一
越中
高岡より
倶利伽羅下の
建場なる
石動まで、四里八町が間を定時発の乗り合い馬車あり。
賃銭の
廉きがゆえに、旅客はおおかた人力車を捨ててこれに
便りぬ。車夫はその不景気を馬車会社に
怨みて、人と馬との
軋轢ようやくはなはだしきも、わずかに顔役の調和によりて、営業上
相干さざるを装えども、折に触れては紛乱を生ずることしばしばなりき。
七月八日の朝、一番発の馬車は乗り合いを
揃えんとて、
奴はその門前に鈴を打ち振りつつ、
「馬車はいかがです。むちゃに廉くって、
腕車よりお
疾うござい。さあお乗んなさい。すぐに出ますよ」
甲走る声は鈴の
音よりも高く、静かなる朝の
街に響き渡れり。通りすがりの
婀娜者は歩みを
停めて、
「ちょいと小僧さん、石動までいくら? なに十銭だとえ。ふう、廉いね。その代わりおそいだろう」
沢庵を洗い立てたるように色揚げしたる
編片の古帽子の下より、
奴は
猿眼を
晃かして、
「ものは
可試だ。まあお召しなすってください。腕車よりおそかったら代は
戴きません」
かく言ううちも
渠の手なる鈴は絶えず
噪ぎぬ。
「そんなりっぱなことを言って、きっとだね」
奴は
昂然として、
「
虚言と坊主の
髪は、いったことはありません」
「なんだね、しゃらくさい」
微笑みつつ
女子はかく言い捨てて乗り込みたり。
その
年紀は二十三、四、姿はしいて満開の花の色を洗いて、
清楚たる葉桜の緑浅し。色白く、鼻筋通り、
眉に力みありて、
眼色にいくぶんのすごみを帯び、見るだに涼しき美人なり。
これはたして何者なるか。髪は
櫛巻きに
束ねて、素顔を自慢に
※脂[#「月+因」、6-15]のみを
点したり。
服装は、
将棊の
駒を大形に散らしたる紺縮みの
浴衣に、
唐繻子と
繻珍の昼夜帯をばゆるく引っ掛けに結びて、空色
縮緬の
蹴出しを
微露し、素足に
吾妻下駄、絹張りの
日傘に
更紗の小包みを持ち添えたり。
挙止侠にして、人を
怯れざる
気色は、
世磨れ、場慣れて、
一条縄の
繋ぐべからざる魂を表わせり。
想うに
渠が雪のごとき
膚には、
剳青淋漓として、
悪竜焔を吐くにあらざれば、
寡なくも、その左の
腕には、
双枕に
偕老の名や刻みたるべし。
馬車はこの怪しき美人をもって満員となれり。発車の号令は割るるばかりにしばらく響けり。
向者より待合所の縁に
倚りて、一
篇の書を
繙ける二十四、五の
壮佼あり。
盲縞の腹掛け、
股引きに
汚れたる白小倉の背広を着て、ゴムの
解れたる
深靴を
穿き、
鍔広なる
麦稈帽子を
阿弥陀に
被りて、踏ん
跨ぎたる
膝の間に、
茶褐色なる
渦毛の犬の太くたくましきを
容れて、その頭を
撫でつつ、専念に書見したりしが、このとき鈴の
音を聞くと
斉しく身を起こして、ひらりと御者台に乗り移れり。
渠の
形躯は貴公子のごとく
華車に、態度は
森厳にして、そのうちおのずから
活溌の気を含めり。
陋しげに日に

みたる
面も
熟視れば、
清※明眉[#「目+盧」、7-12]、
相貌秀でて
尋常ならず。とかくは
馬蹄の
塵に
塗れて
鞭を
揚ぐるの
輩にあらざるなり。
御者は書巻を腹掛けの
衣兜に収め、
革紐を
附けたる竹根の
鞭を
執りて、
徐かに手綱を
捌きつつ身構うるとき、一
輛の人力車ありて南より来たり、疾風のごとく馬車のかたわらを
掠めて、
瞬く
間に一点の黒影となり
畢んぬ。
美人はこれを望みて、
「おい小僧さん、
腕車よりおそいじゃないか」
奴のいまだ答えざるに先だちて、御者はきと面を
抗げ、かすかになれる車の影を見送りて、
「吉公、てめえまた腕車より
疾えといったな」
奴は
愛嬌よく頭を
掻きて、
「ああ、言った。でもそう言わねえと乗らねえもの」
御者は黙して
頷きぬ。たちまち鞭の鳴るとともに、二頭の馬は高く
嘶きて一文字に
跳ね
出だせり。不意を
吃いたる乗り合いは、座に
堪らずしてほとんど
転び
墜ちなんとせり。
奔馬は
中を
駈けて、見る見る腕車を乗っ越したり。御者はやがて馬の
足掻きを
緩め、渠に先を越させぬまでに徐々として進行しつ。
車夫は必死となりて、やわか
後れじと
焦れども、馬車はさながら月を負いたる
自家の影のごとく、一歩を進むるごとに一歩を進めて、追えども追えども先んじがたく、ようよう力衰え、息
逼りて、今や
殪れぬべく覚ゆるころ、高岡より一里を隔つる
立野の駅に来たりぬ。
この
街道の車夫は組合を設けて、建場建場に連絡を通ずるがゆえに、今この車夫が馬車に
後れて、
喘ぎ喘ぎ走るを見るより、そこに客待ちせる
夥間の一人は、手に
唾して
躍り出で、
「おい、
兄弟しっかりしなよ。馬車の畜生どうしてくりょう」
やにわに
対曳きの綱を
梶棒に投げ
懸くれば、疲れたる車夫は勢いを得て、
「ありがてえ! 頼むよ」
「
合点だい!」
それと言うまま
挽き出だせり。二人の車夫は勇ましく相呼び
相応えつつ、にわかに驚くべき速力をもて走りぬ。やがて町はずれの狭く急なる曲がりかどを争うと見えたりしが、
人力車は無二無三に突進して、ついに一歩を
抽きけり。
車夫は
諸声に
凱歌を揚げ、勢いに乗じて二歩を抽き、三歩を抽き、ますます
馳せて、軽迅
丸の
跳るがごとく二、三間を先んじたり。
向者は腕車を
流眄に見て、いとも揚々たりし乗り合いの
一人は、
「さあ、やられた!」と身を
悶えて騒げば、車中いずれも同感の色を動かして、
力瘤を握るものあり、
地蹈
を踏むもあり、奴を
叱してしきりに
喇叭を吹かしむるもあり。御者は縦横に鞭を
揮いて、激しく手綱を
掻い繰れば、馬背の流汗
滂沱として
掬すべく、
轡頭に
噛み
出だしたる
白泡は
木綿の一袋もありぬべし。
かかるほどに車体は一上一下と動揺して、あるいは
頓挫し、あるいは傾斜し、ただこれ風の落ち葉を
捲き、早瀬の浮き木を
弄ぶに異ならず。乗り合いは前後に
俯仰し、左右に
頽れて、
片時も安き心はなく、今にもこの車
顛覆るか、ただしはその身投げ落とさるるか。いずれも
怪我は
免れぬところと、老いたるは震い
慄き、若きは
凝瞳になりて、ただ一秒ののちを危ぶめり。
七、八町を競争して、幸いに別条なく、馬車は辛くも人力車を追い抽きぬ。乗り合いは思わず手を
拍ちて、車も
憾くばかりに
喝采せり。奴は
凱歌の喇叭を吹き鳴らして、
後れたる人力車を
麾きつつ、踏み段の上に躍れり。ひとり御者のみは喜ぶ
気色もなく、
意を注ぎて馬を
労り
駈けさせたり。
怪しき美人は満面に
笑みを含みて、起伏常ならざる席に安んずるを、隣たる老人は感に堪えて、
「おまえさんどうもお強い。よく血の道が
発りませんね。平気なものだ、
女丈夫だ。
私なんぞはからきし
意気地はない。それもそのはずかい、もう五十八だもの」
その
言の
訖わらざるに、車は
凸凹路を踏みて、がたくりんと
跌きぬ。
老夫は横様に
薙仆されて、半ば
禿げたる
法然頭はどっさりと美人の膝に
枕せり。
「あれ、あぶない!」
と美人はその肩をしかと
抱きぬ。
老夫はむくむく身を
擡げて、
「へいこれは、これはどうもはばかり様。さぞお痛うございましたろう。御免なすってくださいましよ。いやはや、意気地はありません。これさ
馬丁さんや、もし若い
衆さん、なんと
顛覆るようなことはなかろうの」
御者は見も返らず、勢
籠めたる一
鞭を加えて、
「わかりません。馬が跌きゃそれまででさ」
老夫は
眼を
円くして
狼狽えぬ。
「いやさ、
転ばぬ
前の
杖だよ。ほんにお願いだ、気を着けておくれ。若い人と違って
年老のことだ、
放り出されたらそれまでだよ。もういいかげんにして、
徐々とやってもらおうじゃないか。なんと皆さんどうでございます」
「船に乗れば船頭任せ。この馬車にお乗んなすった以上は、わたしに任せたものとして、安心しなければなりません」
「ええ途方もない。どうして安心がなるものか」
呆れはてて老夫は
呟けば、御者ははじめて顧みつ。
「それで安心ができなけりゃ、御自分の
脚で歩くです」
「はいはい。それは御深切に」
老夫は腹だたしげに御者の
面を
偸視せり。
後れたる人力車は次の建場にてまた一人を増して、
後押しを加えたれども、なおいまだ
逮ばざるより、車夫らはますます発憤して、
悶ゆる折から松並み木の中ほどにて、
前面より
空車を
挽き来たる二人の車夫に出会いぬ。行き違いさまに、
綱曳きは
血声を振り立て、
「後生だい、手を
仮してくんねえか。あの
瓦多馬車の畜生、乗っ越さねえじゃ」
「こっとらの顔が立たねえんだ」と他の
一箇は叫べり。
血気事を好む
徒は、応と言うがままにその車を道ばたに
棄てて、総勢五人の車夫は
揉みに揉んで駈けたりければ、二、三町ならずして敵に
逐い着き、しばらくは相並びて互いに一歩を争いぬ。
そのとき車夫はいっせいに
吶喊して馬を
駭ろかせり。馬は
懾えて躍り狂いぬ。車はこれがために傾斜して、まさに乗り合いを振り落とさんとせり。
恐怖、叫喚、
騒擾、地震における惨状は馬車の
中に
顕われたり。冷々然たるはひとりかの怪しき美人のみ。
一身をわれに任せよと言いし御者は、風波に
掀翻せらるる汽船の、やがて
千尋の底に
汨没せんずる危急に際して、蒸気機関はなお
漾々たる穏波を
截ると異ならざる精神をもって、その職を
竭くすがごとく、
従容として手綱を操り、競争者に
後れず
前まず、
隙だにあらば一躍して乗っ越さんと、
睨み合いつつ推し行くさまは、この道
堪能の達者と覚しく、いと頼もしく見えたりき。
されども危急の際この頼もしさを見たりしは、わずかにくだんの美人あるのみなり。他はみな見苦しくも
慌て
忙きて、あまたの神と仏とは心々に
祷られき。なおかの美人はこの騒擾の間、終始御者の様子を打ち
瞶りたり。
かくて
六箇の車輪はあたかも
同一の軸にありて転ずるごとく、両々相並びて
福岡というに着けり。ここに馬車の休憩所ありて、馬に
飲い、客に茶を売るを例とすれども、
今日ばかりは素通りなるべし、と乗り合いは心々に
想いぬ。
御者はこの
店頭に馬を
駐めてけり。わが物得つと、車夫はにわかに勢いを増して、手を
揮り、声を
揚げ、思うままに侮辱して駈け去りぬ。
乗り合いは
切歯をしつつ見送りたりしに、車は遠く一団の
砂煙に
裹まれて、ついに眼界のほかに失われき。
旅商人体の男は最も
苛ちて、
「なんと皆さん、
業肚じゃございませんか。おとなげのないわけだけれど、こういう行き懸かりになってみると、どうも負けるのは残念だ。おい、
馬丁さん、早く
行ってくれたまえな」
「それもそうですけれどもな、
老者はまことにはやどうも。第一この
疝に
障りますのでな」
と遠慮がちに訴うるは、美人の膝枕せし
老夫なり。馬は群がる
蠅と
虻との中に優々と水飲み、奴は
木蔭の
床几に大の字なりに
僵れて、むしゃむしゃと菓子を
吃らえり。御者は
框に
息いて巻き
莨を
燻しつつ茶店の
嚊と
語りぬ。
「こりゃ急に出そうもない」と一人が
呟けば、
田舎女房と見えたるがその
前面にいて、
「憎々しく落ち着いてるじゃありませんかね」
最初の
発言者はますます堪えかねて、
「ときに皆さん、あのとおり御者も骨を折りましたんですから、お互い様にいくらか酒手を
奮みまして、もう一骨折ってもらおうじゃございませんか。なにとぞ御賛成を願います」
渠は直ちに
帯佩げの
蟇口を取り出して、中なる銭を
撈りつつ、
「ねえあなた、ここでああ
惰けられてしまった日には、仏造って魂入れずでさ、冗談じゃない」
やがて銅貨三銭をもって
隗より始めつ。帽子を脱ぎてその中に入れたるを、
衆人の前に差し出して、渠はあまねく
義捐を募れり。
あるいは勇んで躍り込みたる白銅あり。あるいはしぶしぶ捨てられたる五厘もあり。ここの一銭、かしこの二銭、積もりて十六銭五厘とぞなりにける。
美人は片すみにありて、応募の最終なりき。隗の帽子は巡回して渠の前に着せるとき、世話人は
辞を
卑うして
挨拶せり。
「とんだお
附き合いで、どうもおきのどく様でございます」
美人は
軽く会釈するとともに、その手は帯の間に入りぬ。小菊にて上包みせる
緋塩瀬の紙入れを開きて、渠はむぞうさに半円銀貨を投げ出だせり。
余所目に
瞥たる老夫はいたく驚きて
面を
背けぬ、世話人は頭を
掻きて、
「いや、これは
剰銭が足りない。私もあいにく
小かいのが……」
と腰なる蟇口に手を掛くれば、
「いいえ、いいんですよ」
世話人は
呆れて叫びぬ。
「これだけ? 五十銭!」
これを聞ける乗り合いは、さなきだに、何者なるか、怪しき別品と目を着けたりしに、今この
散財の
婦女子に似気なきより、いよいよ底気味悪く
訝れり。
世話人は帽子を揺り動かして銭を鳴らしつつ、
「
〆て金六十六銭と五厘! たいしたことになりました。これなら馬は駈けますぜ」
御者はすでに着席して出発の用意せり。世話人は酒手を紙に包みて持ち行きつ。
「おい、若い衆さん、これは皆さんからの酒手だよ。六十六銭と五厘あるのだ。なにぶんひとつ奮発してね。頼むよ」
渠は気軽に御者の肩を
拊きて、
「隊長、一晩遊べるぜ」
御者は
流眄に紙包みを
見遣りて
空嘯きぬ。
「酒手で馬は動きません」
わずかに五銭六厘を
懐にせる奴は驚きかつ惜しみて、
有意的に御者の
面を
眺めたり。好意を無にせられたる世話人は腹立ちて、
「せっかく皆さんが下さるというのに、それじゃいらないんだね」
車は徐々として進行せり。
「
戴く因縁がありませんから」
「そんな生意気なことを言うもんじゃない。骨折り賃だ。まあ野暮を言わずに取っときたまえてことさ」
六十六銭五厘はまさに御者のポケットに
闖入せんとせり。渠は
固く
拒みて、
「思し召しはありがとうございますが、
規定の賃銭のほかに骨折り賃を戴く
理由がございません」
世話人は推し返されたる紙包みを持て扱いつつ、
「
理由も
糸瓜もあるものかな。お客が
与るというんだから、取っといたらいいじゃないか。こういうものを
貰って済まないと思ったら、一骨折って今の
腕車を
抽いてくれたまえな」
「酒手なんぞは戴かなくっても、十分骨は折ってるです」
世話人は
冷笑いぬ。
「そんなりっぱな口を
※[#「口+世」、16-16]いたって、約束が違や世話はねえ」
御者はきと振り
顧りて、
「なんですと?」
「この馬車は腕車より
迅いという約束だぜ」
儼然として御者は答えぬ。
「そんなお約束はしません」
「おっと、そうは言わせない。なるほど私たちにはしなかったが、この
姉さんにはどうだい。六十六銭五厘のうち、一人で五十銭の酒手をお出しなすったのはこのかただよ。あの腕車より迅く行ってもらおうと思やこそ、こうして
莫大な酒手も
奮もうというのだ。どうだ、先生、恐れ入ったか」
鼻
蠢かして世話人は御者の
背を指もて
撞きぬ。渠は
一言を発せず、世話人はすこぶる得意なりき。美人は戯るるがごとくに
詰れり。
「馬丁さん、ほんとに約束だよ、どうしたってんだね」
なお渠は
緘黙せり。その
脣を鼓動すべき力は、渠の両腕に奮いて、
馬蹄たちまち高く
挙ぐれば、車輪はその
輻の見るべからざるまでに快転せり。乗り合いは再び地上の
瀾に
盪られて、浮沈の
憂き目に
遭いぬ。
縦騁五分間ののち、前途はるかに競争者の影を認め得たり。しかれども時遅れたれば、容易に追迫すべくもあらざりき。しこうして到着地なる
石動はもはや間近になれり。今にして一躍のもとに乗り越さずんば、ついに
失敗を取らざるを得ざるべきなり。
憐れむべし過度の
馳
に疲れ果てたる馬は、力なげに
俛れたる首を
聯べて、
策てども走れども、足は重りて地を離れかねたりき。
何思いけん、御者は地上に下り立ちたり。乗り合いはこはそもいかにと見る間に、渠は手早く、一頭の馬を解き放ちて、
「姉さん済みませんが、ちょっと下りてください」
乗り合いは顔を見合わせて、この
謎を解くに苦しめり。美人は渠の言うがままに車を下れば、
「どうかこちらへ」と御者はおのれの立てる馬のそばに招きぬ。美人はますますその意を得ざれども、なお渠の言うがままに進み寄りぬ。御者はものをも言わず美人を引っ抱えて、ひらりと馬に
跨りたり。
魂消たるは乗り合いなり。乗り合いは実に魂消たるなり。渠らは千体仏のごとく
面を
鳩め、あけらかんと
頤を垂れて、おそらくは
画にも
観るべからざるこの不思議の
為体に
眼を奪われたりしに、その馬は奇怪なる御者と、奇怪なる美人と、奇怪なる
挙動とを載せてましぐらに
馳せ去りぬ。車上の見物はようやくわれに
復りて
響動めり。
「いったいどうしたんでしょう」
「まず乗せ逃げとでもいうんでしょう」
「へえ、なんでございます」
「客の逃げたのが乗り逃げ。御者のほうで逃げたのだから乗せ逃げでしょう」
例の老夫は頭を
悼り悼り
呟けり。
「いや
洒落どころか。こりゃ、まあどうしてくれるつもりだ」
不審の
眉を
攅めたる
前の世話人は、腕を
拱きつつ座中を

