浮動する地価

黒島傳治





 ぽか/\暖かくなりかけた五月の山は、無気味で油断がならない。蛇が日向ぼっこをしたり、蜥蜴とかげやヤモリがふいにとび出して来る。
 僕は、動物のうちで爬虫類が一番きらいだ。
 人間が蛇を嫌うのは、大昔に、まだ人間とならない時代の祖先が、爬虫に、ひどくいじめられた潜在意識によるんだ、と云う者がある。僕の祖先が、鳥であったか、馬であったか、それは知らない。が、あの無気味にぬる/\した、冷たい、執念深かそうな冷血動物が、僕は嫌いである。
 だが、この蛇をのけると、五月の山ほど若々しい、快よい、香り高いところはない。朽ちた古い柴の葉と、萌え出づる新しい栗や、樫や、蝋燭のような松の芽が、く、苦く、ぷん/\かおる。朝は、みがかれた銀のようだ。そして、すき通っている。
 そこでは、雉も山鳥も鶯も亢奮せずにはいられない。雉は、秋や夏とは違う一種特別な鳴き方をする。鶯は「谷渡り」を始める。それは、各々雄が雌を叫び求める声だ。人間も、そこでは、自然と、山の刺戟に血が全身の血管に躍るのだった。
 虹吉は――僕の兄だ――そこで女を追っかけまわしていた。僕が、まだ七ツか八ツの頃である。そこで兄は、さきの妻のトシエと、笹の刈株で足に踏抜きをこしらえ、すねをすりむきなどして、ざれついたり、甘い喧嘩をしたり、わらびをつむ競争をしたりしていた。
 トシエは、ひょっと、何かの拍子に身体にふれると、顔だけでなく、かくれた、どこの部分でも、きめの細かいつるつるした女だった。髪も、眉も、黒く濃い。唇は紅をつけたように赤かった。耳が白くて恰好がよかった。眼は鈴のように丸く、張りがあった。たゞ一つ欠点は、顔の真中を通っている鼻が、さきをなゝめにツン切られたように天を向いていることだ。――それも贔屓目ひいきめに見れば愛嬌だった。
 彼女の家には、蕨や、いたどりや、秋には松茸が、いくらでも土の下から頭をもちあげて来る広い、樹の茂った山があった。
「山なしが、山へ来とるげ……」
 部落の子供達が四五人、或は七八人も、手籠を一つずつさげて、山へそう云うものを取りに行っている時、トシエは、見さげるような顔をして、彼女の家の山へは這入らせまいとした。
 子供なりに僕は、自分の家に、一枚の山も、一段歩の畠も持っていないのを、引け目に感じた。それをいまだに覚えている。その当時、僕の家には、田が、親爺が三年前、隣村の破産した男から二百八十円で買ったのが一枚あるきりだった。それ以外は、すべてよそから借りて作っていた。買った田も、二百円は信用組合に借金となっていた。何兵衛が貧乏で、何三郎が分限者ぶげんしゃだ。徳右衛門には、田を何町歩持っている。それは何かにつれて、すぐ、村の者の話題に上ることだ。人は、不動産をより多く持っている人間を羨んだ。
 それが、寒天のような、柔かい少年の心を傷つけずにいないのは、勿論だった。
 僕は、憂鬱になり、腹立たしくなった。
「俺れんちにも、こんな蕨や、いたどりや、野莓がなんぼでもなる山があるといゝんだがなア。」
 ふと、心から、それをこいねがったりした。
 秋になると、トシエの家には、山の松茸の生える場所へ持って行って鈴をつけた縄張りをした。他人に松茸を取らさないようにした。
 そこへ、僕等はしのびこんだ。そして、その山を隅から隅まで荒らした。
 這入って行きしなに縄にふれると、向うで鈴が鳴った。
すると、樫の棒を持った番人が銅羅声どらごえをあげて、掛小屋かけごやの中から走り出て来る。
 が、番人が現場へやって来る頃には、僕等はちゃんと、五六本の松茸を手籠にむしり取って、小笹が生いしげった、暗い繁みや、太い黒松のかげに、息をひそめてかくれていた。
餓鬼がきらめが、くそッ! どこへうせやがったんだい! ド骨を叩き折って呉れるぞ!」番人は樫の棒で、青苔のついた石を叩いた。
 口ギタなく罵る叫びは、向うの山壁にこだました。そして、同じ声が、遠くから、又、帰って来た。
「貧乏たれの餓鬼らめに限って、くそッ! どうもこうもならん! くそッ!」
 番人は、トシエの親爺に日給十八銭で、松茸の時期だけ傭われていた。卯太郎うたろうという老人だ。彼自身も、自分の所有地は、S町の方に田が二段歩あるだけだった。ほかはすべてトシエの家の小作をしている。貧乏人にちがいなかった。そいつが、人を罵る時は、いつも、「貧乏たれ」という言葉を使った。
「貧乏たれに限って、ちき生! 手くせが悪れぇや、チェッ!」
 卯太郎は唾を吐いた。つぶてを拾って、そこらの笹の繁みへ、ねらいもきめずに投げつけた。石はカチンと松の幹にぶつかって、反射してほかへはねとんだ。泥棒をする、そのことが、本当に、彼には、腹が立つものゝようだった。
 番人が、番人小屋の方へ行ってしまうと、僕等は、どこからか、一人ずつヒョッコリと現われて来た。鹿太郎や、丑松や、虎吉が一緒になった。お互いに、顔を見合って、くッ/\と笑った。
「もう一ッペン、あのをおこらしてやろうか。」
「うむ。」
「いっそ、この縄をそッと切っといてやろうよ。面白いじゃないか。」
「おゝ、やったろう、やったろう。」


 七年して、トシエは、虹吉の妻となった。虹吉は、二十三だった。弟の僕は、十六だった。春のことである。
 地主の娘と、小作兼自作農の伜との結婚は、家と家とが、つり合わなかった。トシエ自身も、虹吉の妻とはなっても、僕のうちの嫁となることは望んでいなかった。
 が、彼女は変調を来した生理的条件に、すべてを余儀なくされていた。
「やちもないことをしてくさって、虹吉の阿呆めが!」
 母は兄の前では一言の文句もよく言わずに、かげで息子の不品行を責めた。僕は、
「早よ、ほかで嫁を貰うてやらんせんにゃ。」
 母と、母の姉にあたる伯母が来あわしている椽側で云った。
「われも、子供のくせに、猪口才ちよこざいげなことを云うじゃないか。」いまだに『鉄砲のたま』をよく呉れる伯母は笑った。「二十三やかいで嫁を取るんは、まだ早すぎる。虹吉は、去年あたりから、やっと四斗俵がかつげるようになったばッかしじゃもん。」
 僕は、猪口才げなと云われたのが不服でならなかった。
 伯母の夫は、足駄をはいて、両手に一俵ずつ四斗俵を鷲掴みにさげて歩いたり、肩の上へ同時に三俵の米俵をのっけて、河にかけられた細い、ひわ/\する板橋を渡ったりする力持ちだった。その伯父が、男は、嫁を取ると、もうそれからは力が増して来ない。角力とりでも、嫁を持つとそれから角力が落ちる。そんなことをよく云っていた。
 十六の僕から見ると、二十三の兄は、すっかり、おとなとなってしまっていた。
 兄は高等小学を出たゞけで、それ以外、何の勉強もしていなかった。それでも、彼と同じ年恰好の者のうちでは、誰れにも負けず、物事をよく知っていた。農林学校を出た者よりも。それが、僕をして、兄を尊敬さすのに十分だった。虹吉は、健康に、団栗林の中の一本の黒松のように、すく/\と生い育っていた。彼は、一人前の男となっていた。
 村には娘達がS町やK市へ吸い取られるように、次々に家を出て、丁度いゝ年恰好の女は二三人しかいなかった。町へ出た娘の中に虹吉が真面目に妻としたいと思った女が、一人か二人はあったかもしれない。しかし、町へ行った娘は、二年と経たないうちに、今度は青黄色い、へすばった梨のようになって咳をしながら帰って来た。そして、半年もすると血を吐いて死んだ。
 そのあとから、又、別の娘が咳をしながら帰って来た。そして、又、半年か、一年ぶら/\して死んだ。脚がぶくぶくにはれて、向うずねを指で押すと、ポコンと引っこんで、歩けない娘も帰って来た。病気とならない娘は、なか/\町から帰らなかった。
 そして、一年、一年、あとから生長して来る彼女達の妹や従妹は、やはり町をさして出て行った。しなびた梨のように水々しさがなくなったり、脚がはれたりするのを恐れてはいられなかった。
 若い男も、ぼつ/\出て行った。金を儲けようとして。華やかな生活をしようとして。
 村は、色気も艶気つやけもなくなってしまった。
 そして、村で、メリンスの花模様が歩くのは「伊三郎」のトシエか、「徳右衛門」のいしえか、町へ出ずにすむ、田地持ちの娘に相場がきまってしまった。
 村は、そういう状態になっていた。
 メリヤス工場の職工募集員は、うるさく、若者や娘のある家々を歩きまわっていた。


 トシエは、家へ来た翌日から悪阻つわりで苦るしんだ。蛙が、夜がな夜ッぴて水田でやかましく鳴き騒いでいた。夏が近づいていた。
 黄金色の皮に、青味がさして来るまで樹にならしてある夏蜜柑をトシエは親元からちぎって来た。歯が浮いて、酢ッぱい汁が歯髄にしみこむのをものともせずに、幾ツも、幾ツも、彼女はそれをむさぼり食った。蜜柑の皮は窓のさきに放られてうず高くなった。その上へ、陰気くさい雨がびしょ/\と降り注いでいた。
 夜、一段ひくい納屋の向う側にある便所から帰りに、石段をあがりかけると、僕は、ふと嫂が、窓から顔を出して、苦るしげに、食ったものを吐こうとしている声をきいた。嫂はのどもとへ突き上げて来るものを吐き出してしまおうと、しきりにあせっていた。が、どうしても、出そうとするものがすっかり出ないで、さい/\生唾なまつばを蜜柑の皮の上へ吐きすてた。
 彼女は、もう、すべっこくも、美しくもなくなっていた。彼女は、何故か、不潔で、くさく、キタないように見えた。
 まもなく田植が来た。親爺もおふくろも、兄も、それから僕も、田植えと、田植えのこしらえに額や頬に泥水がぴしゃぴしゃとびかゝる水田に這入って牛を使い、鍬で畦を塗り、ならしでならした。雨がやむと、蒸し暑い六月の太陽は、はげしく、僕等を頭からりつけた。
 嫂は働かなかった。親爺も、おふくろも、虹吉も満足だった。親爺が満足したのは、田地持ちの分限者の「伊三郎」と姻戚関係になったからである。おふくろが満足したのは、トシエが二タ棹の三ツよせの箪笥に、どの抽出しへもいっぱい、小浜や、錦紗や、明石や、――そんな金のかかった着物を詰めこんで持って来たからである。虹吉が満足したのは、彼の本能的な実弾射撃が、てき面に、一番手ッ取り早く、功を奏したからである。
 朝五時から、十二時まで、四人の親子は、無神経な動物のように野良で働きつゞけた。働くということ以外には、何も考えなかった。精米所の汽笛で、やっと、人間にかえったような気がした。昼飯を食いにかえった。昼から、また晩の七時頃まで働くのだ。
 トシエは、座敷に、蝿よけに、蚊帳を吊って、その中に寝ていた。読みさしの新しい雑誌が頭のさきに放り出されてあった。飯の用意はしてなかった。
「子供でも出来たら、ちっとは、性根を入れて働くようになろうか。」
 飯を食って、野良へ出てから母は云った。兄はまだ、妻の部屋でくず/\していた。
「たいがい、伊三郎では、何ンにも働くことを習わずに遊んで育った様子じゃないか。」
「俺れゃ、そんなこと知らん。」
「ちっと、虹吉がやかましく云わないでか!」
 母は、女房に甘い虹吉を、いま/\しげに顔をしかめた。
「そんなことを云うたって、お母あは、家が狭くなるほど荷物を持って来たというて嬉しがっとったくせに。」と、私は笑った。
「ええい、荷物は荷物、仕事は仕事じゃ。仕事をせん不用ごろが一番どうならん。」
 兄は、妻をいたわった。働いて、麦飯をがつ/\食うことだけに産れて来たような親爺とおふくろから、トシエをかばった。彼女の腰は広くなった。なめらかで、やわらかい頬の肉は、いくらか赭味を帯びて来た。そして唇が荒れ出した。腹では胎児がむく/\と内部から皮を突っぱっていた。


 百姓は、生命よりも土地が大事だというくらい土地を重んじた。
 死人も、土地を買わなければ、その屍を休める場所がない。――そういう思想を持っていた。だから、棺桶の中へは、いくらかの金を入れた。死人が、地獄か、極楽かで、その金を出して、自分の休息場を買うのである!
 母が、死んだ猫を埋めてやる時、その猫にまで、孔のあいた二文銭を、藁に通して頸にひっかけさし、それで場所を買え、と云っていたのを僕は覚えている。
 金は取られる心配がある。家は焼けると灰となる。人間は死ねばそれッきりだ。が、土地だけは永久に残る。
 そんな考えから、親爺は、借金や、頼母子講たのもしこうを落した金で、ちびり/\と田と畠を買い集めた。破産した人間の土地を値切り倒して、それで時価よりも安く買えると彼は、鬼の首を取ったように喜んだ。
 七年間に、彼は、全然の小作人でもない、又、全然の自作農でもない、その二つをつきまぜたような存在となった。僅か、六か七畝の田を買った時でさえ、親爺と母はホクホクしていた。
「今年から、税金は、ちっとよけいにかゝって来るようになるぞ。」
 土地を持った嬉しさに、母は、税金を納めるのさえ、楽しみだというような調子だった。兄と僕はそばできいていた。
「何だい、たったあれっぽち、猫の額ほどの田を買うて、地主にでもなったような気で居るんだ。」兄は苦々にが/\しい顔をした。
「ほいたって、あれと野上の二段とは、もう年貢を納めいでもえゝ田じゃが。」
「年貢の代りに信用組合の利子がいら。」
「いゝや、自分の田じゃなけりゃどうならん。」と、母は繰りかえした。「やれ取り上げるの、年貢をあげるので、すったもんだ云わんだけでも、なんぼよけりゃ。ずっと、こっちの気持が落ちついて居れるがな。」
 村は、だん/\に変っていた。見通しのきく自作農の竹さんは、土地をすっかり売ッぱらって都会へ出た。地主の伊三郎も、山と畠の一部を売った。息子を農林学校へやる学資とするためだ。小作人から、自作農に成り上って行こうと、あがいている者も僕の親爺一人に止まらなかった。
 又、S町の近くに田を持っていたあの松茸番の卯太郎は、一方の分を製薬会社の敷地に売って五千円あまりの金を握った。
 こういう売買の仲介をやるのが、熊さんという男だ。三十二本の歯をすべて、一本も残さず金で巻いている。何か、一寸売買に口をかけると、必ず、五分の周旋料は、せしめずに置かない男だ。人々は、おじけて、なるべく熊さんの手にかけないようにする。熊さんを忌避する。が、熊さんは、売買ごとにかけると犬のような鼻を持っていた。どこから、どうして嗅ぎつけて来るのか、必ず、頭を突っこんで口をきいた。
 村へは電燈がついた。――電燈をつけることをすゝめに来たのも熊さんだった。
 がた/\の古馬車と、なたまめ煙管をくわえた老馭者は、乗合自動車と、ハイカラな運転手に取ってかわられた。
 自動車は、くさい瓦斯を路上に撒いた。そして、路傍に群がって珍らしげに見物している子供達をあとに、次のB村、H村へ走った。


 十一月になった。
 ある夜、トシエは子を産んだ。兄は、妻の産室に這入った。が、赤ン坊の叫び声はなかった。分娩のすんだトシエは、細くなって、晴れやかに笑いながら、仰向あおむけに横たわっていた。ボロ切れと、脱脂綿に包まれた子供は、軟かく、細い、黒い髪がはえて、無気味につめたくなっていた。全然、泣きも、叫びもしなかった。
「これですっかり、うるさいくびきからのがれちゃった。」
 トシエは悲しむかと思いの外、晴々とした顔をしていた。これは、まだ、兄の妻とならないさきの、野良で自由にはねまわり、自由に恋をした、その時の顔だ。妙に、はしゃいでいた。
 つゝましさも、兄に頼りきったところも、トシエの顔から消え去ってしまった。赤ン坊は死んでいたのだ。
 一カ月の後、彼女は、別の、色の生白い、ステッキを振り振り歩く手薄な男につれられて、優しく低く、何事かを囁きながら、S町への大通りを通っていた。
 虹吉も家を捨てた。


 そして、僕が、兄に代って、親を助けて家の心配をして行かなければならない、番になった。
 こいつは、引き合わん、陰気くさい役目だ。


 十六燭光を取りつけた一個の電燈は、煤と蝿の糞で、笠も球も黒く汚れた。
 いつの間にか、十六燭は、十燭以下にしか光らなくなっていた。電燈会社が一割の配当をつゞけるため、燃料で誤魔化しをやっているのだった。
 芝居小屋へ活動写真がかゝると、その電燈は息をした。
 ふいに、強力な電燈を芝居小屋へ奪われて、家々の電燈は、スッと消えそうに暗くなった。映写がやまると、今度は、スッと電燈が明るくなる。又、始まると、スッと暗くなる。そして、電燈は、一と晩に、何回となく息をするのだった。
 自動車は、毎日々々、走って来て、走り去った。雨が降っても、風が吹いても、休み日でも。
 藁草履を不用にする地下足袋や、流行のパラソルや、大正琴や、水あげポンプを町から積んで。そして村からは、高等小学を出たばかりの、少年や、娘達を、一人も残さず、なめつくすようにその中ぶるの箱の中へ押しこんで。
 自動車は、また、八寸置きに布片の目じるしをくゝりつけた田植縄の代りに木製の新案特許のわくを持って来た。釣瓶つるべはポンプになった。浮塵子うんかがわくと白熱燈が使われた。石油を撒き、石油ランプをともし、子供がすねまで、くさった水苔くさい田の中へ脚をずりこまして、葉裏の卵を探す代りに。
 苅った稲もきばしで扱き、ふるいにかけ、唐臼ですり、唐箕とうみにかけ、それから玄米とする。そんな面倒くさい、骨の折れる手数はいらなくなった。くる/\廻る親玉号は穂をあてがえば、籾が面白いほどさきからとび落ちた。そして籾は、発動機をかけた自動籾擂機もみすりきに放りこまれて、殻が風に吹き飛ばされ、実は、受けられた桶の中へ、滝のように流れ落ちた。
 おふくろが、昔、雨の日に、ぶん/\まわして糸を紡いだ糸車は、天井裏の物置きで、まッ黒に煤けていた。鼠が時に、その上にあがると、糸車は、天井裏でブルン/\と音をたてた。
「あの音は、なんぞいの?」
 晩のことだった。耳が遠くなったおふくろは、僕のたずねたことが聞えずに、一人ごとをつゞけていた。
「武井から、今日の昼、籾擂代を取りに来たが、その銭はあるか知らん?」
「あのブルン/\という音は何ぞいの?」
「籾擂を機械に頼みゃ、唐臼をまわす世話はいらず、らくでええけんど、頼みゃ、頼んだだけ銭がかゝるんじゃ。」
「あの、屋根裏のおかしげな音は何ぞと云ってるんだ!」
「なに、なんじゃ。――屋根裏に銭があると云いよるんか?」
 おふくろはぼれかけた。
 よなべに作る藁草履を捨てゝ地下足袋を買えば、金がいる。ポンプも、白熱燈も、親玉号も、みな金だった。その割に、売る米の値は上るどころじゃなかった。そこで、土地土地土地と、土地を第一に思っていたおふくろが、ぼれたなりに、今度は銭銭銭ぜに/\/\と、金のことばかりを独りごとに呟きだした。


「孫七」の娘のお八重が、見知らぬ男と睦まじげに笑いかわしながら、自動車からおりて来た。
 情夫かと思うと、夫婦だった。
「太助」のお政も、その附近の者の顔ではない、別のタイプの男をつれて帰って来た。
 素性の知れた、ところの者同志とでなければ、昔は、一緒にはならなかった。同村の者でなければ隣村の者と。隣村の者でなければ隣々村の者と。そして、夫婦をきめるのは、自分でなく、やかましい頑固な親だった。
 今は、町へ出た娘達は、そこで、でっくわした男と勝手に一緒になった。
 村へちょっと帰って、又、町へ出かけた。
 次に村へ帰る時、又、別の男と一緒になっていたりした。人々は、それを当然のように思っていた。見てもなんにも云わなかった。
 田舎に居っても、時が移り変っていることは感じられた。
 昔流の古るくさいことばかりを守っている者は、次第に没落に近づいていた。人の悪い、目さきのきく、敏捷な男が、うまいことをやった。薪問屋は、石炭問屋に変り、鶏買いは豚買いに変った。それでうまいことをやった。いつまでも、薪問屋ばかりをやっている人間は、しまいには山の樹がなくなって、商売をやめなければならなくなっていた。薪問屋は、中間搾取をやる商売だ。しかし、そこからさえ、ある暗示を感じずにはいられなかった。
 親爺は、やはりちびり/\土地を買い集めていた。土地は値打がさがった。自作農で破産をする人間、誰れもかれも街へ出て作り手がなく売りに出す人間、伊三郎が、又、息子の学資に畠の一部を売る場合――秋に入ると一と雨ごとに涼しくなる、そんな風に、地価は、一つの売出し毎に、相場がだん/\さがった。
 そんな土地を、親爺はあさりまわって買った。僕はそれを好かなかった。親爺は、買った土地を抵当に入れて、信用組合からなお金を借り足して、又、別の畠を買った。五六口の頼母子講は、すっかり粕になってしまっていた。
 頼母子講は、一と口が一年に二回掛戻さなければならない。だから、毎月、どっかの頼母子が、掛戻金持算の通知をよこして来る。それで、親爺の懐はきゅう/\した。
 それだのに親爺は、まだ土地を買うことをやめなかった。熊さんが、どこへ持って行っても相手にしない、山根の、松林のかげで日当りの悪い痩地を、うまげにすゝめてくると、また、口車にのって、そんな土地まで、買ってしまった。その点、ぼれていても、おふくろの方がまだ利巧だった。
「そんな、やちもない畠や田ばかり買って、地主にでもなるつもりかい?」
 僕は馬鹿々々しさと、腹立たしさとで、真面目に取り合えない気になっていた。
「地主にゃこし、なれるもんか。たゞ、わいらにちっとでも田地を残してやろうと思うとるだけじゃ。銭を使うたら、それッきりじゃが、土地は孫子の代にまで残るもんじゃせに。」
