のらもの

徳田秋声




     一

月魄つきしろ」といふ関西の酒造家の出してゐるカフヱの入口へ来た時、晴代は今更らさうした慣れない職業戦線に立つことに、ちよつと気怯きおくれがした。その頃銀座には関西の思ひ切つてあくどい趣味の大規模のカフヱが幾つも進出してゐた。女給の中にはスタア級の映画女優にも劣らない花形女給も輩出してゐて、雑誌や新聞の娯楽面をにぎはしてゐた。世界大戦後の好景気の余波と震災後の復興気分とが、しばし時代相応の享楽世界をかもし出してゐたが、晴代が銀座で働かうと思ひ立つた頃のカフヱはやゝ下り坂だと言つた方がよかつた。足かけ四年の結婚生活が何うにも支へ切れなくなりさうになつたところで、からくも最後の一線に踏み止まらうとした晴代の気持にも既に世帯の苦労が沁みこんでゐた。
 狭い路次にある裏の入口に立つてみると、そこに細い二段の階段があり、階段の側にむせるやうな石炭や油の嗅気にほひたゞよつたコック場のドアがあり、此方側の、だらしなく取散らかつた畳敷の女給溜りには、早出らしい女給の姿もみえて、その一人が立つて来て、じろ/\晴代の風体ふうていを見ながら、二階の事務室へ案内してくれた。
 晴代は新らしい自身の職場を求めるのに、特にこの月魄をえらんだわけではなかつた。震災で丸焼けになつて、それからずつと素人しろうとになつて母と二人で、前から関係のある兜町かぶとちやうの男から、時々支給を仰ぎながら細々暮らしてゐた古い商売友達のかをるが、浅草のカフヱに出てゐて、さういふ世界の空気もいくらか知つてゐたので、うせ出るなら客筋のいい一流の店の方がチップの収入も好いだらうと思つて、今日思ひ切つて口をさがしに来たのだつた。しかし構へを見ただけで、ちよつと怯気おぢけのつくやうな派手々々しい大カフヱも何うかと云ふ気もして、ちやうど「女給募集」の立看板の出てゐるのを力に、いきなり月魄つきしろへ飛びこんだ訳だつた。
 カフヱ通ひは木山も何うにか承知した形だつたが、実は承知するも、しないもなかつた。呑気のんきものの木山に寄りかかつてゐたのでは、永年の願望であり、やうやく思ひがけない廻り合せで、それも今になつて考へると、若い同士のふわふわした気分で、ちやうど彼女も二千円ばかりの借金を二年半ばかりで切つてしまつて、やつと身軽な看板借りで、山の手から下町へ来て披露目ひろめをした其の当日から、三日にあげず遊びに来た木山は、年も二つ上の垢ぬけのした引手茶屋の子息むすこの材木商と云ふ条件も、山の手で馴染なじんだ代議士とか司法官とか、何処其処の校長とか、又は近郊の地主、或ひは請負師と云つた種々雑多の比較的肩の張る年配の男と違つた、何か気のおけない友達気分だつたので、用事をつけては芝居や活動へ行つたり、デパートでぽつ/\世帯道具を買ひ集めて、どつちも色が浅黒いところから、長火鉢は紫檀したん、食卓も鏡台も箸箱はしばこも黒塗りといつた風の、世帯をもつ前後の他愛のない気分や、木山が遊び半分親店へ通つてゐる間に、彼女自身は裁縫やお花などを習ふかたはら、今迄の玉帳とはちがつた小遣帳をつけたり、婦人雑誌やラヂオで教はつた惣菜そうざい料理を拵へたり、初めてもつて見た自分の家や世帯道具を磨き立てたりしてゐた一年半ばかりの楽しさも、小説か映画にでもありさうな夢でしかなかつた。それに其の間だつて、別のつらさで生活の苦しみをめて来た晴代は、決して木山と一緒になつてふら/\遊んでゐる訳ではなかつた。金さへあれば前後の考へもなくふら/\遊んで歩く癖のついた木山の生活振りも、少しづゝ見透かされて来て、商売の手口が気にかゝり、金の出道や何かが、時に気になることもあつた。たとへば親店又は荷主へ当然支払はなければならない、どんな大切な金でも、一旦木山の懐ろへ入つたとなると、月に三つくらゐは必ず見なければ気の済まない芝居を見るとか、地廻り格になつてゐる浅草界隈かいわいの待合へ入侵いりびたつて花を引くとか、若いものの道楽といふ道楽は大抵手を染めてゐたので、いつか其の金にも手が着かないでは済まなかつた。

     二

 晴代は芳町よしちやうで半玉から一本に成りたての頃から、ひまさへあると外国物それも重にイタリイやアメリカものの上演される水天宮館へ入り侵つてゐたもので、メリイ・ピックフォードやウヰリアム・ヱス・ハート、特に好きなのはフランシス・ブッシュマンだつたが、それはずつと昔しのこととして、木山とお馴染なじみになつてからも、写真の替り目替り目には何をおいても映画館へ入ることにしてゐたが、木山も何うかすると独りであの館から此の館へと、プログラムが三つもポケットから出るやうなこともあつて、その内の好いものをあとで晴代にも見せるやうにしてゐたものだが、育つた世界が世界なので歌舞伎かぶきの座席に納まつて、懐かしいしやぎりや舞台裏の木の音に気を好くしてゐる時の方ががひがあるやうに思へた。
