「鉄塔」第一号所載
「わらふ」と laugh についてもいろいろなおもしろい事実がある。laugh は (A
「あざ笑ふ」の「あさ」は「あさみ笑ふ」の「あさ」かと思うがこれは (Skt.)√has に通じる。一人称単数現在なら hasami だからよく似ている。hsita は笑うべき事で「はしたない」に通じる。「はしゃぐ」が笑い騒ぐ事で、「あさましい」も場合によると「笑ひ事」であるのもおもしろい。
セミティックの方面でも (Ar.)basama は「微笑する」で「あさむ」「あさましい」と似ている。しかし「笑ふ」の dahika はむしろ「たはけ」に似ている。(Ar.)fariha は「喜ぶ」で「わらふ」に似ている。
「あさましい」はまた (Skt.)vismayas で「驚く」ほうにも通じるが、それよりも元の smi, smaya で微笑にもなる。
(Skt.)garh は非難するほうだが
「べらぼう」も引き合いに出たが、これについて手近なものは (Skt.)prabh また parama でいずれも「べらぼう」の意がなくはない。しかしまた、「強い」ほうの意味の bala から出た balavat だって似ていなくはない。「珍しい」「前例のない」ほうの aprpya, apurva でも、やはり日本式ローマ字で書くと p+r+b(m) の部類にはいる。これらはサンスクリトとしてはきわめて明白に、それぞれ全く異なる根幹から生じたものであるのに、音のほうではどこか共通なものがあり、同時に意味のほうにも共通なものがあるから全く不思議な事実である。
英語の brave や bravo も「べらぼう」の
(Ar.)gharib, ghurab「異常」は
barbarus で思いだすのは「野蛮」と (Skt.)yavana である。後者は、ギリシア人(Ionian)であったのが後には一般外国人、あるいは回教徒の意に用いられ、ちょうどギリシア人の barbaros に相当するものになっているからおもしろい。
またこの「毛唐」がギリシアの「海の化けもの」ktos に通じ、「けだもの」、「
話は変わるが二三日前若い人たちと夕食をくったとき「スキ焼き」の語原だと言って某新聞に載っていた記事が話題にのぼった。維新前牛肉など食うのは禁物であるからこっそり畑へ出てたき火をする。そうして肉片を
なすの「しぎ焼き」の「しぎ」にもいろいろこじつけがあるが、「しき」と変えてみると、結局「すき」と同じでないかという疑いが起こる。
steak はアイスランディックの steik と親類らしいが「ひたきのおきな」の「ひたき」を「したき」となまると似て来るからおもしろい。「
こんな物ずきな比較は現在の言語学の領域とは没交渉な仕事である。しかし上述のいろいろな不思議な事実はやはり不思議な事実であってその事実は科学的説明を要求する。どれもこれもことごとく偶然の現象だとして片付ける前にともかくも何かしら合理的な方法のふるいにかけて吟味しなければならない。しかし従来のように言語の進化をただ一次元的、線的のもののように考えるあまりに単純な基礎仮定から出発した言語学ではこの問題は説明される見込みはない。たとえば自分がかつて提議したような統計的方法でも、少なくも一つの試みとして試みなければならないと思う。上記の諸例はそういう方法を試みるであろう場合に必要な非常に多量な材料の中の二三の例として数えられるべきものであろうと思う。
もし許さるるならば、時々こういう材料の断片を当誌の余白を借りて後日のために記録しておきたいと思う。
(昭和七年十二月、鉄塔)
anchor はラチンの anchara でまたギリシアのアンキユラで「曲がった
anger はアイスランドの ngr やLの angor などのような「憂苦」を意味する言葉と関係があるそうで、一方ではまたスウェーデンの「悔恨」を意味する nger に通ずる。このオンゲルは「オコル」に似ている。
怒りを意味する choler はギリシアの
ロシアではgがhに通ずる。日本ではhがfに通ずる。それでgrの代わりにfrを取ってみると英国の激怒 fury, Lの furia, furere に対する。
九州へんではdがrに通ずる。そこで、grの代わりにgdを取ってみると、アラビアの動詞 ghadiba(怒り)の中に見いだされる。この最後の ba は時によりただのbによって響きを失うことはあるのである。
ロシアの「怒り」gniev はギリシアの動詞 aganaktein の頭部に似ている。古事記の「いごのふ」にも似ている。gn をロシア流に hn にする一方で、「
