三人の盲の話

泉鏡太郎





「もし/\、其處そこらつしやりますおかた。」……とぶ。
 ばれた坂上さかがみは、こゑくと、外套ぐわいたうえりから悚然ぞつとした。……たれ可厭いやな、何時いつおぼえのある可忌いまはしい調子てうしふのではない。が、辿たどりかゝつたのたら/\あがりのながさかの、したからちやう中央なかばおもところで、もやのむら/\と、うごかないうづなかを、がくれに、いつしづみつするていで、跫音あしおときこえぬばかり――四谷よツやとほりからあな横町よこちやうつゞく、さかうへから、しよな/\りてて、擦違すれちがつたとおもふ、とこゑ
 なん約束やくそくもなく、おもひもけず行逢ゆきあつたのに、トながら行過ゆきすぎるうち、れなり何事なにごとしにはわかれまい。ぶか、めるか、きつくちくにちがひない、と坂上さかがみ不思議ふしぎにもおもつた。もつとそれは、或機會あるきつかけ五位鷺ごゐさぎ闇夜やみさけぶ、からすく、とおな意味いみで、くものは、其處そこ自分じぶん一人ひとりでも、とりたれむかつてぶのかわからない。けれども、可厭いやな、可忌いまはしいこゑかずにはむまい、とおもふとあんぢやう……
 て、行逢ゆきあつたものは、ひとならびにならんだ三にんづれで、どれも悄乎しよんぼりとした按摩あんまである。
 なかはさまれたのは、弱々よわ/\と、くびしろい、かみい、中年増ちうどしまおもをんなで、りやうかたがげつそりせて、えり引合ひきあはせたそでかげが――せたむねさう乳房ちぶさまでとほるか、と薄暗うすぐらく、すそをかけて、おびいろおなじやうに――くろして、ぴた/\ぴた/\と草履穿ざうりばきか、つちとすれ/\のつまた。
 さきつたのはねずみであらう、夜目よめにはもやつてなやした、被布ひふのやうなものを、ぐたりとて、ふちなしの帽子ばうしらしい、ぬいと、のはうづにたかい、坊主頭ばうずあたまのまゝとふのをかぶつた、せいのひよろりとしたのが、どううねらして……とほる。
 あとなる一人ひとりは、中脊ちうぜいほそをとこで、眞中まんなかの、盲目婦めくらをんなかみかげにもかくれさうに、おびからだ附着くツつけて行違ゆきちがつたのであるから、なり恰好かつかうれも判然はつきりとしないなかに、の三人目にんめのが就中なかんづくおぼろえた。
 くせ、もし/\、とつた、……こゑくと、一番いちばんあとの按摩あんま呼留よびとめたことが、うしてかぐにれた……
わたしかい。」
 とぐにこたへて、坂上さかがみのまゝ立留たちどまつて、振向ふりむいた……ひやりとかたからすくみながら、矢庭やにはえるいぬに、(畜生ちくしやう、)とて擬勢ぎせいしめ意氣組いきぐみである。
「はあ、お前樣まへさまで。」
 としづんでふ。はたせるかな殿しんがり痩按摩やせあんまで、くちをきくときもやぐ、つゑかいに、なゝめににぎつて、さかの二三ひくところに、伸上のびあがるらしく仰向あをむいてた。
 さき二人ふたりあたまながいのと、なにかに黒髮くろかみむすんだのは、芝居しばゐ樂屋がくや鬘臺かつらうけに、まげをのせて、さかさつるした風情ふぜいで、前後あとさきになぞへにならんで、むかうむきにつて、同伴者つれの、うして立淀たちよどんだのをつらしい。
 坂上さかがみ外套ぐわいたうそでぢて、くびすよこざまにみながら、中折なかをれひさしから、對手あひて眉間みけんかしつつ、
わたしようか。」
一寸ちよつと……おはなしが……ありまして……」と落着おちついたのか、いきだはしいのか、ふゆふけをなまぬるい。


用事ようじなんです。」
 はじめ、もやなかを、の三にんとほりすがつたときながいのとみじかいのと、野墓のばかちた塔婆たふばが二ほん根本ねもとにすがれた尾花をばなしろすがらせたまゝ、つちながら、こがらし餘波なごりに、ふは/\おくられてたかとおもつた。
