アンネ・リスベット

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 アンネ・リスベットは、まるで、ミルクと血のようです。若くて、元気で、美しいむすめです。歯はまっ白に、ピカピカ光り、目はすみきっています。足は、ダンスをしているように、軽々としています。気持は、それよりももっと軽くて、陽気です。
 で、このアンネ・リスベットは、どうなったでしょうか。あかぼうの、おかあさんになりました。「みにくい赤ん坊」のおかあさんに。――そうです。赤ん坊は、きれいな子ではありませんでした。その子は、生れるとすぐ、みぞほり人夫の、おかみさんのところに、あずけられてしまいました。
 おかあさんのアンネ・リスベットは、伯爵はくしゃくさまのお屋敷やしきに、働きに行きました。アンネ・リスベットは、絹とビロードの着物を着て、りっぱな部屋へやの中に、すわっていました。アンネ・リスベットのところには、すきま風一つ、きこんではきませんでした。だれも、アンネ・リスベットに、らんぼうな言葉をかけてはなりませんでした。そんなことをすれば、アンネ・リスベットのからだに、さわるかもしれませんから。なにしろ、アンネ・リスベットは、伯爵さまの、赤ちゃんの、うばなのですから。
 赤ちゃんは、王子のようにじょうひんで、天使のようにきれいでした。アンネ・リスベットは、この赤ちゃんを、心から、かわいがりました。ところが、自分の赤ん坊は、みぞほり人夫の家にいました。この家では、おなべがにたって、ふきこぼれるようなことは、ありませんでした。けれども、赤ん坊の口だけは、しょっちゅうあわをふきこぼしていました。
 この家には、たいていのとき、だれもいませんでした。赤ん坊が泣きわめいても、それを聞きつけて、あやしてやろうとする者がいないのです。赤ん坊のほうは、泣いているうちに、いつのまにか、いってしまいます。ねむってさえいれば、そのあいだは、おなかがへっていることも、のどがかわいていることも、感じないものです。ほんとうに、眠りというものは、すばらしい発明ですよ。
 それから、何年もたちました。時がたてば、草ものびる、と、よく言われますが、アンネ・リスベットの子供も、そのとおり、すくすくと大きくなりました。もっとも、あの子は、どうも、発育がよくない、と、人々は言いましたが。
 さて、その子は、おかあさんがお金をやってあずけた、みぞほり人夫の家の人間に、すっかりなりきっていました。おかあさんのほうは、子供とは、まったく、えんがなくなってしまいました。町のおくさんになって、気持のよい、楽しいくらしをしていたのです。よそへ出かけるときには、ちゃんと、帽子ぼうしをかぶって行ったものです。しかし、みぞほり人夫の家には、一度も行ったことがありませんでした。なぜって、その家は、町からたいへんはなれていたからです。それに、用事もありませんからね。
 男の子は、みぞほり人夫の家の、家族のひとりになっていました。うちの人たちは、
「この子は、がつがつ食うなあ」と、言っていました。
 そこで、食べるものぐらい、自分で働いて、かせがなければなりません。こうして、男の子は、マッス・イェンセンさんの、赤いウシのせわをすることになりました。じっさい、もうこんなふうに、家畜かちくのせわをして、手伝いをすることができるほどになっていたのです。
 伯爵のお屋敷の布さらし場では、くさりにつながれたイヌが、イヌ小屋の上に、えらそうにすわりこんで、お日さまの光をあびています。だれかが、そばを通りかかると、きまって、ワンワンほえたてます。雨の日には、このイヌは、自分の小屋の中にもぐりこんで、一しずくの雨にもぬれずに、暖かにしています。
 いっぽう、アンネ・リスベットの子供も、お日さまの光をあびながら、みぞのふちにすわって、くいをけずっています。春のころ、花のいている野イチゴのかぶを、三つばかり見つけました。そのときは、きっと今に実がなるぞ、と思って、楽しみにしたものです。ところが、実は一つもなりませんでした。霧雨きりさめがふってきました。雨の中にすわっていると、びしょぬれになってしまいました。けれども、まもなく、強い風が吹いてきました。ぬれて、からだにくっついている着物を、かわかしてくれました。