英語の gnarl は「うなる」に通じる。「がなる」にも通じる。英語の vex はLの uehere に関係し「運搬」の意がありサンスクリトの vah から来たとある。日本でもオコルとオクルが似ているのと相対しておもしろい。hは往々khまたkに通じるから uehere と uokoru とはそれほど遠く離れていないのである。weigh もやはり縁があるとの事である。vah は「負う」に通じる。
腹を立てる、腹立つというのはあて字であろうと思われる。サンスクリトの krudhyati のkをhで置き換えるとともかくも hrdt という音列を得られる。これを haradati の子音と比べると同一である。偶然とするとかなり公算の少ない場合の一致である。ロシアの serditi もやはりいくらか似ているのである。
「あらぶる神」の「アラブル」がLに rabere = to rage に似ていることも事実である。
「床屋」が何ゆえに理髪師であるか不思議である。「
マレイ語で頭髪を
マレイの理髪師は tukang chukor また tukang gunting である。
アラビアでは「店」が dukkan, ペルシアでも dukan である。ペルシアの床屋さんは dallak である。
ギリシアで剃るのは xurein でわが suri に通じる。髪を切る意味の cheirein は「切る」「刈る」に通じる。
Skt. kshura は
おもしろいことは、土佐で自分の子供の時代に、
床屋も不思議だがハタゴヤもなぜ旅館だかわからない。
ギリシアの宿屋が pandocheion でいくらか似ているのはおもしろい。パドケヤとハタゴヤである。pan と dechomai, すなわちだれでも接待する意だそうである。衆生を済度する仏がホトケであるのは偶然の
ラテンで「あるいはAあるいはB」という場合に alius A, alius B とか、alias A, alias B とか、また vel A, vel B という。alius と vel とは別物であるのに、どちらも日本の「アル」に似ているからおもしろい。英語の or でも少しは似ている。Skt. の「または」「あるいは」は athawa である。
ロシアで「すなわち」というような意味で、znatchiti を使う。日本の snaati と似ている。
また tak kak というのがいろいろの意味に使われるが whereas の意味では、「それはそうととにかく」の「
ドイツの noch(=nun auch) が日本語の naho に似ている。イタリアの eppure は日本の「ヤッパリ」と同意義である。
因果関係はわからなくても似ているという事実はやはり事実である。
ことばの事実を拾い集めるのが言葉の科学への第一歩である。玉と石とを区別する前には、石も一応採集して吟味しなければならない。石を恐れて手を出さなければ玉は永久に手に入らない。
(昭和八年四月、鉄塔)
春(ハル)のラテン語が ver であるが、ポルトガル語の vero は夏である。ペルシアの春は bahr,
「張る」「ふえる」「
夏(ナツ)と熱(ネツ)とはいずれもnとtの結合である。現代のシナ音では、熱は jo の第四声である。「如」がジョでありニョであり、また「然」がゼンでありまたネンであると同じわけである。
秋(アキ)は「飽く」や「赤」と関係があるとの説もあるようであるが確証はないらしい。英語の autumn が「集む」と似ているのはおもしろい。これはラテンの autumnus から来たに相違ないが、このラテン語は augeo から来たとの説もある。この aug がアキとは少し似ている。「あげる」「大きい」なども連想される。
秋(シュウ)が現在の日本流では、「収」「
冬(フユ)は「
Winter は日本語の「いてる」とどこか似ているとも言われよう。
フランス語の冬 hiver はラテンの hibernum であろうがこれを「冷える」と比べてみるのも一興である。
日本の山には「何々やま」と「何々だけ」とがある。アラビアの山 jabal ペルシアの山 jebel は一見「ヤマ」と縁が遠いようであるがjがyになりbがmになる例は多いようであるから、それほど無関係ではない。(邪はジャでありヤである。馬はバでありマである)
トルコ語の山 dagh は「だけ」に似ている。アジア中部には tagh のついた山がいろいろある。ターグは「たうげ」に似ている。
ドイツ語の屋根 Dach は上記の dagh に通じる。「
アイヌの「ヌプリ」は「登り」に通じ、山頂を意味する「タプカ」も「峠(タウゲ)」に少し似ている。峠が「たむけ」の音便だとの説は受け取れない。
山(シャン、サン)の仲間はちょっと見当たらないが、しかしアイヌの「シン」は地や陸を意味すると同時にまた「山地」(平地に対する)をも意味するそうである。これに多数を意味する接尾音をつけた「シンヌ」はたくさんな山地でこれが「
