平凡人の手紙

有島武郎




 もう一年になつた。早いもんだ。然し待つてくれ給へ。僕はこゝまで何の氣なしに書いて來たが、早いもんだとばかりは簡單に云ひ切る事も出來ないやうな氣がする。僕が僕なりにして來た苦心はこの間の時間を長く思はせもする。まあ然し早いもんだと云つておかう。早いもんだ。妻が死んだ時電報を打つたら君はすぐ駈けつけてくれたが、その時僕がどんな顏で君を迎へたかは一寸想像がつかない。僕は多分存外平氣な顏をしてゐた事と思ふがどうだ。その時の君の顏は今でもはつきり心に浮べて見る事が出來る。この男が不幸な眼に遇ふ――へえ、そんな事があるのかな、何かの間違ひぢやないのか。そんな顏を君はしてゐた。
 僕は實際その後でも愛する妻を失つた夫らしい顏はしなかつたやうだ。この頃は大分肥つても來たし、平氣で諸興行の見物にも出懸けるし、夜もよく眠るし、妻の墓には段々足が遠のくし、相變らず大した奮發もしないで妻がゐる時とさして變らない生活をしてゐる。ある友達は僕が野心がなさ過ぎるから皆んなで寄つてたかつて、侮辱でもして激勵しなければ駄目だと云つたさうだ。まあその位に無事泰平でゐる。君が僕の容子を見たら一つ後妻でも見附けてやらうかと思ふ程だらう。夫れ程物欲しげな顏をしてゐる時もある。怒つてくれるなよ。決して僕が不人情だからではない、是れが僕の性質なんだ。僕の幸運が僕をさうしたのだ。
 實際僕ほど運命に寵愛された男は珍らしいと云つていゝだらう。小さい頃神社や佛閣に參詣した時、僕を連れて行つてくれた人達が引いてくれたお神※(「鬥<亀」、第3水準1-94-30)には何時でも大吉と書かれてゐた。五黄の寅と云ふのは強い運星だと誰れでも云つた。實際その通りだつた。少年時代に僕の持つた只一つの不幸は非常に羸弱な體質と、それに原因する神經過敏だつたが、夫れも青春期からは見事に調節されて兵隊にさへ取られる程の頑健さになつた。
 君はそこまで氣が附いてゐるか如何か知らないが、幸福の中でも最も幸福な事は、君も知つてる通りの僕の平凡がさせる業だ。生立ちが平凡であつたばかりではない、行爲事業が平凡であつたばかりではない、對社界的關係が平凡であつたばかりではない、僕の人物が都合よく平凡である事だ。僕の人物は感心によく平均されて出來てゐる。智能も感能も誠によく揃つて出來てゐる。容貌も體格も實によく釣合つて出來てゐる。而してその凡てが十人並に。そこで僕は幼年時代にはさるやむごとなきお方のお學友と云ふものに選ばれた。中學校を卒業してある田舍の學校に行く時、僕等の畏敬した友人は、僕に「送○○君序」を書いて「君資性温厚篤實」とやつた。大學では友人が僕に話しかける時は大抵改つた敬語をつかつた、――○○君はあまり圓滿だから同輩のやうな氣がしないと云つて。教會に出入する頃は日曜學校の教師にされた。教員をすると校長附主事と云ふ三太夫の役を仰附かつた。家庭では時たま父に反抗したが、毎でも愚圖々々に妥協がついてゐた。母は、感心な程癇癪を起さない、實直な、働き甲斐のない男として、憐れむやうな氣味でゐる。弟は銀行會社の監査役になる事が一番安全な道だと考へてゐる。妹は小兒教育が最も適當だらうと勸める。ある友人は、妻がまだ病氣でゐる時、若し君の細君が不幸な事にでもなると、君の性格は始めて磨きをかけられて立派なものになるだらうと豫言してくれた。僕は決して自分の幸福を見てくれがしに云ふのではないが、僕の是れまでの閲歴や、近しいものゝ觀察は、本質的なものであり、肯綮に中つたものである事を承認せざるを得ない。而して僕の幸福は自分でも認め、他人も認める、この缺點のない平凡から生れ出てゐるのだ。客氣のあつた青年時代には圓滿だと云はれる事にすら不滿を覺えたものだが、この頃のやうに長男が小學校に這入るなどゝ云ふ事になつて見ると、僕は自分の平凡をありがたく思ふばかりだ。
