一
余が
札幌に滞在したのは五日間である、僅に五日間ではあるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである。
我国本土の
中でも中国の如き、人口
稠密の地に成長して山をも野をも人間の力で
平げ尽したる光景を見慣れたる余にありては、東北の原野すら既に我自然に
帰依したるの情を動かしたるに、北海道を見るに及びて、
如何で心躍らざらん、札幌は北海道の東京でありながら、満目の光景は殆ど余を魔し去つたのである。
札幌を出発して単身
空知川の沿岸に向つたのは、九月二十五日の朝で、東京ならば猶ほ残暑の候でありながら、余が此時の
衣装は冬着の洋服なりしを思はゞ、此地の秋既に老いて
木枯しの冬の間近に迫つて居ることが知れるであらう。
目的は空知川の沿岸を調査しつゝある道庁の官吏に会つて土地の撰定を相談することである。然るに余は全く地理に暗いのである。
且つ道庁の官吏は果して沿岸
何れの辺に
屯して居るか、札幌の知人
何人も知らないのである、心細くも余は
空知太を指して汽車に
搭じた。
石狩の野は雲低く迷ひて車窓より眺むれば野にも山にも恐ろしき自然の力あふれ、此処に愛なく
情なく、見るとして荒涼、寂寞、冷厳にして且つ壮大なる光景は
恰も人間の無力と
儚さとを
冷笑ふが如くに見えた。
蒼白なる顔を外套の襟に埋めて車窓の一隅に黙然と坐して居る一青年を同室の人々は何と見たらう。人々の
話柄は作物である、山林である、土地である、此無限の富源より如何にして黄金を
握み出すべきかである、彼等の或者は
罎詰の酒を傾けて高論し、或者は煙草をくゆらして談笑して居る。そして彼等多くは車中で初めて遇つたのである。そして一青年は彼等の仲間に加はらずたゞ一人其孤独を守つて、独り其空想に沈んで居るのである。彼は如何にして社会に住むべきかといふことは全然其思考の問題としたことがない、彼はたゞ
何時も何時も如何にして此天地間に此生を托すべきかといふことをのみ思ひ悩んで居た。であるから彼には同車の人々を見ること
殆ど他界の者を見るが如く、彼と人々との間には越ゆ可からざる深谷の横はることを感ぜざるを得なかつたので、今しも汽車が同じ列車に人々及び彼を乗せて石狩の野を突過してゆくことは、
恰度彼の一生のそれと同じやうに思はれたのである。あゝ孤独よ! 彼は自ら求めて社会の外を歩みながらも、
中心実に孤独の感に堪えなかつた。
若し
夫れ天高く澄みて
秋晴拭ふが如き日であつたならば余が鬱屈も大に
くつろぎを得たらうけれど、雲は益々低く垂れ林は霧に包まれ
何処を見ても、光一閃だもないので余は殆ど堪ゆべからざる憂愁に沈んだのである。
汽車の
歌志内の炭山に分るゝ
某停車場に着くや、車中の大半は其処で乗換へたので残るは余の外に二人あるのみ。原始時代そのまゝで幾千年人の足跡をとゞめざる大森林を
穿つて列車は一直線に走るのである。灰色の霧の一団又一団、
忽ち現はれ忽ち消え、或は命あるものの如く黙々として浮動して居る。
「
何処までお出でゝすか。」と突然一人の男が余に声をかけた。年輩四十
幾干、骨格の
逞しい、頭髪の
長生た、四角な顔、鋭い眼、大なる鼻、一見一癖あるべき人物で、其風俗は官吏に非ず職人にあらず、百姓にあらず、商人にあらず、実に北海道にして始めて見るべき種類の者らしい、
則ち何れの未開地にも必ず先づ最も
跋扈する
山師らしい。
「
空知太まで行く積りです。」
「道庁の御用で?」彼は余を北海道庁の小役人と見たのである。
「イヤ僕は土地を撰定に出掛けるのです。」
「ハハア。空知太は何処等を御撰定か知らんが、
最早目星ところは無いやうですよ。」
「
如何でしやう空知太から空知川の沿岸に出られるでしやうか。」
「それは出られましやうとも、然し空知川の沿岸の何処等ですか其が判然しないと……」
「和歌山県の移民団体が居る処で、道庁の官吏が二人出張して居る、其処へ行くのですがね、兎も角も空知太まで行つて聞いて見る積りで居るのです。」
「さうですか、それでは空知太にお出になつたら三浦屋といふ
旅人宿へ上つて御覧なさい、其処の