 つと、の(おもつた)がえて、まざ/\とうしてものを言交いひかはせば、武藏野むさしのをか横穴よこあなめいた、やま場末ばすゑびたまちを、さぐり/\にかせいで歩行あるくのが、さそはせて、としのやうに、ほそふえで、やがて木賃宿きちんやど行燈あんどうなかえるのであらうと、合點がつてんして、坂上さかがみやゝものひがおだやかにつたのである。
 按摩あんまその仰向あをむいて打傾うちかたむいた、みゝかゆいのをきさうなつきで、右手めて持添もちそへたつゑさきを、かるく、コト/\コト/\とはじきながら、
よううて、べつに、これうてありませぬ。ありませぬ、けれども、お前樣まへさまいまから、何處どこかれます。何處どこへ、何處どこへ、何處どこへ?」……とあざけるやうに、小鼻こばな調子てうしつたかたをする。
かまひなさんな。」
 無理むり首尾しゆびの、をんなしのであつた……
 坂上さかがみ憤然むつとして、
何處どこつてもいではないか。」
うない、それうない、お前樣まへさま、」と押附おしつけにつたこゑに、振切ふりきつてはあしちからこもる。
何故なぜわるいんだね。」
 と、かへつて坂下さかした小戻こもどりにつか/\とちかづいたが、あまそばると、もやが、ねば/\としてかほきさうで、不氣味ぶきみひかへた。
「もうおそい!」
 ときふはゞのあるつよこゑ按摩あんまとき、がつくりと差俯向さしうつむく。
 すくんだていだつた、長頭ながあたま先達盲人せんだつめくらは、とき、のろりと身動みうごきして、よこがけはうかほけた。
 つぎをんなは、こしからかげつち吸込すひこまれさうに、悄乎しよんぼりこしをなやしてしやがむ……びんのはづれへ、ひよろりとつゑさきけてあをい。
 三にんをおろしたらしくると、坂上さかがみも、きふには踏出ふみだせさうもなく、あし附着くツついたが、前途さきいそむねは、はツ/\と、毒氣どくきつかんでくちから吹込ふきこまれさうにをどつて、うごかしては、ぐつとふくれ、にくをわなゝかしては、げつそりひしやげる。
 さか兩方りやうはうは、見上みあげてみねごと高臺たかだいのなだれたがけで、……とき長頭ながあたまおもてけたはうは、そらに一二けん長屋立ながやだてあたか峠茶屋たうげぢややかたちに、しもよ、ともやのたゝまりんだ、枯草かれくさうへに、かげもなくとざさるゝ。
 で、のものどものつたはうは、ぐるみ地壓ぢおさへのくひ露顯あらはに、どろくづれた切立きりたてで、うへには樹立こだち參差すく/\ほねつなぐ。えだ所々しよ/\にごつた月影つきかげのやうな可厭いやいろもやからんで、ほしもない……やまふか谷川たにがはながれのぞんだおもひの、暗夜やみ四谷よツやたにそこ時刻じこくちやうど一ごろ
 はげしくうごくはむねばかり……づん/\と陰氣いんきそらから、身體からだ壓附おしつけられるやうで、
おそいのが、なんわるい。」
 とものいひもおもる。
はれる、まをされる……」
 とつゑつたかふを、とんたゝき、
如何いかにも、もし、それがわるい……」
つては不可いけないとふのかね。」と、こゝろがかりな今夜こんやの、辻占つじうらにもと裏問うらどへば……
わるいとうたりとて、お前樣まへさまひとつでかるれば、それまでのことではあれど、づおまをしたい。
 これは、わし一人ひとりか……
 其處そこじんも。」
 とつて、つゑをまつすぐに持直もちなほすと、むかうで長頭ながあたまが、ひとかすかしはぶき


くなつたつて、かなけりやらないところだつたらうします。」
 と坂上さかがみ呼吸いきはあせつた……
おや大病たいびやうだか、ともだちが急病きふびやうだか、れたもんですか。……きみたちのやうにつちや、なにか、あやしいところへでも出掛でかけるやうだね。」
「へゝゝ、」
 とつゑさきほゝをすりつけるごとかしがつて、可厭いやわらひ、
それわかればこそまをすのなり、あのじんへとひます……てますか、わたしが。……つても大事だいじない。けて爾々しか/″\とおひなされ。お前樣まへさまをなごひにく、」
「…………」
「な、しかも、先方さきは、義理ぎり首尾しゆびで、差當さしあたつてはわるところを、お前樣まへさま突詰つきつめて、つて、かきへいも、押倒おしたふ突破つきやぶる、……ちからで、むね※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)かきむしるやうにあせるから、をなごせまつて、にも生命いのちにもへてはうとふ。それく……お前樣まへさま途中とちうでありませう。とほりがかりから、行逢ゆきあうて、うやつて擦違すれちがうたまでの跫音あしおとで、ようれました。とぼ/\した、うはそらなのでちやんわかる……
 きりもかゝり、しももおりる……つきくもればほしくらし、大空おほぞらにもまよひはある。まよひも、それおだやかなれども、むねふさが呼吸いきとぢる、もやくやなあとの、いなびかり、はたゝがみを御覽ごらんぜい。
 人間にんげんおもひ、何事なにごと不思議ふしぎはない。
 われらこゝろ思較おもひくらべた……引較ひきくらべればこそ、たなごころを……」
 とふ、おのおもてへ、たなそこふたするごとくに、
「……たなごころるとやらまをとほり、えぬにもれました。」
 あとの二人ふたりとも、とき言合いひあはせたていに、うへしたで、ものの※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)ひだまで、うなづいたのがおぼろわかつた。
 坂上さかがみは、氣拔きぬけのしたさまに、大息おほいきほついて、
つじ賣卜うらなひをするひとたちか。わたしいそいだので、なに失禮しつれいつたかもれない……
 先方さき足袋跣足たびはだしで、或家あるいへて、――ちつとほいが、これからところに、もりのあるなかかくれてつたきり一人ひとり身動みうごきも出來できないでるんです。
 ことは、わたしいままでところへ、當人たうにんからけた、符牒ふてふばかりの電話でんわれて、實際じつさい顛倒てんだうしていそぐんです。かないでうしますか、つてはわるいんですか。」
「われらかんがへたもとほり……いや、をとこらしく、ようまをされました。さて、いづれもお最惜いとしいが、あゝ、あぶなことかな。」
 とつゑ引緊ひきしめるやうに、むねつて兩手りやうてをかけた。痩按摩やせあんまじつあんじて、
づおまをすが、唯今たゞいまさかの、われらが片寄かたよつて路傍みちばたちました……崖下がけしたに、づら/\となぞへにならびました瓦斯燈がすとうは、幾基いくだいところあかりいて、幾基いくだいところえてります。一寸ちよつと御覽ごらんぜ、一寸ちよつと御覽ごらんぜ。」
 とひ/\、がく/\とうなじつてかうべれる。
 ことば引向ひきむけられたやうに、三にんならんだ背後うしろひろつて、坂下さかしたから、うへまちへ、トづらりとると……坂上さかがみ今夜こんやはじめてみちとほるのではない。……片側かたかはならべて崖添がけぞひに、およそ一けんおきぐらゐに、なかめて、一二三堂ひふみだうふ、界隈かいわい活動寫眞くわつどうしやしんてた、道路安全だうろあんぜん瓦斯燈がすとうがすく/\ある。
 しろ/″\と霜柱しもばしらのやうにつめたくならんで、硝子火屋がらすほやは、がけ巖穴いはあなひとひとまどけた風情ふぜいえて、ばつたり、あかりえたあとを、とゞく、どれもこれも、もやんで、め、透間すきまのぞいてれ/″\に灰色はひいろいき吹出ふきだす。
 かとおもへば、まへちかいのは、あらうことか、おにくび古綿ふるわた面形めんがたつたかたちに、もやがむら/\と瓦斯燈がすとうえたあとにわだかまつて、あやしく土蜘蛛つちぐもかたちあらはし、おな透間すきまからいきも、これは可恐おそろしいいと手繰たぐつて、そら投掛なげかけ、べ、ちう綾取あやどる。や、おもへば、もやのねば/\は、這個振舞ふるまひか。