 何と云つても、「遇ひ難き人生に遇ひて」幸福でゐられると云ふ事は不平の申出やうのない好い事だよ。餘程前に時事新報で何とか云ふ人がある月の文藝批評を書いてゐたが、泡鳴と云ふ人の書く作物には下劣な醜陋な人間ばかりが活躍してゐて、讀むのもいやになる相だ。然し人生の實相はこんなものではないと誰れが云ひ得ようと論者は作者に強く同感を表してゐた。而してその直ぐ後にコエベルと云ふ人の「問者に答へて」と云ふ文の批評がしてあつて、その西洋人の熱實な道義的氣魄(表現はこの通りではないのだよ。然し意味はさうだつた)には深い尊敬を拂ふと結んであつた。この頃の人は、僕のやうな十人並の頭では判らない程微妙な皮肉を弄するさうだから、或はその批評家も皮肉を云つてるのかも知れないけれども、まあ文字通りに取るとすると、その人なぞは隨分不幸な人だと同情に堪へなかつた。下劣、醜陋が實相である人生に居て、熱實な道義的氣魄を憧憬する――出來ない相談を常住腰にぶらさげてゐなければならないと云ふ不幸は全く同情に値する。これ程不幸な人は多分そんなに澤山ゐる譯ではないのだらうけれども。
 一寸失敬、今手紙を女中が持つて來たから。
 實は僕は餘程以前から云ふのも一寸恥しいやうな僕らしく平凡な道樂氣を出してゐたのだ。夫れは妻の一周忌の日に、妻の世話になつてゐた平塚の病院に行つて、そこにゐる患者達に花束を贈らうと思ひ立つてゐたのだ。そんな事を前日か何んかに當意的に、天啓的に發意しないで、何ヶ月も前から考へてゐたと云ふ事なぞは自分ながら少し幸福過ぎるやうだが、事實だから仕方がない。そこで今在院患者數の問合せに對して病院から返事が來たのだ。明日は當日だからいよ/\出かけるのだ。そんな事を思ひながらこの手紙を書いたもんだから「もう一年たつた。早いもんだ」と僕にしては「起し得て輕妙」な事を云つてのけた譯だ。
 話を前にもどすのは面倒だから、思ひ出し放題に書き續けるが、妻が死んで百ヶ日にもならない中に、僕の耳はあつちこつちで僕の後妻の事が噂されてゐるのを聞いた。愛する妻を失つた僕に取つて……一寸又話がそれるよ。愛する妻なぞと書かれたこの手紙が萬一世間に發表されたら、いくら僕が共に語るに足らない平凡人であつても、この言葉だけは世間も齒牙にかけずにはゐられまい。中年を過ぎた男が「愛する妻」! 非凡にやり切れない事を云ふ男があつたものだ。有髯の男子である以上は、その人が女權論者であらうとも、戀愛神聖論者であらうとも、屹度かう云ふに違ひない。少くとも腹のどん底の方でかう思つてゐると云ふ事を人に見せるにちがひない。不幸な人ほど、言ひ換れば非凡な人ほど、夫婦關係なぞと云ふものより一段高い所に廣々とした餘裕を持つてゐるものだ。所が僕は平凡で從つて實直だから、思つた通りに愛する妻と云つてしまふ次第だ。……是れから又本筋に話がもどる。愛する妻を失つた僕に取つて、こんな事を聞かされるのは實に嬉しかつた。睦じかつた夫婦仲が絶えて、嘸淋しく悲しいだらう。一日も早く前にも増した好い妻を探してそのやる瀬ない淋しさ哀しさを慰めてやらう。さう云ふ親切な心持ちが平凡な僕にも感ぜられるからだ。中にはもつと實際的な立場からこの問題を見てくれる人もある。それも難有くない事はない。ないがその方は理由なしに感じがぴつたり來なかつた。所で温厚篤實である筈の僕も、偶には柄にない非凡なまねをして、後で腹の底がむづ/\するやうな自己嫌惡を經驗する事がないでもない。いゝ例がある。それは丁度百ヶ日の法事が終つた後で、僕は鹿爪らしい顏をして集つてくれた家族親類の前に出てかう云つた「皆樣が私の後妻の事について色々心配して下さるのは誠に難有く存じます。然し私は今その問題を考へる氣が致しません。と云つて再婚する氣がないと云ふのではないのです。