 男の子は、お屋敷へ行くと、みんなに、つつかれたり、ぶたれたりしました。
「なんてきたない子だ。いやらしい子だ」と、下女も、下男も、言うのです。
 でも、この子は、そういうことには、なれっこになっていました。かわいそうに、だれにも、かわいがられたことはないのです。

 さて、それから、アンネ・リスベットの男の子は、どうなったでしょうか。ほかに、どうなるはずもありません。「だれにも、かわいがられたことはない」これが、この子の運命だったのです。
 この子は、陸から船に乗りうつって、海に出ました。といっても、ちっぽけな船です。男の子は、船頭がお酒を飲んでいるあいだ、かじのところにすわっていました。いつも、きたならしい、よごれたかっこうをしていました。それに、寒そうに、ぶるぶるふるえていて、がつがつしていました。そのようすを見れば、だれでも、この子は、腹いっぱい、食べたことがないんだろう、と、思いそうです。いや、ほんとうに、そのとおりだったのです。
 秋のおわりのことでした。風が吹きだして、雨もまじりはじめました。れもようの天気になってきました。
 つめたい風が、あつい着物をとおして、はだまでしみ入りました。ことに、海の上ではそうです。いま、その海の上を、小さなかけ船が一そう、走っていました。船には、ふたりの人間しか、乗っていません。いや、もっと正しく言えば、ひとりと、はんぶんです。というのは、乗っていたのは、船頭と、小僧こぞうでしたから。
 この日は一日じゅう、うす暗い天気でした。それが今は、ますます暗くなって、寒さも身を切るようでした。
 船頭は、からだの底から、暖まろうと思って、ブランデーを飲みました。ブランデーのびんは、古いものでした。コップも、古いものでした。コップは、上のほうはなんでもありませんでしたが、足が折れていました。それで、木をけずって、青くぬったのを、足のかわりにしていました。一ぱいのブランデーでも、よくきくんだから、二はい飲めば、もっと、よくきくだろう、と、船頭は思いました。
 小僧は、かじのところにすわっていました。タールでよごれた、かじかんだ手で、かじにしがみついていました。それにしても、みにくい小僧です。かみの毛はぼうぼう、からだは、ずんぐりむっくりです。この小僧は、いうまでもなく、みぞほり人夫の子供でした。教会の名簿めいぼでは、アンネ・リスベットの子供となっていましたが。
 風は、ヒューヒューきまくり、小船は、波にもまれました。帆は、風を受けてふくれました。船は、飛ぶように走っていきました。――まわりは、はげしい雨と風です。けれども、それだけではすみませんでした。――ストップ。――なんでしょう? なにが、ぶつかったんでしょう? なにが、くだけちったんでしょう? なにが、船の中に、なだれこんできたんでしょう?
 船は、くるくると、まわっています。大雨が、ザアッと降ってきたんでしょうか? それとも、大波が、もりあがってきたんでしょうか?
 少年は、かじのところで、大声にさけびました。
「イエスさま!」
 船は、海の底にある大きな岩に、ぶつかったのです。そして、村のぬまにしずんでいる、古靴ふるぐつみたいに、海の底にしずんでしまいました。世間でよく言うように、人間はもちろん、ネズミ一ぴき、生きのこりませんでした。船には、たくさんのネズミのほかに、人間もひとり半、つまり、船頭と、みぞほり人夫の子供がいたのですが。
 船のしずんでいくありさまを見ていたのは、ただ、鳴きさけぶカモメと、水の中の、さかなたちだけでした。けれども、そのカモメやさかなたちも、ほんとうは、よくは見ていなかったのです。なぜって、みんなは、水がどっと、船の中に流れこんで、船がしずんだとき、びっくりして、わきへげてしまったのですから。
 船は、水面からたった二メートルぐらいのところに、しずみました。ふたりは、海の底にほうむられました。ほうむられて、忘れられました。ただ、コップだけは、しずみませんでした。青くぬった、木の足のおかげで、ぷかり、ぷかりと、波のまにまに、うかんでいたのです。やがて、波にはこばれて、海岸に打ちあげられると、くだけてしまいました。
 いったい、どこにでしょう? そして、いつのことでしょう?