大抵たいていみなえてりますはずで。」
 と按摩あんまは、坂上さかがみうして、きよろ/\と瓦斯燈がすとう※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまはうちに、さきんじてまたつた。
「すつかりえてる。あゝ、」と一倍いちばいけたのがみた。
「な、えてりませう……けれども、お前樣まへさまから、さかうへはうかぞへまして、何臺目なんだいめかの瓦斯がすひとつ、まだあかりいてらねばなりませぬ。……えますか。」
える……」
 とこたへた、如何いかにも一だいうすぼんやりと、みだれて、もやながれさうにいてる。
「しかし、何本なんぼんめだか一寸ちよつとわからない。」
あまとほところではありませぬ。人通ひとどほりのない、故道松並木ふるみちまつなみき五位鷺ごゐさぎは、ひと居處ゐどころから五本目ほんめえだとまります、道中だうちうさだまり。……消殘きえのこりましたのは、お前樣まへさまから、うへへ五本目ほんめぞんじます。
 わたし間違まちがつたことひますれば、其處そこます師匠ししやう沙汰さたをしますはずともつてつてりますうへは、けつして相違さうゐないとぞんじます。かずつて御覽ごらんぜ、御覽ごらんぜ……ひとつ、」とつゑさきをカタ/\とふたらす。
い……」
ふたツ、」とみつツ、つゑさきをコト/\コト。
い……う……たしかに五本目ほんめ……」
「でありませうな。」
うしたとふんです。」
「お前樣まへさま暗夜やみに、われらのかたちがけ樣子やうすえた瓦斯燈がすとうえますのも、みなひとつのかげなので。もないことには、はなつままれたとてわかりませぬが。」
 成程なるほど覺束おぼつかない、もののかたちも、たゞひとあかりかげなのである……心着こゝろづくと、便たよりないいろながら、ちからには、そろつてえた街燈がいとうが、時々とき/″\ぎら/\とひかりさへする――もやいきいてまたゝうちに、――坂上さかがみ姿すがたもふら/\として、
一體いつたいそれうしたんです。」
れば……の五基目だいめひとのこりましたしたに、なにえはいたしませぬか。」
なにが、」
 とふのもこゑふるふ、坂上さかがみまた慄然ぞつとした。
なにか、はいたしませぬか。」
なんにも、なんにもらん。」
りませぬか。」
ない。」
ないがぢやうりませぬ。お前樣まへさま其處そこまでおはこびなさりますれば、かならます。……それゆゑに、おまをすのでありまして、まあ、おきなさりまし。」
 と捻向ねぢむいて、痩按摩やせあんまこしかゞめながら、ちやう足許あしもとに一だいあつた……瓦斯燈がすとうを、其處そこころがつた、ごろたいしなりにカチ/\とつゑらした。がおとひゞかず、もやしづむ。
づ……ひとねんのためにまをさうに……われらがりますこれなる瓦斯燈がすとうたついま、お前樣まへさま呼留よびとめましたなり、一歩ひとあしとてあとへもまへへもうごきませぬ……これ坂下さかしたからはじめまして、ちました瓦斯燈がすとうの、十九だいめに相違さうゐありませぬ。
 間違まちがへば、師匠ししやう沙汰さたをなされます。
 さて、三ねんまへ、……ちがひます。なれども、おな霜月しもつきさり、ちやうおないま時刻じこくわれらにもお前樣まへさまおなことがありました。……
 ころは、けつしての、やうな盲目めくらではありませなんだ。」
 とふ、まともに坂上さかがみたいして、向直むきなほつたけれども、俯向うつむいたなりでかほげぬ。
「ようた、お前樣まへさまおなことで、をんなにあひゞきにまゐるので、此處こゝを、さかを、矢張やはり、むかつてしたから、うか/\とあがりかけたのでありました。
 とき擦違すれちがつたものが、これだけは、樣子やうすちがひまして、按摩あんま一人ひとりだけがえました。」