して、
「皆さん、なんと思し召す? こりゃ
尋常事じゃありませんぜ。ばかを見たのはわれわれですよ。全く
駈け落ちですな。どうもあの女がさ、
尋常の
鼠じゃあんめえと
睨んでおきましたが、こりゃあまさにそうだった。しかしいい女だ」
「私は急ぎの用を
抱えている
身だから、こうして
安閑としてはいられない。なんとこの小僧に頼んで、一匹の馬で
遣ってもらおうじゃございませんか。ばかばかしい、銭を出して、あの
醜態を見せられて、置き去りを
吃うやつもないものだ」
「全くそうでごさいますよ。ほんとに
巫山戯た
真似をする野郎だ。小僧早く遣ってくんな」
奴は途方に暮れて、
曩より車の前後に出没したりしが、
「どうもおきのどく様です」
「おきのどく様は知れてらあ。いつまでこうしておくんだ。早く遣ってくれ、遣ってくれ!」
「私にはまだよく馬が動きません」
「
活きてるものの動かないという法があるものか」
「
臀部を
引っ
撲け引っ撲け」
奴は苦笑いしつつ、
「そんなことを言ったっていけません。二頭
曳きの車ですから、馬が一匹じゃ遣り切れません」
「そんならここで下りるから銭を返してくれ」
腹立つ者、無理言う者、呟く者、
罵る者、迷惑せる者、乗り合いの不平は奴の一身に
湊まれり。渠はさんざんに
苛まれてついに涙ぐみ、身の
措き所に窮して、辛くも車の
後に
竦みたりき。乗り合いはますます
躁ぎて、
敵手なき
喧嘩に狂いぬ。
御者は真一文字に馬を飛ばして、雲を
霞と走りければ、美人は魂身に添わず、目を閉じ、息を凝らし、五体を縮めて、力の限り渠の腰に
縋りつ。風は
※々[#「風にょう」+「容」の「口」に代えて「又」、20-11]と
両腋に起こりて毛髪
竪ち、道はさながら
河のごとく、濁流脚下に
奔注して、身はこれ虚空を
転ぶに似たり。
渠は実に死すべしと
念いぬ。しだいに風
歇み、馬
駐まると覚えて、直ちに
昏倒して
正気を失いぬ。これ御者が静かに馬より
扶け下ろして、茶店の座敷に
舁き入れたりしときなり。渠はこの介抱を
主の
嫗に
嘱みて、その身は息をも
継かず再び
羸馬に
策ちて、もと来し
路を急ぎけり。
ほどなく美人は
醒めて、こは石動の
棒端なるを
覚りぬ。御者はすでにあらず。渠はその名を嫗に
訊ねて、金さんなるを知りぬ。その
為人を問えば、方正謹厳、その行ないを
質せば学問好き。
二
金沢なる浅野川の
磧は、宵々ごとに納涼の人出のために熱了せられぬ。この節を機として、諸国より入り込みたる野師らは、磧も狭しと見世物小屋を掛け
聯ねて、
猿芝居、娘
軽業、
山雀の芸当、剣の刃渡り、
活き人形、名所の
覗き
機関、電気手品、
盲人相撲、評判の
大蛇、
天狗の
骸骨、手なし娘、子供の玉乗りなどいちいち数うるに
遑あらず。
なかんずく大評判、大当たりは、滝の白糸が
水芸なり。
太夫滝の白糸は妙齢一八、九の別品にて、その技芸は容色と
相称いて、市中の人気山のごとし。されば他はみな晩景の開場なるにかかわらず、これのみひとり昼夜二回の興行ともに、その大入りは
永当たり。
時まさに午後一時、
撃柝一声、
囃子は鳴りを
鎮むるとき、口上は
渠がいわゆる不弁舌なる弁を
揮いて前口上を
陳べ
了われば、たちまち起こる
緩絃朗笛の
節を
履みて、静々歩み出でたるは、当座の太夫元滝の白糸、高島田に
奴元結い掛けて、脂粉こまやかに桃花の
媚びを
粧い、
朱鷺色
縮緬の
単衣に、銀糸の
浪の
刺繍ある水色
絽の


