旅の仲間

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 かわいそうに、ヨハンネスは、たいそう悲しんでいました。むりもありません。おとうさんが重い病気で、もう、たすかるのぞみがなかったのですからね。この小さな部屋へやには、ヨハンネスとおとうさんのほかには、だれもいませんでした。テーブルの上のランプは、いまにも、燃えきってしまいそうでした。もう、夜もすっかりふけていました。
「おまえはいい子だったね、ヨハンネス」と、病気のおとうさんは言いました。「世の中へ出ても、きっと、神さまがたすけてくださるよ」
 こう言って、おとうさんは思いつめた目つきで、やさしくヨハンネスを見つめました。それから、深い息をつくと、それなり死んでしまいました。見たところでは、まるで、眠っているとしか見えません。
 ヨハンネスは、わっと泣き出しました。いまは、この世の中に、おとうさん・おかあさんもいなければ、ねえさんや妹も、にいさんや、弟も、だれひとりいないのです。ああ、かわいそうなヨハンネス! ベッドの前にひざをついて、死んだおとうさんの手にキスをしました。そして、さめざめと泣いて、あつい涙をたくさん流しました。けれども、そうしているうちに、いつのまにか、両方の目がふさがって、とうとう、ベッドのかたい足に、頭をもたせかけたまま、眠りこんでしまいました。
 すると、ヨハンネスは、ふしぎな夢を見ました。夢の中では、お日さまとお月さまとが、自分におじぎをするのです。それから、おとうさんが、またもとのように、元気になっているのです。そして、何かうれしいときによく笑う、あの、いつもの、おとうさんの笑い声が聞えるのです。長い、きれいな髪の毛に、金のかんむりをかぶった、美しい少女が、ヨハンネスに手をさしのべました。すると、おとうさんが、
「すばらしいお嫁さんをもらったもんだな。世界一きれいだよ」と言いました。
 そのとたんに、目がさめて、楽しかった夢は、消えうせてしまいました。おとうさんは、やっぱり死んでいて、ベッドの中につめたく、横たわっています。あたりを見まわしても、ほかには、だれひとりいません。ああ、かわいそうなヨハンネス!
 つぎの週に、お葬式そうしきをしました。ヨハンネスは、おかんのすぐうしろについていきました。あんなに自分をかわいがってくれた、大好きなおとうさんの顔を見るのも、いよいよ、きょうかぎりです。やがて、人々がお棺の上に、土を投げかける音がしました。でも、まだ、お棺のいちばんはしは見えています。けれども、シャベルで、土をもう一すくいして投げかけると、それも見えなくなりました。ヨハンネスは、悲しくて悲しくてたまりません。あんまり悲しいので、いまにも、胸がはりさけそうでした。
 お墓のまわりで、みんなが讃美歌をうたいはじめました。その歌が、心の中までしみとおるようにひびきましたので、ヨハンネスの目には、涙がうかんできました。ヨハンネスは泣きました。でも、泣いたために、かえって、悲しみが、いくらかまぎれました。
 お日さまが、緑の木々を、明るく照らしていました。まるで、こんなふうに、言っているようでした。
「そんなに悲しんではいけないよ、ヨハンネス。まあ、ごらん。お空があんなにきれいに、青々としているだろう。あの上に、いま、おまえのおとうさんはいるのだよ。そうして、おまえがいつもしあわせでいられるようにと、神さまにお願いをしているのだよ」
「ぼくは、いつまでも、よい人でいます」と、ヨハンネスは言いました。
「そうして、いつかは、天国のおとうさんのところへ行きます。ああ、おとうさんに、また会えたら、どんなにうれしいでしょう。ぼくには、おとうさんにお話ししてあげることが、いっぱいあるんです。おとうさんも、きっとまた、この世の中に生きていたときと同じように、ぼくにいろんなものを見せてくださったり、天国のすばらしいことを、たくさんお話ししてくださるでしょう。ああ、そうなったら、どんなにうれしいかしれません」
 ヨハンネスは、そのときのありさまを、心の中に思いうかべてみました。すると、涙がまだ、ほおをつたわり落ちているというのに、思わず知らず、にっこりとほほえみました。小鳥たちは、トチノキのこずえにとまって、ピーチク、ピーチク、さえずっていました。お葬式にきているのに、小鳥たちがこんなにうれしそうにしていたのには、ちゃんと、わけがあったのです。というのも、小鳥たちは、死んだおとうさんが、いまは天国で、自分たちの羽よりも、ずっと大きなつばさを持っているということや、また、おとうさんはこの世の中でよいことをした人でしたから、いまではしあわせになっているということを、すっかり知っていたからです。
 ヨハンネスは、小鳥たちが、緑の木々を離れて、遠い世界へとんでいくのを見ると、自分もいっしょにとんでいきたくなりました。でも、それよりさきに、おとうさんのお墓の上に立てるように、大きな木の十字架じゅうじかをつくりました。ヨハンネスは、夕方、それを持って、お墓へ行きました。ところが、どうでしょう。お墓には、きれいに砂がもってあって、そのうえ、花まで飾ってあるではありませんか。これは、よその人たちが、しておいてくれたのです。というのは、死んだおとうさんは、みんなにたいそう好かれていたからでした。
 あくる朝早く、ヨハンネスは、小さなつつみをこしらえました。そして、おとうさんの、のこしてくれた五十ターレルと、いくつかのシリング銀貨を、みんな、帯の中へしまいこみました。いよいよ、これから、広い世の中へ出ていこうというのです。でも、出かけるまえに、まず、おとうさんのお墓におまいりして、「主の祈り」をとなえました。そして、こう言いました。
「おとうさん、さようなら。ぼくは、いつまでもよい人間でいますよ。だから、ぼくがしあわせになれるように、神さまにお願いしてくださいね」
 ヨハンネスが野原を歩いていくと、どの花もどの花も、暖かなお日さまの光をあびて、それはそれは美しく、いきいきとしていました。風にゆられながら、みんなは、うなずいてみせました。そのようすは、まるで、「よく来ましたね。ここは青々としていて、きれいでしょう」と言っているようでした。
 ヨハンネスは、もう一度、うしろをふりむいて、古い教会にお別れをつげました。この教会で、ヨハンネスは、赤んぼうのとき、洗礼をうけたのです。日曜日ごとに、いつも、おとうさんといっしょに、この教会へ行っては、讃美歌をうたったものでした。
 そのとき、ふと見ると、塔のてっぺんの小窓のところに、赤いとんがり帽子をかぶった、小さな教会の妖精ようせいが立っていました。妖精は、お日さまの光が目にあたらないように、手をひたいにかざしています。ヨハンネスは、さようなら、というつもりで、妖精にむかって頭をさげました。すると、ちっぽけな妖精のほうでも、赤い帽子をふったり、手を胸にあてて、幾度も幾度も、キスを投げたりしてくれました。こうして、ヨハンネスがしあわせでいるように、そしてまた、楽しい旅をすることができるように、願っていることを、見せようとしたのです。