 いや、いや、その話は、もう、やめにしましょう。そのコップは、コップとしての、役目もりっぱにはたし、人にかわいがられてもきたのですから。
 しかし、アンネ・リスベットの子供は、そういうわけにはいきませんでした。けれども、天国では、どんなたましいも、「だれにも、かわいがられることはない」などとは、言われないでしょう。

 アンネ・リスベットは、それからも、町に住んでいました。もう、なん年も住んでいます。人からは、おくさんと、呼ばれていました。奥さんは、むかし、伯爵はくしゃくの家で、働いていたころのことを思い出しては、よく、人に話しました。そういうときには、とくべつに、ぐっと、胸をはったものでした。よそへ馬車で出かけたり、伯爵の奥さまや、男爵の奥さまがたと、話をしたことを、うれしそうに話しました。
 あの、かわいらしい、伯爵のぼっちゃまは、それはそれは愛らしくて、神さまの天使のようでした。この上もなく心のやさしい子供でした。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットに、とてもなついていました。アンネ・リスベットも、ぼっちゃまが大好きでした。ふたりは、キスをしたり、ふざけあったりしました。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットにとっては、大きなよろこびでした。自分の命のつぎに、だいじなものでした。
 そのぼっちゃまも、今は大きくなって、十四さいになっています。勉強もよくできる、美しい少年です。
 アンネ・リスベットは、赤ちゃんのときに、だいてあげてから、ぼっちゃまには、一度も、会ったことがありませんでした。それもそのはず、伯爵のお屋敷やしきへは、もう何年も、行ったことがなかったのです。お屋敷へ行くのには、かなりの旅行をしなければならなかったのです。
「一度、思いきって行ってこよう」と、アンネ・リスベットは、言いました。「すてきな、わたしのかわいい、ぼっちゃまのところへ、すぐ行ってこよう。きっと、ぼっちゃまも、わたしのことをこいしがって、心にかけていてくださるにちがいないわ。むかしは、天使のような、小さなうでを、わたしの首にまきつけて、『アン・リス』とおっしゃったものだわ。そうそう、あのころは、バイオリンのような、声をしていらっしゃったわ。そうだわ、思いきって、お目にかかりに行ってこよう」
 アンネ・リスベットは、しばらく、ウシ車に乗せていってもらいました。それからは、自分の足で歩いて、伯爵のお屋敷にきました。大きなお屋敷は、むかしのままで、光りかがやいています。おもてのお庭も、むかしのとおりです。
 けれども、家の中にいる人たちは、アンネ・リスベットの見たこともない人ばかりです。むこうでも、だれひとり、アンネ・リスベットを知っている者はありません。もちろん、アンネ・リスベットが、むかし、うばとして、このお屋敷でたいせつな人だった、ということなどは、ゆめにも知りません。
「いいわ。もうすぐ奥さまが、わたしのことを、みんなに話してくださるわ。ぼっちゃまだって、きっと。ああ、早く、ぼっちゃまにお目にかかりたい」と、アンネ・リスベットは思いました。
 とうとう、アンネ・リスベットは、このお屋敷にきたのです。でも、長いこと、待たなければなりませんでした。その、待っているあいだが、どんなに長く感じられたことでしょう。
 うちのかたたちが、食卓しょくたくにつく前に、アンネ・リスベットは、奥さまのところに呼ばれました。奥さまは、やさしい言葉をかけてくださいました。かわいいぼっちゃまには、食事のあとで、お目にかかることになりました。しばらくしてから、また、呼ばれました。
 ああ、ぼっちゃまは、すっかり大きくなって、ひょろ長くなっています。でも、美しい目と、天使のような口もとだけは、むかしのままです。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットを見ました。けれども、ひとことも、言いませんでした。はっきりとは、おぼえがなかったのです。ぼっちゃまは、すぐに、くるりとふりむいて、むこうへ行こうとしました。アンネ・リスベットは、その手をとって、口にあてました。
「ああ、もう、いいよ」と、ぼっちゃまは言って、部屋から出ていってしまいました。
 このぼっちゃまこそ、アンネ・リスベットが、どんなものよりも、強く愛してきた人です。今でもやっぱり、愛している人です。この世での、いちばんのほこりなのです。ところが、そのぼっちゃまは、さっさと行ってしまったのです。
 アンネ・リスベットは、お屋敷を出て、広い大通りを歩いていきました。心の中は、悲しくてたまりません。
「ぼっちゃまは、あんなによそよそしくなってしまった。わたしのことなどは、なんにも考えていらっしゃらないし、ひとことも、話しかけてはくださらなかった。ああ、わたしは、あのぼっちゃまを、小さいころ、昼も夜も、だいてあげたのに。それに、今だって、心の中では、ずうっと、だいてあげているのに」