主人がさういふことに
明う御座いますから聞て御覧なつたら
可うがす、どうも未だ道路が開けないので
一寸其処までの処でも大変大廻りを
為なければならんやうなことが有つて慣れないものには困ることが多うがすテ。」
それより彼は開墾の困難なことや、土地に由つて困難の非常に相違することや、交通不便の為めに折角の収穫も容易に市場に持出すことが出来ぬことや、小作人を使ふ方法などに就いて色々と話し出した、其等の事は余も札幌の諸友から聞いては居たが、彼の語るがまゝに受けて唯だ其好意を謝するのみであつた。
間もなく汽車は
蕭条たる一駅に着いて運転を止めたので余も下りると此列車より出た客は総体で二十人位に過ぎざるを見た、汽車は此処より引返すのである。
たゞ見る此一小駅は森林に囲まれて居る一の孤島である。停車場に附属する処の二三の家屋の
外人間に縁ある者は何も無い。長く響いた気笛が森林に反響して脈々として遠く消え
去せた時、
寂然として言ふ可からざる
静さに此孤島は還つた。
三輛の乗合馬車が待つて居る。人々は黙々としてこれに乗り移つた。余も先の同車の男と共に其一に乗つた。
北海道馬の
驢馬に等しきが二頭、逞ましき若者が一人、六人の客を乗せて
何処へともなく走り初めた、余は「何処へともなく」といふの心持が
為たのである。実に我が行先は
何処で、自から問ふて自から答へることが出来なかつたのである。
三輛の馬車は相隔つる一町ばかり、余の馬車は
殿に居たので前に進む馬車の一高一低、
凸凹多き道を走つて行く様が
能く見える。霧は林を
掠めて飛び、道を
横つて又た林に入り、
真紅に染つた木の葉は枝を離れて二片三片馬車を追ふて舞ふ。
御者は
一鞭強く加へて
「
最早降るぞ!」と叫けんだ。
「三浦屋の前で止めてお呉れ!」と先の男は叫けんで余を顧みた。余は目礼して其好意を謝した。車中
何人も一語を発しないで、皆な屈托な顔をして
物思に沈んで居る。御者は今一度強く鞭を加へて
喇叭を吹き
立たので
躯は小なれども
強力なる北海の健児は
大駈に駈けだした。
林がやゝ開けて殖民の小屋が一軒二軒と現れて来たかと思ふと、突然平野に出た。幅広き道路の両側に商家らしきが飛び/\に並んで居る様は新開地の市街たるを
欺かない。馬車は喇叭の音勇ましく此間を駈けた。
二
三浦屋に着くや早速主人を呼んで、空知川の沿岸にゆくべき方法を問ひ、詳しく目的を話して見た。処が主人は
寧ろ引返へして
歌志内に廻はり、歌志内より山越えした方が便利だらうといふ。
「次の汽車なら日の暮までには歌志内に着きますから今夜は歌志内で一泊なされて、明日能くお聞合せになつて其上でお出かけになつたが
可うがす。歌志内なら此処とは違つて道庁の
方も居ますから、其井田さんとかいふ方の今居る処も多分解るでせう。」
斯ういはれて見ると成程さうである。されども余は空知川の岸に沿ふて進まば、余が会はんとする道庁の官吏井田某の居所を知るに最も便ならんと信じて、空知太まで来たのである。
然るに空知太より空知川の岸をつたふことは案内者なくては出来ぬとのこと、而も其道らしき道の開け居るには在らずとの事を、三浦屋の主人より初めて聞いたのである。其処で余は主人の注意に従ひ、歌志内に廻はることに
定めて、次の汽車まで二時間以上を、三浦屋の二階で独りポツ
然と待つこととなつた。
見渡せば前は
平野である。
伐り残された大木が
彼処此処に
衝立つて居る。
風当りの強きゆゑか、何れも
丸裸体になつて、黄色に染つた葉の
僅少ばかりが枝にしがみ着いて居るばかり、それすら見て居る内にバラ/\と散つて居る。風の加はると共に雨が降つて来た。
遠方は雨雲に閉されて能くも見え分かず、
最近に立つて居る
柏の高さ三丈ばかりなるが、其太い葉を雨に打たれ風に揺られて、けうとき
音を立てゝ居る。道を通る者は一人もない。
かゝる時、かゝる場所に、一人の知人なく、一人の話相手なく、
旅人宿の窓に倚つて降りしきる秋の雨を眺めることは決して楽しいものでない。余は
端なく東京の父母や弟や親しき友を想ひ起して、今更の如く、今日まで我を囲みし人情の如何に温かであつたかを感じたのである。
男子志を立て理想を追ふて、今や森林の中に自由の天地を求めんと願ふ時、決して
女々しくてはならぬと我とわが心を
引立るやうにしたが、要するに理想は冷やかにして人情は温かく、自然は冷厳にして親しみ難く
人寰は懐かしくして巣を作るに適して居る。
余は悶々として二時間を過した。
其中には雨は
小止になつたと思ふと、喇叭の
音が遠くに響く。首を出して見ると斜に糸の如く降る雨を突いて一輛の馬車が馳せて来る。余は此馬車に乗込んで再び先の停車場へと、三浦屋を立つた。
汽車の乗客は
数ふるばかり。余の入つた室は余一人であつた。人独り居るは好ましきことに非ず、余は他の室に乗換へんかとも思つたが、思い止まつて雨と霧との為めに薄暗くなつて居る室の片隅に身を寄せて、暮近くなつた空の雲の
去来や輪をなして回転し去る林の立木を茫然と眺めて居た。
斯る時、人は往々無念無想の
裡に入るものである。利害の念もなければ
越方行末の
想もなく、恩愛の情もなく憎悪の悩もなく、失望もなく希望もなく、たゞ空然として眼を開き耳を開いて居る。旅をして身心共に疲れ果てゝ猶ほ其身は車上に揺られ、縁もゆかりもない地方を行く時は往々にして
此の如き心境に陥るものである。かゝる時、はからず目に入つた光景は深く脳底に
彫り込まれて多年これを忘れないものである。余が今しも車窓より眺むる処の雲の
去来や、
樺の林や
恰度それであつた。
汽車の歌志内の渓谷に着いた時は、雨全く止みて日は
将に暮れんとする時で、余は宿るべき家の
あてもなく停車場を出ると、
流石に幾千の鉱夫を養ひ、幾百の人家の狭き
渓に
簇集して居る場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けて居た。其一人に導かれ
礫多く
燈暗き町を歩みて二階建の
旅人宿に入り、妻女の田舎なまりを其儘、愛嬌も心かららしく迎へられた時は、余も思はず微笑したのである。
夜食を済すと、呼ばずして主人は余の
室に来てくれたので、
直に目的を語り彼より出来るだけの方便を求めた、主人は余の語る処を
にこついて聞いて居たが
「
一寸お待ち下さい、少し心当りがありますから。」と言ひ捨てゝ室を去つた。
暫時くして
立還り
「だから縁といふは奇態なものです。
貴所最早御安心なさい、すつかり
分明ました。」と我身のことの如く喜んで座に着いた。
「わかりましたか。」
「わかりましたとも、大わかり。四日前から私の家にお泊りのお客様があります。この方は御料地の係の
方で
先達から山林を
見分してお廻はりになつたのですが、ソラ野宿の方が多がしよう、だから到当身体を
傷して今手前共で保養して居らつしやるのです。篠原さんといふ方ですがね。何でも宅へ見える前の日は空知川の方に居らつしやつたといふこと聞きましたから、若しやと思つて唯今伺つて見ました処が、解りました。ウン道庁の出張員なら山を越すと直ぐ下の小屋に居たと仰しやるのです、御安心なさい此処から一里位なもので訳は有りません、朝行けばお昼前には帰つて来られますサ。」
「どうも色々
難有う、それで安心しました。然し今も其小屋に居て呉れゝば可いが。始終居所が変るので其れで道庁でも知れなかつたのだから。」
「大丈夫居ますよ、
若し変つて居たら
先に居た小屋の者に聞けば
可うがす、遠くに移るわけは有りません。」
「兎も角も
明日朝早く出掛けますから案内を一人頼んで呉れませんか。」
「さうですな、山道で
岐路が多いから矢張り案内が
入るでしやう、宅の
倅を連れて
行つしやい。十四の小僧ですが、
空知太までなら存じて居ます。案内位出来ませうよ。」と飽くまで親切に言つて呉れるので、余は実に謝する処を知らなかつた。成程縁は奇態なものである、余にして若し他の宿屋に泊つたなら決してこれ程の便宜と親切とは得ることが出来なかつたらう。
主人は何処までも快活な男で、放胆で、而も眼中人なきの様子がある。彼の親切、見ず知らずの余にまで惜気もなく投げ出す親切は、彼の人物の自然であるらしい。世界を
家となし到る処に其故郷を見出す程の人は、到る処の山川、接する処の人が
則ち朋友である。であるから人の困厄を見れぱ、其人が
何人であらうと、
憎悪するの
因縁さへ無くば、則ち同情を表する十年の交友と一般なのである。余は主人の口より其略伝を聞くに及んで彼の人物の余の推測に近きを知つた。
彼は其生れ故郷に於て相当の財産を持つて居た処が、彼の弟二人は彼の相続したる財産を羨むこと甚だしく、遂には骨肉の
争まで起る程に及んだ。然るに彼の父なる七十の老翁も亦た
少弟二人を愛して、ややもすれば兄に迫つて其財産を分配せしめやうとする。若しこれ三等分すれば、三人とも一家を立つることが出来ないのである。
「だから私は考へたのです、これつばかしの物を兄弟して争ふなんて余り量見が小さい。宜しいお前達に
与つて了う。たゞ五分の一だけ呉れろ、
乃公は其を
以て北海道に飛ぶからつて。其処で小僧が
九の時でした、親子三人でポイと
此方へやつて来たのです。イヤ人間といふものは何処にでも住まば住まれるものですよハッハッハッ」と笑つて「処が妙でせう、弟の奴等、今では私が
分配てやつた物を大概無くしてしまつて、それで居て矢張り小ぽけな村を此上もない土地のやうに思つて私が何度も北海道へ来て見ろと手紙ですゝめても出て
来得ないんでサ。」
余は此男の為す処を見、其語る処を聞いて、大に得る処があつたのである。よしや此一小旅店の主人は、余が思ふ所の人物と同一でないにせよ、よしや余が思ふ所の人物は、此主人より推して更らに余自身の空想を加へて以て化成したる者にせよ、彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる処あり、海をも山をも原野をも
将た市街をも、我物顔に横行濶歩して少しも屈托せず、天涯地角到る処に花の
香しきを嗅ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからく此の如くして男といふべきではあるまいか。
斯く感ずると共に余の胸は
大に開けて、札幌を出でてより歌志内に着くまで、雲と共に結ぼれ、雨と共にしほれて居た心は
端なくも天の一方深碧にして窮りなきを望んだやうな気がして来た。
夜の十時頃散歩に出て見ると、雲の
流急にして
絶間々々には星が見える。暗い町を
辿つて人家を離れると、渓を隔てゝ屏風の如く黒く前面に
横はる
杣山の上に月現はれ、山を
掠めて飛ぶ浮雲は折り/\其前面を拭ふて居る。空気は重く湿めり、空には風あれども地は粛然として声なく、たゞ渓流の音のかすかに聞ゆるばかり。余は一方は山、一方は崖の爪先上りの道を進みて小高き広場に出たかと思ふと、突然耳に入つたものは絃歌の
騒である。
見れば山に沿ふて
長屋建の一棟あり、これに対して又一棟あり。絃歌は此長屋より起るのであつた。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、其障子には火影
花かに映り、三絃の乱れて狂ふ調子放歌の激して叫ぶ声、笑ふ声は雑然として起つて居るのである、牛部屋に等しき此長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
流れて遊女となり、流れて鉱夫となり、買ふものも売るものも、我世夢ぞと狂歌乱舞するのである。余は進んで此
長屋小路に入つた。
雨上の路は
ぬかるみ、
水溜には
火影うつる。家は離れて見しよりも更に哀れな建てざまにて、新開地だけにたゞ軒先障子などの白木の夜目にも
生々しく見ゆるばかり、
床低く屋根低く、立てし障子は地より
直に軒に至るかと思はれ、既に
歪みて隙間よりは
鉤ランプの笠など見ゆ。
肌脱の荒くれ男の影鬼の如く映れるあり、乱髪の酌婦の頭の夜叉の如く映るかと思へば、床も落つると思はるゝ音が為て、ドツとばかり笑声の起る家もあり。「飲めよ」、「歌へよ」、「殺すぞ」、「
撲るぞ」、哄笑、激語、悪罵、歓呼、叱咤、
艶ある
小節の歌の文句の腸を断つばかりなる、三絃の調子の
嗚咽が如き忽ちにして暴風、忽ちにして
春雨、見来れば、歓楽の中に殺気をこめ、殺気の中に血涙をふくむ、泣くは笑ふのか、笑ふのは泣くのか、
怒は歌か、歌は怒か、
