東京は、
私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。
「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変って居りません。もちろん
と私は
十二月のはじめ、私は東京郊外の或る映画館、(というよりは、活動小屋と言ったほうがぴったりするくらいの可愛らしくお粗末な小屋なのであるが)その映画館にはいって、アメリカの写真を見て、そこから出たのは、もう午後の六時頃で、東京の街には
私は本屋にはいって、或る有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買い、それをふところに入れて、ふと入口のほうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない。
吉か凶か。
昔、追いまわした事があるが、今では少しもそのひとを好きでない、そんな女のひとと
新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?
「笠井さん。」女のひとは
緑色の帽子をかぶり、帽子の
「シズエ子ちゃん。」
吉だ。
「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」
「いいえ。アリエルというご本を買いに来たのだけれども、もう、いいわ。」
私たちは、師走ちかい東京の街に出た。
「大きくなったね。わからなかった。」
やっぱり東京だ。こんな事もある。
私は露店から一袋十円の
母は、私と同じとしであった。そうして、そのひとは、私の思い出の女のひとの中で、いまだしぬけに逢っても、私が恐怖困惑せずにすむ極めて
「お母さんは? 変りないかね。」
「ええ。」
「病気しないかね。」
「ええ。」
「やっぱり、シズエ子ちゃんと二人でいるの?」
「ええ。」
「お家は、ちかいの?」
「でも、とっても、きたないところよ。」
「かまわない。さっそくこれから訪問しよう。そうしてお母さんを引っぱり出して、どこかその辺の料理屋で大いに飲もう。」
「ええ。」
女は、次第に元気が無くなるように見えた。そうして歩一歩、おとなびて行くように見えた。この子は、母の十八の時の子だというから、母は私と同じとしの三十八、とすると、……。
私は自惚れた。母に
「アリエル?」
「それが不思議なのよ。」案にたがわず、いきいきして来る。「もうせんにね、あたしが女学校へあがったばかりの頃、笠井さんがアパートに遊びにいらして、夏だったわ、お母さんとのお話の中にしきりにアリエル、アリエルという言葉が出て来て、あたし何の事かわからなかったけど、妙に忘れられなくて、」急におしゃべりがつまらなくなったみたいに、ふうっと語尾を薄くして、それっきり黙ってしまって、しばらく歩いてから、切って捨てるように、「あれは本の名だったのね。」
私はいよいよ自惚れた。たしかだと思った。母は私に惚れてはいなかったし、私もまた母に色情を感じた事は無かったが、しかし、この娘とでは、
母はおちぶれても、おいしいものを食べなければ生きて行かれないというたちのひとだったので、対米英戦のはじまる前に、早くも広島辺のおいしいもののたくさんある土地へ娘と一緒に
そうして今夜、五年振りに、しかも全く思いがけなく私と逢って、母のよろこびと子のよろこびと、どちらのほうが大きいのだろう。私にはなぜだか、この子の喜びのほうが母の喜びよりも純粋で深いもののように思われた。果してそうならば、私もいまから自分の所属を分明にして置く必要がある。母と子とに等分に属するなどは不可能な事である。今夜から私は、母を裏切って、この子の仲間になろう。たとい母から、いやな顔をされたってかまわない。こいを、しちゃったんだから。
「いつ、こっちへ来たの?」と私はきく。
「十月、去年の。」
「なあんだ、戦争が終ってすぐじゃないか。もっとも、シズエ子ちゃんのお母さんみたいな、あんなわがまま者には、とても永く田舎で
私は、やくざな口調になって、母の悪口を言った。娘の歓心をかわんがためである。女は、いや、人間は、親子でも互いに張り合っているものだ。
しかし、娘は笑わなかった。けなしても、ほめても、母の事を言い出すのは禁物の如くに見えた。ひどい嫉妬だ、と私はひとり
「よく逢えたね。」私は、すかさず話頭を転ずる。「時間をきめてあの本屋で待ち合せていたようなものだ。」
「本当にねえ。」と、こんどは私の甘い感慨に難なく誘われた。
私は調子に乗り、
「映画を見て時間をつぶして、約束の時間のちょうど五分前にあの本屋へ行って、……」
「映画を?」
「そう、たまには見るんだ。サアカスの綱渡りの映画だったが、芸人が芸人に
恋人同士の話題は、やはり映画に限るようだ。いやにぴったりするものだ。
「あれは、あたしも、見たわ。」
「逢ったとたんに、二人のあいだに波が、ざあっと来て、またわかれわかれになるね。あそこも、うめえな。あんな事で、また永遠にわかれわかれになるということも、人生には、あるのだからね。」
これくらい甘い事も平気で言えるようでなくっちゃ、若い女のひとの恋人にはなれない。
「僕があのもう
私は
路は狭く暗く、おまけにぬかるみなどもあって、私たちは二人ならんで歩く事が出来なくなった。女が先になって、私は二重まわしのポケットに両手をつっ込んでその後に続き、
「もう半丁? 一丁?」とたずねる。
「あの、あたし、一丁ってどれくらいだか、わからないの。」
私も実は同様、距離の測量に於いては不能者なのである。しかし、恋愛に
「百メートルはあるか。」と言った。
「さあ。」
「メートルならば、実感があるだろう。百メートルは、半丁だ。」と教えて、何だか不安で、ひそかに暗算してみたら、百メートルは約一丁であった。しかし、私は訂正しなかった。恋愛に
「でも、もうすぐ、そこですわ。」
バラックの、ひどいアパートであった。薄暗い廊下をとおり、五つか六つ目の左側の部屋のドアに、陣場という貴族の苗字が
「陣場さん!」と私は大声で、部屋の中に呼びかけた。
はあい、とたしかに答えが聞えた。つづいて、ドアのすりガラスに、何か影が動いた。
「やあ、いる、いる。」と私は言った。
娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたと思うと、いきなり泣き出した。
母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる
娘はひとり東京へ帰り、母方の
母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。
私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。
私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。
母は、うなぎが好きであった。
私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。
「いらっしゃいまし。」
客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。
「
「小串を。三人前。」
「へえ、承知しました。」
その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく
「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」こんどは私も少し笑って言った。
若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
「や、かなわねえ。」
と言って笑い、
「これ、あるか。」私は左手で飲む
「極上がございます。いや、そうでもねえか。」
「コップで三つ。」と私は言った。
小串の皿が三枚、私たちの前に並べられた。私たちは、まんなかの皿はそのままにして、両端の皿にそれぞれ
私は端のコップをとって、ぐいと飲み、
「すけてやろうね。」
と、シズエ子ちゃんにだけ聞えるくらいの小さい声で言って、母のコップをとって、ぐいと飲み、ふところから先刻買った南京豆の袋を三つ取り出し、
「今夜は、僕はこれから少し飲むからね、豆でもかじりながら附き合ってくれ。」と、やはり小声で言った。
シズエ子ちゃんは
私は黙々として四はい五はいと飲みつづけているうちに、屋台の奥の紳士が、うなぎ屋の主人を相手に、やたらと騒ぎはじめた。実につまらない、不思議なくらいに下手くそな、まるっきりセンスの無い冗談を言い、そうしてご本人が最も面白そうに笑い、主人もお附き合いに笑い、「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ
紳士は、ふいと私の視線をたどって、そうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを
「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
何というわけもなく、私は紳士のその
呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、
「この、うなぎも食べちゃおうか。」
私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。
「ええ。」
「半分ずつ。」
東京は相変らず。以前と少しも変らない。