を着けたり。渠はしとやかに舞台よき所に進みて、一礼を施せば、待ち構えたりし見物は声々に
喚きぬ。
「いよう、待ってました
大明神様!」
「あでやかあでやか」
「ようよう金沢
暴し!」
「ここな命取り!」
喝采の声のうちに渠は
徐かに
面を
擡げて、情を含みて浅笑せり。口上は扇を
挙げて
一咳し、
「東西! お目通りに控えさせましたるは、当座の太夫元滝の白糸にござりまする。お目見え相済みますれば、さっそくながら本芸に取り掛からせまする。最初
腕調べとして御覧に入れまするは、露に
蝶の狂いを
象りまして、(花野の
曙)。ありゃ来た、よいよいよいさて」
さて太夫はなみなみ水を盛りたるコップを
左手に
把りて、
右手には
黄白二面の扇子を開き、やと声
発けて
交互に投げ上ぐれば、露を争う蝶
一双、縦横上下に
逐いつ、逐われつ、
雫も
滴さず翼も
息めず、太夫の手にも
住まらで、空に
文織る
練磨の手術、今じゃ今じゃと、木戸番は
濁声高く
喚わりつつ、
外面の幕を引き
揚げたるとき、演芸中の太夫はふと
外の
方に眼を
遣りたりしに、何にか心を奪われけん、はたとコップを取り落とせり。
口上は
狼狽して走り寄りぬ。見物はその
為損じをどっと
囃しぬ。太夫は受け
住めたる扇を手にしたるまま、その
瞳をなお外の方に凝らしつつ、つかつかと土間に下りたり。
口上はいよいよ狼狽して、
為ん方を知らざりき。見物は
呆れ果てて息を
斂め、満場
斉しく
頭を
回らして太夫の
挙動を打ち
瞶れり。
白糸は群れいる客を推し
排け、
掻き排け、
「御免あそばせ、ちょいと御免あそばせ」
あわただしく木戸口に走り出で、
項を延べて目送せり。その視線中に御者体の
壮佼あり。
何事や起こりたると、見物は白糸の
踵より、どろどろと乱れ出ずる
喧擾に、くだんの男は振り返りぬ。白糸ははじめてその
面を見るを得たり。渠は色白く
瀟洒なりき。
「おや、違ってた!」
かく
独語ちて、太夫はすごすご木戸を入りぬ。
三
夜はすでに十一時に近づきぬ。
磧は
凄涼として
一箇の
人影を見ず、天高く、
露気ひややかに、月のみぞひとり澄めりける。
熱鬧を
極めたりし露店はことごとく形を
斂めて、ただここかしこに見世物小屋の板囲いを
洩るる
燈火は、かすかに宵のほどの
名残を
留めつ。
河は長く流れて、
向山の松風静かに
度る
処、天神橋の欄干に
靠れて、うとうとと
交睫む
漢子あり。
渠は山に
倚り、水に臨み、清風を
担い、明月を
戴き、了然たる一身、
蕭然たる四境、自然の清福を占領して、いと
心地よげに見えたりき。
折から磧の小屋より
顕われたる
婀娜者あり。紺絞りの首抜きの
浴衣を着て、赤
毛布を引き
絡い、身を持て余したるがごとくに歩みを運び、
下駄の
爪頭に
戞々と
礫を
蹴遣りつつ、流れに沿いて
逍遥いたりしが、
瑠璃色に澄み渡れる空を打ち仰ぎて、
「ああ、いいお月夜だ。寝るには惜しい」
川風はさっと渠の
鬢を吹き乱せり。
「ああ、薄ら寒くなってきた」
しかと
毛布を
絡いて、渠はあたりを

しぬ。
「人っ子一人いやしない。なんだ、ほんとに、暑いときはわあわあ騒いで、涼しくなる時分には寝てしまうのか。ふふ、人間というものはいこじなもんだ。涼むんならこういうときじゃないか。どれ、橋の上へでも行ってみようか。人さえいなけりゃ、どこでもいい
景色なもんだ」
渠は再び徐々として歩を移せり。
この女は滝の白糸なり。渠らの仲間は便宜上
旅籠を取らずして、小屋を家とせるもの
寡なからず。白糸も
然なり。
やがて渠は橋に来りぬ。
吾妻下駄の音は天地の
寂黙を破りて、からんころんと月に響けり。渠はその音の
可愛さに、なおしいて響かせつつ、橋の
央近く来たれるとき、やにわに
左手を
抗げてその
高髷を
攫み、
「ええもう重っ苦しい。ちょっうるせえ!」
暴々しく引き
解きて、手早くぐるぐる巻きにせり。
「ああこれで清々した。二十四にもなって高島田に厚化粧でもあるまい」
かくて白糸は水を
聴き、月を望み、夜色の幽静を賞して、ようやく橋の半ばを過ぎぬ。渠はたちまちのんきなる人の姿を認めぬ。何者かこれ、天地を
枕衾として露下月前に快眠せる
漢子は、数歩のうちにありて

を立てつ。
「おや! いい気なものだよ。だれだい、新じゃないか」
囃子方に新という者あり。宵より
出でていまだ小屋に
還らざれば、それかと白糸は間近に寄りて、男の寝顔を

きたり。
新はいまだかくのごとくのんきならざるなり。渠ははたして新にはあらざりき。新の
相貌はかくのごとく威儀あるものにあらざるなり。渠は千の新を合わせて、なおかつ
勝ること千の新なるべき異常の
面魂なりき。
その
眉は長くこまやかに、
睡れる
眸子も
凛如として、正しく結びたる
脣は、夢中も放心せざる渠が意気の
俊爽なるを語れり。漆のごとき髪はやや
生いて、広き
額に垂れたるが、吹き揚ぐる川風に絶えず
戦げり。
つくづく
視めたりし白糸はたちまち色を
作して叫びぬ。
「あら、まあ! 金さんだよ」
欄干に眠れるはこれ余人ならず、例の乗り合い馬車の
馭者なり。
「どうして今時分こんなところにねえ」
渠は
跫音を忍びて、再び男に寄り添いつつ、
「ほんとに罪のない顔をして寝ているよ」
恍惚として
瞳を凝らしたりしが、にわかにおのれが
絡いし
毛布を脱ぎて
被せ
懸けたれども、馭者は夢にも知らで
熟睡せり。
白糸は欄干に腰を
憩めて、しばらくなすこともあらざりしが、突然声を揚げて、
「ええひどい蚊だ」
膝のあたりをはたと
拊てり。この音にや驚きけん、馭者は
眼覚まして、
叭まじりに、
「ああ、寝た。もう
何時か知らん」
思い寄らざりしわがかたわらに
媚めける声ありて、
「もうかれこれ一時ですよ」
馭者は
愕然として顧みれば、わが肩に見覚えぬ
毛布ありて、深夜の寒を
護れり。
「や、毛布を着せてくだすったのは! あなた? でございますか」
白糸は
微笑を含みて、
呆れたる馭者の
面を
視つつ、
「夜露に打たれると
体の毒ですよ」
馭者は黙して一礼せり。白糸はうれしげに身を進めて、
「あなた、その後は
御機嫌よう」
いよいよ
呆れたる馭者は少しく身を
退りて、
仮初ながら、
狐狸変化のものにはあらずやと心ひそかに疑えり。月を浴びてものすごきまで美しき女の顔を、無遠慮に打ち
眺めたる渠の
眼色は、
顰める眉の下より異彩を放てり。
「どなたでしたか、いっこう存じません」
白糸は
片頬笑みて、
「あれ、情なしだねえ。私は忘れやしないよ」
「はてな」と馭者は
首を傾けたり。
「金さん」と女はなれなれしく呼びかけぬ。
馭者はいたく驚けり。月下の美人
生面にしてわが名を
識る。馭者たる者だれか驚かざらんや。渠は実にいまだかつて信ぜざりし
狐狸の類にはあらずや、と心はじめて惑いぬ。
「おまえさんはよっぽど情なしだよ。自分の抱いた女を忘れるなんということがあるものかね」
「抱いた? 私が?」
「ああ、お前さんに抱かれたのさ」
「どこで?」
「いい
所で!」
袖を
掩いて白糸は
嫣然一笑せり。
馭者は深く思案に暮れたりしが、ようよう傾けし
首を正して言えり。
「抱いた
記憶はないが、なるほどどこかで見たようだ」
「見たようだもないもんだ。高岡から馬車に乗ったとき、人力車と
競走をして、
石動手前からおまえさんに抱かれて、
馬上の合い乗りをした女さ」
「おお! そうだ」
横手を
拍ちて、馭者は
大声を発せり、白糸はその声に驚かされて、
「ええびっくりした。ねえおまえさん、覚えておいでだろう」
「うむ、覚えとる。そうだった、そうだった」
馭者は
脣辺に微笑を浮かべて、再び横手を拍てり。
「でも言われるまで
憶い出さないなんざあ、あんまり不実すぎるのねえ」
「いや、不実というわけではないけれど、毎日何十人という客の顔を、いちいち覚えていられるものではない」
「それはごもっともさ。そうだけれども、
馬上の合い乗りをするお客は毎日はありますまい」
「あんなことが毎日あられてたまるものか」
二人は相見て笑いぬ。ときに
数杵の鐘声遠く響きて、月はますます白く、空はますます澄めり。
白糸はあらためて馭者に向かい、
「おまえさん、金沢へは
何日、どうしてお出でなすったの?」
四顧寥廓として、ただ山水と明月とあるのみ。
戻たる
天風はおもむろに馭者の
毛布を
飄せり。
「実はあっちを浪人してね……」
「おやまあ、どうして?」
「これも君ゆえさ」と笑えば、
「御冗談もんだよ」と白糸は
流眄に
見遣りぬ。
「いや、それはともかくも、
話説をせんけりゃ
解らん」
馭者は
懐裡を
捜りて、油紙の
蒲簀莨入れを取り出だし、いそがわしく一服を喫して、直ちに物語の端を
発かんとせり。白糸は渠が吸い殻を
撃くを待ちて、
「済みませんが、一服貸してくださいな」
馭者は
言下に莨入れとマッチとを手渡して、
「煙管が
壅ってます」
「いいえ、結構」
白糸は
一吃を試みぬ。はたしてその
言のごとく、煙管は
不快き
脂の音のみして、
煙の通うこと
縷よりわずかなり。
「なるほどこれは
壅ってる」
「それで吸うにはよっぽど力が
要るのだ」
「ばかにしないねえ」
美人は
紙縷を
撚りて、煙管を通し、
溝泥のごとき脂に
面を
皺めて、
「こら! 御覧な、
無性だねえ。おまえさん
寡夫かい」
「もちろん」
「おや、もちろんとは
御挨拶だ。でも、
情婦の一人や
半分はありましょう」
「ばかな!」と馭者は
一喝せり。
「じゃないの?」
「知れたこと」
「ほんとに?」
「くどいなあ」
渠はこの問答を忌まわしげに
空嘯きぬ。
「おまえさんの
壮年で、
独身で、情婦がないなんて、ほんとに
男子の
恥辱だよ。私が似合わしいのを一人世話してあげようか」
馭者は
傲然として、
「そんなものは
要らんよ」
「おや、ご免なさいまし。さあ、お
掃除ができたから、一服
戴こう」
白糸はまず二服を
吃して、三服目を馭者に、
「あい、上げましょう」
「これはありがとう。ああよく通ったね」
「また
壅ったときは、いつでも持ってお出でなさい」
大口
開いて馭者は
心快げに笑えり。白糸は再び煙管を
仮りて、のどかに
烟を吹きつつ、
「今の
顛末というのを聞かしてくださいな」
馭者は
頷きて、立てりし
態を変えて、斜めに欄干に
倚り、
「あのとき、あんな乱暴を
行って、とうとう人力車を乗っ越したのはよかったが、きゃつらはあれを非常に
口惜しがってね、会社へむずかしい掛け合いを始めたのだ」
美人は
眉を
昂げて、
「なんだってまた?」
「何もかにも
理窟なんぞはありゃせん。あの一件を根に持って、
喧嘩を仕掛けに来たのさね」
「うむ、生意気な! どうしたい?」
「相手になると、事がめんどうになって、実は双方とも商売のじゃまになるのだ。そこで、会社のほうでは
穏便がいいというので、むろん片手落ちの裁判だけれど、私が因果を含められて、雇を解かれたのさ」
白糸は身に
沁む夜風にわれとわが身を
抱きて、
「まあ、おきのどくだったねえ」
渠は慰むる
語なきがごとき
面色なりき。馭者は
冷笑いて、
「なあに、高が馬方だ」
「けれどもさ、まことにおきのどくなことをしたねえ、いわば私のためだもの」
美人は愁然として腕を
拱きぬ。馭者はまじめに、
「その代わり煙管の掃除をしてもらった」
「あら、冗談じゃないよ、この人は。そうしておまえさんこれからどうするつもりなの?」
「どうといって、やっぱり食う算段さ。高岡に
彷徨いていたって始まらんので、金沢には士官がいるから、
馬丁の口でもあるだろうと思って、
探しに出て来た。
今日も朝から一日
奔走いたので、すっかり
憊れてしまって、晩方
一風呂入ったところが、暑くて寝られんから、ぶらぶら
納涼に出掛けて、ここで月を
観ていたうちに、いい
心地になって
睡こんでしまった」
「おや、そう。そうして口はありましたか」
「ない!」と馭者は
頭を
掉りぬ。
白糸はしばらく沈吟したりしが、
「あなた、こんなことを申しちゃ生意気だけれど、お見受け申したところが、馬丁なんぞをなさるような御人体じゃないね」
馭者は長嘆せり。
「
生得からの馬丁でもないさ」
美人は黙して
頷きぬ。
「
愚痴じゃあるが、聞いてくれるか」
わびしげなる男の顔をつくづく
視めて、白糸は渠の物語るを待てり。
「私は金沢の士族だが、少し
仔細があって、
幼少ころに
家は高岡へ引っ越したのだ。そののち私一人金沢へ出て来て、ある学校へ入っているうち、
阿爺に
亡くなられて、ちょうど三年前だね、余儀なく中途で学問は
廃止さ。それから高岡へ
還ってみると、その日から
稼ぎ人というものがないのだ。私が母親を過ごさにゃならんのだ。何を言うにも、まだ書生中の
体だろう、食うほどの芸はなし、実は弱ったね。
亡父は馬の家じゃなかったけれど、大の
所好で、馬術では藩で鳴らしたものだそうだ。それだから、私も
小児の時分
稽古をして、少しは
所得があるので、馬車会社へ住み込んで、馭者となった。それでまず
活計を立てているという、まことに
愧ずかしい次第さ。しかし、私だってまさか馬方で果てる
了簡でもない、目的も
希望もあるのだけれど、ままにならぬが浮き世かね」
渠は
茫々たる天を仰ぎて、しばらく
悵然たりき。その
面上にはいうべからざる悲憤の色を見たり。白糸は情に
勝えざる
声音にて、
「そりゃあ、もうだれしも浮き世ですよ」
「うむ、まあ、浮き世とあきらめておくのだ」
「今おまえさんのおっしゃった
希望というのは、私たちには聞いても
解りはしますまいけれど、なんぞ、その、学問のことでしょうね?」
「そう、法律という学問の修行さ」
「学問をするなら、金沢なんぞより東京のほうがいいというじゃありませんか」
馭者は苦笑いして、
「そうとも」
「それじゃいっそ東京へお出でなさればいいのにねえ」
「行けりゃ行くさ。そこが浮き世じゃないか」
白糸は
軽く小
膝を
拊ちて、
「
黄金の世の中ですか」
「地獄の
沙汰さえ、なあ」
再び馭者は苦笑いせり。
白糸は事もなげに、
「じゃあなた、お
出でなさいな、ねえ、東京へさ。もし、腹を立っちゃいけませんよ、失礼だが、私が仕送ってあげようじゃありませんか」
深沈なる馭者の魂も、このとき
跳るばかりに
動きぬ。渠は驚くよりむしろ呆れたり。呆るるよりむしろ
慄きたるなり。渠は色を変えて、この美しき
魔性のものを
睨めたりけり。さきに半円の
酒銭を投じて、他の一銭よりも
吝しまざりしこの美人の
胆は、拾人の乗り合いをしてそぞろに寒心せしめたりき。銀貨一片に
目せし乗り合いよ、君らをして今夜天神橋上の壮語を聞かしめなば、肝胆たちまち破れて、血は耳に
迸出らん。花顔柳腰の人、そもそもなんじは
狐狸か、
変化か、魔性か。おそらくは
※脂[#「月+因」、35-8]の怪物なるべし。またこれ一種の魔性たる馭者だも驚きかつ慄けり。
馭者は美人の
意をその
面に読まんとしたりしが、
能わずしてついに
呻き出だせり。
「なんだって?」
美人も
希有なる
面色にて反問せり。
「なんだってとは?」
「どういうわけで」
「わけも何もありはしない、ただおまえさんに仕送りがしてみたいのさ」
「酔興な!」と馭者はその愚に
唾するがごとく
独語ちぬ。
「酔興さ。私も酔興だから、おまえさんも酔興に
一番私の志を受けてみる気はなしかい。ええ、金さん、どうだね」
馭者はしきりに打ち案じて、とこうの分別に迷いぬ。
「そんなに
慮えることはないじゃないか」
「しかし、縁も
由縁もないものに……」
「縁というものも始めは他人どうし。ここでおまえさんが私の志を受けてくだされば、それがつまり縁になるんだろうじゃありませんかね」
「恩を受ければ
報さんければならぬ義務がある。その責任が重いから……」
「それで断わるとお言いのかい。なんだねえ、
報恩ができるの、できないのと、そんなことを苦にするおまえさんでもなかろうじゃないか。私だって泥坊に
伯父さんがあるのじゃなし、知りもしない人を
捉えて、やたらにお金を
貢いでたまるものかね。私はおまえさんだから貢いでみたいのさ。いくらいやだとお言いでも、私は貢ぐよ。
後生だから貢がしてくださいよ。ねえ、いいでしょう、いいよう! うんとお言いよ。構うものかね、遠慮も何も
要るものじゃない。私はおまえさんの
希望というのが