 まだ世帯の持ちたてだつたが、晴代も時々誘はれた。晴代は女に成りたての十八九の頃、年の若い一人の株屋を座敷の旦那に持たせられてゐたが、その男には既に女房があつて、晴代を世話するのもさう云ふ社会の一つの外見みえで、衣裳いしやうや持物や小遣ひには不自由を感じないながらに、異性の愛情らしいものがなく、何か翫弄おもちやにされてゐるやうなさびしさと侮辱とを感じてゐたので、つい中途から遊び上手の芝居ものの手にかゝつて、その関係が震災の後までも続いたくらゐなので、歌舞伎の世界の空気や俳優たちの生活も知つてゐたから、芝居も万更まんざら嫌ひではなかつたけれど、銀幕に吸ひついたり飜訳小説に読みふけつてゐる時ほど、気持にぴつたり来なかつた。
 するとだ世帯の持ち立ての、晴れてつゐで歩くのが嬉しい頃、明治座を見物した時のこと、中幕の「毛抜」がすんで、食堂で西洋料理を食べるまでは可かつたが、食堂を出た頃から晴代は兎角とかく木山の姿を見失ひがちで、二番目の綺堂物きだうものの開幕のベルが鳴りわたつたところで、多分木山がもう座席で待つてゐるだらうと、一人で買つたお土産みやげの包みをかゝへて観覧席へ入つて来たが、木山はまだ席に就いてはゐなかつた。晴代もそんな事はさう気にならないたちなので、ひよい/\出歩くいつもの癖だくらゐに思つてゐたが、余りゆつくりなので気にかゝり出した。木山はその一幕のあひだ到頭たうとう入つて来なかつたが、さうなると晴代も探してあるくのも厭で、知らん振りして次の幕が開くまで座席で筋書を読んで寂しさをまぎらしてゐた。
「何うしてゐたの。」
「うん、ちよつと……。」
 それきりでどつちも何とも言はなかつたが、その後も木山は善く芝居の切符を屹度きつと二枚づゝ買つて来るので、同伴してみるとそれが何時でも神楽坂かぐらざかの花柳界の連中れんぢゆうの日であるのが不思議であつた。その度に晴代から離れて待合の女中などと廊下で立話をしてゐる木山の姿が目についたが、その中には木山の顔馴染かほなじみらしい年増芸者の姿もみえた。晴代は座敷でふ男の社会的地位や、人柄に気をつける習性がいつかついてゐて、男性には自然警戒的な職業心理が働くのだつたが、相手の言動を裏まで探つたり疑つたりするのが嫌ひだつたので、木山が何か話せばだが、黙つてゐる場合にわざ/\此方から問ひをかけるやうな事は出来なかつた。何か自身を卑しくするやうな感じもあつたが、聴いたところで何うにもならない事も承知してゐた。よく/\切端せつぱつまつた場合の外は黙つてゐた。それに木山にも若いものの友達附合ひといふこともあるので、それを一々気にしてゐては際限がなかつた。
 いつだつたか、四五人ある友達のなかでも、殊に気のあつてゐる、或る大問屋の子息むすこの真木政男が始終店へ遊びに来て、帳場で話しこんでゐた。真木は金の融通をしてもらふこともあつたし、材木を借りることもあるらしかつた。二人は商売上の話もしたが、遊びや女の話、仲間のうはさも出た。その若者も既に女房もちだつたが、浅草辺にも一人落籍ひかせた女があつた。彼等に取つては結婚したり、一人や二人女をもつたからと言つて、友達附合ひをしないのは、若いものの恥のやうに思はれてゐた。
「緑ちやん、君に言伝ことづてがあるんだよ。」
 真木は茶の間にゐた晴代がちよつと座を立つたところで言ひ出した。
「君にあげようと思つて、買つておいた物があるんだとさ。近いうち行つてみない?」
 晴代は台所で晩の仕度に取りかゝらうとしてゐたが、遊びに誘ひ出しに来たのではないかと云ふ気もしてゐたので、耳の神経だけは澄ましてゐた。別にどつちからも何とも口をきかないうちに、あの辺に一人くらゐ馴染のあることも公然の秘密みたいになつてゐたけれど、晴代はおぼろげに想像して内心厭な気持がしてゐるだけで、突き留める気にもなれなかつた。晴代の無細工な手料理で木山は晩飯を食べたあと、もうあはせに袷羽織と云ふ時候であつたが晴代の前では話せない事もあるらしく、その辺の若い人達の夜の遊び場になつてゐる麻雀マージャンか玉突きへでも行くものらしく、台所に後始末してゐる晴代にちよつと声をかけて、二人は出て行つてしまつた。
 或る時木山が夜おそく帰つて来ると、何か薄いかくいものを、黙つて長火鉢の側にゐる晴代の前におくので、彼女は包装紙によつて、仲屋の半襟はんえりか何かだらうと思つた。
「これ何?」
「何だか開けてごらん。奥さんへ贈物だつて」
「へえ、誰から。」
「先きは君を知つてるよ。」
 開けてみると刺繍ししうの美事な塩瀬しほぜの半襟が二掛畳みこまれてあつたが、晴代も負けない気になつて、其よりも少し上等な物を木山の其の馴染の女に送り返した。

     三

