正直者

国木田独歩




 たところ成程なるほどわたくし正直しやうぢき人物じんぶつらしくおもはれるでせう。たゞ正直しやうぢきなばかりでなく、人並ひとなみちがつた偏物へんぶつらしくもえるでせう。
 けれどもわたくしけつして正直しやうぢきものではないのです。なまじ正直者しやうぢきものひとからおもはれたばかりに容易よういならぬつみ今日こんにちまでげて生涯しやうがいなかばおくつてたのであります。
 かゞみむかへばわたくしにも私自身わたくしじしん容貌ようばうわかります。わたくしかほにはかどといふものがありません。えたいろがありません。眉毛まゆげく、頬鬚ほゝひげおほく、はなまるく、くちびるあつく、そして何處どこかにけたところがあります。わらへばまなじりふかしわるのです。それが――あさましいことには――れぬ愛嬌あいけうになつてます。それにわたくし隨分ずゐぶんおほきなはうですから、何時いつ着物きものゆきたりないのをふと武骨ぶこつるので一見いつけん素朴そぼくらしくもられるのであります。身體からだちさひとはチヨコマカとさいはじけて、身體からだ重味おもみのないばかりかこゝろ重味おもみまでがいやうにひとからとられるものですが、身體からだふとをとこは、馬鹿ばかでも惡黨あくたうでも横着者わうちやくものでもひとからおもおもはれるのが普通ふつうで、わたくし其例そのれいにはもれなかつたのであります。
 口數くちかずおほければだしも、わたくし口無調法くちぶてうはふでした、けれども滔々たう/\饒舌しやべれないかといふに左樣さうでもないのです。ときよつては隨分ずゐぶん人並ひとなみ辯舌べんぜつふるふのであります。唯々たゞ、(これが天稟うまれつきでせう、)大概たいがい場合ばあひ他人ひとふことのみいて、れいまなじりしわせるばかり、それで他人ひとふことはなにもかもわかり、推測すゐそくもする、邪推じやすゐもする、裏表うらおもてつてるのであります。
 わたくしのやうなをとこ世間せけん隨分ずゐぶん見受みうけますが、其身そのみかれた境遇きやうぐうたとへばむかしでいふ士農工商しのうこうしやう境遇きやうぐうて、それ/″\面白おもしろ芝居しばゐつてます。たゞ此種このしゆひとは、(わたくし其一人そのひとり、)滅多めつた其境遇そのきやうぐうからそとにはないものであります、そのないところにかれ重味おもみいて、その芝居しばゐ愈々いよ/\うまあたるのであります。
 ところでわたくし境遇きやうぐうひくいのと、それからわたくしにはある特別とくべつ天性うまれつきがあるのとで、わたくしえんじて芝居しばゐまこと淺間あさましい、みにくいものとなつたのであります。ある特別とくべつ天性うまれつきといふのは、いまこゝではないでも、あと段々だん/\わかつてるでせう。
 しかし誤解ごかいをふせぐめに一ごんします、わたくしけつしてなかのことこと/″\芝居しばゐおなじだといふせつもつるのではありません。たゞまへきましたごとき、私共わたくしどものやうな性質せいしつもつ連中れんぢゆうは、何處どこかにつめたいところがあつて、せまつて事柄ことがらをも、しづかに傍觀ばうくわんすることが出來できるのです、それですから眞面目まじめな、誠實せいじつかほをしながら、しかたくんで物事ものごと處置しよちすることが出來できます。すでたくんで處置しよちするといへば、其處そこ芝居しばゐらしいおもむきがあるではありませんか。
 さて、これからわたくしうへばなしを一ツ二ツおはなしいたします。
 わたくしちゝふる英學者えいがくしや永年ながねん中學校ちゆうがくかう教師けうしつとめてましたが、同窓どうさうともともいふべき人々ひと/″\みなまな新智識しんちしき利用りようして社會しやくわい樞要すうえう地位ちゐしめましたけれど、わたくしちゝのみは最初さいしよ語學ごがく教師けうしとなつたぎり、つひ其職以外そのしよくいぐわい何事なにごとをもず、わたくしの十二のはるまで一教師けうしとして此世このよおくり、變則英語へんそくえいご專賣者せんばいしやになつて生涯しやうがいをへました。
