湯ヶ原ゆき

国木田独歩




        一

 さだめしいま時分じぶん閑散ひまだらうと、その閑散ひまねらつてると案外あんぐわいさうでもなかつた。こと自分じぶん投宿とうしゆくした中西屋なかにしやといふは部室數へやかずも三十ぢかくあつてはら温泉をんせんではだい一といはれてながらしか空室あきまはイクラもないほど繁盛はんじやうであつた。すこあてちがつたがづ/\繁盛はんじやうしたことなしと斷念あきらめて自分じぶん豫想外よさうぐわいへやはひつた。
 元來ぐわんらい自分じぶんだい無性者ぶしやうものにておもたつ旅行りよかうもなか/\實行じつかうしないのが今度こんどといふ今度こんど友人いうじん家族かぞくせつなる勸告くわんこくでヤツと出掛でかけることになつたのである。『其處そこほねひとく』といふ文句もんくそれ自身じしんがふら/\と新宿しんじゆく停車場ていしやぢやういたのは六月二十日の午前ごぜん何時であつたかわすれた。かく一汽車ひときしやおくれたのである。
 同伴者つれ親類しんるゐ義母おつかさんであつた。此人このひと途中とちゆう萬事ばんじ自分じぶん世話せわいて、病人びやうにんなる自分じぶんはらまでおくとゞけるやくもつたのである。
『どうせつなら品川しながはちましようか、おなじことでも前程さきつてはう氣持きもちいから』
自分じぶんがいふと
『ハア、如何どうでも。』
 其處そこ國府津こふづまでの切符きつぷひ、品川しながはまでき、そのプラツトホームで一時間じかん以上いじやうつことゝなつた。十一時頃じごろからねつたので自分じぶんはプラツトホームの眞中まんなかまうけある四はう硝子張がらすばり待合室まちあひしつはひつてちひさくなつてると呑氣のんきなる義母おつかさんはそんなこととはすこしも御存知ごぞんじなく待合室まちあひしつたりはひつてたり、煙草たばこすつたり、自分じぶんり折りはなしかけてもだ『ハア』『そう』とこたへらるゝだけで、沈々ちん/\默々もく/\空々くう/\漠々ばく/\、三日でもうしてちますよといはぬばかり、悠然いうぜん泰然たいぜん茫然ばうぜん呆然ぼうぜんたるものであつた。其中そのうちやうや神戸かうべゆき新橋しんばしからた。とく國府津こふづどまりはこが三四りやう連結れんけつしてあるので紅帽あかばう注意ちゆういさいはひにそれにむとはたして同乘者どうじようしや老人夫婦らうじんふうふきりですこぶすいた、くたびれたのと、ねつたのとですくなからずよわつ身體からだをドツかとおろすと眼がグラついておもはずのめりさうにした。
 前夜ぜんやあめはれそら薄雲うすぐも隙間あひまから日影ひかげもれてはるものゝ梅雨つゆどきあらそはれず、天際てんさいおも雨雲あまぐもおほママかさなつてた。汽車きしや御丁寧ごていねい各驛かくえきひろつてゆく。
義母おつかさん此處こゝうめ名高なだか蒲田かまたですね。』
『そう?』
義母おつかさん田植たうゑさかんですね。』
『そうね。』
御覽ごらんなさい、眞紅まつかおびめてむすめますよ。』
『そうね。』
義母おつかさん川崎かはさききました。』
『そうね。』
義母おつかさん大師樣だいしさま何度なんどまゐりになりました。』
何度なんどですか。』
 これでは何方どつち病人びやうにんわからなくなつた。自分じぶん斷念あきらめてをふさいだ。