アイヌ語「シリ」はいろいろの意味があるがその中で陸地を意味する場合もある。またこれに他の語が結びついた時には「シリ」が山を意味する事もあるらしい。この「シリ」が
この「ギリ」は露語の「ゴーラ」に縁がありそうに見える。
日本の山名に「カラ」「クラ」のついたのの多い事を注意すべきである。「丘陵」もkとrである。
一方ではまた露語でgがhに代用されまた時にvのように発音されることから見ると、フィン語の山 vuori やチェック語の hora が同じものになるし、hが消えたりvが母音化するとギリシアの oro や
ドイツの Berg はだいぶちがうが、しかしgを流動的にし、bをvにすればフィン語に接近し、bを
ラテン系の mons, monte, montagne, mountain 等は明白な一群を形成していて上記とは縁が遠く見える。これに似た日本語はちょっと思い出せない。無理に持って来れば
ハンガリア語の山 hegy(ハヂ)が「
ペルシア語の小山 kuh(クフ)は「
オロチは「丘の霊」だとの説がある。「オ」は「丘」で「ロ」は接尾語だということである。この「オロ」がギリシア語や
「ムレ」は山の古語だそうであるが、これは上記タミール語の malai に少し似ている。朝鮮のモイよりもこのほうが近い。また前述の理由からドイツ語やフィン語とも音声的に縁がある。
毎回断っているとおり、相似の事実を指摘するだけで、なんらの因果関係を付会するつもりはないから誤解のないように願いたい。
(昭和八年七月、鉄塔)
「ウミ」(海)のヘブライ語が ym である。「ヨミノクニ」は黄泉でもあるがまた「海」だとの説もあったように思う。この「ヤーム」が「ウミ」よりもむしろ「ヤマ」に似ているのがおもしろい。西グリンランドのエスキモーの言葉 imaq は海で imeq は水である。qはいろいろに変化するから ima, ime が「ウミ」であり水である。英語の humid(水けある)の終わりのdをとれば「ウミ」に近くなり、第二
英の sea はチュートンの s から来たとある。saiwiz も連関している。これが「ウシホ」(ウシオ)の「シオ」と少しは似ている。
「ワダツミ」「ワダノハラ」の「ワダ」は water や露の voda やその他同類の水を意味する言葉と類し、また「ワタル」という意味の wade(L. vadere) および関係の諸語と似ている。
「オキ」(沖)はギリシア「オーケアノス」の頭部に似る。
「カタ」(潟)はタミール語の海 kadal に近い。
朝鮮のパーターはやはり「ワタ」の群に入れ得られよう。
「ナダ」は梵語の川 nadi に似ている。
「カハ」(川、河、カワ)は「
「ナガレ」はもちろん「流れ」であるが、ある人の話では「ナガ」は「長」で「ルル」が「流」であろうとの事である。これを「リウ」と読むとギリシアの「レオ」(流れる)と近い。
トルコの「ネフル nehr」(川)はhを例のgにすると、「ナガレ」に近よる。
朝鮮の「ナイ」(川)とアイヌの「ナイ」(川、谷)はそっくりであることから見ると日本内地でも同じ言葉で川を意味する地名がありそうに思う。
土佐に
朝鮮の「ムール」は
人間の頭部「かうべ」「くび」に連関して「かぶと」「かむり(冠)」「かぶり」「かぶ(株)」「かぶ(頭)」「くぶ(くぶつち)」「こぶ(瘤)」「かぶら(蕪菁)またかぶ」「かぶら(鏑)」「こむら(腓)」「こむら()」などが連想される。これに対して想起される外国語ではまず英語でもあり、ラテンの語根でもあるところの cap がある。
アラビアの頭骨 qahfun は「カフフ」で「かうべ」に近い。
英語の円頂閣 cupola はラテンの cupa(
英語の head はチュートン系の haubd といったような語から来ているが、音韻法則によるとLのカプトとは別だそうである。しかしこの「ハウプト」は、そんな方則を無視するここの流義では、やはり兜の組である。
頭部を「つむり」とも言う。これはLの tumuli(
「あたま」も頭部である。
敵の首級を獲ることを「しるしをあげる」と言う。「しるし」が頭のことだとすると、これは梵語の siras(頭)、sirsham(頭)に似ている。
八頭の
「
またこれらは
「かうべ」の群中へ、かりに「
朝鮮語「モーリ(頭)」は「つむり」の「むり」と比較される。「つ」はわからない。
「かしら」に似たものがちょっと見つからなかった。ところがLの capillus はもとは cap(頭)の dim. だそうで caput や、ギリシアの「ケファレ」も同じものである。そうして、この「カピラ」は「毛髪」の意に使われている。これが「カヒラ」を経て「カシラ」になりうるのである。言海によると「カシラ」は「髪」の意にも使われているからちょうど勘定が合うのである。そうすると「かしら」も結局「かむり」「かぶり」の群に属する。
(昭和八年八月、鉄塔)