 そのとき、大きな、黒いカラスが、目の前の道の上に、おりてきました。カラスは、カー、カー、鳴きたてました。
「まあ、いやだこと。おまえは、ほんとに、えんぎのわるい鳥だねえ」と、アンネ・リスベットは言いました。
 それから、みぞほり人夫の家によりました。入り口に、おかみさんが立っていました。そこで、ふたりは話をはじめました。
「おまえさん。なかなか、たいしたもんらしいじゃないか」と、みぞほり人夫のおかみさんが、話しかけました。「まんまるく、ふとってさ。さぞかし、ぐあいがいいんだね」
「ええ、まあねえ」と、アンネ・リスベットは、言いました。
「あのとき、ふたりの乗ってた船が、しずんじゃってね」と、おかみさんは言いました。
「船頭のラルスも、あの子も、おぼれちゃったんだよ。ふたりとも、もう、おしまいさ。わたしは、今に、あの子が、いくらかは、くらしをたすけてくれると思ってたんだがねえ。あんたも、もう、あの子のために、お金をつかう必要はなくなったよ、アンネ・リスベットさん」
「ふたりとも、おぼれてしまったんですか!」と、アンネ・リスベットは言いました。でもそれきり、そのことについては、なんにも言いませんでした。
 いま、アンネ・リスベットの心は、悲しみで、いっぱいだったのです。アンネ・リスベットは、伯爵のぼっちゃまを、心から愛していました。そのぼっちゃまに、会いたいばかりに、遠い道を歩いていったのです。それなのに、ぼっちゃまは、ひとことも、アンネ・リスベットに、話しかけてくれなかったではありませんか。それに、今度の旅行では、お金もずいぶんかかりました。しかも、それにくらべて、大きなよろこびは、えられなかったのです。けれども、そのことは、今は、なんにも言いませんでした。こんなことを、みぞほり人夫のおかみさんに話して、それで、気持を軽くしたいとは、思わなかったのです。それどころか、こんな話をすれば、おかみさんは、この人は、もう、伯爵さまのお屋敷やしきでは、だいじにされてはいないんだ、と思うにきまっています。
 そのとき、カラスがまたもや、カーカー鳴きながら、頭の上を飛んでいきました。
「あの、えんぎのわるい鳴き声のおかげで」と、アンネ・リスベットは言いました。「きょうは、わたし、ほんとに、びっくりさせられたわ」
 アンネ・リスベットは、おかみさんへのおみやげに、コーヒーまめとキクヂシャを持ってきました。おかみさんは、コーヒーが飲めるので、大よろこびです。さっそく、いれることにしました。アンネ・リスベットも、一ぱい、たのみました。そこで、おかみさんは、コーヒーをいれに、むこうへ行きました。アンネ・リスベットは、椅子いすこしをおろしましたが、そのうちに、うとうとねむってしまいました。
 眠っているあいだに、アンネ・リスベットは、ふしぎなゆめを見ました。いままで、一度も夢になど見たことのない人が、その夢の中にあらわれたのです。それは、アンネ・リスベットの子供でした。この家で、おなかをすかして、泣きわめいていた、あの男の子です。だれにも、かまってもらえなかった、あの子です。そして今は、神さまだけがごぞんじの、深い海の底に、横たわっている、あの子の夢を見たのです。夢の中でも、アンネ・リスベットは、いま、腰かけている部屋の中に、やっぱり、腰かけていました。おかみさんも、同じように、コーヒーをいれに行っています。コーヒー豆をいるにおいが、ぷんぷんしてきました。
 そのとき、戸口に、きれいな子供があらわれました。伯爵のぼっちゃまのように、美しい子供です。その子はこう言いました。
「いま、世界はほろびます。さあ、ぼくに、しっかり、つかまってください。なんといっても、あなたは、ぼくのおかあさんですからね。あなたは、天国に、ひとりの天使を持っているんですよ。さあ、ぼくに、しっかりつかまってください」
 こう言うと、天使は、アンネ・リスベットのほうへ、手をさしのべました。と、そのとたんに、すさまじいひびきがとどろきました。まぎれもなく、世界がはれつした音です。天使は、空へうかびあがりました。しかし、その手は、アンネ・リスベットのはだ着のそでを、しっかりと、つかんでいます。アンネ・リスベットは、なんだか、足が地面からはなれたような気がしました。ところが、そのとき、なにかおもたいものが、足にぶらさがりました。いや、背中のほうまで、よじのぼってくるものもあります。まるで、何百人もの女に、しがみつかれているみたいです。その女たちは、口々に、こう言っているではありませんか。
「あんたが、すくわれるんなら、わたしたちだって、すくわれてもいい。つかまろう、つかまろう」
 こうして、みんなが、われもわれもと、すがりつくのです。でも、あんまり大ぜいすぎます。
「ビリ、ビリ」と、音がしました。そでが、ちぎれました。とたんに、アンネ・リスベットは、ものすごいいきおいで、落ちていきました。そのとき、はっと目がさめました。もうすこしで、腰かけていた、椅子といっしょに、ひっくりかえるところでした。頭の中が、すっかり、ごちゃごちゃになっていました。それで、どんな夢を見たのか、ちょっと思い出すこともできませんでした。けれども、いやな夢だったことだけは、たしかです。