        二

 トロリとした鶴見つるみ神奈川かながはぎて平沼ひらぬまめた。わづかの假寢うたゝねではあるが、それでも氣分きぶんがサツパリして多少いくら元氣げんきいたのでこりずまに義母おつかさん
横濱よこはまらないだけ御座ございますね。』
『ハア。』
 是非ぜひもないことゝ自分じぶん斷念あきらめて咽喉疾いんこうしつには大敵たいてきりながら煙草たばこはじめた。老人夫婦らうじんふうふしきりとはなしてる。しかもこれはをんなはうから種々しゆ/″\問題もんだい持出もちだしてるやうだそして多少いくらうるさいといふ氣味きみをとこはそれに説明せつめいあたへてたが隨分ずゐぶん丁寧ていねいものけつして『ハア』『そう』のではない。
 或人あるひと義母おつかさん脊後うしろからその脊中せなかをトンとたゝいて『義母おつかさん!』とさけんだら『オヽ』とおどろいて四邊あたりをきよろ/\見廻みまはしてはじめて自分じぶん汽車きしやなかること、旅行りよかうしつゝあることにくだらう。全體ぜんたいたびをしながら何物なにものをもず、ても何等なんら感興かんきようおこさず、おこしてもそれ折角せつかく同伴者つれかたあつさらきようすこともしないなら、はじめから其人そのひとたび面白おもしろみをらないのだ、など自分じぶんひとはらなか愚痴ぐちつてると
『あれはなんでしよう、そらやま頂邊てつぺんの三かくうちのやうなもの。』
『どれだ。』
『そらやま頂邊てつぺんの、そら……。』
『どのやまだ』
『そらやまですよ。』
『どれだよ。』
『まア貴下あなたあれがえないの。アゝ最早もうえなくなつた。』と老婦人らうふじん殘念ざんねんさうに舌打したうちをした。義母おつかさん一寸ちよつ其方そのはうたばかり此時このとき自分じぶんおもつた義母おつかさんよりか老婦人らうふじんはう幸福しあはせだと。
 そこで自分じぶんは『對話たいわ』といふことについかんがはじめた、大袈裟おほげさへば『對話哲學たいわてつがくたのを『お喋舌しやべり哲學てつがく』について。
 自分じぶん劈頭へきとうだい一に『喋舌しやべこと出來できないもの大馬鹿おほばかである』

        三

喋舌しやべることの出來できないのをしようして大馬鹿おほばかだといふはあま殘酷ひどいかもれないが、すくなくとも喋舌しやべらないことをもつひど自分じぶんらがるもの馬鹿者ばかもの骨頂こつちやうつてろしいして此種このしゆ馬鹿者ばかものいまにチヨイ/\見受みうけるママなさけない次第しだいである。』
たび道連みちづれなさけといふが、なさけであらうとからうと別問題べつもんだいとしてたび道連みちづれ難有ありがたい、マサカひとりでは喋舌しやべれないが二人ふたりなら對手あひて泥棒どろぼうであつても喋舌しやべりながらあるくことが出來できる。』など、それからそれとかんがへてるうちまたねむくなつてた。
 睡眠ねむり安息あんそくだ。自分じぶんねむることがなによりきである。けれどしようことなしにねむるのはあたら一生涯しやうがいの一部分ぶゝんをたゞでくすやうな氣がしてすこぶ不愉快ふゆくわいかんずる、ところいま場合ばあひ如何いかんともがたい、とづるにかしていた。
[#改行天付きはママ]幾分位いくらねむつたからぬが夢現ゆめうつゝうちつぎのやうな談話はなし途斷とぎれ/\にみゝはひる。
貴方あなたなかきましたか。』
『……ひどいた。』
わたし大變たいへんきました。大船おほふなでおべんひましよう。』
 成程なるほどこんなはなしいてるとはらいたやうでもある。まして沈默家ちんもくか特長とくちやうとして義母おつかさん必定きつとさうだらうと、
義母おつかさんなかきましたらう。』
『イヽエ、そうでもりませんよ。』
大船おほふないたらなにべましよう。』
今度こんど大船おほふなですか。』
わたしたからわかりませんが、』と言ひながら外景そとると丘山樹林きうざんじゆりん容樣かたちまさにそれなので
『エヽ、最早直もうす大船おほふなです。』
大變たいへんはやいこと!』