 母から出してもらつた資本や、仲間の援護で始めた木山のさゝやかな店がぴしやんこになるのに造作ざうさはなかつた。苦しい算段の市の復興全体から言へば、彼の損害なぞはほんの微々たるものに過ぎなかつたが、それでも木山の負つた傷は大きかつた。好いまうぐちがあるからと言つて、飛びこんで来た知り合ひの大工は、外神田の電車通りに、羅紗らしやや子供服やボタンなどの、幾つかの問屋にするのに適当な建築を請負つて、その材料を分の好い条件で、木山に請け負はせる話を持ちこんだのだつた。お茶を持つて店へ出て来た晴代も見てゐる前で、木山はしきりに算盤そろばんをぱちぱちやりながら、親方にはかつてゐたが、総てはオ・ケであつた。木山の納屋なやには、米杉べいすぎの角材や板や、内地ものの細かいものが少しあるだけだつたが、方々駈けまはつてやつ入用いりようだけのものを取そろへ、今度こそはまうけする積りで、トラック三台ではこびつけたのだつたが、工事は中途から行き悩みで、木山が気をみ出した頃には、既に親方も姿をくらませてゐた。其の結果、親店とも相談のうへ、彼は店を畳んで、当分仕舞うた家へ逼塞ひつそくすることになつた。商売には器用な木山だつたので、真木は一時自分の店へ来て働くやうにと勧めてみたが、木山にも若い同士の見えがあつた。今更ら人に追ひ使はれる気にもなれなかつた。しかし結局は親店の仕事を手伝ひ旁々かた/″\自分の儲け口を見つけるより外なかつた。しかし怠け癖のついた木山は、こつ/\初めから出直すといふ心構へには容易になれなかつた。夜遊びの癖をめるのも困難だつたが、一度崩れたものを盛り返さうなどと云ふことは、考へるだけでも憂欝いううつであつた。働いたものにしろ、甘い母親から貰つて来たものにせよ、少しでも懐ろに金が入ると、彼は浅草辺をふら/\した。うせ追つかない世帯だと思ふと、持つて帰る気もしなかつたが、遊び気分は何といつても悪くなかつた。金離れのいい彼はいたるところ気受けが好かつた。近所の麻雀マージャンガールやゲーム取りにもちやほやされたが、うちの人達とも家族的にく晴代にお座敷をかけて遊んだ待合の女将おかみや、いつも花の宿になつてゐる芸者屋、そこへ集まる役者、小料理屋の且那、待合のお神たちといつた連中にも、好い坊ちやんにされてゐた。
 その頃木山は、一時下火になつてゐた牛込の女が、ちやうど好い旦那をつかまへたところで、好い意味での紐か好いひとといつた格で、その辺で遊んでゐた。今日は仲間と一緒に請負ひの入札に行つた筈だと、晴代が思ひこんでゐると、朝方になつて裏口の戸を叩いたり、又は誰々と田舎へ山を見に行くと行つて、二日も三日も何処かにしけ込んでゐたりした。それに市の入札に行つた帰りなどに、まつて丸菱まるびしから買ひものをして来るのも可笑をかしかつた。菓子に鑵詰、クリーム、ポマアド、ストッキングにシャツ――包み紙はいつも丸菱であつた。彼は大の甘党で、夜床についてからも、何かしら甘いものを枕頭へ引寄せて、ぽつ/\食べてゐたが、しこたま買ひこんで来る丸ビルの丸菱の甘味は甘いもの嫌ひの晴代には、美味うまさうには見えなかつた。
 或る時晴代が晩飯の材料を買ひに出て、気なしに台所へ上つて来ると、真木がその日も遊びに来てゐて、話のなかに丸菱といふ言葉がしきりに出るのが耳についた。晴代は前から変に思つてゐたので丸菱が何うしたのだらうと、ぢつと聴き耳を立ててゐたが、それが牛込の女の名だといふことがやつとわかつた。
「何だ詰らない。」
 晴代は独りで可笑をかしがつたが、その女の顔が見てやりたいやうに思つた。
 何時か三年目の晦日みそかが来て、晴代も明ければ既に二十六だつた。遠い先きのことや深いところは兎に角、差し当つたことを、何によらず傍目わきめもふらずに、てきぱき片着けて行かなければ気のすまない彼女に、今日といふ観念の少しもない、どんな明日を夢みてゐるのか解らない木山の心理などの解りやうもなかつたが、何よりも男の愛情が疑はれて来た。二つ上だと言つてゐた年も、一つしか違はないことも解つて、それも若いものの、妙な気取りだこともみこめるのだつたが、一緒に並んで歩いてゐると、彼はふと晴代を振りかへつて、「姉さんと歩いてるみたいだ」と言つては、きまはづかしさうに離れて行くのも好い気持ではなかつたが、それよりも左褄ひだりづまを取つてゐたつての自分に魅力はあつても、かひ/″\しく台所に働いたり洗濯をしたりきちん/\小遣帳をつけたりする今の自分に顰蹙ひんしゆくを感ずるのだらうかと、それも考へないことではなかつた。
「あの男はあれで私をもつて行く積りなのか知ら。」