いさえすれば、それでいいのだ。それが私への
報恩さ、いいじゃないか。私はおまえさんはきっとりっぱな
人物になれると
想うから、ぜひりっぱな人物にしてみたくってたまらないんだもの。後生だから早く勉強して、りっぱな人物になってくださいよう」
その
音柔媚なれども言々風霜を
挟みて、
凛たり、烈たり。馭者は感奮して、両眼に熱涙を浮かべ、
「うん、せっかくのお志だ。ご恩に預かりましょう」
渠は
襟を正して、うやうやしく白糸の前に
頭を下げたり。
「なんですねえ、いやに改まってさ。そう、そんなら私の志を受けてくださるの?」
美人は喜色満面に
溢るるばかりなり。
「お世話になります」
「いやだよ、もう金さん、そんなていねいな
語を
遣われると、私は気が
逼るから、やっぱり書生言葉を遣ってくださいよ。ほんとに
凛々しくって、私は書生言葉は大好きさ」
「恩人に向かって済まんけれども、それじゃぞんざいな言葉を遣おう」
「ああ、それがいいんですよ」
「しかしね、ここに一つ
窮ったのは、私が東京へ行ってしまうと、母親がひとりで……」
「それは御心配なく。及ばずながら私がね……」
馭者は夢みる
心地しつつ耳を傾けたり。白糸は誠を
面に
露わして、
「きっとお世話をしますから」
「いや、どうも重ね重ね、それでは実に済まん。私もこの
報恩には、おまえさんのために力の及ぶだけのことはしなければならんが、何かお
所望はありませんか」
「だからさ、私の所望はおまえさんの希望が

いさえすれば……」
「それはいかん! 自分の
所望を遂げるために恩を受けて、その望みを果たしたで、
報恩になるものではない。それはただ恩に対するところのわが身だけの義務というもので、けっして恩人に対する義務ではない」
「でも私が承知ならいいじゃありませんかね」
「いくらおまえさんが承知でも、私が不承知だ」
「おや、まあ、いやにむずかしいのね」
かく言いつつ美人は
微笑みぬ。
「いや、
理屈を言うわけではないがね、目的を達するのを
報恩といえば、
乞食も同然だ。乞食が銭をもらう、それで食っていく、渠らの目的は食うのだ。食っていけるからそれが方々で銭を
乞った
報恩になるとはいわれまい。私は馬方こそするが、まだ乞食はしたくない。もとよりお志は受けたいのは山々だ。どうか、ねえ、受けられるようにして受けさしてください。すれば、私は喜んで受ける。さもなければ、せっかくだけれどお断わり申そう」
とみには返す
語もなくて、白糸は
頭を
低れたりしが、やがて馭者の
面を見るがごとく見ざるがごとく

いつつ、
「じゃ言いましょうか」
「うん、承ろう」と男はやや
容を正せり。
「ちっと
羞ずかしいことさ」
「なんなりとも」
「
諾いてくださるか。いずれおまえさんの身に
適ったことじゃあるけれども」
「一応
聴いた上でなければ、返事はできんけれど、身に適ったことなら、ずいぶん諾くさ」
白糸は
鬢の
乱れを
掻き上げて、いくぶんの
赧羞しさを紛らわさんとせり。馭者は月に向かえる美人の姿の輝くばかりなるを打ち
瞶りつつ、
固唾を
嚥みてその語るを待てり。白糸は始めに
口籠もりたりしが、直ちに心を定めたる
気色にて、
「
処女のように
羞ずかしがることもない、いい
婆のくせにさ。私の
所望というのはね、おまえさんにかわいがってもらいたいの」
「ええ!」と馭者は鋭く叫びぬ。
「あれ、そんなこわい顔をしなくったっていいじゃありませんか。何も
内君にしてくれと言うんじゃなし。ただ他人らしくなく、
生涯親類のようにして暮らしたいと言うんでさね」
馭者は遅疑せず、渠の語るを追いて潔く答えぬ。
「よろしい。けっしてもう他人ではない」
涼しき
眼と凛々しき眼とは、無量の意を含みて相合えり。渠らは無言の数秒の間に、不能語、不可説なる至微至妙の霊語を交えたりき。渠らが十年語りて尽くすべからざる心底の
磅
は、実にこの瞬息において神会黙契されけるなり。ややありて、まず馭者は口を開きぬ。
「私は高岡の
片原町で、
村越欣弥という者だ」
「私は水島友といいます」
「水島友? そうしてお宅は?」
白糸ははたと
語に
塞りぬ。渠は定まれる家のあらざればなり。
「お宅はちっと
窮ったねえ」
「だって、
家のないものがあるものか」
「それがないのだからさ」
天下に家なきは何者ぞ。
乞食の徒といえども、なおかつ雨露を
凌ぐべき
蔭に眠らずや。世上の
例をもってせば、この人まさに金屋に入り、
瑶輿に乗るべきなり。しかるを渠は
無宿と言う。その行ないすでに奇にして、その心また奇なりといえども、いまだこの言の奇なるには
如かず、と馭者は思えり。
「それじゃどこにいるのだ」
「あすこさ」と美人は
磧の小屋を指させり。
馭者はそなたを望みて、
「あすことは?」
「見世物小屋さ」と白糸は異様の
微笑を含みぬ。
「ははあ、見世物小屋とは
異っている」
馭者は心ひそかに驚きたるなり。渠はもとよりこの女をもって良家の女子とは思い
懸けざりき、
寡なくとも、海に山に五百年の怪物たるを看破したりけれども、見世物小屋に起き臥しせる乞食芸人の徒ならんとは、実に意表に出でたりしなり。とはいえども渠はさあらぬ体に答えたりき。白糸は渠の心を
酌みておのれを
嘲りぬ。
「あんまり
異りすぎてるわね」
「見世物の
三味線でも
弾いているのかい」
「これでも
太夫元さ。太夫だけになお悪いかもしれない」
馭者は
軽侮の色をも
露わさず、
「はあ、太夫! なんの太夫?」
「無官の太夫じゃない、水芸の太夫さ。あんまり聞いておくれでないよ、
面目が悪いからさ」
馭者はますますまじめにて、
「水芸の太夫? ははあ、それじゃこのごろ評判の……」
かく言いつつ珍しげに女の
面を

きぬ。白糸はさっと
赧む顔を
背けつつ、
「ああもうたくさん、
堪忍しておくれよ」
「滝の白糸というのはおまえさんか」
白糸は渠の
語を手もて制しつ。
「もういいってばさ!」
「うん、なるほど!」と心の問うところに答え得たる
風情にて、欣弥は
頷けり。白糸はいよいよ羞じらいて、
「いやだよ、もう。何がなるほどなんだね」
「非常にいい女だと聞いていたが、なるほど……」
「もういいってばさ」
つと身を寄せて、白糸はやにわに欣弥を
撞きたり。
「ええあぶねえ! いい女だからいいと言うのに、撞き飛ばすことはないじゃないか」
「人をばかにするからさ」
「ばかにするものか。実に美しい、
何歳になるのだ」
「おまえさん
何歳になるの?」
「私は二十六だ」
「おや六なの? まだ若いねえ。私なんぞはもう
婆だね」
「
何歳さ」
「言うと愛想を尽かされるからいや」
「ばかな! ほんとに何歳だよ」
「もう婆だってば。四さ」
「二十四か! 若いね。
二十歳ぐらいかと
想った」
「何か
奢りましょうよ」
白糸は帯の間より白
縮緬の
袱紗包みを取り出だせり。
解けば一束の紙幣を紙包みにしたるなり。
「これに三十円あります。まあこれだけ
進げておきますから、
家の
処置をつけて、一日も早く東京へおいでなさいな」
「
家の処置といって、別に
金円の
要るようなことはなし、そんなには要らない」
「いいからお持ちなさいよ」
「
全額もらったらおまえさんが
窮るだろう」
「私はまた
明日入る口があるからさ」
「どうも済まんなあ」
欣弥は受け取りたる紙幣を
軽く
戴きて
懐にせり。時に通り懸かりたる夜稼ぎの車夫は、怪しむべき月下の密会を
一瞥して、
「お合い乗り、都合で、いかがで」
渠は
愚弄の態度を示して、
両箇のかたわらに立ち
住まりぬ。白糸はわずかに
顧眄りて、
棄つるがごとく言い放てり。
「要らないよ」
「そうおっしゃらずにお召しなすって。へへへへへ」
「なんだね、人をばかにして。
一人乗りに
同乗ができるかい」
「そこはまたお話合いで、よろしいようにしてお乗んなすってください」
おもしろ半分に

るを、白糸は鼻の
端に
遇いて、
「おまえもとんだ苦労性だよ。
他のことよりは、早く
還って、
内君でも
悦ばしておやんな」
さすがに車夫もこの姉御の
与しやすからざるを知りぬ。
「へい、これははばかり様。まああなたもお楽しみなさいまし」
渠は直ちに
踵を
回らして、
鼻唄まじりに行き過ぎぬ。欣弥は何思いけん、
「おい、
車夫!」とにわかに呼び
住めたり。
車夫は
頭を振り向けて、
「へえ、やっぱりお合い乗りですかね」
「ばか言え!
伏木まで行くか」
渠の答うるに先だちて、白糸は驚きかつ怪しみて問えり。
「伏木……あの、伏木まで?」
伏木はけだし
上都の道、
越後直江津まで汽船便ある港なり。欣弥は平然として、
「これからすぐに
発とうと思う」
「これから

」と白糸はさすがに
心を
轟かせり。
欣弥は頷きたりし
頭をそのまま
低れて、見るべき物もあらぬ橋の上に
瞳を凝らしつつ、その胸中は二途の分別を追うに忙しかりき。
「これからとはあんまり早急じゃありませんか。まだお話したいこともあるのだから、今夜はともかくも、ねえ」
一面は欣弥を説き、一面は車夫に向かい、
「若い
衆さん、済まないけれど、これを持って行っとくれよ」
渠が紙入れを
捜るとき、欣弥はあわただしく、
「
車夫、待っとれ。行っちゃいかんぜ」
「あれさ、いいやね。さあ、若い衆さんこれを持って行っとくれよ」
五銭の白銅を
把りて、まさに渡さんとせり。欣弥はその
間に分け入りて、
「少し都合があるのだから、これから
遣ってくれ」
渠は十分に決心の色を露わせり。白糸はとうていその動かす能わざるを
覚りて、潔く未練を
棄てぬ。
「そう。それじゃ無理に留めないけれども……」
このとき
両箇の
眼は期せずして合えり。
「そうしてお
母さんには?」
「道で寄って
暇乞いをする、ぜひ高岡を通るのだから」
「じゃ町はずれまで送りましょう。若衆さん、もう一台ないかねえ」
「四、五町行きゃいくらもありまさあ。そこまでだからいっしょに召していらっしゃい」
「お
巫山戯でないよ」
欣弥はすでに車上にありて、
「
車夫、どうだろう。二人乗ったら
毀れるかなあ、この車は?」
「なあにだいじょうぶ。
姉さんほんとにお召しなさいよ」
「構うことはない。早く乗った乗った」
欣弥は手招けば、白糸は
微笑む。その肩を車夫はとんと
拊ちて、
「とうとう
異な寸法になりましたぜ」
「いやだよ、欣さん」
「いいさ、いいさ!」と欣弥は一笑せり。
月はようやく傾きて、鶏声ほのかに白し。
四
滝の白糸は越後の国
新潟の産にして、その地特有の麗質を備えたるが上に、その手練の水芸は、ほとんど人間
業を離れて、すこぶる驚くべきものなりき。さればいたるところ大入り
叶わざるなきがゆえに、四方の
金主は
渠を争いて、ついに
例なき
莫大の給金を払うに
到れり。
渠は親もあらず、
同胞もあらず、
情夫とてもあらざれば、
一切の収入はことごとくこれをわが身ひとつに費やすべく、加うるに、
豁達豪放の気は、この余裕あるがためにますます
膨張して、
十金を
獲れば
二十金を散ずべき勢いをもって、得るままに
撒き散らせり。これ一つには、金銭を獲るの
難きを渠は知らざりしゆえなり。
渠はまた貴族的生活を喜ばず、好みて下等社会の境遇を甘んじ、衣食の美と辺幅の修飾とを求めざりき。渠のあまりに平民的なる、その度を
放越して
鉄拐となりぬ。往々見るところの女流の鉄拐は、すべて汚行と、罪業と、悪徳との養成にあらざるなし。白糸の鉄拐はこれを天真に発して、きわめて純潔清浄なるものなり。
渠は思うままにこの鉄拐を振り舞わして、天高く、地広く、この
幾歳をのどかに過ごしたりけるが、いまやすなわちしからざるなり。村越欣弥は渠が然諾を信じて東京に遊学せり。高岡に住めるその母は、
箸を控えて渠が
饋餉を待てり。白糸は月々渠らを扶持すべき責任ある世帯持ちの身となれり。
従来の滝の白糸は、まさにその放逸を縛し、その奇骨を
挫ぎて、世話女房のお友とならざるを得ざるべきなり。渠はついにその責任のために石を巻き、鉄を
捩じ、屈すべからざる節を屈して、勤倹小心の婦人となりぬ。その行ないにおいてはなおかつ滝の白糸たる活気をば
有ちつつ、その精神は全く村越友として経営苦労しつ。その間は実に
三年の長きに
亙れり。
あるいは
富山に
赴き、高岡に買われ、はた
大聖寺福井に行き、遠くは故郷の新潟に興行し、身を
厭わず八方に
稼ぎ
廻りて、幸いにいずくも
外さざりければ、あるいは血をも
濺がざるべからざる
至重の責任も、その収入によりて難なく果たされき。
されども見世物の
類は春夏の二季を黄金期とせり。秋は
漸く寂しく、冬は霜枯れの哀れむべきを免れざるなり。いわんや北国の
雪世界はほとんど一年の三分の一を白き物の中に
蟄居せざるべからざるや。ことに時候を論ぜざる見世物と異なりて、渠の演芸はおのずから夏炉冬扇のきらいあり。その
喝采は全く暑中にありて、冬季は坐食す。
よし渠は
糊口に窮せざるも、月々十数円の
工面は尋常手段の及ぶべきにあらざるなり。渠はいかにしてかなき
袖を振りける? 魚は木に
縁りて求むべからず、渠は他日の興行を質入れして前借りしたりしなり。
その一年、その二年は、とにもかくにもかくのごとき算段によりて過ごしぬ。その三年ののちは、さすがに八方
塞がりて、融通の道も絶えなむとせり。
翌年の初夏金沢の招魂祭を当て込みて、白糸の水芸は興行せられたりき。渠は例の美しき姿と妙なる
技とをもって、
希有の人気を取りたりしかば、即座に越前福井なるなにがしという金主
附きて、金沢を打ち揚げしだい、二箇月間三百円にて雇わんとの相談は
調いき。
白糸は諸方に負債ある旨を打ち明けて、その三分の二を前借りし、不義理なる借金を払いて、手もとに百余円を
剰してけり。これをもってせば欣弥
母子が半年の扶持に足るべしとて、渠は
顰みたりし
愁眉を開けり。
されども欣弥は実際半年間の仕送りを要せざるなり。
渠の
希望はすでに手の
達くばかりに近づきて、わずかにここ二、三箇月を
支うるを得ば足れり。
無頓着なる白糸はただその健康を尋ぬるのみに安んじて、あえてその成業の期を問わず、欣弥もまたあながちこれを告げんとは
為さざりき。その約に
負かざらんことを
虞るる者と、恩中に恩を顧みざる者とは、おのおのその務むべきところを務むるに
専なりき。
かくて翌日まさに福井に向かいて発足すべき三日目の夜の興行を

わりたりしは、一時に
垂んとするころなりき。
白昼を欺くばかりなりし公園内の
万燈は全く消えて、
雨催の
天に月はあれども、四面
※[#「さんずい+孛」、49-15]として
煙の
布くがごとく、
淡墨を流せる森のかなたに、たちまち
跫音の響きて、がやがやと
罵る声せるは、見世物師らが打ち連れ立ちて公園を引き払うにぞありける。この一群れの
迹に残りて
語合う女あり。
「ちょいと、お隣の
長松さんや、
明日はどこへ行きなさる?」
年増の
抱ける
猿の頭を
撫でて、かく
訊ねしは、猿芝居と小屋を並べし
轆轤首の因果娘なり。
「はい、明日は福井まで参じます」
年増は猿に代わりて答えぬ。轆轤首は愛相よく、
「おおおお、それはまあ遠い所へ」
「はい、ちと遠方でございますと言いなよ。これ、長松、ここがの、金沢の兼六園といって、百万石のお庭だよ。
千代公のほうは二度目だけれど、おまえははじめてだ。さあよく見物しなよ」
渠は
抱きし猿を放ち
遣りぬ。
折からあなたの池のあたりに、マッチの火のぱっと燃えたる影に、
頬被りせる男の顔は赤く
顕われぬ。黒き影法師も
両三箇そのかたわらに見えたりき。因果娘は
偸視て、
「おや、出刃打ちの連中があすこに
憩んでいなさるようだ」
「どれどれ」と見向く年増の
背後に声ありて、
「おい、そろそろ出掛けようぜ」
旅装束したる四、五人の男は二人のそばに立ち
住まりぬ。年増は直ちに猿を抱き取りて、
「そんなら、
姉さん」
「参りましょうかね」
両箇の女は渠らとともに行きぬ。続きて一団また一団、
大蛇を
籠に入れて
荷う者と、馬に
跨りて行く曲馬芝居の
座頭とを先に立てて、さまざまの動物と異形の人類が、
絡繹として
森蔭に列を成せるその
状は、げに百鬼夜行一幅の
活図なり。
ややありて渠らはみな行き尽くせり。公園は
森邃として月色ますます
昏く、夜はいまや全くその死寂に眠れるとき、
谺に響き、水に鳴りて、
魂消る
一声、
「あれえ!」
五
水は沈濁して油のごとき
霞が
池の
汀に、生死も分かず
仆れたる婦人あり。四
肢を
弛めて
地に
領伏し、身動きもせでしばらく横たわりたりしが、ようよう
枕を返して、がっくりと
頭を
俛れ、やがて草の根を力におぼつかなくも立ち
起がりて、

