政談十二社

泉鏡花




       一

 東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端まちはずれに、近頃新開で土の色赤く、日当ひあたりのいい冠木門かぶきもんから、目のふちほんのりとえいを帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒しょうしゃたる人物がある。
 黒の洋服で雪のような胸、手首、勿論靴で、どういう好みか目庇まびさしのつッと出た、鉄道の局員がかぶるようなかたなのを、前さがりに頂いた。これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨ほおぼねのちっと出た、目の大きい、鼻のたかい、背のすっくりした、人品に威厳のある年齢ねんぱい三十ばかりなるが、引緊ひきしまった口に葉巻をくわえたままで、今門を出て、刈取ったあとの蕎麦畠そばばたけに面した。
 この畠を前にして、門前のこみちを右へけばとおりへ出て、停車場ステエションへは五町に足りない。左は、田舎道で、まず近いのが十二社じゅうにそう、堀ノ内、角筈つのはず、目黒などへくのである。
 見れば青物を市へ積出した荷車が絶えては続き、街道を在所の方へいて帰る。午後三時を過ぎて秋の日は暮れるに間もあるまいに、停車場ステエションの道には向わないで、かえって十二社の方へ靴のさきめぐらして、ステッキを突出した。
 しかもこの人は牛込南町辺に住居すまいする法官である。去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、あらたに大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、しずかに療養をしたので、このごろではすっかり全快、そこで届を出してやがて出勤をしようという。
 ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行あるいて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。
 これから、名を由之助よしのすけという小山判事は、ほこりも立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、真赤まっか蕃椒とうがらしが一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、田圃道たんぼみちを楽しそう。
 その胸のうちもまた察すべきものである。小山はもとより医者がいやだから文学を、文学も妙でない、法律を、政治をといった側の少年ではなかった。
 されば法官がそののぞみで、就中なかんずくこいねがった判事に志を得て、新たに、はじめて、その方は……と神聖にして犯すべからざる天下控訴院の椅子にかかろうとする二三日。
 足の運びにつれて目に映じて心に往来ゆききするものは、土橋でなく、ながれでなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、路傍みちばたやぶでなく、寺の屋根でもなく、影でなく、日南ひなたでなく、土の凸凹でこぼこでもなく、かえって法廷を進退する公事くじ訴訟人の風采ふうさいおもかげ伏目ふしめに我を仰ぎ見る囚人の顔、弁護士の額、原告の鼻、検事のひげ押丁おうてい等の服装、傍聴席の光線の工合ぐあいなどが、目を遮り、胸をおおうて、年少判事はこのおおいなる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の爪尖つまさきと、杖の端の輝く銀とを心すともなく直視みつめながら、一歩進み二歩く内、にわかにさっと暗くなって、風が身に染むので心着けば、樹蔭こかげなるがけの腹から二頭の竜の、二条の氷柱を吐く末が百筋ももすじに乱れて、どッと池へそそぐのは、熊野の野社のやしろ千歳経ちとせふる杉の林を頂いた、十二社の滝の下路したみちである。

       二

「何か変ったこともないか。」と滝に臨んだ中二階の小座敷、欄干にもたれながら判事は徒然つれづれに茶店の婆さんに話しかける。
 十二社あたりへ客の寄るのは、夏も極暑の節一盛ひとさかりで、やがて初冬にもなれば、上のやしろの森の中で狐が鳴こうという場所柄の、さびれさ加減思うべしで、建廻した茶屋休息所やすみどころ、その節は、ビール聞し召せ枝豆も候だのが、ただ葦簀よしずの屋根と柱のみ、やぶれの見える床の上へ、二ひら三ひら、申訳だけの毛布けっとを敷いてある。その掛茶屋は、松とすすきで取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池のみぎわになっていて、緋鯉ひごいの影、真鯉の姿も小波さざなみの立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋すべるように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここにとどめて憩ったのであるが、まばゆいばかり西日がすので、頭痛持なれば眉をひそめ、水底みなそこへ深く入った鯉とともにその毛布けっとむしろを去って、あいに土間一ツ隔てたそれなる母屋の中二階に引越したのであった。
 中二階といってもただ段の数二ツ、一段低い処にお幾という婆さんが、塩煎餅せんべいつぼと、駄菓子の箱と熟柿じゅくしざるを横に控え、角火鉢のおおきいのに、真鍮しんちゅう薬罐やかんから湯気を立たせたのを前に置き、すすけた棚の上に古ぼけた麦酒ビールの瓶、心太ところてんの皿などを乱雑に並べたのを背後うしろに背負い、柱に安煙草やすたばこのびらを張り、天井に捨団扇すてうちわをさして、ここまでさし入る日あたりに、眼鏡を掛けて継物をしている。外に姉さんもなんにも居ない、さかりの頃は本家から、女中料理人を引率して新宿停車場ステエション前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身ひとりみ便たよりないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行いすますという趣。
 判事に浮世ばなしを促されたのをしおにお幾はふと針の手を留めたが、返事よりさき逸疾いちはやくその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子きゅうすたぎった湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、前垂まえだれ糸屑いとくずを払いさま、しずかに壇を上って、客の前にひざまずいて、
「お茶を入替えて参りました、召上りまし。」といいながらひざ近くにじり寄って差置いた。
 判事は欄干について頬を支えていた手を膝に取って、
「おお、それは難有ありがとう。」
 とばばの目には、もの珍しく見ゆるまで、かかる紳士の優しい容子ようすを心ありげにみまもったが、
「時に旦那様。」
「むむ、」
「まあ可哀そうだと思召おぼしめしまし、この間お休み遊ばしました時、ちょっと参りましたあの女でございますが、御串戯ごじょうだんではございましょうが、旦那様もい女だな、とおっしゃって下さいましたあのことでございますがね、」
 と言いかけてちょっと猶予ためらって、聞く人の顔の色をうかがったのは、こういって客がこのことについて注意をするや否やを見ようとしたので。心にもかけないほどの者ならば話し出して退屈をさせるにも及ばぬことと、年寄だけに気が届いたので、案のごとく判事は聴く耳を立てたのである。
「おお、どうかしたか、本当に容子ようすの佳いだよ。」
「はい、容子ので。旦那様は都でいらっしゃいます、別にお目にも留りますまいが、わたくしどもの目からはまるでもう弁天様か小町かと見えますほどです。それに深切で優しいおとなしいでございまして、あれで一枚着飾らせますれば、うえがたのお姫様と申してもい位。」