 大きな、すばらしい世の中へ出ていったら、さぞかし、たくさんの、美しいものが見られるだろうなあ、と、ヨハンネスは思いました。そこで、さきへさきへと、ずんずん歩いていきました。とうとう、今までに一度も来たことのない、遠いところまで来てしまいました。通りすぎる町も、見たことがありませんし、出会う人たちも、だれひとり見知った人はいません。もう、ヨハンネスは、遠い、よその国へ来てしまったのです。
 さいしょの晩は、野原のまん中の、かれ草の山の上で、眠りました。それよりほかには、寝床がなかったのです。けれども、この寝床は、とってもすてきでした。どんな王さまだって、こんなすてきな、寝床はもっていらっしゃらないだろう、と、ヨハンネスは思いました。
 小川の流れている、広い広い野原、かれ草の山、見わたすかぎり広がっている青い空。なんとすばらしい寝室ではありませんか。赤だの白だの、小さな花の咲いている、緑の草原は、しきものです。ニワトコの茂みと、野バラの生垣いけがきは、花たばです。顔をあらうのには、きれいな、つめたい水の流れている小川がありました。そこでは、アシがおじぎをして、「おやすみ」とか、「おはよう」と言っていました。お月さまは、青い天井に高くかかっている、大きな大きなランプです。このランプなら、カーテンを燃やす心配はありません。ですから、ヨハンネスは、安心して、眠ることができました。そして、ほんとうにぐっすりと眠ったので、あくる朝、目がさめたときには、もうお日さまが高くのぼって、小鳥たちがまわりで歌をうたっていました。
「おはよう、おはよう。まだ起きないの?」
 鐘の音が、教会からひびいてきました。きょうは、ちょうど、日曜日だったのです。人々はお説教を聞きに、教会へ行きました。ヨハンネスも、みんなのあとからついていって、いっしょに讃美歌をうたい、神さまのお言葉を聞きました。そうしていると、小さいときに洗礼をうけて、それからもたびたび、おとうさんといっしょに讃美歌をうたった、あのなつかしい教会にいるような気がしてなりませんでした。
 教会のうらの墓地には、ずいぶんたくさんのお墓がありました。中には、草がぼうぼうに生えているお墓も、いくつかありました。それを見ると、ヨハンネスは、おとうさんのお墓を思い出しました。おとうさんのお墓も、いつかは、こんなふうになってしまうかもしれません。だって、いまは、自分で草をとったり、おそうじをしてあげることができないのですから。
 そこで、ヨハンネスは、地べたにすわりこんで、草をぬいたり、たおれている木の十字架を立てなおしたり、風のためにお墓から吹きとばされた花輪を、もとのところへおいたりしました。心の中では、「もしかしたら、だれかが、おとうさんのお墓を、こういうようにしてくれるかもしれない。ぼくには、いま、自分でしてあげることができないんだもの」と思っていました。
 墓地の門の前に、ひとりの年とったこじきが、松葉杖まつばづえにすがって、立っていました。ヨハンネスは、持っていたシリング銀貨を、のこらずやりました。それから、気もはればれとして、元気よく、また広い世の中へと歩いていきました。
 夕方から、おそろしくひどい天気になりました。ヨハンネスは、どこかにとまるところはないかと思って、いそいで歩いていきました。ところが、まもなく、まっ暗になってしまいました。それでも、やっとのことで、丘の上にたった一つ、ぽつんと立っているお堂に、たどりつきました。ありがたいことに、とびらが、すこしあいていました。ヨハンネスは、そこから中にはいって、あらしがやむまで、ここで待つことにしました。
「このすみっこに、腰かけるとしよう」と、ヨハンネスは言いました。「すっかりくたびれちゃった。すこし、休まなくちゃいけない」
 こう言いながら、ヨハンネスは、そこにひざまずき、手を合せて、夜のお祈りをとなえました。それから、いつのまにか、眠りこんで、夢を見ていました。外では、そのあいだも、いなずまがピカピカ光り、かみなりがゴロゴロ鳴っていました。
 ヨハンネスが、目をさましたときは、もう、ま夜中でした。あらしは、とっくにすぎさっていて、お月さまが、窓から、ヨハンネスのところまで、明るくさしこんでいました。お堂のまん中に、ふたのしてない、お棺がおいてあって、その中に、死んだ人がはいっていました。この人は、まだお葬式をしてもらっていなかったのです。
 ヨハンネスは、それを見ても、心の正しい子供でしたから、ちっともこわくはありませんでした。それに、死んだ人は、なんにもわるいことはしないということも、よく知っていました。わたしたちにめいわくをかけたりするのは、生きている、わるい人たちだけなのですからね。ところが、そういうよくない、生きている人間がふたり、死んだ人のお棺のそばに立っていました。このふたりは、ほんとうによくないことをしようとしていました。死んだ、このかわいそうな人を、お棺の中に、そっと寝かしておかないで、お堂の外へほうり出してしまおうとしていたのです。
「どうして、そんなことをするんですか?」と、ヨハンネスはたずねました。「わるいことじゃありませんか。その人を、どうかそこに、休ませておいてあげてください」
「ばかやろう」と、ふたりのひどい男は、言いました。「こいつは、おれたちをだましたんだぞ。おれたちから、金をかりておきゃあがって、返しもしねえうちに、死んじまやがったんだ。おれたちにゃ、一円だってはいりゃしねえ。だから、そのかたきをとってやろうってのよ。こいつを、イヌみたいに、お堂の外へおっぽり出しちまうんだ」
「ぼくには、五十ターレルしかありませんが」と、ヨハンネスは言いました。「でもこれは、おとうさんがのこしてくれた、お金のぜんぶなんです。もしおじさんたちが、そのかわいそうな死んだ人を、そっとしておいてあげると、約束してくださるんなら、このお金をあげましょう。ぼくは、お金がなくったって、平気です。ぼくには、こんなにじょうぶで、強い手足があるんですもの。それに、神さまは、いつだって、ぼくをたすけてくださるんです」
「ふん、そうか。おめえが、こいつの借りをはらおうってんなら、おれたちゃ、なんにもしねえよ。約束すらあ」と、そのひどい男たちは言って、ヨハンネスの出したお金をうけとると、こいつは、なんて人のいいこぞうだ、と、笑いながら、行ってしまいました。
 ヨハンネスは、死んだ人を、お棺の中にもう一度ちゃんと寝かせて、手をくみあわせてやりました。それから、さようならをいって、心も楽しく、大きな森の中を、ずんずん歩いていきました。
 あたりを見ると、木の枝のあいだからもれてくる、お月さまの光の中で、かわいらしい、小さな妖精たちが、いかにも楽しそうに、あそんでいます。妖精たちは、ヨハンネスがやさしい、よい子供だということを知っていましたので、さわいだり、逃げたりしないで、そのままあそんでいました。妖精の姿を見ることができないのは、わるい人たちだけなんですよ。
