年とったカシワの木のさいごの夢

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




(クリスマスのお話)

 ひろいひろい海にむかった、きゅうな海岸の上に、森があります。その森の中に、それはそれは年とった、一本のカシワの木が立っていました。年は、ちょうど、三百六十五になります。でも、こんなに長い年月も、この木にとっては、わたしたち人間の、三百六十五日ぐらいにしかあたりません。
 わたしたちは、昼のあいだは起きていて、夜になると眠ります。眠っているときに、夢を見ます。ところが、木は、ちがいます。木は、一年のうち、春と夏と秋のあいだは起きていて、冬になってはじめて、眠るのです。冬が、木の眠るときなのです。ですから、冬は、春・夏・秋という、長い長い昼のあとにくる、夜みたいなものです。
 夏の暑い日には、よく、カゲロウが、この木のこずえのまわりを、とびまわります。カゲロウは、いかにも楽しそうに、ふわふわダンスを踊ります。それから、この小さな生きものは、カシワの木の大きな、みずみずしい葉の上にとまって、ちょっと休みます。そういうときには、心から幸福を感じています。
 すると、カシワの木は、いつも、こう言いました。
「かわいそうなおちびさん。たった一日が、おまえにとっての一生とはねえ。なんとみじかい命だろう! まったくもって、悲しいことだなあ!」
「悲しいことですって?」と、そのたびに、カゲロウは言いました。「それは、どういうことなの? なにもかもが、こんなに、たとえようもないほど明るくて、暖かくて、美しいじゃありませんか。あたしは、とってもしあわせなのよ!」
「だが、たった一日だけ。それで、なにもかもが、おしまいじゃないか」
「おしまい?」と、カゲロウは言いました。「なにがおしまいなの? あなたも、おしまいになる?」
「いいや。わしは、おそらく、おまえの何千倍も生きるだろうよ。それに、わしの一日というのは、一年の、春・夏・秋・冬ぜんぶにあたるのだ。とても長くて、おまえには、かぞえることはできんだろうよ」
「そうね。だって、あなたのおっしゃることが、わかりませんもの。あなたは、あたしの、何千倍も、生きているんですのね。でも、あたしだって、一瞬間の何千倍も生きて、楽しく、しあわせに、くらしますわ。あなたが死ぬと、この世の美しいものは、みんな、なくなってしまいますの?」
「とんでもない」と、カシワの木は、答えました。「それは、長くつづくよ。わしなどが考えることもできんくらい、いつまでも、かぎりなくつづくのだよ」
「それなら、あなたの一生も、あたしたちの一生と、たいしてかわらないわ。ただ、かぞえかたが、ちがうだけですもの」
 こう言うとカゲロウは、また、空にはねあがって、ダンスをしました。カゲロウは、まるで、ビロードと、しゃでできているような、自分のうすい、きれいな羽を、うれしく思いました。暖かい空気の中で、心からよろこびました。
 あたりは、クローバの畑や、生垣の野バラや、ニワトコや、スイカズラのかおりで、いっぱいですし、クルマバソウや、黄花のクリンソウや、野生のオランダハッカソウなどのにおいも、ぷんぷんしています。あんまり、においが強いので、カゲロウは、なんだか、ちょっとったような気がしました。
 長くて、美しい一日でした。よろこびと、あまい気持でいっぱいの一日でした。
 お日さまが沈みました。カゲロウは、昼のあいだの、いろいろな楽しみのために、ぐったりと、つかれを感じました。でも、それは、気持のよいくたびれでした。もう、羽が、いうことを聞いてくれません。カゲロウは、ゆれている、やわらかな草のくきの上に、そっととまりました。ほんのちょっと、頭をこっくりこっくりさせていたかと思うと、すぐやすらかな眠りに、ついてしまいました。こうして、カゲロウは死んだのです。
「かわいそうになあ、小さなカゲロウさん!」と、カシワの木は、言いました。「あっというまの、みじかい命だったねえ」
 夏のあいだじゅう、くる日も、くる日も、カゲロウは、同じダンスをしました。カシワの木と、同じことを話しあっては、同じことを答えあいました。そして、カゲロウは、いつも、同じ眠りにつくのでした。親のカゲロウも、子供のカゲロウも、孫のカゲロウも、みんな、同じことをくりかえしました。どのカゲロウも、同じように幸福で、同じように楽しんでいました。