       三

「ほほほ、めまするに税は立たず、これは柳橋も新橋も御存じでいらっしゃいましょう、旦那様のお前で出まかせなことを失礼な。」
 小山判事は苦笑をして、
串戯じょうだんをいっては不可いかん、私は学生だよ。」
「あら、あんなことをおっしゃって、貴方あなたは何ぞの先生様でいらっしゃいますよ。」
「まあその娘がどうしたというのだ。」と小山は胡坐あぐらをどっかりと組直した。
 落着いて聞いてくれそうな様子を見て取り、婆さんは嬉しそうに、
「何にいたせ、ちっとでもお心に留っておりますなら可哀そうだと思ってやって下さいまし。こうやっておそばでお話をいたしますのは今日がはじめて。わたくしどもへお休み下さいましたのはたった二度なんでございますけれども、ほかに誰もりませず、ちょうどあのが来合せました時でよくお顔を存じておりますし、それにこう申してはいかがでございますが、旦那様もあのを覚えていらっしゃいますように存じます。これもだと思いまする年寄の慾目よくめ、人ごとながら自惚うぬぼれでございましょう、それで附かぬことをお話し申しますようではございますけれども旦那様、後生でございます、可哀相だと思ってやって下さりまし。」と繰返してまた言った。かく可哀相だと思ってやれと、色にうれいを帯びて同情を求めること三たびであるから、判事は思わず胸が騒いでかすかししむらの動くのを覚えた。
 向島むこうじまのうらがれさえ見にく人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、ものずきとして差措さしおいても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で一盞いっさんすすめられて杯の遣取やりとりをする内に、めとるべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶みみたぶを赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公だいこうが気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小間使でもと言ったことをここに断っておかねばならぬ。
 何かしらきずなからんでいるらしい、判事は、いずれ不祥のことと胸を――色も変ったよう、
「どうかしたのかい、」と少しせき込んだが、いう言葉に力が入った。
「煩っておりますので、」
「何、煩って、」
「はい、煩っておりますのでございますが。……」
い医者にかけなけりゃ不可いかんよ。どんな病気だ、ここいらは田舎だから、」とついとおりの人のただ口さきを合せる一応の挨拶のごときものではない。
 婆さんも張合のあることと思入った形で、
「折入って旦那様に聞いてやって頂きたいので、くわしく申上げませんと解りません、お可煩うるさくなりましたら、面倒だとおっしゃって下さりまし、直ぐとお茶にいたしてしまいまする。
 あの阿米およねといいましてちょうど十八になりますが、親なしで、昨年きょねんの春まで麹町こうじまち十五丁目辺で、旦那様、えのきのお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、そのやしきで世話になって育ちましたそうでございます。
 門の屋根を突貫いた榎の大木が、大層名高いのでございますが、お医者はどういたしてかちっとも流行らないのでございましたッて。」

       四

「流行りません癖に因果と貴方あなたね、」と口もやや馴々なれなれしゅう、
「お米の容色きりょうがまた評判でございまして、別嬪べっぴんのお医者、榎の先生と、番町辺、津の守坂下かみざかしたあたりまでもみんな言囃いいはやしましたけれども、一向にかかります病人がございません。
 先生には奥様と男のおが二人、めいのお米、外見を張るだけに女中も居ようというのですもの、お苦しかろうではございませんか。
 そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子ごようすを取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速家中うちじゅうそれへ引越すことになりますと、お米さんでございます。
 世帯を片づけついでに、古い箪笥たんす一棹ひとさおも工面をするからどちらへか片附いたらと、ていの可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あのも全く縁附く気はございませず、親身といってはほかになし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは遣繰やりくりの様子も知っておりますことなり、まだ嫁入はいたしたくございません、我儘わがままを申しますようで恐入りますけれども、奉公がしとうございますと、まあこういうので。
 伯父御の方はどのみち足手まといさえなくなればいのでございますよ、売れば五両にもなる箪笥だってお米につけないですむことですから、二ツ返事で呑込みました。
 あの容色きりょううち仇名あだなにさえなったを、親身を突放したと思えば薄情でございますが、切ない中を当節柄、かえってお堅い潔白なことではございませんかね、旦那様。
 漢方の先生だけに仕込んだ行儀もございます。ちょうど可い口があって住込みましたのが、唯今ただいまりまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」
「誰の邸だね。」
「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お老人としよりはございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人もほかに大勢、男衆もります。お嬢様がお一方、お米さんが附きましてはちょいちょいこの池の緋鯉や目高にを遣りにいらっしゃいますが、ここらの者はみんな姫様ひいさま々々と申しますよ。
 奥様のお顔も存じております、わたくしがついお米と馴染なじみになりましたので、お邸の前を通りますれば折節お台所口へ寄りましては顔を見て帰りますが、お米の方でもわたくしどものようなものを、どう間違えたかお婆さんお婆さんと、一体人懐ひとなつこいのにまた格別に慕ってくれますので、どうやら他人とは思えません。」
 婆さんはこの時、滝登たきのぼりの懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などをしずか※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしたから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。
 向直って顔を見合せ、
「このうちは旦那様、停車場ステエション前に旅籠屋はたごやをいたしております、おいのものでもわたくしはまあその厄介でございます。夏この滝の繁昌はんじょうな時分はかえって貴方、邪魔もので本宅の方へ参っております、秋からはこうやって棄てられたも同然、わたくし姨捨山おばすてやまに居ります気で巣守すもりをしますのでざいましてね、いいえ、愚痴ぐちなことを申上げますのではございませんが、お米もそこを不便ふびんだと思ってくれますか、間を見てはちょこちょこと駆けて来て、たもとからだの、小風呂敷からだの、すきなものを出して養ってくれます深切さ、」としめやかに語って、おいの目は早や涙。

       五

 そっと、筒袖つつそでになっている襦袢じゅばんの端で目をぬぐい、
「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって贔屓ひいきなのには可い役がさしてみとうございましょう、立派な服装みなりがさせてみとうございましょう。ああ、叶屋かのうやの二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘につまの揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿をばちだと思って罪滅しに懺悔ざんげばなしもいいまする。わたくしもこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれもみんななりゆきだと断念あきらめましても、断念められませんのはお米の身の上。
 二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょっと沢井様のお勝手へ伺いますと、何貴方あなた、お米は無事で、奥様も珍しいほど御機嫌のいい処、竹屋の婆さんが来たが、米や、こちらへお通し、とおっしゃると、あのもいそいそ、連れられて上りました。このごろ客が立て込んだが、今日は誰も来ず、天気はし、早咲の菊を見ながらちょうどお八ツ時分と、お茶お菓子を下さいまして、わたくし風情へいろいろと浮世話。
 お米も嬉しそうにそばについていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先のしゅうとに里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。
 何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は心懸こころがけいものだというから、滅多に人にも話されない事だけれども、見せて上げよう。黄金きんが肌に着いていると、霧が身のまわり六尺だけはけるとまでいうのだよ、とおっしゃってね。
 貴方五百円。
 台湾の旦那から送って来て、ちょうどその朝銀行で請取っておいでなすったという、ズッシリと重いのが百円ずつで都合五枚。
 お手箪笥の抽斗ひきだしから厚紙に包んだのをお出しなすって、私に頂かして下さいました。
 両手に据えて拝見をいたしましたが、何と申上げようもございませぬ。ただへいへいと申上げますと、どうだね、近頃出来たばかり、年号も今年のだよ、そういうのは昔だって見た事はあるまい、また見ようたって見せられないのだから、ゆっくり御覧、正直な年寄だというから内証で拝ませるのだよ。米や茶をさしておやり、と莞爾にこついておいで遊ばす。へへ、」と婆さんは薄笑うすわらいをした。
 判事は眉をひそめたのである、片腹痛さもかくのごときは沢山あるまい。
 婆さんは額のしわを手でさすり、
「はやまことにお情深い、もっとも赤十字とやらのお顔利かおききと申すこと、丸顔で、小造こづくりに、ふとっておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰り※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそうと見えまして、白襟で小紋のお召を二枚もかさねていらっしゃいまして、早口で弁舌のさわやかな、ちょこまかにあれこれあれこれ、始終小刻こきざみに体を動かし通し、気のはたらきのあらっしゃるのは格別でございます、旦那様。」と上目づかい。
 判事は黙ってうなずいた。
 婆さんはをのんで、
「お米はいつもおなさけない方だとばかり申しますが、それは貴方、女中達のはしの上げおろしにも、いやああだのこうだのとおっしゃるのも、ほしいだけ食べて胃袋を悪くしないようにという御深切でございましょうけれども、わたくしは胃袋へ入ることよりは、に落ちぬことがあるでございますよ。」