 晴代は或る時薫親子に打ち明け話をした。そして其の時薫から女給の生活について、大略あらまし話をきいた。年齢について考へさせられてもゐたし、心の貞操までは売りものにしない積りでゐても、過去が過去なので、金持の二号とか、芸者屋稼業とか、一生薄暗いところで暮すのが厭だとしたら木山のやうな男も有難い方としなければならなかつた。晴代はこの結婚に大して花々しい夢をもたうとは思はなかつた。いつか一本になりたての、まだ決まつたパトロン格の男もなかつた頃に、三田出の東北の大地主の一人子息むすこがせつせと通つて来て、この頃晴子と言つてゐた晴代も、商売気はなれて、何か浮き立つやうな気持で、約束された結婚に青春の夢を寄せてゐたものだつたが、田舎ゐなかの方は田舎の方で別に縁談が進行してゐたところから、株券や現金のぎつちり詰まつたトランクを一つ持ちこんで、いつもの家の二階座敷に立て籠つてゐるうちに、追ひ駈けて来た未亡人の母親と番頭のためになかを裂かれて、半歳余りの夢も粉々に砕かれてしまつた。その当時晴代はたましひ脱殼ぬけがらのやうな体のがなくて、責任を負はされてゐる両親や多勢の妹たちがなかつたら、きつとあの時死んでゐたらうと思はれる程だつた。晴代に恋愛の思ひ出があるとしたら、あれなぞは中でも最もまじのないものかも知れなかつたが、長いあひだの商売で、散々に情操を踏みにじられて来ても、まだそんなものが彼女の胸にいくらか残つてゐるらしかつた。
 木山は晴代と一緒になつたから、ぐれ出したのだと、木山の従兄いとこの、女給あがりの細君が、蔭口を吐いてゐることも、晴代の耳へ入らない訳には行かなかつたし、さうすると私の遣り方がまづいのか知らなぞと、時には思ひ返して見たりするのだつたが、それよりも母親に気に入られてゐたので、季節々々の着物や草履、半衿のやうなものを貰つたり、木山には内密ないしよで小遣ひを渡されたりしてゐたので、晴代はその手前二人の襤褸ぼろは見せたくないと思つてゐた。
 すると大晦日おほみそかの晩、木山はその日は朝から集金に出かけて行つたが、たとひんなことがあつても二千円の金は持つて来なければならない筈であつた。取引き上のことは、木山も一切話さなかつたし、晴代も聴かうとはしないのだつたが、この頃になつて、時には二人の間にそんな話も出るので、晴代もいくらか筋道が呑み込めてゐた。二千にしても三千にしても、荷主や親店への支払ひに持つて行かれるので、手につくのは知れたものだつた。千円も集まれば可い方だと思つてゐた。
 晴代は年が越せるか何うかもわからないやうな不安と慌忙あわたゞしさの中に、春を迎へる用意をしてゐた。父親や妹たちも来て手伝つてゐた。今年になつて初めて歳の市で買つて来た神棚や仏壇を掃除して、牛蒡締ごばうじめを取りかへたり、花をあげたりした。
「私も二十六になるのかいな。」
 年越し蕎麦そばを父と妹に饗応ふるまひながら、晴代は上方言葉かみがたことばで自分をわらつた。
 父親は木工場からもらつたボオナスが少し多かつたので、お歳暮をきばつたのだつたが、若い時分から馬気違ひなので、競馬好きの木山とうまが合つてゐた。父はこの秋の中山の競馬でふと木山に出逢であつて、こゝで逢つたことは晴代には絶対秘密だと言つて、五十円くれたことがあつた。そんな話をしながら父は上機嫌だつたが、隣りの家主から二つ溜まつてゐる家賃の催促が来たところで、急に興ざめのした形で、妹をうながして帰つて行つた。
 晴代の帯に挾んだ蟇口がまぐちには、もう幾らの金もなかつた。ラヂオとか新聞とか、電燈瓦斯ガス、薪炭などの小払ひは何うにかすましたのだつたが、明日は年始に来る客もあるので、その用意も必要であつた。彼女は曾つてのお座敷着や帯などにも、いくらか手がついてゐたが、それだけは極力防止してゐた。それを当てにしてゐた木山が不服さうに言ふので、晴代も木山の足腰のないことを責めて、つい夫婦喧嘩にまで爆発したのも最近のことであつた。
 木山は口のかた鉄火てつくわになつて来る晴代に疳癪かんしやくを起して、いきなり手を振りあげた。
 晴代は所詮しよせん駄目だといふ気がしたが、それも二人の大きな亀裂ひゞであつた。
 夜がふけるに従つて、晴代は心配になつて来た。自転車のベルの音がする度に、耳をそばだててゐたが、除夜の鐘が鳴り出しても、木山は帰つて来なかつた。晴代はぢつとしてゐられなくなつた。そんな間にも、いつか木山が仲間が山へ行くのだと、ちやらつぽこを言つて、朝日靴などもつて出かけて行つたが、それを待合に忘れて来たものらしく、靴をおいて来た宿へ葉書を出す出すと言ひながら其れきりになつてしまつたが、考へてみるとにくめないところもあつた。晴代は父のボオナスを当てにする訳ではなかつたけれど、長いあひだの犠牲を考へると、今夜のやうな場合、少しくらゐ用立ててもらつてもいゝと思つたので、戸締りをして家を出たが、途中で罪のない木山を思ひ出して、ひとりで微笑ほゝゑんでゐた。
