去年の十月だったか、十一月だったか、それさえどうしても思い出せない程にぼんやりした薄暗がりの記憶の中から、やっと
ある朝の事である。起きた時から何となく頭の工合がよくなくって、軽い一種の不満のようなものの塊が、からだの中のどこかに潜んでいるような心持であった。後になって考えてみると、これは、全くその日の天気のせいであったらしい。
そこへ、NT君が訪ねて来た。議会の傍聴に連れて行ってやろうというのである。自動車をそこに待たしてあるという。
あまり自慢にならない事であるが、自分はまだこの年までつい一度も帝国議会というものを見た事がなかった。別に見たくないという格段の理由がある訳でもなんでもないが、またわざわざ手数をして見に行きたいと思う程の特別な衝動に接する機会もなかったために、――云わば、あまり興味のない親類に無沙汰をすると同様な経過で、ついつい今まで折々は出逢いもした機会を、大して惜しいとも思わずに
実は、どうもあまり気がすすまなかったのであるが、せっかくわざわざ傍聴券を手に入れて、そうして
雨上がりの、それはひどい震災後の道路を、自動車で残酷に揺られて行くうちに、朝から身体のどこかに隠れていた、名状の出来ないものの塊が、だんだんにからだ中に拡がって来るようであった。その日は実際、荒れ果てた東京の街の上に、一面に灰色の霧のようなものが、重く蔽いかぶさったような天気であった。
自動車が玄関のような処へついて、そこからN君の後へついて上がって行こうとすると、玄関にいる人達が、そこからはいけないからあちらへ廻れという。それで停車場の改札口のような処を通り抜けて、恐ろしく長い廊下のような処に出た。それからその廊下の横の一室へ案内されて、そこで
廊下から階段へ上がろうとすると、そこに立っていた制服着用の役人が、私の胸の辺を指さして、何か云うようである。何かしら自分が非難されている事は分った。しかしN君が一言二言問答したら、それでよかったと見えてそのまま階段を上がって行った。そしてある室の入口に控えていた同じような制服の役人に傍聴券を差し出して、それでもういいのかと思っていると、まだ必要な手続が完了していなかったと見えてそこへはいる事を許されない。それで再びまた同じ階段を下りて、方角のわからぬ廊下をぐるぐる廻って行った。階段も廊下もがらんとして寒かった。初め
理由の分らなかった朝からの不満が、いつの間にかだんだんに具体的な形を具えて現われて来る事が自覚された。それが丁度レンズの焦点を合せるように、だんだんにはっきりして来るのであった。
そういう心持を
這入った処は薄暗い
場内の通風はあまり良好でないのか、傍聴席の空気は甚だ不純なようであった。
傍聴者は、みんな非常に真面目に黙って一心に下を覗き込んでいた。そういう人達の顔を見ると、下にはかなり真面目な重大な事柄が進行しているという事が分るような気がした。
入口を這入る時から、下の方で何だか恐ろしく大きな声で
壇に向かって後ろ上がりに何列となく並んだ椅子の列には、色々の服装をした、色々の年輩の議員達の色々の
壇上の人が何かいう
壇上の人が下りると、上壇に椅子へ腰かけた人、これが議長だそうであるが、この人が何か一言二言述べると、左の方の議員席からいきなり一人立上がって大きな声でわめき立てた。片手を高く打ち振りながら早口に短い言葉を連発していた。今にも席から飛び出すかと思われたが、そうもしなかった。右の方の席からも騒がしい声が聞こえた。
議長が、それでは唯今の何とかを取消します、というたようであった。すると、また隅々からわあっという歓声とも怒号とも分らぬ声が聞こえた。
和服を着た肥った老人が登壇した。何か書類のようなものを
それから、入れ代って色々の演説があった。そのうちのある人は若々しい色艶と
たださえ耳の悪いのが、桟敷の不良な空気を吸って逆上して来たために、
そのうちに、始めに出た極度の大声を出す人が壇上に立ってまた何事か述べはじめた。
朝からだんだんに醗酵していた私の不満は、この苦しげな大声を再び聞く事によって、とうとう頂点まで進んだものと見える。私は到底堪え切れなくなって席を立った。N君がこれからもう一つの議場へ行こうというのを振り切って出口へ出た。N君が帽子と外套を取って来てくれる間を出口でうろうろして、寒い空気に逆上した頭を冷やしていた。
このようにして、私の議会訪問は意外の失敗に終ってしまった。これはしかし、決して私を案内したN君の悪い訳でもなく、いわんや議会そのものの罪でもなくて、全くその日の天気のせいと而して通風のよくない傍聴席の不良な空気のせいである事は明らかである。
そういう特殊な条件の下に置かれた、特殊な人間の頭に映じた議会の第一印象が、かくのごとく特殊なものであり得るという事実だけは、ともかくも一つの記録としてここに
(大正十三年)