小さき影

有島武郎




 誰にあてるともなくこの私信を書き連らねて見る。
 信州の山の上にあるK驛に暑さを避けに來てゐる人は澤山あつた。彼等は思ひ/\に豐な生活の餘裕を樂んでゐるやうに見えた。さはやかな北海道の夏を思はせるやうなそこの高原は、實際都會の苦熱に倦み疲れた人々を甦らせる力を十分に持つてゐた。私の三人の子供達――行夫、敏夫、登三――も生れ代つたやうな活溌な血色のいゝ子達になつてゐた。彼等は起きぬけに冷水浴をすまして朝飯を食ふと、三人顏を寄せて事々しく何か相談しながら家を出て行くのだ。暫らくして私がベランダの手欄から眼の下に四五町程離れて見える運動場を見下すと、そこに三人はパンの子のやうに自然の中にまぎれ込んで、何かゝにか人手も借らずに工夫した遊戲に夢中になつてゐる。三人が一塊になつて砂ほじりでもしてゐるかと思ふと、テニス・コートをてん/″\ばら/\に駈け※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて、腹を抱へて笑ひ合ふ姿も見える。その濁りけのない高い笑聲が乾燥した空氣を傳つて手に取るやうに私まで屆く。母のない子のさういふはしやいだ樣子を見てゐると、それは人を喜ばせるよりも悲しくさせる。彼等の一擧一動を慈愛をこめてまじろぎもせず見守る眼を運命の眼の外に彼等は持たないからだ。而して運命の眼は、何時出來心で殘忍な眼に變らないかを誰が知り得よう。
 晝飯が終ると三人は又手に/\得物えものを持つて出かけて行く。夕餉の膳に對して彼等の口は際限もなく動く。而して夜が彼等を丸太まるたのやうに次ぎの朝まで深い眠りに誘ひ込む。
 こゝで私は彼等と共にその母の三周忌を迎へた。私達は格別の設けもしなかつた。子供達は終日を事もなげに遊び暮した。その夕方偶然な事で私達四人は揃つて寫眞を撮つて貰ふ機會が與へられた。そんな事が私には不思議に考へられる程その一日は事なく暮た。
 かうして暮して行くのは惡くはなかつた。然し私は段々やきもきし出した。K驛に來てから私はもう二十日の餘を過ごしてゐた。氣分が纏らない爲めにこれと云つてする仕事もなく一日々々を無駄に肥りながら送つて行く事が如何しても堪へられなくなつた。私は東京の暑さを思つた。せめてその暑さに浸つて生活しよう。而してその暑さと戰ひながら少しでも仕事らしい仕事をしてのけよう。こんな事をして暮してゐては戸棚の中に仕舞ひこまれた果物のやうに腐つてしまふに違ひない。早く歸らう。さうだん/\思ひつめて來ると、私はもう我慢にもそこに居殘る氣がなくなつた。
 で、私は母に手紙をやつて早く山の方に來て入れかはつてくれるやうに頼んだ。然し母は私を休ませてやらうと云ふ心持ちから、自分は暑さには少しも恐れないからと云つて、容易に動きさうな樣子を見せなかつた。その心持ちを推してはゐながら私は矢も盾もたまらなかつた。母は遂に我を折つて八月の十三日は行つてもいゝと書き送つて來た。
 私はすぐその前夜の夜中の一時七分の汽車で東京に歸る決心をしてしまつた。母は十三日の夜か十四日の朝でなければK驛には着き得ない。その間子供達を女中の手ばかりに任せておくのは可哀さうでも、心配でもあつたが、私の逸る心はそんな事をかまつてゐられなかつた。それ程私は氣ぜはしくなつてゐた。
 發つといふ朝、私は極氣輕にその事を子供達に云ひ知らせた。三人は別に氣に留る風もなくそれを聞いて、いつものやうに小躍りするやうにはしやいで戸外に出かけて行つた。私は二階に上つて、讀みかけてゐた書物を忙はしく讀み終らうとしたり、怠つてゐた手紙の返事を書いたり、身のまはりの物をまとめたりした。夕方になると思ふ存分散けておいた私の部屋も物淋しい程きちんと片付いてしまつてゐた。人手を借りずにそんな事をするのに私はもう慣れてゐたけれども、痩せ細つたやうにがらんとなつた部屋の中を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)すと妙に私の心はしんみりした。
