雪だるま

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




「ぼくのからだの中で、ミシミシ音がするぞ。まったく、すばらしく寒いや!」と、雪だるまが言いました。「風がピューピューきつけて、まるで命を吹きこんでくれようとしているようだ。だが、あの光ってるやつは、いったい、どこへ行くんだろう? あんなにギラギラにらんでいるぞ!」雪だるまが、そう言っているのは、お日さまのことでした。お日さまは、いまちょうど、しずもうとするところだったのです。「あんなやつが、いくらまばたきさせようったってまばたきなんかするもんか。まだまだこのかけらが、しっかりと目にくっついているんだからな」
 雪だるまの目になっているのは、大きな三角の形をした、二枚の屋根がわらのかけらだったのです。口は、古い、こわれた草かきでできていました。ですから、雪だるまには、歯もあったわけです。
 この雪だるまは、男の子たちが、うれしそうに、ばんざい、とさけんだのといっしょに、生れてきたのでした。そしてそのとき、そりのすずの音や、むちの音が、ちょうど挨拶あいさつでもするように、雪だるまをむかえてくれました。
 お日さまがしずみました。すると、青い空に、まんまるい大きなお月さまが、明るく、美しくのぼりました。
「今度はまた、あんなちがったほうから出てきたぞ」と、雪だるまが言いました。雪だるまは、また出てきたのが、お日さまだと思ったのでした。「でも、いいや。あいつが、ぼくをギラギラにらむのだけは、やめさしてやったぞ。ああして、あんな高いとこにぶらさがって、光ってるんなら光っているがいい。おかげで、ぼくは、自分のからだがよく見えるというもんだ。
 さてと、どうしたら、からだを動かすことができるんだろうなあ。それさえわかったらなあ! ああ、なんとかして動いてみたい! もし動くことができたら、ぼくもあの男の子たちのやってたみたいに、氷の上をすべって行くんだけどなあ! だけど、どうして走ったらいいのか、わかりゃしないや」
「ワン! ワン!」そのとき、くさりにつながれている、年とったイヌが、ほえました。このイヌは、いくらか声がしゃがれていました。もっとも、まだ部屋の中にわれて、ストーブの下にころんでいたときから、そんなふうにしゃがれ声だったのです。「どうしたら走れるか、今に、お日さまが教えてくれるよ。わしはな、去年、おまえの先祖が教わってたのを見たんだし、それから、そのまた前の先祖も、やっぱり、同じように教わってたのを見たんだよ。ワン! ワン! そうして、みんな行っちゃったのさ」
「きみの言うことは、ぼくにはちっともわからないよ」と、雪だるまが言いました。「じゃあ、あんな上のほうにいるものが、ぼくに走り方を教えてくれるのかい?」雪だるまが、そう言っているのは、お月さまのことだったのです。「ほんとうにね、さっき、ぼくがじっと見ていたときは、あいつ、どんどん走っていたよ。だけど、今度はね、またべつのほうから、そっと出てきたんだよ」
「おまえは、なんにも知らないんだね」と、くさりにつながれているイヌが言いました。「それもそうだな。おまえは、ついさっき、作ってもらったばっかりなんだからな。おまえが、いま見ているのは、お月さまというものだよ。さっき見えなくなったのが、お日さまさ。お日さまは、朝になると、また出てきて、ほりの中へすべりこむやり方を、きっと、おまえに教えてくれるよ。おや、もうすぐ、天気がかわるぞ。わしは、左の後足でそれがわかるんだ。そこんとこが、ずきずきするもんだからね。きっと、天気ぐあいがかわるよ」
「あのイヌの言うことは、ちっともわからない」と、雪だるまは言いました。「だけど、なんだか、ぼくによくないことを言ってることだけは、わかる。さっき、ぼくをギラギラにらみつけて、しずんでいったのは、たしかお日さまと言ってたが、あれも、ぼくの友だちなんかじゃないようだ。どうも、そんな気がする」
「ワン! ワン!」くさりにつながれているイヌが、ほえました。それから、三べんまわって、自分の小屋にはいって、ねむってしまいました。
 やがて、天気ぐあいが、ほんとうにかわってきました。明け方になると、こい、しめっぽいきりが、あたりいちめんに、おおいかかりました。お日さまののぼるすこし前に、風が吹きはじめました。風は氷のようにつめたくて、まるで、骨のずいまでしみとおるようでした。
