雪の女王

――七つのお話からできている物語――

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




さいしょのお話



鏡と、鏡のかけらのこと

 さあ、いいですか、お話をはじめますよ。このお話をおしまいまで聞けば、わたしたちは、いまよりも、もっといろいろなことを知ることになります。それは、こういうわけなのですよ。
 あるところに、ひとりのわるいこびとの妖魔ようまがいました。それは妖魔の中でも、いちばんわるいほうのひとりでした。つまり、「悪魔」です。ある日のこと、悪魔は、たいそういいごきげんになっていました。というのは、この悪魔は、まことにふしぎな力をもつ、一枚の鏡をつくったからでした。つまり、その鏡に、よいものや、美しいものがうつると、たちまち、それが小さくなり、ほとんどなんにも見えなくなってしまうのです。ところが、その反対に、役に立たないものとか、みにくいものなどは、はっきりと大きくうつって、しかもそれが、いっそうひどくなるというわけです。たとえようもないほど美しい景色でも、この鏡にうつったがさいご、まるで、煮つめたホウレンソウみたいになってしまうのです。どんなによい人間でも、みにくく見えてしまいます。さもなければ、胴がなくなって、さかさまにうつってしまうのです。顔は、すっかりゆがめられてしまって、見わけることさえできません。そのかわり、そばかすが一つあっても、それが、鼻や口の上までひろがって、はっきりと見えてくるしまつです。
「こいつは、とてつもなくおもしろいや」と、悪魔は言いました。たとえばですよ、なにか信心深い、よい考えが、人の心の中に起ってきたとしますね、すると、鏡の中には、しかめっつらがあらわれてくるのです。こびとの悪魔は、自分のすばらしい発明に、思わず、吹き出してしまいました。悪魔は、妖魔学校の校長をしていましたが、この学校にかよっている生徒たちは、みんな、奇蹟きせきが起った、と、言いふらしました。そして、いまこそはじめて、世の中と、人間のほんとうの姿が見られるのだ、と、口々に言いました。
 こうして、みんなが、その鏡をさかんに持ち歩いたものですから、とうとうしまいには、その鏡に、ゆがんでうつらない国も、人間も、なくなってしまいました。そこで、今度は、天までのぼっていって、天使や、神さまをからかってやろうと、とんでもないことを考え出しました。みんなが、鏡を持って、高くのぼっていくと、鏡の中にうつるしかめっつらが、ますますひどくなってきました。そして、鏡をしっかり持っているのが、やっとになりました。みんなは、それでもかまわず、ずんずんのぼっていって、だんだん神さまと天使のところに近づきました。
 が、そのとき、鏡は、しかめっつらをしながら、おそろしくふるえだしました。そのため、とうとう、みんなの手から離れて、地上に落っこちてしまいました。そして、何千万、何億万、いやいや、もっとたくさんの、こまかいかけらに、くだけてしまいました。こうして、いままでよりももっと大きな不幸を、世の中にまき散らすことになったのです。というのは、くだけ散ったかけらの中には、やっと砂粒ぐらいの大きさしかないのも、いくつかあったからです。こういうかけらは、広い世の中にとび散りました。そして、それが、人間の目の中にはいると、そこにいすわってしまうのです。そうすると、その人の目は、なにもかもあべこべに見たり、でなければ、物のわるいところばかりを、見てしまうようになるのです。なにしろ、一つ一つの、ほんの小さな鏡のかけらでも、鏡ぜんたいと、同じ力を持っているのですからね。
 小さな鏡のかけらは、幾人かの人たちの心の中にさえ、はいりこみました。しかし、そうなると、ほんとうにおそろしいことです。その人の心は、ひとかたまりの氷のようになってしまうのです。また、鏡のかけらの中には、窓ガラスに使われるくらい、大きいのもありました。けれども、この窓から友だちを見ようとしたところで、そんなことは、とてもむりな話です。それから、めがねになった、かけらもあります。けれども、このめがねをかければ、物を正しく見たり、正しくふるまったりすることは、とうていできません。これを見た悪魔は、笑いころげて、もうすこしで、おなかが、破裂してしまいそうになりました。でも、ゆかいでたまりませんでした。まあ、それはともかくとして、外では、まだこの小さなガラスのかけらが、空中を舞っていました。
 さあ、それでは、つぎのお話を聞きましょう!

二番めのお話



男の子と女の子

 大きな町には、たくさんの家があって、大ぜいの人が住んでいます。ですから、みんながみんな、めいめいの庭を持つだけの場所がありません。それで、たいていの人は、植木ばちに花を植えて、それで満足しなければならないのです。
 ちょうどそういうような町に、ふたりの貧しい子供がいました。ふたりは、植木ばちよりもいくらか大きい庭を持っていました。このふたりは、兄妹きょうだいではありませんが、まるで、ほんとの兄妹のように仲よしでした。ふたりの両親は、おとなりどうしで、どちらも屋根裏部屋べやに住んでいました。一方の家の屋根は、おとなりの家の屋根につづいていて、両方ののきを、雨どいがつたっていました。そして、その二つの屋根裏部屋から、小さな窓がむかいあっていて、といを、ひとまたぎしさえすれば、一方の窓からむこうの窓へ行くことができました。
 どちらの両親も、窓のそとに大きな木の箱を置いて、その中に、みんなの食べる野菜を植えていました。それから、小さなバラも、一かぶずつ植えていました。バラは、みごとにしげっていました。そして、この箱は、といをまたいで置いてありましたので、箱の両はしが、もうすこしで、むこうの家の窓にとどきそうになっていました。ですから、両側に、いきいきとした、二つの花のかべができているようなぐあいでした。エンドウのつるは、箱の外へたれさがり、バラの木は長い枝を出して、窓のまわりにからみついて、たがいにおじぎをしあっていました。そのありさまは、まるで、緑の葉と花とでできた、がいせん門を見るようでした。箱はずいぶん大きかったし、それに、子供たちは、その上にはいのぼってはいけないと言われていましたから、ふたりはときどき、おかあさんのおゆるしをいただいて、屋根の上に出ました。そして、バラの下に置いてある、小さな椅子いすに腰かけて楽しくあそびました。
 冬になると、こういう楽しみもなくなりました。窓ガラスは、よく、こおりついてしまいました。でも、そんなときには、子供たちは、銅貨をストーブであたためて、その熱い銅貨を、こおりついた窓ガラスに押しあてました。そうすると、そこに、まん丸い、すてきな、のぞき穴ができるのです。両方の窓ののぞき穴からは、やさしい、なごやかな目が、一つずつ、のぞいていました。それは、小さい男の子と、女の子の目でした。男の子はカイ、女の子はゲルダといいました。夏のあいだは、ふたりとも、ひとまたぎで、行ったり、来たりすることができました。ところが、冬になると、たくさんの階段をおりて、それからまた、たくさんの階段をのぼっていかなければなりません。外では、雪が、さかんに降っていました。
「あれは、白いミツバチが、むらがっているんだよ」と、年とったおばあさんが言いました。
「あの中には、ミツバチの女王もいる?」と、小さい男の子がききました。この子は、ほんとうのミツバチの中には女王がいることを、ちゃんと知っていたのです。
「ああ、いるよ」と、おばあさんは言いました。「女王バチはね、ミツバチが、いちばんたくさんむらがっているところを、とんでいるんだよ。みんなの中で、いちばん大きいのが女王バチでね、地面の上にちっともじっとしていないんだよ。黒い雲のほうへ、すぐまたとんでいってしまうのさ。冬の夜には、女王バチは、よく、町の通りをとびまわって、ほうぼうの家の窓からのぞきこむんだよ。そうして、ふしぎなことに、そのまま窓ガラスにこおりついてしまって、まるで、花をくっつけたようになるんだよ」
「うん、ぼく、見たことあるよ」「あたしもよ」と、ふたりの子供は、口々に言いました。そして、ふたりとも、それがほんとうのことだということを知りました。
「雪の女王は、ここへはいってくることができる?」と、小さい女の子がたずねました。
「はいってきたっていいや」と、男の子は言いました。「そしたら、ぼく、あついストーブの上にのせてやるから。そうすりゃ、とけちまうさ」
 けれども、おばあさんは、男の子の髪の毛をなでながら、ほかのお話をして聞かせました。
 夕方、カイは、部屋の中で着物をぬいでいました。ぬぎかけで、窓ぎわの椅子の上によじのぼって、小さなのぞき穴から外をのぞいてみました。外には、雪のひらが、二つ三つ、ひらひらと舞っていました。その中でいちばん大きいのが、花の箱のふちにのっかりました。と、その雪のひらは、みるみる大きくなって、とうとう、女の人の姿になりました。そのひとが身につけている着物は、とてもうすい、まっ白なしゃでできていましたが、それは、お星さまのようにキラキラする雪のひらを、何百万も集めてつくったものでした。そのひとは、見れば見るほど美しい、ほっそりとしたひとでした。でも、からだは、氷でできていました。キラキラする、まぶしいほどの氷で、できているのでした。それでも、そのひとは生きていました。目は、明るい、二つのお星さまのように、かがやいてはいましたが、おちついた、やすらかなようすは見えませんでした。女のひとは、窓のほうにむかってうなずきながら、手まねきしました。男の子は、ふるえあがって、椅子からとびおりました。なんだか、そのとき、窓の外を、一羽の大きな鳥が、とびさったような気がしました。
 あくる日は、しものおりた、よいお天気になりました。――それから、雪がとけはじめました。――やがて、春になりました。お日さまはキラキラかがやき、緑の草が顔を出し、ツバメは巣をつくりました。そして、窓は、あけはなたれました。小さな子供たちは、ふたたび、高い高い屋根の上の、小さいお庭にすわって、あそびました。
 バラの花は、この夏は、たとえようもないほど美しく咲きました。小さな女の子は、讃美歌さんびかを一つおぼえました。その中には、バラの花のこともうたってありました。そして、歌の中にバラの花のことが出てくるたびに、女の子は、自分の花のことを思い出しました。女の子は、男の子にうたって聞かせました。そして、男の子も、いっしょにうたいました。

バラの花 かおる谷間に
あおぎまつる おさな子イエスきみ

 それから、子供たちは、手を取りあって、バラの花にキスをしました。そして、神さまの明るいお日さまの光をあおいで、まるで、そこにみどり子イエスさまがいらっしゃるように、話しかけました。なんという美しい夏の日でしょう! 家の外で、いきいきとしたバラの花にかこまれているのは、まことに気持のよいものです。バラの花は、いつまでもいつまでも、咲きつづけようとしているようでした。
 カイとゲルダは、そこにすわって、動物や鳥の絵本を見ていました。そのとき、教会の大きな塔で、時計がちょうど五時を打ちました。――カイが、こう言いました。
「あ、いたっ! 胸のとこを、なにかに、ちくりとさされたよ。目の中に、なにかはいったんだ!」
 小さな女の子は、男の子の首をだきました。男の子は、目をぱちぱちやりました。けれども、なんにも見つかりませんでした。
「もう出てしまったんだろう」と、男の子は言いました。でも、まだ出てしまったのではありません。あの鏡、ほら、あの悪魔の鏡からとび散った、小さなかけらの一つが、とびこんだのです。わたしたちは、まだよくおぼえていますね。あのわるい鏡には、ふしぎな力があって、なんでも大きく美しいものは、小さくみにくく見えるのに、わるい、いやなものは、はっきりと大きくうつって、物のわるいところばかりが、すぐに目につくのでしたね。カイの心臓の中には、そのかけらが一つはいったのです。かわいそうなカイ! カイの心臓は、まもなく、氷のかたまりのようになるでしょう。しかし、いまは、もう、いたくはありません。けれども、やっぱりそれは、まだはいっていたのです。
「どうして泣くんだい?」と、カイはききました。「なんて、へんてこな顔をしてるんだい! ぼくは、もうなんともないんだぜ。チェッ!」それから、すぐまた、きゅうにさけびました。「そこのバラは、虫にくわれてらあ! それからさ、あっちのは、あんなにまがってるよ。きたならしいバラの花だなあ! まるで、植わっている箱みたいだ!」
 こう言うと、カイは、はげしく箱をけとばしました。それから、二つのバラの花を、むしりとってしまいました。
「カイちゃん、なにするのよ!」と、女の子はさけびました。カイは、ゲルダがびっくりしたのを見ると、さらに、もう一つのバラの花も、むしってしまいました。そして、かわいらしいゲルダのそばを離れて、自分の家の窓の中にとびこんでしまいました。
 それから、ゲルダが絵本を持っていくと、今度は、カイは、そんなのは赤ん坊の見るものだ、と言いました。また、おばあさんがお話をすると、ひっきりなしに、「だって、だって」と言っては、口をはさみました。そればかりではありません。すきさえあれば、すぐに、おばあさんのうしろへまわります。そして、めがねをかけて、おばあさんの話すまねをするのです。しかも、それがとってもうまかったので、みんなは、大笑いをしました。まもなく、カイは、近所じゅうの人たちの話し方も、歩き方も、まねすることができるようになりました。みんなのくせとか、よくないところを、カイは、じょうずにまねすることができました。それを見て、人々は、
「あの子の頭はすばらしい!」と、言いあいました。
 けれども、それは、カイの目の中にはいって、心臓の中につきささっている、ガラスのせいだったのです。カイを心の底から好いている、小さなゲルダをさえ、からかうようになったのも、そのためだったのです。
 あそびかたも、これまでとは、すっかりかわってきました。なんとなく、頭を働かせるような、あそびになりました。――雪の降りしきっている、ある冬の日のことでした。カイは、大きなレンズを持って、外に出ました。そして、自分の青い上着うわぎのすそをひろげて、その上に、雪のひらをつもらせました。
「ゲルダちゃん、このレンズをのぞいてごらん」と、カイは、言いました。見れば、雪のひらの一つ一つが、たいへん大きくなって、美しい花か、六角形のお星さまのようでした。それは、ほんとうに美しいものでした。
「ほら、とってもうまくできてるだろう」と、カイは言いました。「ほんとの花なんかより、ずっとおもしろいじゃないか。みんな、きちんとして、わるいとこなんか、ちっともないんだからね。だけど、とけなきゃいいんだけどなあ!」
 それからすこしたつと、カイは大きな手袋をはめ、そりを肩にかついで、出てきました。そして、ゲルダの耳もとにこう言いました。「ぼくはね、みんなのあそんでいる広場で、そりに乗ってもいいって、言われたんだよ」こう言うと、カイは、さっさと、行ってしまいました。
 広場では、いせいのいい子供たちが、ときどき、自分たちのそりを、お百姓の車に結びつけては、ずいぶん遠くまで、いっしょに走っていました。そうすると、すばらしく、よく走るのです。こうして、みんなが、いかにも楽しそうにあそんでいると、大きなそりが一台、やってきました。そのそりは、まっ白にぬってありました。なかには、あらい、白い毛皮にくるまって、白い、あらい帽子をかぶった人が、すわっていました。
 このそりは、広場を二回、ぐるぐるまわりました。カイは、自分の小さなそりを、すばやく、そのそりに、しっかりと結びつけました。すると、カイのそりも、いっしょに走り出しました。そりは、だんだん早くなりました。またたくうちに、となりの通りへはいりました。そのとき、そりを走らせていた人が、ふりかえって、カイに親しそうに、うなずいてみせました。なんだか、ふたりは、もう前から知っているような気がしました。カイが、自分の小さなそりをほどこうとすると、そのたびに、その人がうなずいてみせるのです。それで、カイは、ついそのまま、また、すわってしまうのでした。
 まもなく、ふたりは、町の門を通りぬけました。雪は、ますますはげしく、降ってきました。目の前に手をのばしても、もう見えないくらいになりました。けれども、そりはどんどん走りつづけます。そのとき、カイは、いそいで綱をゆるめて、大きなそりから離れようとしました。しかし、そうしてみたところで、どうにもなりません。カイの小さなそりは、大きいそりに、しっかりと結びつけられているのです。しかも、二つのそりは、風のように早く走っていきます。
 カイは、大きな声でさけびました。でも、だれの耳にも聞えません。雪は降りしきっています。そりは、矢のようにとんでいきます。ときどき、そりは、はねあがりましたが、それはほり生垣いけがきをとびこしているようでした。カイは、こわくてたまらなくなって、「主の祈り」をとなえようとしました。ところが、どうしても、大きな九九の表しか思い出すことができないのです。
 雪のひらは、だんだん大きくなって、とうとう、大きな白いニワトリのようになりました。そして、それらが両側にとびのくといっしょに、大きなそりがとまりました。すると、そりを走らせていた人が、立ちあがりました。見れば、毛皮も、帽子も、雪でできています。そのひとは、すらりとした、背の高い女のひとでした。かがやくように白い、女のひとでした。このひとこそ、雪の女王だったのです。
「ずいぶん遠くまできたのよ」と、雪の女王は言いました。「おやおや、ふるえているのね。わたしのシロクマの毛皮の中に、おはいりなさい!」女王は、こう言うと、カイを大きなそりに乗せて、自分のそばにすわらせました。そして、毛皮をかけてやりましたが、カイは、まるで雪の吹きだまりの中に、はいったような気がしました。
「まだふるえているの?」と、雪の女王はたずねました。そして、カイのひたいにキスをしました。ああ、しかし、なんというつめたさでしょう! 氷よりも、もっとつめたいのです。そして、それはもう氷のかたまりになりかけていた、カイの心臓の中にしみこみました。カイは、いまにも死にそうな気がしました!――けれども、それはほんの一瞬でした。すぐに、気持がよくなりました。もう、自分の身のまわりのつめたさを、感じなくなったのです。
「ぼくのそり! ぼくのそりを忘れないでね!」カイは、そりのことを、なによりもさきに思い出したのです。そこで、そりは、白いニワトリの一羽にゆわえつけられました。ニワトリは、そりを背中に乗せて、あとからとんできました。雪の女王は、カイにもう一度キスをしました。すると、カイは、小さなゲルダのことも、おばあさんのことも、家のことも、みんな、きれいに忘れてしまいました。
「もう、キスはしてあげないよ」と、雪の女王は言いました。「今度わたしがキスをすると、おまえは死ぬことになるからね」
 カイは、雪の女王をながめました。なんという美しさでしょう! これよりもかしこそうな、じょうひんな顔は、思いうかべようとしても、とても思いうかべることはできません。この姿を見れば、いつか、窓の外から、自分のほうへ手まねきした時のように、氷でできているとは、とても思えません。カイの目には、女王は、どこにも欠点のない、美しい人に見えたのです。いまでは、すこしもこわくはありません。
 そこでカイは、女王に、自分は暗算ができることを、それも、分数の暗算ができることを話したり、国の平方マイルのことや、「人口はどのくらい?」のことなどを、話したりしました。女王は、しょっちゅう、にこにこして聞いていました。けれども、カイは、自分の知っていることは、まだまだじゅうぶんではないような気がしました。ふと、広い広い大空を見上げました。すると、女王はカイを連れて、空高く黒い雲の上までとんでいきました。あらしが、ものすごい音をたてて、吹きまくっています。まるで、むかしの歌でもうたっているようでした。ふたりは、森をこえ、湖をこえ、海をこえ、陸をこえて、とんでいきました。はるか下のほうでは、寒い風が、ピューピュー吹いていました。オオカミがほえていました。雪がキラキラ光っていました。その上を、黒いカラスが、カーカー鳴きながら、とんでいきました、上のほうには、お月さまが、大きく、明るく、かがやいていました。長い長い冬の夜じゅう、カイは、そのお月さまをながめていました。そして、昼のあいだは、雪の女王の足もとで眠りました。

三番めのお話



魔法を使うおばあさんの花園

 お話かわって、カイがいなくなってから、小さなゲルダはどうしたでしょうか? それにしても、カイはどこへ行ってしまったのでしょう?――知っている人は、ひとりもいませんでした。教えてくれる人も、ありませんでした。子供たちの話によれば、カイが、自分の小さなそりを、大きな、りっぱなそりに結びつけて、通りを走りぬけて、町の門から出ていくのを見たというだけです。だれひとりとして、カイがどこにいるのか、知りませんでした。みんなは、涙をながして、悲しみました。ことに、小さなゲルダは、いつまでもいつまでも泣いていました。――こうして、カイは、町のすぐそばを流れている川に落ちて、死んだのだろう、ということになりました。そのため、ほんとうに長い暗い、冬の日が、つづきました。
 やがて、暖かいお日さまのかがやく、春になりました。
「カイちゃんは死んでね、どこかへ行ってしまったのよ」と、小さなゲルダは言いました。
「わたしは、そうは思わないよ」と、お日さまは言いました。
「カイちゃんは死んでね、どこかへ行ってしまったのよ」と、ゲルダはツバメに言いました。
「ぼくは、そうは思いませんよ」と、ツバメは答えました。みんなが、こう言うので、小さなゲルダも、しまいには、そうは思わなくなりました。
「あたし、あたらしい、赤いくつをはこうっと」と、ある朝、ゲルダは言いました。「あの靴は、カイちゃんも、まだ見たことがなかったわ。あれをはいて、川へ行って、カイちゃんのことをきいてみよう」
 夜が明けたばかりのころでした。ゲルダは、まだ眠っているおばあさんにキスをすると、赤い靴をはいて、たったひとりで、町の門を出て、川へ行きました。
「あなたが、あたしの仲よしを取ってしまったっていうの、ほんとうなの? あなたが、もしカイちゃんをかえしてくれれば、この赤い靴をあげてよ」
 と、どうでしょう。ふしぎなことに、なんだか、波が、うなずいたような気がします。そこで、ゲルダは、自分の、だいじなだいじな赤い靴をぬいで、両方とも川の中へ投げこみました。けれども、靴は岸の近くに落ちたものですから、小さい波が、すぐまた、その靴を陸におしかえしてきました。まるで、ゲルダのいちばんだいじなものを取ってしまうのは気の毒だ、と言っているように見えました。だって、そうでしょう。川は、カイを取りはしなかったのですからね。しかし、ゲルダは、靴を遠くまで投げなかったからだと思いました。そこで、アシのあいだにあった、ボートにはいあがって、そのいちばんさきまで行きました。そして、そこから、靴を投げこみました。ところが、このボートは、しっかりつないでありませんでした。ですから、ボートの中で、ゲルダが動いたとたんに、ボートは、するすると岸を離れました。ゲルダも、それに気がつきました。それで、岸に上ろうとして、あわててボートのこっち側のはしまで、もどってきましたが、そのときにはもう、ボートは一メートル以上も、岸から離れていました。そして、そのまま、ぐんぐん早く、すべり出しました。
 このありさまに、小さなゲルダはびっくりして、わっと泣き出しました。けれども、スズメたちのほかは、だれにも聞えません。かといって、スズメたちでは、ゲルダを陸に連れもどしてくれることはできません。スズメたちは、ゲルダをなぐさめようとでもするように、岸づたいにとびながら、
「あたしたちは、ここよ。あたしたちは、ここよ」と、さえずりました。
 ボートは流れにつれて、くだっていきました。小さなゲルダは、靴下のまま、ボートの中でじっとしていました。小さな赤い靴は、あとから流れてきました。けれども、ボートのほうが早いため、追いつくことはできません。
 流れの両岸は、美しい景色でした。きれいな花や、年とった木々や、ヒツジやウシのいる丘が、目にうつりました。けれども、人の姿はさっぱり見えません。
「もしかしたら、この川が、あたしをカイちゃんのところへ連れて行ってくれるのかもしれないわ」と、ゲルダは思いました。そう思うと、いままでよりも、ずっと元気がでてきました。そして、ボートの中に立ちあがって、美しい緑の両岸を、なん時間もながめていました。そのうちに、大きなサクラのそのへ、さしかかりました。園の中には、小さな家が一けん、立っていました。そして、赤と青の、ふしぎな窓が見えました。屋根は、ワラでふいてあって、入り口には、木の兵隊さんがふたり、立っていました。そして、舟に乗ってとおる人に、捧げつつをしていました。
 ゲルダは、その兵隊さんたちが生きていると思って、呼びかけました。けれども、兵隊さんたちは、もちろん返事をしませんでした。やがて、川の流れが、ゲルダのボートを岸に近づけてくれたので、兵隊さんたちのそばまできました。
 ゲルダは、もっと大きな声を出して、もう一度呼んでみました。すると、家の中から、それはそれは年をとったおばあさんが、撞木杖しゅもくづえにすがって、出てきました。おばあさんは、大きな日よけ帽子をかぶっていました。見ると、その帽子には、とてもきれいな花の絵がかいてありました。
「おやまあ、かわいそうに!」と、おばあさんは言いました。「こんなに大きな、流れのはげしい川を、よくもまあ、こんな遠くまで来たもんだ!」おばあさんは、こう言うと、水の中まではいってきて、撞木杖をボートにひっかけて、岸に引きよせてくれました。そして、小さいゲルダを陸にあげてくれました。
 ゲルダは、陸にあがれたので、うれしくてなりませんでしたが、この知らないおばあさんは、なんとなく気味わるく思いました。
「さあ、おいで。おまえは、どこの子だね? どうして、ここへ来たんだね? わたしに話してごらん」と、おばあさんは言いました。
 そこで、ゲルダはおばあさんに、いままでのことをのこらず話しました。おばあさんは、首をふりながら、「ふん、ふん」と言って、きいていました。ゲルダは、すっかり話してしまうと、カイちゃんを見かけませんでしたか、ときいてみました。すると、おばあさんの言うのには、そんな子はまだここを通らないね、でも、いまにきっとくるだろう、まあ、あんまり悲しまないほうがいいよ、サクランボでも食べたり、花でも見たりしていなさい、ここの花は、どんな絵本よりもきれいなんだよ、それに、その一つ一つが、お話をすることもできるんだよ、と言いました。それから、おばあさんは、ゲルダの手を取って、小さい家の中にはいって、入り口の戸をしめました。
 窓は、かなり高いところにありました。窓ガラスは、赤と青と黄色でしたので、お日さまの光がさしてくると、部屋の中は、色さまざまの、ふしぎな光にみたされました。テーブルの上には、いかにもおいしそうな、サクランボがのっていました。ゲルダは、いくら食べてもいいよ、と言われたものですから、好きなだけ食べました。こうして、ゲルダが食べていると、おばあさんは、金のくしでゲルダの髪をすいてくれました。髪の毛は、波形にちぢれて、それはそれは美しく金色に光りました。そして、バラの花のように、まるくて、かわいらしい、ゲルダの小さな顔のまわりに、たれさがりました。
「わたしはね、おまえのような、かわいい女の子が、ほしくてならなかったんだよ!」と、おばあさんは言いました。「ふたりで、仲よくやっていこうじゃないか」
 おばあさんがゲルダの髪をとかしているうちに、ゲルダは、だんだん、仲よしのカイのことを忘れていきました。それもそのはず、このおばあさんは、魔法を使うことができたのですからね。といっても、わるい魔法使いではありませんでした。ただ自分のなぐさみのために、ちょっとばかし、魔法を使うだけだったのです。いまも、かわいらしいゲルダを、自分のそばにおいておきたかっただけなのです。おばあさんは、庭へ出ていって、咲きみだれている、バラの木のほうへ、撞木杖をのばしました。すると、あんなにも美しく咲いていたバラの花が、たちまち、黒い土の中へ、消えうせてしまいました。もう、こうなれば、いままでバラの花がどこにあったのか、だれにもわかりません。おばあさんとしては、ゲルダがバラの花を見たら、自分の家のバラの花や、小さなカイのことを思い出して、逃げていきはしないかと、それが心配だったのです。
 さて、今度は、おばあさんは、ゲルダを花園へ連れていってくれました。――まあ! そのかおりのよいこと! 美しいこと! なんという、すてきなところでしょう! 花という花が、しかも、春、夏、秋、冬、どの季節もの花が、いまをさかりと、美しく咲きほこっているのです。どんな絵本でも、こんなに色あざやかで、美しいものはありません。ゲルダは、うれしさのあまり、とびあがりました。そして、お日さまが、高いサクラの木のうしろにしずんでしまうまで、むちゅうになって、あそびつづけました。それから、きれいなベッドの中へはいって、青いスミレの花をつめた、赤いきぬの掛けぶとんをかけて、眠りました。そして、女王さまがご婚礼の日に見るような、すてきな夢を見ました。
 ゲルダは、つぎの日も、暖かいお日さまの光をあびて、花といっしょにあそびました。――こうして、幾日も幾日も、すぎました。ゲルダは、いまでは、どんな花でも知っています。でも、どんなにたくさんの花があっても、なんだか一つ、たりないような気がしてなりません。けれども、それがなんの花かはわからないのです。
 ある日のこと、ゲルダは腰をおろして、花の絵のかいてある、おばあさんの日よけ帽子をながめていました。その絵の中で、いちばんきれいなのは、バラの花でした。おばあさんは、庭のバラの花は、のこらず地面の中にかくしてしまいましたが、帽子にかいてあるバラの花だけは、消すのを忘れていたのです。でも、こうしたことは、ちょっとうっかりすると、よくあるものですね。
「あら」と、ゲルダは言いました。「ここには、バラの花がないわ」
 こう言うと、花園の中へとびだしていって、いっしょうけんめい、バラの花をさがしました。けれども、いくらさがしても、見つかりません。ゲルダは、とうとう、そこにすわりこんで、泣き出しました。すると、ゲルダの熱い涙が、ちょうど、バラの木のしずんだ地面の上に、はらはらとこぼれ落ちました。と、暖かい涙に土がうるおされたものですから、たちまち、バラの木が芽を出して、大きくなってきました。そして、しずむ前と同じように、それはそれはきれいな花を咲かせました。ゲルダは、それにだきついて、バラの花にキスをしました。と、そのとたんに、家にある美しいバラの花のことを、それといっしょに、小さいカイのことを、思い出しました。
「まあ、あたしったら、どうしてこんなに、ぐずぐずしてしまったんでしょう」と、小さなゲルダは言いました。「カイちゃんをさがさなければならないのに! ――あなたがた、カイちゃんはどこにいるか知らない?」と、ゲルダは、バラの花にたずねました。「カイちゃんは死んで、どこかへ行ってしまったと思う?」
「死んではいませんわ」と、バラの花は言いました。「あたしたちは、いままで地面の下にいたんですのよ。そこには、死んだ人はみんないるんですけど、カイちゃんはいませんでしたわ」
「ありがとう」と、小さなゲルダは言いました。それから、今度は、ほかの花のところへ行って、そのがくをのぞきこんで、たずねました。「あなたたち、カイちゃんがどこにいるか知らない?」
 けれども、どの花も、気持よさそうにお日さまの光をあびて、うつらうつらと、自分のおとぎばなしや、お話を夢に見ていました。小さなゲルダは、そういうお話を、それはそれはたくさん聞かされました。そのくせ、カイのことを知っている花は、一つもありませんでした。
 では、オニユリは、なんと言ったでしょうか?
「ドン、ドンという、たいこの音が聞えますね。ただ、この二つの音だけですよ。いつまでも、ドン、ドンと。女たちの悲しい歌をお聞きなさい。坊さんたちの、さけび声をお聞きなさい!
 インド人の女が、長いまっかな着物を着て、火葬のまきの上に立っています。ほのおが、その女と、死んだ夫のまわりに燃えあがりましたよ。しかし、インド人の女は、そこに集まっている人たちの中の、ひとりの男のことを、心に思っているのです。その男の目は、ほのおよりも熱く燃えています。その男の目のかがやきは、ほのおよりももっと強く、女の心にせまっています。女のからだは、もうすぐ、ほのおのために焼きつくされて、灰になるのです。けれども、心のほのおは、火葬のほのおの中で、死にたえてしまうものなのでしょうか?」
「そんなこと、あたしにはわからないわ」と、小さなゲルダは言いました。
「これが、わたしのお話ですよ」と、オニユリは言いました。
 ヒルガオは、なんと言ったでしょうか?
「せまい岩道の上までつきでるように、むかしのお城がそびえています。しげったキヅタが、古びた、赤いかべをはいのぼって、葉を一枚一枚とかさねながら、高い露台のところまで、まつわりついています。その露台には、ひとりの美しいお嬢さんが立っています。お嬢さんは、らんかんから、からだをのり出して、下の道を見おろしています。バラの木にすがすがしく咲いている花も、このお嬢さんほど清らかではありません。風に運ばれてくるリンゴの花も、このお嬢さんのように軽やかではありません。美しい絹の着物が、サラサラと音をたてています。でも、このお嬢さんの待っている人は、来ないのでしょうか?」
「それ、カイちゃんのこと?」と、小さなゲルダはたずねました。
「あたしはね、ただ、あたしのおとぎばなしをお話ししただけよ。あたしの夢なのよ」と、ヒルガオは答えました。
 小さいマツユキソウは、なんと言ったでしょうか?
「木と木のあいだに、長い板が綱でつるしてあるわ。ブランコなのよ。かわいらしい女の子がふたり、ブランコしているわ。――着物は、雪のようにまっ白で、帽子には、緑色の、長い、絹のリボンがひらひらしていてよ。――ふたりのにいさんがブランコにのって、腕を綱にまきつけて、からだをささえているわ。だって、片方の手には小さなお皿を持ってるし、もう一方の手にはねんどのパイプを持っているんですもの。そうして、シャボン玉を吹いてるのよ。ブランコがゆれて、シャボン玉が、いろんなきれいな色になって、とんでくわ。いちばんおしまいのシャボン玉は、まだパイプのさきにぶらさがって、風にゆられてるわ。ブランコが動いててよ。シャボン玉みたいに軽そうな、黒い小さなイヌが、後足あとあしで立ちあがって、いっしょにブランコに乗ろうとしているわ。ブランコがゆれたので、イヌが落っこちたわ。あらあら、キャンキャンほえて、おこってる! からかわれてるのよ。シャボン玉がこわれたわ。――ゆらゆら揺れるブランコと、ふわふわとんでく水のあわ、これがあたしの歌なのよ」
「あなたのお話は、おもしろそうだわ。でも、なんとなく悲しそうにお話しするのね。それに、カイちゃんのことは、なんにも言ってくれないわ。じゃ、ヒヤシンスさんのお話は?」
「美しい三人姉妹がおりました。三人とも、からだが、すきとおるように、ほっそりとしていました。ひとりは赤、ひとりは青、もうひとりはまっ白の着物を着ていました。三人は、お月さまのかがやく明るい晩に、静かな湖の岸べで、手を取りあって、踊りました。けれども、この三人は妖精ようせいの娘ではありません。人間の娘たちなのです。あたりには、あまいかおりが、ただよっていました。やがて、娘たちは、森の中へ姿を消しました。かおりは、いっそう強くなりました。――
 三つのお棺が、あの美しい娘たちのはいっている三つのお棺が、森の茂みから出て、湖の上を静かにすべってゆきました。ホタルが、そのまわりを、空に浮んでいる小さな明りのように、光りながらとびまわっていました。踊りをおどった娘たちは、眠っているのでしょうか、それとも、死んだのでしょうか? ――花のかおりは、言っています、あれは、娘さんたちのなきがらですよ、と。ゆうべの鐘が、死んだ人たちの上に、悲しげに鳴りひびいています」
「あなたのお話を聞いているうちに、すっかり悲しくなったわ!」と、小さなゲルダは言いました。「あなたのにおいが、ずいぶん強いものだから、あたしもその死んだ娘さんのことを思いうかべてしまうわ。ああ、だけど、カイちゃんはほんとうに死んだのかしら? バラの花は地面の下にしずんだのだけど、カイちゃんは死んではいなかったって言ってるわ!」
「リン、リン」と、ヒヤシンスの鐘が鳴りました。「あたしたちは、カイちゃんのために鳴っているのじゃありませんよ。あたしたちは、そんな人を知りません。ただ、あたしたちの歌をうたっているだけですわ。あたしたちの知っている、たった一つの歌をね」
 それから、ゲルダは、つやつやした緑の葉のあいだから、かがやき出ている、タンポポの花のところへ行きました。
「あなたは、小さな明るいお日さまのようね」と、ゲルダは言いました。「どこへ行ったら、あたしのお友だちが見つかるか、あなた知らない?」
 すると、タンポポは、それは美しくかがやいて、もう一度ゲルダをながめました。タンポポは、どんな歌をうたったでしょうか? でも、その歌も、カイのことではありませんでした。
「春のはじめのころでした。とある小さい庭に、神さまのお日さまが、暖かく照っていました。お日さまの光は、となりの家の白いかべをつたわって、すべり落ちていました。そのかべのすぐそばに、春のさいしょの黄色い花が咲いていました。そして、暖かいお日さまの光をうけて、キラキラと金色にかがやいていました。年とったおばあさんが、庭の椅子に腰かけていました。そこへ小間使いをしている、貧しい、きれいな孫娘が、ちょっとたずねてきました。娘は、おばあさんにキスをしました。このしあわせなキスには、黄金おうごんが、心の黄金がありました。口に黄金、地に黄金、朝の空にも黄金! ほら、これが、わたしのお話ですよ」と、タンポポは言いました。
「ああ、お気の毒な、あたしのおばあさん!」と、ゲルダはため息をついて、言いました。「きっと、あたしに会いたがっていらっしゃるでしょうね。そして、カイちゃんがいなくなった時と同じように、あたしのことを悲しんでいらっしゃるでしょうね。でも、あたし、すぐにおうちに帰ってよ。カイちゃんも、いっしょに連れてね。――お花たちにきいても、だめだわ。みんな、自分の歌ばっかしうたっていて、カイちゃんのことは、ちっとも教えてくれないんですもの」
 それから、ゲルダはかわいい着物のすそをからげて、早く走れるようにしました。けれども、スイセンの上をとびこそうとしたとき、スイセンがゲルダの足をうちました。そこで、ゲルダは立ちどまって、細長い黄色い花を見て、「なにか知っているの?」と、たずねながら、スイセンのほうへからだをかがめました。
 スイセンは、なんと言ったでしょうか?
「わたしは自分が見えるんですよ。自分を見ることができるんですよ」と、スイセンは言いました。「ああ、わたしは、なんていいにおいなんでしょう! ――上の小さな屋根裏部屋に、かわいらしい踊り子が、衣装を半分だけつけて、立っていますよ。踊り子は、一本足で立ったり、両足で立ったりしています。こうして、世界じゅうをふみつけているのです。でも、まぼろしみたいなものですよ。踊り子は、手に持っている布に、お茶わかしから水をかけます。それはコルセットですけどもね。――きれいにするのは、いいことですよ! 白い着物が、くぎにかかっています。これもお茶わかしの中であらって、屋根の上でかわかしたんですよ。踊り子はこの着物を着て、サフラン色の布を首にまきつけます。そうすると、着物が、いちだんと白くかがやきます。足を高く! ごらんなさい、くきの上に立っている姿を! わたしは、自分が見えるんですよ。自分を見ることができるんですよ」
「そんなこと、どうだっていいわよ」と、ゲルダは言いました。「わざわざ、あたしに話すほどのことじゃないわ」ゲルダは、こう言いすてて、庭のはずれまで走っていきました。
 戸はしまっていました。けれども、さびついた掛金かけがねをおすと、それがうまくはずれて、戸があきました。そこで、ゲルダは、はだしのまま、広い世の中へかけ出していきました。ゲルダは、三度もあとを振りかえってみましたが、だれも追いかけてくるようすがありません。あんまり走ったので、とうとう、もうそれ以上、走れなくなりました。そこで、そばにあった、大きな石の上に腰をおろしました。
 ふと、あたりをながめると、いつのまにか、夏はすぎさって、秋も、もう、終りに近づいているではありませんか。あの美しい花園にいたのでは、それに気がつくわけがありません。あの花園では、いつもいつもお日さまがキラキラとかがやいていて、一年じゅうのあらゆる花が、咲きかおっていたのですからね。
「あらまあ、なんて、ぐずぐずしてしまったんでしょう!」と、小さなゲルダは言いました。「もう、秋になってしまったわ。休んでもいられない!」
 そこで、ゲルダは、立ちあがって、また歩いていきました。
 ああ、ゲルダの小さな足は、どんなにか傷つき、つかれはてたことでしょう! あたりを見まわしても、目にうつるものは、寒々とした、ものさびしい景色ばかりです。長いヤナギの葉は、すっかり黄色になっていました。露がその葉から、雨のように、したたり落ちていました。葉が一枚、また一枚と、散っていました。リンボクだけが、まだ実をつけていました。でも、その実は、食べてもすっぱいので、おもわず、口をすぼめてしまうほどでした。ああ、目に見えるかぎりの世界は、なんて灰色で、いんうつなのでしょう!

四番めのお話



王子と王女

 ゲルダは、また休まなければなりません。ゲルダが腰をおろすと、ちょうどそのむこうの雪の上を、大きなカラスが一羽、ピョンピョンとんでいました。カラスは、やがて立ちどまって、長いこと、ゲルダの顔をながめていました。それから、頭をゆらゆらさせながら、「カー、カー。こんちは、こんちは!」と、言いました。カラスには、これ以上、うまく言えなかったのです。けれども、この小さな女の子が好きになりましたので、こんな広い世の中を、ひとりぽっちで、どこへ行くの、と、ききました。
 この「ひとりぽっちで」という言葉は、ゲルダにもよくわかりました。そして、この言葉には、いろんな意味があることを感じました。そこで、ゲルダは、カラスに、自分の身の上を、すっかり話して聞かせました。そして、カイちゃんを見かけませんでしたか、とたずねてみました。
 すると、カラスは、おもおもしくうなずいて、こう言いました。
「あれかもしれない。あれかもしれない」
「あら、ほんと?」と、小さなゲルダは、思わず、大きな声を出しました。そして、カラスを思いきり強くだきしめて、キスをしました。
「おちついて! おちついて!」と、カラスは言いました。「ぼくは、あれがカイちゃんだと思うよ。でも、いまは、王女さまのことで頭がいっぱいだから、きみのことは忘れているらしいよ」
「カイちゃんは王女さまのところにいるの?」と、ゲルダはたずねました。
「うん。まあ、お聞き」と、カラスは言いました。「だけど、きみたちの言葉で話すのは、とっても骨がおれるんだよ。きみが、カラスの言葉をわかってくれると、もっとうまく話せるんだけどなあ!」
「でもね、カラスの言葉は、あたし習わなかったのよ」と、ゲルダは言いました。「おばあさんだったら、わかるんだけど。それに、おばあさんは、赤ちゃんの言葉だってわかるのよ。あたしも習っておけばよかったわねえ!」
「いいよ、いいよ」と、カラスは言いました。「できるだけ、うまく話してみるよ。まずいだろうけどね」それから、カラスは、知っていることを話しはじめました。
「いま、ぼくたちのいるこの国に、ひとりの王女さまが住んでいるよ。この方は、ものすごくりこうなひとでね、世界じゅうの、ありとあらゆる新聞を読んで、しかも、それをきれいに忘れてしまうといった、ひとなんだよ。そのくらい、りこうなひとなのさ。王女さまは、さいきん、玉座についたよ。でも、玉座についたところで、ちっともおもしろいものじゃないからね。
 あるとき、王女さまはこんな歌を口ずさんだんだよ。それはね、『どうして、わたしは結婚してはいけないの』って歌なのさ。『そうだわ、この歌の言うことは、ほんとだわ』と、王女さまは言って、結婚しようという気になったんだよ。しかし、おむこさんにむかえようという人は、だれかに話しかけられたら、ちゃんと答えることのできる人で、ただじょうひんぶって、立っているだけの人ではいけない、というんだよ。だって、そうだろう、そんな人だと、たいくつだものね。そこで、女官たちをみんな集めて、そのことを話したのさ。その話を聞くと、女官たちは、とってもよろこんで、
『けっこうなことにぞんじます』と、みんな、口をそろえて言ったものさ。『わたくしどもも、このごろ、同じことを考えておりました』ってね。――ぼくの言うことは、一つ一つがほんとうなんだよ!」と、カラスは言いました。「じつを言うと、ぼくには、人間に飼われている、いいなずけがいてね、彼女が御殿の中を自由に歩きまわることができるもんだから、なにもかも、ぼくに話してくれたんだよ」
 カラスのいいなずけが、カラスであることは、言うまでもありません。なんでも、自分の仲間をもとめるものですからね。
「そこで、さっそく、ハート形と、王女さまのお名前の頭文字かしらもじとを、ふちにとった新聞が、でたってわけさ。それを読むと、姿の美しい青年なら、だれでも自由に御殿へ行って、王女さまとお話することができる、そして、だれが聞いていても、気らくに話をし、しかも、いちばんじょうずに話のできた人を、おむこさんにえらぶ、と、こう書いてあるんだよ! ――ほんとだよ、ほんとだよ!」と、カラスは言いました。「ぼくが、ここにすわっているのと同じくらい、たしかなことなんだよ。すると、人々が、どっと押しよせてきた。まったくたいへんな人で、ごったがえすような、ありさまだったよ。ところが、さいしょの日も、つぎの日も、ひとりとして、うまくやってのける者がない。みんな、往来にいるときは、なかなかよくしゃべるのさ。
 ところが、御殿の門をくぐって、銀色の服を着た番兵を見たり、階段をのぼって、金ピカのお役人を見たり、キラキラした大広間へ通されたりすると、ぼうっとなってしまうんだよ。こうして、いよいよ、王女さまのいる玉座の前に立つと、王女さまの言ったさいごの言葉をくりかえすのが、やっとになるのさ。でも、王女さまは、自分の言った言葉を、もう一度聞きたいとは思っていやしない。そこへいくと、だれもかれもが、まるで、かぎタバコをおなかにのみこんだようになって、ぼんやりしてしまう、しまつなのさ! みんなは、往来へ出てからはじめて、もとのように、しゃべることができるようになるんだよ。人々の列は、町の門から御殿までつづいたっけ。ぼくも、そこへ行って見たんだよ」と、カラスは言いました。「みんなは、おなかもすくし、のどもかわく。けれども、御殿では、なまぬるい水一ぱい、もらえない。頭のいい連中の中には、バターパンを持っていった者もあるけど、もちろん、となりの人にわけてやったりはしないよ。この連中は、腹の中で、『腹のへったような顔をさせておきゃ、王女さまも、こいつをえらんだりはなさるまい』と考えていたのさ」
「だけど、カイちゃんは? 小さなカイちゃんは?」と、ゲルダは聞きました。「いつ来たの? その大ぜいの中にいたの?」
「まあ、あわてないで。あわてないで。すぐその話になるから。三日めのことだったっけ。小さな男の子が、馬にも乗らず、馬車にも乗らないで、いかにも楽しそうに、御殿をさして歩いてきたんだよ。目は、きみの目のようにかがやいていて、髪の毛は、長くて、きれいだった。だけど、着物はみすぼらしいものだったよ」
「それが、カイちゃんだわ!」と、ゲルダは、うれしそうにさけびました。「ああ、とうとう、見つかったわ!」こう言って、手をたたいてよろこびました。
「その子は、背中に小さいランドセルをしょっていたよ」と、カラスが言いました。
「ちがうわ。それは、きっと、そりよ」と、ゲルダは言いました。「そりをもったまま、どこかへ行ってしまったんですもの」
「そうかもしれないよ」と、カラスは言いました。「ぼくは、よく見たわけじゃないからね。だけど、飼われている、ぼくのいいなずけの話によると、その子は、御殿の門をくぐって、銀色の服を着た番兵を見ても、階段をのぼって、金ピカのお役人にであっても、びくともしなかったってことだよ。そうして、その人たちにうなずいてみせて、『階段の上に立っているのは、たいくつでしょう。ぼくは、奥へ行きますよ』って言ったんだって。広間には、明りが、こうこうとかがやいていてね、顧問官こもんかんや大臣たちが、はだしで、金のうつわを持って、歩いていたんだよ。そんなだと、だれでも、おごそかな気持になるものさ。すると、その子の靴がものすごく高く鳴ったんだよ。でも、その子は、ちっともこわがらなかったんだってさ」
「カイちゃんにちがいないわ」と、ゲルダは言いました。「カイちゃんには、あたらしい靴があるんですもの。おばあさんのお部屋へやで、キュッ、キュッ、鳴ってたのよ」
「そう、キュッ、キュッ、鳴ったんだってさ」と、カラスは言いました。「それから、元気よく王女さまの前へ行ったんだよ。王女さまは、つむぎ車ぐらいもある、大きなしんじゅの上に腰かけていてね、そのまわりには、女官たちと貴族たちがひかえていたんだけど、その人たちばかりじゃなく、女官たちの小間使いと、またその小間使いの小間使いや、貴族たちの侍僕じぼくと、またその侍僕たちが、ずらっと、ならんでいたんだよ。そして、その侍僕が、また小姓を連れていたのさ。おまけに、入り口の近くに立っている者ほど、いばったようすをしていたんだよ。侍僕の侍僕につかえている小姓なんかは、ふだんは、上靴をはいて歩きまわっているくせに、このときは、顔も見られないくらい、えらそうな顔をして、戸口に立っていたのさ」
「ずいぶん、こわかったでしょうね」と、小さなゲルダは言いました。「それで、カイちゃんは王女さまと結婚したの?」
「ぼくだって、カラスでなけりゃ、王女さまと結婚するよ。たとえ、だれかと婚約していたってね。その人は、ぼくが、カラスの言葉で話すときのように、すらすらと、じょうずに話したそうだよ。ぼくのいいなずけが、そう言ってたもの。その子は、ほがらかで、かわいらしい子供だったんだよ。ほんとうは、王女さまに結婚を申しこむために、御殿へ来たのじゃなくってね、王女さまがかしこいというものだから、ただそれを知りたいと思って、来たんだよ。でも、その結果、その子は王女さまが好きになり、王女さまのほうでも、その子が好きになったというわけさ」
「きっと、そうよ。そのひとが、カイちゃんだわ」と、ゲルダは言いました。「カイちゃんは、とってもりこうなんですもの。分数の暗算だって、できるのよ。――ねえ、あたしを、御殿へ連れてってくれない!」
「うん、口で言うのは、かんたんだがね」と、カラスは言いました。「さてと、どうしたもんかな? そうだ、ぼくのいいなずけに相談してみるとしよう。きっと、いい知恵をかしてくれるよ。なぜかっていうとね、きみのような小さい女の子は、御殿へはいってもいい、という、おゆるしがもらえないんだよ!」
「それなら、だいじょうぶ」と、ゲルダは言いました。「あたしがここへ来たってことを、カイちゃんが聞けば、すぐ出てきて、あたしをむかえてくれるわよ」
「あそこの生垣いけがきのそばで、待っててよ」カラスは、こう言うと、頭をふりながら、とんでいきました。
 あたりが暗くなってから、カラスは、やっともどってきました。そして、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、言いました。「ぼくのいいなずけが、くれぐれもよろしくって言ってたよ。これは、きみにあげるパンなんだけど、いいなずけが御殿の台所から取ってきてくれたんだよ。台所には、まだたくさんあるよ。きみは、きっと、おなかがへってるだろうからね。
 きみが御殿の中へはいるのは、とてもむりだよ。だって、きみは、はだしなんだもの。銀色の服を着た番兵と、金ピカのお役人が、ゆるしてくれっこないよ。でも、そういったからって、泣かなくってもいいんだよ。御殿へは、きっと連れてってあげるからね。ぼくのいいなずけは、寝室へあがる、小さい裏ばしごを知ってるのさ。それに、かぎのありかだって、知ってるんだから」
 それから、ふたりは、庭の中へはいって、大きな並木道を歩いていきました。木の葉が、一枚、また一枚と、散っています。そのうちに、御殿の明りが、一つ、また一つと、消えました。そこで、カラスは、ゲルダを連れて、裏門のところへ来ました。門は、いくらかあいていました。
 ああ、ゲルダの胸は、心配と、あこがれとで、どんなにどきどきしたことでしょう! まるで、なにかわるいことでも、しようとしているような気持でした。ゲルダは、その人がカイちゃんかどうかを、知りたいと思っているだけなのです。たしかに、その人は、カイちゃんにちがいありません。ゲルダは、カイのかしこそうな目と、長い髪の毛とを、ありありと思いうかべました。そしてまた、ふたりが家のバラの花の下にすわっていた時のように、にこにこ笑っているカイの姿が、目に見えるようでした。カイがゲルダに会ったなら、しかもゲルダが、自分のために、どんなに遠い道を歩いてきたかを聞いたなら、そしてまた、自分が帰らないために、家の人たちが、どんなに悲しんでいるかを知ったなら、カイは、きっと、よろこぶにちがいありません。ああ、そう思うと、こわいようでもあるし、うれしいようでもありました。
 やがて、ふたりは、はしご段の上に来ました。小さいランプが、たなの上にともっていました。床のまんなかに、いいなずけのカラスが立っていて、頭をあっちこっちへ動かして、ゲルダをながめました。そこで、ゲルダは、おばあさんから教わっていたように、ていねいにおじぎをしました。
「小さなお嬢さん、あなたのことは、わたしのいいなずけが、とってもほめておりましたわ」と、御殿のカラスが言いました。「あなたの履歴りれきとか申しますものは、ずいぶん悲しいんですのね。――それでは、そのランプを持ってくださいませね。あたしがさきに立って、ご案内しますから。ここからまっすぐ、まいりましょう。もう、だれにも会いませんわ」
「あたしのすぐあとから、なにかが、来るような気がするわ」と、ゲルダは言いました。ほんとに、そのとおりです。なにかが、サッと音を立てて、ゲルダのそばを通りすぎました。それは、影が、かべにうつっていくようでした。たてがみを風になびかせ、やせこけた足をした馬、かりゅうどたちのむれ、馬に乗った紳士に、貴婦人、そういったものの、影でした。
「あれは、ただの夢なんですよ!」と、カラスが言いました。「みんなは、ああして、ご主人の考えを狩りに連れていこうと、むかえにきたんですよ。でも、かえって、つごうがいいですわ。そのほうが、寝ているところを、ずっとよくごらんになれますもの。ですけど、あなたがいまにえらくおなりになったら、あたしたちにお礼をくださるのを、お忘れにならないでね!」
「そんなことは、言うものじゃないよ」と、森のカラスが言いました。
 みんなは、さいしょの広間にはいりました。広間のかべには、きれいな花もようのついている、バラ色のしゅすが、はってありました。ここでも、夢は、みんなのそばを、音をたてて通りすぎていきました。ところが、あんまり早くとんでいってしまったものですから、ゲルダの目には、ご主人の姿は見えませんでした。広間は、通りぬけるにつれて、だんだんりっぱになっていきました。ほんとうに、ただただ、あきれてしまうばかりです。
 いよいよ、みんなは、寝室へきました。天井は、まるで、大きなシュロの木が、ガラスでできている葉を、それも上等のガラスでできている葉を、ひろげているようでした。床のまんなかにある、くきのような、ふとい、金の柱には、ユリの花かと思われるベッドが二つ、つるしてありました。一つはまっ白で、その中に王女が眠っていました。もう一つは、まっかでした。その中には、ゲルダのさがしているカイが、眠っているはずです。ゲルダが、赤い花びらの一つを、そっとわきへのけると、日にやけた首すじが見えました。――ああ、それはカイです!――ゲルダは、大声でカイの名を呼びながら、ランプをさし出しました。――またもや、夢が、馬に乗って、音をたてながら、この部屋にもどってきました。――その人は、目をさまして、顔をゲルダのほうへむけました。と、―― ――それは、カイではありません。
 王子は、首すじのところだけが、カイに似ていたのでした。見れば、若くて、きれいなひとです。そのとき、白いユリの花のベッドから、王女が顔を出して、そこにいるのはだれ、とたずねました。そこで、ゲルダは、泣きじゃくりながら、いままでの物語や、カラスが自分のためにしてくれたことなどを、すっかり話しました。
「まあ、かわいそうに!」と、王子と王女は言いました。それから、カラスをほめてやりました。そして、自分たちは、すこしもおこってはいないけれども、こんなことは、そうたびたびしてはいけないよ、と言い聞かせました。それはともかくとして、二羽のカラスは、ごほうびをいただくことになりました。
「おまえたちは、自由にとびまわりたい?」と、王女はききました。「それとも、宮中ガラスという、ちゃんとした地位について、お台所のこぼれものをみんないただきたい?」
 すると、二羽のカラスは、おじぎをして、ちゃんとした地位のほうをお願いしました。つまり、二羽のカラスは、年とってからのことを考えたわけです。そして、
「年よりになっても、らくに暮せるようにしておくのは、よいことでございます」と、言いました。
 王子はベッドから起きあがって、ゲルダをそこに寝かせてくれました。ゲルダにとって、これよりうれしいことはありません。ゲルダは、小さな手をあわせました。そして、「人にしても、動物にしても、なんて親切なんでしょう!」と、心に思いました。それから、目をつぶって、ぐっすり眠りました。また、さまざまな夢が、とんではいってきました。こんどは、みんな、かわいらしい天使のように見えます。そして、みんなで、小さなそりを一つ、ひっぱっています。そのそりの上には、カイがすわって、うなずいています。でも、これはみんな、ただの夢にすぎません。ですから、ゲルダが目をさますといっしょに、消えうせてしまいました。
 あくる日になると、ゲルダは頭のさきから、つまさきまで、絹とビロードの着物につつんでもらいました。そして、いつまでもこの御殿にいて、楽しく暮すように、とすすめられました。けれども、ゲルダはそれをことわって、小さな馬車と、それをひく馬と、それから、小さな長靴を一そく、いただけませんか、とお願いしました。そうすれば、その馬車に乗って、広い世の中へもう一度カイちゃんをさがしにいってみたいと思います、と申しました。
 すると、ゲルダは長靴ばかりか、手をあたためるマフまでも、いただきました。身じたくも、きれいにできあがりました。こうして、いよいよ出かけようというとき、門の前に、なにからなにまで金でできている、あたらしい馬車がとまりました。その馬車には、王子と王女の紋章もんしょうが、お星さまのようにキラキラ光っていました。御者ぎょしゃ下僕げぼく先乗さきのりが、――そうです、先乗りまでがいたんですよ――みんな、金の冠をかぶって、ひかえていました。王子と王女は、ゲルダをたすけて馬車に乗せてくれました。それから、お別れを言って、ゲルダのしあわせを祈ってくれました。
 森のカラスは、いまでは結婚していましたが、きょうは、ゲルダを三マイルばかり送ってくれることになりました。カラスは、ゲルダとならんで、すわりました。なぜかというと、カラスは、うしろむきに、馬車へ乗ることができないからです。もう一羽は、門のところに立って、羽をバタバタさせていました。このカラスは送ってきませんでした。それはこういうわけです。ちゃんとした地位についてからは、食べ物があんまりたくさんありすぎるためか、どうにも、頭がいたくてしかたがなかったのです。馬車の内側には、お砂糖のはいったビスケットが、いっぱいつめこんであって、腰掛けの下にも、果物やコショウ入りのお菓子が、はいっていました。
「さようなら、さようなら」と、王子と王女はさけびました。ゲルダは、わっと泣き出しました。カラスも泣きました。――こうして、早くも三マイルばかり、来ました。そこで、カラスも、さようならを言いました。ほんとうに、つらいつらいお別れでした。カラスは、道ばたの木の上にとびあがって、馬車が見えなくなるまで、黒い羽をバタバタさせていました。馬車は、いつまでもいつまでも、明るいお日さまのように、キラキラしていました。

五番めのお話



小さな山賊さんぞくの娘

 馬車は、うす暗い森の中を通っていました。けれども、たいまつの明りのように、キラキラ光っていましたので、それが山賊たちの目にとまりました。それを見ると、山賊たちは、がまんができなくなりました。
きんだぞ! 金だぞ!」と、山賊たちは、口々にさけびながら、馬車をめがけて、どっと、おそいかかりました。馬をつかまえて、先乗りや御者や下僕をうち殺しました。そして、ゲルダを馬車から引きずりおろしました。
「この子は、ふとっていて、かわいい子だわい。クルミの実で、ふとったんだろ」と、山賊のばあさんが、言いました。このばあさんには、長い、こわいひげが生えていて、まゆ毛は、目の上までかぶさっていました。
「こえた小ヒツジみたいに、うまそうじゃ。さてと、どんな味かな」ばあさんは、こう言って、短刀を引きぬきました。それは、よく切れそうにピカピカ光っていて、おそろしさに身の毛もよだつばかりでした。
「あ、いたっ!」と、その瞬間、ばあさんはさけびました。自分の小さな娘に、耳をかみつかれたのです。娘は、ばあさんの背中にぶらさがっていました。この子は乱暴で、手のつけられない子でした。いまも、おもしろがって、こんなことをしたのです。「こいつめ!」と、ばあさんは言いましたが、そのために、ゲルダを殺すことはできませんでした。
「この子は、あたしとあそぶんだもの」と、小さな山賊の娘が言いました。「それに、この子はあたしに、マフときれいな着物をくれるんだよ。そして、あたしの寝床でいっしょに寝るのさ」そして、またもやかみついたものですから、ばあさんは、とびあがって、ぐるぐるまわりをしました。ほかの山賊たちは、そのようすに大笑いをして、「見ろよ、ばあさんが、てめえのがきと踊ってるじゃねえか」と、言いました。
「あたし、あの馬車に乗ろうっと!」と、小さな山賊の娘は言いました。この子は、あまやかされて、育てられたうえに、人いちばい、ごうじょうときています。ですから、いったん言いだしたことは、どこまでも押しとおします。とうとう、ゲルダといっしょに、馬車に乗りこみました。そして、切りかぶや、イバラの茂みを乗りこえ乗りこえ、森のおく深くへ、馬車をずんずん走らせていきました。山賊の娘は、ゲルダと同じくらいの背かっこうでしたが、肩はばがひろいし、はだもこげ茶色で、ゲルダよりもずっと強そうでした。まっ黒な目をしていましたが、どことなく、悲しいようすが見うけられました。娘は、ゲルダのからだをだいて、言いました。
「あたし、おまえがきらいにならないうちは、だれにも殺させやしないよ。おまえは、きっと、王女さまなんだろう?」
「いいえ」と、小さなゲルダは言いました。そして、いままでのことを、のこらず話して聞かせました。それから、自分がどんなにカイちゃんを好きかということも、話しました。
 小さな山賊の娘は、まじめな顔をして、ゲルダをじいっと見ていましたが、ちょっとうなずいてから、
「おまえがきらいになったって、だれにも殺させやしないよ。そうなったら、あたしが自分で殺すから!」と、言って、ゲルダの目をふいてやりました。そして、両手を、たいそうやわらかくて、暖かい、きれいなマフの中へ、つっこみました。
 やがて、馬車がとまりました。そこは、山賊のお城の中庭でした。お城は、上から下までひびがいって、さけていました。大きいカラスや小さいカラスが、そういうさけ穴からとび出しました。人間のひとりぐらいはのみこめそうな、大きいブルドッグが幾ひきも、高くとびはねていました。しかし、ほえはしませんでした。なぜって、ほえてはいけないと、かたくとめられていたからです。
 すすだらけの、古い大きな広間の中では、石だたみの床の上で、火がさかんに燃えていました。煙は天井まで立ちのぼって、出口をさがしていました。大きな大きなおかまの中で、汁が煮えたぎっていました。そして、野ウサギや、家ウサギが、くしざしにされて、火の上でぐるぐるまわされていました。
「おまえはね、今夜は、あたしといっしょに、あたしの小さな動物たちのところで寝るんだよ」と、山賊の娘は言いました。ふたりは、食べ物や飲み物をもらって、すみっこへ行きました。そこには、ワラとふとんが、しいてありました。頭の上の、はりや棒の上には、ハトが百羽ばかり、とまっていました。見たところ、みんな眠っているようでしたが、ふたりが近づくと、ちょっとからだを動かしました。
「これはみんな、あたしのなんだよ」小さな山賊の娘は、こう言うと、いきなり、手近にいた一羽をつかまえました。そして、足をつかんで、ゆすぶったので、ハトは羽をバタバタやりました。「キスしてやんな」娘は、こう言って、そのハトで、ゲルダのほおをうちました。「あっちにいるのが、森のやくざ者だよ」と、娘は話しつづけながら、かべの高いところの穴の前にうちこんである、横木のうしろを指さしました。「あそこにいる、あの二羽が、森のやくざ者なのさ。しっかりとじこめておかないと、すぐとんでっちまうんだよ。それから、ここにいるのが、あたしの古い友だちのベーだよ」こう言うと、一ぴきのトナカイを、つのをつかまえて、ひっぱり出してきました。そのトナカイの首には、ピカピカ光る銅の首輪がはめてあって、それでつながれていたのでした。
「こいつも、しっかりしばっておかなくちゃならないんだよ。でないと、すぐに、あたしたちんとこから、とび出していっちまうのさ。毎晩、あたしはよく切れるナイフで、こいつの首をくすぐってやるんだよ。そうすると、こいつ、とってもこわがるから」こう言うと、小さな娘は、かべのさけ目から長いナイフを取り出して、それでトナカイの首すじをなでました。かわいそうに、トナカイは足をバタバタやりました。山賊の娘は、おもしろそうに笑いころげました。それから、ゲルダといっしょに寝床にはいりました。
「あなたは、寝ているあいだも、ナイフを持っているの?」と、ゲルダはききました。そして、ちょっとこわそうに、そのナイフをながめました。
「寝ているときだって、ナイフは持ってるよ」と、小さな山賊の娘は言いました。「なにが起るか、わかったもんじゃないからね。だけど、さっき話してくれたカイちゃんのことを、もう一度話しておくれよ。それから、おまえが、この広い世の中へ、どうして出てきたかってこともね」
 そこで、ゲルダは、もう一度はじめから話をしました。すると、森のハトが、上のかごの中でクークー鳴きました。ほかのハトは、眠っていました。小さな山賊の娘は、ゲルダの首のまわりに腕をまきつけて、片手にナイフを持ったまま、いびきをかいて、眠りこんでしまいました。しかし、ゲルダは、目をつぶるどころではありません。これからさき、生きていられるのか、死ななければならないのか、ぜんぜんわからないのです。山賊たちは、火のまわりにすわりこんで、さかんにうたったり、飲んだりしています。ばあさんは、トンボ返りを打っています。ああ、しかし、小さなゲルダにとっては、なんというおそろしい光景だったでしょう!
 そのとき、森のハトが言いました。
「クー、クー! ぼくたち、カイちゃんを見たよ。白いニワトリが、カイちゃんのそりを運んでいてね、カイちゃんは雪の女王の車に乗ってたよ。ぼくたちが森の巣の中で寝ていると、森の上をすれすれにとんでいったっけ。そのとき、雪の女王がぼくたち子どもに息を吹きかけたもんだから、ぼくたちふたりのほかは、みんな、こごえ死んじゃったんだよ。クー、クー!」
「あなたたち、そこで、なんて言ってるの?」と、ゲルダは大きな声で言いました。「その雪の女王は、どこへ行ったの? あなたがた、知ってる?」
「きっと、ラップランドだろうよ。あそこは一年じゅう、雪と氷ばっかりだからね。そこにつながれている、トナカイさんにきいてごらん」
「そうですよ、あそこは雪と氷ばかりで、じつにめぐまれた、すばらしい所ですよ!」と、トナカイは言いました。「キラキラ光る大きな谷間を、みんなは自由にとびまわるんです! そこに、雪の女王は夏のテントをはるんですが、女王のほんとうのお城は、北極の近くにあるスピッツベルゲンという島にあるんですよ」
「ああ、カイちゃん、カイちゃん!」と、ゲルダはため息をつきました。
「静かに寝ていなよ」と、山賊の娘が言いました。「でないと、このナイフを横っ腹へつきさすよ」
 あくる朝、ゲルダは、森のハトの言ったことを、のこらず山賊の娘に話しました。娘は、たいそうまじめな顔をして、聞いていましたが、やがてうなずいて、こう言いました。「そんなことは、どっちだっていいや。どっちだっていいや。――おまえは、ラップランドがどこにあるか、知ってんの?」と、トナカイにききました。
「わたしよりよく知っている者なんて、まず、ないでしょうね」トナカイは、こう言って、目をかがやかせました。「わたしは、あそこで生れて、大きくなったんですよ。あそこの雪の原を、とびまわったんですよ」
「ねえ、おまえ」と、小さな山賊の娘は、ゲルダにむかって言いました。「男はみんな出かけちまって、いまいるのは、おっかさんだけだろ。おっかさんは、うちにのこってるんだけど、朝飯のとき、大きなびんから酒を飲んで、またちょいと寝こんじまうんだよ。――そしたら、いいことしてやるよ!」こう言うと、娘は寝床からはね起きて、おっかさんの首っ玉にとびつきました。そして、そのひげをひっぱりながら、こう言いました。「あたしの大好きなヤギさん、おはよう!」
 すると、おっかさんは、指で、何度も何度も、娘の鼻をはじきましたので、しまいには、鼻が赤く青くなってしまいました。けれども、これは、ただかわいくって、しただけのことなのです。
 そのうちに、おっかさんは、びんのお酒を飲んで、寝こんでしまいました。そのようすを見ると、山賊の娘は、トナカイのところへ行って、言いました。「あたしは、もっともっと、おまえをピカピカしたナイフで、くすぐってやりたいんだよ。だってそうすりゃ、とってもおもしろいもの。だけど、いいさ。おまえの綱をほどいて、逃がしてやるから、ラップランドへ行きな。だけど、いっしょうけんめい走って、この女の子を雪の女王のお城へ連れていくんだよ。そこに、この子の友だちがいるんだから。おまえも、この子が話していたとき、聞いてただろ。あんなに大きな声でしゃべってたんだもの。それに、おまえだって、耳をすまして聞いてたんだから」
 トナカイは、うれしさのあまり、はねあがりました。山賊の娘は、小さなゲルダを押し上げて、トナカイの背中に乗せてくれました。そして、ゲルダのからだを、しっかりとゆわえつけて、そのうえ、小さな座ぶとんまでもくれました。山賊の娘は、こんなにまでも、いろいろと気をつかってくれたのです。
「どうだっていいや」と、娘は言いました。「これが、おまえの毛の長靴ながぐつだよ。これから、うんと寒くなるからね。だけど、マフはもらっておくよ。とってもきれいなんだもの。といったって、おまえに寒い思いはさせないから。この、おっかさんの大きな指なし手袋を持ってきな。おまえなら、ひじのとこぐらいまであるだろ。さあ、はめてみな! ――ふうん、手だけ見てると、まるで、あたしのきたないおっかさんみたいだよ」
 ゲルダは、うれしさのあまり、泣き出しました。
「めそめそするのは、ごめんだよ」と、小さな山賊の娘は言いました。「それよか、うれしそうな顔でもしな。それから、ここにあるパンを二つと、ハムを一つやるからね。これだけあれば、おなかもすかないだろ」二つとも、トナカイの背中のうしろに、ゆわえつけられました。山賊の娘は、戸をあけて、大きなイヌをみんなおびき入れました。それから、ナイフでトナカイの綱を切って、言いました。「さあ、走ってきな。でも、背中の女の子に気をつけるんだよ」
 そこで、ゲルダは、大きな指なし手袋をはめた手を、山賊の娘のほうへのばして、「さようなら!」と言いました。それから、トナカイはかけ出して、やぶや、切りかぶをとびこえ、大きな森をつきぬけ、沼地や草原をこえて、いっさんに走っていきました。オオカミがほえ、カラスが鳴きさけびました。空のほうで、「シュー、シュー!」いう音がしました。まるで、なにかが、赤い火をはいているようでした。
「あれは、わたしの昔なじみの極光オーロラですよ」と、トナカイは言いました。「ごらんなさい、あんなによく光ってますよ」
 それから、トナカイは、いままでよりももっと早く、夜も昼も、走りつづけました。パンは、もうすっかり、食べてしまいました。ハムも食べきってしまいました。そのとき、ラップランドにつきました。

六番めのお話



ラップランドのおばあさんとフィンランドの女

 トナカイは、とある小さな家の前でとまりました。その家は、たいそうみすぼらしい家でした。屋根が地面についていて、そのうえ、入り口がたいへん低かったので、家の人たちは、腹ばいになって、出入りしなければなりませんでした。家の中には、ラップランドのおばあさんがひとりいるだけで、ほかには、だれの姿も見えませんでした。おばあさんは、魚油ぎょゆランプのそばに立って、さかなを焼いていました。トナカイは、おばあさんに、ゲルダのことをすっかり話しました。もっとも、それよりもさきに、自分のことを話しました。つまり、自分のことのほうが、ずっとだいじに思われたからです。だいいち、ゲルダは、寒さのために、すっかりまいってしまって、話すこともできないありさまでした。
「おやおや、かわいそうに!」と、ラップランドのおばあさんは言いました。「それなら、まだまだ、ずいぶん行かなきゃならないよ。ここから百マイルいじょうもさきの、フィンマルケンまで行かなきゃだめだね。雪の女王は、いまそこに行っていて、毎晩毎晩、青い火を燃やしているんだから。どれ、紙がないからダラにでも、ひとこと書いてあげようか。それを持って、わしの知ってるフィンランドの女のとこへ行くがいい。その女のほうが、わしよりか、くわしく教えてくれるだろうよ」
 ゲルダは、火にあたって、暖まりながら、食べたり飲んだりしました。そのあいだに、ラップランドのおばあさんは、干ダラに、ひとことふたこと書いて、それをだいじに持っていくようにと、ゲルダに言いました。それから、またゲルダをトナカイの背中に、しっかりとゆわえてくれました。そこで、トナカイは、いっさんにかけ出しました。空のほうで、「シュー、シュー!」いう音がしました。たとえようもなく美しい、青い極光が、一晩じゅう燃えていました。
 そのうちに、とうとう、フィンマルケンに来ました。ふたりは、フィンランドの女の家のえんとつをたたきました。なぜって、この家には戸口がなかったからです。
 家の中は、たいそう暑かったので、フィンランドの女は、まるで、はだかのようなかっこうをしていました。このひとは背が低くて、ひどくいんきそうでした。けれども、ゲルダを見ると、すぐに着物をぬがせて、手袋と長靴を取ってくれました。この部屋の中では、こうしていないと、暑すぎてたまらなかったのです。トナカイには、頭の上に氷を一かたまり、のせてやりました。そうしてから、干ダラに書きつけてある手紙を読みました。三度ほど、くりかえして読みました。そして、すっかりそらでおぼえてしまうと、その干ダラを鉄なべの中へ、ほうりこみました。こうすれば、まだまだおいしく食べられるのです。このひとは、どんなものでも、そまつにしないひとでした。
 トナカイは、まず自分の話をして、そのあと、小さなゲルダのことを話しました。フィンランドの女は、かしこそうな目をパチパチさせて聞いていましたが、なんとも言いませんでした。
「あなたは、たいへんかしこい方です」と、トナカイは言いました。「あなたは、世界じゅうの風をくくりあわせて、一本のぬい糸にしてしまうことができるんですね。わたしは、ちゃんと知ってますよ。船頭が、その一つの結び目をとくと、追風おいかぜが吹き、二番めの結び目をとくと、強い風が吹き、三番め、四番めと、といていくと、あらしになって、森の木々もたおれてしまうんですね。ところで、この娘さんに、飲み物をこしらえてやってくれませんか。この娘さんが十二人力になって、雪の女王を負かすことができるような、そういう飲み物をこしらえてやってくれませんか」
「十二人力だって?」と、フィンランドの女は言いました。「さぞ、役に立つだろうよ!」それから、女はたなのところへ行って、ぐるぐるまいた、大きな毛皮を取り出して、それをひろげました。そこには、ふしぎな文字が書いてありました。フィンランドの女はそれを読んでいましたが、読んでいるうちに、ひたいから、汗がぽたぽた落ちはじめました。
 しかし、トナカイは、小さいゲルダのために、もう一度熱心にたのみました。ゲルダも、目に涙をいっぱいためて、心からお願いするように、フィンランドの女を見つめました。女は、また目をパチパチやりはじめました。そして、トナカイをすみっこへ連れていって、そこであたらしい氷を頭の上にのせてやりながら、こうささやきました。
「そのカイって子は、たしかに雪の女王のところにいるけどね、いまは、なにもかもが自分の思いどおりになっているものだから、世界じゅうに、こんないいところはないと思っているんだよ。だけど、そんなふうに思っているのはね、ガラスのかけらが、カイの心臓の中につきささって、小さいガラスの粉が、目の中へはいっているためなんだよ。まずさいしょに、それを取り出さなければだめだね。さもないと、その子は、二度と、ちゃんとした人間にはなれないし、いつまでも雪の女王の言うなりに、なっていなければならないんだよ!」
「それじゃ、そういうすべてのものに打ち勝つようなものを、ゲルダさんにやってはいただけませんか?」
「わたしにはね、ゲルダがいま持っている力よりも、大きな力をやることはできないね! いまのゲルダの力がどんなに大きいか、おまえにはわからないの? どんな人間でも、どんな動物でも、ゲルダを助けてやらないではいられないじゃないか。だからこそ、ああして、はだしのまま、こんな世界の遠くまでも、こられたんじゃないか。それが、おまえにはわからないの? あの子の力は、わたしたちから教わったりする必要はないのさ。だって、あの子自身の、心の中にあるんだから。つまり、ゲルダが清らかで、罪のない子供だからなんだよ。それこそ、大きな力なのさ。もしゲルダが、自分で雪の女王のところへ行って、カイのからだから、ガラスのかけらを取り出すことができないようだったら、わたしたちではどうすることもできないね!
 ここから二マイルばかり行くと、雪の女王の庭になるから、そこまで、あの子を連れてってやりなさい。雪の中に、赤い実のなっている、大きな茂みがあるから、そのそばに、ゲルダをおろしてきなさい。だけど、いつまでもおしゃべりしてないで、いそいで帰ってくるんだよ!」
 こう言って、フィンランドの女は、小さなゲルダをトナカイの上に乗せてくれました。トナカイは、力のかぎり走っていきました。
「あっ、長靴を忘れちゃった! 手袋もだわ!」ゲルダは、はだをもつきさすような、寒さに気がついて、こうさけびました。しかし、トナカイは、立ちどまってはくれません。どんどん走りつづけて、とうとう、赤い実のなっている、大きな茂みのところまで来ました。そこで、トナカイは、ゲルダをおろして、ゲルダの口にキスをしました。そのとき、キラキラ光る大つぶの涙が、トナカイの頬を、はらはらとつたわり落ちました。それから、トナカイは、いま来た道を、大いそぎで引きかえしていきました。こうして、かわいそうなゲルダは、靴もなく、手袋もなく、見わたすかぎり氷の原の、寒い寒いフィンマルケンの、まっただなかに、取りのこされたのです。
 ゲルダは、前へ前へと、いっしょうけんめい、かけていきました。と、とつぜん、雪のひらの軍勢が現われてきました。けれども、それは、空から降ってきたのではありません。空は晴れわたっていて、極光オーロラがかがやいていました。雪のひらは、地面の上をまっすぐに走ってくるのです。しかも、近づいてくればくるほど、ますます大きくなってくるのです。ゲルダは、いつかレンズで雪のひらを見たとき、それがどんなに大きく、どんなに美しく見えたかを、いまでもはっきりとおぼえていました。でも、ここの雪のひらは、それとはまったくちがって、はるかに大きく、はるかにおそろしいものでした。ここの雪のひらは、生きているのです。それは、雪の女王を守る前衛部隊ぜんえいぶたいです。しかも、まことにきみょうな形をしているのです。あるものは、みにくい大きなヤマアラシのように見えます。またあるものは、とぐろをまいて、かま首をもたげている、ヘビのように見えます。またあるものは、毛をさかだてている、ふとった、小グマのように見えます。そのどれもこれもが、まっ白に光っています。どれもこれもが、生きている雪のひらなのです。
 そのとき、小さなゲルダは、「主の祈り」をとなえました。寒さがあんまりきびしいので、自分のはく息が、よく見えます。煙のように、口から出ていきます。その息がだんだんこくなって、しまいには、小さな明るい天使の姿になりました。天使たちは、地面にふれるたびに、ずんずん大きくなりました。見れば、ひとりのこらず、頭にはかぶとをかぶり、手にはやりと、たてとを持っています。天使の数は、ますます多くなるばかりです。ゲルダが「主の祈り」をとなえおわったときには、ゲルダのまわりを、天使の軍隊がとりまいていました。天使たちは、やりをふるって、おそろしい雪のひらの軍勢をつきさしましたので、雪のひらは、ちりぢりにとび散ってしまいました。
 そこで、ゲルダは安心して、元気よく歩いていきました。天使たちがゲルダの手や足をさすってくれましたから、いままでのような、ひどい寒さは感じなくなりました。こうして、ゲルダは、雪の女王のお城をさして、ずんずん歩いていきました。
 ところで、カイは、その後、どうしていることでしょう? ここで、ちょっと、カイのことをお話ししておきましょう。カイは、いまではゲルダのことなどは、すこしも考えていませんでした。ましてや、いま、ゲルダがお城の外にきていようなどとは、夢にも知りませんでした。

