天然色写真新法

寺田寅彦




 今度仏国のリュミエール会社で天然色写真の種板を売り出した。ただ一枚の板で真物ほんもの同様の色彩が写されるというのがこの種板の優れた特色である。風景なり人物なり、これで撮って適当な薬液で現像すれば蒼い空に浮く雲も、森の緑、野の花の黄紅白紫、ないしは美人の頬の桜色でもすぐに種板に現われるというのは愉快である。
 同会社でこの発明に成効しいよいよ種板として売り出す今日までには三年間の苦心をしたという。今この種板の製法より、如何にして原色が写るかという事を述べる前に、先ず従来の天然色写真はどんなものかという事を簡単に御紹介したい。
 天然の色彩を写したいという事は写真というものの開闢かいびゃく以来の希望であったが、始めて一つの名案を出して喝采を博したのは仏のリップマン氏である。氏の考案は光がエーテルの波動だという事を基礎としたもので、理論上実に巧妙なものである。そして単に考案を立てたばかりでなく、実際に色の写った写真を撮って当時の耳目を驚かせた。その方法は、一種特別な種板の裏を水銀で蔽い、これで普通写真のように撮影した後現像すれば、種板を通って水銀に当る光線と、それから反射する光とが互いに干渉して種板の薄い膜の中に微細なしまが出来る、この縞の精粗は光の色によってちがう。かくして得た板を適当な方面に照らしてみれば、この縞のために起る光の分散によって原色が見えるというのである。これは大変にうまい法だが難儀な事にはこの種板を作るのがなかなか六かしい。そして強い光でないとよく感じぬ、普通の花や人物でも撮るには非常な長時間かかる。その他いろいろ六かしい事があって普通の人の手にえぬ方法である。それでリップマン氏は昨年第二の方法を案出して発表した。その方法も理論上面白い法であるが、出来上がった板をそのまま見るのではなく、かなりに面倒な器械で覗いてみなければならぬので、到底一般には行われそうもない。
 先ず従来の天然色写真でやや成効し、且つ用いられたのは、雑誌の口絵などで御馴染の三色版である。これは多くの人の知る通り一枚の絵を得るために三枚の写真を撮る。それぞれちがった色硝子の障子で天然の色を三通りにし分け、別々に撮った三つの写真版を赤黄青の三色で重ね刷りにするという趣向であって、絵具の調合などが巧みにゆけば相応に天然に近い色が出来る。なおこの種のものには一枚の原色版のために六枚以上種板を使うのもあるそうな。
 しかるに今度新発明の種板はただの一枚で原色が写るのが面白い。この方法の種明しをすれば、高尚な学理も何もない。ただ三色に染め分けた澱粉を使って一枚の板を三枚に代用するだけの手品である。
 先ず細かい粉のよく揃った澱粉を青赤黄の三色に染め分け、これを適当な割合で丁寧に混合する。すると三色の粉はすっかり一様に混じてもはや三色は別々に見分けが付かず、一体に灰色を帯びて見える。この混合した粉を硝子板の表面に一様にふるいかけてのち押し付けると三色の粉を不同なく板の上に密布し、顕微鏡で見れば全体がモザイックのようになっている。この上に仮漆ワニスを薄くかけ、またその上に感光液をかけて乾かせば種板は出来上がってしまう。さてこの種板を普通のカメラに入れ薬の引いた方を後にして撮影する。もし種板の一点に青い例えば空の色が写ったとすればその色の光は青の澱粉だけしか通らぬから、従って青い粒の裏に当る部分だけが感じて、現像すれば其処そこの銀が還元する。この板を適当な酸で洗えば、還元した銀は洗い落されるから青い粒の裏だけが透明になる。しかる後全体をまた還元液に浸せば、銀液の残っていた部分すなわち赤と黄の粒の処は黒くなるから、結局その点は青い粒だけが見えるようになる。すなわち青い空の色が写った事になる。赤黄の色についても同様である。また他の複雑な色ならばそれに相応して三色の粒の処があるいは薄くあるいは濃くなっているが、粒が細かいから肉眼にはただこの三色の混じた複色が見えるのである。
 今日のところでは硝子板に撮れるだけで、紙に写す事が出来ぬのは残念であるが、とにかく巧妙で有用な発明として歓迎すべきものであろう。有志の方は早速取り寄せて試みる事をお勧めしたい。
(明治四十年九月二十一日『東京朝日新聞』)





底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
   1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1986(昭和61)年1月7日第2刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1907(明治40)年9月21日
※初出時の署名は「HK」です。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年2月25日作成
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