 ところが、お日さまがのぼると、なんというすばらしい景色けしきがあらわれたことでしょう! 木という木、やぶというやぶが、みんなしもでおおわれて、まるで、まっ白なサンゴの林のように見えました。どのえだにも、キラキラかがやくまっ白な花が、いているのではないかと思われました。数かぎりない、細い、小さな枝は、夏にはたくさんの葉がしげっていたために見えなかったのですが、いまは一つ一つが、はっきりとあらわれているのでした。そのありさまは、まるで、キラキラ光る白いレースもようのようでした。まっ白な光が、一つ一つの枝から流れ出ているようでした。シラカバは、ゆらゆらと風にゆれていました。それは、夏のころ、ほかの木がいきいきとしているように、いま、いきいきとしていました。ほんとうに、なんて美しいのでしょう! とても、ほかのどんなものにもくらべることができません。
 やがて、お日さまが、かがやきはじめました。すると、あたりいちめんは、まるでダイヤモンドの粉をふりまかれたように、美しくきらめきました。地面に降りつもった雪の上には、大きなダイヤモンドが、キラキラとかがやいているのでした。でなければ、白い白い雪よりも、もっとまっ白な、数知れない小さな光が燃えているのだと、思うこともできたでしょう。
「まあ、なんてきれいなんでしょう!」若い男といっしょに庭へ出てきた、ひとりの若いむすめが、雪だるまのすぐそばに立ちどまって、キラキラ光る木々のほうをながめながら、そう言いました。「夏には、こんな美しい景色はとても見られないわ!」と、娘は、目をかがやかせて、言いました。
「それから、ここにいるこんなやつだって、夏にはとても見られないね」と、若い男は言って、雪だるまを指さしました。「うまくできているじゃないの」
 娘はほほえんで、雪だるまのほうにむかって、うなずいてみせました。それから、友だちといっしょに、雪の上をおどるようにして、むこうへ行ってしまいました。すると、まるで澱粉でんぷんの上でも歩いているように、足の下で、雪がギシギシ鳴りました。
「あのふたりは、だれなの?」と、雪だるまは、くさりにつながれているイヌに、たずねました。「きみは、このお屋敷やしきでは、ぼくより古いんだから、あの人たちを知ってるだろう?」
「もちろん、知ってるさ」と、くさりにつながれているイヌが言いました。「あの娘さんは、わしをなでてくださるし、男のひとは骨をくださるんだよ。だから、あのふたりには、かみつかないことにしているのさ」
「だけど、あのふたりは、どういう人たちなんだい?」と、雪だるまはたずねました。
「いいい……いいなずけさ!」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「これから、イヌ小屋へ行って、いっしょに骨をかじろうってのさ。ワン! ワン!」
「あのふたりも、やっぱり、きみとぼくのようなものかい?」と、雪だるまはたずねました。
「ご主人の家のかたにきまってるじゃないか!」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「じっさい、きのう生れてきたばかりのものは、なんにも知らんものさ。おまえを見りゃあ、すぐわかるよ。わしは年をとっているし、いろいろなことを知っている。このお屋敷の人だって、みんな知ってるんだ。それに、今でこそ、こうやって寒いとこに、くさりでつながれているんだが、そんなことのなかった時のことだって、知ってるんだ。ワン! ワン!」
「寒いのは、すてきじゃないか!」と、雪だるまは言いました。「話してくれよ、話してくれよ。だけど、そんなに、くさりをガチャガチャさせないでくれたまえ。からだの中まで、びんびんひびいてくるからね」
「ワン! ワン!」と、くさりにつながれているイヌが、ほえました。「まだそのころは、わしも小イヌだった。ちっちゃくて、かわいかったそうだ。そのころは、お屋敷の中で、ビロードを張った椅子いすの上にかしてもらったり、ご主人のひざの上にいてもらったりしたものだよ。そればかりじゃない。口にキスをしていただいたり、ししゅうをしたハンカチで、足をふいていただいたりしたものさ。みんなはわしのことを、『きれいな子』だとか『かわいい、かわいい子』なんて、呼んでくれたんだ。
