(これは、叙景・叙述のない一挿話である)

中原中也




人物
 男
 女
 男の友人

 貧弱な洋室。柱はすべて、黒く太し。左側壁に一つの大きい窓。窓際に机、机の傍に煖炉。右側壁手前に入口。正面壁右隅に隣室に通ずるドアあり。――窓の外一間の所には隣家相接して建ち在ることゝす。


(晩秋の、宵である。男机に凭りて書きものをしてゐる。女が入口より這入つて来る。――室チラケてゐる)

女 今晩は。黙つて来たのよ。
男 や、今晩は。
女 何か書いてるのね、ぢやお邪魔ぢやなくつて?――尤もあなたが書いてるのは何時ものことなんだから。
男 別に邪魔ぢやありませんよ。
女 あたしが此の間片附けて帰つてから、まだ三日ばかしにきやならないんだけれど、まあまた散らかつたわね。
男 (四辺を見廻す様にして)はははは。
女 だけどあたしあの時帰つてからかう思つたわ。小説家なんかの部屋を夢闇に片附けるのは却て不可ないことだつて。
男 僕は小説家ぢやありませんよ。
女 さう? ほんたう?――あんなことを言つてるよう!――あゝあたしお邪魔してゐた、構はずお書きなさいな。
男 ぢやもう三四行で此の一節が終りますからね。(書き始める)
女 まあ奇麗な字を書くわねえ。そんな奇麗な手のお手紙を貰つた女の人が、此の世の中に幾人あるのか知ら?――あらあたし、またお邪魔してたわ。もうもうやめ。
男 さあお終ひだ! (ペンを擱いて向き直る)
女 恰度よかつたわね。(間。外を風の過ぎる音)おゝ寒む。外はもう寒いわ。これからはかうして部屋に籠つて煖炉ストーブのそばにゐるのが一等好いわね、あなたは幸福だわ。あたしもこれからはチヨイチヨイ来て――あなたお書きなさいな、あたしこゝで静かにあたつてゐるわ。そしてコヽアでも買つて来て立てゝあげるわ。
男 有難いなあ。(一寸思ひ出したやうにペンを取つてチヨツチヨツと書く。女覗き込むやうにしてみてゐる。直きペンを置く)
女 ね、人物の名前を直したのね。あなたどんなにして名前なんかを考へ出すの、あたしの一寸知つてる人はね、男だつたら自分の学校友達なんかゝら、女のだつたら恋人や恋人のお友達の名を色んなにモヂて作るんですつて。
男 一寸知つてるつて何といふ男?
女 下らない人だわ。
男 へえー。
女 (少し声を低く)ね、そこの反古紙にでも好いから、あなたの今迄の恋人の名前を書いてみない………?
男 如何して。
女 だつてあたし、なんだかみたい気がするんですもの。
男 (女の口調を真似て)下らない人だわ。
女 ぢやあなたは、顔で言つたらどんな風なのがお好き?
男 さあね。(女の顔を見入りながらからかふやうな眼付になる)コーカサスタイプで以て、鼻筋だけは独逸女のやうに何処かかうキリツとしたところのある顔、と言へば好いのかな。
女 コーカサス型つて、ぢやどんなの?
男 あなたの様なのさ。
女 あははははははは………嘘だわ。
男 (従いて笑ひながら)本当に。
(間)
女 (男の机の上をみながら)あの手帖あなたの日記ね――「退屈者の手帖」と書いてあるぢやないの? (それを手にとる)日記だけれど、あたしなら読んでも好いでせう? (読む)「井戸を汲みながら女が、若い時は二度はないわと言つた――私はそれを少し離れた所に立つて聞いてゐた。」――「よき住居よき酒、香りよき煙草・紅茶。」――あゝら、ぢやあたしコヽアの方が好いんだけれど今度来る時は紅茶の方買つて来るわ。
男 益々有難い。
女 (続けて読む)「『労働の中でもあんな嫌なのはないね』と、散歩してゐる時友は私を促す様に言つた。――人間は退屈すると他人のことをみなくなる。」――ね、あたしのことも?
男 ははは、そんなに叮寧に訊かれちや、何にも言へなくなる。
女 さう? (読む)「湯ブネの中では如何なる人間も、自分を忘れてゐない。いゝえ、私がせめてもの気晴らしに、嫌な湯槽の中をさへ慕つて来たから思ふことなのであらう。」――(少し早口になる)「私は自分が向ふへ歩いてゐるのか、自分が向ふから蒼白い顔で歩いて来てるのか分らない時がある――十字路で、みんなの元気な顔、殊には出遇つて互に喜ばしさうな挨拶を交はしてゐる人達をみる時。」――「胃散を飲んで始めて知つた、私が胃病患者であつたことを。『ぢや如何してそれを飲まうとしました?』訊ねた人がある。『そんな疑問は起りません。私の顔は蒼ざめ、指は此の通り、握つた砂の半分はサラサラとわけもなく落ちさうな程です。』」――「嘗て私は、橋の上を通りかゝつたとき、橋の上では人間が、みんなニヒリスチックになるものだと考へた、思つた。」――まあ、あなたつて退屈な方ね!――奥さんを早くお持ちなる方が好いわ。そしてダンシングホールにでも少し出這入りなさると好いわ。ソシャルダンスならあたしでも御伝授――御伝授をするわ。
男 社交ダンスなんて、金を貰つたつて閉口だけれど、奥さんは持ちませうかね、何処からか探して来てね。
女 さうね、………だけど先づダンスする方が好かあないかしら。
男 ははは、みんな冗談。
女 冗談なの………?
男 いゝや、あなたを奥さんにしようか。
女 だつてねえ………あたし「奥さん」だとか、「妻」だとか、「おヨメ」だとかつて言葉が嫌なのよ。
男 成程。ぢやあ「妹」。そんなら好いだらう。
女 「妻」だとか「お嫁」だとかつて世話じみてるんですもの………。
男 如何せ世話じみるんだけれど。
女 まああたし、小説家には叶ひつこないわ。
(間)
女 ………遂々あたし打ち開けちやつたわ。でもねえ………あなたの小説の材料になるのがあたし落ぢやないかしら。
男 大丈夫だ。(間)僕は将来のない男ですよ。
女 うそだわ、偉くなるわ、ほんとに偉くなるから、あたしちやあんと知つてゝよ。あたしお天気でも大抵間違へずに当てちやふんだもの、みんな予言者つて言ふわ。でも小説家の前でそんなこといふと嗤はれるわね。
男 併し小説家の傍にゐるなんて、案外労いもんですよ。
女 まだあんなこと言つてるよ。――あら今お隣の窓から、若い男の人が此方みて嗤つてたわ、あたしたちの話を聞きやしなかつたかしら。………


(その冬の午後三時頃である。室には誰も無し。稍々あつて男――もう今では夫、入口より葉巻を銜へ、長きマントの儘、如何にも寒い中を歩いて帰つて来た風である。それからマントを正面壁に掛け、机に来て甘味さうに吹かす。ヒヨツト葉巻を手に取り、マークをみてゐる)

女の声 (ドアの辺りより)お帰りなつてるのね。
男 (ギヨツとして)あゝ。
女 (ドアを開けて男の方に来ながら)今帰つたのね?
男 あゝ今だ。
女 遅いわね。――あなたは此の頃よく出掛けるのね、散歩々々つて、いつたい何処を散歩するの?
男 新聞に拠ると、いよいよ改築を修了せんとする、日本の、ドレスデン街さ。(笑ふ)
女 いやな人。――あたしがどんなに退屈御存知ないの?――まさか………。
男 それや退屈つてことに対しては、大変同情は感じてるさ。
女 淋しからう淋しからうつて言つといてはあなた出て行くのね、そして長い間、帰つてはいらつしやらない。――あなたはあたしを愛してるの?
男 決つてるぢやないか。――まあまあさう怒らずに、これを御覧よ。(ポケットから葉巻を一握り出す)新輸入の葉巻を目ッけて来たのさ。
女 あたし煙草なんざあ、如何だつて好いわ!――それよか、出ても短かくして帰ることにおしなさいな――いゝえもう如何だつておんなしだわ。
男 長く出てゐりやあ、お前が手紙を書くに遥つくり出来るだらうと思つてね、とそれはまあ冗談だが………。
女 え?――え? なんですつて!
男 冗談だつて言つてるぢやないか。
女 あたしは仮りに他に好きな人がゐたにしろ、今迄の男の所にゐる間は絶対に謹んでます!
男 ………分つてるよ。――大したこたあないんだ。
女 あなたにはチツトも嫉妬つてことがないのね。えゝさうよ、如何なつたつて好いと思つてるんだわ、吃度。――それであたしも安心したわ。………
男 何だ何だ、それは………?
女 いゝの。
男 怒つた。――怒つて見せたんだ。そして大抵の場合が。
女 さう思つていらつしやいよ、分るから。(間)ダンシングホールへ行くことも禁じられるし、まるで女中代りよね、此の頃のあたしつたら。それに何処へもやつちやあ呉れない!
男 それやおまへが出ると、また俺の嫌な人間ばかりを連れ込むからさ。
女 勝手だわ。自分の趣味は他人にひては不可ないものよ――教へてあげるわ。
男 あゝ覚えた覚えた、他人の――いや、自分の趣味はか、他人にひては不可ないもの、さうかな。
女 飲んでもゐるのね、少し。
男 飲んだつて勝手さ。自分の趣味は――
女 (男の言はうとするのを遮つて)不可ないと何時いつたの?――あたしが。
男 あゝさうだつた、これは俺の誤り。
女 如何したつて困つたつて、顔をしないのね。………させてやるから。
男 (クスグツタイ笑ひ)まあさう言はないで、俺の肩に手をかけて、――ポーランドの妻君は、自分の夫を膝にのせて、「コハーネ」つて言ふんだつて。
女 コーカサスぢやなしにポーランド?――移り気な………。
男 あれはおまへ、「コハーネ」の話はおまへ、河島がしたんぢやないか。おまへも傍にゐて、聞いてたぢやないか。
女 あゝ、あの河島さんは直きに、何処かへ行くんですつて。
男 そしてもう帰らないのか。
女 さうでせう。
男 何処だい。
女 知るもんですか。
男 それを言はなかつたのかい?
女 知りませんつたら。行くつてだけ。
男 ふーん、ぢやまた来て話すんだらう。あれやああんな男だ。
女 さうよ、あなたみたいに、常識主義者ぢやないことよ。
男 それにしても変だなあ。
女 常識主義者が考へるとするとねえ。――あゝさう、常識主義者つてのも河島さんが言つたのだつたけママ。――女はクセのない男つて嫌がるものよ。
男 (からかふ)好い台詞だなあ、近来の傑作だ。――何だか今日は変なことばかりあるんだねえ。
女 そんなにあたしを慰み者にしてるんだもの、あたし考へるわ。(俯く)年齢トシが十以上も違つてゐたり………。
男 そんな、――また始つた。
女 今日のは神剣よ。
男 今迄のはみんな嘘事と。
女 (泣き笑ひ)
男 笑つた、笑つた、笑つた。
女 笑つたつてあたし神剣なんだわ。
男 さうかさうか。
女 嫌ッ!…………
男 ぢや今度は俺も神剣だよ、さあ。――さう心配したもんぢやないよ、今に子供でも出来れば――あ、子供は出来ないのか。
女 出来るわ!
男 だつて子宮がトテも悪いからつてんぢやないか。
女 女は出来ない方がよくつたつて、出来ると言つて置くんだわ!――(独語つ)何方でもよかつたのに………。(男の顔をギロツと※(「目+爭」、第3水準1-88-85)る。男も亦女の顔を可なり訝かる様に眺める)
  (間。だんだん夕暮が近づく)
男 もう怒るまいよ、怒らないことにしよう。――今晩の御料理は何だね?
女 鰆のお刺身。
男 鰆つて俺、聞いたことはあるけれど食つたことはないんだ。いや食つたのかも知れないけど、どんな身か覚えてゐないんだ。
女 脂が沢山でね、あたしは好きなのよ。
男 へーん、それぢや俺も大抵好きなんだらうな。(男、手帖に何か書き始める。女、ヂツと横から盗む様にみてゐる。間もなくして、何だか堪らないやうに隣室に行く)
男 「可愛くもあり、可愛くもなし」………あゝさうか、あれは「鴎」の中の台詞だ。――可愛くもあり、邪魔でもあり………?――可愛くもあり、面倒でもあり………さうだ可愛くもあり、面倒でもあり、可愛くもあり、面倒でもあり、可愛くも………(女コーヒーを立てゝ持つて来る)
女 (優しく)お飲みなさいな。
男 あゝ飲みますよ。
(リーン! リヽーン、リヽーン!――電鈴の音である。男立つて行きかける)
女 (ヒドク)あたしが行く、あたしが。あなたコーヒーが冷めますから。(女入口より出て行く。男、コーヒーを啜つて天井の隅を凝視したまゝ――右手の指に挟まれた葉巻から、冷い空気の中を薄紫の煙が細く細く立ちのぼる。窓の外を、落葉がカサコソと風に音をたてさせられてる。――暫くして、「不可ませんようツ!――あたしが馬鹿だつたんだから!」といふ声がして、女の啜り泣が始まる)(男、ドアの所まで行つて隣室の中をみる)
男 もう仕度は出来てゐたのか。(男一足下つて首をクネクネ廻して、頸の凝を直す)夢だ…………常識主義者だ。
(一一・二五)





底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
   2003(平成15)年11月25日初版発行
※底本のテキストは、著者自筆稿によります。
※()内の編者によるルビは省略しました。
※底本巻末の編者による語註は省略しました。
入力:村松洋一
校正:shiro
2018年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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