青い風

徳田秋聲




 古くから馴染のあるこの海岸へ、彼は十年振りで来て見た。どこもさうであるやうに、ここも震災で丸潰れになつて、柱に光沢つやの出てゐるやうな家は一つも見当らなかつた。町はどこもがさがさしてゐたが、しとしとした海風は、やつぱり懐しかつた。脚の不自由な人があるので、家を出て自動車に乗るにも、駅へ来てプラツトホームへ出て行くにも、家族的旅行の楽しさの一半は減殺される訳であつたが、それはそれとして、兎に角三年目に彼自身子供たちに附添つて行かれることは、彼等に取つて久しぶりの悦びであつた。彼は昨年も一昨年も懇意な旅館へ子供たちを預けておいた。大胆といふよりか、寧ろ惨酷な家庭破壊を三年間もつづいてやつてゐる、一人の子供の襲来を妨ぐことは、傭人には出来ないことであつた。
「今年だつてあの男が少しでも、何かの手助けになるやうだつたら……」彼は思はずにはゐられなかつた。実際何か事のあるをりには、今の人数では彼一人では手不足であつたが、彼も段々主婦のない家庭を整理することに馴らされて来てゐた。そして一人で箪笥や葛籠つゞらの底から、台所の隅まで一切を統制することが、結局、誰を当てにするよりも安心で興味のあることを感じてゐた。ほつそりした長女もいつかさう云ふ方に気を配るやうになつてゐた。
「今年は山にしようか、それとも海にしようか、皆んなは何う!」彼は時々子供部屋へ顔を出してきいた。
「わたし海よ。」小さい京子はいつも決定的であつた。
「さうお前は海?」
「山は大人の人と歩いてばかりゐて詰んないんですもの。」
 その言葉が去年四五日ゐた軽井沢を彼に思ひ出させた。
「僕はどつちかといふと山がいいけれど、しかし海岸だつて同じだ。海へは出られませんから。」
 去年海岸から帰つて以来、腰の関節に結核性の骨膜炎を患つて、昼も夜もづつと長椅子に横はつてゐる三男が言つた。
 長女の春代や四男のまことには、別に意見はなかつた。春代は一人で残つてうちを守らうとさへ思つてゐた。一ト夏小さい妹のお友達になつてゐることも、少しづつ生活に目ざめかけようとする彼女には、時とすると退屈であつたが、姉なしには半日もゐられない京子を、男達にのみ預けておく気もしなかつた。
 子供と一緒に一ト夏を暮らして見ようと思ふ海辺を、さて何処に択んでいゝかも、彼には決定しかねることであつた。彼はこの頃表皮的な都会文明に厭気がさしてゐた。総ての点で都会生活の行詰りを彼自身感じてゐた。都会悪の延長でしかない、近い海岸へなぞ行きたいとは思はなかつた。
「せめて三四時間出るところでなくちや、旅行したやうな気がしないや。」足の悪い児のさう云ふ意見が彼と一致した。
 或日彼は房総の海岸で、危険の比較的少ない、そして脚の悪い児の退屈しないやうな、知辺のある場所を物色しようと思つて、到頭やつぱり此の海岸へ来てしまつた訳であつた。
 彼は夕凉ゆふすゞに東京を立つて、夜の九時頃に古馴染の旅館へついた。そして其の翌日、比較的海に近い新築の家を一軒かりることに決めた。そこは青田が部屋のなかからひろびろと見度みわたされた。軟い海風が松原をこえて、そよそよと青田を波立たせてゐた。鶏や牛や、肥料溜の臭ひも通つてこなかつた。そして建築はしつかりして、木口が好かつた。檜や杉の木香がしてゐた。広さも十分であつた。
「見晴らしから言つても、綺麗なことから言つても、あの海岸では、恐らく一番好い家だらう。」彼は家へ帰ると、子供たちに話した。そして子供たちのお馴染になつてゐる旅館の娘さんが停車場までもつて来てくれた、木から※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)ぎ立ての水蜜桃を子供たちに食べさせた。その果実には、都会の店頭のものには味ふことの出来ない新しい香があつた。