 それから、おかみさんといっしょに、コーヒーを飲みながら、いろんな話をしました。
 やがて、アンネ・リスベットは、別れをつげて、近くの町に行きました。その町で、荷馬車の御者ぎょしゃに会って、その人の車に乗せてもらって、その晩のうちに、自分の住んでいる町へ、帰ろうと思ったのです。ところが、御者に会ってみると、あくる日の夕方でなければ、出かけない、ということでした。
 アンネ・リスベットは、もし今夜、この町にとまるとすれば、どのくらいのお金がかかるかを考えてみました。それから、自分の町までの、道のりを考えてみました。そして、大通りを行かないで、海べにそっていけば、三キロぐらいは近そうだ、と心に思いました。
 空を見れば、きれいに晴れわたっていて、お月さまが、まんまるくかがやいています。そこで、アンネ・リスベットは、歩いていくことにきめました。あしたは、うちに帰ることができるでしょう。
 お日さまが、しずみました。夕べをつげるかねが、まだ鳴っています。おやおや、それは、鐘ではありません。ぬまの中で、大きなカエルが鳴いているのでした。
 やがて、そのカエルたちも、鳴くのをやめました。あたりは、しーんと、しずかになりました。鳥の鳴き声一つ、聞えません。今は、すべてのものが、しずかに眠っているのです。フクロウだけは、まだ、にかえっていませんでした。森は、ひっそりとしています。アンネ・リスベットの歩いている浜べも、しーんとしています。聞えるものといえば、ただ、砂をふむ、自分の足音ばかりです。海のおもてには、さざなみ一つ、立っていません。深い水の中からは、音一つ聞えません。海の底にあるものは、生きているものも、死んでいるものも、みんなひっそりと、だまりこくっています。
 アンネ・リスベットは、どんどん歩いていきました。世間でよく言うように、なんにも考えてはいませんでした。今のアンネ・リスベットは、考えるということから、離れていました。けれども、考えのほうでは、アンネ・リスベットから、離れてはいませんでした。考えというものは、わたしたちから、離れるようにみえても、離れているのではありません。ただ、うつらうつらしているだけなのです。いきいきと働いていた考えが、うつらうつらしていることもあります。まだ、働きださない考えが、うつらうつらしていることもあるのです。しかし、考えというものは、いつかはきっと、おもてにあらわれてきます。それは、わたしたちの心の中で、動きだすこともありますし、頭の中でうごめくこともあります。それから、わたしたちの上に、降ってわいてくることもあります。
「よい行いは、祝福をもたらす」という言葉があります。また、「罪をおかせば、死にいたる」という言葉もあります。ほかにも、書かれたり、言われたりしている言葉は、たくさんあります。けれども、人はそれを知らないのです。思い出せないのです。アンネ・リスベットが、やはり、そうでした。けれども、そういうものが、ふっと、おもてにあらわれて、心に浮んでくることがあります。
 罪も、徳も、すべて、わたしたちの心の中にあります。あなたの心の中にも、わたしの心の中にも! それらは、目に見えない小さな穀物のつぶのように、ひそんでいるのです。そこへ、外から、お日さまの光が一すじ、さしてきます。でなければ、わるい手がさわりにきます。あなたは、町かどを、右か左にまわります。ええ、それだけで、きまってしまうのです。小さなつぶは、ゆすぶられているうちに、ふくらんできて、はじけとびます。そして、そのしるを、あなたの血の中にそそぎこみます。そうなると、あなたはもう、走りつづけなければなりません。
 人の心を不安にする考えも、ゆめを見ているときには、気がつかないものです。しかし、そのあいだも、働きつづけているのです。アンネ・リスベットも、夢を見ながら、歩いていました。心の中では、いろいろな考えが動いていました。
 二月二日の、聖母おきよめの祝日から、つぎの祝日のあいだまでに、心には、たくさんの借りができます。一年のあいだの、決算ですが、忘れられてしまうものも、たくさんあります。たとえば、わたしたちは、神さまをはじめ、となりの人や、わたしたち自身の良心にたいしても、罪をおかしています。口に出しておかしているときもあれば、心の中でおかしていることもあるのですが、そういうものは、たいてい、忘れられてしまいます。
 わたしたちは、ふつう、そんなことは考えません。アンネ・リスベットも、同じでした。そのはずです。アンネ・リスベットは、国の法律や、規則に合わないようなことは、なに一つ、していないのですから。それどころか、アンネ・リスベットは、みんなから、正直で感心な、りっぱな女だと思われているのです。そのことは、アンネ・リスベット自身も、ちゃんと知っていました。
 さて、アンネ・リスベットは、海べにそって歩いていきました。――おや、むこうに、なにかがありますよ。アンネ・リスベットは、あゆみをとめました。波に打ちあげられているのは、なんでしょう? 古い、男の帽子ぼうしです。どこか、海の上で、船から落ちたものでしょう。
 アンネ・リスベットは、なおも、近づいていきました。立ちどまって、それをながめました。――おや、まあ、横たわっているのは、なんでしょう? 一瞬いっしゅん、アンネ・リスベットは、ぎょっとしました。けれども、よくよく見れば、べつに、びっくりするほどのものではありません。海草とヨシが、大きな細長い石の上に、まつわりついているだけではありませんか。もっとも、それが、人間のからだそっくりに見えたのです。
 ただの海草と、ヨシにすぎませんが、それでも、アンネ・リスベットは、すっかり、おどろいてしまいました。なおも、先へ歩いていくうちに、今度は、子供のころ聞いた話が、いろいろ頭に浮んできました。
 たとえば、「浜のゆうれい」についての迷信めいしんです。これは、さびしい海べに打ちあげられて、ほうむられずに、そのままになっている、死人のゆうれいの話です。それから、「浜にさらされたもの」というのも、あります。こちらは、死んだ人の、からだのことです。べつに、だれにも、わるいことをするわけではありません。ところが、「浜のゆうれい」のほうは、旅人が海べを、ひとりきりで歩いていると、そのあとをつけてきます。そして、その人の背中に、しっかりとしがみついて、
「どうか、墓地へ、連れていってください。ちゃんと、教会の土の中にうめてください」と、たのむそうです。そのときに、「つかまろう、つかまろう」と、言うのだそうです。
 アンネ・リスベットは、なんの気なしに、この言葉をくりかえして、つぶやきました。と、とつぜん、昼間見た夢が、はっきりと、目の前に浮んできました。夢の中では、大ぜいの母親が、「つかまろう、つかまろう」と、さけびながら、しがみついてきたのです。世界はしずみ、はだ着のそではちぎれて、自分は、子供の天使の手から離れて、落ちていったのです。その天使は、最後のさばきのときに、自分を天国へと引きあげにきてくれたのですが。
 いっぽう、自分の子、血をわけた、自分のほんとうの子は、どうでしょう。その子は、いま、海の底に横たわっているのです。一度も、愛したことのない、いいえ、それどころか、思ってさえもみたことのない子です。もしかしたら、その子が、浜のゆうれいとなって出てきて、「つかまろう、つかまろう。墓地へ、連れていってください」と、さけぶかもしれません。
 こんなことを考えると、なんだか、心配でたまらなくなってきました。ぐんぐん、足を速めました。おそろしさが、つめたい、ぬらぬらした手のように、せまってきました。みぞおちの上に、しっかりとくっつきました。アンネ・リスベットは、もうすこしで、気が遠くなりそうでした。
 海の上をながめると、なんだか、ぼうっと、かすんできました。こいきりが、しよせてきて、草むらや木々のまわりに、からみつきました。すると、その草むらや、木々は、なんともいえない、気味のわるい形になりました。お月さまを見ようとして、うしろをふりかえってみました。お月さまは、光をうしなった、青白いえんばんみたいです。
 そのとき、何かおもたいものが、手や足にくっついてきました。「つかまろう、つかまろう」という、あのゆうれいだな、と心の中で思いました。
 もう一度、ふりむいて、お月さまを見ると、お月さまの青白い顔が、まるで、すぐ目の前にせまっているようです。霧が、白いリンネルのように、肩にかかってきました。そのとき、「つかまろう、つかまろう。墓地へ、連れていってください」という声が、したようです。それといっしょに、すぐ近くで、うつろな声がしました。沼のカエルや、カラスどもの声ではありません。なぜなら、そんなものの姿は、どこにも見えないのですから。
 すると、今度は、「わたしを、ちゃんと、土の中に、うめてください。ちゃんと、土の中に、うめてください」という声が、はっきり、聞えてきたではありませんか。たしかに、これは、海の底に横たわっている、自分の子供が、浜のゆうれいとなって、出てきたのにちがいありません。この子は、墓地に連れていって、教会の土の中に、ちゃんとうめてやらないうちは、心の平和がえられないのです。
 そこで、アンネ・リスベットは、墓地へ子供を連れていって、うめてやろうと思いました。教会のあるほうにむかって、歩きだしました。ところが、しばらく歩いていくと、しがみついているゆうれいが、だんだん軽くなってきました。しまいには、とうとう、重みを感じなくなってしまいました。
 そこで、アンネ・リスベットは、また考えをかえて、さっきの近道に引きかえそうとしました。ところが、そのとたんに、また、あのゆうれいに、しっかりと、しがみつかれてしまいました。「つかまろう、つかまろう」そういう声は、まるで、カエルの鳴き声のようでした。悲しそうな、鳥の鳴き声のようでもありました。しかし、たしかに、はっきりと聞えました。「わたしを、ちゃんと、土の中に、うめてください。ちゃんと、土の中に、うめてください」
