなかつたのである。

 以上は、ゴンゴンといふ者の夢物語であるが、眠りの例のシヤボン玉の外側から見て、こんな夢が見えるか、僕は知らない。これは、ゴンゴンに聞いても知つてはゐないであらう。

 そのゴンゴンが、或る日、僕に土産を持つて來てくれた。
 それは、一匹の牡牛であつた。脊の高さ、五センチ程もあらうか。掌にのせて眺めてゐたら、もオツて鳴いた。これは、かの夢の國にゐた日は、ちひさなうす紫の殼の卵だつたさうである。


※(ローマ数字2、1-13-22)


 僕は架空のゴンゴンを失はなければならなかつた。しかし、どうして失はなければならないか知りたくもなかつたし、信じるすべも知らなかつた。信じないのではあつたが、僕は、どの夜にも、そのやうなゴンゴンの夢を見出すことが出來なかつた。夜はすつかり變つてしまつた。夜のなかには、ただをりをり風が深い所から吹いて來て、戸がきしつたり、つもつた埃や落葉にわるい欲望をささやいてゐるだけなのだ。

風がとほくを過ぎるときに
身體をかたくして 僕は手をたれてゐる
家畜の眠りのまはりの夜のやうに
かすかな響が僕を包んだ――

   ※(アステリズム、1-12-94)

僕にはどうしてもわからない
どうしてあんなにいそぐのか
そして或る時はしづかなのか
風のことが

窓をとざして
僕は聞いてゐる
さうして いつまでも聞いてゐると
焔のゆらぎに 谺に 風はかなしく
答へにやつて來る

 夜のなかでうたひつづける汚れた僕の分身、風のことなど、なぜ僕は語りたかつたのだらうか。
 あの愚かな闇や、自分のまはりのみを暖めることを知つてゐる貧しい蝋燭のことなど、それは、僕が夜を暗いものだと空想するとき同時にその暖い明るい休息を感じてしまふものなのだ。それならば、僕はなぜそのやうな休らひの夜を語りたいとは思はないであらうか。僕はただ夜を暗くみじめなものとしたいのだ。さうきめてしまふことが、なぜ僕には心安らかなのであらう。

 或る夜、月が寢床の近くにまでさしてゐた。空がかがやき、雲がながれてゐた。僕は、寢床の上に坐つて默つてゐた。夜を奪つたのは、果して誰だつたらうかと考へてゐた。
 眠りのなかでもおなじ姿勢で考へつづけた。そのほほゑみに似た顏の形は、刻みこまれてしまつたかのやうに、ずつと頬のそのすぢのひとつをも變へなかつた。――僕が、さういふ仕方で、どういふ具合に、ものを考へたかは、言ふことは出來ない。無理にそれを言はうとすると、ただ青黄い光のさすなかに、何者かいつぱいに消えかかつたりひろがつてゐたと、うそをつかなくてはならなかつた。これがうそであることは不幸かも知れない。なぜ不幸と言ひたいのか、僕は知らない。

 アンデルセンの夜のはなしを讀んで、涙を流した。それはグリインランドやウプサラの夜であつた。
 きれいな、誰の心をも樂しくする韻文小説を書きたいと思つた。眠る前に、いつも、オオカツサンとニコレツトを讀んでゐた。一本の蝋燭が燃えつきてしまつても眠れないとき、闇を見つめてゐると、僕は僕の生を物語のやうに並べてゐるかなしみに、涙を流した。

 それを強ゐたのは一人の少女であつた。風變りな健康な少女であつた。
 規則正しい間をおいて、僕は月に何度か、その少女と會つた。そのたびに、僕は、ありもしなかつた僕の昔の戀人はみづひきといふ秋の花を愛したと言つたり、幼い日、そのひとと夏の夜に線香花火を焚いたときそのひとの膝のすこし上に小さな傷痕を見つけたと語つた。そのやうないつはりの戀の思ひ出が種ぎれになつたときはいつも、僕は、架空のゴンゴンや夜に就いての童話を語らねばならなかつた。なぜそうなつたかは[#「そうなつたかは」はママ]、わからないのだ。僕はそのひとにだけは、嘘より外の言葉を語りたくなかつたのであらう。
 僕の思ひついた物語は、全く色褪めてゐた。しかし美しかつた、ほんとうによかつた。僕はそれを語つてゐた。その少女は聞いてゐた。ただその物語の美しさが、僕らにはすこしばかりいらだたしく哀しかつたのだ。


※(ローマ数字3、1-13-23)


 日の暮れない町をどこかにさがしに行つた人が歸つて來ましたが あたりはすつかり暗くなり どうしても道がわからず仕方なしに戻つたとか言ひました

 脊中のくろい山に月がさしてをりましたが山はいつも月の方を向き そのために白い山のやうにかがやきました 月はかうと信じて いつでも山は水晶よりも光るのだと 僕の窓に來て教へて行きました

 昨夜は いちばんかすかな豆ランプをともして その下で繪のついた本をひらいて居ました 一匹の蜂が花の蕋ふかく入つたところその花がいつの間にか消えてしまつたので その愚かな蜂は不思議だと思ひながらも自分まで一しよに消えていつたと その頁には書いてありました

 星や月のあかるい夜道で一册の本を拾つた人が 家に歸るまでに中に書かれたことを落してしまひました それであくる朝早く行つてみたら 道ばたの草のなかでは女王やポリチネルや行列が牝羊だの孔雀だのと一しよになつてきれいな空氣のなかでさはいでをりました

 一生かかつて語りあつても不思議な夜のたくらんだ手品の種はわかりませんでした


※(ローマ数字4、1-13-24)


 ああ、もし僕がその少女の肩に手をおいたら、僕の腕のなかにその少女を見出したら、また僕の夜は、變つてしまふだらう。
 防ぐすべもない。





底本:「立原道造全集 第3卷 物語」角川書店
   1971(昭和46)年8月15日初版発行
   1976(昭和51)年8月30日7版発行
初出:「椎の木 第5巻第2号」
   1936(昭和11)年2月号
入力:八八十零
校正:村並秀昭
2019年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード