十二月八日の晩にかなり強い地震があった。それは私が東京に住まうようになって以来覚えないくらい強いものであった。振動週期の短い主要動の始めの部分に次いでやって来る緩慢な波動が明らかにからだに感ぜられるのでも、この地震があまり小さなものではないと思われた。このくらいのならあとから来る余震が相当に
山の手の、地盤の固いこのへんの平家でこれくらいだから、
翌朝の新聞で見ると実際下町ではひさしの
偶然その日の夕飯の
それで食後にこの夕刊の記事を読んだ時に、なんとなしに変な気持ちがした。今のついさきに思った事とあまりによく適応したからである。
それにしても、その程度の地震で、そればかりで、あの種類の構造物が崩壊するのは少しおかしいと思ったが、新聞の記事をよく読んでみると、かなり以前から多少
それはいずれにしても、こういう困難はいつかは起こるべきはずのもので、これに対する応急の処置や設備はあらかじめ充分に研究されてあり、またそのような応急工事の材料や手順はちゃんと定められていた事であろうと思って安心していた。
十日は終日雨が降った、そのために工事が妨げられもしたそうで、とうとう十一日は全市断水という事になった。ずいぶん困った人が多かったには相違ないが、それでも私のうちでは幸いに隣の井戸が借りられるのでたいした不便はなかった。昼ごろ用があって花屋へ行って見たらすべての花は水々していた。昼過ぎに、遠くない近所に火事があったがそれもまもなく消えた。夕刊を見ながら私は断水の不平よりはむしろ修繕工事を不眠不休で監督しているいわゆる責任のある当局の人たちの心持ちを想像して、これも気の毒でたまらないような気もした。
このような事のある一方で、私の
実はよほど前に、便所に取り付けてある同じ型のスイッチが、やはり同じ局部の破損のために役に立たなくなって、これもその当座自分で間に合わせの修理をしたままで、ついそれなりにしておいたのである。取り付けてからまだ三年にもならないうちに二個までも同じ部分が破損するところを見ると、このスイッチのこしらえ方はあまりよくないと言わなければならない。もう少し作り方なり材料なりを親切に研究したのなら、これほどもろくできるはずはないだろうと思われた。銅板を曲げた
水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品について平生から不満に思っていた事を一度に思い出させられるような心持ちになって来た。
第一に思い出したのが呼び鈴の事であった。今の住居に移った際に近所の電気屋さんに頼んで、玄関や客間の呼び鈴を取り付けてもらった。ところが、それがどうも故障が多くて鳴らぬ勝ちである。電池が悪いかと思って取り換えてもすぐいけなくなる。よく調べてみると銅線の接合した所はハンダ付けもしないでテープも巻かずにちょっとねじり合わせてあるのだが、それが台所の
少々価は高くとも長い使用に堪えるほんとうのものがほしいと思っても、そんなものは今の市場ではなかなか容易には得られない。たとえばプラチナを使った呼び鈴などは、高くてだれも買い手はないそうである。これは実際それほど必要ではないかもしれないが、プラチナを使わないなら使わなくてもいいだけにほかの部分の設計ができていないのはどうも困る。
私の頼んだ電気屋が偶然最悪のものであったかもしれないが、ほうぼうに鳴らない玄関の呼び鈴が珍しくないところから見ると私と同じ場合はかなりに多いかもしれない。
もしこんな電気屋が栄え、こんな呼び鈴がよく売れるとすると、その責任の半分ぐらいは、あまりにおとなしくあきらめのいい使用者の側にもありはしまいか。
呼び鈴に限らず多くの日本製の理化学的器械についてよく似た事に幾度出会ったかわからないくらいである。たとえばおもちゃのモートルを店屋でちょっとやってみる時はよく回るが買って来て五分もやればブラシの所がやけてもういけなくなる。
蓄音機の中の歯車でもじきにいけなくなるのがある。これは歯車の面の曲率などがいいかげんなためだか、材料が悪いためだかわからない。おそらく両方かもしれない。
このような似て非なるものを製する人の中には、西洋でできた品をだいたいの外形だけ見て、ただいいかげんにこしらえればそれでいいものだと思っているのがあるいはありはしまいか。ある人の話では電気の絶縁のためにエボナイトを使ってある箇所を
五十年前に父が買った舶来のペンナイフは、今でも
すべてのものがただ外見だけの間に合わせもので、ほんとうに根本の研究を経て来たものでないとすると、実際われわれは心細くなる。質の研究のできていない鈍刀はいくら光っていても格好がよくできていてもまさかの場合に
品物について私の今言ったような事が知識や思想についても言われうるというような事にでもなるといよいよ心細くなるわけであるが、そういう心配が全くないとも言われないような気がする。
水道の止まった日の
科学の通俗化という事の奨励されるのは誠に結構な事であるが、こういうふうに堕落してまで通俗化されなければならないだろうかと思ってみた。科学その物のおもしろみは「真」というものに付随しているから、これを知らせる場合に、非科学的な第二義的興味のために肝心の真を犠牲にしてはならないはずである。しかし実際の科学の通俗的解説には、ややもするとほんとうの科学的興味は閑却されて、不妥当な
このようにして普及された間に合わせの科学的知識をたよりにしている不安さは、不完全な水道をあてにしている市民の不安さに比べてどちらとも言われないと思った。そして不愉快な日の不愉快さをもう一つ付け加えられるような気がした。
水道がこんなぐあいだと、うちでも一つ井戸を掘らなければなるまいという提議が夕飯の
こんな話をしているうちにも私の連想は妙なほうへ飛んで、欧州大戦当時に従来ドイツから輸入を仰いでいた薬品や染料が来なくなり、学術上の雑誌や書籍が来なくなって困った事を思い出した。そしてドイツ自身も第一にチリ硝石の供給が断えて困るのを、空気の中の窒素を採って来てどしどし火薬を作り出したあざやかな手ぎわをも思い出した。
そして、どうしてもやはり、家庭でも国民でも「自分のうちの井戸」がなくては安心ができないという結論に落ちて行くのであった。
翌日も水道はよく出なかった。そして新聞を見ると、このあいだできあがったばかりの銀座通りの
水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、だれも容認しない事になっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
長い使用に堪えない間に合わせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証の付いていない公共構造物が至るところに存在するとすれば、その責めを負うべきものは必ずしも製造者や当局者ばかりではない。
もしも需要者のほうで粗製品を相手にしなければ、そんなものは自然に影を隠してしまうだろう。そしてごまかしでないほんものが取って代わるに相違ない。
構造物の材料や構造物に対する検査の方法が完成していれば、たちの悪い
私が断水の日に経験したいろいろな不便や不愉快の原因をだんだん探って行くと、どうしても今の日本における科学の応用の不徹底であり表面的であるという事に帰着して行くような気がする。このような障害の根を絶つためには、一般の世間が平素から科学知識の水準をずっと高めてにせ物と本物とを鑑別する目を肥やしそして本物を尊重しにせ物を排斥するような風習を養うのがいちばん近道で有効ではないかと思ってみた。そういう事が不可能ではない事は日本以外の文明国の実例がこれを証明しているように見える。
こんな事を考えているとわれわれの周囲の文明というものがだんだん心細くたよりないものに思われて来た。なんだか
断水はまだいつまで続くかわからないそうである。
どうしても「うちの井戸」を掘る事にきめるほかはない。
(大正十一年一月、東京・大阪朝日新聞)