 カシワの木は、春の朝も、夏の昼間も、秋の夕方も、ずっと、目をさましていました。いよいよ、眠るときが、近づいてきました。やがて、夜の冬がやってくるのです。
 もう、あらしが、うたいはじめましたよ。
「おやすみ、おやすみ。木の葉が散るよ。木の葉が散るよ。おれたちが、むしりとってやるよ。むしりとってやるよ。
 さあさあ、お眠り。おれたちが、歌をうたって、眠らせてやるよ。ゆすぶって、眠らせてやるよ。
 どうだい。古い枝も、気持よさそうにしているよ。うれしくって、ギシギシいってるだろう。
 ぐっすり、お眠り。ぐっすり、お眠り。おまえの、三百六十五日めの夜だよ。おまえはまだ、ほんとうは、一つの赤んぼうだよ。
 ぐっすり、お眠り。雲が、雪を降らせてくれるよ。それは、やわらかい寝床になるよ。おまえの足もとをつつむ、暖かい、掛けぶとんになるよ。
 ぐっすり、眠って、楽しい夢をごらん」
 そこで、カシワの木は、からだから、葉っぱの着物をのこらず、ぬいでしまいました。こうして、長い冬のあいだを、ゆっくり、休むことにしたのです。そのあいだに、夢もみました。カシワの木の見る夢も、人間の夢と同じに、いつもきまって、それまでに、自分の身に起ったことばかりでした。
 このカシワの木にしても、一度は、小さいときがありました。いやいや、それどころか、ほんの小さなドングリを、ゆりかごにしていたこともありました。人間がかぞえたところでは、この木は、もう、四百年近くも、生きていました。森の中で、いちばん大きくて、いちばんりっぱな木なのです。木の頂は、ほかの木よりもずっとずっと、高くそびえていました。海のはるかおきのほうからも、はっきりと見えましたので、船の目じるしになりました。けれども、カシワの木のほうでは、大ぜいの人が、自分を目じるしとしてさがしていようとは、夢にも知りませんでした。
 高い、緑のこずえには、野バトが巣をつくり、カッコウが歌をうたいました。
 秋になって、葉が打ちのばされた銅板のようになると、わたり鳥もとんできました。わたり鳥たちは、海をこえて、とんでいくまえに、まずここで、ひと休みすることにしていました。
 けれども、いまは冬です。カシワの木は、葉っぱをすっかりおとして、立っていました。ですから、枝が、どんなに、まがりくねってのびているかが、はっきりとわかりました。大ガラスや小ガラスが、とんできました。カラスたちは、かわるがわる、枝にとまっては、
「また、いやなときがはじまるねえ。まったく、冬のあいだは、食べものをさがすのがたいへんだよ」と、話しあいました。
 この木が、いちばん美しい夢を見たのは、きよらかなクリスマスの晩でした。では、わたしたちも、その話を聞くことにしましょう。
 きょうは、お祭りだな、と、カシワの木は、はっきりと感じました。気のせいか、近所の町の教会の、鐘という鐘が鳴っているようです。それに、おだやかで、暖かくて、まるで、すばらしい夏の日のようです。
 カシワの木は、生き生きとした、緑のこずえを、力づよくのばしました。お日さまの光が、葉と、枝のあいだに、ちらちらたわむれています。空気は、草や、やぶのにおいで、いっぱいです。色とりどりのチョウが、おにごっこをして、あそんでいます。カゲロウは、ダンスをしています。まるで、なにもかもが、ただ、ダンスをして、楽しむために生きているようでした。
 長い長い年月のあいだには、この木には、さまざまのことが起りました。いろいろなことも、見てきました。そうしたことが、まるで、お祭りの行列のように、つぎからつぎへと、目のまえを通りすぎていきました。
 むかしの騎士きしと貴婦人たちが、ウマに乗って、森を通っていきます。帽子には羽かざりをつけ、手にはタカをとまらせています。狩りの角笛つのぶえがひびきわたり、イヌがワンワンほえたてました。
 今度は、敵の兵士たちがあらわれました。きらびやかな服装をして、ぴかぴかの武器を持っています。やりだの、ほこやりだのを、手に手に持っているのです。兵士たちは、テントをはったり、かたづけたりしました。かがり火も、どんどんたきました。カシワの木の、ひろがった枝の下で、歌をうたい、それから眠りました。
 今度は、恋人たちが、お月さまの光をあびて、静かな幸福につつまれて、出会っています。ふたりは、自分たちの名前の、さいしょの文字を、緑がかった、灰色のみきに、ほりつけました。
 それから、だいぶたちました。あるとき、旅をして歩く、陽気な職人たちが、ことや、たてごとを、この木の枝に、かけたことがありました。それは、いまもまだ、そのまま、かかっていて、美しい音をひびかせています。
