西は
神通川の
堤防を
以て
劃とし、
東は
町盡の
樹林境を
爲し、
南は
海に
到りて
盡き、
北は
立山の
麓に
終る。
此間十
里見通しの
原野にして、
山水の
佳景いふべからず。
其川幅最も
廣く、
町に
最も
近く、
野の
稍狹き
處を
郷屋敷田畝と
稱へて、
雲雀の
巣獵、
野草摘に
妙なり。
此處往時北越名代の
健兒、
佐々成政の
別業の
舊跡にして、
今も
殘れる
築山は
小富士と
呼びぬ。
傍に一
本、
榎を
植ゆ、
年經る
大樹鬱蒼と
繁茂りて、
晝も
梟の
威を
扶けて
鴉に
塒を
貸さず、
夜陰人靜まりて
一陣の
風枝を
拂へば、
愁然たる
聲ありて
おうおうと
唸くが
如し。
されば
爰に
忌むべく
恐るべきを(おう)に
譬へて、
假に(
應)といへる
一種異樣の
乞食ありて、
郷屋敷田畝を
徘徊す。
驚破「
應」
來れりと
叫ぶ
時は、
幼童婦女子は
遁隱れ、
孩兒も
怖れて
夜泣を
止む。
「
應」は
普通の
乞食と
齊しく、
見る
影もなき
貧民なり。
頭髮は
婦人のごとく
長く
伸びたるを
結ばず、
肩より
垂れて
踵に
到る。
跣足にて
行歩甚だ
健なり。
容顏隱險の
氣を
帶び、
耳敏く、
氣鋭し。
各自一
條の
杖を
携へ、
續々市街に
入込みて、
軒毎に
食を
求め、
與へざれば
敢て
去らず。
初めは
人皆懊惱に
堪へずして、
渠等を
罵り
懲らせしに、
爭はずして
一旦は
去れども、
翌日驚く
可き
報怨を
蒙りてより
後は、
見す/\
米錢を
奪はれけり。
渠等は
己を
拒みたる
者の
店前に
集り、
或は
戸口に
立並び、
御繁昌の
旦那吝にして
食を
與へず、
餓ゑて
食ふものの
何なるかを
見よ、と
叫びて、
袂を
深ぐれば
畝々と
這出づる
蛇を
掴みて、
引斷りては
舌鼓して
咀嚼し、
疊とも
言はず、
敷居ともいはず、
吐出しては
舐る
態は、ちらと
見るだに
嘔吐を
催し、
心弱き
婦女子は
後三日の
食を
廢して、
病を
得ざるは
寡なし。
凡そ
幾百戸の
富家、
豪商、一
度づゝ、
此復讐に
遭はざるはなかりし。
渠等の
無頼なる
幾度も
此擧動を
繰返すに
憚る
者ならねど、
衆は
其乞ふが
隨意に
若干の
物品を
投じて、
其惡戲を
演ぜざらむことを
謝するを
以て、
蛇食の
藝は
暫時休憩を
呟きぬ。
渠等米錢を
惠まるゝ
時は、「お
月樣幾つ」と
一齊に
叫び
連れ、
後をも
見ずして
走り
去るなり。ただ
貧家を
訪ふことなし。
去りながら
外面に
窮乏を
粧ひ、
嚢中却て
温なる
連中には、
頭から
此一藝を
演じて、
其家の
女房娘等が
色を
變ずるにあらざれば、
決して
止むることなし。
法はいまだ
一個人の
食物に
干渉せざる
以上は、
警吏も
施すべき
手段なきを
如何せむ。
蝗、
蛭、
蛙、
蜥蜴の
如きは、
最も
喜びて
食する
物とす。
語を
寄す(
應)よ、
願はくはせめて
糞汁を
啜ることを
休めよ。もし
之を
味噌汁と
洒落て
用ゐらるゝに
至らば、十
萬石の
稻は
恐らく
立處に
枯れむ。
最も
饗膳なりとて
珍重するは、
長蟲の
茹初なり。
蛇[#ルビの「くちなは」は底本では「くちはな」]の
料理鹽梅を
潛かに
見たる
人の
語りけるは、(
應)が
常住の
居所なる、
屋根なき
褥なき
郷屋敷田畝の
眞中に、
銅にて
鑄たる
鼎(に
類す)を
裾ゑ、
先づ
河水を
汲み
入るゝこと
八分目餘、
用意了れば
直ちに
走りて、
一本榎の
洞より
數十條の
蛇を
捕へ
來り、
投込むと
同時に
目の
緻密なる
笊を
蓋ひ、
上には
犇と
大石を
置き、
枯草を
燻べて、
下より
爆※[#「火+發」、110-5]と
火を
焚けば、
長蟲は
苦悶に
堪へず
蜒轉
り、
遁れ
出でんと
吐き
出す
纖舌炎より
紅く、
笊の
目より
突出す
頭を
握り
持ちてぐツと
引けば、
脊骨は
頭に
附きたるまゝ、
外へ
拔出づるを
棄てて、