嗚呼儚き人生の流よ! 数年前までは熊眠り狼住みし此渓間に流れ落ちて、こゝに
澱み、こゝに激し、こゝに沈み、月影冷やかにこれを照して居る。
余は通り過ぎて振り
顧り、暫し
停立んで居ると、突然間近なる一軒の障子が
開いて一人の男がつと現はれた。
「や、月が出た!」と振上げた顔を見れば年頃二十六七、背高く肩広く屈強の若者である。きよろ/\
四辺を見廻して居たが
吻と
酒気を吐き、舌打して再び内によろめき込んだ。
三
宿の子のまめ/\しきが先に立ちて、明くれば九月二十六日朝の九時、
愈々空知川の岸へと出発した。
陰晴
定めなき天気、薄き日影洩るゝかと思へば忽ち峰より林より霧起りて峰をも林をも路をも包んでしまう。山路は思ひしより楽にて、余は宿の子と様々の物語しつゝ身も心も軽く
歩ゆんだ。
林は全く
黄葉み、
蔦紅葉は、
真紅に染り、霧起る時は
霞を
隔て花を見るが如く、日光直射する時は露を帯びたる葉毎に幾千万の真珠碧玉を連らねて全山
燃るかと思はれた。宿の子は空知川沿岸に於ける熊の話を
為し、続いて彼が子供心に聞き集めたる熊物語の幾種かを熱心に語つた。坂を下りて熊笹の
繁る所に来ると彼は一寸立どまり
「聞えるだらう、川の音が」と耳を傾けた、「ソラ……聞えるだらう、あれが空知川、もう直ぐ其処だ。」
「見えさうなものだな。」
「如何して見えるものか、森の中に流れて居るのだ。」
二人は、頭を没する熊笹の間を僅に通う帯ほどの
径を暫く
行と、一人の老人の百姓らしきに出遇つたので、余は道庁の出張員が居る小屋を訊ねた。
「此径を三丁ばかり行くと幅の広い新開の道路に出る、其右側の最初の小屋に居なさるだ。」と言い捨てゝ老人は
去つて了つた。
歌志内を
出発てから此処までの間に人に出遇つたのは此老人ばかりで、途中又小屋らしき物を見なかつたのである、余は此老人を見て空知川の沿岸の既に
多少かの開墾者の
入込んで居ることを事実の上に知つた。
熊笹の
径を通りぬけると果して、思ひがけない大道が深林を
穿つて一直線に作られてある。其幅は五間以上もあらうか。然も両側に
密茂して居る林は、二丈を越へ三丈に達する大木が多いので、此幅広き大道も、堀割を通ずる鉄道線路のやうであつた。然し余は此道路を見て拓殖に熱心なる道庁の計営の、如何に困難多きかを知つたのである。
見れば此道路の最初の右側に、内地では見ることの出来ない異様なる
掘立小屋[#「掘立小屋」は底本では「堀立小屋」]がある。小屋の左右及び
後背は林を倒して、二三段歩の平地が開かれて居る。余は首尾よく此小屋で道庁の属官、井田某及び他の一人に会ふことが出来た。
殖民課長の丁寧なる紹介は、彼等をして十分に親切に余が相談相手とならしめたのである。更に驚くべきは、彼等が余の名を聞いて、早く既に余を知つて居たことで、余の蕪雑なる文章も、何時しか北海道の思ひもかけぬ地に其読者を得て居たことであつた。
二人は余の目的を聞き終りて後、空知川沿岸の地図を
披き其経験多き鑑識を以て、
彼処比処と、移民者の為めに区劃せる一区一万五千坪の地の中から六ヶ所ほど撰定して呉れた。
事務は終り雑談に移つた。
小屋は三間に四間を出でず、屋根も
周囲の壁も大木の皮を幅広く
剥ぎて組合したもので、板を用ゐしは床のみ、床には
莚を敷き、出入の口はこれ又樹皮を組みて戸となしたるが一枚
被はれてあるばかりこれ開墾者の巣なり家なり、いな城廓なり。一隅に長方形の大きな炉が切つて、これを火鉢に
竈に、煙草盆に、冬ならば煖炉に使用するのである。
「冬になつたら堪らんでしやうねこんな小屋に居ては。」
「だつて開墾者は
皆なこんな小屋に住んで居るのですよ。どうです辛棒が出来ますか。」と井田は笑ひながら言つた。
「覚悟は
為て居ますが、イザとなつたら随分困るでしやう。」
「然し思つた程でもないものです。若し冬になつて
如何しても辛棒が出来さうもなかつたら、
貴所方のことだから札幌へ逃げて来れば可いですよ。どうせ
冬籠は何処でしても同じことだから。」
「ハッハッハッヽヽヽ
其なら初めから小作人
任にして御自分は札幌に居る方が
可からう。」と他の属官が言つた。
「さうですとも、さうですとも冬になつて札幌に逃げて行くほどなら
寧そ初めから東京に居て開墾した方が可いんです。何に僕は辛棒しますよ。」と余は覚悟を見せた。井田は
「さうですな、先づ雪でも降つて来たら、
此炉にドン/\
焼火をするんですな、
薪木ならお手のものだから。それで貴所方だからウンと
書籍を
仕込で置いて勉強なさるんですな。」
「雪が解ける時分には大学者になつて現はれるといふ趣向ですか。」と余は思わず笑つた。
談して居ると、突然パラ/\と音がして来たので余は外に出て見ると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂たる深林を越えて
時雨が過ぎゆくのであつた。
余は宿の子を残して、一人
此辺を散歩すべく小屋を出た。
げに怪しき道路よ。これ千年の深林を
滅し、人力を以て自然に
打克んが為めに、殊更に
無人の
境を撰んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林これを覆ふのみにて、一個の
人影すらなく、
一縷の軽煙すら起らず、一の人語すら聞えず、
寂々寥々として横はつて居る。
余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だ
曾て、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる
私語である。深林の底に居て、此
音を聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の
虚喝である。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天の、何の声もなく唯だ黙して下界を
視下す時、
曾て人跡を許さゞりし深林の奥深き処、一片の木の葉の朽ちて風なきに落つる時、自然は
欠伸して曰く「あゝ
我一日も暮れんとす」と、而して人間の一千年は此刹那に飛びゆくのである。
余は両側の林を覗きつゝ行くと、左側で林のやゝ薄くなつて居る処を見出した。下草を分けて進み、ふと顧みると、此身は何時しか深林の底に居たのである。とある大木の朽ちて倒れたるに腰をかけた。
林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ/\と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んで
森として林は静まりかへつた。
余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。
社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ「生存」
其者の、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く「人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり」と。
死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、此の如きの威迫を受けないものは誰も無からう。余我を忘れて恐ろしき空想に沈んで居ると、
「旦那! 旦那!」と呼ぶ声が森の外でした。急いで出て見ると宿の子が立つて居る。
「
最早御用が済ん
で帰りましやう」
其処で二人は一先づ小屋に帰ると、井田は、
「どうです今夜は試験のために一晩此処に泊つて御覧になつては。」
余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到つた。たとひ一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚ほ空知川の沿岸を思ふと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるやうに感ずるのである。
何故だらう。
(明治三十五年十一月―十二月)