 妖精たちの中には、指の大きさくらいしかないのもいました。みんな、長い金色の髪の毛を、金のくしでかきあげていました。見れば、小人こびとたちは、ふたりずつに別れて、木の葉や、高い草の上にたまっている、大きな露のしずくの上で、玉乗りあそびをしていました。ときどき、しずくがころがり落ちると、その上に乗っている小人たちも、長い草のくきのあいだに、ころがり落ちました。すると、ほかの小人たちは、きゃっきゃっと笑って、大さわぎをしました。なんて、おもしろおかしいんでしょう! 妖精たちは、歌もうたいました。それは、ヨハンネスが小さいころにおぼえた、美しい歌でした。
 銀のかんむりをかぶった、きれいな大きいクモが、生垣から生垣へとわたり歩いて、長いつり橋をかけたり、御殿をつくったりしていました。その上にきれいな露がおりて、それが、明るいお月さまの光をうけると、まるで、光りかがやく水晶すいしょうのように見えました。こうして、お日さまがのぼるまで、みんなは、楽しくあそびつづけました。けれども、お日さまがのぼるといっしょに、小さな妖精たちは、花のつぼみの中にはいってしまいました。橋だの、御殿だのは、風に吹かれて、大きなクモの巣のように、空にとび散りました。
 ヨハンネスが、ちょうど森から出たときです。うしろのほうから、大きな声で、
「おーい、旅の人。どこへ行くのかね?」とさけぶ、男の声が聞えました。
「広い世の中へ!」と、ヨハンネスは答えました。「ぼくは、おとうさんもおかあさんもない、あわれなものなんです。でも、神さまが、きっと、たすけてくださるんです」
「わたしも、広い世の中へ出たいんだよ」と、その知らない男は言いました。「どうだね、ふたりで仲間になって、行かないかね?」
「ええ、いいですよ」と、ヨハンネスは言いました。それから、ふたりは、いっしょに歩いていきました。ふたりとも、よい人たちでしたから、すぐに、仲よしになりました。けれども、ヨハンネスは、旅の仲間が、自分よりもずっとりこうなのに、すぐ気がつきました。この人は、いままでに、ほとんど世界じゅうを歩きまわっていて、なんでも知っているのです。
 お日さまは、もう、高くのぼっていました。そこで、ふたりは、とある大きな木の下に、腰をおろして、朝御飯を食べようとしました。
 すると、そこへ、ひとりのおばあさんがやってきました。見れば、まあ、なんという年よりでしょう! それこそ、もうよぼよぼで、腰もすっかりまがっているのです。それでも、おばあさんは、つえにすがって、背中には、森の中で集めてきた、まきを一たば、しょっていました。前にからげた前かけの中からは、シダとヤナギの枝でつくった、大きなむちが三本、のぞいていました。
 おばあさんは、ふたりのそばまで来たとき、つるりと足をすべらせて、ころびました。いたいっ、と、おばあさんは、大きな声をあげました。むりもありません。ころんだ拍子に、片方の足をくじいてしまったのですもの。ほんとうに、気の毒なおばあさんです。
「ふたりで、このおばあさんを、うちまで連れていってあげましょうよ」と、すぐに、ヨハンネスが言い出しました。ところが、旅の仲間は、はいのうを開いて、小さな箱をとり出しました。そして、こう言うのです。
「この中に、こうやくがはいっているんだよ。これをおばあさんの足にぬってやれば、すぐになおるんだよ。そうすれば、おばあさんは、もとのように元気になって、ひとりで歩いて帰れるんだよ」それから、おばあさんにむかって、言いました。「おばあさん、足をなおしてあげるかわりに、その前掛けの中にある、三本のむちをくださいよ」
「そりゃ、高すぎますよ」と、おばあさんは言って、みょうなふうに頭をふりました。そのむちは、どうしても、やりたくなかったのです。そうかといって、足をくじいたまま、こうしてたおれているのも、いやです。それで、おばあさんは、しかたなく、そのむちをわたすことにしました。
 おばあさんは、くじいた足に、こうやくをぬってもらうと、すぐに立ちあがって、前よりも元気に歩いていきました。もちろん、そうなったのも、こうやくのおかげです。といっても、このこうやくは、どこのくすり屋ででも、買えるというわけのものではありません。
「そんなむちを、どうするんですか?」と、ヨハンネスは旅の仲間にたずねました。
「これで、きれいな花たばが三つできるよ」と、旅の仲間は言いました。「わたしは、こういうものが好きでね。かわりものだからさ」
 それから、ふたりは、また、かなり歩いていきました。
「あっ、天気がわるくなってきますよ」と、ヨハンネスは、言いながら、むこうの空を指さしました。「あんなにおそろしい黒雲が、むくむくと出てきましたよ」
「いやいや、あれは雲じゃない。山だよ。しかも、山も山、大きな、りっぱな山なんだよ。てっぺんにのぼれば、雲の上に出て、すがすがしい空気がすえるんだ。まったくすばらしいよ。あしたは、きっと、あの山をこえて、もっとさきの広い世の中へ、行ってるだろう」と、旅の仲間は言いました。山は、見かけほど近くはありませんでした。ふたりが、山のふもとまで行くのに、まる一日かかってしまいました。山には、黒々とした森が、空にむかって、まっすぐつき立っていました。それから、町くらいもありそうな、ものすごく大きな岩もありました。こんな山をのぼるのは、さぞかし、骨がおれるにちがいありません。そこで、ヨハンネスと旅の仲間は、まず、宿屋にはいりました。ここで、ゆっくり休んで、あしたの山のぼりのために、元気をつけておこうと思ったのです。
 宿屋の一階にある大きな酒場には、大ぜいの人が集まっていました。それというのも、人形芝居をする男が来ていたからです。ちょうどいま、人形つかいが、小さな舞台をこしらえおわったところでした。みんなは、芝居を見物しようとして、ぐるりと、そのまわりに、腰をおろしていました。いちばん前の、しかもいちばんいい席には、でっぷりとした、肉屋の親方おやかたが、腰かけていました。おとなりには、親方の大きなブルドッグがすわって、みんなと同じように、目玉をぐりぐりやっていました。おまけに、いまにもかみつきそうな顔をして。
 さて、芝居がはじまりました。王さまとおきさきさまの出てくる、おもしろい芝居でした。おふたりは、頭に金のかんむりをかぶり、長いすそをうしろにひいて、それは美しい玉座に腰をおろしていました。おふたりは、たいへんなお金持でしたから、こんなりっぱなかっこうをしていることができたのです。ガラスの目をした、大きな八の字ひげのある、すてきにかわいらしい木の人形が、ドアというドアのところに立っていました。そして、あたらしい空気を部屋の中に入れるために、ドアをあけたり、しめたりしていました。
 芝居のすじは、たいそうおもしろいもので、悲しいところなどは、すこしもありませんでした。ところが、お妃さまが立ちあがって、床を歩こうとしたときです。あの大きなブルドッグめは、いったい、なにを考えたというのでしょう。ふとった肉屋の親方がおさえなかったものですから、いきなり、舞台の上にとびあがって、お妃さまのほっそりした腰に、がぶりとかみついたのです。メリメリッという音がしました。いやはや、なんともおそろしいことです!
