醜い家鴨の子

DEN GRIMME AELING

ハンス・クリスチャン・アンデルゼン Hans Christian Andersen

菊池寛訳




 それは田舎いなかなつのいいお天気てんきことでした。もう黄金色こがねいろになった小麦こむぎや、まだあお燕麦からすむぎや、牧場ぼくじょうげられた乾草堆ほしくさづみなど、みんなきれいなながめにえるでした。こうのとりはながあかあしあるきまわりながら、母親ははおやからおそわったみょう言葉ことばでおしゃべりをしていました。
 麦畑むぎばたけ牧場ぼくじょうとはおおきなもりかこまれ、そのなかふか水溜みずだまりになっています。まったく、こういう田舎いなか散歩さんぽするのは愉快ゆかいことでした。
 そのなかでもこと日当ひあたりのいい場所ばしょに、かわちかく、気持きもちのいいふる百姓家ひゃくしょうや[#「百姓家が」は底本では「百性家が」]っていました。そしてそのいえからずっと水際みずぎわあたりまで、おおきな牛蒡ごぼうしげっているのです。それは実際じっさいずいぶんたけたかくて、その一番いちばんたかいのなどは、した子供こどもがそっくりかくれること出来できるくらいでした。人気ひとけがまるでくて、まったふかはやしなかみたいです。この工合ぐあいのいいかくに一家鴨あひるがそのときについてたまごがかえるのをまもっていました。けれども、もうだいぶ時間じかんっているのにたまごはいっこうからやぶれる気配けはいもありませんし、たずねてくれる仲間なかまもあまりないので、この家鴨あひるは、そろそろ退屈たいくつしかけてました。ほか家鴨達あひるたちは、こんな、あしすべりそうな土堤どてのぼって、牛蒡ごぼうしたすわって、この親家鴨おやあひるとおしゃべりするより、かわおよまわほうがよっぽど面白おもしろいのです。
 しかし、とうとうやっとひとつ、からけ、それからつづいて、ほかのもれてきて、めいめいのたまごから、一ずつものました。そしてちいさなあたまをあげて、
「ピーピー。」
と、くのでした。
「グワッ、グワッっておい。」
と、母親ははおやおしえました。するとみんな一生懸命いっしょうけんめい、グワッ、グワッと真似まねをして、それから、あたりのあおおおきな見廻まわすのでした。
「まあ、世界せかいってずいぶん広いもんだねえ。」
と、子家鴨達あひるたちは、いままでたまごからんでいたときよりも、あたりがぐっとひろびろしているのをおどろいていました。すると母親ははおやは、
なんだね、お前達まえたちこれだけが全世界ぜんせかいだとおもってるのかい。まあそんなことはあっちのおにわてからおいよ。なにしろ牧師ぼくしさんのはたけほうまでつづいてるってことだからね。だが、わたしだってまだそんなきのほうまではったことがないがね。では、もうみんなそろったろうね。」
と、いかけて、
「おや! 一番いちばんおおきいのがまだれないでるよ。まあ一体いったいいつまでたせるんだろうねえ、きしちまった。」
 そうって、それでもまた母親ははおやすわりなおしたのでした。
今日こんにちは。御子様おこさまはどうかね。」
 そういながらとしとった家鴨あひるがやってました。
いまねえ、あとひとつのたまごがまだかえらないんですよ。」
と、親家鴨おやあひるこたえました。
「でもまあほか子達こたちてやって下さい。ずいぶんきりょうしばかりでしょう? みんあ父親ちちおやそっくりじゃありませんか。不親切ふしんせつで、ちっとも私達あたしたちかえってない父親ちちおやですがね。」
 するとおばあさん家鴨あひるが、