        四

 大船おほふなくや老夫婦としよりふうふ逸早いちはやおしずしと辨當べんたうひこんだのを自分じぶんその眞似まねをしておなじものをもとめた。頸筋くびすぢぶたこゑまでがそれらしい老人らうじん辨當べんたうむしやつきすこ上方辯かみがたべんぜた五十幾歳位いくさいぐらゐ老婦人らうふじんすし頬張ほゝばりはじめた。
 自分じぶんおしずしなるものを一つつまんでたがぎてとてもへぬのでおめにしてさら辨當べんたうの一ぐうはしけてたがポロ/\めし病人びやうにん大毒だいどくさとり、これも御免ごめんかうむり、元來ぐわんらい小食せうしよく自分じぶんべつにもならずすべてを義母おつかさんにおまかせしてちやばかりんで内心ないしん一のくいいだきながら老人夫婦としよりふうふをそれとなく觀察くわんさつしてた。
何故なぜ「ビールに正宗まさむね……」のそのいづれかをれなかつたらう』といふがひとつくいである。大船おほふなはつしてしまへば最早もう國府津こふづくのをほか途中とちゆうなにることは出來できないとおもふと、淺間あさましいことには殘念ざんねんたまらない。
さけへばかつた。しいことをた』
『ほんとに、さうでしたねえ』とだれ合槌あひづちうつれた、とおもふと大違おほちがひ眞中まんなか義母おつかさんいましもしたむい蒲鉾かまぼこいでらるゝところであつた。
 大磯おほいそちかくなつてやつ諸君しよくん晝飯ちうはんをはり、自分じぶんは二空箱あきばこひとつには笹葉さゝつぱのこり一には煮肴にざかなしるあとだけがのこつてやつをかたづけて腰掛こしかけした押込おしこみ、老婦人らうふじんは三空箱あきばこ丁寧ていねいかさねて、かたはら風呂敷包ふろしきづつみ引寄ひきよそれつゝんでしまつた。もつと左樣さうするまへ老人らうじん小聲こゞゑ一寸ちよつ相談さうだんがあつたらしく、金貸かねかしらしい老人らうじんは『勿論もちろんのこと』とひたげな樣子やうすくびかたせてたのであつた。
 此二このふたつ悲劇ひげきをわつて彼是かれこれするうち大磯おほいそくと女中ぢよちゆうが三にんばかり老人夫婦としよりふうふ出迎でむかへて、その一人ひとりまどからわたしたつゝみ大事だいじさうに受取うけとつた。其中そのなかには空虚からつぽ折箱をりも三ツはひつてるのである。
 汽車きしや大磯おほいそるとぐ(吾等われら二人ふたりぎりになつたので)
義母おつかさんいま連中れんちゆふ何者なにものでしよう。』
いまのツてに?』
いま大磯おほいそりた二人ふたりです。』
『さうねえ』
必定きつと金貸かねかしなんかですよ。』
『さうですかね』
『でなくても左樣さうえますね』
婆樣ばあさん上方者かみがたものですよ、ツルリンとしたかほ何處どつかに「間拔まぬけ狡猾かうくわつ」とでもつたやうなところがあつて、ペチヤクリ/\老爺ぢいさん氣嫌きげんとつましたね。』
『さうでしたか』
めかけ古手ふるてかもれない。』
貴君あなた隨分ずゐぶんくちわるいね』とかなんとか義母おつかさんつてれると、益々ます/\惡口雜言あくこうざふごん眞價しんか發揮はつきするのだけれども、自分じぶんのは合憎あいにうまことをトン/\拍子びやうしふやうな對手あひてでないから、けるのも是非ぜひがない。

        五

 箱根はこね伊豆いづ方面はうめん旅行りよかうするもの國府津こふづまでると最早もはや目的地もくてきちそばまでゐたがしてこゝろいさむのがつねであるが、自分等じぶんら二人ふたり全然まるでそんな樣子やうすもなかつた。不好いやところへいや/\ながらかけてくのかとあやしまるゝばかり不承無承ふしようぶしようにプラツトホームをて、紅帽あかばう案内あんないされてかく茶屋ちやゝはひつた。義母おつかさんうさぎにつまゝママれたやうなかほつきをして、自分じぶんおほかみにつまゝママれたやうママかほをして(多分たぶんほかからると其樣そんなかほであつたらうとおもふ)『やれ/\』とも『づ/\』ともなんともはず女中ぢよちゆうのすゝめる椅子いすこしおろした。
 自分じぶん義母おつかさんに『これから何處どこくのです』とひたいくらゐであつた。最早もう我慢がまんきれなくなつたので、義母おつかさん一寸ちよつたつようたしつた正宗まさむねめいじて、コツプであほつた。義母おつかさんとき最早もうコツプも空壜あきびんい。
 おもひきやこの藝當げいたうながら
『ヤア、これはめづらしいところで』と景氣けいきよくこゑをかけてはひつものがある。
 可愛かはいさうに景氣けいきのよいこゑ肺臟はいざうからこゑいたのは十ねんぶりのやうながして、自分じぶんおもはず立上たちあがつた。れば友人いうじんM君エムくんである。
何處どこへ?』かれふた。
はらつもりでたのだ。』
はらか。はらいが此頃このごろ天氣てんきじやアうんざりするナア』
きみ如何どうしたのだ。』
ぼくは四五日まへから小田原をだはら友人いうじんうちあそびにいつたのだが、あめばかりで閉口へいかうしたから、これから歸京かへらうとおもふんだ。』
はらたまへ。』
御免ごめん御免ごめん最早もうき/\した。』
 平凡へいぼん會話くわいわじやアないか。平常ふだんなら當然あたりまへ挨拶あいさつだ。しか自分じぶんともわかれて電車でんしやつたあとでも氣持きもちがすが/\して清涼劑せいりやうざいんだやうながした。おまけに先刻さつき手早てばや藝當げいたうその效果きゝめあらはしてたので、自分じぶん自分じぶんはらまり、車窓しやさうから雲霧うんむうもれた山々やま/\なが
はしはし電車でんしや、』
 圓太郎馬車ゑんたらうばしやのやうに喇叭らつぱいてれるとさらめうだとおもつた。

        六

 小田原をだはらまちまでながその入口いりぐちまでると細雨こさめりだしたが、それもりみらずみたいしたこともなく人車鐵道じんしやてつだう發車點はつしやてんいたのが午後ごゝ何時なんじ半時間はんじかん以上いじやうたねば人車じんしやないといて茶屋ちやゝあが今度こんどおほぴらで一ぽんめいじて空腹くうふく刺身さしみすこしばかりれてたが、惡酒わるざけなるがゆゑのみならず元來ぐわんらい以上いじやうねつある病人びやうにん甘味うまからうはずがない。こと/″\くやめてごろりころがるとがつかりして身體からだけるやうながした。旅行りよかうして旅宿やどいてこのがつかりするあぢまた特別とくべつなもので、「疲勞ひらう美味びみ」とでもはうか、しか自分じぶん場合ばあひはそんなどころではなくやまひ手傳てつだつてるのだからはなからいきねつ今更いまさらごとかんじ、最早もは身動みうごきするのもいやになつた。
 しかし時間じかんればうごかぬわけにいかない人車鐵道じんしやてつだうさへをはれば最早もうゐたも同樣どうやうそれちからはこはひると中等ちゆうとう我等われら二人ふたりぎりひろいのは難有ありがたいが二時間半じかんはん無言むごんぎやうおそるとおもつてると、巡査じゆんさ二人ふたりはひつてた。
 一人ひとり張飛ちやうひやせよわくなつたやうな中老ちゆうらう人物じんぶつ一人ひとり關羽くわんう鬚髯ひげおとして退隱たいゝんしたやうな中老ちゆうらう以上いじやう人物じんぶつ
 ※(「月+叟」、第4水準2-85-45)せた張飛ちやうひ眞鶴まなづる駐在所ちゆうざいしよ勤務きんむすることすでに七八ねん齋藤巡査さいとうじゆんさしようし、退隱たいゝん關羽くわんう鈴木巡査すゞきじゆんさといつてはら勤務きんむすることじつに九ねん以上いじやうであるといふことは、あとわかつたのである。
 自分じぶん注文通ちゆうもんどほり、喇叭らつぱこゑ人車じんしや小田原をだはら出發たつた。

        七

 自分じぶん如何どういふものかガタ馬車ばしや喇叭らつぱきだ。回想くわいさう聯想れんさう面白おもしろい。はる野路のぢをガタ馬車ばしやはしる、はなみだれてる、フワリ/\と生温なまぬるかぜゐてはなかほりせままどからひとおもてかすめる、此時このとき御者ぎよしや陽氣やうき調子てうし喇叭らつぱきたてる。如何いくよめいびり胡麻白ごましろばあさんでも此時このときだけはのんびりして幾干いくら善心ぜんしんちかへるだらうとおもはれる。なつし、清明せいめい季節きせつ高地テーブルランド旦道たんだうはしときなどさらし。
 ところが小田原をだはらから熱海あたみまでの人車鐵道じんしやてつだうこの喇叭がある。不愉快ふゆくわい千萬なこの交通機關かうつうきくわんこの鳴物なりものいてるけで如何どうきようたすけてるとはかね自分じぶんおもつてたところである。
 づ二だいの三等車とうしやつぎに二等車とうしやが一だいこのだいが一れつになつてゴロ/\と停車場ていしやぢやうて、暫時しばらくは小田原をだはら場末ばすゑ家立いへなみあひだのぼりにはひとくだりにはくるまはしり、はしとき喇叭らつぱいてすゝんだ。
 ※(二の字点、1-2-22)いよ/\平地へいちはなれて山路やまぢにかゝると、これからがはじまりとつた調子てうし張飛巡査ちやうひじゆんさ何處どこからか煙管きせる煙草入たばこいれしたがマツチがない。關羽くわんうもつない。これを義母おつかさんおもむろたもとから取出とりだして
『どうかお使つかくださいまし。』
丁寧ていねいつた。
『これは/\。如何どうもマツチをわすれたといふやつは始末しまつにいかんもので。』
巡査じゆんさいつぷく點火つけてマツチを義母おつかさんかへすと義母おつかさん生眞面目きまじめかほをして、それをうけ取つて自身じしん煙草たばこいはじめた。べつ海洋かいやう絶景ぜつけいながめやうともせられない。
 どんよりくもつてり/\小雨こさめさへ天氣てんきではあるが、かぜまつたいので、相摸灣さがみわんの波しづか太平洋たいへいやう煙波えんぱゆめのやうである。噴煙ふんえんこそえないが大島おほしまかげ朦朧もうろうかんでる。
義母おつかさんどうです、景色けしきですね。』
『さうねえ。』
むかうにかすかえるのが大島おほしまですよ。』
『さう?』
 此時このとき二人ふたり巡査じゆんさ新聞しんぶんんでた。關羽巡査くわんうじゆんさ眼鏡めがねをかけて、人車じんしやのぼりだからゴロゴロと徐行じよかうしてた。

        八

 景色けしきおほきいが變化へんくわとぼしいからはじめてのひとならかく自分じぶんすで幾度いくたび此海このうみこの棧道さんだうれてるからしひながめたくもない。義母おつかさんさだめしめづらしがるだらうとおもつてたのが、れいごと簡單かんたん御挨拶ごあいさつだけだから張合はりあひけてしまつた。新聞しんぶん今朝けさまへつくしてしまつたし、ほん元氣げんきもなし、ねむくもなし、喋舌しやべ對手あひてもなし、あくびもないし、さてうなると空々然くう/\ぜん漠々然ばく/\ぜん何時いつし義母おつかさん自分じぶんうつつて流動ながれ次第々々しだい/\のろくなつてくやうながした。
 うらへ一時半じはんあひだのぼりであるが多少たせう高低かうていはある。くだりもある。喇叭らつぱく、くて棧道さんだうにかゝつてからだい一の停留所ていりうじよいたところわすれたが此處こゝ熱海あたみから人車じんしやりちがへるのである。
 巡査じゆんさ此處こゝはじめ新聞しんぶん手離てばなした。自分じぶんはホツと呼吸いきをしてわれかへつた。義母おつかさんはウンともスンともはれない。べつわれかへ必要ひつえうもなくかへるべきわれもつられない
此處こゝまた暫時しばらたされるのか。』
眞鶴まなづる巡査じゆんさすなは張飛巡査ちやうひじゆんさつたので
『いつも此處こゝたされるのですか。』
自分じぶんおもはずふた。
『さうともかぎりませんが熱海あたみおそくなると五ふんや十ぷん此處こゝたされるのです。』
 壯丁さうていくるまはなれてみづむもあり、みな掛茶屋かけぢやゝえんあつまつてやすんでた。此處こゝ谷間たにまる一小村せうそん急斜面きふしやめん茅屋くさやだんつくつてむらがつてるらしい、くるまないからくはわからないが漁村ぎよそんせうなるもの蜜柑みかんやま産物さんぶつらしい。人車じんしや軌道きだうむら上端じやうたんよこぎつてる。
 あめがポツ/\つてる。自分じぶんやまはうをのみた。はじめは何心なにごころなくるともなしにうちに、次第しだいいま前面ぜんめん光景くわうけいは一ぷく俳畫はいぐわとなつてあらはれてた。

        九

 軌道レール直角ちよくかく細長ほそなが茅葺くさぶき農家のうかが一けんあるうらやまはたけつゞいてるらしい。いへまへ廣庭ひろにはむぎなどをところだらう、廣庭ひろにはきあたりに物置ものおきらしい屋根やねひく茅屋くさやがある。母屋おもや入口いりくちはレールにちかはうにあつて人車じんしやからると土間どま半分はんぶんほどはすかひえる。
 入口いりくちそと軒下のきした橢圓形だゑんけい据風呂すゑぶろがあつて十二三の少年せうねんはひつるのが最初さいしよ自分じぶん注意ちゆういいた。この少年せうねんけた脊中せなかばかり此方こちらけてけつして人車じんしやはうない。つたり、しやがんだりしてるばかりで、手拭てぬぐひもつないらし[#「い脱カ」の注記]何時いつふうえず、三時間じかんでも五時間じかんでも一日でも、あアやつてるのだらうと自分じぶんにはおもはれた。廣庭ひろにはむいかまくちからあをけむ細々ほそ/″\立騰たちのぼつて軒先のきさきかすめ、ボツ/\あめ其中そのなかすかしてちてる。半分はんぶんえる土間どまでは二十四五のをんな手拭てぬぐひ姉樣ねえさまかぶりにしてあががまち大盥おほだらひほどをけひか何物なにものかをふるひにかけて專念せんねんてい其桶そのをけまへに七ツ八ツの小女こむすめすわりこんで見物けんぶつしてるが、これは人形にんぎやうのやうにうごかない、風呂ふろなか少年せうねんおなじくこれを見物けんぶつしてるのだといふことが自分じぶんにやつとわかつた。
 入口いりくち彼方あちらなが縁側えんがはで三にん小女こむすめすわつてその一人ひとり此方こちらいましも十七八の姉樣ねえさんかみつてもら最中さいちゆう前髮まへがみさげ可愛かはゆこれ人形じんぎやうのやうにおとなしくして廣庭ひろにはでは六十以上いじやうしかいづれも達者たつしやらしいばあさんが三人立にんたつその一人ひとり赤兒あかんぼ脊負おぶつこしるのが何事なにごとばあさんごゑ張上はりあげて喋白しやべつてると、二人ふたり婆樣ばあさん合槌あひづちつてる。けれども三にんともあしうごかさない。そして五六にんおな年頃としごろ小供こどもがやはり身動みうごきもしないでばあさんたち周圍まはりいてるのである。
 眞黒まつくろつや洋犬かめが一ぴきあごけてねそべつて、みゝれたまゝまたをすらうごかさず、廣庭ひろには仲間なかまくははつてた。そして母屋おもや入口いりくち軒陰のきかげからつばめたりはひつたりしてる。
 はじめは俳畫はいぐわのやうだとおもつてたが、これじつでもなんでもない。細雨さいうれなんとする山間村落さんかんそんらく生活せいくわつもつとしづかなる部分ぶゝんである。たにおくには墓場はかばもあるだらう、人生じんせい悠久いうきうながれ此處こゝでも泡立あわだたぬまでのうづゐてるのである。