 霧は、つめたく、ぬらぬらしていました。けれども、アンネ・リスベットの手や顔が、つめたく、ぬらぬらしていたのは、そのためではありません。おそろしさのためだったのです。アンネ・リスベットは、おそろしさを、ひしひしと身に感じました。心のうちには、大きな場所が、ぽっかり口を開きました。そこに、今まで、一度も感じたことのない、考えがあらわれてきました。
 北の国のデンマークでは、春になると、たった一晩のうちに、ブナの森が、いっせいに、みどりの芽を出すことがあります。そして、あくる日、お日さまの光を受けると、若々しい美しさに、光りかがやくことがあります。わたしたちの生活の中に、まかれている罪のたねも、それと同じように、あっというまにふくらんで、考えや言葉や、行いのうちに、芽を出すことがあります。良心が目をさますと、それは、またたくうちに、ぐんぐんのびて大きくなります。
 神さまは、わたしたちが思いもしないときに、良心を呼びさまします。そうなれば、もう、言いわけはゆるされません。行いが証明となり、考えは言葉となって、その言葉は、広く世の中にひびきわたるのです。わたしたちは、こういうものが、自分のうちにあって、しかも、よく、押しころされなかったものだと、おどろきます。また、わたしたちは、ごうまんな気持から、考えなしにまきちらしたものを見て、おどろきます。心の中には、徳も、ひそんでいます。そのいっぽう、悪も、ひそんでいます。それらは、どんなひどい土地でも、芽を出して、のびていくものです。
 今、ここに言いあらわしたことが、アンネ・リスベットの頭の中に、芽を出してきました。アンネ・リスベットは、おそろしさにうちのめされて、地べたにくずおれました。しばらくは、ただ、そのまま、地べたをはっていきました。
「わたしを、地の中にうめてください。地の中にうめてください」という声がしました。アンネ・リスベットは、いっそ、自分を、地の中にうめてしまいたいと思いました。もしも、お墓にはいることによって、なにもかも忘れることができるものならば。――
 アンネ・リスベットにとっては、しんけんに目ざめる、ひとときでした。もちろん、おそろしさと、不安とは、つきまとっています。迷信は、アンネ・リスベットの血を、ときには、つめたくひやし、ときには、あつく燃やしました。今まで、口にしたこともないようなことが、つぎつぎと、頭に浮んできました。まぼろしのようなものが、お月さまの光をうけた、雲のかげのように、音もなくそばを通りすぎました。それは、前に、話には聞いていたものです。
 四頭のウマが、目や鼻からほのおをはきながら、燃える馬車を、ひいていました。馬車の中には、何百年も前に、このあたりをおさめていた、わるい殿とのさまが乗っていました。なんでも、この殿さまは、毎晩、ま夜中に馬車に乗って、自分の領地に行き、すぐまた引きかえすのだという話です。けれども、この殿さまは、わたしたちが、よく、死神について思い浮べるように、青白くはありません。それどころか、炭のように、それも、火の消えた炭のように、まっ黒でした。
 殿さまは、アンネ・リスベットにむかって、うなずいて手まねきしました。
「つかまろう、つかまろう。そうすれば、また、伯爵はくしゃくの馬車に乗って、自分の子供のことも、忘れられるぞ」
 アンネ・リスベットは、いっそう、足を速めました。墓地にたどりつきました。ところが、黒い十字架じゅうじかと、黒いカラスたちが、目の前に入りみだれていて、その見わけが、はっきりとつきません。カラスたちは、昼間と同じように、カー、カー、鳴きさけんでいます。けれども、いまは、ようやく、カラスたちの言おうとしている意味が、わかりました。
「わたしは、カラスのおかあさん。わたしは、カラスのおかあさん」と、カラスたちは、口々にさけんでいるのでした。
 カラスのおかあさんは、子供が、まだ飛べないうちに、からつき落すということです。それで、カラスのおかあさんというのは、なさけしらずのひどいおかあさんのことなのです。アンネ・リスベットは、自分も、カラスのおかあさんと同じだと、気がつきました。きっと、いまに、自分も、こういう黒いカラスに、かえられてしまうでしょう。そして、お墓がほってやれないといって、このカラスたちと同じように、しょっちゅう、鳴きわめかなければならないかもしれません。
 はっとして、アンネ・リスベットは、地べたに身を投げだし、かたい土を、手でほりはじめました。たちまち、指からは血がほとばしり出ました。
「わたしを、地の中にうめてください。地の中にうめてください」という声が、たえず聞えました。
 アンネ・リスベットは、ニワトリが鳴いて、東の空が赤くそまってくるのを、おそれました。なぜって、それまでに、自分の仕事をやりおえないと、なにもかも、だめになってしまうのです。
 そのとき、ニワトリが鳴いて、東の空が赤くなってきました。――けれども、お墓はまだ、半分しかほれていないのです。氷のようにつめたい手が、頭から顔へすべりおりて、胸までさがってきました。