「どれわたしにそのれないたまごせて御覧ごらん。きっとそりゃ七面鳥めんちょうたまごだよ。わたしもいつかたのまれてそんなのをかえしたことがあるけど、子達こたちはみんな、どんなにんでなおそうとしても、どうしてもみずこわがって仕方しかたがなかった。あたしあ、うんとガアガアってやったけど、からっきし駄目だめ! なんとしてもみずれさせること出来できないのさ。まあもっとよくせてさ、うん、うん、こりゃあ間違まちがいなし、七面鳥めんちょうたまごだよ。わるいことはわないから、そこにったらかしときなさい。そいではやほか子達こたちおよぎでもおしえたほうがいいよ。」
「でもまあもすこしのあいだここであたためていようとおもいますよ。」
と、母親ははおやいました。
「こんなにもういままでながあたためたんですから、もすこ我慢がまんするのはなんでもありません。」
「そんなら御勝手ごかってに。」
 そうてて年寄としより家鴨あひるってしまいました。
 とうとう、そのうちおおきいたまごれてきました。そして、
「ピーピー。」
きながら、雛鳥ひなしてきました。それはばかにおおきくて、ぶきりょうでした。母鳥ははどりはじっとそのつめていましたが、突然とつぜん
「まあこのおおきいこと! そしてほかのとちっともてないじゃないか! こりゃあ、ひょっとすると七面鳥しちめんちょうかもれないよ。でも、みずれるだんになりゃ、すぐ見分みわけがつくからかまやしない。」
と、独言ひとりごといました。
 あくもいいお天気てんきで、お日様ひさまあお牛蒡ごぼうにきらきらしてきました。そこで母鳥ははどり子供達こどもたちをぞろぞろ水際みずぎわれてて、ポシャンとみました。そして[#「そして」は底本では「そしそ」]、グワッ、グワッといてみせました。するとちいさい者達ものたち真似まねして次々つぎつぎむのでした。みんないったんみずなかあたまがかくれましたが、にまたます。そしていかにも易々やすやすあししたみずけて、見事みごとおよまわるのでした。そしてあのぶきりょうな子家鴨こあひるもみんなと一緒いっしょみずに入り、一緒いっしょおよいでいました。
「ああ、やっぱり七面鳥しちめんちょうじゃなかったんだ。」
と、母親ははおやいました。
「まあなん上手じょうずあし使つかことったら! それにからだもちゃんとぐにててるしさ。ありゃ間違まちがいなしにあたしさ。よくりゃ、あれだってまんざら、そうっともなくないんだ。グワッ、グワッ、さあみんなわたしいておで。これからえら方々かたがたのお仲間なかまりをさせなくちゃ。だからお百姓ひゃくしょうさんの裏庭にわ方々かたがた紹介しょうかいするからね。でもよくをつけてわたしそばはなれちゃいけないよ。まれるから。それになにより第一だいいちねこ用心ようじんするんだよ。」
 さて一同いちどう裏庭にわいてみますと、そこではいま大騒おおさわぎの最中さいちゅうです。ふたつの家族かぞくで、ひとつのうなぎあたまうばいあっているのです。そして結局けっきょく、それはねこにさらわれてしまいました。
「みんな御覧ごらん世間せけんはみんなこんなふうなんだよ。」
と、母親ははおやってかせました。自分じぶんでもそのうなぎあたましかったとえて、くちばしりつけながら、そして、
「さあみんな、あしをつけて。それで、行儀ぎょうぎただしくやるんだよ。ほら、あっちにえるとしとった家鴨あひるさんに上手じょうずにお辞儀じぎおし。あのかたたれよりもうまれがよくてスペインしゅなのさ。だからいいくらしをしておいでなのだ。ほらね、あのかたあしあかいきれをゆわえつけておいでだろう。ありゃあ家鴨あひるにとっちゃあたいした名誉めいよなんだよ。つまりあのかた見失みうしわないようにしてみんながくばってる証拠しょうこなの。さあさ、そんなにあしゆび内側うちがわげないで。そだちのいい家鴨あひるはそのおとうさんやおかあさんみたいに、ほら、こうあしひろくはなしてひろげるもんなのだ。さ、くびげて、グワッってって御覧ごらん。」