 夕方になるとがや/\云ひながら子供達はベランダの階子段を上つて來た。私は急いで階下に行つた。非常に神經質で、如何かすると恐ろしく不機嫌になり勝ちな八歳の行夫は、私を見付けると「パパ」と大きな聲を出して、普段通りその日出遇つた珍談を聞かさうとするやうだつたが、私を見るといきなり少し詰るやうな顏付きをして、
「パパは今日東京に歸るの」
と云つた。敏夫は割合に平氣な顏で、今朝の私の言葉は忘れてしまつてゞもゐるやうに、
「何時で歸るの」
と云つた。行夫はすぐ嵩にかゝつて、
「敏ちやん何云つてるのよ、夜中の汽車だつて今朝パパが仰有つたのに、ねえパパ」
と少し意地惡く敏夫を見やつた。敏夫は眼を大きく見張つたまゝそつぽを向いて、子供が泣く前に見せるやうな表情をした。それは兄からやりこめられた時に敏夫がいつでもする癖だつた。いつでも一人で遊び慣れた登三は二人の兄には頓着なく、鼻唄か何か歌ひながら、臺の下に身を丸めて翫具を一生懸命に仕舞つてゐた。
 夕餉を仕舞つてから行夫は段々不安さうな顏をしはじめた。四人で湯に這入る頃には、永い夏の日もとつぷりと暮てゐた。久し振で私と一緒に湯をつかつた彼等は、湯殿一杯水だらけにしてふざけ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)した。然しその中にもどこか三人の心には淋しさうな處が見えた。それは私の心が移るのかも知れないと思ふと私はわざと平氣を裝つて見せた。而して彼等と一緒に湯のぶつかけつこをしたり、湯の中に潛つたりした。それでも私達は妙にはづまなかつた。
 町からは十町も離れた山懷ろに建てられた私の家は、夜が來ると共に蟲の聲ばかりになつてしまつてゐた。客間と居間と食堂とを兼ねたやうな大テーブルのある一に私達は着物を着てから集まつた。子供達は伊太利ネルの白い寢衣を裾長に着てよろけ/\這入つて來た。
「パパ」
と鼻聲で云つて先づ行夫が私に凭れかゝつて來た。
「汽車が來る時までパパは寢るの……何處で寢るの」
「荷物はどうして持つて行くの」
「若しパパが眼が覺めなかつたら、汽車に乘りおくれるぢやないの」
などゝ子供によくある執念しふねさで詰るやうに聞きたゞし始めた。敏夫も登三も默つてはゐなかつた。私は三人に頭をまかれたり、膝に登られたり、耳を引張られたりしながら、出來るだけ安心するやうに彼れ是れと云ひ聞かした。
 見るともう就寢の時間は既に過ぎてゐた。私は少し嚴格に寢るやうに諭した。行夫は體の力が失くなつたやうにやうやく私から離れて、就寢の挨拶も碌々せずに二階の方に階子段を上つて行つた。何事にも几帳面で、怒らない時には柔順な敏夫は、私の父の塑像の前に行つて、
「おぢいちやま御機嫌よう、おばあちやま御機嫌よう、ママ御機嫌よう」
 一々頭を下げて誰にともなく云つてから、私の所に來て、
「パパ御機嫌よう」
と挨拶した。而して階子段の途中で大きな聲で呼び立てゝゐる兄の後を追つた。時間が過ぎたので睡たさに眼も開かなくなつた五歳の登三は、「パパ御機嫌よう」と崩れさうな聲で云つて、乳母の首ツ玉にしつかりかじり付いて抱かれながら私から離れて行つた。
 粗末な造作なので、私のゐる部屋の上に當る寢室では、三人の兄弟が半分怒つたり、半分ふざけてゐるらしく、どすん/\とひどい足音を響かせた。
 暫らくは三人で何か云ひ罵る聲と、乳母が登三をかばひながら、劍を持たせた聲で仲裁をする聲とが手に取るやうに聞えた。いつもなら私が疳癪を[#「疳癪を」はママ]起して靜かに寢ないかと云つて下から怒鳴るのだが、その晩はそんな氣にはなれなかつた。私は耳を澄まして三人の聲をなつかしいものゝやうに聞いてゐた。乳母がなだめあぐんでゐるのを齒痒くさへ思つてゐた。而して仕舞には哀れになつて、二階に上つて行つて三人の間に我が身を横へた。乳母は默つたまゝ降りて行つた。
 電燈は消してあるので寢室の中は眞暗だつた。大きな硝子窓越しには遠くに雨雲のよどんだ夏の無月の空が、潤みを持つた紺碧の色に果てもなく擴がつてゐた。雨雲が時々、その奇怪な姿をまざ/\と見せて、遠くの方で稻妻が光つてゐた。その度毎に青白いほのかな光が眞暗な寢室の中にも通つて來た。
「明日はあれがこつちに來るかも知れないのよ」
 行夫は枕から頭を上げて空を見やりながら、私の留守の間の不安を稻妻にかこつけてほのめかした。
 その中に敏夫が一番先に寢入つてしまつた。登三はをかしな調子でねんねこ唄のやうな鼻唄を歌つてゐたが、がり/\と虻の刺したあとを掻きながら、これもやがて鼾になつてしまつた。寢付きが惡くつて眼敏い行夫だけは背中が痒いと云つていつまでも眠らなかつた。この子は生れ落ちるとから身體に何か故障のない事はないのだ。その頃も背中にイボのやうな堅い腫物が澤山出來て、掻くとつぶれ/\した。そのつぶれた跡が恐ろしく痒いらしい。私が急所を痒いて[#「痒いて」はママ]やるといゝ心持ちでたまらないらしく、背中を丸めてもつと掻け/\と云つた。而して段々氣分がおだやかになつて、半分寢言のやうに蚊をよける工夫を色々としながら、夜具を頭からすつぽり被つて寢入つてしまつた。
 實際そこの夜は東京では想像も出來ない程涼しかつた。蚊もゐるといふ程はゐなかつた。私は暑過ぎない程度に三人に夜着を着せて靜かに下の座敷に降りた。まだ九時だつた。で、汽車を待つ間に讀みさしのメレヂコフスキーの「先驅者」でも讀まうとして包みを開くと、その中から「松蟲」が出て來た。「松蟲」といふのは私の妻の遺稿だつた。私は知らず/\それを手に取つた。而して知らず/\一頁々々と讀んで行つた。
 ふとその中から妻が六歳位の時の寫眞が出て來た。それは彼女の忘れ形見の年頃の寫眞である。嘗てこんなとんきよな顏をして、頭をおかつぱにした童女がたしかに此世に生きてゐた事があるのだ。而してその童女は今は何處を探してもゐないのだ。何んの爲めに生きて來たのだ。何んの爲めに死んだのだ。少しも分らない。そんな事を思つてゐる私は一體何だ。私はその寫眞の顏をぢつと見詰めてゐる中に、ぞつとする程薄氣味惡く恐ろしくなつて來た。自分自身や自分を圍む世界がずつと私から離れて行くやうに思へた。
 私はぼんやりしてしまつて電燈を見た。何かその光だけが頼みにでもなるやうにそれを見た。灯をつける前には屹度硝子戸を引いて羽蟲の來るのを防ぐにも係らず、二匹の蛾が二本の白い線のやうになつて、くり/\と電燈のまはりを飛び※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐた。而して硝子戸の外には光を慕つて、雨のやうに硝子にぶつかつて來る蟲の音と、遙か下の方で噴水の落ちる水音とがさやかに聞えるばかりだつた。寂寞の中のかすかな物音ほど寂寞を高めるものはない。白紙のやうな淋しさの中のかすかな囘想ほど淋しさを強めるものはない。
 私の眼はひとりでに涙に潤つた。私は部屋を出て幅の廣いベランダに行つた。頑丈な木造りの二三の椅子と卓子とが蹲る侏儒のやうにあるべからぬ所に散らばつてゐた。而して硝子戸を漏れる電燈の片明りが不思議な姿にそれを照してゐた。ベランダの板は露に濡て、夜冷えがしてゐた。木や草がうざ/\と茂つた眼下の廣い谿谷の向ふには地平線に近く狹霧がかゝつて、停車場附近の電燈が間をおいて螢を併べたやうに幽かに光つてゐた。而してその先には矢ヶ崎から甲信にかけての山脈が腰から上だけを見せて眞黒に立連なつてゐた。
 稻妻もしなくなつた大空は、雲間に星を連ねて重々しく西に動きながら、地平線から私の頭の上まで擴がつてゐた。あすこの世界……こゝの世界。
 私は椅子や卓子の間を拾ひながら、ベランダの上を往つたり來たりした。而して子供が遊び捨てた紙切れを庭になげたり、脱ぎ散らした小さな靴を揃へて下駄箱に入れてやつたりした。ある時は硝子戸に近よつて、その面に鈴なりになつて、細かく羽根を動かしながら、光を目がけて近寄らうとする羽蟲の類を飽く事なく眺めやつたりした。如何なる科學者もその時の私ほど親切にそれらの昆蟲を見つめはしなかつたらう。如何なる白痴も私ほど虚ろな心でその小さな生き物を眺めはしなかつたらう。
 時間を殺す爲めに私は椅子の一つに腰を下した。而して頬杖をついて遠くの空を見やりながら、默然と寂寞の中に浸り込んだ。湧くやうな蟲の聲もゝう私の耳には入らなかつた。かうしてどの位の時間が過ぎたか知れない。
 突然私の耳は憚るやうに「パパパパ……」と云ふ行夫の聲を捕へて、ぎよつと正氣に返つた。その聲は確に二階から響いて來た。それを聞くと私はふるひつくやうな執着を感じて、出來るだけやさしく「はいよ」といらへながら、硝子戸を急ぎながらそーつと開けて二階に上つて見た。女中達は假睡うたゝねして行夫の聲や私の跫音を聞きつけたものは一人もゐないらしかつた。それで私は夜の可なり更けたのを氣付いた。寢室に這入ると、行夫が半ば身を起して「登ちやん、そつちに行つて頂戴よ」といつてゐた。寢相の惡い登三がごろ/\と行夫の床の上に轉りこんで來てゐたのだ。私は登三を抱き起して登三の寢床まで運んでやつた。星明りにすかして見ると行夫は大きく眼を開いて私を見ながら、
「パパもつと眞中に寢てもいゝの……」と譯の分らない事をいふかと思ふと、もうその儘すや/\と寢入つてしまつた。私はその側に横になつたまゝ默つてその寢姿を見守つてゐた。
 暫らくすると、今度は敏夫が又ごろ/\と轉つて來て、兄の胸に巣喰ふやうにちゞこまつて、二人で抱き合ふやうな形になつた。行夫は敏夫を覗き込むやうに頭を曲げ、敏夫は兄の脇腹に手を置き添へすや/\と眠つてゐた。私はその兄弟に輕く夜着を被せて、登三の帶から下をはたげた寢衣を直してやつて、そこに胡坐をかいて、ぼんやり坐つてゐた。彼等を眠りから呼びさます物音だけが氣になつた。幸にそこは淋し過ぎる程靜かな山の中だつた。
 やがて私はやをら身を起して階下に下つて靜かに着物を洋服に着かへ始めた。
 十二時が柱の上の方できしみながら鳴つた。暫らくすると下の方の路でけたゝましい自動車のエンヂンの音が聞え出した。私ははつと思つて二階の方に耳を澄したが、子供の眼を覺したらしい樣子はなかつた。女中が物音に假寢うたゝねから起き上つて睡さうな眼をしながら食堂に出て來た。私が一時に發つといふ事を知つた義弟が、急に思ひ立つて私と一緒に歸るといひ出し、而して自動車を頼んでおいてくれたのだつた。
 私は急いで靴をはいた。而して口早に女中に留守の事を色々頼まうとしたが、結局どれ程綿密に注意をして置いても、出來るだけの事より出來ないと思つて、唯「留守をしつかり頼むよ」とだけいつてベランダに出た。そこには暗闇の中に自動車の運轉手が荷物を背負ひに來て待つてゐた。
 私は默つて運轉手の後に續いた。細いだら/\道の兩側にたて込んで茂つた小松から小松に、蜘蛛のかけ渡した絲にうるさく顏を撫られながら、義弟の家のある所に行つた。義弟の妻なる私の妹も、その子達も眼を覺してゐた。暗い往來から見ると、家の内は光る飴でも解いたやうに美しく見えた。妹は用意しておいた食物の小包などをその良人に渡してゐた。子供達は子供達で銘々の力に叶ふだけの荷物をぶら下げて自動車に運んだ。人々の間からは睦じさうに笑ひ聲などが聞えた。私は默つてそれを見守つた。
 汽車の中は中々人が込み合つてゐた。私達は僅に向ひ合つて坐るだけの場所を見つけてそれに腰を下した。夏の盛りであるにも係らず、レイン・コートでは涼し過ぎる位空氣が冷てゐた。義弟は暫らく私と話し合つてゐたがやがて窮屈さうに體を曲げたなりで、うつら/\と淺い眠りに落ちた。
 私も寢なければならないと思つた。電燈の光を遮る爲に、ハンケチを出して細く疊んで、眼を隱した兩端を耳の所で押へた。而してしつかり腕組みをして心をしづめて見た。然し駄目だつた。カラーが顎をせめるのが氣になつてならなかつた。色々にして見るが如何しても氣になつた。據なく私はそれを外して、立上つて網の棚に仕舞ひ込んだ。頸の處はお蔭で樂になつた。然し今度は足の置場がぎごちなくつてならなかつた。平に延ばして見たり、互違ひに組んで見たりしたが、如何しやうもなかつた。足は離して捨てる事が出來ない。
 半夜位は寢ないでゐろと思つて私は眠るのを思ひ切つた。而してまじ/\と乘客の寢態ねざまなどを見やつたり、東京に歸つてからすべき仕事の順序を考へたりなどした。その間にもふとすると子供達の事を考へてゐた。ぼり/\と足を掻いた、その音。行夫の胸に巣喰ふやうに轉げて來た敏夫の姿。下駄箱の前に無頓着に脱ぎ散らかしたまゝに置かれてゐる小さないくつかの靴。……と思ふと私は振拂ふやうに頭を動かして、又まじ/\と寢亂れた乘客の姿などを見た。
 汽車が上野停車場に着いた時には夜はから/\と明け離れてゐて、K驛では想像も出來ない蒸暑さが朝から空氣に飽和してゐた。義弟を迎へに來てゐるべき筈の自動車は故障が出來たとかで來てゐなかつた。義弟は短氣らしくタキシーの運轉手の溜りに行つて、直ぐ一臺出せといつて見たが、生憎く一臺もあいたのはなかつた。
「自動車が子供達の眼を覺しはしなかつたか知らん」
とふと私は思つた。目を覺すとすれば第一に眼を覺すのは行夫に違ひない。目を覺して見ると、寢室の中は眞暗だ。行夫は大事な忘れ物でもしたやうに、忙しく寢床から半身を起して、大きく開いた眼で闇の中を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)すだらう。而して暗闇の中から侵して來る淋しさ恐ろしさにせき立てられて、小さな聲で、
「パパ」
と呼ぶだらう。然しいらへる者がないのに氣が付くと、堪らなく淋しくなつて、前後も構はず大聲に呼び立てるだらう。
「せき……せきやつていへば……」
 私を送り出した女中は、物數寄にも夜中などに汽車に乘る私の事を不平交りに噂して、戸締りをしてゐたが、行夫の聲を聞くと、
「又起きつちやつたよ」
とか何とかいつて舌打ちをしながら、ぶり/\と二階に上つて行くだらう。
「又起きたの、駄目だねえ。パパはもう行つてお仕舞ひになりましたよ。さ、早くお寢なさいまし」
 さういふ突慳貪な聲を聞かされると、行夫はすつかり眼を覺してしまふだらう。而して一時も長く女中を自分の側にひき付けて置きたい欲望から、くど/\と私が家を出て行つた樣子などを尋ねるだらう。女中が睡さの爲めに氣を焦立てゝ、子供の心を少しも思ひやらないやうな言葉使ひをするのが私には十分過ぎる位想像された。私は自分のした事を悔むやうな心持ちになつて、東京の土を激しく踏みながらあちこちと歩いた。
 やうやく自動車が出來たので義弟と私とはそれに乘つた。二人は狹い座席で膝を併べてゐたけれども、互の心は千里も距つてゐるやうに思はれた。その頃丁度出來かけてゐたある事業の事を義弟は考へてゐるに違ひない。私は私で他人の眼から見れば餘りに小さな事をやきもきと考へてゐる。
 自動車は雜閙し始めた廣い往來を勢ひよく駈て行つた。寢不足な私の頭は妙にぼんやりして、はつきり物を考へる力を失つたやうに、窓から見える町々の印象を取入れた。取入れられた印象は恐ろしく現實的なものになつたり、痛く夢幻的なものになつたりして、縮まつたり脹れたりした。
 突然自動車が動かなくなつた。運轉手は素早く車臺から飛び下りて機械を調べにかゝつた。電車がその爲めにいくつも停らなければならなかつた。往來の人は自動車のまはりに人垣を作つた。
 私はその時頭がかーんとしたやうに思つた。車外に立つどの顏も/\木偶のやうだつた。それが口を開き、顏をゆがめて、物をいつたり笑つたりしてゐた。車窓を隔てゝゐる爲めに、聲が少しも聞えないので、殊更ら私の感じを不思議なものにしてゐた。私は人々に圍まれながら、曠野の眞中にたつた一人坊ちで立つ人のやうに思つた。普段は人事といふ習慣に紛れて見つめもしないでゐた人間生活の實相が、まざ/\と私の前に立現れたのを私は感じた。本統は誰でも孤獨なのだ。一人坊つちなのだ。強てもそれをまぎらす爲めに私達は憎んで見たり愛して見たりして、本統の人の姿から間に合はせに遁れようとしてゐるのだ。私はそんなことをぼんやりした頭で考へてゐた。こんな孤獨な中にゐて、しつかりと生命の道を踏みしめて行く人はどれ程悲しいだらう。……
 突然自動車が動き出した。自動車を圍んでゐた人達は急に木偶から人間に還つたやうに怪我をおそれて道を開いた。私も亦奇態な妄想から救はれてゐた。而してすぐ子供達の事や仕事の事やを考へてゐた。
 家に歸りつくと母は驚いて私の時ならぬ歸宅を迎へた。而して孫達が可哀さうだからといつて大あわてに仕度をして晝頃K驛に向つて發つて行つた。
 私は始めて安心した。安心すると同時に仕事の事がたゞ一つの執着になつて私に逼つて來た。私は單衣の袖をまくり上げて机の前に坐つた。机の上には東京特有の黄塵が薄くたまつてゐて、汽車の煤煙を水道の水で淨めた私の指先に不愉快な感觸を傳へた。暑さはもう私の胸のあたりをぬら/\させずにはおかなかつた。それでも私は凡ての事を忘れて燒くやうに氣負ひながら原稿に向つた。
 暫らくして私はぎよつと物音に驚かされて机から上體を立て直した。夏の日は光の津波のやうに一時に瞳孔に押寄せて來るので眼も開けなかつた。寢不足にまけ、暑さにまけ、焦慮にまけて私は何時の間にか假寢うたゝねをしてゐたのだ。額にも、胸にも、背にも、腋の下にも、膝の裏にも、濃い油汗が氣味惡くにじみ出てゐた。
 誰を責めよう。私は自分に呆れ果てゝゐた。少しばかりの眠りであつたが、私の頭は急に明瞭過ぎる程明瞭になつて、私を苦しめた。
 私の眼からは本統に苦しい涙が流れた。
 私にはもう書く事がない。眼を覺ましてから私が書きつけておく事は是れだけで澤山だ。私は誰にあてるともなくこの私信を書いた。書いてしまつてから誰にあてたものかと思案して見た。
 さうだ。この私信は矢張り私の子供達の母なる「お前」にあてよう。謎のやうなこんな文句を私の他に私らしく理解するのは「お前」位なものだらうから。





底本:「有島武郎全集第三卷」筑摩書房
   1980(昭和55)年6月30日初版発行
底本の親本:「大阪毎日新聞 第一二七五四號〜第一二七六一號」
   1919(大正8)年1月5日〜12日
初出:「大阪毎日新聞 第一二七五四號〜第一二七六一號」
   1919(大正8)年1月5日〜12日
   「東京日日新聞 第一五一六九號〜第一五一七六號」
   1919(大正8)年1月6日〜13日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「假寢うたゝね」と「假睡うたゝね」の混在は、底本通りです。
入力:木村杏実
校正:きりんの手紙
2022年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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