 ときくだんの、長頭ながあたまは、くるりと眞背後まうしろにむかうをいた、歩行出あるきだすか、とおもふと……じつのまゝ。


 をんなは、とると、それは、夥間なかまはなしくらしく、しやがんだなりに、くるりと此方こつち向直むきなほつた、おびひざも、くな/\とたゝまれさうなが、咽喉のどのあたりはしろかつた。
 按摩あんまこゑ判然はつきりして、
「で、それ矢張やつぱり、お前樣まへさまわれらがしましたやうに、背後うしろから呼留よびとめまして、瓦斯がすの五基目だいめも、あしもとの十九のかずも、お前樣まへさまいまわれらがうたとほりのことまをします。
 われらはこゝで、とほりを、一度いちどまをしますばかりのこと
 なんで、約束やくそくしたをんなひにつてはらぬのかと――いまのお前樣まへさまとほりを、またときわたしたづねますと、盲人めくらまをすには、」
 盲人めくらは、こゝに先達せんだつ長頭ながあたまであることは、おのづから坂上さかがみむねひゞく。
うへへ五ほんめの、ひとのこつた瓦斯燈がすとうところに、あやしいものの姿すがたえる……それは、すべ人間にんげんかげる、かげつかむ、影法師かげぼふしくらものぢや。
 かれめにかげはるれば、人間にんげんかたちせ、めらるればおとろへ、蹂躙ふみにじらるればなやみ、吹消ふきけさるゝといのちせる。
 およそ、つきとともに、影法師かげぼふしのあるところくだんもの附絡つきまとはずとことなうて、ひ、め、蹂躙ふみにじる。が、いづれひと生命いのちおよぶにはがあらう。それもつて大事だいじぢやに、可恐おそろしいは、いまあるやうなあかり場合ばあひ一口ひとくちくわつとつて、」
 とつた。按摩あんまくちびるとがつたな!
立所たちどころかげくらふ、はるれば、それまでぢや、生命いのちにもおよびかねぬ。かならさかとほらるゝな……
 とひます。
 われら血氣けつきで、なにふ。第一だいいちそのものとはどんなものか、と突懸つゝかゝつてきますと、盲人めくらニヤリともせず、眞實まじめかほをしまして、れば、ればづ、守宮やもりかんむりかぶつたやうな、白犬しろいぬ胴伸どうのびして、山伏やまぶし兜巾ときんいたゞいたやうなものぢや、としやうれぬことふ。
 いや、くよりはるがはやい。さあ、生命いのちられてらう、と元來ぐわんらい、あたまからまこととはおもひませぬなり。づか/\、の、……其處そこの五だいめの瓦斯燈がすとうところまで小砂利こざりつてまゐりますと、道理もつともことなん仔細しさいもありませぬ。
 ところに、みぎ盲人めくら、カツ/\とつゑらして、刎上はねあがつて、んでまゐり、これは無體むたいことをなされる。……きつ元氣げんきぢや。うてかすことまこととはおもはぬこなたに、言託ことづけるのは無駄むだぢやらうが、ありやうは、みぎものは、さしあたりこなたかげを、つかまうとするではない。
 今夜こんや……こなたひにく……をんなかげらうと、かねてつけねらうてるによつて、きびし用心ようじんふか謹愼つゝしみをしますやう、こなたつうじて、こゝろづけがしたかつたのぢや。
 とまたふのでありました。」


「まざ/\と譫言たはことく……われらをんなつたりや、とひますと、それらいでなにをする……今日けふ晩方ばんがた相長屋あひながや女房にようぼはなした。谷町たにまち湯屋ゆやうたげな。……ようけむりけなんだ、白雪しらゆきでてふつくりした、それは、それは、綺麗きれいはだめて、うす淺葱あさぎひもゆはへた、したする/\すべるやうな長襦袢ながじゆばん小春時こはるどき一枚小袖いちまいこそであゐこん小辨慶こべんけい黒繻子くろじゆすおびに、また扱帶しごき……まげ水色みづいろしぼりの手絡てがらつやしづくのしたゝるびんに、ほんのりとしたみゝのあたり、頸許えりもとうつくしさ。婦同士をんなどうし見惚みとれたげで、まへ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはり、背後うしろながめ、姿見すがたみかして、裸身はだかのまゝ、つけまはいて、黒子ほくろひとつ、ひだりちゝの、しろいつけぎはに、ほつりとあることまで、ようつたとはなし