「金さへあれば私達もさう不幸ではないはずなのに。」
 あわたゞしい電車の吊皮に垂下ぶらさがりながら、晴代はつくづく思ふのだつた。それもさう大した慾望ではなかつた。月々の支払が満足に出来て、月に二三回のんびりした気持で映画を見るとか、旅行するとか、その位の余裕があればそれで十分だつた。
 錦糸町きんしちやうの家へあがると、戸がしまつてみんな寝てゐたが、母が起きてくれた。母は長火鉢の火を掻きたてて、
うしたんだよ、今頃……。」
 父親も後ろ向きになつて傍に寝てゐた。
 商売に出てゐる間、病身な妹も多かつたので、月々百円から百五十円くらゐはみつぎつゞけて来た晴代ではあつたが、たとひ十円でも金の無心は言ひ出しにくかつた。
 晴代はくだ/\したことは言ひたくなかつた。
阿母おつかさん済まないけれど、二十円ばかり借りられないか知ら。」
 母は厭な顔をした。そして何かくど/\言訳しながら、やつと半分だけ出してくれた。
 何か冷いものが脊筋を流れて、晴代はむつとしたが突き返せもしなかつた。
 木山は何うしたかと聞くので、晴代は耳に入れたくはなかつたが、隠さず話した。
「お前も呑気ぢやないかね。今は何時いつだと思ふのだよ。」
 晴代も気が気でなかつたので、急いで帰つて見たが、やつぱり帰つてゐなかつた。晴代は頭脳あたまが変になりさうだつた。そして蟇口がまぐちの残りを二十円足して家賃の内金をしてから、三停留所もの先きまで行つて自動電話へ入つて、木山の母の引手茶屋へかけて見た。
「あれからずつと来ませんよ。」
 母は答へたが、その「あれから」も何時のことか解らなかつた。
「あの人にも困りますね。いくら何でももう元日の朝だといふのに、何処どこをふらついてゐるんでせうね。」
 晴代は知り合ひの待合へもかけて見たが、お神と話してゐるうちに、てつきりさうだと思ふ家に気がついた。そこは晴代も遊びに行つたことのある芸者屋だつたが、そこで始まる遊び事は、どつちかといへば素人の加はつてはならない半商売人筋のものであつた。お神と主人も加はる例だつたが、風向きが悪いとなると、疲れたからと言つて席をはづして、寺銭てらせんをあげることへかゝつて行くといふ風だつた。
 晴代はたまらないと思つたので、急いで円タクを飛ばした。皆んなにおひやらかされて、札びら切つてゐる木山の顔が目に見えるやうだつた。
 自動車をおりてから、軒並み細つこい電燈の出てゐる、静かな町へ入つて来ると、結婚前後のことが遣瀬やるせなく思ひ出せて来て仕方がなかつた。泣くにも泣かれないやうな気持だつた。
 目星をつけた家の気勢けはひを暫くうかゞつた後、格子戸を開けてみると、額の蒼白あをじろい、眉毛まゆげの濃い、目の大きい四十がらみのお神が長火鉢のところにゐて、ちよつと困惑した顔だつた。
「宅が来てゐません?」
 晴代は息をはずませてゐた。
「二階にゐますがね、はあちやんが来てもゐない積りにしてゐてくれと言はれてゐるのよ。」
「これでせう。」
 晴代は鼻の先きへ指をやつて、もう上へ上つてゐた。
「後で怨まれるから、私は下にゐなかつたことにして、上つてごらんなさい。」
 二階へ上つてみると、奥の四畳半にぴち/\音がして、ひそやかな話声が籠つてゐた。ふすまをあけると、男が四人車座に坐つてゐた。どんぶりすしや蜜柑のやうなものが、そつち此方こつちに散らばつて、煙が濛々もう/\してゐた。晴代は割り込むやうにして、木山の傍に坐つたが、木山は苦笑してゐた。
 こゝで厭味など言つて喧嘩をするでもないと思つたので、晴代は晴代らしく棄身の戦法に出た。
「私も引きたいわ。」
 晴代が言ふので、幇間ほうかんあがりの主人が顔をあげた。
「あんたも遣るんですかい。」
「何うせ皆さんにはかなひませんけど、役くらゐは知つてますよ。」
 木山はちやうど休んでゐたが、
「止せよ、二人だと負けるから。」
「あんたの景気何う?」
「今夜は大曲りだ。ちつとも手がつかない。」
 さすがに木山はしよげてゐた。
「緑ちやん今夜ははずれだね。屹度きつとこれから好いよ。それに女の人が一枚入ると、がらりと変つて来るよ。はあちやん助勢して、取りかへしなさいよ。」
 晴代は腹も立たなかつた。木山がるなら此方も鼻ツ張りを強く、滅茶苦茶を引いてやらうと云ふ気になつた。
 木山と反対の側に、直きに晴代の座が出来た。二三百円も負けたかと思つたが、それどころではないらしい木山のしよかたであつた。
 晴代は手も見ないで引つ切りなしに戦つた。勿論出る度にやられた。木山も出ると負け出ると負けして、悉皆すつかり気を腐らせてゐた。
「もう止めだ。おい帰らう。」
 木山は晴代を促した。
「いいわよ、何うせ負けついでだから、うんと負けたら可いぢやないの。」
