八月十七日私は自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、左の告別の言葉を述べた。これはいわば私の私事ではあるけれども、その当時の新聞紙が、それについて多少の報道を公けにしたのであるが、また聞きのことでもあるから全く誤謬 がないとはいえない。こうなる以上は、私の所言を発表して、読者にお知らせしておくのが便利と考えられる。
農繁の時節にわざわざ集まってくださってありがたく思います。しかし今日はぜひ諸君に聞いていただかねばならぬ用事があったことですから悪しからず許してください。
私がこの農場を何とか処分するとのことは新聞にも出たから、諸君もどうすることかといろいろ考えておられたろうし、また先ごろは農場監督の吉川氏から、氏としての考えを述べられたはずだから、私の処分についての、だいたいの様子はわかっておられたかとも思います。けれどもこの事柄は私の口ずから申し出ないと落ち着かない種類のものと信じますから、私は東京から出て来ました。
第一、第二の農場を合して、約四百五十町歩の地積に、諸君は小作人として七十戸に近い戸数をもっています。今日になってみると、開墾しうべきところはたいてい開墾されて、立派に生産に役立つ土地になっていますが、開墾当初のことを考えると、一時代時代が隔たっているような感じがします。ここから見渡すことのできる一面の土地は、
この土地の開墾については資金を必要としたことに疑いはありません。父は道庁への交渉と資金の供給とに当たりました。そのほか父はその
こう申し出たとて、誤解をしてもらいたくないのは、この土地を諸君の頭数に分割して、諸君の私有にするという意味ではないのです。諸君が合同してこの土地全体を共有するようにお願いするのです。誰でも少し物を考える力のある人ならすぐわかることだと思いますが、生産の大本となる自然物、すなわち空気、水、土のごとき類のものは、人間全体で使用すべきもので、あるいはその使用の結果が人間全体に役立つよう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私有さるべきものではありません。しかるに今の世の中では、土地は役に立つようなところは大部分個人によって私有されているありさまです。そこから人類に大害をなすような事柄が数えきれないほど生まれています。それゆえこの農場も、諸君全体の共有にして、諸君全体がこの土地に責任を感じ、助け合って、その生産を計るよう仕向けていってもらいたいと願うのです。
単に利害勘定からいっても、私の父がこの土地に投入した資金と、その後の維持、改良、納税のために支払った金とを合算してみても、今日までの間毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。私がこれ以上諸君から収めるのは、さすがに私としても忍び難いところです。それから開墾当時の地価と、今日の地価との大きな相違はどうして起こってきたかと考えてみると、それはもちろん私の父の勤労や投入資金の利子やが計上された結果として、価格の高まったことになったには違いありませんが、そればかりが唯一の原因と考えるのは大きな間違いであって、外界の事情が進むに従って、こちらでは手を
しかしながら、もし私がほかに何の仕事もできない人間で、諸君に依頼しなければ、今日今日を食っていけないようでしたら、現在のような仕組みの世の中では、あるいは非を知りながらも諸君に依頼して、パンを食うような道に従って生きようとしたかもしれません。ところが私には一つの仕事があって、他の人はどういおうと、私としてはこの上なく楽しく思う仕事ですし、またその仕事から、とにかく親子四人が食っていくだけの収入は得られています。明日はどうなるか知らず、今日は得られています。かかる保証を
だいたい以上の理由のもとに、私はこの土地の全体を諸君全体に無償で譲り渡します。ただし正確にいうと、私の徴集した小作料のうち過剰の分をも諸君に返済せねば無償ということができぬのですが、それはこの際勘弁していただくことにしたいと思います。
なおこの土地に住んでいる人の中にも、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるわけですが、それらを多少
また私に対して負債をしておられる向きもあって、その高は相当の額に達しています。これは適当の方法をもって必ず皆
つまり今後の諸君のこの土地における生活は、諸君が組織する自由な組合というような形になると思いますが、その運用には相当の習練が必要です。それには、従来永年この農場の差配を担任していた監督の吉川氏が、諸君の境遇も
けれどもこれら巨細にわたった施設に関しては、札幌農科大学経済部に依頼し、具体案を作製してもらうことになっていますから、それができ上がった時、諸君がそれを研究して、適当だと思ったらそれを採用されたなら、少なからず実際の上に便利でしょう。
具体案ができ上がったら、私は全然この農場から手を引くことにします。私も今後は経済的には自分の力だけの範囲で生活する覚悟でいますが、従来親譲りの遺産によって衣食してきた関係上、思うようにいかない境遇に追いつめられるかもしれません。そんな時が来ても、私がこの農場を解放したのを悔いるようなことは断じてないつもりです。昔なつかしさに、たまに遊びにでもやって来た時、諸君が私に数日の宿を惜しまれなかったら、それは私にとって望外の喜びとするところです。
この上いうことはないように思います。終わりに臨んで諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。