 家鴨あひる子達こたちわれたとおりにしました。けれどもほかの家鴨達あひるたちは、じろっとそっちをて、こううのでした。
「ふん、また一孵ひとかえり、ほかくみがやってたよ、まるで私達わたしたちじゃまだりないかなんぞのようにさ! それにまあ、あのなかの一なんみょうちきりんなかおをしてるんだろう。あんなのここに入れてやるもんか。」
 そうったとおもうと、突然とつぜんしてて、それのくびのところをんだのでした。
なにをなさるんです。」
と、母親ははおやはどなりました。
「これはなんにもわることをしたおぼえなんかいじゃありませんか。」
「そうさ。だけどあんまり図体ずたいおおぎて、っともないつらしてるからよ。」
と、意地悪いじわる家鴨あひるかえすのでした。
「だからしちまわなきゃ。」
 するとそばから、れいあかいきれをあしにつけている年寄家鴨としよりあひるが、
ほか子供こどもさんはずいみんみんなきりょうしだねえ、あの一ほかは、みんなね。おかあさんがあれだけ、もうすこしどうにかくしたらよさそうなもんだのに。」
と、くちしました。
「それはとてもおよびませぬことで、奥方様おくがたさま。」
と、母親ははおやこたえました。
「あれはまったくのところ、きりょうしではございませぬ。しかしまこと性質せいしつをもっておりますし、およぎをさせますと、ほか子達こたちくらい、――いやそれよりずっと上手じょうずいたします。わたしかんがえますところではあれもちますにつれて、うつくしくなりたぶんからだも[#「からだも」は底本では「かちだも」]ちいさくなることでございましょう。あれはたまごなかにあまりながはいっておりましたせいで、からだつきが普通なみ出来上できあがらなかったのでございます。」
 そうって母親ははおや子家鴨こあひるくびで、はねなめらかにたいらにしてやりました。そして、
なにしろこりゃおとこだもの、きりょうなんかたいしたことじゃないさ。いまつよくなって、しっかり自分じぶんをまもるようになる。」
こんなふうつぶやいてもみるのでした。
実際じっさいほか子供衆こどもしゅう立派りっぱだよ。」
と、れい身分みぶんのいい家鴨あひるはもう一繰返くりかえして、
「まずまず、おまえさんがたもっとからだをらくになさい。そしてね、うなぎあたまつけたら、わたしのところにってておくれ。」
と、したものです。
 そこでみんなはくつろいで、いたようにふるまいました。けれども、あの一ばんおしまいにからからた、そしてぶきりょうな顔付かおつきの子家鴨こあひるは、ほか家鴨あひるやら、そのそこにわれている鳥達とりたちみんなからまで、みつかれたり、きのめされたり、いろいろからかわれたのでした。そしてこんな有様ありさまはそれから毎日まいにちつづいたばかりでなく、しそれがひどくなるのでした。兄弟きょうだいまでこのあわれな子家鴨こあひる無慈悲むじひつらあたって、
「ほんとにっともないやつねこにでもとっつかまったほうがいいや。」
などと、いつも悪体あくたいをつくのです。母親ははおやさえ、しまいには、ああこんなならうまれないほうがよっぽどしあわせだったとおもようになりました。仲間なかま家鴨あひるからはかれ、ひよからははねでぶたれ、裏庭うらにわ鳥達とりたち食物たべものってむすめからはあしられるのです。
 たまりかねてその子家鴨こあひる自分じぶん棲家すみかをとびしてしまいました。その途中とちゅうさくえるときかきうちにいた小鳥ことりがびっくりしてったものですから、
「ああみんなはぼくかおがあんまりへんなもんだから、それでぼくこわがったんだな。」
と、おもいました。それでかれつぶって、なおもとおんできますと、そのうちひろひろ沢地たくちうえました。るとたくさんの野鴨のがもんでいます。子家鴨こあひるつかれとかなしみになやまされながらここで一晩ひとばんあかしました。