 ちゝともわたくしまつたくの孤兒みなしごとなりました、といふものははゝかほわたくしすこしりません。ちゝわたくしはゝくなつてのちは、始終しゞゆうめかけ同樣どうやうなものをいたばかりで、それも七にんにんではなく、わたくし記憶きおくのこつてるばかりでも四にんばかりあり、つひまこと家庭かていらしいものはつくらなかつたのです。
 何故なぜちゝは、さる不倫ふりんなことをしてたかといふ理由りいうりません、けれどもちゝなるわたくし性質せいしつから推測すゐそくしますると、ちゝ肉慾にくよく滿足まんぞくるばかりをんなくことをつて、家庭かていなどのことには全然まるでこゝろうごかさなかつたのだらうとおもはれます。
 わたくしつてる三四にんめかけいてもちゝ情愛じやうあいもつてこれをぐうした樣子やうすすこしもありませんでしたわたくしすこしばかりさけみますがちゝけつして酒杯さかづきにしたことなく、わたくしよりもさら無口むくちで、うちてもたゞ茫然ぼんやり火鉢ひばちむかつて煙草たばこふかしてるか、それでなくばつくゑむかつて英書えいしよひもといてるかで家中うちつね寂寞ひつそりとしてました。
 それですから女中兼帶ぢよちゆうけんたいめかけてもはじめうちちゝわたくし對手あひて饒舌しやべりますが、一月ひとつき二月ふたつきうち何時いつしかこれも無言むごんげふるやうになつてしまふのです。
 冷寒つめた空氣くうき暗鬱あんうつかげとがつね立罩たちこめてなかに、わたくしちゝおなじやうな性質せいしつで、べつかなしいとも辛苦つらいともおもはず生育おひたちました。それですからわたくしちゝまへからすで孤兒同然みなしごどうぜんであつたのであります。
 あにもなくおとゝもなく、たよりにすべき親戚しんせきもなく、十二さい少年せうねんちゝともちゝともなる某中學校なにがしちゆうがくかう國語こくご教師けうしうち引取ひきとられました。教師けうしせい加藤かとう其加藤そのかとう言葉ことばればわたくし引取ひきとつたのはちゝ生前せいぜん依頼いらいであつたさうです。
 加藤かとうわたくし親切しんせつにしてれたか如何どうだかといふことはべつふほどのこともありません。普通ふつう學僕がくぼく同樣どうやうなことをながら英語えいご夜學校やがくかうかよひ、國語こくごはう直接ちよくせつ加藤かとうからすこしづゝまなんでましたが、孤獨こどくにはれてますからわたくし心持こゝろもちでは加藤かとう待遇たいぐうつい格別かくべつかんじをもちませんでした。
『おまへ父上おとつさん至極しごく好人物かうじんぶつであつたが、をしいことに活動くわつどうといふものをないで退居ひつこんでばかりなすツたから、折角せつかく利器りきいだきながらおいちてしまはれた。おまへひとツウンとなかしておほい活動くわつどうしなければかん、學問がくもん如何いくらあつても活動くわつどうといふことがければいまもちゐられんじや。』加藤かとう其細そのほそひからして自分じぶんむか此言葉このことばきかしたことは幾度いくどであるかれません。
 なるほど左樣さうだ、加藤かとう叔父をぢさんのはれるとほりだとわたくしおもはぬではないが、天稟うまれつきあらそはれぬもので、重苦おもくるしい性質せいしつ言葉ことば彈力だんりよくや、理想りさう槓杆こうかんでは容易よういうごきませんでした。所謂いはゆる、なるがまゝにうつつてゆく其境遇そのきやうぐうしよして其日々々そのひ/\じつくりくらす、それがわたくし運命うんめいであつたのです。
 十九のあき加藤かとうんでとこき、二十日ばかりでつひ此世このよりました。六十七さいですからもつ長命ちやうめいはうでせう。すこまへわたくし枕許まくらもとよんで、ういひました。――
『おまへ父上おとつさんからわたし受取うけとつたかねは四百ゑんたらずであつた、家財かざい書籍しよじやくつて二百ゑんばかり、都合つがふ六百ゑんに三十ゑん不足ふそくするかねわたしがおまへいつしよにあづかつたのじや。父上おとつさんたのみ此金このかね食料しよくれうに、かねつゞあひだまへ世話せわしてれとのことであつた、それでおまへの十二のときから今年ことしまでザツと八ねんあひだで、あづかつたかね大概たいがいくなつてしまつたがだ百ゑんばかりのこつて勘定かんぢやうになる、それをいままへ此處こゝでおかへしするから、おまへわたししんあと、このかねもつ獨立どくりつしてるがからうとわたしおもふのぢや。』