く
体をかたわらなる
露根松に
辛くも
支えたり。
その
浴衣は所々引き裂け、帯は半ば
解けて
脛を
露わし、高島田は面影を
留めぬまでに打ち
頽れたり。こはこれ、盗難に
遇えりし滝の白糸が姿なり。
渠はこの夜の演芸を

わりしのち、連日の疲労一時に発して、楽屋の涼しき所に
交睫みたりき。一座の連中は早くも荷物を取
纏めて、いざ引き払わんと、
太夫の夢を
喚びたりしに、渠は快眠を惜しみて、一足先に行けと
現に言い放ちて、再び熟睡せり。渠らは豪放なる太夫の
平常を
識りければ、その言うままに捨て置きて立ち去りけるなり。
程経て白糸は
目覚ましぬ。この
空小屋のうちに
仮寝せし渠の
懐には、欣弥が半年の学資を
蔵めたるなり。されども渠は危うかりしとも思わず、昼の暑さに引き替えて、涼しき真夜中の
幽静なるを喜びつつ、福井の金主が待てる旅宿に
赴かんとて、そこまで来たりけるに、ばらばらと小蔭より
躍り出ずる
人数あり。
みなこれ
屈竟の
大男、いずれも
手拭いに
面を
覆みたるが五人ばかり、手に手に
研ぎ澄ましたる
出刃庖丁を
提げて、白糸を追っ取り巻きぬ。
心剛なる女なれども、渠はさすがに驚きて
佇めり。
狼藉者の
一個は
濁声を潜めて、
「おう、
姉さん、
懐中のものを出しねえ」
「じたばたすると、これだよ、これだよ」
かく言いつつ他の
一個はその庖丁を白糸の前に
閃かせば、四
挺の出刃もいっせいに
晃きて、女の
眼を脅かせり。
白糸はすでにその身は
釜中の魚たることを覚悟せり。心はいささかも屈せざれども、力の及ぶべからざるをいかにせん。進みて敵すべからず、退きては
遁るること
難し。
渠はその
平生においてかつ百金を
吝しまざるなり。されども今夜
懐にせる百金は、尋常一様の千万金に
直するものにして、渠が半身の精血とも
謂っつべきなり。渠は換えがたく吝しめり。今ここにこれを失わんか、渠はほとんど再びこれを
獲るの道あらざるなり。されども渠はついに失わざるべからざるか、豪放
豁達の女丈夫も途方に暮れたりき。
「何をぐずぐずしてやがるんで! サッサと出せ、出せ」
白糸は死守せんものと決心せり。渠の
脣は黒くなりぬ。渠の声はいたく震いぬ。
「これは
与られないよ」
「
与れなけりゃ、ふんだくるばかりだ」
「
遣っつけろ、遣っつけろ!」
その声を聞くとひとしく、白糸は
背後より組み付かれぬ。振り払わんとする間もあらで、胸も
挫ぐるばかりの
翼緊めに
遭えり。たちまち
暴くれたる
四隻の手は、乱雑に渠の帯の間と内懐とを
撈せり。
「あれえ!」と叫びて
援いを求めたりしは、このときの血声なりき。
「あった、あった」と
一個の賊は呼びぬ。
「あったか、あったか」と両三人の声は
※[#「應」の「心」に代えて「言」、53-13]えぬ。
白糸は
猿轡を
吃されて、手取り足取り地上に推し伏せられつ。されども渠は絶えず身を
悶えて、
跋ね
覆えさんとしたりしなり。にわかに渠らの力は
弛みぬ。
虚さず白糸は起き
復るところを、はたと
仆されたり。賊はその
隙に逃げ
失せて行くえを知らず。
惜しみても、惜しみてもなお余りある百金は、ついに
還らざるものとなりぬ。白糸の胸中は沸くがごとく、
焚ゆるがごとく、万感の
心を
衝くに任せて、無念
已む
方なき松の
下蔭に立ち尽くして、夜の
更くるをも知らざりき。
「ああ、しかたがない、何も約束だと
断念めるのだ。なんの百ぐらい! 惜しくはないけれど、欣さんに済まない。さぞ欣さんが困るだろうねえ。ええ、どうしよう、どうしたらよかろう

」
渠はひしとわが身を
抱きて、松の幹に打ち当てつ。ふとかたわらを見れば、
漾々たる霞が池は、霜の置きたるように
微黯き月影を宿せり。
白糸の
眼色はその精神の全力を
鍾めたるかと覚しきばかりの光を帯びて、病めるに似たる水の
面を
屹と
視たり。
「ええ、もうなんともかとも
謂えないいやな
心地だ。この水を飲んだら、さぞ胸が清々するだろう! ああ死にたい。こんな思いをするくらいなら死んだほうがましだ。死のう! 死のう!」
渠は胸中の劇熱を消さんがために、この
万斛の水をば飲み尽くさんと覚悟せるなり。渠はすでに前後を忘じて、一心死を急ぎつつ、
蹌踉と
汀に寄れば、
足下に物ありて
晃きぬ。思わず渠の目はこれに
住まりぬ。出刃庖丁なり!
これ悪漢が持てりし
兇器なるが、渠らは白糸を
手籠めにせしとき、かれこれ
悶着の間に取り
遺せしを、忘れて捨て行きたるなり。
白糸はたちまち
慄然として寒さを
感えたりしが、やがて拾い取りて月に
翳しつつ、
「これを証拠に訴えれば手掛かりがあるだろう。そのうちにはまたなんとか都合もできよう。……これは今死ぬのは。……」
この証拠物件を
獲たるがために、渠はその死を思い
遏りて、いちはやく警察署に赴かんと、心変わればいまさら忌まわしきこの
汀を離れて、渠は推し
仆されたりしあたりを過ぎぬ。無念の情は
勃然として起これり。
繊弱き
女子の身なりしことの
口惜しさ!
男子にてあらましかばなど、言い
効もなき
意気地なさを
憶い出でて、しばしはその恨めしき地を去るに忍びざりき。
渠は再び草の上に
一物を見出だせり。近づきてとくと視れば、
浅葱地に白く七宝
繋ぎの洗い
晒したる
浴衣の
片袖にぞありける。
またこれ賊の遺物なるを白糸は
暁りぬ。けだし渠が
狼藉を
禦ぎし折に、引き
断りたる賊の
衣の一片なるべし。渠はこれをも拾い取り、出刃を
裹みて
懐中に推し入れたり。
夜はますます
闌けて、
霄はいよいよ曇りぬ。湿りたる空気は重く沈みて、柳の葉末も動かざりき。歩むにつれて、
足下の
叢より池に
跋ね込む
蛙は、
礫を打つがごとく水を鳴らせり。
行く行く
項を
低れて、渠は深くも思い悩みぬ。
「だが、警察署へ訴えたところで、じきにあいつらが
捕ろうか。捕ったところで、うまく
金子が戻るだろうか。あぶないものだ。そんなことを
期にしてぐずぐずしているうちには、欣さんが食うに
窮ってくる。私の仕送りを頼みにしている身の上なのだから、お金が
到かなかった日には、どんなに窮るだろう。はてなあ! 福井の金主のほうは、三百円のうち二百円前借りをしたのだから、まだ百円というものはあるのだ。貸すだろうか、貸すまい。貸さない、貸さない、とても貸さない! 二百円のときでもあんなに渋ったのだ。けれども、こういう
事情だとすっかり打ち明けて、ひとつ泣き付いてみようかしらん。だめなことだ、あの
老爺だもの。のべつに
小癪に
障ることばっかり
陳べやがって、もうもうほんとに顔を見るのもいやなんだ。そのくせまた持ってるのだ! どうしたもんだろうなあ。ああ、窮った、窮った。やっぱり死ぬのか。死ぬのはいいが、それじゃどうも欣さんに義理が立たない。それが何より
愁い! といって才覚のしようもなし。……」
陰々として鐘声の
度るを聞けり。
「もう二時だ。はてなあ!」
白糸は思案に余って、歩むべき力も失せつ。われにもあらで身を
靠せたるは、
未央柳の長く
垂れたる
檜の
板塀のもとなりき。
こはこれ、公園地内に
六勝亭と呼べる
席貸しにて、
主翁は富裕の隠居なれば、けっこう
数寄を尽くして、営業のかたわらその老いを楽しむところなり。
白糸が
佇みたるは、その裏口の
枝折門の前なるが、いかにして忘れたりけむ、戸を
鎖さでありければ、渠が
靠るるとともに戸はおのずから内に
啓きて、吸い込むがごとく白糸を庭の内にぞ引き入れたる。
渠はしばらく
惘然として佇みぬ。その心には何を思うともなく、きょろきょろとあたりを

せり。幽寂に造られたる平庭を前に、縁の雨戸は長く続きて、家内は全く
寝鎮まりたる
気勢なり。白糸は一歩を進め、二歩を進めて、いつしか「寂然の
森」を出でて、「井戸囲い」のほとりに
抵りぬ。
このとき渠は始めて心着きて驚けり。かかる深夜に人目を
窃みて他の門内に侵入するは賊の
挙動なり。われははからずも賊の挙動をしたるなりけり。
ここに思い
到りて、白糸はいまだかつて念頭に浮かばざりし
盗というなる金策の手段あるを心着きぬ。ついで懐なる兇器に心着きぬ。これ
某らがこの手段に用いたりし
記念なり。白糸は懐に手を差し入れつつ、
頭を傾けたり。
良心は
疾呼して渠を責めぬ。悪意は
踴躍して渠を励ませり。渠は疾呼の
譴責に
遭いては
慚悔し、また踴躍の教峻を受けては然諾せり。良心と悪意とは白糸の
恃むべからざるを知りて、ついに
迭いに
闘いたりき。
「道ならないことだ。そんな
真似をした日には、二度と再び世の中に顔向けができない。ああ、恐ろしいことだ、……けれども才覚ができなければ、死ぬよりほかはない。この世に生きていないつもりなら、
羞汚も顔向けもありはしない。大それたことだけれども、金は
盗ろう。盗ってそうして死のう死のう!」
かく思い定めたれども、渠の良心はけっしてこれを
可さざりき。渠の心は激動して、渠の身は波に
盪るる
小舟のごとく、安んじかねて行きつ、
還りつ、塀ぎわに
低徊せり。ややありて渠は
鉢前近く忍び寄りぬ。されどもあえて
曲事を行なわんとはせざりしなり。
渠は再び沈吟せり。
良心に
逐われて
恐惶せる盗人は、発覚を予防すべき用意に
遑あらざりき。渠が塀ぎわに
徘徊せしとき、
手水口を
啓きて、家内の
一個は早くすでに白糸の姿を認めしに、渠は
鈍くも知らざりけり。
鉢前の雨戸は不意に啓きて、人は
面を
露わせり。白糸あなやと飛び
退る
遑もなく、
「
偸児!」と男の声は
号びぬ。
白糸の耳には百雷の一時に落ちたるごとく
轟けり。精神錯乱したるその瞬息に、懐なりし出刃は渠の
右手に
閃きて、縁に立てる男の胸をば、
柄も
透れと貫きたり。
戸を
犇かして、男は打ち
僵れぬ。
朱に染みたるわが手を見つつ、
重傷に
唸く声を聞ける白糸は、戸口に立ち
竦みて、わなわなと
顫いぬ。
渠はもとより一点の害心だにあらざりしなり。われはそもそもいかにしてかかる不敵の
振舞をなせしかを疑いぬ。見れば、わが手は確かに出刃を握れり。その出刃は確かに男の胸を刺しけるなり。胸を刺せしによりて、男は
殪れたるなり。されば人を殺せしはわれなり、わが手なりと思いぬ。されども白糸はわが心に、わが手に、人を殺せしを覚えざりしなり。渠は夢かと疑えり。
「全く殺したのだ。こりゃ、まあ大変なことをした! どういう気で私はこんなことをしたろう?」
白糸は心乱れて、ほとんどその身を忘れたる
背後に、
「あなた、どうなすった?」
と聞こゆるは
寝惚れたる女の声なり。白糸は出刃を隠して、きっとそなたを
見遣りぬ。
灯影は縁を照らして、
跫音は近づけり。白糸はひたと雨戸に身を寄せて、何者か来たると

