蜂が団子をこしらえる話

寺田寅彦




 私の宅の庭の植物は毎年色々な害虫のためにむごたらしく虐待される。せっかく美しく出揃った若葉はいつの間にかわるい昆虫のために食い荒らされる。なかんずくいちばんひどくやられるのは薔薇である。羽根が黒くて腰の黄色い小さな蜂が、柔らかい若芽の茎の中に卵を産みつけると、やがて茎の横腹が竪にはじけ破れて幼虫が生れ出る。これが若葉の縁に鈴成りに黒い頭を並べて、驚くべき食慾をもって瞬く間にあらゆる葉を食い尽さないではおかない。去年はこの翡翠ひすいの色をした薔薇の虫と同種と思われるものが躑躅つつじにまでも蔓延した。もっともつつじのは色が少し黒ずんでいて、つつじの葉によく似た色をしているのが不思議であった。
 何とかしてこの害虫を絶滅する方法はないものだろうかと思うだけで、専門家に聞いてみるでもなく、書物を調べるでもなく、ついそのままにしておくのである。いつか三越の六階で薔薇を見ていたら、それにもちゃんとこの虫がついたままに正札をつけてあるのを発見して驚いた事がある。専門家でもこれを完全に駆除するのは困難だとすると、自分等の手にえぬのは当然かと思われた。とにかく去年などは幾株かのばらとつつじを綺麗に坊主にしてしまわれた。枯れるかと思ったら存外枯れもしないで、今年の春の日光を受けるとまた正直に若芽を吹き出して来た。今にまた例の青虫が出るだろうと思って折々気をつけて見るが、今年はどうしたのか、まだあまり多くは発生しない。その代り今年はこれと変った毛虫が非常に沢山に現われて来た。それは黒い背筋の上に薄いレモン色の房々とした毛束を四つも着け、その両脇に走る美しい橙紅とうこう色の線が頭の端では燃えるような朱の色をして、そこから真黒な長い毛が突き出している。これが薔薇のみならず、萩にもどうだんにも芙蓉ふようにもおびただしくついている。これは青虫ほど旺盛な食慾をもっていないらしいが、その代り云わば少し贅沢な嗜好をもっていて、ばらのつぼみを選んで片はしから食って行くのである。去年はよく咲いたクリーム色のばらも今年はこのためにひどく荒らされてしまった。子供の時分に田舎の宅で垣根いっぱいに薔薇が植わっていたが、ついぞこんなに虫害を受けた事を記憶しない。都会の空気が濁っているために植物も人間と同じようにたださえ弱くなっているその上にこう色々な虫にいじめられては、いまにこうした植物は絶滅するのではないかと思う事もある。
 こんな虫がだんだんに数を増して、それが皆人間などと平等な生存の権利を主張するようになったらどうだろう。そうなれば虫のためには人間の方が害虫であるに相違ない。薔薇の花でも何でも虫のためには必要なる栄養物質であるのを、人間が無用な娯楽のために独占しようとして虫をひねり潰すのは、虫から見ればかなり暴虐な事かもしれない。
 ある日の昼食のあとで庭へ出て、いちばん毛虫の多くついた薔薇を見に行った。そして見当り次第に箸でつまんで処分していた。人間の立場からどうもこうしなければ仕方がないのである。
 真円まんまるく拡がった薔薇の枝の冠の上に土色をした蜥蜴とかげが一ぴき横たわっていた。じっとしていわゆる甲良こうらを干しているという様子であった。しかしおそらくそんな生温かい享楽のためではなくて、これもまたもっとせっぱつまった生存の権利を主張するために何かを期待して狙っていたに相違ない。時々のそのそい出しては、またじっとして意地のわるそうな眼を光らせている。事によるとこれは青虫でも捜しているのではないかと思われた、もしそうだとすると有難い訳だと思った。
 たちまち眼の前に一つの争闘の活劇が起った。同じ薔薇の上に何物かを物色していた濃褐色の蜂が、突然ほとんど何の理由とも分らず、またなんらの予備行為もなく、いきなりこの蜥蜴の背に飛びかかった。そして右の後脚の附根と思う辺を刺したように見えた。
 しかし蜥蜴はほとんど何事も起らなかったかのように、じっとしたまま、身じろき一つしなかった。そして数秒の後にまたのそのそと這い出して一寸くらいも歩いたかと思うと立止って小さな眼を光らせていた。
 どういう訳で蜂がこのような攻撃をしたか、私には少しも見当が付かなかった。人間ならば商売敵という言葉で容易に説明さるべき行為の動機が、この場合に適用するかどうか、それは全く分らない。とにかくこの活劇は私に色々な事を聯想させたが、しかし自然の事実からは人間の都合のいいモラルは必然には出て来なかった。
 同じ薔薇の反対の側へ廻ってみると、そこにも一疋の蜂が居た。そして何かしらある仕事をしているのであった。