 加藤かとうふことはわたくしみこめました。要之つまり加藤かとうしんあとわたくしは百ゑんかねもつて、加藤かとううちてゆき、如何どうにもして獨立ひとりだちでなかわたつてくことになつたのであります。それでも加藤かとうわたくしに百ゑんかねわたすといふのがいまからおもふと不思議ふしぎで、じついふとあのとき加藤かとうから一もんなしで立退たちのきをめいぜられてもわたくし文句もんくなしに其言葉そのことばしたがひ、文句もんくのないばかりか、當然たうぜんのことゝかんがへて立退たちのいたのであらうとおもはれます。ですから百ゑん受取うけとつたときは、眞實しんじつわたしはうれしうおもひました。加藤かとうしんでから一週間しうかんつて、わたくしみなれたうちを、べつたいしてかなしいともおもはず、てゆきました。
 落着おちつさき麹町區かうぢまちく某小學校なにがしせうがくかう近所きんじよにある下宿屋げしゆくや一室ひとまです。わたくし加藤かとう生前せいぜん世話せわ小學校せうがくかう英語えいご教師けうしになりましたので、月給げつきふは十ゑん下宿料げしゆくれうが七ゑんですから差當さしあたふにはこまりませんでした。
 其頃そのころわたくしいまよりも丸顏まるがほの、可愛かあいかほつきをしてましたうへに、言葉ことばすくない、それで愛嬌あいけうもある少年せうねんでしたから、校長かうちやうはじ同僚どうれうからも可愛かあいがられ、下宿屋げしゆくやのおかみさんからも「澤村さはむらさん/\」とちやほやされました。大概たいがいのものはうなると一寸ちよつと得意とくいになるものです。ましてとしからいふと生意氣盛なまいきざかりですから、つひはないでもにくまれぐちをたゝいたり、おこらんでもいことにかほあかくしてこゑたかめてたり、かりそめにも先生せんせいはなさきにぶらさげるものですが、わたくしかぎつてそれがありません。何時いつおなじやうなかほをして下宿げしゆくて、おなじやうなふうかへつてる、はかまぐとたゝんしまふ、たところ實體じつてい感心かんしん青年わかものであつたにちがひありません。
 下宿屋げしゆくやのかみさんといふのはそのころ四十四五でしたらう、年頃としごろむすめと十四になるをとこと三人暮にんぐらし後家ごけ内職ないしよくで、間數まかずわづかに四、それも立派りつぱ部屋へや一間ひとまもないのです。むすめはおかみさんに細面ほそおもての、いろ蒼白あをじろい、病身びやうしんらしいでしたが、黒眼勝くろめがちのはつきりとしたのが、此子このこ特長とりえとでもいひませうか、其眼そのめじつひとかほて、しばらくしてかすかにほゝゑむのが此娘このこくせでした。はおしんですから、わたくしどもはしんちやんとんでたのです。
 おかみさんは輕薄けいはく御世辭おせじひませんが、下宿人げしゆくにんたれにも親切しんせつであつたやうです。わけてもわたくし可愛かあいがつてくれて二月ふたつき三月みつきうちには親子おやこかとおもはれるまでにしてくれました。けれどわたくしなさけないことに、親子おやこじやうといふものをしらない人間にんげんですから、うれしいとはおもひましたが、たいして感動かんどうもしなかつたのです。
 ひとこゝろほど奇態きたいなものはありません。それほどの親切しんせつたいしてわたくし感動かんどうもせず、はじめて下宿げしゆくときすこしかはらぬ態度たいどたもつてましたので、おかみさんのこゝろ益々ます/\うごき、愈々いよ/\わたくし感心かんしんして、わたくしをばまたとない正直しやうぢきな、温順をんじゆん謙遜けんそん青年わかものだと全然すつかり信仰しんかうしてしまつたのです。
 むすめのおしんもおなじことで、はゝのやうにくちこそあましてひませんが、わたくし信仰しんかうする熱度ねつどはゝすこしかはらぬことが其擧動そのそぶりわたくしにはわかつてました。