 かわいそうに、人形つかいは、びっくりぎょうてん。こわれたお妃さまのことを、心からなげき悲しみました。なぜって、このお妃さまは、この人の持っている人形の中で、いちばんきれいな人形なのでしたから。それなのに、いま、このにくらしいブルドッグめが、頭をかみ切ってしまったのです。
 ところが、人々が、みんな行ってしまうと、ヨハンネスの旅の仲間が、その人形を、もとのようになおしてあげましょう、と言い出しました。そして、あの小さな箱をとり出して、人形にこうやくをぬってやりました。そら、前にも、かわいそうなおばあさんが足をくじいたとき、ぬって、なおしてやった、あのこうやくですよ。
 それをぬったとたんに、人形は、もとどおりになりました。いやいや、それどころか、今度は、ひとりで、手足を動かすことができるようにさえなりました。これなら、もう、だれも、糸であやつってやる必要はありません。この人形は、ただ話すことができないだけで、あとは、生きている人間と、なんのかわりもなくなりました。人形芝居の親方は、心からよろこびました。だって、そうでしょう。この人形は、ひとりで踊れるんですからね。もうこれからは、手で持っていなくてもいいわけです。こんなまねのできる人形は、ほかにはありません。
 やがて、夜がふけました。宿屋の人たちは、みんな、寝床にはいりました。すると、どこかで、だれかが、深いため息をついています。しかも、そのため息が、いつまでもいつまでもつづくのです。そこで、みんなは、もう一度起きあがって、だれだろうと、見に行きました。人形芝居の親方は、どうも、そのため息が、自分の小さな舞台のほうから、聞えてくるような気がしました。そこで、行ってみると、木の人形たちは、王さまをはじめ、王さまをまもっている兵隊たちまで、みんなかさなりあって、横になっています。この人形たちが、大きなガラスの目で、どこともなく、じいっと見つめながら、あんなあわれなため息をついているのでした。なぜって、みんなも、お妃さまと同じように、ちょっとこうやくをぬってもらって、ひとりで動くことができるようになりたかったのです。
 お妃さまは、すぐにひざをついて、りっぱな金のかんむりを高くささげながら、
「これをさしあげますから、どうか、わたしの夫と家来たちに、くすりをぬってやってくださいませ」と、たのみました。
 それを聞くと、この芝居の舞台と、ぜんぶの人形を持っている男は、かわいそうになって、思わず、涙ぐみました。この人は、心の底から、人形たちがかわいそうになったのです。そこで、さっそく、旅の仲間にむかって、
「四つか五つでけっこうですから、この中のいちばんきれいな人形に、くすりをぬってやってください。そうすれば、あしたの晩、芝居をやって、もうけたお金は、のこらず、あなたにさしあげます」と、申し出ました。
 ところが、旅の仲間は、
「あなたが腰にさげている、そのサーベルをください。ほかには、なんにもいりません」と、答えました。そして、サーベルをもらうと、旅の仲間は、六つの人形にこうやくをぬってやりました。すると、人形たちは、みるみるうちに、踊り出しました。その踊りのかわいらしいことといったら、人間の娘たちまでが、それを見ていた、ほんとうの人間の娘たちまでが、いっしょに踊りだしたくらいです。すると、今度は、御者ぎょしゃと料理女も踊り出しました。つづいて、下男と女中たちも、見ていたお客さんたちも、みんな踊りはじめました。そればかりではありません。じゅうのうと、火ばしまでも、踊り出したのです。けれども、じゅうのうと、火ばしは、さいしょに一はねしたとたんに、ひっくりかえってしまいました。いやもう、なんともいえない、ゆかいな晩でした。――
 あくる朝、ヨハンネスと旅の仲間は、みんなに別れをつげて、高い山をのぼりはじめました。大きなモミの木の森を通って、ずいぶん高くのぼっていきました。やがて、下のほうに見える教会の塔は、いちめんの緑にかこまれて、小さな赤いイチゴのようになりました。山の上からは、まだ行ったこともない、何マイルも何マイルも遠くのほうまで、見わたすことができました。こんなに美しい世界の、こんなにたくさんのすばらしいものを、いっぺんに見たことは、まだ一度もありませんでした。
 お日さまは、すがすがしい青い空から、それはそれは暖かく照っていました。かりゅうどたちが、山の中で吹いている角笛のひびきも、聞えてきました。その音色ねいろは、たとえようもないほど美しくて、心にしみ入るようでした。ヨハンネスの目には、ひとりでに、よろこびの涙が浮んできました。そして、思わず知らず、こう言いました。
「ああ、おなさけ深い神さま。ぼくは、あなたにお礼のキスをいたします。あなたは、ぼくたちみんなに、こんなに親切で、この世の中の、ありとあらゆる美しいものをくださったんですもの」
 旅の仲間も、手をあわせて、立っていました。そして、暖かなお日さまの光をあびながら、森や町をながめわたしていました。
 そのとき、頭の上で、びっくりするほど美しい声がしました。見ると、大きな白いハクチョウが一羽、空をとんでいます。姿が美しいばかりか、そのうたう歌声は、いままで、どんな鳥からも聞いたことがないくらいでした。ところが、その歌声が、だんだん弱ってきました。と思っているうちに、ハクチョウは頭をたれて、ゆっくりと、ふたりの足もとに落ちてきました。そして、それなり、この美しい鳥は死んでしまいました。
「この鳥のつばさは、こんなに白くて大きいし、それに、こんなにきれいだから、二枚そろっていれば、きっと、お金になる。これを持っていこう。それそれ、サーベルをもらっておいたのが、こんなとき、役にたつだろう」と、旅の仲間は言いながら、死んだハクチョウのつばさを二枚、さっと切り落して、それを持っていきました。
 ふたりは、それからも山をこえて、何マイルも何マイルも旅をつづけました。とうとう、大きな町が、むこうのほうに見えてきました。何百という、たくさんの塔が、お日さまの光をあびて、銀のようにかがやいています。町のまん中には、赤い金の屋根をいただいた、りっぱな大理石の御殿がありました。そこに、この国の王さまが住んでいたのです。
 ヨハンネスと旅の仲間は、すぐに、町の中へはいっていかないで、町はずれの、とある宿屋によりました。町中を歩くとき、きちんとしたかっこうでいられるように、ここで身なりをととのえておこうと思ったのです。宿屋の主人は、ふたりにむかって、こんな話をしました。
「この国の王さまは、たいへんおやさしい、よい方で、どんな人をも苦しめるようなことはなさいません。それなのに、お嬢さまといったら、ほんとになさけない話ですが、それはひどいお姫さまなんですよ。おきれいなことは、たしかに、おきれいです。お姫さまくらいお美しくて、人の心をまよわすような方は、どこにもいませんでしょう。でも、そんなことが、なんになりましょう。と申しますのも、お姫さまは、ほんとうは、たちのわるい魔女なんですからね。りっぱな王子さまがたが、大ぜい命をなくされたのも、みんな、この方のためなんです。
 お姫さまには、どんな人が結婚を申しこんでも、さしつかえないことになっています。その人が、王子さまであっても、たとえ、こじきであっても、そんなことはかまいません。だれでもよろしいのです。ただ、その人は、お姫さまのお出しになる三つのなぞを、うまくとかなければなりません。もし、うまくとければ、お姫さまをお嫁さんにして、お姫さまのおとうさまが、おなくなりになったあとは、この国の王さまになれるというわけです。しかし、なぞがうまくとけない場合は、たいへんでして、その人は、その場で首をくくられるか、切られるかしてしまうのです。お姫さまは、お美しいのに、こんなにもひどい方なんですよ。