「お墓は、まだ、やっと半分!」と、ため息まじりに、言う声がしました。なにかが、アンネ・リスベットのからだから、ふわふわとはなれて、海の底へもどっていきました。いうまでもなく、浜のゆうれいです。アンネ・リスベットは、打ちのめされて、地べたにたおれました。もう、考える力も、感じる力も、ありません。
 アンネ・リスベットが、気がついたときには、もう、すっかり明るくなっていました。ふたりの男が、自分をだきおこしてくれています。見れば、そこは墓地ではなくて、海べでした。しかも、その海べの砂の中に、アンネ・リスベットは、深い穴をほっていたのです。それに、指もけがをして、血が出ていました。青くぬった、木の足のコップがくだけていて、それで、指を切ったのです。
 アンネ・リスベットは、病気でした。良心のカードの中に、迷信のカードがまぜられて、その中から一枚、引きぬかれたのです。そのため、いまは、はんぶんのたましいしか、持っていませんでした。あとのはんぶんは、自分の子供が、海の底に持っていってしまったのです。その魂のはんぶんは、いま、海の底に、しっかりと、しばりつけられています。それを取りもどさないうちは、天国にのぼっていって、神さまのおめぐみを受けることはできないでしょう。
 アンネ・リスベットは、やっとの思いで、家に帰ってきました。けれども、今までとは、がらりと、人がかわってしまいました。頭の中は、もつれた糸玉のように、もつれにもつれていました。けれどもその中を、一つの考えだけが、はっきりとつらぬいていました。それは、浜のゆうれいを教会の墓地に連れていって、お墓をほってやり、そうすることによって、魂の全部をとりもどすということでした。
 アンネ・リスベットは、幾晩いくばんも、幾晩も、家から、姿をけすようになりました。そういうときには、きまって、海べにいるところを、人に見つけられました。もちろん、アンネ・リスベットは、浜のゆうれいが出てくるのを、待っていたのです。
 こんなふうにして、まる一年たちました。
 ある晩のこと、とつぜん、アンネ・リスベットは、また、姿をけしてしまいました。ところが、今度は、なかなか、見つからないのです。あくる日は、一日じゅう、みんなで、さがしまわりました。でも、やっぱり、だめでした。
 夕方になって、役僧やくそうが、夕べのかねを鳴らすために、教会の中へはいっていきました。ふと見ると、聖壇せいだんの前に、アンネ・リスベットが、ひざまずいているではありませんか。アンネ・リスベットは、朝早くから、ずっとここにいたのです。からだの力は、もう、ほとんどけきっているようでした。けれども、目は光りかがやき、顔にも生き生きとした、赤みがさしています。お日さまの最後の光が、アンネ・リスベットの上を照らしました。聖壇の上にひろげられている聖書のかざりがねを、キラキラと照らしました。そこには、預言者ヨエルの言葉が書いてありました。「なんじら、ころもをさかずして、心をさき、なんじらの神にかえるべし」――
「それは、ぐうぜんだよ」と、人々は言いました。世の中のたいていのことは、ぐうぜんだと言われるものですね。
 お日さまに照らされているアンネ・リスベットの顔には、はっきりと、平和とおめぐみが、あらわれていました。
「とても、よい気持です」と、アンネ・リスベットは、言いました。
 とうとう、アンネ・リスベットは、うちかったのです。ゆうべは、自分の子供の、浜のゆうれいがそばにやってきて、こう言いました。
「おかあさん。あなたはぼくのために、お墓をはんぶんしか、ほってくれませんでした。でも、この一年間というものは、あなたの心の中に、しっかりと、ぼくを入れておいてくれましたね。子供にとっては、おかあさんが、自分の心の中に、入れておいてくれるのが、なによりもうれしいことなんですよ」
 こう言って、前にとっていった魂のはんぶんを、アンネ・リスベットにかえしました。それから、アンネ・リスベットを、この教会に案内してきたのです。
「いまは、わたしは、神さまのおうちにいます。ここでは、どんな人も、しあわせです」と、アンネ・リスベットは言いました。
 お日さまが、すっかりしずみました。そのとき、アンネ・リスベットの魂は、高く高く、天にのぼっていきました。そこでは、もうおそろしいと思うことはありません。この世で、りっぱにたたかいぬいた人にとってはです。アンネ・リスベットこそ、そういう、りっぱにたたかいぬいた人なのです。





底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※(ローマ数字1、1-13-21)」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1989(平成元)年11月15日34刷改版
   2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年3月27日作成
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