 いまからおもひますと、眞實ほんたう正直しやうぢきな、温順をんじゆんな、謙遜けんそんひとといふは無論むろん此私このわたくしではなく、此娘このむすめでありました。わたくしはおしんをば完全無缺くわんぜんむけつ人間にんげんとはおもひませんが、すくなくともをんなとしてくらゐなのはあまるゐがないといまではしんじてるのであります。ひとつは健康けんかうのすぐれないためでもありませうが、おしんの起居振舞たちゐふるまひから言葉ことばから、こゝろばせまでが如何いかにもおだやかで、おつとりとしたうち情深なさけぶかいやうなところがありました。
 としふたちがひで、同年輩どうねんぱいですが、わたくしとしよりもふけてえるはう、おしんは小供こどもらしいところがあつて、ふたツもわかおもはれるはうでしたから、おしんのわたくしたいする心持こゝろもちはゝおなじながら、そのうちに何處どこあまへるやうなふうもあつたのであります。
 わたくし一人ひとり部屋へやすつこんるとあそびにまゐりまして色々いろ/\はなしをしてことによるとふかすこともありましたが、そんなこんなのれいまうせば或晩あるばんのことです、
『あなたの親父とうさまはどんなかたございました、』とおしんがきましたから、
『どんなひとツてべつひやうもないが、大變たいへん煙草たばこきでした。』
『きつとかたでしたらうねえ。』
何故どうして?』
『だツて貴樣あなた親父とうさまですもの。』
 また或時あるときのことです、おしんはわたくし謝絶ことわるのを無理むりわたくし衣服きものたゝみながら
貴樣あなたひとからはなしかけないと、めつたにおくちをきゝませんねえ。』
『さうですか、自分じぶんではそんなつもりもないのだが。』
『でもはゝもさうまうしてますよ。』
『さうですか、それではこれからをつけませう。』
『あら、別段べつだんわるいとまうしたのではございませんわ。』
『イヽヱ、そんなことはくないことです。わたくしちゝなど始終しゞゆうだまつてて、ろくわたしにもくちをきかないでしんしまひました。』
『でも必定きつとこゝろやさしかたでしたらうよ。なんでもうち父上とうさまのやうであつたらうツて、はゝまうしてました。』
『あなたの父上とうさまはどんなかたです。』
口數くちかずはきゝませんが、何時いつでもにこ/\してはゝでもわたくしでもめつたにしかるなんぞいふことはございませんでした。』
わたくしちゝはにこ/\したことはございません。』
『まア、それでは可恐こはかたでしたの。』
べつ可恐こはくもありません、たゞだまつてるばかりで小言こゞとひませんから。』
母上おつかさんは如何どうでした――さう/\貴樣あなた母上おつかさんは御存ごぞんじないのですねえ、』とつておしんはしばらくだまつてましたが、なんかんがへたか、
貴樣あなたうちはゝ如何どうおもつてゐらつしやいます?』ときました。
やさしいかたおもつてます。眞實ほんとはゝのやうにおもひます。』
『あら、うれしいこと、はゝいたら如何どんなによろこびませう。』
 ういふふうでしたが、おしんは矢張やはり年頃としごろむすめです、はゝおな親切しんせつこゝろばかりではすみません、月日つきひつとともに、親切以上しんせついじやうこゝろわたくしちかづくのがわたくしにもわかるやうになりました。母親はゝおやこゝろづいてたにはちがひないですが、如何どういふものか、それをすこしにしないばかりか、むすめいつしよになつて益々ます/\わたくし可愛かあいがつてくれました。さてそれならわたくしはおしんを如何どうおもひましたかとふと、おしんのじやうの十ぶんの一もわたくしにはありませんでした、そんならわたくしはおしんをひやゝかにあつかつたかとふとさうではありません、おしんのおもふまゝおもはせ、するがまゝにさせてきました。
 そして結果けつくわ如何どうでせう!、わすれもしません二ぐわつ十五にちのことです。の十二ぎでした。下宿人げしゆくにん勿論もちろんはゝをとこしまつていへうちはシンとしてましたが、そとはドン/\ゆきりそれにかぜ雨戸あまどをうつゆきおとサラ/\ときこえてました。おしんは九ごろからわたくし部屋へやてゐたのですが、十二つて何分なんぷんちまして部屋へやてゆくとき