 一両日前から、彼は水着や帽子を買ひに、長男と小さい京子とをつれて、丸の内へ行つて見た。しかし水着は好いのが見当らなかつた。で、京子のために凉しい洋服を一着買ふことにした。京子の好きなのを択ばせることにした。そして其れが直ぐ決まつた。お盆時分のことなので、丸ビルの売店では、大抵福引券を出した。京子もそれを貰つた。
「行つて引いておいで。」
 京子は兄と一緒に引きに行つた。彼は骨董の店を覗いてゐた。彼は何うかすると、そんなものを覗いてみる癖があつた。
 暫くすると汚ないパナマを冠つた長男がやつて来た。
「お父さん、京子が二等を抽いたんですよ。驚いたな、ぢやらんぢやらんといふかと思ふと、二等ですつて言ふんだ。」
「さう!」彼はさう言つて振返つてみると、京子が何か水引のかかつた大きな奉書包みをもつて立つてゐた。余所の奥さんが二三人にこにこして、立止つて見てゐた。
「子供さんは無邪気ですからね。」
「京子ちよつとお見せ。開けてみよう。」
 京子は兄の手に渡した。
「何に、それ。」
「債券だよ、きつと。ほらね。復興債券だ。」
「素敵だな。」彼も笑つたが、彼も長男も何かしら感激に似たヒユモラスなものを感じた。
「京ちやんは運がいいぞ。この債券が又当るかも知れないぞ。事によると三千円くらゐ。」
「それはいつ抽くの。」
「いつだか判らないけれどもね。」
「厭だ!」
「兎に角お父さん、京ちやんの洋服はただになつてしまつた訳ですからね。パンツや何か少しばかり買つたにしても、一円いくらかのお釣が来たことになるんだからな。」
「さう。買つた家へちよつと見せてやらうよ。」
 三人で又その店先きへ立寄つた。店の人達もにこにこしてゐた。
 それから又そつち此方歩いて、男の子達のズボンやワイシヤツや、そんなものを少しばかり買ひ集めて、下の食堂へおりて行つた。

 お盆前の或る暑い日の午后、F子が、長男と一緒に、何か嵩張つたものを持ちこんでやつて来た。それは紙に包んだままのふわふわしたものであつた。それを彼の目の前において、長男はにこにこしてゐた。
「何うしたんだい。」彼も笑つてゐた。
「お父さんの夏の寝蒲団がないんで、何か買つてあげたいといふもんですから……」
「夏蒲団? 大変だね。」
 この冬もF子のところで、F子の勧めで彼は寝蒲団地を買つて来たことがあつたが、どこへ仕舞つたか、そのままになつてゐた。彼は相変らず袖のやぶけた、やたら縞の銘仙の重たい夜着を、冬も夏も通しに着てゐた。子供たちも大方三年間洗濯しないものを着てゐた。彼は子供達の寝間を覗く度に、彼等の寝道具を、今少しさつぱりした気持の好いものに取替へてやりたいと、いつも思つてゐた。それは妻の生きてゐた頃とは、まるで反対であつた。彼は妻の新らしい家庭的設備の申出に対しては、大抵の場合否定するのが常であつた。母のない子供たちは父親の前に、ごく必要ひつえうなものの外何も要求しはしなかつた。十九になる長女の春代に、何かほしいものはときいても、答へはいつも「あります。」とか「入りません。」とか言ふきりであつた。彼はそれを好いことにしてゐるのではなかつたけれど、最近彼の懐はいつも寂しかつた。春代の着ものを買ふやうな機会は滅多になかつた。勿論都会趣味の妻がしたやうに、子供を育てようとも思つてゐなかつた。彼は正しく生きて行く力を獲んことを子供達に望まずにはゐられなかつた。この春二年間双方の親達の監視の下に、家庭的な往来を許してあつた、あるブルヂヨウア階級の青年との婚約を破棄する決心をしたのも、春代に真実の生活を得させたいからであつた。彼自身の最近の恋愛事件のあひだ世間にも家庭的にも、いつも最も苦しい立場に立たせられたのは彼女であつた。彼はその償ひをしてやらなければならなかつた。清純な愛が、彼に湧いて来た。他の何ものを愛する余裕も今の彼には求められなかつた。それは強ち京子の保護者としてのみの考からではなかつた。