       六

昨年きょねんのことで、妙にまたいとこはとこがからみますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場ステエションから四人づめばかりの小さい馬車が往復しまする。岩淵いわぶち渡場わたしば手前に、姉のせがれが、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、しがない身上みのうえではありまするけれど、気立のい深切ものでございますから、私もあてにはしないで心頼りと思うております。それへ久しぶりで不沙汰ぶさた見舞に参りますと、狭い処へ一晩泊めてくれまして、翌日あくるひおひる過ぎ帰りがけに、貴方、納屋のわきにございます、柿を取って、土産を持って行きました風呂敷にそれを包んで、おばさん、詰らねえものを重くッても、持って行ッとくんなせえ。そのかわり私が志で、ここへわざと端銭はしたぜにをこう勘定して置きます、これでどうぞ腰の痛くねえ汽車の中等へ乗って、と割って出しましただけに心持が嬉しゅうございましょう。勿体ないがそれでは乗ろうよ。ああ、おばさん御機嫌ようと、女房も深切な。
 二人とも野良へ出がけ、それではお見送みおくりはしませんからと、跣足はだしのまま並んでかどへ立って見ております。岩淵から引返して停車場ステエションへ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの服装みなりで気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。
 人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、臆面おくめんもなく別の待合へ入りましたが、誰もりません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子どんすみたようなあやで張詰めました、腰をかけますとふわりと沈んで、爪尖つまさきがポンとこう、」
 婆さんは手を揃えて横の方で軽くはたき、
刎上はねあがりますようなのに控え込んで、どうまた度胸がすわりましたものか澄しております処へ、ばらばらと貴方、四五人入っておいでなすったのが、その沢井様の奥様の御同勢でございまして。
 いきなり卓子テエブルの上へショオルだの、信玄袋だのがどさどさと並びますと、つれの若い男の方が鉄砲をどしりとお乗せなすった。銃口つつぐちわたくしの胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、
 おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう……こうでございます。
 人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私がに落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。
 後馳おくればせにつかつかと小走こばしりに入りましたのが、やっぱりお供のうちだったと見えまする、あのお米で。
 卓子を取巻きまして御一家ごいっけがずらりと、お米が姫様ひいさまと向う正面にあいている自分の坐る処へ坐らないで、おや、あなたあいておりますよ、もし、こちらへお懸けなさいましな、冷えますから、と旦那様。」
 婆さんはまた涙含なみだぐんで、
たもとから出した手巾ハンケチを、何とそのまあ結構な椅子につかまりながら、人込の塵埃ほこりもあろうとはたいてくれましたろうではございませんか、私が、あの知己ちかづきになりましたのはその時でございました。」
 待て、判事がお米を見たのもまたそれがはじめてであった。

       七

 婆さんは過日いつかおのが茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが――知らずやその時、同一おなじ赤羽の停車場ステエションに、沢井の一行が卓子テエブルを輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を目深まぶかに、外套がいとうの襟を立てて、くだんの紫の煙を吹きながら、目ばかり出したその清い目で、一場いちじょうの光景をきっみまもっていたことを。――されば婆さんは今その事について何にも言わなかったが、実はこのおうな、お米に椅子を払って招じられると、帯のあいからぬいと青切符をわざとらしく抜出して手に持ちながら、勿体ないわたくし風情がといいいい貴夫人の一行をじろりと※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわし、にじり寄って、お米が背後うしろに立った前の処、すなわちもとの椅子に直って、そして手を合せて小間使を拝んだので、一行が白け渡ったのまで見て知っている位であるから、この間のこの茶店における会合は、娘と婆さんとには不意に顔の合っただけであるけれども、判事に取ってはけだし不思議のめぐりあいであった。
 かく停車場ステエションにお幾が演じた喜劇を知っている判事には、婆さんの昔の栄華も、俳優やくしゃを茶屋の二階へ呼びなどしたことのある様子も、この寂寞せきばくの境に堪え得て一人で秋冬を送るのも、全体を通じて思い合さるる事ばかりであるが、し、それもこれも判事がお米に対する心の秘密とともに胸に秘めて何事もわず、ただ憂慮きづかわしいのは女の身の上、聞きたいのはばばが金貨を頂かせられて、――
「それから、お前がその金子かねを見せてもらうと、」
 促して尋ねると、意外千万、
「そのお金が五百円、その晩お手箪笥てだんす抽斗ひきだしから出してお使いなさろうとするとすっかり紛失をしていたのでございます、」と句切って、判事の顔を見て婆さんは溜息ためいきいたが、小山も驚いたのである。
 赤羽停車場ステエションの婆さんの挙動と金貨を頂かせた奥方の所為しわざとは不言不語いわずかたらずの内に線を引いてそれがお米の身に結ばれるというような事でもあるだろうと、聞きながら推したに、五百円がせたというのは思いがけないきわみであった。
「ええ、すっかり紛失?」と判事もきっと目をみはったが、この人々はその意気において、五というすうが、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。
「まあどうしたというのでございますか、抽斗におしまいなすったのはわたくしもその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ吃驚びっくりいたしますものお邸では大騒ぎ。女などは髪切かみきれの化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。
 さあ二日っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家のことに就いて罪人は出したくないとおっしゃって、表沙汰にはなりませんが、とにかく、不取締でございますから、旦那に申訳がないとのことで大層御心配、お見舞に伺いまする出入のものに、わずかばかりだけれども纔ばかりだけれどもと念をお入れなすっちゃあ、その御吹聴ごふいちょうで。
 そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広くっておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒あたりをかけて徘徊はいかいをいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと談話はなしをしますという、鼻の大きな、じじい化精ばけものでございまして。」

       八

「旦那様、この辺をお通り遊ばしたことがございますなら、田舎道などでお見懸けなさりはしませんか。もし、御覧ごろうじましたら、ただ鼻とこう申せば、お分りになりますでございましょう。」
 判事はちょっと口を挟んで、
「鼻、何鼻の大きい老人、」
「御覧じゃりましたかね。」
「むむ、過日いつか来る時奇代な人間が居ると思ったが、それか。」
「それでございますとも。」
「お待ち、ちょうどあすこだ、」と判事は胸を斜めに振返って、欄干てすりひじを懸けると、滝の下道が三ツばかりうねって葉の蔭に入る一叢ひとむらやぶゆびさした。
「あの藪を出て、少し行った路傍みちばた日当ひあたりい処に植木屋の木戸とも思うのがある。」
「はい、植吉でございます。」
「そうか、その木戸の前に、どこか四ツ谷辺の縁日へでも持出すと見えて、女郎花おみなえしだの、桔梗ききょう竜胆りんどうだの、何、大したものはない、ほんの草物ばかり、それはそれは綺麗に咲いたのを積んだまま置いてあった。
 私はこう下を向いて来かかったが、目の前をちょろちょろと小蛇が一条ひとすじ、彼岸すぎだったに、ぽかぽか暖かったせいか、植木屋の生垣の下から道を横に切って畠の草の中へ入った。大嫌だいきらいだから身震みぶるいをして立留ったが、また歩行あるき出そうとして見ると、蛇よりもっとお前心持の悪いものが居たろうではないか。
 それがじじいよ。
 綿を厚く入れた薄汚れた棒縞ぼうじま広袖どてらを着て、日に向けてせなかを円くしていたが、なりの低い事。草色の股引ももひき穿いて藁草履わらぞうりで立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」
「でございましょうね、旦那様。」
「高いんじゃあないな、あれは希代だ。一体馬面うまづらで顔も胴位あろう、白いひげが針を刻んでなすりつけたように生えている、おとがいといったらへその下に届いて、そのあごとこまで垂下って、口へ押冠おっかぶさった鼻のさきはぜんまいのように巻いているじゃあないか。薄紅うすあかく色がついてその癖筋が通っちゃあいないな。目はしょぼしょぼして眉が薄い、腰が曲って大儀そうに、船頭が持つかいのような握太にぎりぶとな、短い杖をな、唇へあてて手をその上へ重ねて、あれじゃあ持重もちおもりがするだろう、鼻を乗せて、気だるそうな、退屈らしい、呼吸いきづかいも切なそうで、病後やみあがり見たような、およそ何だ、身体からだ中の精分が不残のこらず集って熟したような鼻ッつきだ。そして背をかがめて立った処は、こうの鳥が寝ているとしか思われぬ。」
「ええ、もうからかさのお化がとんぼを切った形なんでございますよ。」
ぷんとえた村へ入ったようなにおいがする、そのじい、余り日南ひなたぼッこを仕過ぎて逆上のぼせたと思われる、大きな真鍮しんちゅう耳掻みみかきを持って、片手で鼻に杖をついたなり、馬面を据えておいて、耳の穴を掻きはじめた。」
「あれは癖でございまして、どんな時でも耳掻を放しましたことはないのでございます。」
「余り希代だから、はてな、これは植木屋の荷じゃあなくッて、どこへか小屋がけをするかざりにつかう鉢物はちうえで、この爺は見世物みせものの種かしらん、といやなにおいを手でおさえて見ていると、爺がな、クックックッといい出した。
 恐しい鼻呼吸はないきじゃあないか、荷車に積んだ植木鉢の中に突込つっこむようにして桔梗をぐのよ。
 風流気はないが秋草が可哀そうで見ていられない。私は見返みかえりもしないで、さっさとこっちへ通抜けて来たんだが、何だあれは。」といいながらも判事は眉根を寄せたのである。
「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」

