ペンとインキつぼ

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 ある、詩人の部屋の中でのお話です。だれかが、詩人の机の上にあるインキつぼを見て、こう言いました。
「こんなインキつぼの中から、ありとあらゆるものが生れてくるんだから、まったくもってふしぎだなあ! 今度は、いったい、なにが出てくるんだろう? いや、ほんとにふしぎなもんさ」
「そうなのよ」と、インキつぼは言いました。「それが、あたしには、どうしてもわからないの。いつも言ってることなんですけどね」と、インキつぼは、ペンだの、そのほか、机の上にのっている、耳の聞えるものたちにむかって、言いました。
「この、あたしの中から、どんなものでも、生れてくるのかと思うと、ほんとにふしぎな気がするわ。ちょっと、信じられないくらいよ。
 人間があたしの中から、インキをくみ出そうとするとき、今度は、どんなものが出てくるのか、あたし自身にもわからないの。あたしの中から、たった一しずく、くみ出しさえすれば、それで、半ページは書けるのよ。おまけに、その紙の上には、どんなものだって、書きあらわされるのよ。ほんとに、ふしぎったらないわ!
 あたしの中から、詩人のあらゆる作品が生れてくるのよ。読んでいる人が、どこかで見たと思うくらいに、いきいきとえがかれている人物も、しみじみとした感情も、それから、しゃれたユーモアも、美しい自然の描写びょうしゃもよ。といっても、ほんとは、あたし、自然て、なんだか知りませんけどね。だって、自然なんてものは、見たことがないんですもの。だけど、あたしの中にあることだけは、まちがいないわ。
 あの、身のかるい、美しいむすめたちのむれも、鼻からあわをふいている、あらウマにまたがった、いさましい騎士きしたち、ペール・デヴァーや、キルスデン・キマーも、みんな、あたしの中から生れてきたんだし、これからも生れてくるのよ。もちろん、あたし自身が知ってるわけじゃないけど。だいいち、あたし、そんなこと考えてもみなかったわ」
「たしかに、あなたの言うとおりですよ」と、鵞ペンが言いました。
「あなたは、考えてみるということを、なさらない。もしもあなたが、ちょっとでも考えてみるとする。そうすれば、あなたから出てくるものは、ただの液体だということぐらい、すぐわかるはずですからね。あなたが、その液体をくださる。それで、わたしは話をすることができるんですよ。わたしのうちにあるものを、紙の上に見えるようにすることができるんです。つまり、書きおろすというわけなんですよ。
 いいですか。書くのは、ペンですからね。これだけは、どんな人間も、うたがいはしませんよ。ところが、詩のこととなると、たいていの人間が、古いインキつぼと同じくらいの考えしか、持っていないんですからねえ」
「まだ、世間のことも、ろくに知らないくせに」と、インキつぼは言いました。「あなたなんか、やっと一週間ばかり、働いただけで、もう半分、すりきれてしまったじゃないの。ご自分では、詩人の気でいるのね。あなたなんて、ただの召使めしつかいよ。あたしはね、あなたが来るまえに、もうずいぶん、あなたの親類をつかっているのよ。ガチョウ一家のものも、イギリスの工場から来たものもよ。鵞ペンだって、はがねのペンだって、どっちも、よく知ってるわ。そりゃ、たくさん、つかったんですもの。
 でも、あの人間がね、そら、あたしのために働いてくれる人間のことよ。あの人間がやってきて、あたしの中からくみ出したものを、書きおろすようになれば、もっともっとたくさん、つかうようになるわ。それにしても、あたしの中から、くみ出されるさいしょのものは、いったい、どんなものになるのかしら」
「ふん、インキだるめ!」と、ペンは言いました。
 その晩おそく、詩人は家に帰ってきました。詩人は音楽会に行っていたのです。有名なバイオリンの名人の、すばらしい演奏を聞いて、すっかり心をうたれ、頭の中は、それでいっぱいでした。音楽家が楽器から引き出したのは、ほんとうにおどろくべき音の流れでした。それは、サラサラと音をたてる、水のしずくのようにも、真珠しんじゅと真珠のふれあう音のようにも聞えました。また、あるときには、小鳥たちが、声を合せてさえずるようにも、聞えました。そうかと思うと、モミの木の森に、あらしがふきすさぶようにも、聞えました。
 詩人は、自分の心のすすり泣く声が、聞えるような気がしました。けれども、それは、女の人の美しい声でなければ、とうてい聞くことができないようなメロディーでした。
 ただ、バイオリンのげんだけが、鳴っているのではありません。こまも、せんも、共鳴板も、みんな鳴っているようでした。ほんとうに、おどろくべきことでした。曲は、むずかしいものでした。でも、見たところでは、まるで遊んでいるように、弓が弦の上を、あちこちと、動きまわっているだけでした。これなら、だれにでも、まねすることができそうでした。
 バイオリンは、ひとりでに鳴り、弓はひとりでに動いて、まるで、この二つだけで、音楽が鳴っているようでした。みんなは、それを演奏し、それに命と、たましいとをふきこんでいる、バイオリンの名人のことは、忘れていました。そうです、その名人のことを、みんなは、忘れていたのです。しかし、詩人は、今、その音楽家のことを思い出していました。詩人は、その人の名を口にし、自分の感想を、つぎのように書きしるしました。
「弓とバイオリンとが、自分のことをじまんするとしたら、じつに、ばかげたことだ。しかし、われわれ人間も、たびたび、同じような、あやまちをする。詩人にしても、芸術家にしても、学者にしても、将軍にしてもだ。われわれは、自分をじまんする。――だが、われわれは、みんな、神の演奏なさる楽器にすぎないのだ。神にのみ、さかえあれ! われわれには、だれひとりとして、じまんすべきものは、なにもないのだ」
 詩人は、こう書きつけると、比喩ひゆとして、「名人と楽器」という題をつけました。
「みごとに、やられましたね、おくさん」と、ペンはインキつぼにむかって、ふたりきりになったとき、言いました。「いま詩人が読みあげたのは、わたしの書きおろしたものですが、お聞きになったでしょうな」
「ええ、あたしが、あなたにあげた、書く材料でね」と、インキつぼは言いました。「あれは、あなたのごうまんを、こらしめるためのひとうちよ。あなたは、自分がからかわれているのも、わからないじゃないの。あたしはね、心の奥底からの一うちを、あなたにさしあげたのよ。あたし、自分の皮肉ぐらい、わかってよ」
「なに、このインキ入れめ!」と、ペンは言いました。
「ふん、この字書き棒!」と、インキつぼも、やりかえしました。
 これで、ふたりとも、それぞれに、うまい返事をした気でいました。うまい返事をしたと思うと、気持がすうっとして、ぐっすりねむれるものです。で、ふたりは、眠ってしまいました。
 けれども、詩人は眠りませんでした。さまざまの思いが、バイオリンの中から、わき出てくる音のように、あとからあとから、わきおこってきました。ときには真珠のふれあうように、またときには、森にきすさぶあらしのように。詩人は、その中に、自分自身の心を感じました。永遠の名人からの光を一すじ、感じました。
 永遠の名人にのみ、さかえあれ。





底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※(ローマ数字1、1-13-21)」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1989(平成元)年11月15日34刷改版
   2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年4月27日作成
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