芭蕉と歯朶

徳田秋聲




 深い雑木林のなかに建てられたバンガロー風の其の別荘へ著いたのは午後の何時頃であつたらうか。彼はこの高原地へ来る途中、初めてそこを通る同行の姉娘と妹娘に、ウスヰ隧道の出来た時のことなどを語つて聞かせた。それは四十年足らずのむかし、彼が初めて東京へ出た時の思出話であつた。同じ文学を志した友人のK君と徒歩でこゝを通つたとき、隧道の難工事に従事してゐる労働者達の荒くれた風貌や関東弁がいかにアムビシヤスな、田舎からぽつと出の二人の幼な青年を驚かしたかを思ひ浮べたりした。荒いウスヰの山や谷々には、木の芽が漸く吹かうとしてゐた。旅客を運ぶ馬車が、喇叭を鳴らして、遠い山裾の道を走つてゐた。
「長野からづつと此の辺を歩いて、高崎から又た汽車に乗つたのさ。」彼は語つたが、それからの長い過去の現実が総て自身にも嘘のやうな話であつた。
「御母さんも家が可けなくなつて、東京へ出るとき馬車で此処を通つたさうだ。」彼は附加へようとしたが、彼女のことは語らないことにしてゐた。
「もう十五通つたわよ。」汽車の長いのに倦んでゐた幼い蝶子が言つてゐた。
 別荘には迎へに来てくれたH青年兄妹と祖母とが来てゐるだけであつた。主客六人は上り口の広い廊縁のところで青葉の影を浴びながら、暫らく話してゐた。彼は羽織をぬいで、梁や手摺などの伐倒した雑木で造られた無造作な、しかしがつしりした其の建築に興味を感じた。
「これは好いですね。」
「兄の設計なんですが、夏だけのもので、一年中風雨に曝らしておくんですから。」
「この土地には皆さんこれが大変好いと仰つて。」お祖母さんも言つてゐた。
 十一になる蝶子は十四になる妹の京子さんと、前から悉皆友達になつてゐた。料理場から料理を持出す窓をもつた食堂でもあり応接室でもあり遊戯室でもある二十坪ばかりの広間には、これも素材のまゝの手摺をもつた段梯子があつた。その前の方に畳敷の日本室があり、後ろのドアを開けると、そこに厠があり、厠と勝手元の間の廊下を行くと、そこに明るい感じの風呂場があつた。
「こゝだけは父が後から改築したんですが。」
「さうね、こゝは一番手がかゝつてるやうだが、僕等が郊外に家を建てるとしたら、これが好いな。」彼はのう/\した気分で湯に浸りながら、直ぐその場合を想像した。
 彼はいつからか郊外へ出よう/\と考へてゐた。近頃は殊にその思念が強かつた。長く染みこんで来た都会趣味や町住ひらしい家庭気分が彼には煩はしくなつてゐたが、その癖彼はまた二十年住みなれた家を離れかねて、家を造築して見たり、最近は又増築工事の時破壊された庭を造り直したりして、兎角居住に迷ひがちな自身の気持を強ひても落着けようとしてゐた。けれど遣つてつけの建築と、年々建てこんで来る周囲の気分とが、屡々彼を憂鬱にした。彼は竹を植えたり、友人のところから叡山苔をもらつて来て貼りつけたりした。こゝへ来る前に、大森の青年から贈られた芭蕉が、子供達の洋館の窓先きに、美事な青い広葉を一枚々々と拡げて行つてゐたりした。しかし此処が彼の芸術的生活の落着きどころだとは思へなかつた。その上彼の家庭は最近連りに分裂作用を行ひつゝあつた。彼は家に残つた四人の子供のうち、青年期に達しようとしてゐる上の一人がまた何かに彼の心を脅かしがちなのに神経を悩ませてゐた。
「先生これは温泉ですよ。」H青年は彼に告げた。
「さう。何ういふ成分の……」
「さあ、それはよく知りませんけれど。」
 温泉はこゝまで引かれる途中でぬるくなるらしかつたが、石炭を少したけば可い程度であつた。
 風呂からあがると子供達は二階へあがつてスウトケースを開けてゐた。二階にはシングル、ダブル取交ぜて素朴なベツドを具へつけた幾つかの寝室があつた。畳敷もあつた。
