家じゅうの人たちの言ったこと

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 家じゅうの人たちは、なんと言ったでしょうか? まずさいしょに、マリーちゃんの言ったことを聞きましょう。
 その日は、マリーちゃんのお誕生日たんじょうびでした。マリーちゃんにとっては、いちばん楽しい日のような気がしました。小さなお友だちが、大ぜいあそびにきました。マリーちゃんは、いちばんきれいな着物を着ました。その着物は、いまでは神さまのところにいらっしゃるおばあさまから、いただいたものでした。おばあさまは、明るい美しい天国にいらっしゃるまえに、自分でこの着物をたって、ぬってくださったのです。
 マリーちゃんのお部屋へやの机の上は、いろんな贈り物で、ピカピカかがやいていました。たとえば、この上もなくかわいらしいお台所。それには、ほんとのお台所にいるものが、のこらずついていました。それから、お人形。このお人形は、おなかを押すと、目をくるくるまわして、キューッ、と、いいました。そのほか、すてきにおもしろいお話の書いてある絵本もありました。もっとも、それには、字が読めなければ、だめですけど。
 けれども、どんなお話よりももっとすてきなのは、お誕生日をたくさん、むかえることでした。
「ええ、一日一日、生きていくことが、とっても楽しいわ!」と、マリーちゃんは言いました。名づけ親がそれを聞いて、これこそ、いちばん美しい物語だと、言いました。
 おとなりの部屋を、ふたりのにいさんが、歩いていました。ふたりとも、大きな子で、ひとりは九つ、もうひとりは十一でした。このふたりも、一日一日が、とっても楽しそうでした。といっても、マリーちゃんのような、小さい子供ではありませんから、その生きかたも、マリーちゃんとはちがっていました。
 ふたりは、元気のいい小学生で、学校の成績は、「優」でした。毎日、友だちとふざけて打ちあいをしたり、冬にはスケートをしたり、また夏には自転車を乗りまわしたりしました。それから、騎士城や、引上げ橋や、城内のろうごくの話を読んだり、アフリカ奥地の探検の話を聞いたりしました。
 ひとりのにいさんは、自分が大きくならないうちに、なにもかも、発見されてしまうのではないかと思って、心配しました。それで、冒険旅行に出たがっていました。人生がいちばんおもしろい冒険の物語だよ、その中には、自分じしんがはいっているんだから、と、名づけ親は言いました。
 この子供たちは、こうして、毎日毎日、部屋のなかで、わいわいさわぎまわっていました。
 さて、その上の二階には、この一家からわかれた、家族が住んでいました。そこにも、子供がいました。といっても、もう大きくて、子供とはいえない人たちでした。ひとりの息子むすこは十七で、もうひとりは二十。三番目の人は、それよりももっと年上よ、と、マリーちゃんは言っていました。この息子は二十五で、婚約していました。
 三人の息子は、みんな幸福でした。いい両親はありますし、いい着物は着られますし、それに、すぐれた才能にもめぐまれていましたから。みんなは、それぞれ、自分の好きなものになろうと思いました。
「進め! 古い板べいなんか、みんな取りはらってしまえ! 広い世の中を、自由に見わたすんだ。世の中くらい、おもしろいものはないからなあ。名づけ親のおじさんの、おっしゃるとおりさ。人生こそ、いちばん美しい物語なんだ!」
 おとうさんとおかあさんは、ふたりとも、かなりの年でした、――もちろん、子供たちより、年上にはちがいありません――ふたりは、口もとに、ほほえみをうかべ、目と心にもほほえみをたたえて、こう言いました。
「若い者は、なんて元気がいいんだろう! 世の中は、みんなが思うようなものではないが、ともかく世の中なんだ。人生というのは、じっさい、ふしぎな、おもしろい物語だよ」
 さて、そのもう一つ上の部屋に、――世間では、屋根裏部屋に住むと、天国にすこし近くなったと、よく言いますが、――その屋根裏部屋に、名づけ親が住んでいました。名づけ親は、年こそとっていましたが、気持はたいへん若くて、いつも上きげんでした。そして、長いお話を、たくさん知っていました。この人は世界じゅうを旅行していました。それで、この人の部屋には、いろんな国の美しいものが、いっぱい飾ってありました。
 天井から床まで、何枚もの絵がかけてあり、窓には、赤と黄色のガラスがいくつもはまっていました。その窓ガラスをとおして外を見ると、空が灰色にくもっているときでも、世の中ぜんたいが、お日さまに明るく照らされているようでした。
 大きなガラス箱の中に、緑の植物が植えてありました。その中の、小さくしきった場所で、キンギョが泳いでいました。キンギョは、なにかあるものを、見つめていました。そのようすは、まるで、ひとに話したくないことを、たくさん知っているようでした。
 この部屋は、一年じゅう、冬のあいだでさえも、花のにおいがしていました。だんろでは、火があかあかと燃えていました。そのまえにすわって、ほのおを見つめながら、火がパチパチ燃えるのを聞いているのは、まことに気持のよいものです。
「ほのおが、わしのために、古い思い出を読んでくれる!」と、名づけ親は言いました。マリーちゃんにも、ほのおの中に、いろんなものの姿が見えるような気がしました。
 そのすぐそばにある、大きな本棚ほんだなには、ほんものの本が、ぎっしりつまっていました。名づけ親は、その中の一冊を、よく読んでいました。そしてその本のことを、書物の中の書物だ、と、呼んでいました。それは聖書でした。その中には、全世界の、そして人類ぜんたいの歴史が、お話になって書かれているのです。天地創造の話だとか、洪水こうずいの話だとか、いろんな王さまや、また王さまの中の王さまの話などが。
「世の中に起ったことも、これから起ることも、みんな、この本のなかに書かれているんだよ」と、名づけ親は言いました。「たった一冊の本のなかに、かぎりないほどたくさんのことが、書かれているんだよ。まあ、考えてもごらん。人間がお願いしなければならない、あらゆることが、この『主の祈り』のなかに、わずかの言葉で、言いあらわされているんだよ!
 これは、めぐみのつゆだよ。神さまがくださる、なぐさめのしんじゅなのだよ。それは、贈り物として、子供のゆりかごの上におかれ、子供の胸の上におかれる。
 小さい子供たちよ、それをだいじにしなさい。大きくなっても、それをなくすのではないよ。そうすれば、道にまようようなことは、けっしてないからね。それは、おまえの心の中を明るく照らし、それによって、おまえはまようことはないのだよ」
 そう言う名づけ親の目は、よろこびに明るくかがやきました。この目も、むかし、若いころには、泣いたこともあるのです。
「だが、あれもまた、あれでよかったのだ」と、名づけ親は言いました。「あれは、神さまがためされる時だった。あのころは、なにもかもが、灰色に見えたものだった。
ところが、いまは、わしのまわりにも、わしの心のなかにも、お日さまが光りかがやいている。人間というものは、年をとればとるほど、不幸にせよ、幸福にせよ、神さまがいつもついていてくださること、そして、この人生こそ、いちばん美しい物語だということが、よくわかってくるのだ。これは、神さまだけが、われわれにおあたえくださることができるのだ。そして、これは、永遠につづくのだよ!」
「一日一日、生きていくことが、とっても楽しいわ!」と、マリーちゃんは言いました。
 小さい子も、大きい子も、同じことを言いましたし、おとうさんとおかあさんも、言いました。家じゅうの人たちが、そう言いました。けれども、だれよりもさきに、名づけ親がそう言いました。名づけ親は、世の中のことをたくさん知っていて、みんなの中で、いちばん年をとっていました。どんなお話でも、どんな物語でも知っていますよ。その名づけ親が、心の底から、こう言ったのです。
「人生こそ、いちばん美しい物語だよ!」





底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※(ローマ数字3、1-13-23))」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年6月27日作成
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