宇宙の二大星流

寺田寅彦




 我邦わがくにのような湿気の多い土地では、空が本当によく晴れ切ってあま河原かわらの砂も拾えそうな夜は年中でわずかしかない。先ず十二月から正月へかけて二ヶ月くらいなものであろう。天文学者はこの機を利用して観測に耽り、詩人宗教家はこの間に星月夜の美観を唱い造化の偉大をたたえる事が出来る。それで時節柄天体の運動に関する最新の大発見をちょっとここで読者に御紹介しておきたい。
 小学校や中学校で教える天文学では、大小無数の恒星もその一なる太陽も動かぬものとなっている。吾等が棲む地球はその姉妹なる諸遊星と独楽こまのように廻りながら太陽の周囲を不断週遊しているのであると講釈する。なるほどこれで大体は正しい。春夏秋冬昼夜の別は勿論の事、複雑な諸星の行動も遺憾なく理解する事が出来る。しかし太陽も満天の恒星も全く動かぬというのは、実は、嘘ではないまでも人を見て法を説く小乗の方便である。動かぬどころか大いに動いている。いやどんなに速い鉄砲玉でも追付かれぬくらいな速度で空間を飛んでいる。そんなに動いているものを動かぬなどと教えるのは不埒千万だと御咎めになる方があれば、それには次のような弁解をしなければならぬ。先ず大きな汽船に乗って遠洋へ出たとする。四方見廻す限り陸地の影も見えぬ、ただ水平線上に幾筋かの横雲が静かに横たわっていると想像する。この時船中の食堂で卓を囲んで皿の肉をつついている人には船が進んでいようがいまいが何の痛痒つうようも感ぜぬ、船が動けば皿の肉もそれを食っている自分自身もやはり一緒に動いて行くからだ。その時「オイ君の食ってるビフテキは一時間三十かいりで走っているぜ」と教えるのは少々馬鹿げているではないか。小学校や中学校で太陽系を説くのは丁度船中で船内の事のみを教えているようなものである。それからまた船が一直線に進んでいる時遥かな水平線上の雲などを見ていれば雲も動かず船も動かず、いつまでも同じ処で波を切っているような気がする。これは雲が遠いからである。それと同じようにすべての恒星は非常に遠いので太陽系がこれに対して移動している事が短い年月の間には認められぬのである。しかし事実は何処までも事実であるから皿のビフテキはやはり飛んでいる、食っている人はこれを追っ駆けながら平気でいる。ビフテキばかりか船も飛んでいる。海も陸地も地球と一緒に凄まじい速度で太陽のまわりを飛んでいる。太陽はまた地球その他の遊星を率いて天の一方リーラ星座に向って突進している。この事を始めて気付いたのは英国のハーシェルという星学者であった。一見動かぬと思われる恒星をよくよく調べてみると実は少しずつ動いている。少しずつと云うのは遠い地球から見て云う事で実は驚くべき速度で動いている、がどの星もみなリーラ星宿から外へ向いて散開しつつあるように見える。これを畢竟するに太陽系がこの星座に向って進んでいるため、丁度船が港に近づく時眼前の景色が目指す埠頭を中心として展開すると同じだと説き、爾来誰も異議をさしはさむものがなかった。ハーシェルの調べた結果によれば太陽は半時間に一万マイルくらいの速度で飛んでいる、一日たてば四十八万マイルだけ目的地に近寄ってはいるがその行先はあまりに遠い虚空の果で、百年や二百年の短日月では一向近寄ったようにも見えぬのである。
 ハーシェルの発見も今は昔となった。近頃和蘭オランダグロニンゲンのカプタイン博士等は、従来多年の観測の結果を綜合して精細な研究を遂げた末に、天体に散布せる諸恒星は自ずから二派の流れに分れている事を発見した、すなわち天体各部の星の運動が目指す方向を反対に延長して見るとほぼ定まった二つの星座に集注する。一群の星は前述のリーラ星座より発して四方に展開しつつあるがごとく、他の一群は北天カメロパルダリス星座の辺よりいずるようである。つまり大小の群星には二つの党派があってそれぞれの根拠地より出でて互いに入り乱れつつも目ざす処に馳せ行くがごとき有様である。しからば吾等諸遊星の組頭とも云うべき太陽はどちらの党派に属しているだろうかという疑問が起る。悲しい事には吾々太陽の陪臣微々たる人間の目には堂々たる太陽の歩武がどちらに向いているという事がはっきり分らぬが、ただ周囲に動いている諸星の中でリーラ派のは速く動くように見え、カメロパルダリス派のは割合に吾等と歩調の差が少なく見えるから、先ず吾等は後の派に属するものと考えねばならぬ。
 ハーシェルはリーラ座より発するごとき諸星の運動のみを見てこれは太陽がこの星座の方に動いているためだと解釈したが、カプタイン一派の考えでは天体には二つの大きな星の流れがあって二つの方向に交叉しているというのである。この説が一般に採用されるかどうかという事はなお他日を待たねばならぬが、とにかく天体の運動に関して光明を与うる一大発見と云わねばなるまい。
 こういう説を聞いて星夜の空を仰いでみる。そしてあの小さな美しい星が我が地球の何百万倍も大きな火の玉で、それが何万となき群になって無辺の宇宙の果から果に測り難い使命を帯びて急いで行くのだと考えると、一種妙な心持になるのである。
(明治四十年十二月十四日『東京朝日新聞』)





底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
   1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1986(昭和61)年1月7日第2刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1907(明治40)年12月14日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の署名は「日生」です。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年11月26日作成
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