「先生の部屋はこちらです。」H青年が案内してくれた。それは青年自身のと廊下を隔てゝ向合つた一室であつた。
 彼は窓を明けて見た。窓の下の雑木林の彼方に流の音が聞えた。鶯が啼いてゐた。
「M君のところは。」彼はきいた。
「△屋の近くでせう。あすこで聞けば解るでせう。いらつしやる?」
「行つて見ようよ。」
「ぢや御飯でもすんだら。」
 彼は昨年I子とこの避暑地へ来たときと同じやうに、今年も歯を病んでゐた。彼は去年に懲りて立つ前夜近所の歯医者で浮いてゐる犬歯を抜いてもらつた。それはもうそうする外ない歯であつた。去年もその歯が彼を悩ました。しかし抜いた迹がまだ痛かつた。次ぎの歯も少し浮いてゐた。彼は含嗽剤を用意してゐたが、食事をする時、少し難儀だつた。
 彼は何彼と用心ぶかく指図をしながら、姉娘の持つて来たものゝなかに外出着を一枚も入れてないのに気がついた。
「初め入れたんですけれど……。」彼女も困惑してゐた。
「それあ困つたね。」
 彼女はもう古くなつた友禅模様の縮の単衣を着て出たが、こゝの晩方の陽気には少しぺら/\しすぎてゐた。
 でも町へ近づくにつれて、浴衣がけの女学生などを見かけた。
「そんなに可笑しくもないよ。」
 彼女は別に悲観してはゐなかつた。不断彼女は父親に何一つ要求したことはなかつた。避暑にも行きたがつてはゐなかつた。
「山へも海へも行きたくないと言つてらつしやいますよ。今年の夜具のお洗濯を手伝ひかた/″\仏蘭西語をやりたいなんて。」お婆さんが彼に告げた。
「著物がないから?」彼は気を廻して見たけれど、さうではないらしかつた。
 町には土地にふさはしい野生的な開放的な外国婦人の姿が多く見られた。ブルドツグのやうな顔をした肥つちような婆さんが旦那様と手を組んで歩いてゐたりした。でも此処は外人の発見した避暑地であつた。そして此処に夏をすごす日本人も亦、彼等のやうに生活するのが、土地の気分にふさふのであつた。キヤムプ生活の少し進歩したやうなものが適当だと思はれた。こゝへ贅沢な別荘など造るブルヂヨワは入れない方が可いのであつた。彼はさう思つたが、その癖お上品なブルヂヨワ気分の少しもない場所は、彼も余り好かないのであつた。
 △屋旅館の風呂番がM君の家を案内してくれた。じめ/\した木立のなかの暗い道を一行はがや/\騒ぎながら其男について行つた。窓明りが所々に見えた。
 漸とM君の家の前へ出た。豆の蔓で作られた隧道をくゞると、夜目にもダリヤや花魁草の咲き乱れてゐる前庭の花畑が目についた。余り晴れやかな夜でなかつたので、縁側の板戸がもう締まつてゐた。M君の姿が夫人や子供達と一緒に、茶の間に見られた。M君は少し驚いてゐた。
「さあ皆さん何うぞ。」
 子供達は躊躇してゐた。解放されたさうであつた。
「町を散歩するでせう。」彼はそう言つて一人で上つた。
 M君は座敷の真中に小机を一つおいて、四辺は綺麗に取り片着いてゐた。
「どこに?」
「H氏の別荘にゐるんで。娘に附いて来たのです。男の子供は海へやつてありますが、事によつたら此処で一軒借りようかとも思つて……。」
「まだ家はありますよ。」
「しかし去年の海水浴で子供が一年病気をしなかつたから、矢張り海が可いんだらうと思ふ。」
「海は散漫で。」
「僕等にはね。」
 二人は郷土のお菓子を摘みながら小さな煎茶茶碗で苦茗を啜りながら語つた。彼はお茶人風な此の人の前へ来ると、自分のがさつなのが目に着いた。しかしM君も彼と同様に、最近居住に落着きかねる風であつた。M君は東京の庭をこはして、郷里に用意してある土地に静かな境地を求めて庭を造りつゝあつた。しかし其はM君の全部ではなかつた。