       九

「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻はうらないをいたします。」
「卜を。」
「はい、卜をいたしますが、旦那様、あの筮竹ぜいちくを読んで算木を並べます、ああいうのではございません。二三度何とかいう新聞にも大騒ぎを遣って書きました。耶蘇ヤソの方でむずかしい、予言者とか何とか申しますとのこと、やっぱり活如来いきにょらい様が千年のあとまでお見通しで、あれはああ、これはこうと御存じでいらっしゃるといったようなものでございますとさ。」
 真顔で言うのを聞きながら、判事は二ツばかり握拳にぎりこぶしを横にして火鉢のふちを軽くおさえて、確めるがごとく、
「あの鼻が、活如来?」
「いいえ、その新聞には予言者、どういうことかわたくしには解りませんが、そう申して出しましたそうで。何しろ貴方、せんの二十七年八年の日清戦争の時なんざ、はじめからしまいまで、昨日きのうはどこそこの城が取れた、今日は可恐おそろしい軍艦を沈めた、明日は雪の中で大戦おおいくさがある、もっともこっちがたが勝じゃ喜びなさい、いや、あと二三ヶ月で鎮るが、やがて台湾が日本のものになるなどと、一々申す事がみんなあたりまして、号外よりさき整然ちゃあんと心得ているくらいはおろかな事。ああ今頃は清軍ちゃんちゃんの地雷火を犬がぎつけて前足で掘出しているわの、あれ、見さい、軍艦の帆柱へたかが留った、めでたいと、何とその戦に支那へ行っておいでなさるお方々の、親子でも奥様でも夢にも解らぬことを手に取るように知っていたという吹聴ふいちょうではございませんか。
 それも道理、その老人としよりは、年紀とし十八九の時分から一時ひとしきり、この世の中から行方が知れなくなって、今までの間、甲州の山続き白雲しらくもという峰に閉籠とじこもって、人足ひとあしの絶えた処で、行い澄して、影も形もないものと自由自在にはなしが出来るようになった、実に希代な予言者だと、その山の形容などというものはまるで大薩摩おおざつまのように書きました。
 その鼻があのじじいなんでございましてね。
 はい、いえ、さようでございます、旦那様も新聞で御存じでも、あの爺のこととは思召しますまいよ。ちっとも鼻の大きなことは書いてないのだそうでございますから。
 もっとも鐘馗しょうき様がお笑い遊ばしちゃあ、鬼がこわがりはいたしますまい、私どもが申せば活如来、新聞屋さんがおっしゃればその予言者、活如来様や予言者殿の、その鼻ッつきがああだとあっては、根ッから難有味ありがたみがございませんもの、売ものに咲いた花でございましょう。
 その癖雲霧が立籠めて、昼も真暗まっくらだといいました、甲州街道のその峰と申しますのが、今でも爺さんが時々おこもりをするといういおりがございますって。そこは貴方、府中の鎮守様の裏手でございまして、手が届きそうな小さな丘なんでございますよ。もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何わらびでも生えてりゃ小児こどもが取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございまする、どうせあんなもやし糸瓜へちまのような大きな鼻の生えます処でございますもの、うっかり入ろうものなら、蚯蚓みみずの天上するのに出ッくわして、目をまわしませんければなりますまいではございませんか。」と、何か激したことのあるらしく婆さんはまくしかけた。

       十

 一息つき言葉をつぎ、
「第一、その日清戦争のことを見透みすかして、何か自分が山のほこらの扉を開けて、神様のお馬のくつわを取って、跣足はだしで宙を駈出かけだして、旅順口にわたりゃあお手伝でもして来たように申しますが、ちっともいくさのあった最中に、そんなことが解ったのではございません。ようよう一昨年から去年あたりへかけて騒ぎ出したのでございますもの、うたぐってみました日には、あてになりはいたしません。しかしまあ何でございますね、前触まえぶみんな勝つことばかりでそれが事実まったくなんですから結構で、わたくしなどもその話を聞きました当座は、もうもう貴方。」
 と黙って聞いていた判事に強請ねだるがごとく、
「お可煩うるさくはいらっしゃいませんか、」
くわしく聞こうよ。」
 判事はめる色もあらず、お幾はいそいそして、
「ええどうぞ。すじを申しませんと解りません。わたくしどもは以前、ただ戦争のことにつきましてあれが御祈祷ごきとうをしたり、おこもり、断食などをしたという事を聞きました時は、難有ありがたい人だと思いまして、あんな鼻附でも何となく尊いもののように存じましたけれども、今度のお米のことで、すっかり敵対むこうになりまして、憎らしくッて、しゃくに障ってならないのでございます。
 あんなもののいうことが当になんぞなりますものか。うらないくだらないもあったもんじゃあございません。
 でございますが、難有味ありがたみはなくッても信仰はしませんでも、いやな奴は厭な奴で、私がこう悪口あっこうを申しますのを、形は見えませんでもどこかで聞いていて、あだをしやしまいかと思いますほど、気味の悪いじじいなんでございまして、」
 といいながら日暮際のぱっとあかるい、つやのないぼやけた下なる納戸に、自分が座の、人なき薄汚れた座蒲団のあたりを見て、婆さんはうしろ見らるる風情であったが、声を低うし、
「全体あの爺は甲州街道で、小商人こあきんど、煮売屋ともつかず、茶屋ともつかず、駄菓子だの、柿だの饅頭まんじゅうだのを商いまする内の隠居でございまして、わたくしども子供の内から親どもの話に聞いておりましたが、何でも十六七の小僧の時分、神隠しか、さらわれたか、行方知れずになったんですって。見えなくなった日を命日にしている位でございましたそうですが、七年ばかりちましてから、ふいと内の者に姿を見せたと申しますよ。
 それもね、旦那様、まともに帰って来たのではありません。破風はふを開けて顔ばかり出しましたとさ、厭じゃありませんか、正丑しょううしの刻だったと申します、」と婆さんは肩をすぼめ、
「しかも降続きました五月雨さみだれのことで、さらわれて参りましたと同一おんなじ夜だと申しますが、皺枯しわがれた声をして、
家中うちじゅう無事か、)といったそうでございますよ。見ると、真暗まっくらな破風のあいから、ぼやけた鼻がのぞいていましょうではございませんか。
 みんな、手も足もすくんでしまいましたろう、縛りつけられたようになりましたそうでございますが、まだその親がりました時分、魔道へ入ったでも鼻をめたいほど可愛かったと申しまする。
せがれ、まあ、)と父親てておやが寄ろうとしますと、変な声を出して、
 寄らっしゃるな、しばらく人間とはまじわらぬ、と払い退けるようにしてそれから一式の恩返しだといって、その時、饅頭のあんの製し方を教えて、屋根からまた行方が解らなくなったと申しますが、それからはその島屋の饅頭といって街道名代の名物でございます。」