 あさになって野鴨達のがもたちきてみますと、見知みしらないものているのでをみはりました。
一体いったいきみはどういう種類しゅるいかもなのかね。」
 そうって子家鴨こあひるまわりにあつまってました。子家鴨こあひるはみんなにあたまげ、出来できるだけうやうやしい様子ようすをしてみせましたが、そうたずねられたことたいしては返答へんとう出来できませんでした。野鴨達のがもたち[#「野鴨達は」は底本では「野鴨達に」]かれむかって、
きみはずいぶんみっともないかおをしてるんだねえ。」
と、い、
「だがね、きみ僕達ぼくたち仲間なかまをおよめにくれっていさえしなけりゃ、まあきみかおつきくらいどんなだって、こっちはかまわないよ。」
と、つけしました。
 可哀かわいそうに! この子家鴨こあひるがどうしておよめさんをもらことなどかんがえていたでしょう。かれはただ、がまなかて、沢地たくちみずむのをゆるされればたくさんだったのです。こうして二日ふつかばかりこの沢地たくちくらしていますと、そこに二がんがやってました。それはまだたまごからいくらもたない子雁こがんで、たいそうこましゃくれものでしたが、その一方いっぽう子家鴨こあひるむかってうのに、
きみ、ちょっとたまえ。きみはずいぶんっともないね。だから僕達ぼくたちきみっちまったよ。きみ僕達ぼくたち一緒いっしょわたどりにならないかい。ここからそうとおくないところにまだほかの沢地たくちがあるがね、そこにやまだかたずかないがんむすめがいるから、きみもおよめさんをもらうといいや。きみっともないけど、うんはいいかもしれないよ。」
 そんなおしゃべりをしていますと、突然とつぜん空中くうちゅうでポンポンとおとがして、二がんきずついて水草みずくさあいだちてに、あたりのみずあかそまりました。
 ポンポン、そのおと[#「その音は」は底本では「その者は」]とおくではてしなくこだまして、たくさんのがんむれいっせいにがまなかからちました。おとはなおも四方八方しほうはっぽうからなしにひびいてます。狩人かりうどがこの沢地たくちをとりかこんだのです。なかにはえだこしかけて、うえから水草みずくさのぞくのもありました。猟銃りょうじゅうからあおけむりは、くらいうえくもようちのぼりました。そしてそれが水上すいじょうわたってむこうへえたとおもうと、幾匹いくひきかの猟犬りょうけん水草みずくさの中にんでて、くさすすんできました。可哀かわいそうな子家鴨こあひるがどれだけびっくりしたか! かれはねしたあたまかくそうとしたとき、一ぴきおおきな、おそろしいいぬがすぐそばとおりました。そのあごおおきくひらき、したをだらりとし、はきらきらひからせているのです。そしてするどをむきしながら子家鴨こあひるのそばにはなんでみた揚句あげく、それでもかれにはさわらずにどぶんとみずなかんでしまいました。
「やれやれ。」
と、子家鴨こあひる吐息といきをついて、
ぼくっともなくてまった有難ありがたことだった。いぬさえみつかないんだからねえ。」
と、おもいました。そしてまだじっとしていますと、りょうはなおもそのあたまうえではげしくつづいて、じゅうおと水草みずくさとおしてひびきわたるのでした。あたりがすっかりしずまりきったのは、もうそのもだいぶんおそくなってからでしたが、そうなってもまだあわれな子家鴨こあひるうごこうとしませんでした。何時間なんじかんかじっとすわって様子ようすていましたが、それからあたりを丁寧ていねいにもう一ぺん見廻みまわしたのちやっとあがって、今度こんど非常ひじょうはやさでしました。はたけえ、牧場ぼくじょうえてはしってくうち、あたりは暴風雨あらしになってて、子家鴨こあひるちからでは、しのいでけそうもない様子ようすになりました。