 ところが、そのうちに、わしがあんまり大きくなりすぎたものだから、女中頭がしらのところへやられてしまったんだ。それから、地下室でくらすようになったのさ。そら、おまえの立ってるところから、その中が見えるだろう。わしがご主人だった、その部屋がさ。そこでは、わしがご主人だったんだ。上にいた時より、部屋は小さかったけれど、かえって住みごこちはよかったよ。上にいた時のように、子供たちにこづきまわされたり、引っぱりまわされたりしないですんだんだからね。それに、食べ物だって、前と同じように、いいものがもらえたんだ。いや、かえって、前よりいいくらいだった。
 それから、ふとんも、自分のがちゃんとあったし、おまけに、ストーブもあったんだ。このストーブってのは、ことに、いまみたいに寒いときは、世の中でいちばんすてきなものだからなあ! わしがそのストーブの下にはいこむと、すっかりからだがかくれてしまうんだ。ああ、いまでもわしは、そのストーブのゆめを見るのさ。ワン! ワン!」
「ストーブって、そんなにきれいかい?」と、雪だるまがたずねました。「じゃあ、ぼくみたいかい?」
「おまえとは、まるで反対さ! それは、炭のようにまっ黒で、長い首と、しんちゅうのどうを持っているんだ! まきを食べるもんだから、口から火をはきだしているのさ。わしらは、そのそばにいなければいけないんだが、その上か、下にいてもいいんだ。そうすると、なんとも言えないほど、いい気持なんだ! おまえの立ってるところから、窓ごしに見えるだろう」
 そう言われて、雪だるまがのぞいてみると、そこには、ほんとうにしんちゅうの胴を持った、ピカピカにみがきあげられた、まっ黒なものが立っていました。そして、赤いほのおが、下のほうからかがやいていました。それを見ているうちに、雪だるまは、まったくへんな気持になりました。自分でも、さっぱり、わけがわかりません。なにか、雪だるまの知らないものがやってきたのです。しかし、雪だるまでないほかの人たちには、それがなんだかわかっているのです。
「じゃあ、どうしてきみは、あの女のひとのそばから出て来てしまったんだい?」と、雪だるまは言いました。雪だるまは、ストーブが女のひとにちがいない、と感じたのです。「どうして、そんなにいいところから来たんだね?」
「そうさせられてしまったのさ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「わしは、外へ追い出されて、こんなところにくさりでつながれてしまったんだよ。いちばん下のぼっちゃんが、わしのしゃぶってた骨をけとばしたもんだから、それで、その足にかみついてやったんだ。骨には骨で返せ、と、わしは思ったのさ! ところが、それを、みんなにわるくとられてしまって、その時から、こうして、ここで、くさりにつながれているんだ。わしのいい声も、ひどくなってしまった。どうだい、ずいぶんしゃがれた声だろう。ワン! ワン! これでおしまいだよ」
 雪だるまは、もう、イヌの言うことなどを聞いてはいませんでした。ただじっと、地下室にある、女中頭の部屋の中を、のぞきこんでいたのです。そこには、ストーブが、鉄の四本足で立っていました。それは、ちょうど、雪だるまと同じくらいの大きさに見えました。
「ぼくのからだの中が、いやにミシミシいうぞ」と、雪だるまが言いました。「どうしても、あそこへは入っていけないんだろうか? こんなのは、罪のない願いなんだがなあ。罪のない願いというものは、きっとかなえてもらえるものなんだがな。これが、ぼくのいちばんのお願いで、おまけに、たった一つのお願いなんだ。もしこの願いがきいてもらえないとすれば、そりゃあ、まったく不公平というものだ。よし、どうしてもぼくは、窓ガラスをこわしてでも、入っていって、あのストーブによりかかってやろう」
「おまえは、あんなところへ、入っていけやしないよ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「それに、もしおまえが、ストーブのそばになんか行けば、とけて消えちまうよ。ワン! ワン!」
「もう、とけているのもおんなじようなものだ」と、雪だるまは言いました。「ぼくは、まるで切りきざまれているような気持だ」