       十一

「在りきたりの皮は、麁末そまつな麦の香のする田舎饅頭なんですが、その餡の工合ぐあいがまた格別、何とも申されませんうまさ加減、それに幾日いくか置きましても干からびず、味は変りませんのが評判で、売れますこと売れますこと。
 近在は申すまでもなく、府中八王子あたりまでもお土産折詰になりますわ。三鷹みたか村深大寺、桜井、駒返こまかえし、結構お茶うけはこれに限る、と東京のお客様にも自慢をするようになりましたでしょう。
 三年と五年のうちにはめきめきと身上しんしょうを仕出しまして、うちは建て増します、座敷はこしらえます、通庭とおりにわの両方には入込いりごみでお客が一杯といういきおい、とうとう蔵の二戸前とまえこしらえて、はじめはほんのもう屋台店で渋茶を汲出くみだしておりましたのが俄分限にわかぶげん
 七年目に一度顔を見せましてから毎年五月雨のその晩には、きっと一度ずつ破風はふからのぞきまして、
(家中無事か。)おお、厭だ!」と寂しげに笑ってお幾婆さんは身顫みぶるいをした。
「そのうち親がなくなって代がかわりました。三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取りますはずの処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。
 そこで三蔵と申しまする、末がうちへ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません、寄合にも上席で、三蔵旦那でございまする。
 誰のおかげだ、これも兄者人あにじゃひとの御守護のせい何ぞ恩返しを、と神様あつかい、伏拝みましてね、」
 と婆さんはたなそこを合せて見せ、
ある年、やっぱりその五月雨の晩に破風から鼻を出した処で、(何ぞおのぞみのものを)と申上げますと、(ただ据えておけば可い、女房を一人、)とそういったそうでございます。」
「ふむ、」
「まあ、お聞き遊ばせ、こうなんでございますよ。
 それから何事を差置いても探しますと、ございました。来るものも一生奉公の気なら、島屋でも飼殺しのつもり、それが年寄でも不具かたわでもございません。
(色の白い、美しいのがいいいい。)
 と異な声で、破風口から食好みを遊ばすので、十八になるのをれて参りました、一番目の嫁様は来た晩からうめいて、泣煩うて貴方、三月日には痩衰やせおとろえて死んでしまいました。
 その次のも時々悲鳴を上げましたそうですが、二年ってやっぱり骨と皮になって、可哀そうにこれもいけません。
 さあ来るものも来るものも、一年たつか二年持つか、五年とこたえたものは居りませんで、九人までなくなったのでございます。
 あるに任して金子かねも出したではございましょうが、よくまあ、世間は広くッて八人の九人のと目鼻のある、手足のある、胴のある、髪の黒い、色の白い女があったものだと思いますのでございますよ。十人目に十三年生きていたという評判の婦人おんなが一人、それはわたくしもあの辺に参りました時、饅頭を買いに寄りましてちょっと見ましたっけ。
 大柄な婦人おんなで、鼻筋の通った、容色きりょう、少しすごいような風ッつき、乱髪みだれがみ浅葱あさぎ顱巻はちまきめまして病人と見えましたが、奥ののふちに立膝をしてだらしなく、こう額に長煙管をついて、骨が抜けたように、がっくり俯向うつむいておりましたが。」

       十二

「百姓家の納戸の薄暗い中に、毛筋の乱れました頸脚えりあしなんざ、雪のようで、それがあの、客だと見て真蒼まっさおな顔でこっちを向きましたのを、今でもわたくしは忘れません。可哀そうにそれから二年目にとうとうなくなりましたが、これは府中に居た女郎上りを買って来て置いたのだと申します。
 もうその以前から評判が立っておりましたので、山と積まれてからが金子かね生命いのちまでは売りませんや、誰も島屋の隠居には片づきがなかったので、どういうものでございますか、その癖、そうやって、嫁がきまりましても女房が居ましても、家へ顔を出しますのはやっぱり破風はふから毎年その月のその日の夜中、ちょうど入梅つゆ真中まんなかだと申します、入梅から勘定して隠居が来たあとをちょうど同一おんなじように指を折ると、大抵梅雨あけだと噂があったのでございまして。
 実際、おかみさんが出来るようになりましてからも参るのはたしかに年に一度でございましたが、それとも日に三度ずつも来ましたか、そこどこはたしかなことは解りません。
 何にいたしましても、来るものもるものも亡くなりましたのは、こりゃ葬式とむらいが出ましたから事実まったくなんで。
 さあ、どんづまりのその女郎が殺されましてからは、怪我にもゆきがございません、これはまた無いはずでございましょう。
 そうすると一年、二年、三年と、段々店が寂れまして、家も蔵ももとのようではなくなりました。一時は買込んだ田地でんじなども売物に出たとかいう評判でございました。
 そうこういたします内に、さよう、一昨年でございましたよ、島屋の隠居がうちへ帰ったということを聞きましたのは。それから戦争の祈祷の評判、ひとしきりは女房一件で、饅頭の餡でさえ胸を悪くしたものも、そのお国のために断食をした、おこもりをした、千里のさき三年のあとのあとまで見通しだと、人気といっちゃあおかしく聞えますが、また隠居殿の曲った鼻が素直まっすぐになりまして、新聞にまで出まする騒ぎ。予言者だ、と旦那様、活如来いきにょらいあつかいでございましょう。
 ああ、やれやれ、うちへ帰ってもあの年紀としで毎晩々々機織はたおりの透見をしたり、糸取場をのぞいたり、のそりのそりうようにして歩行あるいちゃ、五宿の宿場女郎の張店はりみせを両側ね、糸をかがりますように一軒々々格子戸の中へ鼻を突込つっこんじゃあクンクンいで歩行あるくのを御存じないか、と内々私はちっと聞いたことがございますので、そう思っておりましたが、善くは思いませんばかりでも、おなかのことを嗅ぎつけられて、変な杖でのろわれたら、どんな目に逢おうも知れぬと、薄気味の悪いじじいなんでございます。
 それが貴方、以前からお米を貴方。」
 と少し言渋りながら、
けつ廻しつしているのでございます。」と思切った風でいったのである。
「何、お米を、あれが、」と判事は口早にいって、膝を立てた。
「いいえ、あの、これと定ったこともございません、ございませんようなものの、ふらふら堀ノ内様の近辺、五宿あたり、夜更よふけでも行きあたりばったりにうろついて、この辺へはめったに寄りつきませなんだのが、沢井様へお米が参りまして、ここでもまた、容色きりょうが評判になりました時分から、やぶからでも垣からでも、ひょいと出ちゃああのくさきをけるのでございます。薄ぼんやりどこにかあの爺が立ってるのを見つけましたものが、もしその歩き出しますのを待っておりますれば、きっとお米の姿が道に見えると申したようなわけでございまして。」

       十三

「おなじ奉公人どもが、たださえ口の悪い処へ、大事出来しゅったいのように言いはやして、からかい半分、お米さんは神様のお気に入った、いまにはかまをお穿きだよ、なんてね。
 まさかに気があろうなどとは、怪我にも思うのじゃございますまいが、串戯じょうだんをいわれるばかりでも、癩病かったい呼吸いき吹懸ふっかけられますように、あのも弱り切っておりましたそうですが。
 つい事の起ります少し前でございました、沢井様の裏庭に夕顔の花が咲いた時分だと申しますから、まだ浴衣を着ておりますほどのこと。
 急ぎの仕立物がございましたかして、お米が裏庭に向きました部屋で針仕事をしていたのでございます。
 まだあかりけません、晩方、きその夕顔の咲いております垣根のわきがあらい格子。手許てもとが暗くなりましたので、袖が触りますばかりに、格子の処へ寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道あぜみちを馬も百姓も、ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あのじじいのそのそぎつけて参りましてね、蚊遣かやりの煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけた色づいて薄赤い、てらてらする鼻のさきを突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。
 もうもう五宿の女郎の、油、白粉おしろい襟垢えりあかにおいまで嗅いで嗅いで嗅ぎためて、ものの匂で重量おもりがついているのでございますもの、夢中だって気勢けはいが知れます。
 それが貴方、明前あかりさきへ、突立つったってるのじゃあございません、脊伸をしてからが大概人のしゃがみます位なんで、高慢な、澄した今産れて来て、娑婆しゃばの風に吹かれたという顔色かおつきで、黙って、※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびをしちゃあ、クンクン、クンクン小さな法螺ほらの貝ほどにはならしたのでございます。
 麹室こうじむろの中へ縛られたような何ともいわれぬいやな気持で、しばらくは我慢をもしましたそうな。
 お米が気の弱い臆病ものの癖に、ちょっと癇持かんもちで、気に障ると直きつむりがいたみ出すという風なんですからたまりませんや。
 それでもあの爺の、むかしむかしを存じておりますれば、こうわたくしどもでさえ、向面むこうづらへ廻しちゃあ気味の悪い、人間には籍のないような爺、目をふさいで逃げますまでも、きついことなんぞわれたものではございませんが、そこはあのは近頃こちらへ参りましたなり、破風口はふぐちから、=無事か=の一件なんざ、夢にも知りませず、また沢井様などでも誰もそんなことは存じません。
 串戯じょうだんにも、つけまわしている様子を、そんな事でも聞かせましたら、夜が寝られぬほど心持を悪くするだろうと思いますから、私もうっかりしゃべりませんでございますから、あのはただ汚い変な乞食、親仁おやじ、あてにならぬ卜者うらないしゃを、愚痴無智の者がけだものを拝む位な信心をしているとばかり承知をいたしておりましたので、
不可いけませんよ、不可ませんよ、)といっても、ぬッとしてクンクン。
(お前はうるさいね、)と手にしていた針のさき指環ゆびわに耳を突立つったてながら、ちょいと鼻頭はながしらを突いたそうでございます、はい。」
 といって婆さんはあらたまった。

       十四

洋犬かめめかけになるだろうと謂われるほど、その緋の袴でなぶられるのをけがらわしがっていた、処女むすめ気で、思切ったことをしたもので、それで胸がすっきりしたといつかわたくしに話しましたっけ。
 気味を悪がらせまいとは申しませんでしたが、ああこのは飛んだことをおしだ、外のものとは違ってあのけたい親仁。
 まむしの首を焼火箸やけひばしで突いたほどのたたりはあるだろう、とおなかじゃあ慄然ぞっといたしまして、じじいはどうしたと聞きましたら、
(いいえ、やっぱりむずむずしてどこかへ行ってしまいました、それッきり、さっぱり見かけないんですよ。)と手柄顔に、お米は胸がすいたように申しましたが。
 なるほど、その後はしばらくこの辺へは立廻りません様子。しばらく影を見ませんから、それじゃあそれなりになったかしら。帳消しにはなるまいと思いながら、一日ましに私もちっとは気がかりも薄らぎました。
 そういたしますと今度の事、飛んでもない、旦那様、五百円紛失の一件で、ぜん申しました沢井様へ出入の大八百屋が、あるじ自分でまかり出ましてさ、お金子かねの行方を、一番ひとつ、是非、だまされたと思って仁右衛門にみておもらいなさいまし、とたって、勧めたのでございますよ。
 どうして礼なんぞっては腹を立ってたたりをします、ただ人助けにつかまつりますることで、すきでおこもりをして影も形もない者から聞いて来るのでございます、と悪気のない男ですが、とかく世話好の、何でも四文しもんとのみ込んで差出たがる親仁なんで、まめだって申上げたものですから、仕事はなし、新聞は五種いついろも見ていらっしゃる沢井の奥様。
 内々その予言者だとかいうことを御存じなり、外にあたりはつかず、旁々かたがたそれでは、と早速じじいをお頼み遊ばすことになりました。
 府中の白雲山の庵室へ、佐助がお使者に立ったとやら。一日いて沢井様へ参りましたそうでございます。そしてこれはお米から聞いた話ではございません、爺をお招きになりましたことなんぞ、私はちっとも存じないでおりますと、ちょうどそのうらないを立てた日の晩方でございます。
 旦那様、貴下あなた桔梗ききょうの花をいでる処を御覧じゃりましたという、きちさんという植木屋の女房かみさんでございます。小体こていな暮しで共稼ぎ、使歩行つかいあるきやら草取やらに雇われて参るのが、かせぎかえりと見えまして、手甲脚絆てっこうきゃはんで、貴方、鎌を提げましたなり、ちょこちょこと寄りまして、
(お婆さん今日は不思議なことがありました。沢井様の草刈に頼まれて朝はやくからあちらへ上って働いておりますと、五百円のありかをうらなうのだといって、仁右衛門爺さんが、八時頃に遣って来て、お金子かねが紛失したというお居室いまへ入って、それから御祈祷ごきとうがはじまるということ、手を休めてお庭からその一室ひとまかたを見ておりました。何をしたか分りません、障子ふすまは閉切ってございましたっけ、ものの小半時ったと思うと、見ていた私は吃驚びっくりして、地震だ地震だ、ときまりの悪い大声を立てましたわ、何の事はない、お居間の瓦屋根が、波を打って揺れましたもの、それがまた目まぐるしく大揺れに揺れて、そのままひッそり静まりましたから、縁側の処へ駆けつけて、ちょうど出て参りましたお勢さんという女中に、ひどい地震でございましたね、と謂いますとね、けげんな顔をして、へい、と謂ったッきり、もないことなんで、奇代で奇代で。)とこう申すんでございましょう。」