 野バトは、まるで、この木が心に感じていることを話そうとでもするように、クークー鳴きました。カッコウは、この木が、これからさき、まだまだ、たくさんの夏の日をすごさなければならないことを、うたいました。
 そのとき、カシワの木は、あたらしい命が、からだじゅうを流れるような気がしました。下のほうの、一ばんほそい根から、上のほうの、一ばん高い枝まで、そうして、葉のさきざきまでも、流れるような気がしたのです。それにつれて、なんだか、からだが、ぐんぐん、のびていくような気がしました。根のさきの感じでは、たしかに、地べたの中にさえ、命と暖かみが、あるようです。力もついてきたような気がしました。カシワの木は、ますます大きくなっていきました。みきは、すくすく伸びて、どこまでもどこまでも伸びていきます。こずえは、ますますしげって、どんどんひろがり、しかも、ぐんぐん高くなっていきます。――
 木が大きくなるにつれて、幸福な気持も高まってきました。このまま、どんどん大きくなって、しまいには、光りかがやく、暖かいお日さまのところまでとどきたい、という、楽しいあこがれも、おこってきました。
 いよいよ、カシワの木は、雲の上よりも高く、そびえたちました。雲は、まるで、黒いわたり鳥のむれか、大きな、白いハクチョウのむれのように、下のほうを流れています。
 カシワの木の葉は、まるで、一枚一枚が、目をもっているように、どんなものをも見ることができました。お星さまは、昼間でも、はっきりと見えました。とっても大きく、きらきら光っています。お星さまの一つ一つが、それはそれはやさしい、すみきった目のように、キラキラ光っているのです。それを見ると、カシワの木は、ふと、見おぼえのある、やさしい目を思い出しました。子供たちの目や、木の下で会っていた恋人たちの目です。
 ほんとうに楽しい、幸福にみちた瞬間でした。でも、こうしたよろこびを感じながらも、カシワの木は、こんなことを願いました。下に見える、森じゅうの木や、やぶや、草や、花が、みんな、わしと同じように大きくなって、このすばらしいかがやきを見て、いっしょに楽しむことができたならなあ、と。
 ありとあらゆるすばらしい夢を見ていながらも、この堂々としたカシワの木は、まだ、ほんとうに幸福にはなりきっていなかったのです。カシワの木は、まわりのすべてのものが、小さなものも、大きなものも、みんな、自分といっしょに、よろこびを感じないうちは、満足できなかったのです。こういう心からの思いをこめて、カシワの木は、枝や葉を、ぶるぶるっとふるわせました。ちょうど、人間が、胸をふるわすようにです。
 カシワの木のこずえは、なにか、たりないものをさがそうとするように、しきりに、身を動かしました。
 ふと、うしろを見ると、クルマバソウのにおいが、ぷーんとしてきました。つづいて、スイカズラとスミレのにおいが、それよりも、もっと強くしてきました。カッコウは、なんだか、自分の気持にこたえて、うたってくれているようです。
 おや、森の緑の頂が、いつのまにか、雲の上まで、顔を出してきました。見れば、下のほうから、ほかの木も、自分と同じように、ぐんぐん大きくのびています。やぶも草も、高く高く、のびあがってきます。なかには、大いそぎで、のびようとして、地べたから、根までひきぬいてしまったものさえありますよ。なかでも、いちばん早く大きくなってきたのが、シラカバです。シラカバは、ほっそりとしたみきを、白いいなずまのように、ぴちぴちとのばしてきました。枝は、まるで、緑色のしゃか、旗のように、波うって、ひろがりました。
 こうして、森ぜんたいが、大きくなってきました。かっしょくの、わた毛のはえたアシまでも、いっしょにのびてきました。小鳥たちも、あとを追って、歌をうたいました。草のくきは、長い、緑色の、絹のリボンのように、ゆれていました。そのくきの上には、バッタがすわって、羽で、すねの骨をうっては、音楽をかなでていました。
 コガネムシやミツバチは、ブンブンうなり、小鳥という小鳥は、歌をうたいました。なにもかもが、歌とよろこびにみちあふれました。それは、天までとどくかとさえ思われました。
「しかし、あの水ぎわの、小さな、青い花も、いっしょに、大きくなってこなければいかんな」と、カシワの木は言いました。「それに、あの赤いフウリンソウや、それから、小さなヒナギクもだ」