やがて日暮ひぐがたかれすぼらしい小屋こやまえましたが、それはいまにもたおれそうで、ただ、どっちがわたおれようかとまよっているためにばかりまだたおれずにっているよういえでした。あらしはますますつのる一方いっぽうで、子家鴨こあひるにはもう一足ひとあしけそうもなくなりました。そこでかれ小屋こやまえすわりましたが、ると、蝶番ちょうつがいひとつなくなっていて、そのためにがきっちりしまっていません。したほうでちょうど子家鴨こあひるがやっとすべませられるくらいいでいるので、子家鴨こあひるしずかにそこからしのび入り、そのばんはそこで暴風雨あらしけることにしました。
 この小屋こやには、一人ひとりおんなと、一ぴき牡猫おねこと、一牝鶏めんどりとがんでいるのでした。ねこはこの女御主人おんなごしゅじんから、
せがれや。」
と、ばれ、だいひいきものでした。それは背中せなかをぐいとたかくしたり、のどをごろごろらしたりぎゃくでられるとからことまで出来できました。牝鶏めんどりはというと、あしがばかにみじかいので
「ちんちくりん。」
と、いう綽名あだなもらっていましたが、いいたまごむので、これも女御主人おんなごしゅじんからむすめよう可愛かわいがられているのでした。
 さてあさになって、ゆうべはいってみょう訪問者ほうもんしゃはすぐ猫達ねこたちつけられてしまいました。ねこはごろごろのどらし、牝鶏めんどりはクックッきたてはじめました。
なんだねえ、そのさわぎは。」
と、おばあさんは部屋中へやじゅう見廻みまわしていましたが、がぼんやりしているものですから、子家鴨こあひるがついたとき、それを、どこかのうちからまよってた、よくふとった家鴨あひるだとおもってしまいました。
「いいものがたぞ。」
と、おばあさんはいました。
牡家鴨おあひるでさえなけりゃいいんだがねえ、そうすりゃ家鴨あひるたまごはいるというもんだ。まあ様子ようすててやろう。」
 そこで子家鴨こあひるためしに三週間しゅうかんばかりそこにことゆるされましたが、たまごなんかひとつだって、うまれるわけはありませんでした。
 このうちではねこ主人しゅじんようにふるまい、牝鶏めんどり主人しゅじんよう威張いばっています。そしてなにかというと
我々われわれこの世界せかい。」
と、うのでした。それは自分達じぶんたち世界せかい半分はんぶんずつだとおもっているからなのです。ある牝鶏めんどり子家鴨こあひるむかって、
「おまえさん、たまごめるかね。」
と、たずねました。
「いいえ。」
「それじゃなんにも口出くちだしなんかする資格しかくはないねえ。」
 牝鶏めんどりはそううのでした。今度こんどねこほうが、
「おまえさん、背中せなかたかくしたり、のどをごろつかせたり、したり出来できるかい。」
と、きます。
「いいえ。」
「それじゃ我々われわれえら方々かたがたなにかものをときでも意見いけんしちゃいけないぜ。」
 こんなふうわれて子家鴨こあひるはひとりで滅入めいりながら部屋へやすみっこにちいさくなっていました。そのうち、あたたかひかりや、そよかぜ隙間すきまから毎日まいにちはいようになり、そうなると、子家鴨こあひるはもうみずうえおよぎたくておよぎたくてたまらない気持きもちしてて、とうとう牝鶏めんどりにうちあけてしまいました。すると、
「ばかなことをおいでないよ。」
 と、牝鶏めんどり一口ひとくちにけなしつけるのでした。
「おまえさん、ほかにすることがないもんだから、ばかげた空想くうそうばっかしするようになるのさ。もし、のどならしたり、たまごんだり出来できれば、そんなかんがえはすぐとおぎちまうんだがね。」
「でもみずうえおよまわるの、実際じっさい愉快ゆかいなんですよ。」
と、子家鴨こあひるいかえしました。
「まあみずなかにくぐってごらんなさい、あたまうえみずあた気持きもちのよさったら!」