屍傍に
堆く、
湯の
中に
煮えたる
肉をむしや――むしや
喰らへる
樣は、
身の
毛も
戰悚つばかりなりと。
(
應)とは
殘忍なる
乞丐の
聚合せる
一團體の
名なることは、
此一を
推しても
知る
可きのみ。
生ける
犬を
屠りて
鮮血を
啜ること、
美しく
咲ける
花を
蹂躙すること、
玲瓏たる
月に
向うて
馬糞を
擲つことの
如きは、
言はずして
知るベきのみ。
然れども
此の
白晝横行の
惡魔は、
四時恆に
在る
者にはあらず。
或は
週を
隔てて
歸り、
或は
月をおきて
來る。
其去る
時來る
時、
進退常に
頗る
奇なり。
一
人榎の
下に
立ちて、「お
月樣幾つ」と
叫ぶ
時は、
幾多の(
應)
等同音に「お
十三七つ」と
和して、
飛禽の
翅か、
走獸の
脚か、
一躍疾走して
忽ち
見えず。
彼堆く
積める
蛇の
屍も、
彼等將に
去らむとするに
際しては、
穴を
穿ちて
盡く
埋むるなり。さても
清風吹きて
不淨を
掃へば、
山野一點の
妖氛をも
止めず。
或時は
日の
出づる
立山の
方より、
或時は
神通川を
日沒の
海より
溯り、
榎の
木蔭に
會合して、お
月樣と
呼び、お
十三と
和し、パラリと
散つて
三々五々、
彼杖の
響く
處妖氛人を
襲ひ、
變幻出沒極りなし。
されば
郷屋敷田畝は
市民のために
天工の
公園なれども、
隱然(
應)が
支配する
所となりて、
猶餅に
黴菌あるごとく、
薔薇に
刺あるごとく、
渠等が
居を
恣にする
間は、一
人も
此惜むべき
共樂の
園に
赴く
者なし。
其去つて
暫時來らざる
間を
窺うて、
老若爭うて
散策野遊を
試む。
さりながら
應が
影をも
止めざる
時だに、
厭ふべき
蛇喰を
思ひ
出さしめて、
折角の
愉快も
打消され、
掃愁の
酒も
醒むるは、
各自が
伴ひ
行く
幼き
者の
唱歌なり。
草を
摘みつつ
歌ふを
聞けば、
拾乎、拾乎、豆拾乎、
鬼の來ぬ間に豆拾乎。
古老は
眉を
顰め、
壯者は
腕を
扼し、
嗚呼、
兒等不祥なり。
輟めよ、
輟めよ、
何ぞ
君が
代を
細石に
壽かざる!
などと小言をおつしやるけれど、拾はにやならぬ、いんまの間。
斯くの
如く
言消して
更に
又、
拾乎、拾乎、豆拾乎、
鬼の來ぬ間に豆拾乎。
と
唱へ
出す
節は
泣くがごとく、
怨むがごとく、いつも(
應)の
來りて
市街を
横行するに
從うて、
件の
童謠東西に
湧き、
南北に
和し、
言語に
斷えたる
不快嫌惡の
情を
喚起して、
市人の
耳を
掩はざるなし。
童謠は(
應)が
始めて
來りし
稍以前より、
何處より
傳へたりとも
知らず
流行せるものにして、
爾來父母※兄[#「姉」の正字、「女+
のつくり」、112-8]が
誑しつ、
賺しつ
制すれども、
頑として
少しも
肯かざりき。
都人士もし
此事を
疑はば、
請ふ
直ちに
來れ。
上野の
汽車最後の
停車場に
達すれば、
碓氷峠の
馬車に
搖られ、
再び
汽車にて
直江津に
達し、
海路一文字に
伏木に
至れば、
腕車十
錢富山に
赴き、
四十物町を
通り
拔けて、
町盡の
杜を
潛らば、
洋々たる
大河と
共に
漠々たる
原野を
見む。
其處に
長髮敝衣の
怪物を
見とめなば、
寸時も
早く
踵を
囘されよ。もし
幸に
市民に
逢はば、
進んで
低聲に(
應)は?と
聞け、
彼の
變ずる
顏色は
口より
先に
答をなさむ。
無意無心なる
幼童は
天使なりとかや。げにもさきに
童謠ありてより(
應)の
來るに
一月を
措かざりし。
然るに
今は
此歌稀々になりて、
更にまた
奇異なる
謠は、
屋敷田畝に光る物ア何ぢや、
蟲か、螢か、螢の蟲か、
蟲でないのぢや、目の玉ぢや。
頃日至る
處の
辻にこの
聲を
聞かざるなし。
目の
玉、
目の
玉!
赫奕たる
此の
明星の
持主なる、(
應)の
巨魁が
出現の
機熟して、
天公其の
使者の
口を
藉りて、
豫め
引をなすものならむか。