いぬ。この家の内儀なるべし。五十ばかりの女は
寝衣姿のしどけなく、
真鍮の
手燭を
翳して、覚めやらぬ眼を

かんと
面を
顰めつつ、よたよたと縁を伝いて来たりぬ。
死骸に近づきて、それとも知らず、
「あなた、そんな
所に寝て……どうなすっ。……」
燈を差し向けて、いまだその血に驚く
遑あらざるに、
「静かに!」と白糸は身を露わして、庖丁を
衝き付けたり。
内儀は賊の姿を見るより、ペったりと
膝を折り敷き、その場に打ち
俯して、がたがたと
慄いぬ。白糸の度胸はすでに十分定まりたり。
「おい、
内君、金を出しな。これさ、金を出せというのに」
俯して
答えなき内儀の
項を、出刃にてぺたぺたと
拍けり。内儀は
魂魄も身に添わず、
「は、は、はい、はい、は、はい」
「さあ、早くしておくれ。たんとは
要らないんだ。百円あればいい」
内儀はせつなき
呼吸の下より、
「
金子はあちらにありますから。……」
「あっちにあるならいっしょに行こう。声を立てると、おいこれだよ」
出刃庖丁は内儀の
頬を見舞えり。渠はますます恐怖して立つ
能わざりき。
「さあ早くしないかい」
「た、た、た、ただ……いま」
渠は立たんとすれども、その腰は
挙がらざりき。されども渠はなお立たんと
焦りぬ。腰はいよいよ挙がらず。立たざればついに殺されんと、渠はいとど
慌てつ、
悶えつ、辛くも立ち起がりて導けり。
二間を隔つる奥に伴いて、内儀は賊の
需むる百円を出だせり。白糸はまずこれを収めて、
「内君、いろいろなことを言ってきのどくだけれど、私の出たあとで声を立てるといけないから、少しの間だ、
猿轡を
箝めてておくれ」
渠は内儀を
縛めんとて、その細帯を解かんとせり。ほとんど
人心地あらざるまでに恐怖したりし
主婦は、このときようよう渠の害心あらざるを知るより、いくぶんか心落ちいつつ、はじめて賊の姿をば認め得たりしなり。こはそもいかに! 賊は
暴くれたる大の
男にはあらで、
軆度優しき
女子ならんとは、渠は今その正体を見て、
与しやすしと思えば、
「
偸児!」と呼び
懸けて白糸に飛び
蒐りつ。
自糸は不意を撃たれて驚きしが、すかさず庖丁の
柄を返して、力任せに渠の頭を撃てり。渠は屈せず、賊の懐に手を
捻じ込みて、かの百円を奪い返さんとせり。白糸はその手に
咬み着き、片手には庖丁振り
抗げて、再び柄をもて渠の
脾腹を
吃わしぬ。
「偸児! 人殺し!」と
地蹈鞴を踏みて、内儀はなお
暴らかに、なおけたたましく、
「人殺し! 人殺しだ!」と血声を絞りぬ。
これまでなりと観念したる白糸は、持ちたる出刃を取り直し、躍り狂う内儀の
吭を
目懸けてただ一突きと突きたりしに、
覘いを
外して
肩頭を
刎ね
斫りたり。
内儀は白糸の懐に出刃を
裹みし片袖を
撈り
得てて、引っ
掴みたるまま
遁れんとするを、畳み懸けてその
頭に
斫り着けたり。渠はますます狂いて再び
喚かんとしたりしかば、白糸は
触るを幸いめった
斫りにして、弱るところを乳の下深く突き込みぬ。これ実に最後の一撃なりけるなり。白糸は生まれてよりいまだかばかりおびただしき
血汐を見ざりき。一坪の畳は全く
朱に染みて、あるいは散り、あるいは
迸り、あるいはぽたぽたと
滴りたる、その
痕は八畳の一間にあまねく、
行潦のごとき
唐紅の中に、数箇所の傷を負いたる内儀の、
拳を握り、歯を
噛い
緊めてのけざまに
顛覆りたるが、
血塗れの
額越しに、半ば閉じたる
眼を
睨むがごとく
凝えて、折もあらばむくと立たんずる勢いなり。
白糸は生まれてより、いまだかかる
最期の
愴惻を見ざりしなり。かばかりおびただしき血汐! かかるあさましき最期! こはこれ何者の
為業なるぞ。ここに立てるわが身のなせし業なり。われながら恐ろしきわが身かな、と白糸は
念えり。渠の心は再び
得堪うまじく激動して、その身のいまや殺されんとするを
免れんよりも、なお幾層の危うき、恐ろしき
想いして、一秒もここにあるにあられず、出刃を投げ
棄つるより早く、あとをも見ずしていっさんに走り出ずれば、
心急くまま手水口の縁に横たわる
躯のひややかなる
脚に
跌きて、ずでんどうと
庭前に
転び
墜ちぬ。渠は男の
甦りたるかと想いて、心も消え消えに枝折門まで走れり。
風やや起こりて庭の
木末を鳴らし、雨はぽっつりと白糸の
面を打てり。
六
高岡
石動間の乗り合い馬車は今ぞ
立野より福岡までの途中にありて走れる。乗客の
一個は
煙草火を
乞りし人に向かいて、雑談の口を開きぬ。
「あなたはどちらまで? へい、金沢へ、なるほど、御同様に共進会でございますか」
「さようさ、共進会も見ようと思いますが、ほかに少し。……」
渠は話好きと覚しく、
「へへ、何か
公務の御用で」
その人は
髭を
貯えて、洋服を着けたるより、
渠はかく言いしなるべし。官吏?は吸い
窮めたる巻煙草を車の外に投げ
棄て、次いで
忙わしく
唾吐きぬ。
「実は
明日か、
明後日あたり開くはずの公判を
聴こうと思いましてね」
「へへえ、なるほど、へえ」
渠はその公判のなんたるを知らざるがごとし。かたわらにいたる
旅商人は、卒然
我は
顔に
喙を
容れたり。
「ああ、なんでございますか。この夏公園で人殺しをした強盗の一件?」
髭ある人は
眼を「我は顔」に転じて、
「そう。知っておいでですか」
「話には聞いておりますが、
詳細事は存じませんで。じゃあの賊は
逮捕りましてすか」
話を奪われたりし前の男も、思い
中る節やありけん、
「あ、あ、あ、ひとしきりそんな
風説がございましたっけ。
有福の夫婦を
斬り殺したとかいう……その裁判があるのでございますか」
髭は再びこなたを振り向きて、
「そう、ちょっとおもしろい裁判でな」
渠は
話児を釣るべき器械なる、渠が特有の「へへえ」と「なるほど」とを用いて、しきりにその
顛末を聞かんとせり。
乙者も劣らず水を向けたりき。髭ある人の
舌本はようやく
軟ぎぬ。
「賊はじきにその晩
捕られた」
「こわいものだ!」と
甲者は身を
反らして
頭を
掉りぬ。
「あの、それ、
南京出刃打ちという見世物な、あの連中の仕事だというのだがね」
乙者は直ちにこれに応ぜり。
「南京出刃打ち? いかさま、見たことがございました。あいつらが? ふうむ。ずいぶん
遣りかねますまいよ」
「その晩橋場の交番の前を怪しい風体のやつが通ったので、巡査が
咎めるとこそこそ
遁げ出したから、こいつ
胡散だと引っ
捉えて見ると、着ている
浴衣の
片袖がない」
談ここに
到りて、甲と乙とは、思わず同音に
嗟きぬ。乗り合いは弁者の顔を

いて、その後段を渇望せり。
甲者は重ねて感嘆の声を発して、
「おもしろい! なるほど。浴衣の片袖がない! 天も……なんとやらで、なんとかして漏らさず……ですな」
弁者はこの
訛言をおかしがりて、
「
天網恢々疎にして漏らさずかい」
甲者は聞くより手を
抗げて、
「それそれ、恢々、恢々、へえ、恢々でした」
乗り合いの
過半はこの恢々に笑えり。
「そこで、こいつを拘引して調べると、これが出刃打ちの連中だ。ところがね、ちょうどその晩兼六園の席貸しな、六勝亭、あれの
主翁は
桐田という金満家の隠居だ。この夫婦とも、何者の
仕業だか、いや、それは、実に残酷に
害られたというね。亭主は
鳩尾のところを突き
洞される、女房は
頭部に三箇所、肩に一箇所、左の乳の下を
刳られて、
僵れていたその手に、男の片袖を
掴んでいたのだ」
車中声なく、人は
固唾を
嚥みて、その心を寒うせり。まさにこれ弁者得意の時。
「証拠になろうという物はそればかりではない。
死骸のかたわらに
出刃庖丁が捨ててあった。
柄の所に
片仮名のテの字の焼き印のある、これを調べると、出刃打ちの
用っていた道具だ。それに今の片袖がそいつの浴衣に
差違ないので、まず犯罪人はこいつとだれも目を着けたさ」
旅商人は
膝を進めつ。
「へえ、それじゃそいつじゃないんでございますかい」
弁者はたちまち手を
抗げてこれを
抑えぬ。
「まあお聞きなさい。ところで出刃打ちの白状には、いかにも賊を働きました。賊は働いたが、けっして人殺しをした覚えはございません。
奪りましたのは水芸の滝の白糸という者の金で、桐田の
門は
通過もしませんっ」
「はて、ねえ」と甲者は
眉を動かして、弁者を
凝視めたり、乙者は黙して考えぬ。ますますその後段を渇望せる乗り合いは、順繰りに席を進めて、弁者に近づかんとせり。渠はそのとき
巻莨を取り出だして、
脣に湿しつつ、
「話はこれからだ」
左側の席の
前端に並びたる、威儀ある紳士とその老母とは、顔を見合わせて
迭いに色を動かせり。渠は質素なる黒の紋着きの羽織に、
節仙台の
袴を
穿きて、その髭は弁者より麗しきものなりき。渠は紳士というべき
服装にはあらざるなり。されどもその
相貌とその髭とは、多く
得べからざる紳士の
風采を備えたり。
弁者は
仔細らしく煙を吹きて、
「滝の白糸というのはご存じでしょうな」
乙者は
頷き頷き、
「知っとります段か、富山で見ました大評判の
美艶ので」
「さよう。そこでそのころ福井の方で興行中のかの女を喚び出して対審に及んだところが、出刃打ちの申し立てには、その片袖は、白糸の金を
奪るときに、おおかた
断られたのであろうが、自分は知らずに
遁げたので、出刃庖丁とてもそのとおり、女を
脅すために持っていたのを、
慌てて忘れて来たのであるから、たといその二品が桐田の家にあろうとも、こっちの知ったことではないと、
理窟には合わんけれど、やつはまずそう言い張るのだ。そこで女が、そのとおりだと言えば、人殺しは出刃打ちじゃなくって、ほかにあるとなるのだ」
甲者は
頬杖
きたりし
面を
外して、弁者の前に差し寄せつつ、
「へえへえ、そうして女はなんと申しました」
「ぜひおまえさんに逢いたいと言ったね」
思いも寄らぬ弁者の
好謔は、大いに一場の笑いを博せり。渠もやむなく打ち笑いぬ。
「ところが
金子を奪られた覚えなどはない、と女は言うのだ。出刃打ちは、なんでも奪ったという。
偸児のほうから奪ったというのに、奪られたほうでは奪られないと言い張る。なんだか
大岡政談にでもありそうな話さ」
「これにはだいぶ
事情がありそうです」
乙者は首を
捻りつつ腕を
拱けり。例の「なるほど」は、
談のますます佳境に入るを楽しめる
気色にて、
「なるほど、これだから裁判はむずかしい! へえ、それからどう
致しました」
傍聴者は声を
斂めていよいよ耳を傾けぬ。威儀ある紳士とその老母とは最も粛然として死黙せり。
弁者はなおも
語を継ぎぬ。
「実にこれは水掛け論さ。しかしとどのつまり出刃打ちが殺したになって、予審は終結した。今度開くのが公判だ。予審が済んでからこの公判までにはだいぶ
間があったのだ。この
間に出刃打ちの弁護士は非常な苦心で、十分弁護の方法を考えておいて、いざ公判という日には、一番腕を
揮って、ぜひとも出刃打ちを助けようと、
手薬煉を引いているそうだから、これは裁判官もなかなか骨の折れる事件さ」
甲者は例の「なるほど」を言わずして、不平の色を
作せり。
「へえ、そのなんでございますか、
旦那、その弁護士というやつは出刃打ちの肩を持って、人殺しの罪を女に
誣ろうという
姦計なんでございますか」
弁者は渠の
没分暁を笑いて、
「何も
姦計だの、肩を持つの、というわけではない。弁護を引き受ける以上は、その者の罪を軽くするように尽力するのが弁護士の職分だ」
甲者はますます不平に堪えざりき。渠は弁者を
睨して、
「職分だって、あなた、出刃打ちなんぞの肩を持つてえことがあるもんですか。
敵手は女じゃありませんか。かわいそうに。私なら弁護を頼まれたってなんだって
管やしません。おまえが悪い、ありていに白状しな、と出刃打ちの野郎を
極め付けてやりまさあ」
渠の鼻息はすこぶる
暴らかなりき。
「そんな弁護士をだれが頼むものか」
と弁者は仰ぎて笑えり。乗り合いは、威儀ある紳士とその老母を除きて、ことごとく大笑せり。笑い
寝むころ馬車は石動に着きぬ。車を下らんとて弁者は席を
起てり。甲と乙とは渠に向かいて
慇懃に
一揖して、
「おかげでおもしろうございました」
「どうも
旦那ありがとう存じました」
弁者は得々として、
「おまえさんがたも
間があったら、公判を行ってごらんなさい」
「こりゃ芝居よりおもしろいでございましょう」
乗客は
忙々下車して、思い思いに別れぬ。最後に威儀ある紳士はその母の手を執りて
扶け下ろしつつ、
「あぶのうございますよ。はい、これからは
腕車でございます」
渠らの入りたる建場の茶屋の入り口に、馬車会社の老いたる役員は
佇めり。渠は何気なく紳士の顔を見たりしが、にわかにわれを忘れてその
瞳を凝らせり。
たちまち進み来たれる紳士は帽を脱して、ボタンの二所
失れたる
茶羅紗のチョッキに、水晶の
小印を
垂下げたるニッケル
鍍の

を
繋けて、柱に
靠れたる役員の前に
頭を下げぬ。
「その後は
御機嫌よろしゅう。あいかわらずお達者で……」
役員は
狼狽して身を正し、奪うがごとくその
味噌漉し帽子を脱げり。
「やあこれは! 欣様だったねえ。どうもさっきから
肖ているとは思ったけれど、えらくりっぱになったもんだから。……しかしおまえさんも無事で、そうしてまありっぱになんなすって結構だ。あれからじきに東京へ行って、勉強しているということは聞いていたっけが、ああ、見上げたもんだ。そうして勉強してきたのは、法律かい。法律はいいね。おまえさんは好きだった。好きこそものの
上手なりけれ、うん、それはよかった。ああ、なるほど、金沢の裁判所に……うむ、検事代理というのかい」
老いたる役員はわが子の出世を
看るがごとく
懽べり。
当時盲縞の腹掛けは今日黒の三つ紋の羽織となりぬ。金沢裁判所新任検事代理村越欣弥氏は、実に三年前の馭者台上の金公なり。
七
公判は予定の日において金沢地方裁判所に開かれたり。傍聴席は人の山を成して、被告および関係者水島友は弁護士、
押丁らとともに差し控えて、判官の着席を待てり。ほどなく正面の戸をさっと
排きて、
躯高き裁判長は入り来たりぬ。二名の陪席判事と一名の書記とはこれに続けり。
満廷粛として水を打ちたるごとくなれば、その
靴音は四壁に響き、天井に
※[#「應」の「心」に代えて「言」、70-17]えて、一種の恐ろしき音を
生して、傍聴人の胸に
轟きぬ。
威儀おごそかに
渠らの着席せるとき、正面の戸は再び
啓きて、
高爽の気を帯び、明秀の
容を
具えたる法官は
顕われたり。渠はその麗しき
髭を
捻りつつ、
従容として検事の席に着きたり。
謹慎なる聴衆を
容れたる法廷は、室内の空気
些も熱せずして、渠らは幽谷の木立ちのごとく群がりたり。制服を
絡いたる判事、検事は、赤と青とカバーを異にせるテーブルを別ちて、一段高き所に居並びつ。
はじめ判事らが出廷せしとき、白糸は
徐かに
面を
挙げて渠らを
見遣りつつ、
臆せる
気色もあらざりしが、最後に顕われたりし検事代理を見るやいなや、渠は色
蒼白めて
戦きぬ。この俊爽なる法官は実に渠が
三年の間
夢寐も忘れざりし欣さんならずや。渠はその学識とその地位とによりて、かつて
馭者たりし日の
垢塵を洗い去りて、いまやその
面はいと清らに、その眉はひときわ
秀でて、驚くばかりに見違えたれど、
紛うべくもあらず、渠は村越欣弥なり。白糸は始め不意の面会に
駭きたりしが、再び渠を熟視するに及びておのれを忘れ、三たび渠を見て、愁然として首を
低れたり。
白糸はありうべからざるまでに意外の
想いをなしたりき。
渠はこのときまで、
一箇の頼もしき
馬丁としてその意中に渠を遇せしなり。いまだかくのごとく畏敬すべき者ならんとは知らざりき。ある点においては渠を支配しうべしと思いしなり。されども今この検事代理なる村越欣弥に対しては、その一髪をだに動かすべき力のわれにあらざるを覚えき。ああ、
濶達豪放なる滝の白糸! 渠はこのときまで、おのれは人に対してかくまで
意気地なきものとは想わざりしなり。
渠はこの憤りと喜びと悲しみとに
摧かれて、残柳の露に
俯したるごとく、哀れに
萎れてぞ見えたる。
欣弥の
眼は
陰に始終恩人の姿に注げり。渠ははたして
三年の昔天神橋上
月明のもとに、
臂を
把りて壮語し、気を吐くこと
虹のごとくなりし女丈夫なるか。その面影もあらず、いたくも渠は衰えたるかな。
恩人の顔は
蒼白めたり。その
頬は
削けたり。その髪は乱れたり。乱れたる髪! その夕べの乱れたる髪は
活溌溌の
鉄拐を表わせしに、今はその
憔悴を増すのみなりけり。
渠は想えり。濶達豪放の女丈夫! 渠は垂死の
病蓐に横たわらんとも、けっしてかくのごとき衰容をなさざるべきなり。烈々たる渠が心中の活火はすでに
燼えたるか。なんぞ渠のはなはだしく冷灰に似たるや。
欣弥はこの
体を見るより、すずろ
憐愍を催して、胸も張り裂くばかりなりき。同時に渠はおのれの職務に心着きぬ。私をもって公に代えがたしと、渠は
拳を握りて
眼を閉じぬ。
やがて裁判長は被告に向かいて二、三の訊問ありけるのち、弁護士は渠の
冤を
雪がんために、
滔々数千言を
陳ねて、ほとんど余すところあらざりき。裁判長は事実を
隠蔽せざらんように白糸を
諭せり。渠はあくまで盗難に
遭いし覚えのあらざる旨を答えて、黒白は容易に弁ずべくもあらざりけり。
検事代理はようやく閉じたりし
眼を開くとともに、
悄然として
項を
垂るる白糸を見たり。渠はそのとき声を励まして、
「水島友、村越欣弥が……本官があらためて訊問するが、
裹まず事実を申せ」
友はわずかに
面を
擡げて、
額越しに検事代理の色を
候いぬ。渠は
峻酷なる法官の威容をもて、
「そのほうは全く
金子を
奪られた覚えはないのか。
虚偽を申すな。たとい虚偽をもって一時を
免るるとも、天知る、地知る、我知るで、いつがいつまで知れずにはおらんぞ。しかし知れるの、知れぬのとそんなことは通常の人に言うことだ。そのほうも滝の白糸といわれては、ずいぶん
名代の芸人ではないか。それが、かりそめにも
虚偽などを申しては、その名に対しても実に
愧ずべきことだ。人は一代、名は末代だぞ。またそのほうのような名代の芸人になれば、ずいぶん
多数の
贔屓もあろう、その贔屓が、裁判所においてそのほうが虚偽に申し立てて、それがために罪なき者に罪を負わせたと聞いたならば、ああ、白糸はあっぱれな心掛けだと言って
誉めるか、喜ぶかな。もし本官がそのほうの贔屓であったなら、
今日限り
愛想を尽かして、以来は道で
遭おうとも
唾もしかけんな。しかし長年の贔屓であってみれば、まず愛想を尽かす前に十分勧告をして、
卑怯千万な虚偽の申し立てなどは、命に換えてもさせんつもりだ」
かく
諭したりし欣弥の
声音は、ただにその平生を
識れる、傍聴席なる渠の母のみにあらずして、法官も聴衆もおのずからその異常なるを聞き得たりしなり。白糸の
愁わしかりし
眼はにわかに清く輝きて、
「そんなら
事実を申しましょうか」
裁判長はしとやかに、
「うむ、隠さずに申せ」
「実は
奪られました」
ついに白糸は自白せり。法の一貫目は情の一匁なるかな、渠はそのなつかしき検事代理のために喜びて自白せるなり。
「なに?
盗られたと申すか」
裁判長は
軽く
卓を
拍ちて、きと白糸を
視たり。
「はい、出刃打ちの連中でしょう、四、五人の男が
手籠めにして、私の懐中の百円を奪りました」
「しかとさようか」
「相違ござりません」
これに次ぎて白糸はむぞうさにその重罪をも白状したりき。裁判長は直ちに訊問を中止して、即刻この日の公判を終われり。
検事代理村越欣弥は私情の
眼を
掩いてつぶさに白糸の罪状を取り調べ、大恩の上に大恩を
累ねたる至大の恩人をば、殺人犯として起訴したりしなり。さるほどに予審終わり、公判開きて、裁判長は検事代理の請求は
是なりとして、渠に死刑を宣告せり。
一生他人たるまじと契りたる村越欣弥は、ついに幽明を隔てて、
永く恩人と相見るべからざるを憂いて、宣告の夕べ
寓居の二階に自殺してけり。
(明治二十七年十一月一日―三十日「読売新聞」)