        十

 隨分ずゐぶんながたされたとおもつたが實際じつさいは十ぷんぐらゐで熱海あたみからの人車じんしや威勢ゐせい能く喇叭らつぱきたてゝくだつてたのでれちがつて我々われ/\出立しゆつたつした。
 あめ次第しだいつよくなつたので外面そと模樣もやう陰鬱いんうつになるばかり、車内うち退屈たいくつすばかり眞鶴まなづる巡査じゆんさがとう/\
何方どちらいらつしやいます。』とくちきつた。
はらゆかふとおもつてます。』と自分じぶんがこれにおうじた。おもつてるどころか、今現いまげんきつゝあるのだ。けれどふ言ふのが温泉場をんせんばひと海水浴場かいすゐよくぢやうひと乃至ないし名所見物めいしよけんぶつにでも出掛でかけひと洒落しやれ口調くてうであるキザな言葉ことばたるをうしなはない。
はらとこです、はじめてゞすか。』
『一二つたことがあります。』
宿やど何方どちらです。』
中西屋なかにしやです。』
中西屋なかにしや結構けつかうです、近來きんらい※(二の字点、1-2-22)ます/\いやうです。さうだねきみ。』と兔角とかく言葉ことばすくない鈴木巡査すゞきじゆんさ贊成さんせいもとめた。
『さうです。實際じつさいうちいまばん繁盛はんじやうするでしよう。』と關羽くわんう鈴木巡査すゞきじゆんさこたへた。
 づこんなりふれた問答もんだふから、だん/\談話はなしはながさいて東京博覽會とうきようはくらんくわいうはさ眞鶴近海まなづるきんかい魚漁談ぎよれふだんとう退屈たいくつまぬかれ、やつとうらたつした。
『サアこれからくだりだ。』と齋藤巡査さいとうじゆんさ威勢ゐせいをつけた。
義母おつかさんこれからくだりですよ。』
『さう。』
隨分ずゐぶん亂暴らんばうだから用心ようじんせんとあたま打觸ぶつけますよ。』
『さうですか。』

 齋藤巡査さいとうじゆんさ眞鶴まなづる下車げしやしたので自分じぶん談敵だんてきうしなつたけれど、はら入口いりくちなる門川もんかはまでは、退屈たいくつするほど隔離かくりでもないのでこまらなかつた。
 れかゝつてあめ※(二の字点、1-2-22)ます/\つよくなつた。山々やま/\こと/″\くもうもれてわづかに其麓そのふもとあらはすばかり。我々われ/\門川もんかはりて、さら人力車くるまりかへ、はら溪谷けいこくむかつたときは、さながらくもふかおもひがあつた。





底本:「定本 国木田独歩全集 第四巻」学習研究社
   1971(昭和46)年2月10日初版発行
   1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
   1995(平成7)年7月3日増補版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年11月7日公開
2004年7月20日修正
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●表記について