 お年よりの王さまは、このことを、たいそう悲しんでいらっしゃいます。けれども、そんなひどいことをしてはいけないと、お姫さまにおっしゃれないわけがあるんです。じつは、王さまは、以前に、
『おまえのところへ結婚を申しこんでくるものについては、なにも口を出さんことにする。おまえの好きなようにしなさい』と、お姫さまにおっしゃったことがあるものですからね。
 王子さまが、方々からおいでになって、お姫さまをもらおうと思って、なぞをとこうとなさいます。けれども、そのたびに、いつもうまくいかないで、首をくくられるか、切られるかしてしまうんです。むろん、そんなときには、町の人たちは、前もって王子さまがたに、結婚の申しこみをするのはおよしなさいと、とめはするんですがね。
 お年よりの王さまは、たびたび、こういう悲しい出来事が起るのを、心からなげいていらっしゃいます。年に一度は、かならず、兵隊たちといっしょに、一日じゅう、神さまのまえにひざまずいて、
『姫が、どうか、よい人間になってくれますように』と、お祈りをなさいます。
 しかし、そうなさっても、やっぱりお姫さまは、もとのままで、少しもおかわりになりません。町のおばあさんたちは、ブランデーを飲むときには、まず、まっ黒にしてから飲みます。そのくらい、みんなは、悲しんでいるんですよ。しかし、それ以上は、どうすることもできないのです」
「ひどいお姫さまだなあ!」と、ヨハンネスは言いました。「そんなお姫さまこそ、ほんとうに、むちで打ってやるといい。そうすれば、すこしはよくなるかもしれない。もしぼくが、お年よりの王さまだったら、うんと、ひどいめにあわせてやるんだがなあ!」
 そのとき、おもてで、人々が、ばんざい、ばんざい、とさけぶ声が、聞えてきました。見れば、お姫さまのお通りです。なるほど、お姫さまは、たいそう美しい方です。そのため、だれもかれもが、お姫さまがひどい方であることも忘れて、ばんざい、ばんざい、とさけんでいるのでした。
 白い絹の着物を着た、十二人の美しい少女たちが、手に金のチューリップを持ち、まっ黒なウマに乗って、おそばにしたがっていました。お姫さまはと見れば、ダイヤモンドとルビーで、キラキラとかざりたてた、雪のようにまっ白なウマに乗っていました。お姫さまの乗馬服は、金の糸で織ってありました。手に持っているむちは、お日さまの光のようにさえ思われました。頭にいただいている金のかんむりは、まるで、夜空にきらめく星のようでした。がいとうは、何千もの、きれいなチョウの羽を集めて、ぬいあわせたものでした。それでも、お姫さまのほうが、こんな着物よりも、まだまだずっと美しかったのです。
 ヨハンネスは、お姫さまを一目見たとたん、まるで顔から血がしたたっているように、まっかになりました。ひとことも、口をきくことができません。このお姫さまこそ、おとうさんが死んだ晩に見た、夢の中の、あの、金のかんむりをかぶった、美しい少女にそっくりです。お姫さまがあんまり美しいので、ヨハンネスは、たちまち、大好きになりました。みんなの話だと、このお姫さまは、なぞをうまくとくことのできない人たちの、首をくくらせたり、切らせたりする、わるい魔女だということです。でも、そんなことは、うそにちがいない、と、ヨハンネスは心に思いました。
「そうだ。だれでも、お姫さまに結婚の申しこみをすることができるという話だ。たとえ、どんなに貧しいこじきでも。よし、ぼくも、これから御殿へ出かけよう。だって、もう、じっとしてはいられないもの」と、ヨハンネスは言いました。
「そんなことは、およしなさい。きっと、ほかの人たちと、同じようなめに会いますよ」と、みんなは、口をそろえて言って聞かせました。旅の仲間も、あきらめるようにすすめました。けれども、ヨハンネスは、
「ぜったいに、うまくいきます」と言って、靴や着物にブラシをかけたり、顔や手をあらって、きれいなブロンドの髪の毛に、くしを入れたりしました。それから、たったひとりで、町の中へはいって、御殿をさして行きました。
 ヨハンネスが、御殿のとびらを、トントンとたたくと、お年をとった王さまが、「おはいり」と、言いました。――ヨハンネスがとびらをあけると、お年よりの王さまが、長いガウンを着、ししゅうをしたスリッパをはいて、出てきました。頭には金のかんむりをいただいて、片手に、しゃくを持ち、もう一方の手には、金のたからの玉を持っていました。
「ちょっとお待ち」と、王さまは言って、金の玉をわきの下にかかえてから、ヨハンネスに手をさし出しました。けれども、ヨハンネスが、ぼくは、お姫さまに結婚の申しこみをしにきました、と言うのを聞くと、はらはらと涙をこぼして、思わず、しゃくも金の玉も、床に落してしまいました。それから、ガウンで目の涙をふきました。なんという、お気の毒な、お年よりの王さまでしょう。
「それだけはよしなさい」と、王さまは言いました。「おまえも、ほかのものたちと同じように、ひどいめに会いますぞ。まあ、これを見てごらん」
 こう言って、王さまは、ヨハンネスを、お姫さまの庭に連れていきました。見れば、身の毛もよだつような、おそろしい光景です!
 木という木には、お姫さまに結婚を申しこんで、なぞを、うまくとくことのできなかった王子が、三人、四人と、つるされているのです。風が吹いてくるたびに、がいこつが、カタカタと鳴っているではありませんか。小鳥たちさえも、こわがって、この庭の中へは、はいってこようとしないのです。花は、どれもこれも、人間の骨にゆわえつけてあります。植木ばちには、人間の頭の骨が植わっていて、歯をむき出しています。ほんとうに、なんということでしょう。これが、お姫さまの庭なんですからね。
「わかったかね」と、お年よりの王さまは言いました。「おまえも、ここにいるほかの人たちと、同じめに会うことになるのだよ。だから、どうか、やめておくれ。おまえに、もしものことがあったら、わしは、ますます悲しくなって、いっそう不幸になるのだよ」
 ヨハンネスは、やさしいお年よりの王さまの手にキスをして、言いました。
「だいじょうぶ、うまくいきますよ。ぼくは、美しいお姫さまが大好きなのです」
 そのとき、お姫さまが、侍女たちを連れて、ウマに乗って、中庭へはいってきました。王さまとヨハンネスは、お姫さまをむかえて、あいさつしました。お姫さまは、ほんとうに美しい方です。いま、ヨハンネスにむかって、やさしく手をさしのべました。ヨハンネスは、前よりももっと、お姫さまが好きになりました。このお姫さまが、みんなの言うように、たちのわるい魔女だとは、どうしても考えられません。
 みんなは、広間へはいりました。小姓こしょうたちが、砂糖づけのくだものだの、コショウのはいったクルミ菓子だのを持ってきました。しかし、お年よりの王さまは、悲しすぎて、なんにも食べることができませんでした。もっとも、クルミ菓子は、お年よりの王さまにとっては、すこしかたすぎましたがね。
 ヨハンネスは、あくる朝、もう一度、御殿へ来るように言われました。そのときには、裁判官と顧問官が、みんな集まって、ヨハンネスがどんな答えをするか、聞くわけなのです。うまくなぞがとければ、あと、もう二度、御殿へ来ることになっていました。といっても、いままでのところでは、さいしょのときに、なぞがとけたものは、ひとりもありませんでした。第一回めで、みんな、命をなくしてしまったのです。