七番めのお話



雪の女王のお城で起ったことと、それからのお話

 お城のかべは、降りしきる雪でできていて、窓や戸は、身を切るような風でできていました。お城には、大きな広間が百いじょうもありましたが、それは、みんな雪が吹きよせられて、できたものでした。いちばん大きな広間は、なんマイルもなんマイルもひろがっていました。その上を、光の強い極光が、明るく照らしていました。見わたすかぎり、なに一つなく、はてしのないところでした。あたりいちめんの氷がキラキラと光って、それはそれは寒いところでした。ここには、楽しさというものがありません。吹きすさぶあらしの伴奏にあわせて後足あとあしで踊り、ちゃんとした礼儀作法を心得ている、北極グマの小さな舞踏会もありません。口や手足を打っての、小さな宴会もありません。白ギツネのお嬢さんたちの、ちょっとしたコーヒーの会も、あるわけではありません。ほんとうに、雪の女王の広間は、がらんとして、だだっぴろい、寒々としたところでした。極光オーロラは、きちんきちんと燃えあがっていましたので、それがいちばん高いのはいつかも、また、いちばん低いのはいつかも、よくわかりました。
 この、かぎりなく広々とした、雪の大広間のまんなかに、こおった湖が一つありました。湖のおもては、なん千万という、小さいかけらにわれていました。けれども、そのかけらの一つ一つが、まったく同じようでしたから、そのぜんたいが、一つのすばらしい美術品のように見えました。雪の女王は、お城にいるときは、いつも、この湖のまんなかにすわっているのです。そして女王は、あたしは理知の鏡にすわっているのです、この鏡は世界じゅうにたった一つしかない、いちばんすぐれた鏡ですよ、と、言っていました。
 小さなカイは、寒さのために、まっさおになっていました。いやそれどころか、どす黒くさえなっていました。でも、自分では、それがわからないのです。むりもありません。いまでは、雪の女王がキスをして、カイから寒いという感じを、とってしまっていたのですからね。それに、カイの心臓は、まるで氷のかたまりのように、つめたかったのです。
 カイは、とがった、ひらたい氷のかけらを、いくつか引きずってきて、それをいろいろに組みあわせていました。こうして、なにかをつくり出そうというのです。ちょうど、わたしたちが、小さい木切れを、さまざまな形にならべてあそぶ、あの「中国遊び」というのに、似ていました。カイは、いろいろの形にならべてみました。それは、「知恵の遊び」といって、いちばんくふうのいるものでした。カイの目には、こういういろいろの形が、とってもすばらしくて、しかもいちばん意味があるように思われたのです。それもこれも、カイの目の中にはいりこんでいる、ガラスのかけらのしわざなのです! ぜんぶをちゃんとした形にならべると、それは一つの言葉になるのです。ところが、カイがならべたいと思っている言葉だけは、どうしてもうまくならびません。それは、永遠ということばです。そして、雪の女王は、前から、こう言っていました。
「おまえがね、その形をつくりだすことができたら、おまえを自由にしてあげるよ。そのうえ、わたしは全世界とあたらしいスケート靴とを、おまえにあげるよ」
 しかし、カイには、それがどうしてもできないのです。
「わたしは、これから、暑い国々へ行ってくるよ!」と、雪の女王は言いました。「そこへ行ったら、黒い鉄なべをのぞいてこよう」――黒い鉄なべと言ったのは、エトナとかベスビオスとか言われている、火をふきだす山のことだったのです。――「わたしは、それをちょっと白くぬってやるんだよ! そうすると、レモンやブドウのために、とってもいいからね」
 こう言って、雪の女王はとんでいきました。こうして、カイは、たったひとりのこされて、何マイルも何マイルもある、広々とした、氷の大広間のまんなかにすわっていました。そして、氷のかけらを見つめて、じっと考えこんでいました。しまいには、からだの中がミシミシいうほど、かたくこおりついてきました。それでも、じっとすわっていました。このようすを見れば、だれでも、カイはこごえ死んだのだろう、と思うことでしょう。
 ゲルダが大きな門をくぐって、お城の中へはいってきたのは、ちょうどこの時でした。お城の中は、身を切るような風が吹いていました。けれども、ゲルダが「夕べの祈り」をとなえると、吹きまくっていた風も、まるで眠ろうとでもするように、みるみるうちに静まってしまいました。そこで、ゲルダは、寒々とした、なに一つない大広間にはいりました。――と、そこに、カイの姿が見えました。ゲルダには、カイであることが、すぐわかりました。ゲルダは、カイの首にとびついて、しっかりとだきしめながら、さけびました。「カイちゃん! なつかしいカイちゃん! ああ、とうとう見つけたわ!」
 ところが、カイはつめたくなって、かたくなったまま、じっと動きません。――と見ると、ゲルダは、熱い涙をはらはらとこぼしました。その涙がカイの胸に落ちて、心臓の中にしみこんでいきました。そして、氷のかたまりをとかして、その中にあった、小さな鏡のかけらを、くいつくしてしまいました。カイはゲルダをながめました。そのとき、ゲルダは讃美歌をうたいました。

バラの花 かおる谷間に
あおぎまつる おさな子イエスきみ!

 この歌を聞くといっしょに、カイはわっと泣き出しました。そして、あんまりはげしく泣いたので、とうとう、鏡のかけらが、目からころがりでました。とたんに、カイはゲルダに気がついて、うれしそうな声をあげました。
「ああ、ゲルダちゃん! なつかしいゲルダちゃん! ――きみは長いあいだ、どこへ行ってたの? それで、ぼくはどこにいるんだろう?」こう言いながら、あたりを見まわしました。「ここは、なんて寒いんだろう! なんて広々として、がらんとしたところなんだろう!」
 こう言って、カイはゲルダにしがみつきました。ゲルダは、ただただうれしくて、泣いたり、笑ったりしました。そのようすが、あんまりしあわせそうなものですから、氷のかけらまでがうれしくなって、ぐるぐる踊りまわりました。やがて、踊りつかれて、横になりました。ところが、どうでしょう。今度は、あのことばのつづりどおりに、ならんだではありませんか。そら、雪の女王が、うまくできたら、自由にして、全世界とあたらしいスケート靴とをあげると言った、あの言葉があらわれているのです。
 ゲルダは、カイの頬にキスをしました。すると、その頬に、赤みがさしてきました。目にキスをしました。すると、ゲルダの目のように、いきいきとしてきました。手と足にキスをしました。すると、カイはすっかり元気になりました。もうこうなれば、雪の女王がいつ帰ってきたって、だいじょうぶです。カイを自由にするという約束の文字が、キラキラかがやく氷のかけらで、いまは、はっきりと書き表わされているのです。
 それから、ふたりは手を取りあって、この大きな城から出ました。ふたりは、おばあさんのことや、屋根の上のバラのことを話しました。こうして、ふたりが歩いていくと、風は静まり、お日さまはキラキラと顔を出しました。
 赤い実のなっている、茂みのところまでくると、もうそこには、トナカイがきていて、ふたりを待っていました。けれども、今度は、もう一ぴき、若いトナカイもいっしょにいました。見ると、そのトナカイの乳房ちぶさは、大きくふくらんでいて、ちょうどいま、子供たちに暖かいお乳を飲ませて、その口にキスをしてやっていました。二ひきのトナカイは、ゲルダとカイを乗せて、まっさきにフィンランドの女のところへ連れていきました。ここで、ふたりは、暖かい部屋の中でからだを暖めて、帰り道のことを教わりました。それから、ラップランドのおばあさんのところへ行きました。おばあさんは、ふたりにあたらしい着物をぬってくれたり、そりの用意をしてくれたりしました。
 二ひきのトナカイは、そりとならんで走って、国ざかいのところまで送ってくれました。ここまでくると、はじめて、緑の草が大地から顔をのぞかせていました。ここで、ふたりは、トナカイとラップランドのおばあさんに、お別れをしました。「さようなら!」と、みんなは、口々に言いました。
 そのうちに、さいしょの小鳥がさえずりはじめました。森には、緑の芽がもえでていました。そのとき、森の中から、ひとりの娘が、りっぱなウマにまたがって、出てきました。そのウマには、ゲルダは見おぼえがあります。――そうです、それは、金の馬車をひいていたウマです。――娘は、キラキラ光る、赤い帽子をかぶり、腰にピストルを二ちょう、さしていました。それは、あの小さな山賊の娘でした。娘は、家にいるのがたいくつになったので、まず北のほうへ行ってみようと思って、やってきたところだったのです。そして、もしそこがおもしろくなければ、今度は、べつの所へ行ってみようと思っていたのでした。娘には、ゲルダがすぐわかりました。ゲルダのほうでも、すぐわかりました。ふたりは、どんなによろこんだかしれません。
「おまえさんは、おもしろいひとだね。ずいぶんあっちこっち、ほっつき歩いたんだろう」と、娘は、カイにむかって言いました。「おまえさんをさがしに、世界のはてまで、行くほどのねうちがあるのかねえ?」
 けれども、ゲルダは、娘の頬をなでながら、王子と王女のことをたずねました。
「あの人たちは、外国へ旅行に出かけたよ」と、山賊の娘は言いました。
「じゃ、カラスは?」と、小さなゲルダはききました。
「うん、あのカラスは死んだよ」と、娘は答えました。「おかみさんのカラスは、後家ごけさんになってね、黒い毛糸の切れっぱしを足につけて歩いてるよ。とんでもなくなげき悲しんでるよ。なにもかも、ばかばかしいことばっかしさ! ――だけどおまえさんは、あれからどうしたんだい? で、このひとを、どうやってつかまえたんだい? それを話しておくれよ」
 そこで、ゲルダとカイは、いままでのことを、ふたりで、のこらず話しました。
「なるほど、それで、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、ぺちゃっとね!」と、山賊の娘は言いました。それから、ふたりの手をにぎって、いつかふたりの町を通ることがあったら、きっとたずねていくよ、と約束しました。そして、広い世の中へウマをとばしていきました。
 カイとゲルダは、また手を取りあって、歩いていきました。ふたりが行くにつれて、あたりは、花と緑につつまれた、美しい春になりました。やがて、教会の鐘の音が聞えてきました。そして、見おぼえのある、高い塔が見え、大きな町が見えてきました。それは、ふたりの住んでいた町だったのです。
 ふたりは、町の中へはいって、おばあさんの家の戸口まで行きました。そして、階段をのぼって、部屋の中にはいりました。部屋の中のようすは、なにもかもむかしのままです。時計は、カチ、カチ、いっていました。時計の針も、まわっていました。けれども、入り口を通ったときに、ふたりは、いつのまにか、自分たちがおとなになっているのに、気がつきました。屋根の雨どいの上に咲いているバラの花が、開かれた窓から、中をのぞいていました。そこに、小さな子供椅子いすが置いてありました。カイとゲルダは、めいめいの椅子に腰をおろして、手をにぎりあいました。ふたりは、雪の女王のお城の、なに一つない、寒々とした美しさを、おもくるしい夢のように、忘れてしまいました。
 おばあさんは、神さまの明るいお日さまの光をあびて、聖書を読んでいました。「もし、なんじら、おさな子のごとくならずば、天国に入ることを得じ!」
 カイとゲルダは、たがいに目を見あわせました。そのとき、きゅうに、あの古い讃美歌の意味が、よくわかってきました。

バラの花 かおる谷間に、
あおぎまつる おさな子イエスきみ!

 こうして、このふたりは、おとなであって、しかも子供のふたりは、そうです、心の子供たちは、そこにすわっていました。いまは夏でした。暖かい、めぐみゆたかな夏でした。





底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※(ローマ数字3、1-13-23))」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード