作品名: | ヨブ記講演 |
作品名読み: | ヨブきこうえん |
著者名: | 内村 鑑三 |
分類: | NDC 193 |
初出: | 丸の内の大日本私立衛生会館における内村聖書研究会においてのヨブ記講義、1920(大正9)年4月25日~6月27日、9月12日~10月10日、10月24日、11月21日、12月19日 |
文字遣い種別: | 新字新仮名 |
備考: | この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫) |
分類: | 著者 |
作家名: | 内村 鑑三 |
作家名読み: | うちむら かんぞう |
ローマ字表記: | Uchimura, Kanzo |
生年: | 1861-03-26 |
没年: | 1930-03-28 |
人物について: | 思想家。キリスト教の神髄は聖書の中にこそあるとして、個人による聖書研究を重視し、教会や典礼といった制度、形式を退ける無教会主義の創始者。高崎藩士の長男として江戸に生まれ、有馬英学校などを経て、札幌農学校に二期生として入学。ここで、「少年よ大志を抱け」で知られるウィリアム・クラークに感化を受けて、キリスト教徒となる。卒業後はいったん、官吏となって水産研究に当たったが、後に辞職して渡米。米国アマースト大学留学中に、同校の総長を務めていたジュリアス・H・シーリーの強い影響を受けて回心を経験する。『余は如何にして基督教徒となりし乎』は、この回心に至るまでの自伝。帰国後、教育勅語への敬礼を拒んだことが「不敬事件」とされ、激しい非難を浴びて全国を転々とすることを余儀なくされる。キリスト教に関わる論説の他、幅広い社会評論をものし、足尾鉱毒事件に際しては、銅山経営者、古河市兵衛を糾弾する論陣を張った。 「内村鑑三」 |
底本: | ヨブ記講演 |
出版社: | 岩波文庫、岩波書店 |
初版発行日: | 2014(平成26)年5月16日 |
入力に使用: | 2014(平成26)年5月16日第1刷 |
校正に使用: | 2014(平成26)年5月16日第1刷 |
底本の親本: | ヨブ記講演 |
出版社: | 向山堂書房 |
初版発行日: | 1925(大正14)年 |
入力: | 浅野幸三19481201 |
校正: | 酒井和郎 |
ファイル種別 | 圧縮 | ファイル名(リンク) | 文字集合/符号化方式 | サイズ | 初登録日 | 最終更新日 |
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テキストファイル(ルビあり) | zip | 56908_ruby_64050.zip | JIS X 0208/ShiftJIS | 92432 | 2018-02-25 | 2018-02-25 |
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