 それは、さっき蜥蜴を攻撃したと同じ蜂かどうか分らないが、とにかく同じ種類のものであった。広い葉の上に止って前脚で小さな毛虫らしいものをしっかりつかまえて、それをあの鋭い鋏のような口嘴くちばしでしきりに噛みこなしていた。私が見付けた時にはそれがもうほとんど毛虫だか何だか分らないような団塊かたまりになっていたが、ただその囲りから突き出た毛束によってそう考えられたのである。断えず噛みながら脚で器用に団塊を廻して行くので、始めには多少いびつであったのが、ほとんど完全な球形になってしまって、もうどこにも毛などの痕跡は見えなくなってしまった。廻す拍子に一度危なく取落そうとしてやっと取り止めた様子は滑稽であった。蜂はやがてこの団子をくわえて飛び出そうとしたが、どうしたのかもう一遍他の枝に下りた。人間ならばざっと荷物をこしらえて試みにちょっとさげてみたというような体裁であった。そしてまたしばらく噛んで丸める動作を繰り返していた。からだ全体で拍子をとるようにして小枝をゆさぶりながらせっせと働いているところは見るも勇ましい健気けなげなものであった。渋色をした小さな身体が精悍せいかんの気ではち切れそうに見えた。二、三分もすると急に飛び上がって一文字に投げるように隣家の屋根をすれすれに越して見えなくなってしまった。
 私は毛虫にこういう強敵のある事は全く知らなかったので、この目前の出来事からかなり強い印象を受けた。そして今更のように自然界に行われている「調節」の複雑で巧妙な事を考えさせられた。そして気紛れに箸の先で毛虫をとったりしている自分の愚かさに気が付いた。そしてわれわれがわずかばかりな文明に自負し、万象を征服したような心持になって、天然ばかりか同胞とその魂の上にも自分勝手な箸を持って行くような事をあえてする、それが一段高いところで見ている神様の目にはずいぶん愚かな事に見えはしまいか。ついこんな事も考えた。
 それから二、三日経って後に、同じ薔薇で同じような蜂が大きな毛虫を捕えるところを見る事が出来た。いきなり頭の方へ噛み付くと皮が破れて緑色の汁が玉のように吹き出した。それを引きずり引きずり高い葉へ高い葉へと登って行った。その間にも噛みこなす事は休まず続けているので、毛虫の形はだんだんに消えて緑がかった黒色の塊に変りつつあった。そのうちに蜂は一度羽根を拡げて強く振動させた、おそらく飛び上がろうとしたのであろうが、虫の重量はこの蜂の飛揚力以上であったと見えて少しも動かなかった。どうするかと思っていると、このやや長味のある団塊をうまく二つに食い切って、その片方を丁寧に丸めた後に、それをくわえて前日と同じ方向へ飛んで行った。
 立ち際にその尾部から一、二滴の透明な液体を分泌するのがよく見えた。おそらく噛みながら吸い取った毛虫の汁で腹が膨れた結果かもしれない。
 残りの半分を今に取りに来るのではあるまいかと思ったので、ものの十分ほども待っていたその間に全く別の方向から同じような蜂が飛んで来て薔薇の上をしばらくあさっていたが、さっきの団子の残りの半分のつい近くまで行っても気付かないで、そのうちどこかへ飛んで行ってしまった。
 二時間もたって見に行った時には、毛虫の半分の団塊はもうなくなっていた。それは何物が持ち去ったかよくは分らない。しかし多くの蜂について従来知られている事実から推してこの残りの半分も、それの正当な権利者の巣にはこばれたものと思ってもいいだろう。実際は他の巣の住民に横領されたかもそれは分らない。
 私はこの蜂の巣を見付けたい、そしてこの珍奇な虫の団子がそこでいかに処理されるかを知りたいものだと思っている。

 虫の行為はやはり虫の行為であって、人間とは関係はない事である。人として虫に劣るべけんやというような結論は今日では全く無意味な事である。それにもかかわらず虫のする事を見ていると実に面白い。そして感心するだけで決して腹が立たない。私にはそれだけで充分である。私は人間のする事を見ては腹ばかり立てている多くの人達に、わずかな暇を割いて虫の世界を見物する事をすすめたいと思う。
(大正十年七月『解放』)





底本:「寺田寅彦全集 第二巻」岩波書店
   1997(平成9)年1月9日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2005年2月20日作成
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