『ようございますか、必定きつと二三にちうち母上おつかさんつて頂戴ちやうだいよ、母上おつかさんふた返事へんじ承知しようちしますから、ね、必定きつとつて頂戴ちやうだいよ、』と繰返くりかへしてひました。そのときのおしんのかほいまでもわすれません。
 このばんからわたくしとおしんは母親はゝおやをもしのなかとなりまして、おしんはのぞみたつしたといふ滿足まんぞく樣子やうすほかに、ふか決心けつしんと、かすかながらもれぬ恐怖おそれとで、小供こどものやうにわらときがあるかとおもへば、あをかほをして吐息といきをついてときもあり、そしてわたくし樣子やうす以前いぜんすこしかはらんのであります。たゞひそかにねがつて慾望よくばう、おしんの身體からだ自分じぶん身體からだちかづくごと愈々いよ/\つのる慾望よくばうのちには機會をりがあつたらとまで熱中ねつちゆうして慾望よくばうたつせられたのでおほきに滿足まんぞくしましたが、こゝろ平穩へいをんなることは以前いぜんとほりで自然しぜんかはつた樣子やうすかほにも擧動きよどうにもあらはれなかつたのであります。
 おしんはたましひわたくしにゆだねてしまひました。わたくしあいわたくししんじてすこしもうたがはないのです。それですから、はや母親はゝおや打明うちあけて結婚けつこん申込まうしこんでくれろとひましても、わたくしがまア/\わたくしにまかしてけとまうせば、それでやすんじてたのです。
 わたくしまへに、自分じぶん特別とくべつ天性うまれつきがあるとまうしたのは肉慾にくよくのことです。わたくしのやうなものかたよらず。ひややかに、其傍そのかたはら素通すどほりしてゆくことの出來できをとこが、男女なんによよくとなると前後ぜんごかへりみることが出來できませんでした。それですからおしんのみさを一度ひとたびやぶりました以後いごは、おしんのこのこのまぬにかゝはらず、母親はゝおや同宿どうしゆくものもくらましるかぎり、此慾このよく滿みたしました。それをおしんはわたくし愛情あいじやう猛烈まうれつなためだとかいしてたのです。
 それでわたくし結婚けつこんつもりがないかといふに、さうでもないのです。いつそ結婚けつこんしてしまはうかとおもつたこともりましたが、どうもそれをおかみさんに打出うちだしていふ決心けつしんおこりませんでした。へばおかみさんはおほよろこびで承知しようちすることもつてはましたけれども、ぐづ/\で二月ふたつきばかりちました。
 ところが四ぐわつすゑのことです、其日そのひ日曜にちえうわたくし同僚どうれう一人ひとりから是非ぜひあそびにいとまねかれまして、宿やどかへつたのはの八ごろでした、部屋へやはひるとおしんが其處そこすわつてましたがわたくしかほるや突伏つゝぷししまつたので、流石さすがわたくしむねがドキリしました、いそいでそばわり、
如何どうしたの、え、如何どうしたの。』
 ればおしんはいてるのです。『え、如何どうしたといふに、しんちやんやコラしんちやん?』
『だつてね、母上おつかさんあんまりなことをふのですもの、』といひながらげたかほますと、なるほどなみだるけれどいてるのか、わらつてるのかわからないのです。これでわたくしすこしはむね落着おちつきましたから
なんつたの母上おつかさんが。』
なんとつてべつ判然はつきりしたことはひませんけれど、なんだか二人ふたりのことを母上おつかさん感付かんづいるらしいことよ。』
『それでなんとかつて。』
『おまへどうするかとだしぬけにきますから、どうするツてなにを、とひましたら、母上おつかさんにだけは明亮はつきりつておくれおまへ澤村さはむらさんと約束やくそくでもたのではないかとひますから、わたくしはたゞだまつてたのよ。さうすると母上おつかさんが、をんなといふものはみさを大事だいじだとかなんとか色々いろ/\なことをふのですよ。わたくしかなしくなつてきだしたの。さうするとね、母上おつかさんが、しおまへ澤村さはむらさんのつまになるならわたしけつしていなやはない、澤村さはむらさんならわたしつてるのだからおまへ決心けつしんさへちやんと打明うちあけてれゝばわたしから今夜こんやにでも澤村さはむらさんと相談さうだんするが如何どうかとまうしますのよ。