 長男とF子とは、銀座のデパートで、お盆の配りものの見立ての帰りであつた。F子は部屋の入口のところに坐つてゐた。
「暑くて暑くて、私卒倒しさうでしたわ。頭脳が変になつてしまひましたわ。」
「さう。何か冷たいものでも飲んだら。」
「沢山。何んにもいただきません。」F子は女中を振返つて、
「すみませんがおひやを一杯。」
「さう。しかし何だつて、こんなことするんだい。」
「冷蔵庫か扇風機をとも思つたんですけれど、あんなものお嫌ひだから。」
「一体何だい。」
 子供が包紙を開いた。
「好いた※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)がありませんでね。若しお厭でしたら取替へる約束をして来ましたの。」
「好いでせう。さつぱりしてゐて。」
 それは薄い草色と、桃色がかつた赤とでぼかし出された牡丹の大模様のある絽錦紗の夏蒲団であつた。
「へえ――そんなものを僕は着ないよ。」
「好いですよ。お父さんなんか……」
「夏は少しさつぱりしていらした方がね。」
 彼はそれも可からうと思つた。そして其が二三日して、春代が気分がわるくなつて、学校から二人の友達に送られて、自動車で帰つて来たとき、早速間に合つた。
 二日目には春代も床を離れた。
「お父さんに麻の蒲団があつた筈だがね。あれも無くなつたかい。」彼はその贈りものから、急に思出したやうに春代にきいた。
 春代は考へてゐた。
「ありますけれど、随分汚れてゐますから。」
「さう。出してごらん。」
 暫らくすると春代は納戸から、それを捜し出して来た。誰か着てゐたとみえて、襟など垢じみてゐた。
「これ洗濯したら何うかね。」
「去年しようと思つたんですけれど。」
 彼は又子供達の夏蒲団のあつたことをも思ひ出した。
「え、それもほどいて洗張りしたまゝ仕舞つてありますの。去年の夏する積りで、あのお婆さん、してくれなかつたものですから。」
「みんな出してごらん。」
 春代は裏地と一緒に幾枚もの皮を持出して来た。彼は避暑地へもつて行く蒲団のことが気になつてゐた。出来合ひを買はうか、古い馴染の蒲団屋に作らせようかなどと思つてゐた。
「あるぢやないか。それなら新しく買ふ必要はなかつた。綿もあるかね。」
「ございます。打返して、足りない分を買ひ足しませば。」
 春代は又麻の蒲団地の反物をも持ちだして来た。
「へえ、こんなものもあるの。これ何うしたんだらう。」
「さあ。」春代にも記憶がなかつた。
「多分お母さんが買つておいたものだらう。これを仕立ててもいいぢやないか。」
「上等ですわ。」女中も笑つてゐた。
「やつぱりお父さんが見なけあ駄目だね。」
 現実の泥濘ぬかるみから、彼の足は恐らく永久にぬけないであらう。

「小さいお嬢さんが明日あした海へ行くんだつて、大悦おほよろこびでお寝みになりました。」
 或る晩おそく帰つて来て、ちよつと子供部屋へ顔を出して来た彼に女中のおしのは言ふのであつた。彼はちよつと面喰つたが、頬笑ましくもあつた。
「ああ、さう。持つて行くものは纏まつてゐるのか知ら。」
「え、もう大概よろしいんでせう。小さいお嬢さんは御自分のものを、ちやんとお纏めになつて……」
