一個の電灯の長さ数十尺より二百尺に達すると聞いては誰しも驚かぬ人はあるまい。この驚くべく長い管で出来た電灯は、その発明者ディー・マクファーラン・ムーアの名に依ってムーア灯と名づけられている。始めてこの灯が世に出たのは既に十余年の昔であるが、その後だんだんに改良を加え、漸く実用に適するようになったのは昨今の事である。近頃英国で著名の某大旅館にこれを点じたため、急に世間の注意を引く事となった。
こんなに長い電灯を何のために作るだろうかと尋ねてみると、これは物好きでも
酔興でもない。つまり、なるべく大きな光源を作って、物の陰影をなくし、昼を欺くようにしたいからである。普通の電灯、その他のあらゆる灯火は、光を出す部分が小さいから、これに照らされる物体の陰影は大きくて暗い、沢山の電灯を点じ連ねても、どうしても室の隅、器具の隈には光が行き渡らぬ。それでもし一室の内をぐるりと取り巻く大きな硝子管の中が一体に光るようなものが出来れば、この不便をよほどなくする事が出来るだろう。ここに述べるムーア灯は正にこの注文に応じて出来たもので、室ならばその
鴨居の後ろに隠れた長い管が、一面に光を放って天井を照らし、室内は不夜の境となるのである。
この灯の構造を簡単に云えば、長い
硝子管内の空気を大部分抜いて稀薄にし、その両端に挿し込んだ電極から電流を通じて管内の空気を光らせるに過ぎぬ。空気の代りに他の
瓦斯を入れることもあるが、要するに稀薄な瓦斯中を電気が通る際に、その瓦斯が光を放つというだけのことである。しかるにかくのごとき管に
少時続けて電流を通すと、中の瓦斯がだんだんに稀薄の度を増し、遂にある度に達すると電流は通らなくなり、従って光も消えてしまう。それ故不断に光らせるためには、時々必要に応じて少量の瓦斯を管内に補給する仕掛けが是非とも入用である。この目的で工夫された巧妙な自働的の開閉弁を簡単に説明すれば次のような仕掛けである。すなわち管内が稀薄の度を増して電流が弱くなると同時に弁に附属したコイルの電流が強くなって、弁の一部の鉄片を引き上げる。すると鉄の浮いていた小管内の水銀面が下がって弁の細い孔が露出し、ここから瓦斯が侵入して稀薄の度を減じ、管が光り始める。同時に前記の鉄片が落ちて水銀が上がり、細孔に蓋をするという工合になっている。
この灯の光の色は管内に入れる瓦斯を巧みに調合すればどんな色でも勝手に出来る。例えば空気のみならば美しい桃紅色、窒素ならば黄色である。もし空気を管中に入れる前に
燐の中を通してやれば非常に美しい黄金色になるという。また炭酸瓦斯を用うれば太陽の光と同じ純白色となる。但しこの白色の光を出すためには同燭力の黄色の光を出すに比べてほとんど倍の費用を要する故、あまり経済ではないが、しかしリボン商等のごとき、昼夜色染の貨物を取り扱う家では、この白光は非常に有用なものであろう。
なおこの灯の利益な点を挙げてみれば、第一前記のごとく室の隅にまで明るくなる故、倉庫の中などにこれを点ずれば、貨物の出し入れに暗さを
喞つ心配はなくなる。次にこの灯の光は普通電灯のごとく一点から出るのではなく、広い面積から出るので、光が柔らかく眼を害する恐れがない。次にこの灯の寿命は四千時間以上で普通白熱灯などよりは数倍長く持つという利益がある。その他電力の経済も、他灯に優るとも劣らぬと発明者は云っているが、この点はなお試験を重ねた後でなくては判然せぬものと見ねばならぬ。
最後に少々この電灯の不都合な点を述べてみれば、こういう長い硝子管の一箇所でもちょっと
罅裂が入れば全体が駄目になる。いざ急に取り換えるといっても、こんな長大なものは即座には取り付けられぬ。故障が起ったが最後、不夜城は闇になる騒ぎである。またこの灯に用うる電流は高圧を要するから、交番電流を用い特別の変圧器を使う故、多少この点でも価が高くなるという事である。
(明治四十年十月一日『東京朝日新聞』)