気持きもちがいいだって! まあおまえさんでもちがったのかい、たれよりもかしこいここのねこさんにでも、女御主人おんなごしゅじんにでもいてごらんよ、みずなかおよいだり、あたまうえみずとおるのがいい気持きもちだなんておっしゃるかどうか。」
 牝鶏めんどり躍気やっきになってそううのでした。子家鴨こあひるは、
「あなたにゃぼく気持きもちわからないんだ。」
と、答えました。
わからないだって? まあ、そんなばかげたことかんがえないほうがいいよ。おまえさんここにれば、あたたかい部屋へやはあるし、私達わたしたちからはいろんなことがならえるというもの。わたしはおまえさんのためをおもってそうってげるんだがね。とにかく、まあ出来できるだけはやたまごことや、のどならことおぼえるようにおし。」
「いや、ぼくはもうどうしてもまたそと世界せかいなくちゃいられない。」
「そんなら勝手かってにするがいいよ。」
 そこで子家鴨こあひる小屋こやきました。そしてまもなく、およいだり、くぐったり出来できようみずあたりにましたが、そのみにく顔容かおかたちのために相変あいからず、ほか者達ものたちから邪魔じゃまにされ、はねつけられてしまいました。そのうちあきて、もりはオレンジいろ黄金色おうごんいろかわってました。そして、だんだんふゆちかづいて、それがると、さむかぜがその落葉おちばをつかまえてつめた空中くうちゅうげるのでした。あられゆきをもよおすくもそらひくくかかり、大烏おおがらす羊歯しだうえって、
「カオカオ。」
と、いています。それは、一目ひとめるだけでさむさにふるあがってしまいそうな様子ようすでした。はいるものみんな、なにもかも、子家鴨こあひるにとってはかなしいおもいをすばかりです。
 ある夕方ゆうがたことでした。ちょうどお日様ひさまいま、きらきらするくもあいだかくれたのち水草みずくさなかから、それはそれはきれいなとりのたくさんのむれってました。子家鴨こあひるいままでにそんなとりまったことがありませんでした。それは白鳥はくちょうというとりで、みんなまばゆいほどしろはねかがやかせながら、その恰好かっこうのいいくびげたりしています。そして彼等かれらは、その立派りっぱつばさひろげて、このさむくにからもっとあたたかくにへとうみわたってんでときは、みんな不思議ふしぎこえくのでした。子家鴨こあひるはみんながれだって、そらたかくだんだんとのぼってくのを一心いっしんているうち、奇妙きみょう心持こころもちむねがいっぱいになってきました。それはおもわず自分じぶんくるまなんぞのようみずなかげかけ、んでくみんなのほうむかってくびをさしべ、おおきなこえさけびますと、それはわれながらびっくりしたほど奇妙きみょうこえたのでした。ああ子家鴨こあひるにとって、どうしてこんなにうつくしく、仕合しあわせらしいとりことわすれること出来できたでしょう! こうしてとうとうみんなの姿すがたまったえなくなると、子家鴨こあひるみずなかにぽっくりくぐみました。そしてまたふたたあがってましたが、いまはもう、さっきのとり不思議ふしぎ気持きもちにすっかりとらわれて、われわすれるくらいです。それは、さっきのとりらなければ、どこへんでったのかもりませんでしたけれど、うまれてからいままでにったどのとりたいしてもかんじたことのない気持きもちかんじさせられたのでした。子家鴨こあひるはあのきれいな鳥達とりたちねたましくおもったのではありませんでしたけれども、自分じぶんもあんなに可愛かわいらしかったらなあとは、しきりにかんがえました。可哀かわいそうにこの子家鴨こあひるだって、もとの家鴨達あひるたちすこ元気げんきをつけるようにしてさえくれれば、どんなによろこんでみんなと一緒いっしょくらしたでしょうに!
 さて、さむさは日々ひびにひどくなってました。子家鴨こあひるみずこおってしまわないようにと、しょっちゅう、そのうえおよまわっていなければなりませんでした。けれども夜毎々々よごとよごとに、それがおよげる場所ばしょせまくなる一方いっぽうでした。そして、とうとうそれはかたかたこおってきて、子家鴨こあひるうごくとみずなかこおりがめりめりれるようになったので、子家鴨こあひるは、すっかりその場所ばしょこおりで、ざされてしまわないようちからかぎあしみずをばちゃばちゃいていなければなりませんでした。そのうちしかしもうまったつかれきってしまい、どうすること出来できずにぐったりとみずなかこごえてきました。
 が、翌朝よくあさはやく、一人ひとり百姓ひゃくしょう[#「百姓が」は底本では「百性が」]そこをとおりかかって、このことつけたのでした。かれ穿いていた木靴きぐつこおりり、子家鴨こあひるれて、つまのところにかえってました。あたたまってくるとこの可哀かわいそうなものいききかえしてました。けれども子供達こどもたちがそれと一緒いっしょあそぼうとしかけると、子家鴨こあひるは、みんながまたなに自分じぶんにいたずらをするのだとおもんで、びっくりしてって、ミルクのはいっていたおなべにとびんでしまいました。それであたりはミルクだらけという始末しまつ。おかみさんがおもわずたたくと、それはなおびっくりして、今度こんどはバタのおけやら粉桶こなおけやらにあしんで、またしました。さあ大変たいへんさわぎです。おかみさんはきいきいって、火箸ひばしでぶとうとするし、子供達こどもたちもわいわいはしゃいで、つかまえようとするはずみにおたがいにぶつかってころんだりしてしまいました。けれどもさいわいに子家鴨こあひるはうまくげおおせました。ひらいていたあいだからて、やっとくさむらなかまで辿たどいたのです。そしてあらたにつもったゆきうえまったつかれたよこたえたのでした。
 この子家鴨こあひるくるしいふゆあいだ出遭であった様々さまざま難儀なんぎをすっかりおはなししたには、それはずいぶんかなしい物語ものがたりになるでしょう。が、そのふゆってしまったとき、あるあさ子家鴨こあひる自分じぶん沢地たくちがまなかたおれているのにがついたのでした。それは、お日様ひさまあたたかっているのをたり、雲雀ひばりうたいたりして、もうあたりがすっかりきれいなはるになっているのをりました。するとこのわかとりつばさ横腹よこばらってみましたが、それはまったくしっかりしていて、かれそらたかのぼりはじめました。そしてこのつばさはどんどんかれまえまえへとすすめてくれます。で、とうとう、まだかれ無我夢中むがむちゅうでいるあいだおおきなにわなかてしまいました。林檎りんごいまいっぱいのはなざかり、かぐわしい接骨木にわどこはビロードのよう芝生しばふまわりをながれる小川おがわうえにそのながみどりえだれています。なにもかも、はるはじめのみずみずしいいろできれいなながめです。このとき、ちかくの水草みずくさしげみから三うつくしい白鳥はくちょうが、はねをそよがせながら、なめらかなみずうえかるおよいであらわれてたのでした。子家鴨こあひるはいつかのあの可愛かわらしいとりおもしました。そしていつかのよりももっとかなしい気持きもちになってしまいました。
「いっそぼく、あの立派りっぱとりんとこにんでってやろうや。」
と、かれさけびました。
「そうすりゃあいつは、ぼくがこんなにみっともないくせして自分達じぶんたちそばるなんて失敬しっけいだってぼくころすにちがいない。だけど、そのほうがいいんだ。家鴨あひるくちばしつつかれたり、牝鶏めんどりはねでぶたれたり、鳥番とりばんおんないかけられるなんかより、どんなにいいかしれやしない。」
こうおもったのです。そこで、子家鴨こあひるきゅう水面すいめんり、うつくしい白鳥はくちょうほうに、およいできました。すると、むこうでは、このあたらしくやってものをちらっとると、すぐつばさひろげていそいでちかづいてました。
「さあころしてくれ。」
と、可哀かわいそうなとりってあたまみずうえれ、じっところされるのをかまえました。