そんな心地になる時が來るかも知れません。その時は無理にも私の方からお願ひするとして、それまでは、無駄な事ですから、この問題はお捨て置き下さい。」こんな事を云ふ中にもう實際は腹の底がむづ/\して來たものだから、言葉がはつきりしなかつたと見える。その晩食事をすまして雜談をしてゐると、親類の一人が僕の所に來て「お前の先刻云つた事は私の胸にこたへた。お前が細君の遺稿を印行した時分にもう私はお前が一生獨身でゐる決心だなと想像してゐた。」と眼に涙をためて云つてくれた。「さう云ふ積りではないんです」と僕が平凡なら從つて實直なら其場で云はなければならなかつたのだ。所が僕はその人の思ひ違ひをいゝ事にして默つてゐた。非凡でもない奴が非凡なまねをすると兎角こんなディレンマにかゝつて、平凡の純一さを失つてしまふ。其晩は僕も大分不幸だつた。僕は何時女が欲しくなり、女が欲しくなる事によつて妻が欲しくなるか知れなかつたから。
 然し是れは僕が平凡振りを發揮して率直に云ふ話だが、僕は今の所では……矢張り率直には云へないな、一寸持つてまはつた但書をつけ加へたくなる――突然運命のやうな女が現れて來さへしなければ――……戀愛關係を作る心持ちはまだ起つて來ない。妻が死んでから僕にはちよい/\女の友達が出來た。さう云ふ人と心置なく話をするのは非常に樂しいものだ。何んと云つてもそんな氣分は同性からは得られない。然し戀愛と云ふ事が顧慮され出すと、僕は平凡にすげなくそれを斥けてしまふ。特別に異性に對してはにかみやだつた僕が妻の死後、割合に平氣で話でも何んでもするようになつたのは、多分戀愛の衝動を度外視してゐるためかも知れない。然しどうせ妻に對する具體的な記憶は段々薄れて行くにちがひない。さうなつたら又燒くやうに第二第三の戀を思ふ時が來さうな事だ。そんなぐうたらな考へでゐるなら、何故徹底的に妻の死んだ翌日から後妻を探さなかつたんだ。一年の間も孤獨を守つて來た位なら何故立派に妻の記憶の中にのみ生き徹さないのだ。さう非凡な人は僕のあまりな平凡さを責めるだらう。
 全く一言もない彈劾だ。返す言葉もない。然し僕が始めから自覺的にそんな事をしてゐたら、僕の幸運は恐らくは僕を捨て去つて、僕は不幸な男になつてゐたらう。それは「大吉」「五黄の寅」に對してもしかねる事のやうに思ふのだ。
 偖てこゝまで書いたら十一時になつてしまつた。僕は規則正しくこの時間に寢て、朝は六時に起きる事にしてゐるのだ。この手紙は明日又後を書く事にして、今夜は寢る。
 こゝから先きは鉛筆で而かも走書きだから判讀しにくからうが、汽車の中での仕事だから許してくれ給へ、今日は昨日も書いた通り妻の一周忌の日だ。朝花屋に行つて花束を百三十把註文した。それを持つて十一時の汽車に乘つた。かう云ふ不幸は幸運な僕にもちよい/\あつて困る事だが、汽車の中でとう/\一人の友人に出遇つてしまつたんだ。何處に行く。平塚に。何か儲事でもあるね。どうして痛事さ。と云ふ風に會話が運んで行くとどんな友達が如何なる場合に現はれて來やうとも無事なんだが、何か儲事でもあるねと聞かれて、妻の一周忌の記念に世話になつた病院の患者の所に花束を持つて行く所だと云はないと僕の實直な味が沁み出て來ないのだから困つてしまふのだ。おまけに今横濱で別れたばかりのその友達と云ふのは、ある大會社の支配人をしてゐる若手の切れ者で、而かも先年細君を亡くして後妻を迎へたばかりなんだから、その場合の僕には凡そ苦手だつた。型通りに何所へ行くと聞かれたので、來たなと思ひながら平塚にと云ふと、眼から鼻にぬける非凡な人物だけあつて、平塚と云ふ手蔓からすぐ妻の死を考へ出して、もう一周忌になる頃だと云ふ事まで云つてくれたので、僕は氣にしてゐた實直さを悉く暴露しないで濟んだのを難有く思つた。花束の事なんかは感心に※(「口+愛」、第3水準1-15-23)氣にも見せなかつた。そこまではよかつたが夫れからが難題だつた。「丁度いゝ所で遇つた。前から是非遇つて話さう/\と思つてゐたのだが、人傳に聞くと君は獨身で通す氣ださうだね。而かもそんな事を衆人稠座の前で言明したさうだね。まあ默つて聞き給へ。」さう疊みかけて攻めよせて來た。實際を云ふと今日ばかりは僕は獨りで考へてゐたかつたんだ。妻の記憶は兎に角まだはつきり殘つてゐたから、こんな日には――平凡な人間は月並に命日とか何んとか因縁のつく場合に改つた心になる習慣が膠着してゐるのだから――思ひ存分感傷的になつて見たかつたのだが、友人の機嫌を損じてまで、それを押通す非凡人の非常識は持合はさなかつたのだ。「それは尤もだ。僕も自分の經驗から君の心持ちはよく理解が出來る。僕も妻を失つてから一年間はどんな事があつても再婚はしない覺悟をしてゐた。友人にも君が云つたやうに云ひふらした。全く君は僕のやつた事をその儘まねてゐるやうに見えるよ。」尤もその友人は非凡な才人の通有性として女に近づく巧みさと、女から尊敬愛慕される色々な資格を具備してゐたから、一つは交際の必要からも來た事ではあるが、藝者と云ふ階級の人達には大持てに持てゝゐた。その一點が僕とは全然違ふ。然し待つてくれ給へ、僕も妻が死んでから女の友達が出來たと云つたね。友人の場合には女の方がちやほやするのだし、僕は――僕の方から女性に心が牽かれてゐた、とするとこの點でも僕の方が上手かも知れないとその時も友人の前で思ひ返した。而して悉く恐縮した。「所が君は自分の勝手ばかり考へてはゐられないのだ。君には第一事業がある。世の中に出て思ふ存分活動して少しでも餘計人間の爲めに盡さうと思へば、如何しても後顧の患を絶たなければならない。僕なんぞは一年間と云ふもの業務の一部分である交際から絶縁して、宴會に出られないのが一番困つた。子供を雇人の手に委ねて夜晝家を明けて置く事はとても出來ないからね」所が幸なことには僕には定職がないんだ。僕は朝から晩まで家の内にのらくらして子供ばかり相手にしてゐる。母なんぞは自分だけとしては僕がかうやつて父の遺産を守つてゐるのが結句安心だと考へてゐるやうだが、親類なぞに遇つた時、新御主人はこの頃どちらへお勤めですなぞとやられると身を切るやうな思ひをするらしい。僕が外國にゐて一かど勉強をしてゐる積りの時、ある女と話しをしてゐた序に何をしてゐる男と見えると聞いて見たら、躊躇なくお前は loafer だと云つてのけられた事がある。僕は平凡人だけに小さい時分から人の下積になつてこつ/\と働く事はさう苦にならない質なのに、かう云はれる事は少し過ぎた次第だが、よく考へると僕が何んにもしないのは天才や非凡人が何んにもしないのとは趣がちがつて、何かする爲めに暫く何んにもしないのではない、天から何んにもしないのだ。母や兄弟が氣を揉んでくれるのも全く無理がない。然し彼等としても僕が今更ら何所かの屬官にでもなつて齷齪するのは品が惡いと思ふだらうからこのまゝ暫く無爲を通さうかとも思つてゐるのだ、唯人間の爲めに何んにもしないと云ふ非難は一番度膽にこたへて、飯を喰ふのも憚られる。全くすまない譯だ。一體皆んなは、如何すれば人間の爲めになるかと云ふ、僕なんかには一寸見當のつけやうもない問題を、感心によく辨へてゐると見えて、少しも不安なげに仕事にいそしんでゐるのが羨ましい。然しこんな事が分らないのが僕の幸運な所以かも知れない。その代り子供の番は可なり忠實にやつてゐる。いつかトールストイの子息さんが日本に來た時有名な警句の名人が、トールストイの凡ての創作の中で一番劣惡な創作はあの子息だと云つたさうだが、僕には創作と云つては子供三人の外にないのだから、……大變だもう平塚に汽車が着くから又その……(以下缺文)。
 先刻は手紙に夢中になつてゐてもう少しで乘越しをする所だつた。今停車場前の茶屋で上列車を待合せてゐる間に又續けて書く。
 病院の事を先きに書かうか、友人の話の續きにしようか。僕は病院の事を先きに君に書きたいが、君としては話の連絡が亂れて困ると思ふから、友人の話を書かう。「君は又年老いたお母さんのある事を考へなければいけないね。僕の母なんぞは割りに若くつてね、元氣はいゝししたが、一度はゆつくり京都大阪の方でも見物に連れて行かう/\と思つてゐる中に、仕事が忙しくてそのまゝにしてゐると、突然腦溢血で亡くなつてしまつた。生みの苦勞をさせて育てさせて、おまけに孫の世話まで燒せて、樂もさせない中に死なしてしまつたのは實に痛恨に堪へない。是れも僕が早く再婚しなかつた罰だ。」
「妻さへゐればどんなに忙しくつても家の事を委せておいて旅位はして來られたんだし、さう孫の世話ばかり見させないでも濟んだんだ。是れは特に注意するが取かへしのつかない後悔をしないやうにし給へよ。」僕は子供を持たない中から親子の關係を僕なりに解釋して一つの格言を作つてゐた。子供が生れた時に神興的に口を衝いて出でもすると生氣がつくのだけれども、そこは平凡人の悲しさで、是れも理窟でこねあげた格言だからつまらないもんだが、然しそれを口外する事だけは、子供が生れて、僕が親たるの資格を得た時にしようと思つて、胸の中に保留して置いた。子供が生れた。そこで僕は虎の子のやうにしてゐた格言を發表した。「子を持つて知る子の恩」と云ふのだ。何んだと君は思ふだらう。所が物好きな奴もゐるもので、僕の弟に小説を商賣にしてゐるのがあつて、僕を小説の材料に使用した時、兄貴の言葉としてはこれ位を奇拔なものとして置くより仕方がないと思つたのだらう、その格言を文句の中に取入れたもんだ。然るにある都合で僕が校正を見てやる事になつたら「子を持つて知るの恩」としてあつた。多分植字の方で書き損じと思つたのだらう。僕は大切な格言が臺なしになつては大變だから、インキ赤々とと云ふ字を抹殺しての字に訂正して置いた。所がどうだ、雜誌が出て見ると、麗々と「子を持つて知る親の恩」と直つてゐるではないか。その時僕はつく/″\と自分の平凡さが一面識もない植字工にまで知れ亙つてゐるのに驚かされた。僕が一かど功名顏をしてこの格言を父に云つて聞かしたら、父は澁い顏をしてそんな事を誰れにでも彼れにでも云ふものではない、人がお前を異を立て奇を好む男としてしまふぞとたしなめた。そこでこれから本題に這入るが僕には遠から祖父と孫との關係について一つの格言が僕の胸の中に出來てゐるのだ、それは前に云つた親子關係の格言よりもも少し平凡離れがしてゐると自信してゐる格言だ。是れは僕が祖父の資格を得たら發表すべきものだ。がこゝに一寸君の爲めに片鱗を見せるが、僕のその格言を標準にして友人の言葉を考へて見ると、どうも喰ひちがつた所が出來て來るのだ、非凡な彼れの思想と平凡な僕のそれとの間に喰ひ違ひの出來るのは不思議でも何んでもない。で僕はもう一度僕の格言を考へ直さうと思つた――植字工が自信をもつて僕のもう一つの格言を訂正してくれたやうに。何んと云つても彼れは十目の見る所十指の指す所天下晴れて非凡な才能を持つて生れた人だ。僕は又誰れにでも平凡な男と云ふ値ぶみをされる人間だ。だからどうしてももう一度考へて見る必要がある。親がその子の不幸を共感する場合には自分の都合や、世の中の習俗や、周圍の顧慮なぞはまづ跡※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)しにして、その子の切實な哀愁をそのまゝ受入れてやる事が、その子を一番喜ばし一番勵まし一番慰めるのだし、子は又子でその親の心情に溺れこむ事が親を一番快くするものだと僕の思つてゐたのには訂正を加へねばならなさうだ。親は假令さうしてくれても、子の方では親の不自由を思ひやり、蛆が湧きはしないかと云ふ周圍の顧慮にも耳を傾け、君の所謂悲哀の中に浸り切る事なんぞはなるべく早く切上げて善後策を講ずるのが孝道にも叶ひ人道にも合ふやうだ。「さうか、そんなら君は必ずしも再婚を拒絶してゐるんではないんだね。何しろ僕は妻を亡くした友人に遇ふと先づ孤獨を守るなんて云ふ事は他人に公言するなと嚴しく口どめするのだ。僕の周圍には隨分澤山鰥夫が出來るが、再婚をしたもので後悔してゐるのは一人もないよ。世間には君の想像もしない程澤山女がゐるよ。僕が一つ立派な人を見つけて上げよう。もう櫻木町だね。ぢや失敬お母さんに宜しく。」
 僕はぼんやり取殘された。過重な大問題を裕かに僕に惠んでくれて、同情深い僕の友人は重荷でも捨てたやうに、洋杖を振※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)はしながら身も輕く列車を出て行つた。何しろ頭のめぐりが鈍いんだから、胃弱の男が山のやうな珍味の前に坐らされたやうに、暫く僕はうんざりして首垂れてしまつた。こんなに物が解らないでは僕は是れからまあどうして世間を渡ればいゝんだらうと思つた。まあ何んでもいゝ手紙でも書けと思つてそれから夢中で君に手紙を書き出したんだ。
 手紙を書くと云へば先刻上り列車が一つ通つたんだが、手紙に夢中になつてゐたから一汽車延ばす事にした。こんな下らない手紙一つ書くのに悠々と汽車まで延ばしてゐると聞いたら、世間の人は呆れて物が云へないだらう。實際自分でも少々自分を持餘す次第だが、それにつけても幸福はかうしてゐないと來てはくれないものらしい。
 そこで今度は病院の事を書く。松原を通ると村井弦齋さんの家が見えた。秋口から結核菌が腸についたので妻は下痢を始めた。ふとある雜誌に弦齋さんの書いた記事で妻は胃腸の妙藥と云ふのを發見したんださうだ。それは楢の根の皮を煎じて飮むのださうだ。楢なら北海道に澤山ある。僕は早速手紙を僕の教へた學生の所に出して頼んでやつた。早速送つてよこしてくれた。學生の手紙によれば深い雪の中を山の奧に分け入つて、何尺も積つた雪を掘り起し、堅く凍つた土を割りくだいて、採收したのだから澤山あげられないのが殘念だとしてあつた。澤山でないと云ふのが兩手では持ち切れない程あつた。僕は早速弦齋さんの所に行つてその用法を尋ねようとした。弦齋さん所の書生さんは二三度けゞんな顏をして弦齋さんと僕との間を取次でくれたが、結局楢はたらの木の間違ひだと云ふ事が知れた。病院に歸つてから妻と大笑ひをした。所が今日弦齋さんの家を見ると、巨人のやうな古い楢の木の根本に蹲つてせつせと雪をかき分ける二人の學生の姿が、ぎら/\光る八月の太陽の光の中ではつきり想像に上つた。「是れで先生の奧さんが治れば隨分いゝなあ」そんな聲までが聞えるやうに思つた。僕の心は急にわく/\し出した。而して涙が他愛もなく眼がしらににじんだ。
 矢張一年前の通りに病院の手前の洗濯屋では醫員や看護婦の白衣や帽子がふわりと風を孕んで、病院の人達が舞踏でもやつてるやうに、魂もなく中有に整列して動いてゐた。あの時からすると醫員の大多數は東京の本病院の人と交代して、見知越しの顏は副院長がゐるばかりだつた。相變らず黒く痩せてゐた。夫れがなつかしかつた。醫者には珍らしい挨拶の下手な口少なゝこの人を妻は一番快く思つてゐた。僕はその人に花束の事を頼むと、事務所を出て妻の病房の所に行つて見た。その病房と云ふのは八、六、三疊の三間から成る獨立の家屋で、少しの風にも習々と枝を鳴らす若い松林の間にあつた。庭前の方から見ると患者が住つてゐた。竹垣の傍には四寸程の丸石が昔の通りに立つてゐた。それは庭に落ちて死んでゐた雀を妻が自分で葬つてやつたその墓石なのだ。看護婦や附添の人がぢろ/\僕を見るので、僕はさう長い間その邊にゐる事が出來なかつたから、そのまゝ引返して花壇の方に行つた。眞夏の晝にこの邊を歩く患者は幸一人もゐなかつたので、嘗て妻と散歩した時腰かけた藤棚の下のベンチに足を休めた。そこで僕は熱い涙を零したと君は思ふだらう。所が僕は碌な考事もせず、忙しく歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りもしない癖に、何んだか、如何していゝのか分らない程だるくつてぐつすり寢込んでしまつた。全く以て平凡人には不似合な所作だと君は思ふだらうが、それは君が自然のはたらきを恐らくは理解してゐない事からさう思ふのかも知れない。哀愁が極ると人は夢も見ない熟眠に陷るものだ。それは自然が人知れずする慈善の一つだ。で、僕が眠りに落ちたと云ふ事は、結局、僕がどれ程平凡人らしく愛する妻を悲んでゐたかの證據になる譯だ。
 ふと眼を覺ました時は、凡てのものが活々と日に輝いたこの見慣れた景色を、却て夢ではないかと驚いた位だつた。いぎたなく寢たと見えて、涎が衣物の肩の所を圓く濡してゐた。氣味惡く流れ出た油汗をハンケチで拭くとやつと人心地がついた。喉がひどく乾く外には、何と云つて望ましいものもない位僕は飽き足つてゐた。
 眼の前の白砂の上には女物らしいゴム草履の跡が、靜かに人の歩いて行つた形をそのまゝに語つてゐた。それは妻の足跡ではないかと思ふほどそこいらは舊の通りだつた。所が妻と云ふ一人の女は二度と顏出しの出來ぬやうに、「死」と云ふ奴がこの地上から綺麗にこそぎ取つてしまつたのだ。そんな事を考へると彼奴の惡戲が一寸ほゝゑましくなる。やがては彼奴が、腐つた手拭のやうな香のする古雜巾で、生存の意義も知らず、人類の爲めにも役に立たず、一身の處理すら出來ない僕と云ふ男を、穢ない染斑だと云はんばかりな澁い顏をして丹念に拭き取つてしまふ時が來るのだ。それは間違のない事だ、僕は勝手に色んな虚言をつきもしたし又是れからだつてつきもしようが、この事ばかりは、何と云つても虚言にしやうがないんだ。どんな大篦棒な虚言つきでも、一生に一度は本統を云はないではゐられないのだ。それは死ぬと云ふ事だ。この正直一つで大概な虚言までは寛大に見てやつてもいゝやうな氣が僕はする。こんな我儘な僕が同時に非凡人だつたら――そんな事はあり得やう筈はないが、論理上、假定的前提はどう作つても構はないのだから――歴史にさへ不朽の功業とか、不滅の名聲とかを殘して世間迷惑な事にもならうが、僕にはそんな事は大丈夫ないのだから、暫くの間小さくなつて人間社會の片隅にゐる位の事は許して貰つてもいゝと思ふのだ。
 一體非凡な人達が兎角幸福を感じないのはこの「死」と云ふ奴に何んとか打勝たうとするからではないのだらうか。所が僕となると愛する妻を彼奴に奪はれながらあまり不幸さうな顏をしてゐないのは如何云う譯だ、僕はこの手紙の始めで幸運な筈の男だと書いたが、而してその幸運から幸福が生れると書いたが、考へて見ると幸運と幸福とは道伴れぢやない。現在妻が死ぬ二年程前にある友人が占を見て貰つてくれたが、それには明かに妻は三度娶れば三度とも死ぬと書いてあつた。兄弟喧嘩で近親とは離れ/″\になると書いてあつた。事業をすれば衆人の親分になるやうな事業をして一時は成功するが、人望をつなぐ事が出來ないで失敗してしまふとも書いてあつた。尤もその占には生年月日時間を書き込んで頼まなければならないのだが、僕の生れた時間が判然しないので、或は僕より少し早くかおそく生れた人の卦が出てゐるのかも判らない。三人死ぬと云はれた妻の一人が死んだ事だけは的中してゐる。もし此占が幼年時代のそれを凌いで正確なものだとすると、僕はあんまり幸運な男だとは云へさうもない。然るに君が僕を不幸ではあり得ない男だと思つてゐる通りに僕は中々幸福を感じてゐる。妻を失つてもその爲めに悶死したり再婚などは思ひもよらないと思ふ程不幸ではない。是れは多分死と云ふ奴が萬事の形をつけてくれると高を括る平凡な見方から出てゐるに違ひない。こんな事を云ふと靈魂不滅論者などは何んと云ふしみつたれた根性の男だらうと僕を惡むよりも憫殺したくなるだらう。基督教徒なぞは、あんな人生觀とも云へない人生觀にたよつて生きやうとするのだから平凡に終るのも尤もだ、可哀さうな男もあつたものだと高い所から同情を垂れてくれるに違ひない。所が僕の知つてる範圍で云ふと、基督教徒程再婚を手取早くする連中はないやうだが、あれは一體どうしたものだらう。男女戀愛の神聖を主張した本元は基督教だと云ふ事だし、靈魂不滅殊に地上生活で鍛練を受けた人格を持つたまゝの靈魂不滅を唱道するのは固より基督教だが、再婚した人が死んで後、あの世で二人の細君に出喰はしたら如何する積りだらう。その男は戀愛神聖論者だから前の妻に對しても後の妻に對しても、心からの愛を感じてゐるのでなければ、夫婦になつた筈がない。一方の妻が極樂にをり一方の妻が地獄にでもゐてその男が片方の妻だけに遇へるなら、別條はないが、基督教徒の事だから大抵は皆んな極樂に行くだらう。さうなると問題が大分紛糾して來る。あの世では一夫多妻が許されるのであらうか。さうでないとするとその男は二人の中の一人を選んで一夫一婦の愛情を繼續する事になるのだらうか。或は地上に於て人格發揮鍛練の唯一の壇場と云つてもいゝ親子、兄弟、朋友、夫婦などの愛情は撥無されてしまふのだらうか。さうなつては靈魂に人格や個性を結び附けて考へる事が出來るもんだらうか。基督教徒は勿論夫等の事には解決がついてゐて、實行をしてゐる事だらうから別に妙な氣もしまいが、僕が若し今の通り平凡なまゝであんな信仰を持たせられたら、苦しくつて再婚は戲談にも出來ないやうな氣がするよ。そこに行くと僕の方は死と云ふもので鳧がつくのだから大に呑氣なものだ。その爲めに僕は割合幸福なんだと獨りできめてゐる。
 そら次の汽車がもう來る、今度はさすがに僕も乘りおくれてはゐられない。
 汽車に乘つてから思ひ出したから書き添へる。一體何んだつて寒暄の挨拶もせず健康も尋ねず、こんな放圖もない事を長々と書いてよこしたのだと君は訝るだらう。それは一年もたつと君までが或は再婚を勸めてくれはしないかと思ふからだ。そのお志は實に難有い。僕は再婚しないと云ふのではない。唯もう少し考へさせてくれ給へ、結婚したくなつたらこつちから申出るからそれまで待つてゐてくれ給へ。僕のやうに平凡な點からのみ幸福を見出してゐる人間は、眞似にも非凡人のしたやうな事をすると取かへしのつかない怪我になるから、自分が自分の尺度を探し出すまで永い眼で見てゐてくれ給へ。さう云ひたいまでだつたのだ。さうしたら頭が惡いもんだから大に脱線してしまつたのだ。然し脱線しない位なら僕は天からこんな平凡な事は書きはしない。書かずに置いては僕の用が足りなくなる。判るかな。では左樣なら。





底本:「有島武郎全集第三卷」筑摩書房
   1980(昭和55)年6月30日初版発行
底本の親本:「有島武郎著作集 ――第一輯――」新潮社
   1917(大正6)年10月18日発行
初出:「新潮 第二十七卷第一號」
   1917(大正6)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「何處」と「何所」の混在は、底本通りです。
入力:木村杏実
校正:きりんの手紙
2023年4月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード