幸福な一家

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 この国でいちばん大きな青い葉といえば、それは、スカンポの葉にちがいありません。その葉を取って、子供がおなかの上につければ、ちょうど前掛まえかけのようになります。それから、頭の上にのせると、雨が降っているときには、雨がさのかわりになります。この葉は、なにしろ、ものすごく大きいのですから。
 スカンポというのは、一本だけでえているということはありません。一本生えているところには、きまって、いくつも幾つも生えているものです。そのありさまは、たいへんきれいです。そして、この美しい葉は、カタツムリの大好きな食べ物なのです。むかし、身分の高い人たちが、よいお料理につかった、大きな白いカタツムリは、スカンポの葉を食べて、「フン、こいつはうまいぞ」と、言ったものでした。なぜって、カタツムリは、ほんとうにおいしいと思ったからです。カタツムリは、スカンポの葉を食べて生きていました。ですから、スカンポの種が、畑にまかれたのです。
 さて、古いお屋敷やしきがありました。お屋敷の人たちは、もう、カタツムリを食べなくなっていました。カタツムリは、すっかり死にたえてしまったのです。ところが、スカンポのほうは、死にたえるどころか、ふえにふえて、道という道、花壇かだんという花壇にまで、ひろがっていました。もう、どうしようもありません。まるで、スカンポの森のようなありさまです。ただ、あっちこっちに、リンゴの木とスモモの木が立っているだけでした。その木でもなかったなら、ここが庭だったと思うことは、とてもできなかったでしょう。まったく、どこもかしこもスカンポばかりなのです。――
 そこに、ずいぶん年をとったカタツムリが、二ひきだけ生きのこって、住んでいました。
 このカタツムリたちは、自分たちの年がいくつか知りませんでした。けれども、自分たちは、もとはもっと大ぜいだったことや、よその国から来た一家の者だったことや、自分たちと仲間のために、このスカンポの森が植えられたことなどは、よくおぼえていました。このカタツムリたちは、森の外へ出たことは、一度もありませんでした。でも、外の世界には、お屋敷というものがあることは、ちゃんと知っていました。そして、そのお屋敷で、みんなが料理されて、まっ黒になって、それから、銀のおさらにのせられることも、よく知っていました。しかし、それからどうなるのか、その先のことは知りませんでした。それに、料理されて、銀のお皿にのせられることが、いったいどういうことなのか、このカタツムリたちには考えもつかなかったのです。それにしても、すばらしくて、しかもりっぱなことにちがいない、とは思っていました。コガネムシや、ヒキガエルや、ミミズにきいてみても、だれひとり、説明してくれることはできませんでした。もちろん、だれも料理されたり、銀のお皿にのせられたりした者はないのですから、むりもないわけです。
 年とった、白いカタツムリたちは、自分たちが世界でいちばんとうといものだということを、よく知っていました。なぜって、この森は、自分たちのためにあるのですし、また、お屋敷にしても、自分たちが料理されて、銀のお皿にのせられるために、あるのですからね。
 さて、このカタツムリたちは、ふたりきりで、たいへんしあわせにくらしていました。ただ、子供がなかったので、小さな、ふつうのカタツムリを連れてきて、その子を自分たちの子供として、育てていました。ところが、その子ときたら、さっぱり大きくなりません。それもそのはず、ふつうのカタツムリなんですからね。しかし、ふたりの年よりは、ことにおかあさんのほうは、つまり、カタツムリのおかあさんですがね、そのおかあさんのほうは、その子の大きくなっていくのが、はっきりわかるような気がしました。それで、おとうさんにむかって、もし見ているだけで、この子の大きくなっていくのがわからないのなら、この子のカタツムリのからにさわってみてください、と言いました。おとうさんがさわってみると、たしかに、おかあさんの言うとおりだ、と思いました。
 ある日のこと、雨がひどく降ってきました。
「まあ、どうだい。スカンポの葉がドンドン、バラバラと、たいこのような、すごい音を立てているじゃないか!」と、カタツムリのおとうさんが言いました。
「雨のしずくも、落ちてきますよ!」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「まっすぐ、くきをつたって、流れてきますよ。今に、ここもぬれちまいますね。でも、わたしゃ、うれしいですよ、こんないい家が、わたしたちにはあるんですし、あの子にもちゃんと、自分の家があるんですからね。たしかに、わたしたちは、ほかのどんな生き物よりも、めぐまれているんですね。やっぱし、わたしたちは、この世界の主人なんですよ。生れたときから、こうして家を持っているんですし、おまけに、スカンポの森まで、わたしたちのために植えられているんですもの。――それはそうと、この森がどこまでつづいていて、森の外にはどんなものがあるか、見たいですねえ!」
「森の外には、なんにもありゃしない」と、カタツムリのおとうさんは言いました。「わしらのとこよりいいところなんて、どこにもあるはずがない。わしには、これ以上望むことはない」
「そうですね」と、おかあさんは言いました。「でも、わたしは、一度お屋敷へ行ってみたいんです。そうして、お料理されて、銀のお皿にのせてもらいたいと思いますよ。わたしたちのご先祖は、みんな、そうされたんですって。きっと、なにか特別のことなんですよ」
