厄払い

徳田秋聲




 正兵衛といえるはこの村にて豪家ものもちの一人に数えらるる程の農民なるが、今しも三陸海嘯かいしょう義捐金ぎえんきんを集めんとて村役場の助役はきたりつつ、刀豆なたまめを植えたる畑の中に正兵衛を見つけて立ちながら話す。

 それでは東北に大海嘯おおつなみがあったため三万の人が亡くなったというのだね、まあまあ近辺でなくて僥倖しあわせだった、何百里とあるのだから、とんとさしさわりがなくて安心というものだ。

と余念なく豆の葉の虫をとっている。助役はあきれ顔にて、

 それですから義捐金を集めて、遺族をいたわろうというので、多少に係わらず戴きたいものです、新聞でも御存知の通り、惨状は目もあてられぬ次第ですから、惣兵衛、甚造、太郎作、次郎兵衛など、その日その日をようよう細いけむりに暮らす小作人まで、それ相応に涙をふるうて財布の底払いをする訳ですから、貴下あなたなぞはうんと御奮発を願いたい。
 わしとこではお寺の建立があろうが、学校の修繕があろうが、堤防の修築があろうが、先祖代々から一文半りんも出した先例がないので、村のことでさえそういうわけだから、たかが東北のはてに災害があったって、いちいち銭を出す訳にはゆかない。

 助役は眼顆めのたままるくして、

 たとい地面は千万里隔っていても、同じ日本国の同胞が、親も兄弟も亡くして路頭に迷い、子も孫もなくしてうろうろしたり、可愛い妻に別れ夫に死なれ、家も蔵も田地も金銀もなくして、生命いのち一つを繋ぎ兼ねるものがごろごろ幾何いくらあるか知れない、悪いことをした罰では決してない、天災というものは、例えば貴下のような正直ものでも用捨なくひきさらうのだから、救ってらなければうすることも出来ない、救わないのは人情を知らないというものでしょう。
 いやいやそうも言われぬ、去年洋行帰りの大学者が演説には、西洋では勲功のあったものが難儀をすれば義捐をする、難儀をしなくとも、勲功さえあれば相応の敬礼とか褒美とかを遣るといったが、天災で難儀するものを救っていた日には、仕方がないだろう、こちらの利益にもならぬものに、難儀をなさるだろうといっていちいち挨拶をしていたら際涯はてしがないだろう、それよりか、俺は俺の田地の減らぬようせっかく倹約をする方が、相方そうほう厄介なしで心安いというものだ。
 では貴下方に海嘯があって田も畑も一切流されて、生命だけ助かったと思召おぼしめせ、誰か救ってくれれば好いとは思いませんか。
 そんなことはないはずだ、こんなに倹約をして溜めた金を流されてたまるものか、また大切な金を流してきていて堪るものか、俺は寝る時でも倉の鍵はちゃんと枕元に置いて寝るし、一晩に二三度は倉から家の周囲まわりを夜廻りする位だから、おめおめ金を流して助かる様な馬鹿は見ない、要心が宜しくないから、人様に迷惑をかけるので、俺のように心掛こころがけかったら、地震があろうが、海嘯があろうが、生命より大事の金を流すようなことは毛頭ないはずだ。
 でもそういう余裕ゆとりがあれば誰も好んで、自分の親や子を流しはしませぬ、海嘯というのは寝耳に水で、煙草一服する暇にもう一面大海となるのだから、なかなかそんなやさしいことはいっていられないです、どうか理屈は後刻のちほど承わりますから、応分の義捐金を願います。

 とすかせど正兵衛は、刀豆の顔ばかり見ていて。

 俺はまだこの年になれどひとに藁一筋の合力ごうりきを願った覚えのないものだ、だから、びた一文でも他に遣るのは胸糞が悪くてとても出来ない、こういうことはやはり、太郎作、次郎兵衛のような、不断ふだんから人様の合力で飯を喰ってるものにさせるが宜い、長いようでも日脚は早い、こんなことをいってると刀豆が段々虫に喰われてしもうようだ、やれやれ。

 と取合う気色も見えぬに、茶一杯饗応もてなされぬ助役は悄然すごすごとして元し道にとってかえしぬ、正兵衛は後見送りて、皺苦茶しわくちゃの眉根をひそめ、ああ厄払い厄払い。





底本:「天変動く 大震災と作家たち」インパクト出版会
   2011(平成23)年9月11日第1刷発行
底本の親本:「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館
   1896(明治29)年7月25日
初出:「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館
   1896(明治29)年7月25日
入力:持田和踏
校正:noriko saito
2023年10月9日作成
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