「少し散歩しませんか。」
「しませう。」
 M君はきちんと仕度をして家を出た。
 町へ出ると二人は色々な店へ入つて見た。日本の骨董店や支那の雑貨店など。其辺一体に居留地の色彩が漂つてゐた。
 途中でH青年と子供達のK喫茶店を出てくるのに出逢つた。
「M先生に紹介していたゞきたいんで。」
 彼は紹介したが、M君は妹の京子ちやんを此の土地で前から知つてゐた。
 スヱターを売る店なぞへ立寄つてから、一行はM君と別れた。

 彼は毎日彼等を引連れて方々歩いて見た。そして二三日すると、姉娘は新調の洋服を着てゐた。
「こゝで洋服を造る人が多いんです。外国人がゐるんで安いんです。」H青年にさう言つて教へられたところで、姉娘の着物の不便を救ふために、支那人の店でそれを誂へた。二三軒の店を、彼等はぞろ/\片地を見て歩いた。そしてトムで一着註文すると、靴や帽子を捜しあるいた。時間がかゝつたけれど、みんな好いものが見つかつた。
 それがお昼頃のことであつた。彼は歯痛の全く癒り切らないのに焦れて、一旦帰つてから歯医者へ行つた。助手の日本人が叮嚀に見てくれた。先生の外人も来て見てくれた。
 あとで女の事務員が手帖をもつて、時間の都合を考へながら、
「明後日のお昼頃は如何でせう。」
「結構です。」
 彼はさう言つて、通りから俥を※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)つた。途中自転車で飛ばしてゐるトムに逢つた。摺違つてから、挨拶した男が仮縫をもつて来た彼であつたことに気着いた。
 明朝広間へおりて来ると、洋服がもう届いてゐた。
「チヤンコロは勉強するね。」
 一体に日本人は何といふ口達者な怠けものゝ多いことよと思はずにはゐられなかつた。
「ちよつと着てごらん。」
 紅殻色に砥の粉色の縞をもつた柄とスタイルが彼女の姿を愛らしくした。
「好いぢやないか。」
 彼は微笑ましげに眺めてゐた。彼は此の頃この娘に偶に一枚づゝでも著物の柄を見立てゝやるのが趣味の一つであつた。著物の面倒なぞ見てくれる母親のない寂しさを、彼はよく知つてゐた。蝶子が大きくなつた時に、誰がその役目をしてくれるだらうと、彼は時々思つた。でも蝶子は効性かひしよが好かつた。
 昨夜もベツトに腰かけながら、夜おそくまで彼等四人の子供達の気質や学事や前途について、H青年と久しく話に耽つた。彼は幼少四人の弟妹のために、二人の兄達が禍にこそなれ、力にはならないことを痛いほど知らされてゐた。
 彼とH青年と三人の子供達と、そして彼の長男やH青年の親友であるT青年の姿が、或日またM君の安静な家庭を襲つた。彼は楓の下に持出された椅子に腰かけてゐた。M君もそこへ出て来た。
「入らつしやい、入らつしやい!」彼の縁先きに並んだ娘達が、M君の愛らしい子供達を呼んだ。彼女たちは、何うかして其の子供達を近づけて見ようと骨を折つたが、近づかなかつた。
 漸と阿母さんに連れられて、そこへ出て来た。M君はさも幸福さうに、二人の其の子達を眺めてゐた。
「君の小さい時分の顔がこの男の子の顔だとおもへば間違ひはない。」彼は小い方の、柔軟な白い皮膚をもつた、腫れぼつたい目をした、詩人の卵のやうな男の子の顔を指した。
「大変だ。僕がこんな綺麗な子供だつたら。」M君は自から謙遜するといふよりも、寧ろ愛児を正直に讃美した。そして其は又た二人とも讃美するに可い子供達であつた。
 郷土の煎餅が鑵ごとそこへ持出された。
「あゝ、寿煎餅ですな。これ旨いから、一枚食べて見たまへ。」彼はH青年に勧めた。
「さう。ぢや食べて見よう。」