 なんと、をんな相違さうゐあるまい、こなたひにをんなは……
 とまた盲人めくらふのであります。」
 くうちに、坂上さかがみは、ぶる/\と身震みぶるひした。それは、其處そこに、はなしをする按摩あんま背後うしろて、をりからかほそむけたをんなが、衣服きものも、おびも、まさしく、歴然あり/\と、言葉通ことばどほりにうつつたためばかりではない。――
 足袋跣足たびはだしたとふ、今夜こんやは、もしや、あの友染いうぜんに……あの裾模樣すそもやう、とおもふけれども、不斷ふだん見馴みなれてみついた、黒繻子くろじゆすに、小辨慶こべんけい
 坂上さかがみえるあとをくわつる。
うでありませう。お前樣まへさまこれからひにおいでなさらうとふ、をなごかたは、裾模樣すそもやうに、にしきおび緋縮緬ひぢりめん蹴出けだしでも。……黒繻子くろじゆすに、小辨慶こべんけいあゐこんはだしろさもいとして、乳房ちゝ黒子ほくろまでてられました、わたしとき心持こゝろもちはゞかりながら御推量ごすゐりやうくださりまし。
 こゝな四谷よツや谷底たにそこに、むごこと帶紐おびひもつて、あかはだかたふされてでもりますのが、えるやうにおもはれました。
 で、みぎ盲人めくらは、れいものは、をんなかげを、めう、はう、とらへよう、蹂躙ふみにじらう、取啖とりくらはうとつけ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはす――こなたからことづけて、けるやうひなさい、とまをしたのを、よくもかずに、黒雲くろくもいて、んでき、いなづまのやうに、てつもんいし唐戸からとにも、さへぎらせず、眞赤まつかむねほのほつゝんで、よわをんなひました。
 かげる、かげふ、かげめる、ものにつた。さかしか/″\の瓦斯燈がすとうのあかりでた。……
 をんなうちは、ついまはりでありました。――
 よるひる※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つけまはすぞ、それ、かげうすいわ、用心ようじんせい、とお前樣まへさま
 可哀氣かはいげに、苦勞くらうやみにわづらつて、おびをしめてもゆるむほど、細々ほそ/″\つてるものを、鐵槌かなづちつやうに、がん/\と、あたまへひゞくまでまをしましたわ。
 他人ひとに、はだせたとおもねたみから、――をんなひざ突俯つゝぷして、ふるへるこゑしたで、途中とちう、どんなものにつてだれいたはなしだ、とみぎかげについてたづねましたとき、――おのれ、むねへ!なぞとうて、盲人めくらからいたことはずにしまつたのでありました。
 これんでもない心得違こゝろえちがひ。盲人めくらこそ、をんなおもひをけて、かげのやうに附絡つきまとうて、それこそ、をんないへまはりの瓦斯燈がすとうのあかりでれば、守宮やもりか、とおも形體ぎやうたいで、裏板塀うらいたべい木戸きど垣根かきねに、いつもあかく、つらあをく、くちびるしろ附着くツついて、出入でいりを附狙つけねらつてたとのこと
 はじめから、おどしたものが盲人めくられれば、をんなまでは呪詛のろはれずにんだのでありませう。」


今度こんど、……つぎ……段々だん/\をんなことすくなくなりました。
 兎角とかくむかうで、われらけるやうにするのであります。
 ……ころしてなう、と逆上ぎやくじやうするうち、段々だん/\くはしくきますと、をんなが、不思議ふしぎひとふのをきらふ。めう姿すがたかくしたがるのは、の、われらばかりにはかぎらぬ樣子やうす