「お屋敷はこわれてしまったかもしれんよ」と、カタツムリのおとうさんは言いました。「さもなきゃ、スカンポの森がその上までしげっていて、中の人たちが、出られんようになってしまっているさ。どっちにしても、あわてることはない。だが、おまえは、いつも、おっそろしくせっかちだよ。だから、あの子までが、せっかちになりだしたんだ。あの子は、もう三日も、くきをはいあがっていくじゃないか。あれをみると、わしは頭がぐらぐらする!」
「そんなに、がみがみ言わなくたって、いいじゃありませんか」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「あの子は、とっても気をつけて、はってるんですよ。ほんとに、あの子はわたしたちの楽しみですよ。ほかに、わたしたち年よりには、生きてゆく楽しみってものがないんですからね。だけど、あなた、ぼつぼつ、あの子によめをさがしてやりませんか? このスカンポの森のずっとおくには、わたしたちの仲間がいるんじゃないでしょうか?」
「黒いカタツムリならいるだろうな」と、年よりのカタツムリは言いました。「家のない、黒いカタツムリならな。だが、あの連中は、いやしいくせに、うぬぼれが強いんだ。ひとつ、アリさんにたのんでみようじゃないか。あのひとたちは、さもいそがしそうに、あっちこっちを走りまわっているから、きっと、あの子にぴったりの嫁さんを知ってるだろう」
「いちばんきれいなひとを知ってますよ」と、アリたちが言いました。「ただ、うまくいきますかどうか。なにしろ、そのひとは、女王さまなんですからね!」
「そんなことはかまいませんよ」と、年よりのカタツムリたちは言いました。「そのひとには、家はありますかね?」
「お城がありますよ」と、アリたちは言いました。「七百も廊下ろうかのある、すばらしくりっぱな、アリのお城ですよ」
「ありがとうございます」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「ですけど、うちの息子むすこは、アリのつかへやるわけにはいきません。あなたがたが、もうそのほかに、いい話をご存じないのなら、白ブヨさんにお願いすることにしましょう。あのひとたちは、降っても照っても、あっちこっちを飛びまわっていて、スカンポの森のことなら、中のことでも外のことでも、よく知っていますから」
「ちょうどいいお嫁さんがいますよ」と、ブヨたちは言いました。「人間の足で、ここから百歩ぐらいはなれたところに、スグリのしげみがあるんですが、その上に、家を持った、小さなカタツムリのむすめがいるんですよ。そのひとは、ひとりっきりなんですが、もうそろそろ、お嫁に行くころです。人間の足で、たった百歩ばかりのところですよ」
「じゃあ、そのひとに、きてもらうことにしましょう」と、年よりたちは言いました。「お婿むこさんは、スカンポの森を持っているのに、お嫁さんはスグリを一かぶしか、持っていないんですからね」
 こうして、ふたりは、その小さなカタツムリの娘をむかえにいきました。娘は、ここまで来るのに八日もかかりましたが、でも、それでよかったのです。なぜって、そのために、この娘が同じカタツムリの仲間であることが、はっきりわかったのですからね。
 それから、結婚式けっこんしきがあげられました。六ぴきのホタルが、いっしょうけんめい光ってくれました。そのほかは、なにもかも、ごく静かに行われました。というのは、年よりのカタツムリたちは、お酒を飲んだり、大さわぎをするのがきらいだったからです。しかし、カタツムリのおかあさんは、すてきなお話をしました。おとうさんのほうは、すっかり感動してしまって、ろくにお話もできなかったのです。それからふたりは、若い者たちに、スカンポの森をみんなゆずりわたして、しょっちゅう口にしていることを、言い聞かせました。つまり、ここは世界じゅうでいちばんいいところだということや、ふたりが正直にまじめに暮して、子供たちがふえたらば、ふたりも子供たちも、いつかはお屋敷へ行って、まっ黒に料理され、銀のお皿にのせてもらえるようになるだろう、ということなどを話して聞かせました。
 話がおわると、年よりのふたりは、めいめいの家の中へもぐりこんで、それからは、二度と出てきませんでした。そのまま、ふたりはねむってしまったのです。若いカタツムリの夫婦ふうふは、スカンポの森をおさめました。そして、子供も大ぜい生れました。しかし、料理されることもなければ、銀のお皿にのせられることもありませんでした。それで、みんなは、お屋敷はこわれてしまい、世の中の人たちは、みんな死んでしまったのだ、ということにきめました。そして、だれひとり、それに反対する者がなかったのですから、それは、ほんとうのことにちがいありません。
 雨はスカンポの葉をたたいて、たいこの音楽を聞かせてくれました。お日さまはキラキラかがやいて、スカンポの森を、美しい色にそめてくれました。みんなは、たいへんしあわせでした。そして、一家の者は、みんなしあわせでした。ほんとうに、そうだったのです。





底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※(ローマ数字1、1-13-21)」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1989(平成元)年11月15日34刷改版
   2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年1月27日作成
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