自分は蚊帳が嫌いである。しかし蚊に責められるのはそれ以上に嫌いだから仕方なしに毎晩このいやな蚊帳へもぐり込んで我慢している、そしてもう少し暑苦しくない心持のよい蚊帳が出来ぬだろうかと思う。一夜寝ながら色々考えてみた。
第一に蚊帳の内と外とで温度がどれだけ違うだろうかと思って夜中に寒暖計を持って出たり入ったりしてみたが残念ながら大した差はなかった。しかし人体に感ずる暑さは必ずしも寒暖計の示度ばかりでは分らぬ。空気の流通の善悪が大いに関係する。気温は高くても風があれば涼しい。ところが蚊帳がこの風を邪魔するのは確かである。風のある宵に蚊帳の内と外とで煙草をふかしてみても知れる。それもそのはずである。風のエネルギーは第一に蚊帳を
蚊帳が幾分でも空気の疎通を妨げるとすれば二、三人も狭い蚊帳に寝ていれば炭酸瓦斯の分量も外よりは多くなるかも知れぬ。しかしこんな試験は
一体蚊を防ぐのが目的ならばもう少し目の粗い布を使ったらよさそうなものである。試みに
蚊帳の色は一般に
蚊帳を釣ると上が垂れて
蚊帳を組立てている繊維の表面はよせ集めるとなかなか広い。この表面にはあらゆる
雷鳴の時に蚊帳を釣ってもぐり込むのは誰が考えた事か知らぬが、ただの迷信とちがって存外理窟に合っている。電気の導体ですっかり包んだ中へは外からの電気作用が及ばぬというのは定則で、ある学者はこれを証するために自身で金網の中へはいり外から恐ろしい強い電気の火花をポンポン飛ばしたが中に居た先生には何の事もなかったという事である。しかるに麻布殊に湿気を帯びたのはかなりよい電導体で蚊帳はその網である。落雷はすなわち強い電気の火花だから理論上蚊帳は落雷の時の防衛になる事になりそうである、しかしどのくらいの程度まで有効かという事や、麻、木綿、絹等の比較などは専門の学者の研究を待たねば分らぬ。これもついでに御願いしたいものである。
吾々が今日の蚊帳に満足せぬまでも苦情を云わずに毎晩釣って寝ているのは、吾等の親もその親もこれを釣って寝たというだけの理由で、蚊帳といえばこんなものとあきらめているだけの事であろう。決して理想的の蚊帳ではない。玩具の絵具を検査し、猫とペストの関係を研究する世の中である。蚊帳の問題といってもただ閑人の寝言と思われては残念である。
(明治四十一年八月十八日『東京朝日新聞』)