 皆なの手に月のやうな大きい煎餅があつた。中には欠けたのもあつた。M君は食料品を大抵郷里から送らせてゐるほど郷土を愛してゐたが、彼自身はM君のやうに、総てのものがうまいと思ふほど主観的にはなれなかつた。
「竹は何うなりましたか。」
 叡山苔と一緒に貰つた矢竹のことであつた。竹はM君によつて能く仕立てられてあつた。
「玄関の両脇へ植ゑたやうです。」それは又た適当な使ひ方であつたが、植木屋が持込んで来た十五株ばかりの矢竹も、何処へ散らばつたか判らなかつた。
「植木屋といふものは、旧からあるものを、何処かへ隠くしてしまふもんでね。」
「さう!」彼も苦笑したが「こゝは樹は落葉松や楓のほか何にもないが、楓は好いね。」
「ちよつと此方へ……。」M君は入口の処にある一もとの楓の側へ彼を誘つた。それは猩々とか何かといふのであつた。
 それから大屋の畑の方へ歯朶を見に行つた。若い各種の楓が軟かいその枝葉を風に戦がせてゐる下に、径二尺もあらうと云ふ美事な歯朶が、野菜のやうに作られてあつた。
「楓何うです一本お持ちになつては。」
「面倒で。」
「歯朶もいゝですよ。」
「素敵な歯朶だね。」
「これ持つて行けますよ。」
「さあ。」
 二人は皆んなの処へ帰つて来た。
「M、H山房を訪問しようぢやないか。」彼はM君に言つた。
「さうですね。僕も何だか一人ぢや訪問しにくいから。」
 彼はそれよりもT青年をM、H君に紹介しようと思つた。T青年は珍らしい沈著な文学の研究者であつた。孰かといふと、彼は哲学者らしい大人つぽさをもつてゐたが、芸術鑑賞も高いらしかつた。
「皆んなは何う。」
 子供達は黙つてゐた。京子は彼を「酒と刀」だと言つてゐたが、一両日前彼が子供達を其の山房へつれて行つてから、彼等のあひだにM、H君が子供達に好かれてゐないことが解つた。
「お山のおぢさん、子供に口を利かないから厭ですて。」H青年が言つた。
「奥さんがあんなに皆を歓迎して御馳走してくれたぢやないの。」彼は言つた。
「むゝ、でも……。」誰かゞ呟いた。
お山のおぢさん変りもの
誰が行つても口利かぬ
 誰かゞ又口吟んだ。
 一同は笑つた。
「子供つて皮肉に出来てるもんだな。」彼も笑つた。
 出かけに雨がしよぼ/\降つて来た。彼は毎日のやうに外で雨に逢つたが、軽い山雨も亦好かつた。ミカサの雑木林の朝の気分は殊に好かつた。鳥の音楽が彼の心を朗らかにした。杜鵑、鶯、それに銀鈴のやうに澄んだ声も聞えた。閑古鳥や山鳩が、遠くで緩い伴奏を続けてゐた。
 途中H青年と子供達とに別れて、町へ出た。そしてガレーヂで自動車に乗つた。水銀の粒のやうに雨が窓硝子を打つた。
「貴方のお住居は何処ですか。この土地での。」M君がT君にきいた。
「Mホテルの近くです。」
「鵝鳥や七面鳥の啼声が聞えるから直ぐわかる。」
「貴方のところの?」
「いや、隣りの西洋人が飼つてるんですが、九月の半ば頃になると、一羽もゐなくなつてしまふ。ちよつと変な気持ですが、西洋人はあゝ云ふことに、実に徹底してゐる。尤も気にするのがセンチメンタルなんでせうけれど。」
「遣り切れない。あの太い腕を剥出しにして、すてでかい図体をした外国婦人に出逢ふと、僕等は参つちまふな。洋行なんかする気になれない。」
「行つていらしたら何うです。」
「子供があるもの。S君は幼い人達を人にあづけて、よく二年も三年も外国にゐたと思ふね。」
 雨が少し強くなつて来た。
 M、H山房はコハンスキーの隣りであつた。下で自動車を乗棄てゝ、彼は先導した。涼しさうな無地の帷子を着てゐる夫人が愛相よく迎へてくれた。主人と反対に、夫人はいつも溢れさうな愛嬌があつた。松屋からとゞいた白蚊帳の包みが、石をセメンで固めたマントルピースの側にあつた。勿論この建物もバンガロー以上であつた。
「ブルジヨウアですな。」
「厭ですわ、ブルジヨウアなんて――ぢや此方へ仕舞つておきますわ。」
 三人椅子につくと、やがてM、H君が今何か書きものに没頭し切つてゐたらしい、無表情な顔をして二階からおりて来た。高いので、雨風が三方の硝子戸に強く当つた。崖ぎわの草木が戦いてゐた。其処らが荒寥としてゐた。こゝに一夏を過すM、Hは修業者のやうに感ぜられた。
「ストオブに火をたいたら。」M君が薄寒さうに言つた。
 やがて夫人によつて、炭火の盛られた、大丼のやうな火鉢が、彼とM君との間におかれた。
 M、HとMと二人のあひだに話がはづんでゐた。大流行の大衆文芸、この夏東京へ来た人形芝居、夏目漱石や芥川龍之介の俳句、それから映画、マルクス、終ひに革命………
「△△△△が廃刊になつたら、みんな困るだらう。」M、Hが言つた。
「芸術では食へなくなるね。それでも可いんだ。何うせ僕等は食へなかつたんだから。」彼は言つたが、独りになつてから彼は生活のことを兎や角考へなくなつてゐた。
「ほんとうに食へなくなつたら、僕は為方がないから先頭に立つね。」M君が少し興奮した声を出した。
「さう、さうさ。食へなくなつたら……それが真実さ。」M、H君が和した。
 傘をかりて三人は山房を辞した。夫人は草履ばきの彼に真新らしい上等の下駄を持出して来たりした。
「Sさん、私が家政婦に行つてあげませうか。」出かけに夫人が笑談を言つた。
「何うぞ。貧乏ですからお金も何うぞ。」彼はさう言つて外へ出た。
「なか/\ユテリタリアンだが明快ですね。」細い坂路をおりたところで、H青年が言つた。
「今度の論文なんか一世を蔽つてるぢやありませんか。」M君が賞讃した。
「さう。僕は読まないが……。」
 雨が益々しげくなつて来た。泥水がフヱルトを透して、彼の足袋の裏にじめ/\泌みこんで来た。
「この木を一本S氏の庭へ入れたら、外に何にもいらんね。庭一杯だ。」M君は路上、葉張りの美事な一株の樅の大木を仰ぎながら笑つた。
 町へ出てから、K喫茶店へ入つて疲れを休めた。そして其処から俥を※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)つて、彼は林のなかの家へ帰つてみると、子供達は広間で、カロムに夢中になつてゐた。

 雨風の強い或る日に、彼はH青年と京子さんとに送られて、二人の娘と汽車に乗つた。
「僕も東京へ帰りたいな。」H青年は別れを惜しんだ。
「海岸の方へも何うぞ。二人が寂しがつてゐるだらうと思ふんで。」
「え、行きます、いづれ九日に点呼に帰りますから。僕も今日から勉強します。づゐぶん遊んだから。兄が来ると、兄は社交家だから、人が来て勉強が出来なくなるんで。」
「どうかお祖母さんによろしく。京子ちやんも寂しくなるね。」
「しかしお友達が来ますから。」
「僕も事によると、もう一度来るかも知れないけれど。」
「何うぞ。今度はお天気が悪くて可けませんでした。」
 発車の笛が鳴つて、汽車が動きはじめた。H青年兄妹の姿が次第に遠ざかつて行つた。そして全く見えなくなつた。
「よく遊んだね。」彼は蝶子の気分を紛らせるやうに、「これから又海へ行くんだね。兄さん達が待つてゐるぜ。」
 蝶子はにつと笑つた。
 窓がしまつてゐるので、客車はれてゐた。旅から帰る子供達を誰も待つてゐるものゝない寂しさは、子供達には兎に角、彼には又何となく懐しいものに思へた。

 彼は毎日田舎から出て来てゐる甥の立てゝくれる薄茶を飲んで、来る日も来る日も雨ばかり降つてゐる庭を見てゐた。彼は蒔絵師であつたが、商用で東京へ出て来て、彼の二階に寝起きをしてゐた。