 ヨハンネスは、自分がどうなるかということなどは、まるで考えてもみませんでした。それどころか、心から楽しそうに、いまはただ、美しいお姫さまのことばかり考えているのでした。そして、神さまが、きっとおたすけくださるものと、思っていました。でも、どういうふうにして、助けてくださるのかということは、さっぱりわからないのです。そこで、そのことは、考えないことにしました。ヨハンネスは、大通りを、小おどりしながら、旅の仲間の待っている宿屋に帰っていきました。
 ヨハンネスは、お姫さまがとっても親切にしてくれたことや、びっくりするほど美しい方だったということを、くりかえしくりかえし、話しました。そして、あしたが待ち遠しくてなりませんでした。あしたは、いよいよ、御殿へ行って、なぞをといて、自分の運をためすのです。
 ところが、旅の仲間は、頭をふって、いかにも悲しそうなようすで、言うのでした。
「わたしは、おまえさんが大好きだよ。だから、もっといっしょにいたいんだが、ああ、もう、別れなければならないのか。
 かわいそうなヨハンネスさん。わたしは、泣きたいよ。だが、今夜は、きっと、ふたりでいっしょにすごす、さいごの晩になるんだから、おまえさんのよろこびをぶちこわしたくはない。ゆかいに、うんと楽しくすごそうよ。あした、おまえさんが出かけてしまったら、思いきり泣けるんだからね」
 町の人たちは、すぐに、だれかがまた、お姫さまに結婚を申しこんだことを知りました。それで、町じゅうが、深い悲しみにつつまれました。芝居小屋はしまってしまうし、菓子屋のおかみさんたちは、砂糖菓子の子ブタに、黒い喪章もしょうをまきつけました。王さまと牧師さんたちは、教会でひざまずいて、神さまにお祈りをしました。ほんとうに、どこもかしこも、悲しみでいっぱいでした。むりもありません。ヨハンネスが、いままでの人たちよりも、うまくやるだろうとは、だれにも考えられませんでしたからね。
 夕方になると、旅の仲間は、大きなはちに、ポンスをいっぱい、作りました。そして、ヨハンネスにむかって、
「さあ、ゆかいにやろうよ。お姫さまのために、かんぱいしようじゃないか」と、言いました。
 ヨハンネスは、ポンスを二はい飲むと、どうにも眠たくなって、目をあけていることができなくなりました。そして、とうとう、眠りこんでしまいました。旅の仲間は、ヨハンネスを椅子いすから、そっとだきあげて、ベッドの中に寝かしてやりました。
 やがて、夜がふけて、あたりはまっ暗になりました。すると、旅の仲間は、ハクチョウから切りとってきた、あの大きな二つのつばさをとり出して、自分の肩に、しっかりとゆわえつけました。それから、いつか、足をくじいたおばあさんからもらった、三本のむちの中で、いちばん大きいのを、ポケットに入れました。それから、旅の仲間は、窓をあけて、御殿をさして、町の上をとんでいきました。御殿につくと、お姫さまの寝室の窓のすぐ下のすみっこに、ちぢこまってかくれました。
 町じゅうが、しーんと、しずまりかえっていました。時計とけいが、十二時十五分前をうちました。と、窓があいて、お姫さまが、長いまっ白ながいとうを着て、大きな黒いつばさをつけて、とび出しました。お姫さまは、町をこえて、大きな山のほうへむかって、とんでいきました。旅の仲間は、自分のからだが、よそから見えないようにしていました。それで、お姫さまには見つからずに、すぐそのあとを追いかけて、お姫さまのからだを、むちで打ちました。打ったところからは、血が流れ出ました。ああ、なんとおそろしい空の旅でしょう! 風のために、お姫さまのがいとうはあおられて、まるで、大きな帆のように、あっちへもこっちへもひろがりました。それをすかして、お月さまの光が、ぼんやり見えました。
「まあ、ひどいあられだこと! ひどいあられだこと!」と、お姫さまは、むちで打たれるたびに言いました。
 でも、お姫さまは、むちで打たれるくらい、しかたがありません。それでも、とうとう、山につきました。山につくと、お姫さまは、トントンと山をたたきました。すると、かみなりの鳴るような、すさまじい音がして、山がさっと開きました。
 お姫さまは、中へはいっていきました。旅の仲間も、すぐあとにつづいて、はいりました。よそからは、からだが見えないようにしていましたから、だれも、旅の仲間に気がついたものはありませんでした。お姫さまと、旅の仲間は、大きな、長い廊下を通っていきました。廊下のかべは、ふしぎな光をはなっていました。それもそのはず、何千とも知れない光グモが、かべをはいあがったり、おりたりして、火のように光っていたからです。
 やがて、ふたりは、金と銀とでつくられた、大きな広間に出ました。ヒマワリほどもある、赤や青の大きな花が、かべにかがやいていました。けれども、この花をつむことは、だれにもできません。なぜなら、くきと見えたのは、じつは、見るもおそろしい、毒のあるヘビでしたし、また、花と思われたのは、そのヘビの口からはき出すほのおだったのです。天井では、ホタルがピカリピカリと光り、空色のコウモリが、うすいつばさを、バタバタうっていました。そのありさまは、なんともいいようのない、ふしぎな光景でした。
 広間のまん中に、玉座がありましたが、それは、四つのウマのがいこつの上にのっていました。くつわは、まっかな火のクモでできていました。玉座はといえば、乳色のガラスでできていました。クッションは、たがいにしっぽをかみあっている、小さな黒ネズミたちです。玉座の上には、バラのように赤いクモの巣の、天がいがありました。それには、見るもかわいらしい、小さな緑のハエがちりばめてあって、宝石のようにキラキラしていました。
 その玉座には、ひとりの年とった魔法使いが、みにくい頭にかんむりをかぶり、手には、しゃくを持って、すわっていました。魔法使いは、お姫さまのひたいにキスをして、自分のそばのりっぱな椅子いすに、腰をおろさせました。
 やがて、音楽がはじまりました。大きな黒いキリギリスが、ハーモニカを吹き鳴らしました。フクロウは、たいこがないので、かわりに、自分のおなかをたたきました。なんておかしなコンサートでしょう。ちっぽけな黒い小人が、ずきんに鬼火をつけて、広間の中を踊りまわりました。
 そうしているあいだも、旅の仲間の姿は、だれにも見えませんでした。ほんとうは、玉座のすぐうしろに立っていて、なにもかも、のこらず見たり、聞いたりしていたのでした。
 そのうちに、宮中の役人たちが出てきました。見れば、たいそうきれいで、じょうひんなようすをしています。しかし、ほんとうにものを見ることができる人ならば、その役人たちがなんであるか、すぐにわかるはずです。
 じつは、この役人たちは、ほうきのに、キャベツの頭が、くっついているだけだったのです。魔法使いが、それに命をふきこんで、ししゅうをした着物をきせてやっていたのです。けれども、そんなことは、どうだってかまいません。ただ、にぎやかに飾りたてるためのものだったのですから。
 それからも、踊りは、しばらくつづきました。そのあとで、お姫さまは魔法使いに、またあたらしく、結婚を申しこみに来た人のあることを話しました。そして、
「あしたの朝、その人が御殿へ来たら、どんなことを心に思っていて、たずねてみましょうか?」と、ききました。
「いいかい。おまえに、いいことを教えてやろう」と、魔法使いは言いました。「なにか、ごくやさしいことを考えていなさい。そういうことは、あんがい思いつかんもんでな。そうだ、おまえの靴のことでも考えていなさい。まず、あたりっこないね。そうしたら、すぐ首を切らせなさい。だが、あすの晩、わしのところへ来るときには、忘れずに、そいつの目玉を持ってくるんじゃよ。もう、目玉が食いたくてたまらんからのう」
「はい、目玉は、忘れずに持ってまいります」と、お姫さまは、ていねいにおじぎをして、言いました。魔法使いが山を開いてやると、お姫さまは、御殿を目ざして、とんで帰りました。旅の仲間も、すぐそのあとを追いかけて、お姫さまをむちで、打って打って、打ちのめしました。なんてひどいあられなんだろう、と、お姫さまは、深いため息をつきつき、大いそぎでとんで帰って、窓から寝室の中へはいりこみました。
 いっぽう、旅の仲間は、ヨハンネスがまだ眠っている宿屋にとんで帰りました。つばさをはずすと、くたびれきっていましたので、すぐに寝床にはいりました。
 あくる朝、ヨハンネスは、ずいぶん早くから目をさましました。旅の仲間も起きあがって、こんなことを言いました。
「ゆうべは、みょうな夢を見ましたよ。それが、お姫さまと、お姫さまの靴の夢なんでね。だから、ヨハンネスさんや、『お姫さまは、ご自分の靴のことを、考えていらっしゃるんじゃありませんか』と、きいてごらんなさいよ」
 もちろん、これは、旅の仲間が、山の魔法使いから、自分の耳で、じかに聞いたことなのです。しかし、ヨハンネスには、そのことは、なんにも言いませんでした。
「ぼくは、なんて言うか、まだきめてないんです」と、ヨハンネスは言いました。
「あなたが夢でごらんになったことは、きっと、ほんとうのことにちがいありません。だって、ぼくは、神さまが、きっと助けてくださると信じているんですもの。だけど、あなたともお別れですね。もしも、ぼくがやりそこなったら、もうこれっきり、お会いできないんですからね」
 そこで、ふたりは、キスをしあいました。それから、ヨハンネスは、町へはいって、御殿をさして行きました。
 大きな広間は、人でいっぱいでした。裁判官たちは、ひじかけ椅子に腰かけて、頭のうしろに、カモのやわらかいわた毛のつまったふとんをあてていました。それというのも、この人たちは、いろんなことを、どっさり考えなければなりませんからね。
 お年よりの王さまは、立ちあがって、白いハンカチで、目の涙をふきました。まもなく、お姫さまがはいってきました。きょうはまた、お姫さまは、きのうよりもずっと美しく見えます。そして、そこにいる人々に、あいそよくあいさつしてから、ヨハンネスに手をさし出して、「おはようございます」と、言いました。
 いよいよ、ヨハンネスは、お姫さまが何を考えているか、言いあてることになりました。お姫さまは、やさしくやさしく、ヨハンネスを見つめました。ところが、たったひとこと、「くつ」という言葉が、ヨハンネスの口から出ると、お姫さまの顔の色は、たちまち、雪のようにまっ白になって、からだじゅうが、ぶるぶるふるえだしました。もう、どうすることもできません。ヨハンネスは、みごとに言いあてたのです。
「みごとじゃ。よくやったのう!」お年よりの王さまは、どんなによろこんだことでしょう。あんまりうれしすぎて、つい、トンボ返りをうちました。それを見ていた人たちは、だれもかれも、王さまと、それから、はじめてうまく言いあてたヨハンネスとにむかって、さかんに拍手を送りました。
 旅の仲間も、うまくいったことを聞いて、たいそうよろこびました。ヨハンネスは、すぐに手をあわせて、神さまにお礼を申しあげました。神さまは、これからの二回も、きっと助けてくださるでしょう。つぎの日も、また、なぞをとくことになっていました。
 その晩も、ゆうべとそっくり同じでした。ヨハンネスが眠ってしまうと、旅の仲間は、お姫さまのあとを追いかけて、山までとんでいくあいだじゅう、ゆうべよりももっと強く、むちでお姫さまを打ちました。今夜は、はじめから、むちを二本持っていったのです。そして、やっぱり、だれにも姿を見られずに、なにからなにまで、のこらず聞いてしまいました。今度は、お姫さまは、手袋のことを考えることになりました。そこで、旅の仲間は、またそれを夢で見たことにして、ヨハンネスに話してやりました。ですから、ヨハンネスは今度も、うまく言いあてることができました。
 御殿では、みんな大よろこびです。役人たちは、きのう、王さまがなさったように、きょうは、みんなで、トンボ返りをうちました。けれども、お姫さまだけは、ソファに横になったきり、口をきこうともしませんでした。
 さあ、ヨハンネスは、はたして、三度めも、うまく言いあてることができるでしょうか。もしもうまくいけば、美しいお姫さまをもらうばかりか、お年よりの王さまがなくなったあとは、この国ぜんぶを受けつぐことになるのです。そのかわり、もしもしくじれば、命をなくしてしまうのです。おまけに、美しい青い目を、あの魔法使いに食べられてしまうのです。
 その晩も、ヨハンネスは、早く寝床にはいって、夜のお祈りをとなえました。それから、ぐっすりと眠りました。いっぽう、旅の仲間は、背中につばさをゆわえつけ、腰にサーベルをさげて、そして今夜は、むちを三本とも持って、御殿をさしてとんでいきました。
 今夜は、まっ暗やみでした。おまけに、ひどいあらしになりました。屋根のかわらは吹きとばされ、がいこつのぶらさがっている庭の木々は、風が吹くたびに、アシのようにゆれ動きました。いなずまは、ひっきりなしにピカピカ光り、かみなりは一晩じゅう、ゴロゴロ鳴りつづけました。
 そのうちに、窓があいて、お姫さまがとび出しました。見れば、顔の色は、死んだ人のように青ざめています。けれども、このくらいのあらしなら、まだたいしたことはない、といった顔つきで、このすさまじいあらしをも、鼻さきで笑っていました。お姫さまの白いがいとうは、風に吹かれて、大きな船の帆のように、空にパタパタひるがえりました。旅の仲間は、三本のむちで、お姫さまを打ちのめしました。血がぼたぼた地面にしたたり落ちました。お姫さまは、やっとの思いでとんでいきました。それでも、どうにか、山にたどりつきました。
「ひどいあられが降って、おそろしいあらしですわ」と、お姫さまは言いました。「こんなお天気に外へ出たことは、いままで一度もありません」
「なあに、いいことだって、たんとあるだろうさ」と、魔法使いは言いました。
 お姫さまは魔法使いに、ヨハンネスが二度めも、ちゃんと言いあてたことを話しました。そして、
「もし、あしたも、うまく言いあてれば、あの男の勝ちになって、あたしは、あなたのところへ来られなくなりますし、いままでのように、魔法を使うこともできなくなります」と、言って、たいそう悲しみました。
「今度こそ、言いあてさせるものか。よし、そいつの思いもおよばないことを考え出してやろう。それでも、だめなら、そいつは、わしよりえらい魔法使いにちがいない。まあ、そりゃあそうとして、ゆかいにさわごうじゃないか」と、魔法使いは言って、お姫さまの手をとりました。それから、ふたりは、広間にいる小人や鬼火たちといっしょに、ぐるぐる踊りまわりました。赤いクモも、元気よく、かべをとびあがったり、とびおりたりしました。ですから、火の花が、火花を散らしているように見えました。フクロウはたいこをたたき、コオロギは口笛を吹き、黒いキリギリスはハーモニカを吹き鳴らしました。いやはや、じつにゆかいな舞踏会です!
 それから、みんなは、さんざん踊りぬきました。もうぼつぼつ、お姫さまは、御殿へ帰らなければなりません。このくらいで帰らないと、御殿の人たちが、お姫さまのいないのに、気がついてしまいます。
「御殿まで送っていってやるよ。そうすれば、そのあいだだけでも、いっしょにいられるからね」と、魔法使いが言いました。
 そこで、ふたりは、すさまじいあらしの中へ、とび出していきました。旅の仲間は、ふたりの背中を、三本のむちで、力いっぱい、打ちのめしました。さすがの魔法使いも、こんなにひどくあられの降る中を、とんだことはありませんでした。御殿の上まで来ると、魔法使いは、お姫さまに別れをつげて、
「わしの頭のことを考えていなさい」と、そっと、ささやきました。それでも、旅の仲間には、その声が、はっきりと聞きとれました。
 お姫さまは、窓からそっと、寝室の中へすべりこみました。魔法使いのほうは、ひき返そうとしました。ところが、そのときです。旅の仲間は、魔法使いの長い、まっ黒なひげをつかんだかと思うと、いきなりサーベルを引きぬいて、そのみにくい頭を、首のつけ根のところから、切り落してしまいました。とうとう、魔法使いは、一度も、旅の仲間の姿を見ることができませんでした。旅の仲間は、魔法使いのからだを、湖の中へほうりこんで、さかなのえさにしました。頭だけは、水でよくあらってから、絹のハンカチにつつんで、宿屋に持って帰りました。それから、寝床にはいって眠りました。
 あくる朝、旅の仲間は、ヨハンネスにハンカチのつつみをわたしながら、
「お姫さまが、『あたしは、なにを考えていますか?』と、きくまでは、このつつみをほどいてはいけませんよ」と、言いました。
 御殿の大きな広間には、大ぜいの人たちが、ぎっしりつめかけていました。まるで、赤ダイコンをたばにしたみたいなありさまです。顧問官こもんかんたちは、椅子に腰かけて、やわらかなふとんを頭のうしろにあてていました。お年よりの王さまは、あたらしい着物を着ていました。金のかんむりと、しゃくとは、ピカピカにみがいてあって、たいそうりっぱに見えました。ところが、お姫さまはというと、顔の色はすっかり青ざめています。しかも、お葬式そうしきに出かけるときのような、まっ黒な着物を着ているのです。
「あたしは、いま、なにを考えていますか?」と、お姫さまは、ヨハンネスにたずねました。
 そこで、ヨハンネスは、ハンカチのつつみをほどきました。ところが、どうでしょう。ほどいたとたん、だれよりもさきに、自分のほうがびっくりしてしまいました。なにしろ、おそろしい魔法使いの首が、ころがり出たんですからね。あまりのものすごさに、だれもかれもが、ふるえあがりました。お姫さまは、石の像のように、じっとしたまま、ひとことも口をきくことができません。それでも、とうとう、立ちあがって、ヨハンネスに手をさし出しました。とにかく、ヨハンネスは、ぴたりと言いあててしまったのですからね。
 お姫さまは、だれの顔も見ないで、深いため息をつきながら、言いました。
「あたしは、あなたの奥さまになりますわ。今夜、結婚式をあげましょう」
「よかった、よかった。では、そういうことにいたそう」と、お年よりの王さまは言いました。
 人々は、ばんざい、ばんざい、とさけびました。軍楽隊は、音楽をかなでながら、通りを行進しました。教会の鐘が鳴りわたりました。菓子屋のおかみさんたちは、砂糖菓子の子ブタから、黒い喪章を、またはずしました。いまは、町じゅうに、よろこびがみちあふれていましたから。
 おなかにカモとニワトリをつめて、まる焼きにしたウシが、三頭も、広場のまん中に持ち出されました。だれでも、それを一きれずつ、切りとっていいのです。ふんすいからは、すばらしくおいしいブドウ酒がほとばしり出ました。パン屋で一シリングのパンを買うと、大きなこむぎパンを六つも、おまけにくれました。それも、ほしブドウ入りの、上等のこむぎパンをです。
 夜になると、町じゅうにイルミネーションがつきました。兵隊たちは、お祝いの大砲をうちました。子供たちは、かんしゃく玉を鳴らしてあそびました。御殿では、にぎやかな宴会が開かれて、食べたり、飲んだり、かんぱいしたり、とんだり、はねたりで、たいへんな騒ぎです。おじょうひんな紳士がたと、美しいお嬢さんたちが、ひとりのこらず、手をとりあってダンスをしました。みんなのうたう声は、遠くのほうまで聞えました。

そうら、そらそら、きれいなむすめ、
みんなでそろって、踊ろうよ。
さあさ、たいこを鳴らしておくれ。
かわいい、この子よ、くるっとまわれ。
トントントンと、踊ろうよ、
靴のかかとのとれるまで。

 けれども、お姫さまは、まだ、魔女のままでした。ですから、ヨハンネスが、ちっとも好きになれません。旅の仲間は、それに気がつきました。そこで、ハクチョウのつばさからぬきとった、三枚の羽と、水ぐすりの少しはいっている小さなびんとを、ヨハンネスにわたして、こう言いました。
「水をいっぱい入れた大きなたらいを、花嫁さんのベッドのそばに、置いておかせなさい。そして、お姫さまがベッドにはいろうとしたら、ちょっと押してごらん。そうすれば、お姫さまは水の中へ落ちるから。
 そこでだね、水の中には、前もって、羽と、水ぐすりとを入れておいて、その中にお姫さまを、三度ほど、しずめなさい。そうすれば、魔法の力がとけて、お姫さまは、おまえさんが好きになるよ」
 ヨハンネスは、旅の仲間の言うとおりにしました。お姫さまは、水の中につけられると、大声にさけびたてました。けれども、みるみるうちに、大きな黒いハクチョウになって、目をぎらぎらさせながら、ヨハンネスの手の下で、もがきはじめました。二度めに水から出てきたときには、黒いハクチョウは、もう、まっ白になっていました。ただ、首のまわりにだけ、黒い輪がついていました。ヨハンネスは、まごころこめて、神さまにお祈りをしながら、もう一度ハクチョウを水につけました。と、その瞬間、ハクチョウは、世にも美しいお姫さまの姿にかわったではありませんか。お姫さまは、前よりも、ずっとずっときれいでした。そして、美しい目に、涙をいっぱいためて、
「魔法をといてくださって、ありがとうございました」と、ヨハンネスにお礼を言いました。
 あくる朝、お年よりの王さまは、ご家来をみんな連れてきました。お祝いを申しあげに来る人たちは、いつまでもいつまでもつづきました。いちばんおしまいに、旅の仲間が来ました。見れば、手に杖を持ち、背中にはいのうをしょっています。ヨハンネスは、くりかえしくりかえしキスをして、
「どこへも行かないでください。いつまでも、ぼくといっしょにいてください。だって、ぼくが、こんなにしあわせになれたのも、みんな、あなたのおかげなんですから」と、言いました。
 ところが、旅の仲間は、頭をふって、しずかに、やさしく言いました。
「いやいや、わたしの時はおわったのだよ。わたしは、おまえさんに、かりていたものを返しただけなのさ。おまえさん、いつか、死んだ男を、わるいやつらが、ひどいめに会わそうとしていたのを、おぼえているかね。あのとき、おまえさんは、持っているものをみんな、そいつらにやって、死んだ男がお墓の中で、しずかに休むことができるようにしてやったね。その死んだ男が、じつは、このわたしなんだよ」
 こう言いおわると、旅の仲間の姿は消えてしまいました。――
 ご婚礼のお祝いは、まる一月もつづきました。ヨハンネスとお姫さまは、おたがいに心から愛しあいました。お年よりの王さまは、それからのちも、それはそれは楽しい日々をすごしました。かわいらしい、小さなお孫さんたちを、ひざの上であそばせたり、しゃくをおもちゃにさせたりしました。いっぽう、ヨハンネスは、この国じゅうの王さまになっていました。





底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※(ローマ数字3、1-13-23))」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●図書カード