わたくしもそんならさうして頂戴ちやうだいいはうかとおもつたけれど、しね、だしぬけに母上おつかさんが貴樣あなたにそんなことをひだしたら、貴樣あなたかんがへがあつてそれとぶつかるといけないとおもひましたから、なんつていかわからなくなつたからだまつてました、さうすると母上おつかさんがだまつてしまひましたから、わたくしかなしくなつてないましたのよ。けれどもね、なんとかはないとわるいとおもひましたから、それじやア母上おつかさん何卒どう貴女あなたから澤村さはむらさんにいてくださいとたのみましたの。けれども其前そのまへわたくしから一寸ちよつと澤村さはむらさんにうてますから其後そのあとにしてくださいとひましたのよ。それじやアまアおまへいやうになさいと母上おつかさんはなんだか機嫌きげんわるいのよ。だからわたしぐお部屋へや先刻さつきからまつましたの。』
 はれてわたくしはすつかり當惑たうわくしてしまつたのです。これが當前あたりまへかたなら、「ウンよろしい、それならわたくしから母上おつかさんに相談さうだんしやう」と決心けつしんするところですけれど、わたくしには其決心そのけつしんないのです。わたくし性質せいしつとして、かういふ場合ばあひねつすることが出來できないのです。
『それはこまつた、』とくちいてるかといふに、さうでもないのです。
『それでは母上おつかさんがいまなんとか相談さうだんるでせう、其時そのときよく相談さうだんすればい、』としづかにつて火鉢ひばちにもたれてなみだあとをハンケチでいてるおしんのせなかでました。するとれい慾情よくじやうえあがりましたから我知われしらずおしんに摩寄すりよりました。なん淺間あさましい人間にんげんではありませんか。
 そのトタンにすツと障子しやうじけてはひつてたのが母上おつかさんです(其頃そのころわたくしはおかみさんとばず母上おつかさんといつました下宿人げしゆくにん一人ひとり二人ふたりもさうよんたのです)
 おしんのとき母上おつかさんのることはこの二三ヶげつほとんいことですからわたくし喫驚びつくりしておしんのそば飛退とびのきました。おしんはつてそとてゆきました。そのあとに母上おつかさんはすわりましたから、わたくしそのむかふわり、二人ふたりなかには[#「仲には」はママ]ちひさな長火鉢ながひばちがあるのです。
わたしすこ御相談ごさうだんがあるのですが、』と先方むかふりだしました、そしてつとめてはなし眞面目まじめにしやうとする樣子やうすですが、やはりにくいとえてわらひふくんでるのです。
『ハア、』とつたきりわたくしなんとも言葉ことばません。
大概たいがいさつしでもございませうが。それで貴樣あなたのお心持こゝろもち如何どうでせうか、それを一おううけたまはりませんとね、わたし心配しんぱいでなりませんから。』
『イヽえ、最早もうぼくには如何どうといふ意見いけんもないのですから、母上おつかさんのお心持こゝろもちひとつで……』
『それではわたしにもべつ否應いやおうはないのでございます。あんなものでも貴樣あなた生涯しやうがいそつくださるといふことなら、わたし貴樣あなた御人物ごじんぶつ承知しようちして何時いつ感心かんしんしてますのですからなによりだとよろこびます。』
『なにぼくのやうなをとこが……』
『それではきふはなしめませうではございませんか、それでないと、それでないと、まア貴樣あなたかぎつて萬々ばん/\そんなことはありませんけれども、わかいもの同志どうしのことですから世間せけんではなんまうすかわかりませんし、さうすると貴樣あなた學校がくかうはうなんですから……』
『さうです/\、だからぼくなんです、その一おうその校長かうちやうけは打明うちあけて相談さうだんしておかうとおもひますから……』
『それはいおかんがへです、校長かうちやうさんにおはなしになりまして、校長かうちやうさんが表面おもてむきなかたつてくださればなによりでございます、』とこれで相談さうだん決定きまつたのです。
 はゝこと成行なりゆきをすこしうたがひませんので、校長かうちやう相談さうだんすれば萬事ばんじ好結果かうけつくわみこんでしまつたのです。わたくし校長かうちやう相談さうだんするとつたのは一ぱう血路けつろひらいていたのです。わたくしのやうな正直者しやうぢきもの何時いつなみながされながらなみつてるのです。