 じっさい、カシワの木は、なにもかも、自分といっしょに、大きくならせたかったのです。
「わたしたちは、いっしょよ。わたしたちは、いっしょよ」と、うたう声が、そのとき、聞えてきました。
「それにしても、去年の夏の、美しいクルマバソウは、どうしたろう。――そうそう、その前の年には、ここは、スズランが花ざかりだった。――それから、野生のリンゴの木も、ほんとうに、きれいな花を咲かせていた。――ああ、何年も何年ものあいだ、この森を美しくかざったものが、――みんな、いままで生きていたら、ここに、いま、いっしょにいられるだろうになあ!」
「わたしたちは、いっしょよ。わたしたちは、いっしょよ」という歌声が、今度は、さっきよりも高いところから、聞えてきました。いつのまにか、そんなところまで、高くとんできたようです。
「いや、これは、とても、信じられないほどの美しさだ!」と、年とったカシワの木は、よろこびの声をあげました。「わしは、なにもかも、持っているのだ。小さいものも、大きいものも。忘れたものは、一つもない。世の中に、これほどの幸福が、あるだろうか、考えられるだろうか」
「神さまの天国では、ありますよ。考えられますよ」という声が、ひびいてきました。
 カシワの木は、なおも、ずんずん大きくなっていきました。とうとう、地べたから、根が離れました。
「これ以上、うれしいことは、ないぞ」と、カシワの木は言いました。
「もう、わしをしばりつけるものは、なにもない。これから、この上ない高いところへ、光とかがやきの中へ、とんでいくことができるのだ。しかも、わしの愛するものは、みんな、いっしょなのだ。小さいものも、大きいものも。みんな、いっしょなのだ」
「みんな、いっしょに」
 これが、カシワの木の夢だったのです。
 ところが、こうして、カシワの木が夢を見ているあいだに、すさまじいあらしが、きよらかなクリスマス前夜に、海をも、陸をも、あらしまわっていたのです。海は、山のような大波を、岸にむかって、たたきつけました。カシワの木は、メリメリッとさけて、根こそぎにされてしまいました。ちょうど、根が、地べたから離れる夢を見ていた瞬間にです。カシワの木は、地べたに、どっとたおれました。この木の、三百六十五年という一生は、カゲロウにとっての一日と、同じことでした。
 クリスマスの朝になりました。お日さまがのぼったときには、あらしは、もう、すぎさっていました。教会の鐘という鐘が、おごそかに鳴りました。どの家のえんとつからも、貧乏なお百姓さんの家の、ちっぽけなえんとつからさえも、ちょうど、ドルイド教徒のさいだんからのぼる煙のように、かんしゃをこめた、ささげものの煙が、うす青く立ちのぼりました。
 海は、だんだんにしずまってきました。おきの、大きな船には、クリスマスをお祝いする、色とりどりの旗がかかげられて、美しく風にはためいていました。この船は、ゆうべの、はげしいあらしにも、負けなかったのです。
「あの木が見えないぞ、年とったカシワの木が! おれたちの目じるしだったのになあ」と、水夫たちは、言いました。「ゆうべのあらしで、たおれたんだ。あの木のかわりになりそうなものは、なにかあるかな。なんにもないなあ!」
 カシワの木は、海べで、雪のふとんの上に、長々と、横になっていました。でも、いま、みじかいけれども、こんなに心のこもった言葉を、お別れにうけたのです。
 船の上からは、讃美歌さんびかが聞えてきました。クリスマスのよろこびをうたい、キリストによる人間の魂のすくいと、かぎりない命とをたたえる讃美歌です。

うたえ、高らかに、の人よ。
ハレルヤ。しゅまれたまいぬ。
このよろこびぞ、たぐいなし。
ハレルヤ、ハレルヤ。

 なつかしい讃美歌は、空にひびきわたりました。船の上の人たちは、みんな、この歌をうたい、お祈りをしたおかげで、魂が高められたように感じました。ちょうど、クリスマスの前夜に、年とったカシワの木が、さいごの、いちばん美しい夢のなかで、高められていったようにです。





底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※(ローマ数字3、1-13-23))」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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