 が、そのときとり自分じぶんのすぐしたんでいるみずなかつけたものはなんでしたろう。それこそ自分じぶん姿すがたではありませんか[#「ありませんか」は底本では「ありませんが」]。けれどもそれがどうでしょう、もうけっして[#「決して」は底本では「決しで」]いまはあのくすぶった灰色はいいろの、るのもいやになるようまえ姿すがたではないのです。いかにも上品じょうひんうつくしい白鳥はくちょうなのです。百姓家ひゃくしょうや[#「百姓家の」は底本では「百性家の」]裏庭にわで、家鴨あひるなかうまれようとも、それが白鳥はくちょうたまごからかえ以上いじょうとりうまれつきにはなんのかかわりもないのでした。で、その白鳥はくちょうは、いまとなってみると、いままでかなしみやくるしみにさんざん出遭であったことよろこばしいことだったという気持きもちにもなるのでした。そのためにかえっていま自分じぶんとりかこんでいる幸福こうふくひとばいたのしむこと出来できるからです。御覧ごらんなさい。いま、このあたらしくはいって仲間なかま歓迎かんげいするしるしに、立派りっぱ白鳥達はくちょうたちがみんなって、めいめいのくちばしでそのくびでているではありませんか。
 幾人いくにんかの子供こどもがおにわはいってました。そしてみずにパンやお菓子かしれました。
「やっ!」
と、一番いちばんちいさい突然とつぜん大声おおごえしました。そして、
あたらしく、ちがったのがてるぜ。」
 そうおしえたものでしたら、みんなは大喜おおよろこびで、おとうさんやおかあさんのところへ、雀躍こおどりしながらけてきました。
「ちがった白鳥はくちょう[#「白鳥が」は底本では「白鳥か」]いまーす、あたらしいのがたんでーす。」
口々くちぐちにそんなことさけんで。それからみんなもっとたくさんのパンやお菓子かしもらってて、みずれました。そして、
あたらしいのが一等いっとうきれいだね、わかくてほんとにいいね。」
と、めそやすのでした。それでとしおおきい白鳥達はくちょうたちまで、このあたらしい仲間なかままえでお辞儀じぎをしました。わか白鳥はくちょうはもうまったくまりがわるくなって、つばさしたあたまかくしてしまいました。かれには一体いったいどうしていいのかわからなかったのです。ただ、こう幸福こうふく気持きもちでいっぱいで、けれども、高慢こうまんこころなどはちりほどもおこしませんでした。
 っともないという理由りゆう馬鹿ばかにされたかれ、それがいまはどのとりよりもうつくしいとわれているのではありませんか。接骨木にわどこまでが、そのえだをこのあたらしい白鳥はくちょうほうらし、あたまうえではお日様ひさまかがやかしくりわたっています。あたらしい白鳥はくちょうはねをさらさららし、っそりしたくびげて、こころそこから、
「ああぼくはあのっともない家鴨あひるだったとき実際じっさいこんな仕合しあわせなんかゆめにもおもわなかったなあ。」
と、さけぶのでした。





底本:「小學生全集第五卷 アンデルゼン童話集」興文社、文藝春秋社
   1928(昭和3)年8月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、次の書き換えを行いました。
「或→ある 余り→あまり 一向→いっこう 一旦→いったん 中→うち 彼→か 却って→かえって かも知れない→かもしれない 位→くらい 此処→ここ 此の→この 随分→ずいぶん 直ぐ→すぐ 其処→そこ 其・其の→その 其中→そのうち 大分→だいぶ・だいぶん 沢山→たくさん 唯→ただ 多分→たぶん 為→ため 段々→だんだん 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと て居る→ておる 何→ど 何処→どこ 兎に角→とにかく 程→ほど 益々→ますます 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 余っぽど→よっぽど」
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について