「おぢさんがお立ちの時、正門前で自動車にお乗りになるのを見たのですが、御旅行とは気づかなかつたもんですから。」
 甥は彼が帰つて来たとき、さう言つて挨拶した。
 お客を待遇することは、今の生活気分とは、てんで折合はない感じであつた。何もかもがちぐはぐだらけであつた。彼の頭脳は丸いものや角いものや、長いものや短かいものや、硬いものや軟かいものや、古いものや新しいものや、美しいものや汚いものがごつちやに入交ざつてゐた。矛盾と矛盾が複雑にせめぎ合つてゐた。それを整理することは困難であつた。何から手を著けていゝか判らなかつた。彼は為ようと思へば何でも出来るやうな気がしたが、又た何も出来ないやうな気もした。或時は彼は老いたのか若いのかの、感じすらなくなつてゐた。
 彼は甥に余り愛想よく出来なかつたが、しかし日が立つにつれ、お茶を呑みながら話すにつけ、段々親しみと親切が出て来るのを感じた。彼は商売に退嬰的な甥を勇気づけた。
 甥は持参の茶菓子がなくなると、町へ出て彼の気に入りさうなものを買つて来て、それを又た御持参の菓子盆に盛つて、彼の側へもつて来て、
「お茶は如何ですか。」
「飲まうか。」
 甥は郷里のお茶人らしい落着きをもつて、お茶を立てた。
「お茶も好いね。人類共通のものでないと、無駄な努力か遊戯のやうな感じがするんだけれど、お茶なんかは悪くないよ。金持の遊戯にしておくのは惜しいやうだ。誰か一宗、立てないものかしら。」
 さう言つても彼は、袱紗捌きなぞ形式張つたことを自身にやらうとは思はなかつた。
 終ひに彼はお茶を呑まない日は物足りなかつた。娘達をお婆さんをつけて、海岸へやつてから、彼はS青年と甥と三人で暮らしてゐた。
「善いんですね、あの人は。」初め昵じまなかつたS青年も、このお茶人の人柄の好いことが解つて来た。
「現代人ぢやないんだよ。」
 彼は軽井沢のM、H山房と、あの狸の穴に彷彿したM君との別荘へあてゝ、焼蒲鉾と昆布に山椒の佃煮を送ると同時に、二通の手紙を書いた。
 ……東京も毎日鬱陶しいことです。こんなに雨がふるなら、歯朶の一株も持つてくれば可かつたと思ひます。
 これはM君へあてた狡猾な手紙の一節であつた。彼は歯朶がほしくなつて来た。
 M氏の返書が来てから間もない或朝、美事な歯朶の五株が届けられた。彼は床から起出すと、S青年と甥と三人して、庭の隅で荷を釈いた。雄大な歯朶の葉が、木蔭の朝風に戦いだ。
「これは能く蒔絵の図案にされるものです。」甥はさう言ひながら、一葉一葉の重なりを、そつとほごしてゐた。
 四五日旅へ行つてゐた間に、洋館の窓ぎわの芭蕉も、幾枚かの新らしい葉を波立たせてゐた。
 そして其の午後、山房からもM、H氏夫婦の礼状がとゞいた。M、H氏のは昔しの彼の手紙とちがつて直截で素気がなかつたが、夫人のは筆蹟も文章も古への歌人のやうな雅趣を帯びてゐた。
(昭和3年10月「中央公論」)





底本:「徳田秋聲全集 第16巻」八木書店
   1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「中央公論 第四十三年第十号」
   1928(昭和3)年10月1日発行
初出:「中央公論 第四十三年第十号」
   1928(昭和3)年10月1日発行
※「ベツド」と「ベツト」、「……」と「………」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:きりんの手紙
2020年1月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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