       十五

「いかにも私だって地震があったとは思いません、その朝は、」
 と婆さんは振返って、やや日脚の遠退とおのいた座を立って、程過ぎて秋の暮方の冷たそうな座蒲団を見遣りながら、
「ねえ、旦那様、あすこに坐っておりましたが、風立ちもいたしませず、障子に音もございません、穏かな日なんですもの。
(変じゃあないか、女房おかみさん、それはまたどうした訳だろう、)
(それが御祈祷をした仁右衛門爺さんの奇特でございます。沢井様でも誰も地震などと思った方はないのでして、ただ草を刈っておりました私の目にばかりお居間の揺れるのが見えたのでございます。大方神様がお寄んなすったしるしなんでございましょうよ。案の定、お前さん、ちょうど祈祷の最中、思い合してみますれば、瓦が揺れたのを見ましたのとおなじ時、次のお座敷で、そのお勢というのに手伝って、床の間の柱に、友染のたすきがけで艶雑巾つやぶきんをかけていたお米という小間使が、ふっと掛花活かけはないけの下で手を留めて、活けてありました秋草をじっと見ながら、顔をべにのようにしたということですよ。何か打合せがあって、そっと目をつけていたものでもあると見えます。お米はそのまんま、手が震えて、足がふらついて、わなわなして、急に熱でも出たように、部屋へ下ってふせりましたそうな。お昼すぎからは早や、お邸中寄ると触ると、ひそひそ話。
 高い声では謂われぬことだが、お金子かねの行先はちゃんと分った。しかし手証を見ぬことだから、膝下ひざもとへ呼び出して、長煙草ながぎせる打擲ひっぱたいて、ぬかさせるすうではなし、もともと念晴しだけのこと、縄着なわつき邸内やしきうちから出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、神業かみわざで、当人が分ってからが、表沙汰にはしてもらいたくないと、約束をしてかかったいのりなんだそうだから僥倖しあわせさ。しかし太い了簡りょうけんだ、あの細い胴中どうなかを、鎖でつながれるさまが見たいと、女中達がいっておりました。ほんとうに女形がかつらをつけて出たような顔色かおつきをしていながら、お米と謂うのは大変なものじゃあございませんか、悪党でもずっと四天よてんで出る方だね、私どもは聞いてさえ五百円!)とその植木屋の女房かみさん饒舌しゃべりました饒舌りました。
 旦那様もし貴方、何とお聞き遊ばして下さいますえ。」
 判事は右手めてのさきで、左のかいなを洋服の袖の上からしっかとおさえて、きっとお幾の顔を見た。
「どう思召して下さいます、わたくしは口が利けません、いいわけをするのさえ残念でたまりませんからろくに返事もしないでおりますと、あかりをつけるとって、植吉の女房かみさんはあたふた帰ってしまいました。何も悪気のある人ではなし、私とお米との仲を知ってるわけもないのでございますから、驚かして慰むにも当りません、お米は何にも知らないにしましても、いっただけのことはその日ありましたに違いないのでございますもの。
 私は寝られはいたしません。
 帰命頂来きみょうちょうらい! お米が盗んだとしますれば、私はその五百円が紛失したといいまする日に、耳を揃えて頂かされたのでございます。
 どんな顔をされまいものでもないと、口惜くやしさは口惜し、憎らしさは憎らし、もうもうつかみついて※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)ひきむしってやりたいような沢井の家の人の顔を見て、お米に逢いたいと申して出ました。」

       十六

「それも、こうか行くまいかと、気をんで揉抜いた揚句、どうもたまらなくなりまして思切って伺いましたので。
 心からでございましょう、誰の挨拶もけんもほろろに聞えましたけれども、それはもうお米にうたがいがかかったなんぞとは、※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびにも出しませんで、逢って帰れ! と部屋へ通されましてございます。
 それでも生命いのちはあったか、と世を隔てたものにでも逢いますような心持。いきなりすがり寄って、寝ている夜具の袖へ手をかけますと、そっと目をあいてわたくしの顔を見ましたっけ、三日四日が間にめっきりやつれてしまいました、顔を見ますと二人とも声よりはさきへ涙なんでございます。
 物もいわないで、あのが前髪のこわれた額際まで、天鵞絨びろうどの襟をひっかぶったきり、ふるえて泣いてるのでございましょう。
 ようよう口を利かせますまでには、大概骨が折れた事じゃアありません。
 口説いたり、すかしたり、うらんでみたり、叱ったり、いろいろにいたして訳を聞きますると、申訳をするまでもない、お金子かねに手もつけはしませんが、げんのある祈をされて、居ても立ってもいられなくなったことがある。
 それは※(疑問符感嘆符、1-8-77)
 やっぱりお金子かねの事で、私は飛んだ心得違いをいたしました、もうどうしましょう。もとよりお金子は数さえ存じません位ですが、心では誠に済まないことをしましたので、神様、仏様にはどんな御罰おばちこうむるか知れません。
 憎らしい鼻のじじいは、それはそれは空恐ろしいほど、私の心の内を見抜いていて、日に幾たびとなく枕許まくらもとへ参っては、
むすめ、罪のないことはわしがよう知っている、じゃが、心に済まぬ事があろう、私を頼め、助けてやる、)と、つけつまわしつ謂うのだそうで。
 お米は舌を食い切っても爺の膝を抱くのは、いやかぶりをふり廻すと申すこと。それは私も同一おんなじだけれども、罪のないものが何をこわがって、煩うということがあるものか。済まないというのは一体どんな事と、すかしても、口説いても、それは問わないで下さいましと、強いていえば震えます、頼むようにすりゃ泣きますね、調子もかわって目の色もおだやかでないようでございましたが、仕方がございません。で、しおしおその日は帰りまして、一杯になる胸を掻破かきやぶりたいほど、私が案ずるよりあのの容体は一倍で、とうとう貴方、前後が分らず、厭なことを口走りまして、時々、それ巡査おまわりさんが捕まえる、きゃっといって刎起はねおきたり、目を見据えましては、うっとりしていて、ああ、真暗まっくらだこと、牢へ入れられたと申しちゃあ泣くようになりました。そんな容子ようすで、一日々々、このごろでは目もあてられませんように弱りまして、ろくろく湯水も通しません。
 何か、いろんな恐しいものが寄ってたかってさいなみますような塩梅あんばい、爺にさえ縋って頼めば、またお日様が拝まれようと、自分の口からも気のたしかな時は申しながら、それは殺されても厭だといいまする。
 神でも仏でも、尊い手をお延ばし下すって、早く引上げてやって頂かねば、見るうちにも砂一粒ずつ地の下へ崩れてお米は貴方、旦那様。
 奈落の底までも落ちて参りますような様子なのでございます。その上意地悪く、鼻めが沢井様へり込みますこと、毎日のよう。奥様はその祈の時からすっかり御信心をなすったそうで、畳の上へも一件の杖をおつかせなさいますお扱い、それでお米の枕許をことことと叩いちゃあ、
(気分はどうじゃ、)といいますそうな。」

       十七

 お幾は年紀としの功だけに、身を震わさないばかりであったが、
「いえ、もう下らないこと、くどくど申上げまして、よくお聞き遊ばして下さいました。昔ものの口不調法、随分御退屈をなすったでございましょう。ほかに相談相手といってはなし、交番へ届けまして助けて頂きますわけのものではなし、また親類のものでも知己ちかづきでも、わたくしが話を聞いてくれそうなものには謂いました処で思遣おもいやりにも何にもなるものじゃあございません、旦那様が聞いて下さいましたので、私は半分だけ、荷を下しましたように存じます。その御深切だけで、もう沢山なのでございますが、欲には旦那様何とか御判断下さいますわけには参りませんか。
 こんな事を申しましてお聞上げ……どころか、もしお気に障りましては恐入りますけれども、一度旦那様をお見上げ申しましてからの、お米の心は私がよく存じております。囈言うわごとにも今度のその何か済まないことやらも、旦那様に対してお恥かしいことのようでもございますが、はしたない事を。
 飛んだことをいう奴だと思し召しますなら、私だけをお叱り下さいまして、何にも知りませんお米をおさげすみ下さいますなえ。
 それにつけにつけましても時ならぬこの辺へ、旦那様のお立寄遊ばしたのを、私はお引合せと思いますが、飛んだ因縁だとおあきらめ下さいまして、どうぞ一番ひとつ一言ひとことでも何とか力になりますよう、おっしゃっては下さいませんか。何しろ煩っておりますので、片時でもほッという呼吸いきをつかせてやりたく存じますが、こうでございます、旦那様お見かけ申して拝みまする。」とことばも切に声も迫って、両眼に浮べた涙とともにまことおもてにあふれたのである。
 行懸ゆきがかり、ことばの端、察するに頼母たのもしき紳士と思い、且つ小山をばばが目からその風采ふうさいを推して、名のある医士であるとしたらしい。
 正に大審院に、高き天を頂いて、国家の法を裁すべき判事は、よく堪えてお幾の物語の、一部始終を聞き果てたが、かれは実際、事の本末もとすえを、ひややかに判ずるよりも、お米が身に関する故をもって、むしろ情において激せざるを得なかったから、言下ごんかに打出して事理を決する答をば、与え得ないで、
「都を少しでも放れると、しからん話があるな、婆さん。」とばかり吐息といきとともにいったのであるが、言外おのずからその明眸めいぼうの届くべき大審院の椅子の周囲、西北さいほく三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があってあらわれた。
「どうぞまあ、何はきましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまいました。決してあの、唯今のことにつきましておねだり申しますのではございません、これからは茶店を預ります商売冥利みょうり、精一杯の御馳走ごちそう、きざ柿でもいて差上げましょう。生の栗がございますが、お米が達者でいて今日も遊びに参りましたら、灰にうずんで、あの器用な手で綺麗にこしらえさして上げましょうものを。……どうぞ、唯今お熱いお湯を。旦那様お寒くなりはしませんか。」
 今は物思いに沈んで、一秒いっセコンドの間に、婆が長物語りを三たび四たび、つむじ風のごとくく、さっと繰返して、うっかりしていた判事は、心着けられて、フト身に沁むかたを、欄干ごし打見遣うちみやった。
 黄昏たそがれや、早や黄昏は森の中からその色を浴びせかけて、滝をおおえる下道を、黒白あやめに紛るる女の姿、えにしの糸に引寄せられけむ、裾もたもとびんの毛も、ゆうべの風に漂う風情。

       十八

「おお、あれは。」
「お米でございますよ、あれ、旦那様、お米さん、」と判事にいうやら、むすめを呼ぶやら。お幾は段を踏辷ふみすべらすようにしてずるりと下りて店さきへ駆け出すと、欄干てすりの下を駆け抜けて壁について今、婆さんの前へと来たお米、素足のままで、細帯ほそおびばかり、空色のあわせに襟のかかった寝衣ねまきなりで、寝床を脱出ぬけだしたやつれた姿、追かけられて逃げる風で、あわただしく越そうとする敷居に爪先つまさきを取られて、うつむけさまに倒れかかって、横に流れて蹌踉よろめく処を、
「あッ、」といって、手を取った。婆さんはせなを支えて、どッさり尻をついて膝を折りざまに、お米を内へ抱え込むと、ばったり諸共に畳の上。
 このあおりに、婆さんが座右の火鉢の火の、先刻さっきからじょうに成果てたのが、真白まっしろにぱっと散って、むすめの黒髪にも婆さんの袖にもちらちらとかかったが、直ぐに色も分かず日は暮れたのである。
「お米さん、まあ、」と抱いたまま、はッはッいうと、絶ゆげな呼吸いきづかい、疲果てた身をもだえて、
いやッよう、つかまえられるよう。」
「誰に、誰につかまえられるんだよ。」
「厭ですよ、あれ、巡査おまわりさん。」
「何、巡査さんが、」と驚いたが、抱く手の濡れるほど哀れ冷汗びっしょりで、身をんで逃げようとするので、さては私だという見境ももうなくなったと、気がついて悲しくなった。
「しっかりしておくれ、お米さん、しっかりしておくれよ、ねえ。」
 お米はただ切なそうに、ああああというばかりであったが、急にまた堪え得ぬばかり、
「堪忍よう、あれ、」と叫んだ。
「堪忍をするから謝罪あやまれの。どこをどう狂い廻っても、わしが目から隠れる穴はないぞの。無くなった金子かねは今日出たが、うぬが罪は消えぬのじゃ。むすめ、さあ、わしを頼め、足を頂け、こりゃこの杖にすがれ。」と蚊のうめくようなる声して、ぶつぶついうその音調は、一たび口を出でて、唇を垂れおおえる鼻にってやがて他の耳にきたるならずや。異様なる持主は、その鼻を真俯向まうつむけに、長やかなる顔を薄暗がりの中に据え、一道の臭気を放って、いつか土間に立ってかの杖で土をことこととならしていた。
「あれ。」打てば響くがごとくお米が身内はわなないた。
 たまりかねて婆さんは、鼻に向ってきっと居直ったが、じじいがクンクンと鳴して左右にうごめかしたのを一目見ると、しりごみをして固くお米を抱きながらすくんだ。
「杖に縋って早や助かれ。むすめやい、女、金子は盗まいでも、自分の心がうぬが身を責殺すのじゃわ、たわけ奴めが、フン。わしを頼め、膝を抱け、杖に縋れ、これ、生命いのちが無いぞの。」と洞穴の奥からかすかに、呼ぶよう、人間の耳に聞えて、この淫魔いんまほざきながら、したたかの狼藉ろうぜきかな。杖を逆に取って、うつぶしになって上口あがりぐちに倒れている、お米のきぬの裾をハタと打って、また打った。
「厭よ、厭よ、厭よう。」と今はと見ゆる悲鳴である。
「この、たわけの。」
 段の上にすッくと立って、名家の彫像のごとく、目まじろきもしないで、一じょうの光景を見詰めていた黒ききぬ、白きおもて※(「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62)せいく鶴に似たる判事は、と下りて、ずッと寄って、お米の枕頭まくらもとに座を占めた。
 威厳犯すべからざるものある小山の姿を、しょぼけた目でじっと見ると、予言者の鼻は居所をかえて一足退すさった、鼻と共に進退して、その杖の引込ひっこんだことはいうまでもなかろう。
 目もくれず判事はしずかにお米の肩に手をせた。
 軽くおさえて、しばらくして、
うことが分るか、姉さん、分るかい、お前さんはね、紛失したというその五百円を盗みも、見もしないが、欲しいと思ったんだろうね。し、欲しいと思った。それは深切なこの婆さんが、金子かねを頂かされたのを見て、あの金子が自分のものなら、老人としよりのものにしたいと、……そうだ。そこを見込まれたのだ。何、妙なものに出会でっくわして気を痛めたに違いなかろう。むむ、思ったばかり罪はないよ、たとい、不思議なもののとがめがあっても、私が申請けよう。さあ、しっかりとつかまれ。私がたてになってあやしいものの目から隠してやろう。ずっと寄れ、さあこの身体からだにつかまってその動悸どうきを鎮めるが可い。放すな。」とさわやかにいったことばにつれ、声につれ、お米は震いつくばかり、人目に消えよと取縋った。
「婆さん、あかりを。」
 飛上るようにして、やがてお幾が捧げ出したともしびの影に、と見れば、予言者はくるりと背後うしろ向になって、耳を傾けて、真鍮しんちゅうの耳掻を悠々とつかいながら、判事のことばを聞澄しているかのごとくであった。
「安心しな、姉さん、心に罪があっても大事はない。私が許す、小山由之助だ、大審院の判事が許して、その証拠に、ぬすみをしたいと思ったお前と一所になろう。婆さん、媒妁人なこうどは頼んだよ。」
 迷信の深い小山夫人は、その後永く鳥獣の肉と茶断ちゃだちをして、判事の無事を祈っている。けだし当時、夫婦を呪詛じゅそするという捨台辞すてぜりふを残して、わが言かくのごとくたがわじと、杖をもって土を打つこと三たびにして、薄月うすづきの十日の宵の、十二社の池の周囲を弓なりに、飛ぶかとばかり走り去った、予言者の鼻の行方がいまだに分らないからのことである。
明治三十四(一九〇一)年一月





底本:「泉鏡花集成2」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店
   1941(昭和16)年11月10日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2007年2月18日作成
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