明日あしたといふわけにも行かないだらうけれど……」彼は呟いた。酒呑みの次男に対する防備について、彼は時々考へたことであつたが、矢張子供のいふとほり、一室に荷物を取りまとめて、錠でもおろしておくより外なかつた。妻の歿後、彼は家庭を開放的にしようと思つたが、反対に個人の家は封鎖的でなければならない事実に逢着した。二男が丸きり家にゐない時でも、色々のものが絶えず失はれて行つた。何か其処いらにあるものを持出して行くのは、あの男ばかりではないらしかつた。つひ此の頃まで彼の目の前にあつたものが、いつの間にか見えなくなるやうなことは珍らしくなかつた。彼は部屋に錠のかかる洋風建築の必要を疾くに感じてゐた。
「それから二番目のお坊ちやんが[#「お坊ちやんが」は底本では「お坊ちゃんが」]入らつしやいました。お出かけになると直ぐその後へ。」
「さう。そして何うした?」
「どこも信用もなくなつて、寝るところもないから、三晩もつづいて、上野公園のベンチに寝て、こんなに蚊に刺されたと仰つて、目を窪まして、この前おいでになつた時から見ると、悉皆お窶れになつて、お可哀さうでした。何にもしないから、御飯だけ食べさしてくれと仰つて、それから単衣ものを一枚お持になりました。」おしのは涙ぐんでゐた。
 彼も好い気持はしなかつた。海岸で家を決めて来たときも、あの男を兄弟達と一緒に夏中あすこにおいたらと、彼はそんなことも思つてゐた。彼は二男がこの頃又頻繁にこの居周りに出没して、カフヱや蕎麦屋で、酒を飲んだり、呉服店から反物をもつて行つたり、八百屋やパン屋や寿司屋や運送屋で、五円十円廿円と猟れるだけ猟りつくしてゐることを通知されてゐた。仕事が段々細かくなつて来た。そして何うかすると一日三軒もの商人の要求や哀訴に、応接しなければならなかつた。子供はすつかり行き詰つてゐた。何んなに行詰つてゐても、食ふものも寝るところがなくなつても、酒代を何うにかかうにか、潜り潜つて工夫しないではゐない彼であつた。海岸でも、きつと彼の名を悪用して飲みまはるだらうと思はれた。
「それあ止した方がいいですね。ああやつておけば益々悪くなるやうなものだけれど、それかと言つて……」長男も困惑してゐた。
「もう何うしたつて、あれは止まないやうだね。」
しうちやんは前から僕等兄弟と一緒になれないんだもの。」脚の悪い子供も言つた。「悪いなら悪いなりに、又味方も出来るもんだけれど、収ちやんは友人の好意なんか裏切つて平気なんだもの。親しさうに見えて、誰も収ちやんのことは分らない。友達に何にも話さないからね。」
「それにあの男は己と一緒にゐるのが何んなに気づまりだか。あれが可けない。」
 結局彼は一室だけ封鎖することにした。そして其の翌日錠を買ひに行くものは錠を買ひに、仕舞込んでおく衣類などを択り出すものは択り出し、運ぶものは運び、戸に錠前を打ちつけるものは打ちつけた。別に又た運送屋が来て、海岸へもつて行く夜具などの荷造りを始めてゐた。
 時間がまだあるので、皆んなは椅子の部屋に集まつた。脚の悪い児は、そのひよろ長い躯に新調の洋服を着込んで、杖にすがつて、そつちこつち歩いてゐた。彼は一昨日病院で膿を取つてもらつたばかりであつた。
 汽車のなかでは、京子が独りでぴちぴちしてゐた。脚の悪い児は、一番後ろのクシヨンにもたれて、細長い首を延ばして、二年目に見ることが出来た、広い野の緑を貪り眺めてゐた。やがて其の兄をいたはるやうに、一つのクシヨンにかけてゐた京子が、父と姉の傍へやつて来た。ルードゲームが、京子によつて春代の膝のうへに拡げられた。
「去年は、おれ真先きにこゝを歩いたんだつて、三郎が僕の肩につかまつてプラツトホームを歩いてゐるとき言ふんで……」彼は今のさき、発車前の窓の下へ立つてゐた長男から聞いた言葉を思ひ出すと同時に、子供同志だけで過した一昨年と昨年と二タ夏のわびしい彼等の海岸生活を想像してゐた。一ト夏は一人の子供好きな青年をつけて、一ト夏は全く子供だけで。汽車の過ぎるところは、総て子供たちがお馴染の風景であつた。彼等は懐しさうに、その日の思出を語りあふのであつた。
 しばらく続いたルードゲームにも飽きて、やがてボール紙製の盤が畳みこまれた。
「何もお菓子をもつてこなかつたね。」彼は幾年ぶりかの子供たちの旅に、食べる用意のないことを物寂しく思つた。
「え、」今まで妹につられてルードゲームでいくらか燥いでゐた、春代は済まないやうな顔をした。
「お父さんありますよ。」四男は笑ひながら、網棚あみだなのうへを見あげた、昨日から籠に残つてゐたサンマーオレンヂが三つ四つに、メロンが一つ紙包みのまゝおかれてあつた。
「今日がちやうど、そのメロンの食べ頃なんですよ。だから己れもつて来たんだ。」脚の悪い児が、後ろから言つた。
 サンマーオレンヂが先づ取りおろされた。
「海! 海!」
 暫らくすると、京子が叫んで反対の側の窓へ飛びついて行つた。
 汽車の鈍いこの四時間を彼も子供も退屈するやうなことはなかつた。そして彼は直きにN――町へ着いた。
「これは好い。素敵だ。」
 妹と弟に扶けられて、部屋へあがつた脚の不自由な子供は、広い縁側に杖をついて立つたまま青い軟い髪のやうに風にそよいでゐる青田や松原のあなたに見える緑紫色の山やその上に棚引いてゐる蒼空の白い雲を見度しながら嬉しさうに叫んだ。
「こゝならお前もさう退屈しないだらう。」
「こゝにゐれば、僕は海へ行かなくとも可いです。」
 そして彼は荷物のとどく間、旅館から今持つてきてくれた椅子にかけて、汽車の疲れを休めてゐた。
「さあ、メロンを食べよう。ちよつと冷してね。」

 東京へ帰つた彼は、或る晩或る青年と外で晩飯を食べて、銀座へ出て行つた。銀座は熱い黄色い風が吹いてゐた。白い顔の男や、サムプルのやうに洋服を着た女が、相もかはらずぞろ/\歩いてゐた。
 彼は三日ばかり子供と一緒に海へ行つた。そこの海岸にも、早やケーブは[#「ケーブは」はママ]古い型になりかけてゐた。大きい傘を持出してゐるものもあつた。震災で丸潰れになつた町は貧乏であつたが、海岸だけは赤や緑のゴム帽子に賑はつてゐた。十年前よりか十倍もの都会の人が来て、遠浅とほあさをぽちやぽちや掻濁してゐた。でも、この沿岸ではここは割合落着きの好い海水浴場であつた。明治屋の支店も未だここには出てゐなかつた。コーヒらしいコーヒ一杯飲ませる家とてもなかつた。さして身分を鼻にかけるやうな人の姿も見えなかつた。
 痩せた彼の肩や腕が赭く染まりかけてゐたが、四五日水道の水をつかつてゐるうちに、又褪せかけて来た。彼は入れ替りに食料品やカルムを托して、長男を海岸へやつた。
 彼はその青年から農村と都会の労働者の話を聞きながら歩いてゐた。彼は大人おとなの話相手にかつしてゐた。
 帰つてくると、家はひつそりしてゐた。彼は京子と約束したとほりに、一両日で又海岸へ行く積りであつたが、帰れば帰つたでつひ用事に絡らみつかれた。
「京橋からお電話でした。」女中は締切つた廊下の硝子戸を開けながら告げた。
「さう、何だつて……」
「若旦那からお電話で、先生にちよつと電話口まで出ていただきたいと仰やるんださうです。仕事の都合もあるんだから、強ひておいでにならなくともいいけれど、お小遣がすつかり無くなつてしまつたんですて。」
「さうかな。」彼は極りわるさうに、「さうかも知れないね。」
「お帰りになつたら、京橋のお家へちよつとお電話をおかけ下さいつてお言伝でした。」
「さう、ぢやちよつとかけて見るかな。」
 彼は外へ出て行つた。
「……何だか島流しに逢つたやうだつて、ひどく心細さうな声でしたわ。それに小ちやい人達だけでは、海では寂しいし、三郎さんを独り遺して行くのは可哀さうだし、一体兄弟の人数が、かうなつてみると不足だつて……」電話へ出たF子は急きこんだ調子で言つた。
「さう。だつて一切通ひで取ることにしてあるんだがね、小遣も春代において来たんだけれど。」
「さうですか。でも何だか助舟がほしいやうな声でしたよ。」
「子供のお相手が詰らんからだよ、しかし明日は行かう。」

 翌日の夜彼は途中のデパートで、掻浚へるやうにして買ひ集めた食料品や菓子をもつて、海岸の家へ帰つて行つた。帰るときには、春代姉妹が、いつまでも汽車の動き出した彼に「早く来てね」と叫びながらハンケチをふつてゐたが、今度は長男と四男が迎へに来てゐた。長男の顔は焦げた煎餅のやうになつてゐた。
「何うしたんだい。」
「どうせ海へ来たからは海へ入るより外ないですから。」長男は少しやけに答へた。
「それにしても、そんな黒いのはないだろ。」
「笑談でせう。まだまだ焦げたのが沢山ゐますよ。」
 自動車のなかで、そんな話をした。やがて薄暗い子供たちの巣へ還つて来た。庭の縁台に集まつてゐた家主や近所の人達が、散らかつて行つた。電燈のまはりに、虫が相かはらず旋風のやうに渦をまいてゐた。
「おつそろしい虫だな。」
「いや、虫や蝿なんか恐がつてゐちやあ、こんなところにゐられませんよ。」長男は島流しの悲哀を吹き飛ばすやうに言つた。
「それあさうだけれど……」彼はさう言つて、一つの包みを春代に開けさせた。チヨコレートの包みや、菓子の壜が大小幾箇も出た。みんなはチヨコレートを食べた。
「こんなところは、缶詰なんか持込むよりか、やつぱり新らしい魚をうんと食べた方がいいですね。」
「ところで都会といふものは悪いもんで、汽車がついてから、好い肴はみんな東京の人に食はれてしまふんでね。早晩こゝいらも逆輸入つてことになるかも知れないよ。」
 チヨコレートを摘みながら、彼等は土地と人との話に夜をふかした。そして十時頃に、父子六人二タ張りの蚊帳のなかで、枕に就いた。

 翌日も好い天気であつた。稲は到るところ風に微笑してゐた。
 彼は幾日目かに、又た京子と海へ入つた。海は赤い鬼灯ほゝづきや青い鬼灯で一杯になつてゐた。ボートやヨツトがその間を縫つて、櫓から銀色の雫をきらきらさせてゐた。
 ふと浜へあがつて見ると、黒い長男はテントの下にも海にもゐなかつた。
「兄さんは。」彼は京子にきいた。
「兄さんはそこよ。女の人と話してゐるでせう。」京子が指さした。
 つひ目の先きに、黒い彼はタオルの洋服を着た若い女と、後ろ向きに肩を並べて立ちながら話してゐた。
「あれ誰?」
「兄さんの学校にゐた人の妹さんよ。去年も来てゐたの。あの方たちのお仲間が随分多勢なの。」春代がつつましやかに話した。
(昭和4年10月「新潮」)





底本:「徳田秋聲全集 第16巻」八木書店
   1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「新潮 第二十六年第十号」
   1929(昭和4)年10月1日発行
初出:「新潮 第二十六年第十号」
   1929(昭和4)年10月1日発行
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:きりんの手紙
2022年11月26日作成
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