汽船の改良

寺田寅彦




 船に酔わぬ人に云わせると航海ほど愉快なものはない。しかし吾々船に弱い者から見るとこんな厭なものはない。船室に潜り込んだが最後、もう頭が上がらぬ。海上の日の出がどんなに美しかろうが、海鳥が飛ぼうが、鯨がはねようがそんな事はどうでもよい、一刻も早く目的地に上陸して動かぬ地盤が踏みたいと願う。そしてなるべくなら船に乗りたくないと思うが、海国の悲しさには、ちょっと踏み出せば是非とも船でなければならぬ。止むを得ないとなればどうか揺れない船が欲しいと思うた、誰も変りはあるまいと思う。
 造船学者の方から見れば汽船の改良すべき点は色々あろうが、乗客の側から云えば船体の構造、機関の種類はどうでもよい、ただ安全で、動揺が少なくて、そして速力が大きければよいのである。造船学者もこの点については如才なく色々工夫をしている。
 船の動揺には横揺れローリング縦揺れピッチングとある事は誰も知る通りで、大抵の場合には両方同時に起る。殊に小さな汽船のともの方などへ乗ると、縦横に揺り上げ揺り下ろされる。もしどちらか一方だけでも出来ればいくぶんか楽であろうと思われるが、この中で横揺れの方だけはよほど少なくする方法が色々発明されている。
 第一に、船底にビルジキールと名づくるひれのような物を着けると、その抵抗でよほど揺れが少なくなる。巧く作れば動揺の角度が半分くらいにはなる、これは実際今日でも用いられている。
 第二には船の中に大きな空室を作り、その中に水を満載し、船の動揺に応じて適当に水を動揺させ、その作用で横揺れを防ぐという工夫が今より二十年前、英国の二、三の汽船に応用されたが、あまり面白くなかったと見えてその後は用いられぬ。
 第三には仏国学士院へクレミユという理学者が提出した新案である。船の中に大きな重い振子を吊し、その周囲に粘い油を入れるというのであるが、まだ実際の試験をするところまで行かぬらしい。
 第四には英国のソーニークロフトという人が、巧妙な仕掛けでごく重い重量を自働的に船の左右に交互に動かして、波のために起る動揺を防ぐ事を考え、実際の汽船に取付けて試験してみたら、かなりによく行ったそうである。しかしその後あまり用いられぬ。
 第五にごく近頃、ハンブルヒのシュリックという有名な造船家が大きな独楽こまを船中に取付け、これを迅速に回転すると横揺れがほとんど止まるという巧みな考えを出し、小形の船で実験したら非常に好結果を得たので更に目下エルベ、ヘリゴランド間通いの千トンくらいの客船に取付けるのを製造中だそうである。この発明はよほど有望で追々広く用いられるだろうという話、とにかく船嫌いには有難い福音である。
 縦揺れの方は今日では別にこれを防ぐ工夫がないようで、物足りないが仕方がない。ただ縦揺れのために起る上下動は、船の中央部が比較的一番少ないから、近来の良い船の一等室は大抵船の中ほどに置いてある。
 横揺れ縦揺れの外に、もう一つ汽船特有の厭な事がある。すなわち汽船が進行を起すと船体がブルブル振動する。浪が穏やかで船の揺れぬ時でもこの微動だけは免れぬ不愉快である。これはつまり主として機関の上下運動の反動で船体各部の振動を起すためであるから、機関の各部分の重量をうまく取り、反動のないようにすれば防がれる。近頃新式のタービンならば機関に上下運動をやる部分がないから、こんな厭な反動はない。また推進器スクリュウプロペラーの羽で水を艫部ろぶに打ち付けるためにいくぶんの振動を起すが、これは船体の枢要な箇所を丈夫にすれば大抵防がれる事になる。
 いくら動揺が少ない船でも速力が鈍くては困る。次には少しでも快速力の船に乗りたい。先ず今日乗客船の速いので一時間二十五かいりくらい、かなりに速いと云わねばならぬ。しかし速力を大きくするためには汽缶も沢山にせねばならず、石炭も沢山使う。また一方では機関部が大きくなるので積荷が自然減るから運賃の収入が減る。この埋め合せには乗客の賃金を増す外はないから、要するに速力が増せば賃金が増すと思わねばならぬ。近年大西洋航路などでは速力の増すとともに賃金も著しく上がったが、それにもかかわらず争うて快速力の船を選ぶ有様だそうである。我国の各航路でも、どうかもう少し速くて乗心地のよい船をドシドシ造ってもらいたいものである。
(明治四十年八月三十日『東京朝日新聞』)





底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
   1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1986(昭和61)年1月7日第2刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1907(明治40)年8月30日
※初出時の署名は「TR生」です。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年3月27日作成
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