岩佐又兵衛作「
山中常盤双紙」というものが展覧されているのを一見した。そのとき気付いたことを左に覚書にしておく。
奥州にいる牛若丸に逢いたくなった母
常盤が侍女を一人つれて東へ下る。途中の宿で盗賊の群に襲われ、着物を剥がれた上に刺殺される、そのあとへ母をたずねて上京の途上にある牛若が偶然泊り合わせ、亡霊の告げによってその死を知る。そうして
復讐を計画し、
詭計によって賊をおびき寄せておいて皆殺しにする。後日再び奥州から大軍の将として上洛する途上この宿に立寄り
懇ろに母の霊を祭る、という物語を絵巻物十二巻に仕立てたものである。
絵巻物というものは現代の映画の先祖と見ることが出来る。これについては前にも書いたことがあったが、この山中常盤双紙は、そういう見方の適切なことを実証するのに好都合な一例と見ることも出来る。
絵巻物の色々な場面の排列、モンタージュまた一つの場面の推移をはこぶコマ数の
按配、テンポの緩急といったようなものに対する画家の計画には、ちょうど映画監督、編輯者のそれと同様な頭脳のはたらきを必要とすることがわかる。
映画としてのこの絵巻のストーリーは、
猿蟹合戦より忠臣蔵に至るあらゆる
仇打ち物語に典型的な型式を具えている。はじめは仇打ち事件の素因への道行であり、次に第一のクライマックスの殺し場がある。その次に復讐への径路があって第二の頂点仇打ちの場になる。そうして結局の大団円なりエピローグが来る。そういう形式がかなりはっきりしているのが目につく。
映画のタイトルに相当する
詞書の長短の分布もいろいろ変化があって面白く、この点も研究に値いする。
二つのクライマックスの虐殺の場がかなり分析的にコマ数を多くして描写されている。展覧会場では、この二つの頂点の処の肝心な数コマが白紙で
蔽われて「カット」されていたことからしてみると、相当に深刻な描写があって人間の隠れた本能を呼びさますものがあるものと見える。
全十二巻の詞書というものを売っていたので買ってみると、詞書の上段に若干の画面の写真版が並んでいて、その中には上記のカットされたもののうちの二、三があるので大抵の想像が出来る。第一の頂点では常盤と侍女と二人が丸裸にされて泣き騒ぎ、その上に無残に刺殺され、侍女の死骸は縁側から下へころがされるといういきさつが数コマに亘って描かれてあるらしい。また第二の山では牛若丸が六人の賊をめちゃくちゃにたたき斬る、そうして二つ三つに切った死骸を
蓆で包んで川へ流しに行くまでを精細な数コマに描き分けたものらしい。
こういうことから考えてみると、この絵巻物は、一方では勧善懲悪の教訓を含んでいると同時に、また一方ではおそらく昔の戦乱時代の武将などに共通であったろうと思われる嗜虐的なアブノーマル・サイコロジーに対する適当な刺戟として役立ったものであろうと想像される。殊に第一のクライマックスは最も極端なアブノーマル・エロチシズムの適例として見ることも出来はしないかと想像される。
こういうものが如何なる時代に如何なる人の
需めによって如何なる人によって制作されたかということは、色々な問題に聯関して研究さるべき興味ある題目となるであろうと思われる。
それにつけて想い出されるのは、仏教や
耶蘇教の宗教画の中にも、この絵巻物の中に現われているような不思議な嗜虐性要素のしばしば現われることである。十字架の
基督や矢を受けた聖セバスチアンもそうであるし、また地獄変相図やそれに似た耶蘇教の地獄図、聖アントニオの誘惑の絵の中にも同じようなものが往々見出される。こういう一致は偶然のことではなくて深い奥の方に隠れた人間の本性に根を引いていることだろうと思われるのである。
この間映画で見たが、インドの聖地では、自分の肉体を責めさいなむことを一生の唯一の仕事にしている人間が沢山いるようである。どうも不思議なことだと思われたが、よく考えてみるとこの謎が少し分りかけたような気もするのである。
(昭和九年七月『セルパン』)