 親爺は、朴訥ぼくとつで、真面目だった。
「俺ら、田地を買うて呉れたって、いらん。」
「われ、いらにゃ、虹吉が戻ってくりゃ、虹吉にやるがな。」
「兄やんが、戻って来ると思っとるんか、……馬鹿な! もう戻って来るもんか。なんぼ田を買うたっていらんこっちゃ!」
 信用組合からの利子の取立てと、頼母子講の掛戻と、女房と、息子の反対は、次第に親爺を苦るしくして行った。
 三人が百姓に専心して、その収穫が、どうしても、利子に追いつかなかった。このまゝで行けば、買った土地を、又、より安くで売り払って、借金をかえさなければならなくなるのはきまりきっていた。
 もっと利子の安い勧業銀行へ人を頼んであたってみたりした。
 だが、ある日、春だった。
「うまいことになったわい。」親爺は、いき/\と、若がえったように、すた/\歩いて帰ってきた。彼は、やはり朴訥な、真面目な調子で云った。「今度、KからSまで電車がつくんで、だいぶ家の土地もその敷地に売れそうじゃ。坪五円にゃ、安いとて売れるせに、やっぱし、二束三文で、買えるだけ買うといて、うまいことをやった。やっぱし買えるだけ買うといてよかった。今度は、だいぶ儲かるぞ。」


 青い大麦や、小麦や、裸麦が、村一面にすく/\とのびていた。帰来した燕は、その麦の上を、青葉に腹をすらんばかりに低く飛び交うた。
 測量をする技師の一と組は、巻尺と、赤と白のペンキを交互に塗ったボンデンや、測量機レベル等を携えて、その麦畑の中を行き来した。巻尺を引っ張り、三本の脚の上にのせた、望遠鏡のような測量機レベルでペンキ塗りのボンデンをのぞき、地図に何かを書きつけて、叫んでいた。
 英語の記号と、番号のはいった四角の杭が次々に、麦畑の中へ打たれて行った。
 麦を踏み折られて、ぶつ/\小言を云わずにいられなかったのは小作人だ。
 親爺は、麦が踏み折られたことを喜んだ。
 地主も、自作農も、麦が踏まれたことは、金が這入ることを意味する。
 敷地買収の交渉が来た。
 一畝、十二円六十銭で買った畠を、坪、二円三十銭で切り出して来た。一畝なら、六十九円となる訳だ。
 親爺は、自家うちに作りたい畠だと云って、売り惜んだ。
 坪、二円九十銭にせり上った。
 親爺は、地味がいゝので自家に作りたい畠だと、繰りかえした。そして、売り借んだ。単価がせり上った。
 僕は、そばでだまってきいていて、朴訥な癖に、親爺が掛引がうまいのに感心した。坪二円九十銭なら、のどから手が出そうだのに、親爺はまるッきり、そんな素振りはちっとも現わさないのだ。
 とうとう、三円五十銭となった。
 家の田と畠は、三カ所、敷地にひっかゝっていた。その一つの田は、真中が敷地となって、真二ツに切られ、左右が両方とも沿線となるようになっていた。
 敷地ばかりでなく、沿線一帯の地価が吊り上った。こんなうまいことはなかった。
 田と畠を頼母子講の抵当に書きこみ、或は借金のかわりに差押えられようとしていた自作農は、親爺だけじゃなかった。庄兵衛も作右衛門も、藤太郎も、村の自作農の半分はそういう、つらいやりくりであえいでいた。それが、息を吹きかえしたように助かった。地主はホク/\した。卯太郎は、いつか五千円で町に近い田を売って、そのうちの八十五円で畠を買った。その畠が、また今度、鉄道の敷地にかゝっていた。
「貧乏たれが、ざま見い。うら等、やること、なすことが、みんなうまくあたるんじゃ。わいら、うらの爪の垢なりと煎じて飲んどけい。」
 彼は太平楽を並べていばっていた。
「何ぬかすぞい! 卯の天保銭めが!」
 麦を踏み荒されたばかりで敷地となる田も畠もない持たない小作人は、露骨な反感を現わした。
「うちの田は、ちょっとのことではずれくさった。もう五間ほどあの電車道が、西へ振っとったら、うちにもボロイ銭が這入って来るんじゃったのに!」
 と、残念がっている者もあった。
「伊三郎にゃ、あれだけ土地を持っとって、どうしたんか、相談でもしたように、はずれとる。」おふくろは、他人の事を嬉しげに話をした。トシエが逃げ返った仇をこゝで取っているような気持だった。「かゝっとるんは、たった一枚だけで、ほかは、角だけ一寸ふれとるんが、二たところあるばっかしじゃ。」
「へへえ、そいつは面白い。」
 僕も、何か、気味たいのよさを感じた。
「それで、あしこにゃ、子供を学校へやった借金はあるし、年貢は、小作が、きちん/\と納めやせんし、くやんどるとい。」
「そいつもばちじゃ。かまうもんかい。」
 敷地に杭を打たれたところへは、麦を刈り取ったあとで、きも、耕しも、植付けもしなかった。夏は、青々とした雑草が、勝手きまゝにそこに繁茂した。秋の末になると、その雑草は、灰色になって枯れた。黄金色にみのった稲穂の真中を、そこだけは、真直に、枯色の反物を引っぱったようになっていた。秋からは、その沿線附近一帯をも、あまり儲けにならない麦を蒔かずに、荒れるがまゝに放って置く者もあった。
 冬の始めになった。又、巻尺と、赤と白のペンキ塗りのボンデンを持った測量の一組がやって来た。そして、望遠鏡のような測量機レベルでのぞき、何かを叫んで、新しく、別なところへ持って行って、四角の杭を打ちつけた。杭と杭とをつなぎ合す線は、今度はいくらか蛇のようにうねってきた。
「またもう一つ、別の電車をつくんじゃろうか。」
 親爺は、測量をする一と組の作業を見てきて心配げな顔をした。
「こんなへんぴへ二つも電車をつけることはないだろう。」
「ふむ。それは、そうじゃ。」
 人々は、新しい杭が打たれて行くあとへ、神経を尖らしだした。敷地は、第一回の測量地点から、第二回の測量地へ変更されることになったのだ。
 はじめの測量には、所有地が敷地に這入っていたのに、今度は、はずれている。そんな地主や自作農もあった。はじめは、四カ所もはいっていたのに、今度は、一坪もふれていない。そんな者もあった。恐慌が来た。うまい儲けにありつけると思って、田を荒らして、待ちかまえていた。それだのに、そのあてがはずれてしまった。呆然とした。
 新規の測量で、新しく敷地にかゝったものは喜んだ。地主も、自作農も、――土地を持っている人間は、悲喜交々こも/″\だった。そいつを、高見の見物をしていられるのは、何にも持たない小作人だ。
「今度もみんごと、家にゃ、四ツところかゝっとる。」と、親爺は、胸をなでおろした。「しかし、先の方が痩地ばかり取って呉れるようになっとったのに今度は分が悪るなっとるぞ。それに、こうかえられては、荒らした畠を、また作れるように開墾するんがたいへんじゃ。」
 線路を、どうしてわざと曲りくねらすのか、それが変だった。直線が一番いゝ筈じゃないか。一寸、そんな気がした、すると、誰れかゞ、
「今度ア、伊三郎の田を入れるとて、わざと、あんな青大将のようにうね/\とうねらしてしまったんだぞ。」
 こう云い出した。実際、今度は、伊三郎の田が、どいつも、こいつもひっかゝっていた。
「停留場を、あしこの田のところへ、権現の方のを換えて持って行くというじゃないか?」
「だいぶ重役に賄賂を掴ましたんじゃ。あの熊さんを使うてやったんじゃよ。――熊の奴この夏からさい/\K市までのこ/\と出かけて行きよったじゃないか。」
「そうか、そんなことをやりくさったんか。道理で、此頃、熊と伊三郎がちょん/\やっとると思いよった。くそッ!」
 敷地にはずれた連中は、ぐゎい/\騒ぎ出した。敷地に這入るか、這入らないかは、彼等の家がつぶれるか、つぶれないかに関係していた。真剣に、目を血ばしらすのは当然だった。
「そんじゃ、こっちも、みんなで、ほかの重役のとこへ膝詰談判に行こうじゃないか。伊三郎が、そんなことをしくさるんなら、こっちだって、黙って引っこんでは居れんぞ。」
「うむ、そうだ、そうだ。黙って泣寝入りは出来やせん!」
 K市へ出かけて行った連中はらちがあかなかった。
「やっぱし、人間のずるい、金の融通のきく奴が、うまいことをしくさるんだ。」僕は、それを見ながら、この感じを深くした。裏でこそ/\やる人間が、なんでもうまいことをしているんだ。馬鹿正直な奴が、いつでも結局、一番の大馬鹿なんだ。
 ある晩、わい/\騒いでいる久助の女房は、伊三郎の家に火をつけた。が、それは、火事とならずにもみ消された。小作人も、はずされた仲間の方についた。伊三郎の田は、六月の植えつけから、その三分の二は耕されず雑草がはびこるまゝに荒らされだした。
 だが、それから間もなくだった。
「や、大変なこっちゃ。これゃ、何もかもわやじゃ!」
 親爺はぴっくりして、鶏の糞だらけの鶏小屋の前で腰をぬかしていた。
「どうしたんじゃ? どうしたんじゃ?」
「これゃ、わやじゃ。 何もかもすっかりわやじゃ。来てくれい! どうしよう? どうしよう?」
 親爺は腰がぬけて脚が立たなかった。彼が鶏に餌をやろうとしていた時、KS電鉄の重役が贈賄罪で起訴収容され、電車は、おじゃんになってしまったことを、村の者が知らしてきたのである。
「何だ、そんなことで腰をぬかすなんて!」
 僕は立つことの出来ない親爺を見ながらなぜか、清々とするものを感じるのだった。
 村は、歓喜の頂上にある者も、憤慨せる者も、口惜しがっている者も、すべてが悉く高い崖の上から、深い谷間の底へ突き落されてしまった。喜ぶことはやさしかった。高い所から深いドン底へ墜落するのは何というつらいことだろう!
 荒された土地には依然として雑草が繁茂し、秋には、草は枯れ、そこは灰色に朽ち腐った。

一〇


 やがて親爺が死んだ。
 慶応年間に村で生れた親爺は、一生涯麦飯を食って、栄養不良になることも、早く年を取り、もうろくすることもかまわずに、たゞ、いくらかの土地を自分のものとし、財産を作って、子供に残してやろうと、そればかりを考えていた。
 死ぬ前には、親爺はぼれていた。若い時分、野良で過激に酷使しすぎた肉体は、年がよるに従って云うことをきかなくなった。
 親爺は、肥桶こえおけをかついだり、牛を使ったりするのを、如何にも物憂げに、困難げにしだしていた。米俵をかつぐのは、もう出来ないことだった。晩には彼は眠られなかった。四肢がけだるく、腰は激しいうずくような痛みを覚えた。昔は自分の肉体など、感じないほど、五体が自由に動いたものだった。それが、今は、不思議に身体全体が、もの憂く、悩ましく、ちょっと立上るのにさえ、重々しく、厄介に感じられた。
 夜があけると、彼は、鍬をかついで、よぼ/\と荒らされた土地を勿体ながって開墾に出かけた。仕事ははかどらなかった。
 土地の方が、今度は彼を見捨てゝしまった。
 田も畑もすべて借金の抵当に這入っていた。そして、電鉄が中止ときまってからは、地価は釣瓶落ちに落ちた。親爺は、もう、彼の力では、大勢を再びもとへ戻すのは不可能だと感じたのに違いない。彼は、なお、土地を手離すまいと努力した。金を又借り足して利子を払った。しかし、何年か前、彼に、土地を売りつけに来た熊さんは、矢のように借金の取立てに押しかけて来た。土地を売ッ払ッて仕末をつけてしまうように、無遠慮な調子で切り出した。
 昔、彼が、破産した男の土地を、値切り倒して面白がって買ったように、今度は、若いほかの男が、彼の土地をなぶるように値切りとばした。二束三文だった。
 親爺は、もう、親爺としての一生は、失敗であり、無意義であり、朴訥と、遅鈍と、阿呆の歴史であった、と感じたのに違いない。彼の一代の総勘定はすんでしまった。そして残ったものはゼロである。
 彼は、死んだ。その一生のつとめを終ってしまった樹木が、だん/\に、どこからともなく枯れかけて、如何なる手段を施しても、枯れるものを甦らすことは出来ないように死んでしまった。
 土地も借金も同時になくなってしまったことを僕は喜んだ。せい/\とした。虹吉は、K市から帰って来た。
 それからおふくろが死んだ。おふくろは、町にいる虹吉のことを、巡査が戸籍調べの振りをして、ちょい/\訊きに来るのを気に病んでいた。巡査は、虹吉のことだけを、根掘り葉掘り訊きたゞした。妻はあるか、何をしているか、そして、近々、帰っては来ないか。――近々帰っては来ないか? これだけは、いつ来ても訊くことを忘れなかった。
 おふくろは、息子が泥棒でもやっているのではないか、そんな危惧をさえ抱かせられていた。
 僕等は、さっぱりとした。田も、畠も、金も、係累けいるいもなくなってしまった。すきなところへとんで行けた。すきな事をやることが出来た。
 トシエの親爺の伊三郎の所有地は、よもぎや、秣草まきぐさや、苫茅とまがやが生い茂って、誰れもかえり見る者もなかった。
 僕と虹吉は、親爺が眠っている傍に持って行って、おふくろの遺骸を、埋めた。秋のことである。太陽は剃刀のようにトマトの畠の上に冴えかえっていた。村の集会所の上にも、向うの、白い製薬会社と、発電所が、晴れきった空の下にくっきりと見られるS町にも、何か崩れつゝあるものと、動きつゝあるものとが感じられた。
 僕には、兄が何をやっているか、それは分っていた。
 虹吉は、おふくろを埋葬した翌日、あわたゞしげに村をたって行った。
(一九三〇年五月)





底本:「黒島傳治全集 第二巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年5月30日第1刷発行
入力:大野裕
校正:原田頌子
2001年9月3日公開
2012年7月22日修正
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