 一日じゅう、雪だるまはそこに立って、窓ごしに部屋の中をのぞきこんでいました。あたりがうす暗くなると、部屋の中は、ますます楽しそうに見えてきて、雪だるまの心は、もっともっとそこにひきつけられました。ストーブからは、たいそうやわらかな光がさしていました。それは、お月さまの光ともちがいますし、お日さまの光ともちがっていました。ほんとうに、それは、ストーブの中に何かがはいっているとき、ストーブだけが出すことのできる光でした。ドアが開かれると、そのたびに、ほのおがさっと外に出てきました。それは、ストーブの持っている、いつものくせだったのです。するとそのほのおは、雪だるまの白い顔にまっかにうつりました。そして、胸の上をも、赤々と照らしだしました。
「ああ、もう、とてもたまらないや」と、雪だるまが言いました。「ああして、舌を出すようすは、ほんとうによく似合っている!」
 たいそう長い夜でした。けれども、雪だるまには、そんなに長いとも思われませんでした。雪だるまは、自分の楽しい空想にふけっていたのです。そして、からだはつめたくこおりついて、ミシミシいっていました。
 朝になると、地下室の窓には、いちめんに氷が張っていました。そして、雪だるまが心から望んでいる氷の花が、それはそれは美しく、いっぱいいていました。でも、そのために、ストーブはかくれてしまいました。窓ガラスの氷は、とけそうもありません。雪だるまは、あのストーブの姿を見ることができませんでした。あたりでは、ミシミシ、パチパチ、音がしています。まったく、雪だるまが心の底からよろこびそうな、霜の多い、きびしい寒さでした。それなのに、雪だるまはちっともよろこびません。ほんとうなら、きっと、しあわせに感じたでしょうし、また、しあわせに感じるはずだったのですが、じつは、すこしもしあわせには思いませんでした。それもそのはず、雪だるまは、ただもうストーブのことばかり考えて、こいしがっていたのですもの。
「雪だるまにとっちゃ、そりゃあ、わるい病気だよ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「前にわしも、この病気にかかったことがあるが、もう今では、すっかりなおってしまった。ワン! ワン!――おや、天気ぐあいがかわるぞ!」
 やがて、ほんとうに、空もようがかわってきました。だんだん、雪がとけるようすです。
 ますます暖かくなってきて、雪だるまはとけはじめました。もう、何も言いません。不平もこぼしません。こうなると、いよいよほんものです。
 ある朝、雪だるまは、とうとうくずれてしまいました。雪だるまの立っていたところには、ほうきののようなものが、つっ立っていました。それをしんにして、子供たちが、雪だるまをこしらえたのでした。
「なるほど、これでやっと、あいつがあんなに、ストーブを恋しがってたわけがわかった」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「雪だるまは、からだの中に、ストーブの火かきを持っていたんだな。それが、あいつのからだの中で、あんなに動いていたんだ。でも、もうおしまいさ。ワン! ワン!」
 こうして、寒い冬も、やがてすぎてしまいました。
「ワン! ワン! おしまいだ、おしまいだ!」と、くさりにつながれているイヌが、ほえました。お屋敷では、小さな女の子たちがうたいはじめました。

クルマバソウよ! 青いきれいなをお出し!
ヤナギは毛糸の手袋てぶくろおぬぎ!
カッコウ、ヒバリがきて鳴けば、
楽しい春が、もうきます!
わたしもいっしょにうたいましょ! カッコウ!
やさしいお日さま、はあやくきてよ!

 今はもう、雪だるまのことを思い出す人は、だれもありませんでした。





底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※(ローマ数字1、1-13-21)」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1989(平成元)年11月15日34刷改版
   2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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