狩太農場の解放

有島武郎




それは自己の良心の満足を得る
已む可らざる行為

 私が胆振国狩太農場四百数十町歩を小作人の為に解放して数ヶ月になりますが、其儘小作人諸君の前に前記の土地を自由裁量に委ねる事は私が彼の土地を解放した精神である狩太農場民の自治共存を永久ならしめ延いて漸次附近村落を同化して行き得る如き有力なる団体たらしめる上に於て尚多少徹底しない所があるので狩太農場民の規約なるものを作り私の精神を徹底したい考へから森本博士に其規約の作製を依頼してあります。
 此の森本博士の手許に『有島の土地解放は甚だ困る。吾々は地主と小作人との利益を調和し共存共栄の策を樹立しようと研究して居たのに有島が私共地主の地位を考へないで突然に彼の様に土地を投げ出したので私達の立場は非常に困難になつた。元来有島は自分自身には確実に生活の根拠を有つて居るのであるから狩太農場を解放して小作人に与へても其生活は何等脅威されないが、私共が若し左様に土地を解放して与へたなら生活の根柢こんていを全く破壊されて了ふのである。斯様な社会的に大影響を有する行動を如何に自分の所有物を処理する事が自由であるからとて無造作に為すとは余りに乱暴な遣口である』と云ふ意味や其他私の遣方を非難する書面が沢山来て居るさうです。
 けれ共私は如何に考へても小作人と地主との経済的地位を調和し得ることは考へ得られない。夫れで私自身が何等労働するの結果でもなく小作人から労働の結果を搾取する事は私の良心をどうしても満足せしめる事が出来なかつた。で其の結果は私の文芸上の作品を大変に汚す事になり自己矛盾に陥つて苦んで来たのである。そこで私は私の土地を小作人達に与へたもので私としては、土地解放に依つて永らく悩まされて居た実際生活と思想との不調和より来る大煩悶から逃れたもので、晴々しい心地に今日なり得たのは全く土地解放の結果です。
 夫故土地解放は私としてまことに已むを得ない結果行つたもので何と非難されても致し方ありませぬ。私が土地解放の社会的影響や私が既に充分に生活の安定を得て居り乍ら斯かる偽善的な行動をしたと云はれる非難に対して甚だ御尤もなる御説と恐縮する所であるが併し私にも多少の弁明は出来る積りです。
 若し地主諸君にして真に小作人と地主との調和が出来ると云ふ確信があるならば一有島の土地解放の如きは何の恐るゝ所もない筈で其の所信を行ひ其の調和を御図りになれば宜しいのではないか。微力なる私の土地解放で崩壊したり動揺する様な確信であるならば其の根柢が空虚なる為で決して充分に鞏固きようこなるものでない証拠ではあるまいか。本当にしつかりした信念があるならば何の恐れをなす必要もないと思ふ。又土地解放の結果は自分達の生活の根柢を破壊するから困ると言はるゝも不労利益を貪つて何等人間の社会生活の上に貢献も努力もしないで労働者小作人の労働の結果を奪つて生活して行く事は決してよく考へられたならば正しい生き方ではない筈だと思ふ。
 或は私の斯う考へる事が間違で前の様な地主と小作人、労働者と資本家との地位が相両立し調和して行けるものであるならば私の今回の行動は何の効果も社会的に益すものでないが或は又私の考へる様に不労利得で生活して行く事が不合理であるとするならば、私の土地解放は時代の思想に伴つて行つたもので将来漸次土地が解放される前兆とも見るべきで地主諸君は今日から自分の正しい力に依つて労働し――物質的技術的の働きに依つて自ら社会の一員としての真面目な一つの役目を分担する事に依つて生きて行くといふ事を考へられた方がよいと思ふ。
 私が自ら生活して行く根柢を立派に有つてあゝ云ふ突飛なことをして迷惑を地主に与へると云ふことに就ては衷心忸怩たるものがないではないが私は自分の正しい文芸的労働の結果に其の生活の根柢を有して居る積りで居るし、地主を困らせる為めに行つた土地解放ではないから地主に同情はするがやましい点はない。
 私は自分の土地を解放するに際し自分の土地を所有する事に依りて受くる精神上の苦痛を去る為めに周囲の事情等は別段大なる考慮を払はないで断行したのである。夫故今日から思ふと私共の如く農民の思想が一致共鳴する事の出来ず依然として現在の資本的経済組織の永い間の教養に依り馴致じゆんちしたる習慣と更に周囲の大なる資本主義的力の為めに、此の土地解放の事実が結局押潰され抹殺せらるゝの結果に到達しはしないかと思つて居る。
 則ち今度の土地解放なるものがすこしも小作人の現在組織の行詰まりより来る痛切なる自覚せる欲求に基づいて手放され獲得したる結果でなく、温情的に与へられたる土地であるのだから、彼等旧小作人は其の土地解放の精神を忠実に実行して漸次其の範囲を拡大して行く如き事はとても難い様に思はれる。私は決して与へた農民を拘束する意味で斯う云ふのではないが併し自分としては出来得べくんば自分の土地解放の精神が漸次彼等に依つて拡大され発展し成長して行く事をこいねがつて已まないのである。
 乍併しかしながら私の此の希望は単なる希望にのみ止まつて容易に実現し得ない事と考へる。現在に於ける完備せる資本制度の大勢力は実に数千年の永い歴史的根拠を有し教育習慣等人間生活の凡ての方面に大なる力を以て浸蝕して居るのであるし共産的の精神と教養は遺憾ながら誠に小作人の間には薄く却て都会に於けるよりも資本主義的精神は地方農村に於て溌溂たるの事実に徴する時私は狩太農場の前途をほゞ推測する事が出来るものと思ふ。
 労農露西亜に於ける共産的制度も無知無覚の農民を基礎としては如何に政府の大なる専制力を以てしても円滑に行はれないのであるに鑑みても明白であらうと思ふ。最近勃興せる水平社運動の標語の中に『与へられたる自由はない』と言ふのがある。私は其の通りだと思ふ、とても痛切なる自覚せる結果に依つて獲得したる制度なり習慣なり権利でなくては真に獲得者が之を我物として活用する事は不可能である。無辜むこなる良民の特性夫は真に悲惨の極である。而も自然は平気で不断に之を実行して常に創造を行つて居る。人間の美しい感情の発動は之の無辜なる犠牲を払はしめまいと努力はする。而し結局之の自然の法則は除外さるゝ事能はず各種の疫病の流行とか革命の勃発により何の時代にも高い犠牲を払はされて居る様だ。
 私は結局自分の行つた土地解放が如何なる結果になるか分らない。只自分の土地解放は決して自ら尊敬されたり仁人を気取る為めの行動ではなく自分の良心を満足せしむる為めの已むを得ない一の出来事であつた事を諒解して欲しいと思ふ。
(『小樽新聞』大正十二年五月)





底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房
   1981(昭和56)年4月30日初版第1刷発行
   2002(平成14)年2月10日初版第3刷発行
初出:「小樽新聞」
   1923(大正12)年5月20日〜21日(9817号〜9818号)
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「為」と「為め」が混用されていますが、底本のとおりとしました。
※底本ではルビが付されていない以下の字に、ルビを付しました。
 根柢、洵に、鞏固、疚しい、馴致、毫も、迚も、冀つて、乍併、略、無辜。
入力:mono
校正:染川隆俊
2009年8月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について