四五年といふもの逗子の方へ行つてゐたので、お花見には御無沙汰した。全體
近來櫻花の下を通る女の風俗を見るに、どうも物足りない點がある、花に對する配合が惡い。たとへば上野なら上野で、清水の堂に、文金の高島田、紫の矢絣、と云つた美人が、銀地の扇か何か持つてゐるといふと、……奈何にも色彩が榮えて配合その宜しきを得てゐるが、これが今時のやうな風俗であると一寸弱る、前述のやうだとお花見らしい上野が見えると言ふもの。夫から上野にしろ向島にしろ、そこらを歩いてゐる女達が、左程迄にゆかなくつても、濃艶淡彩とり/″\に見えるけれど、此頃の風俗ではパツと咲いてる櫻花の下に、女は唯黒ツぽく見えるばかり、打見たところ色が雜つて、或
酒なくて何のおのれが櫻かな、で花にはいづれも附物だが、ほんとうに花を見ようといふなら、明方の櫻か、薄月でもあつて、一本の櫻がかう明るいやうな所を見るにあると、言ふものの半ば御多分に漏れない、活きた花を見るのだが、陰氣な顏をして理窟を言つたり、くすんだりして見るよりは、派手に陽氣に櫻と競つて花見をしたら、萬都の美觀を添へるだらうと思ふ。
要するに櫻の下に行交ふ女が黒つぽいと言つて、素人らしくないといふ意味では決してない。が何も御自分勝手にさういふ風をなさるのも、異裝をするのも惡い事ではない。どんな事をしても、お樂みがあれば夫でよい譯だが、庇髮に金ピカの三枚櫛なんてものは、其上に櫻は決して調和したものではない。
たとへば第一歩く振なり容子なり、甚だ美しくなくなつた。落花の黒髮にかゝる風情、袂や裾に散る趣きも、今では皆がいきなり手を出して掴むぐらゐな
明治四十三年四月