 木山は苦惨な顔をゆがめてゐたが、晴代は反つて朗らかだつた。皆ながあきれて晴代を見てゐるうちに、無気味な沈黙がやつて来た。かさにかゝる晴代を止めるものもあつた。晴代も素直に札を投げ出した。
 計算する段になつて、ふくれてゐた木山の財布も、あらかたぺちやんこになつてしまつた。
 やがて二人そろつて外へ出たのは三時を聞いてからであつた。晴代はいくら集まつたかとか、いくら負けたかとか聞くのも無益だと思つたので、それには触れようともしなかつた。
 木山は帰ると直ぐ、口も利かずに蒲団をかぶつて寝てしまつた。

     四

 伝票の書き方、客の扱ひ方、各種の洋酒や料理の名など、一日二日は馴れた女給が教へてくれ、番も自分のに割り込ませるやうにしてくれた。
 遣つてみると、古い仕来しきたりがないだけに、何か頼りない感じだつたが、あの世界のやうに、抱へ主や、出先きのお神、女中といつた大姑小姑おおしうとこじうとがゐないのは、成程新しい職業の自由さに違ひないのだが、それだけに今まで一定の軌道のうへで仕事をしてゐたものに取つては気骨の折れるところもあつた。勿論あの世界の空気にも、今以つてなじみ切れないものがあり、商売の型にはまるには、余程自己を殺さなければならなかつた。何よりも体をけがさなければならないのが辛かつた。商売と思つて目をつぶつても瞑り切れないものがあつた。疳性かんしやうに洗つても洗つても、洗ひ切れない汚涜をどくがしみついてゐるやうな感じだつた。その思ひから解放されるだけでも助かると思つたが、チップの分配など見ると、それも何だか浅猿あさましくて、貞操の取引きが、露骨な直接ぢか交渉で行はれるのも、感じがよくなかつた。
 誰よりも年が上であり、客を通して見た世界の視野も比較的広く、教養といふ程のことはなくても、つらい体験で男を見る目も一と通り出来てゐるうへに、気分に濁りがないので、直きに朋輩から立てられるやうになつた。髪の形、頬紅やアイシャドウの使ひ方なども教はつて、うにか女給タイプにはなつて来たのだつたが、どこか此処の雰囲気ふんゐきに折り合ひかねるところもあつた。結婚の破滅から東京へ出て来て、慰藉料ゐしやれうの請求訴訟の入費で頭脳あたまを悩ましてゐる師範出のインテレ、都会に氾濫はんらんしてゐるモダンな空気のなかに、何かあこがれの世界を捜さうとして、結婚を嫌つて東京へ出ては来たが、ひどい結核で、毎夜棄鉢すてばちな酒ばかりあふつてゐる十八の娘、ヱロの交渉となると、何時もオ・ケで進んで一手に引受けることにしてゐる北海道産れの女、等々。
 晴代はよく一緒の車で帰ることにしてゐる、北山静枝といふ美しい女に頼まれて、客にさそはれて銀座裏のおでん屋へ入つたり、すしおごられたりしたものだが、客のねらつてゐる若い朋輩の援護隊として、二三人一組になつて、函嶺はこねへドライブした時には、留守が気になつて、まだ夜のあけないうちに、散々に酔ひつぶされた二人の客を残して、皆んなで引揚げて来たのだつたが、呑気のんきものの木山は、戸締りもしないで、ぐつすり寝込んでゐた。晴代は何か後暗いやうな気がして、食卓のうへに散らかつたものを取り片着け、いつも通りに炊事に働いたが、その音に目をさました木山は、昨夜の話を「ふむ、ふむ。」と唯聞いてゐるだけで、何だか張り合ひがなかつた。
 一隊で吉原へ繰りこんだこともあつた。鈴蘭で雑炊ざふすゐを食べてから、妓楼へ押し上つたのだつたが、花魁おいらんの部屋で、身のうへ話をきいてゐるうちにいつか夜がけて、晴代は朝方ちかい三時頃に、そつと其処を脱け出し引手茶屋のお辰を呼びおこし、そこに泊めてもらつたことから、彼女のカフヱ勤めも、母に知れてしまつたのだつた。
「ちよつとまづかつたね。」
 見え坊の木山が、晴代のカフヱ通ひを内心恥かしく思つてゐることも、それで解つた訳だつたが、それよりも晴代が銀座へ勤めるやうになつてから、彼の惰性的な遊び癖も一層かうじて来ない訳に行かなかつた。それも空虚な時間を過しかねる彼の気弱さからだと思はれたが、夫婦生活の憂欝いううつ倦怠けんたいから解放された気安さだとも解釈されない事もなかつた。
 晴代は朋輩の一人の与瀬二三子が大したことはないが、株屋の手代をペトロンにもつて木挽町こびきちやうでアパアト住ひをしてゐたが、その部屋へも遊びに行つた。部屋には人形や玩具や、小型の三面鏡、気取つたクション、小綺麗な茶箪笥ちやだんすなどがちま/\と飾られて、晴代も可憐な其の愛の巣を、ちよつと好いなと思つたものだが、それよりも、時間になると大抵その男がやつて来て、サラダにビイルくらゐ取つて、帰りはいつも一緒なのが、笑へない光景だと思つた。
「一度来てよ。」
 言つてみたところで、極り悪がりやの木山が、あの近所へでも来てくれる筈もなかつたし、もうそんな甘い感じもしなかつた。
 或る晩晴代は腹が痛んだので、朋輩に頼んで一時間ばかり早く帰つて来た。腹の痛みは途中から薄らいで来たが、それもたまには好いと思つた。晴代はコックやバアテンダアなどにも特に親しまれてゐて、冷えから来る腹痛みにバアテンダアのくれるウヰスキイを呑むと、直きに納まるのだつたが、その日は昼飯の時に食べた海老魚えびのフライにでもてられたのか、ウヰスキイの効き目も薄かつた。コックの松山は、ちよつと見るとフランチョット・トーン張りの上品ぶつた顔をしてゐたが、肌触はだざはりに荒い感じがあつて、何うかするとひどい恐い目をするのだつたが、晴代に失恋の悩みを聴いてもらつたところから、親しみが生じて、料理を特別に一皿作つてくれることも屡々しば/\あつた。昼飯の時間になると、ボオイが晴代のところへやつて来て、
「晴代さん、あんた皆なが食べてしまつた頃、一番後に来て下さいつて。」
 年上だけに晴代もバアテンやコックには切れ離れよく気をつけてやつてゐた。
 松山はもう三十四五の、女房も子もある男だつたが、さう云ふことが女に知れてから、逃げを打つやうになつた。晴代の来たてには、その女もまだ「月魄つきしろ」に出てゐて、何うかすると物蔭で立話をしてゐたり、二人揃つて出勤することもあつたが、何時の間にか女は姿を消してしまつた。
「僕は彼奴あいつの変心をなじつてやらうと思つて、ナイフを忍ばせてアパアトへ行つたもんですよ。ところが其の晩彼奴は何処かで、男と逢つてゐたんだね。彼奴の友達の部屋で夜明かし飲んで、朝まで頑張ぐわんばつてみたが、到頭たうとう帰つて来ないんだ。その相手の男も大凡おほよそ見当がついてゐるんだ。此処へも二三度来た歯医者なんだ。」
「止した方がいゝでせうね。そんな人追つかけて見たつて仕様がないぢやないの。それに貴方あなたは奥さんも子供もあるんでせう。」
「晴代さんでも逃げますか。」
「第一だまされないわ。」
 晴代は気軽に解決したものの、考へてみると、妻があるとは知らないで、北海道まで一緒に落ちて行かうと思つた男が曾つて自分にもあつた。入り揚げた金に男も未練をもつたが、晴代も引かされた。しかし何かにおちない処があつた。親しい出先きから思ひついて電話をかけて見ると、出て来たのが細君であつた。そして晴代がさめて来ると、男は一層へばつて来た。それが晴代の最近の住替すみかへの動機だつたが、或る日一直いちなほからかゝつて、馴染なじみだと言ふので行つてみると、土地の興行界の顔役や請負師らしい男が五六人頭をそろへてゐるなかに、その男がにや/\してゐた。そして其が晴代の木山との結婚を急いだ又の動機でもあつた。
 その夜も晴代はそつとバアテンから貰つたレモンを十ばかり紙にくるんで土産に持つて帰つた。木山は珍らしく家にゐて、火鉢の傍で茹小豆ゆであづきを食べてゐた。小豆の好きな木山は、よく自分で瓦斯ガスにかけて煮て食べてゐた。
 晴代はレモンを出して見せながら、
「今日は一日何してゐたの。」
「春から一度も行かないから、ちよつと家へ顔出して来たよ。」
「何か言つてゐた。私のカフヱへ出てること。」
はあちやんのことだから、何処へおつり出しておいても、間違ひはないだらうけれど、余りめた事でもないつて言つてゐたよ。」
 晴代は三月の二日が、ちやうど木山たちの父親の十三回忌に当ることを想ひ出した。父親は日本橋の木綿問屋だつたが、生きてゐる間は、仕送りもしてたまにはつて来た。木山も其の父の話をする時は、相撲すまふなぞへ連れて行かれた其の頃が懐かしさうであつた。新婚旅行気分で晴代と一晩熱海で泊つた時も、そのうはさが出た。
 いつも母の世話になるので、晴代は二十六日の法要の香奠かうでんにする積りで、自分の働いた金のうちから、一円二円とけておいた。それを箱根細工の小函こばこに入れて、木山に気づかれないやうに神棚に上げて置いたものだつたが、もう好い頃だと思つたので、
「三十円になつたら言はうと思つたの。もう其の位になつてゐる筈よ。開けて見ませうか。」
 しかし木山は無表情だつた。晴代は変だと思つて、起ちあがつて函を卸して見たが、中は空虚からつぽになつてゐた。
「いいぢやないか。そのうち利子をつけて入れとくよ。」
 晴代は失望したが、木山もしよげてゐた。

     五

 或る日も晴代は静枝に頼まれて、新川筋の番頭らしい二人の客の同伴で、演舞場のレヴィユを見に行つたが、帰りは大雪になつた。いつからか静枝は附けまはされてゐて、レヴィユは見たいが、一人では心配だつた。静枝は大詰の幕がおりない前に、後を晴代にまかせて、ていよく逃げたが、残された晴代は二人をくのにひどく骨が折れた。やつと電車通りまで逃げ延びたところで、足元を見て吹つかけるタキシイを拾つたが、傘もぐしや/\になり、紫紺の駱駝らくだのコオトもぐつしよりになつてゐた。晴代は其の晩から肺炎になつてしまつた。
 しかし十九の時、しにつぱぐれにつた、あの時のやうな重患でもなかつたので、風邪かぜをひくとき起しやすい肺炎ではあつたが、一週間ばかり寝てゐると、悉皆すつかり好くなつてしまつた。気紛れなあの雪の日も思ひ出せないやうなうらゝかな日、晴代はもう床を離れてゐたので、かぶさつた髪をあげ、風呂へも行つた。そして午後になつてから、今朝出て行くとき、木山が預けて行つた金を若竹へかへしに行かうと思つて、静枝が病気見舞ひにわざ/\持つて来てくれた、ふじやの菓子を抱へて、暫くぶりで外へ出て見た。若竹には晴代夫婦に善くなついてゐる子供があつた。
 金は五十円たらずで、一時友達に立て替へるために若竹のお神に時借りしたものが還つて来たといふのであつた。
「今日でなくても可いんだよ。」
 木山は言つてゐたが、使ひ込まれないうちに、返すものは返したいと思つた。
 雷門で電車をおりて、仲見世なかみせの銀花堂で、下町好みの静枝に見舞ひのお返しになるやうなものを見繕みつくろつてゐると、知つた顔の半玉が二人傍へ寄つて来て声かけた。
昨夜ゆうべ兄いさんが来たわよ。」
 一人が言ふのであつた。
「兄いさんて誰れよ。」
「あら厭だ、お宅の兄いさんよ。」
何処どこで。」
「若竹だわ。」
 おしやまの子供は、呼ばれた四五人のねえさん達の名までしやべつた。
 晴代は落胆がつかりしてしまつたが、遊ぶ金だけはこしらへるものだと感心した。
 兎に角若竹の勘定をすましてから、ブラジルコオヒの喫茶店へ入つて、ボックスの隅でレモネイドを呑みながら、暫らく考へこんでゐた。二十五の秋から今日まで、純情をそゝいで来た足掛四年の月日を何う取り返しやうもなかつた。
 晴代は今まであの世界にゐて、様々の人の身の行く末を見もし聴きもして来た。ハルビンあたりから骨になつて帰つて来るものもあれば、色も香もせはてて、人の台所をつてゐるものもあつた。何処へ何う埋もれて行つたか、影も形も見えなくなつた女も少くなかつた。
 帰りに晴代は実家さとへ寄つて、母に打ちあけて見た。
「あの男、何だか見込がないやうな気がするの。いつそ別れてしまはうかとも思ふけれど……。」
「晴ちやんがさう思ふなら、別れきりでなしに、当分別れてみるのも、かへつて緑さんのためかも知れないよ。」
 晴代は母の言葉に、淡い反感を感じたが、それを打消すことも出来なかつた。大体それに極められた。
「ちよつと帰つて見るわ。」
 晴代はさう言つて、一応木山の心持を聴いてみようと思つて帰つて見たが、日暮れになつても木山は帰つて来なかつた。
 にはかにトラックの響きがして、やがて前に止まつた。性急せつかちな父の声もした。晴代はぎよつとしたが、もう追つかなかつた。
「晴代、荷物まとまつてるかい。」
 労働服に鳥打帽を冠つた父が、づか/\茶の間へ上つて来た。
「あの人まだ帰つて来ないのよ。」
「可いぢやないか。お前の物を持ち出すのに、木山にことわることもなからう。」
 父と運送屋とで、にはかに荷造りが始まつた。ちやうど晴代が、半襟箱、三つ引き出し、三味線に稽古台のやうな、こま/\したものを纏めてゐるところへ、勝手口の方に人の影が差して、木山のヂャケツ姿が現はれたと思つたが、内を一と目見ると、其のまゝ引き返して行つた。
「緑さん!」
 父は追つかけるやうにして声かけたが、もう路次のうちには見えなかつた。
 五日七日のあひだ、それでも晴代は多分迎ひに来てくれるであらう木山を待つた。しかし木山は現はれなかつた。
「別れてやつてあの人も可かつたのだ。」晴代はさうも思つた。
 大分たつてから一度かをるに勧められて、父や母に内密で、そつともとの古巣へ行つて見た。そして勝手口から台所へあがつて見た。竹の皮や皿小鉢の散乱した食卓がはふり出されてあつた。床もほこりでざら/\してゐた。茶の間へ入ると、壁にかゝつてゐる褞袍どてらがふと目についた。この冬晴代が縫つて着せたものであつた。
 出しなに路次口で、懇意にしてゐたお巡りさんの細君に出逢つてしまつた。
「奥さん本所の阿母おつかさんが御病気ださうで。余程お悪いんですか。」
 細君がきいた。
「えゝ、それ程でもないんですけれど……。」
 晴代は言葉を濁して、泣きたいやうな気持で路次を出た。木山の見え坊も可笑をかしかつたが、四年間の夢の棄て場が、是かと思ふと、矢張り来て見ない方が可かつたと思はれた。
(昭和十二年三月)





底本:「現代文学大系 11 徳田秋聲集」筑摩書房
   1965(昭和40)年5月10日発行
初出:「中央公論」
   1937(昭和12)年3月
入力:高柳典子
校正:土屋隆
2007年4月24日作成
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