 母上おつかさんが自分じぶん居間ゐまわたくしは一しかない二階にかいました)にかへつてゆくやわたくしはごろりころんで二十ぷんばかり茫然ぼんやりしてましたが、其間そのあひだなにかんがへがないので、たゞぼんやりと天井てんじやうながめてまじ/\と眼瞼まぶたうごかしてたばかりです。けれども今一度もいちどおしんがるだらうとまつたのです。さうもないからとこをのべててしまひました。
 翌朝よくあさおしんが部屋へや片附かたづけれましたが、すつかりつまといふ擧動こなしです。だけでものつて、口數くちかずおほきません、はかましわなどをなほしてくれて、わたくしてゆくとき、ちひさなこゑ
『それでは今日けふ校長かうちやうさんに相談さうだんしてくださいな、』とひました、其聲そのこゑ其調子そのてうしすこしもうたがはないのです相談さうだんといふのはたゞ一とほはなしてけのことゝはじめからめてるのでした。
 授業じゆげふむとわたくし校長かうちやうすこ相談さうだんがあるからと、一室いつしつんで、結婚けつこんの一でうはなしました。けれど勿論もちろんわたくしとおしんの關係くわんけいひません、たゞ手短てみじか下宿屋げしゆくや女主人ぢよしゆじんからむすめもらつてれろとはれてるが如何どうしたものだらうと持込もちこんだだけです。これがほかのものなら校長かうちやうむすめとの關係くわんけいうたがはれるのですが、わたくし信用しんようされてるから校長かうちやう平氣へいきなもので、
きみ結婚けつこんするかね、』ときました、づ。
わたくし如何どうでもいとおもふのです、だから貴下あなた御意見ごいけんうかがひますので、』とわたくし平氣へいきかほでいひました。
『まア不贊成ふさんせいだねえ、はやいよ、せめて二十五六になればだがきみ丁年ていねんにすらりないのだからねえ、もつときみは二十五六のものでもおよばぬ確固しつかりしたところのあるひとだけれど、矢張やはりとしとしだからねえ。』
かく校長かうちやう相談さうだんしてと先方むかふにはまうしてきましたのですから……』
よろしい、それぢやアわたしから謝絶ことわつてあげませう、』と校長かうちやう言葉ことばすこぶ手輕てがるいのです。
『けれど隨分ずゐぶん先方むかふでは熱心ねつしんなのですから謝絶ことわるわけにもまゐらんやうですが。』
『おかみさんが全然すつかりきみにほれこんでるといたが愈々いよ/\こと持上もちあがつたね。まアたま妙案めうあんがあるだらう、』と校長かうちやう笑味ゑみふくんでかんがへてましたが
妙案めうあんがある/\、きみ今日けふかへつてういひたまへ、校長かうちやう相談さうだんしたらよからうと贊成さんせいしたが、しか校長かうちやうふには下宿屋げしゆくや下宿げしゆく[#「下宿の」はママ]むすめ結婚けつこんするのは不味まづい、それよりか其處そこ校長かうちやううち當分たうぶん厄介やくかいになる、そして一月ひとつきつたところで校長かうちやうからおまへさんのところのむすめ澤村さはむらにくれんかと相談さうだんもちこむ、さうすれば、人目ひとめもよし、勿論もちろん儀式ぎしきにもかなふし、さうしたまへと親切しんせつつてくれたから其議そのぎしたがはふとおもふ、たまへ。それならおかみさんももつともだとおもふにちがひない。其處そこきみわたしうち移轉ひつこたまへ。せまいけれど玄關げんくわんの三でふおとゝる、當分たうぶんあれと同居どうきよするサ。それできみ今後こんご下宿屋げしゆくや立寄たちよらんやうにする、一つきつたところでわたしから理窟りくつをつけて破談はだん申込まうしこめば先方むかふだつて文句もんくはなしそれなりできみかたがつくといふものだ、これだ/\、此妙案このめうあんしかほかにあるまい。』
 わたくし其意そのいほうじて下宿屋げしゆくやかへりました。そして校長かうちやう妙案めうあん持出もちだしますと、母上おつかさんはおほよろこびです、おしんはふさいでましたがべついやともふことが出來できません。其晩そのばんおしんは十二ぎまでわたくしへやましたが、そのいじらしいふういまわたくしのこつてます。繰返くりかへして、どうか一月ひとつきはず一時いつときはや一緒いつしよになつてくれろといひました。そしてわたくし一月ひとつきあひだあそびにもないやうにするからとまうしましたら、それでは九段くだん公園こうゑんあたりで時々とき/″\つてくれろといひますからわたくしもそれは承知しようちしたのであります。
 校長かうちやううちうつつてから一月ひとつきちました。わたくしは一下宿屋げしゆくやにはきませんでした。けれどもおしんとは四たび媾曳あひゞきしました。最後さいごのとき、おしんは
『それでは明日あしたですよ、きつと明日あしたですよ。明日あした校長かうちやうさんがれないなら貴郎あなたでもいからくださいよ、』とつて、いそ/\してわたくしわかれました。
 おしんの望通のぞみどほり、其翌日そのよくじつ校長かうちやう下宿屋げしゆくやたづねました。わたくし如何どうなることかと、ない/\大心配おほしんぱいまつたのです。ことによるとおしんとの關係くわんけい全然すつかりばれてしまひはせんかと、心配しんぱいはそれのみでした。もなく校長かうちやう歸宅かへつました。
案外あんぐわいはなしはやいた。きみ、あのおかみさんなか/\わかつてるなア、』と、これをいてわたくしはほつと呼吸いききました。
如何どうでした、おかみさんなんとかまうしませんでしたか。』
なになにふものか。わたしがこれ/\で結婚けつこんはまだはやいし、それに澤村さはむらには勉強べんきやうがさせたいからイヤといふはないけれど、當分たうぶん見合みあはせてもらひたい、えんがあれば何年なんねんさきのことだが、何時いつのことかそれもわからぬからむすめさんは良縁りやうえんのあり次第しだい何時いつでもよめにやられたらよからうとつただけサ。それでもとはへないじやアないか。』
むすめそばましたか。』
『イヤわたしはひつたら二階にかいあがつてしまつた。』
『おかみさんなんまうしました。』
『だからいまいつたやうにわたしふと、顏色かほいろへてたが、わたくしももとは判事はんじつまです。無理むりにとはまうしません。何卒どう澤村さはむらさんによろしくおつしやつてくださいだつて。判事はんじ後家ごけさんとはらなかつた。きみあれはなか/\確固しつかりものだぜ。』
『それからむすめ御覽ごらんになりましたかおかへりに。』
『イヽヤない。二階にかいまつたのサ。可哀かあいさうに。』

 そのわたくし二度にどとおしんにはひません。破談後はだんご週間しうかんつて、わたくしよるそつと下宿屋げしゆくやまへとほりましたらまつて、「かしや」のふだやみうちうすつてあるのをましたばかりです。
 正直者しやうぢきもの仕事しごとひとつがこれです。いづれ其中そのうちほかのをもおはなしいたしませう。





底本:「定本 國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社
   1964(昭和39)年10月30日初版発行
   1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
   1984(昭和59)年1月20日第10刷発行
底本の親本:「獨歩集」近事畫報社
   1905(明治38)年7月26日
初出:「新著文藝 第一卷第四號」弘文社
   1903(明治36)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「イヽヱ」と「イヽえ」、「すこし」と「すこし」、「ついて」と「いて」、「母上おつかさん」と「母上おつかさん」、「つて」と「いつて」、「んで」と「よんで」、「かんがへ」と「かんがへ」、「かんがへて」と「かんがへて」、「繰返くりかへして」と「繰返くりかへして」の混在は、底本通りです。
※「私」に対するルビの「わたし」と「わたくし」、「父上」に対するルビの「おとつさん」と「とうさま」の混在は、底本通りです。
入力:葛西重夫
校正:Masaki
2024年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード