猫六題

寺田寅彦




 この頃猫の話が流行はやるからここにも少しばかり集めてみる。

猫と三味


 三味さみは何処で出るといえば無論三筋のいとから起るが、絃自身から直接に空気に伝わる音は割合に弱いものである。大部分の音は絃につれて振動する胴に張った皮から空気に伝わる。単に絃を張った皮のみならず裏の皮からも伝わる。それだから三味を弾く時には裏の皮を身体にくっつけては駄目な訳であろう。要するに三味線の音の大部は胴に張った猫の皮から出ているのである。

猫のピアノ


 昔物好きな人が猫ピアノというものを作った事がある。箱の中にいくつも仕切りをしてその中に一つ一つ猫を入れておく。箱の前の鍵盤のようなものの一つを指で押すと槓杆てこの仕掛けで一疋の猫の尻尾しっぽをぐいと押す。すると猫がにゃあと鳴く。数疋の猫がそれぞれ高低のちがった鳴声を出すようにしてあるので、うまく鍵盤をたたいてやれば猫の音楽が出来るというのである。嘘のような話だがこういう話が残っている。

猫の宙返り


 猫をさかさにつるして高い処から落せば空中でくるりと身をかわしてうまく四つ足で立つ。これは何でもないような事だが、どうして猫が廻転するかという事は昔から物好きな学者の間で真面目な問題となっている。猫の落ちるところを活動写真にとって研究した人もある。先達てドイツのある科学雑誌に猫の宙返りの真似をする雛形ひながたが載せてあった。厚紙か何かの筒の横腹から四つ足を出したものが猫の胴になりその一端に薄っぺらな短い尻尾が付いている。この猫の腹の真中にある穴から糸が出ている。この糸で雛形を倒につるす。その時尻尾は下に垂れているが、糸を切って落すと同時にバネ仕掛けで尻尾がくるりと百八十度廻転する、そのはずみで胴体も宙返りをして四つ足で立つというのである。尻尾の短いほとんどないような猫はどうするだろう。

猫と電気


 二つの物を互いに摩擦する時一方に陽電気が起れば相手の方には陰電気が起る。しかし同じ物でもり合せる相手に依ってあるいは陽になる事もありまた陰になる事もある。例えばガラスなどは絹で摩擦すれば陽電気を帯びるがフランネルでこすれば陰電気を生ずる。ところが猫の毛皮は大抵の物と摩擦すれば陽性になるにきまっている。ネルとでもガラスとでもまた絹とでも何が相手になっても陽電気を生ずる。それで昔の電気学者が種々の物体を陽陰の順に列挙した時に猫の皮を陽の方の首位大関おおぜきの位置に上げた。その後静電気の実験に猫の皮は附き物となったのである。

猫の保護色


 猫の中に眼瞼まぶたの上の処だけ色がついて、眠っている時でもちょっと眼を明いているように見えるものがある。ある人はこれを一種の保護色の例であると論じている。

猫の智慧


 ある人の飼猫は主人の居室で椅子の上に登って呼鈴よびりんのボタンを押しボーイを呼出す癖があった。またある猫は料理番が台所で居眠りをして火事を起しかけたのを主人に急報した。それから夜しめ出しをくった時入口の戸をコツコツ叩く猫もある。また子を生むといつでもその子を取り上げられるので色々隠し場所を変えた末に、とうとう主人の書斎の書棚の奥に隠した猫もある。
(明治四十一年九月一日『東京朝日新聞』)





底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
   1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1986(昭和61)年1月7日第2刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1908(明治41)年9月1日
※初出時の署名は「閑人」です。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年10月26日作成
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