 しまひには猫又ねこまたけた、めかけのやうに、いとうて、よるひるも、戸障子としやうじ雨戸あまどめたうへを、二ぢうぢう屏風びやうぶかこうて、一室ひとまどころに閉籠とぢこもつたきり、とひます……
 やつとのおもひ、念力ねんりきで、をんなましたときは、絹絲きぬいとも、むれて、ほろ/\とれてえさうに、なよ/\として、たゞうつむいてたのであります。
 かほげさした……トが、つぶれました。へい、いえ、をんな兩眼りやうがんで。
 きますると、われらに、くだんかげもののはなしいてからは、またゝさへ、ひとみいて、われかげ目前めさきはなれぬ。
 臺所だいどころれば引窓ひきまどから、えんてば沓脱くつぬぎへ、見返みかへれば障子しやうじへ、かべへ、屏風びやうぶへかけてうつります。
 うつるとかげを、て、ひさうで、めさうで、みさうで、みさうで、からみさうで、さうでらぬ。
 つきかげかげともしびかげゆきはな朧々おぼろ/\のあかりにも、かげのないひまはなし……かげあれば不氣味ぶきみさ、可厭いやさ、可恐おそろしさ、可忌いまはしさに堪兼たへかねる。
 所詮しよせんかうじて、眞暗まつくらがり。てのひらえいでも、歴々あり/\と、かげうつる、あかりしてもおなことで。
 次第しだいに、とこはしら天井裏てんじやううら鴨居かもゐ障子しやうじさんたゝみのへり。場所ばしよところへつゝ、守宮やもりかたちで、天窓あたまにすぽりとなにかぶつた、あだじろい、どうながい、四足よつあしうねるものが、ぴつたりと附着くツついたり、ことりとまるくなつたり、長々なが/\ふのがえたり……やがて、やみなかまくらしたにもるやうにりました。
 たびに、あツとこゑげて、へば、はやこと、ちよろ/\とはしつてえて、すぐに、のろりとあらはれる。
 まい、まいの逆上うはずつて、もののえるはのあるため、となんとかまをくすりを、まくらをかいもの、仰向あをむけに、かみしばつたなか點滴したゝらして、兩眼りやうがんを、めくらにした、とふのであります。
 こゝろ暗夜やみ取合とりあつて、爾時そのときはじめて、かげもののはなしは、さか途中とちうで、一人ひとり盲人めくらかされたことまをして、脊恰好せいかつかうとしごろをひますと、をんなは、はツと、はじめてめたやうにつて、さめ/″\と泣出なきだしました。
 おもひのかなはぬ意趣返いしゆがへしに、なんと!みぎ横戀慕よこれんぼ盲人めくらに、呪詛のろはれたに相違さうゐありませぬ。
 ほゝにく引掴ひツつかんで、口惜涙くやしなみだ無念むねんなみだ慚愧ざんきなみだせんずれば、たゞ/\最惜いとをしさのなみだはては、おなじおもひを一所いつしよにしようと、われらこれまたとほり、兩眼りやうがんわれ我手わがてに、……これははりでズブリといたのでありまする。
 三世さんぜ一娑婆ひとしやば因果いんぐわ約束やくそくつながつたと、いづれも發起仕ほつきつかまつり、懺悔ざんげをいたし、五欲ごよくはなれて、たゞいまでは、それなる盲人めくらともろともに、三人さんにん一所いつしよに、つゑ引連ひきつれて、ひるおもてはづかしい、よるとあればとほります……
 みちすがら行逢ゆきあひました。
 御迷惑ごめいわくぞんぜぬが、もやそで擦合すれあうた御縁ごえんとて、ぴつたりむねあたことがありましたにより、お心着こゝろづ申上まをしあげます……お聞入きゝいれ、お取棄とりすて、ともお心次第こゝろしだい
 うへは、さて、なにぞんぜぬ。やうなれば、おいとま申受まをしうけます。」
 ことばしたより、其處そこに、はなし途中とちうから、さめ/″\といてをんなは、悄然せうぜんとして、しかも、すらりとつた。
 とぼ/\とした後姿うしろすがたで、長頭ながあたまからみつつの姿すがたえたる瓦斯がすに、まぼろしや、つゑかげ
 をんなが、しろやさしい片手かたてときいたきれ姿すがたしのぶ……紅絹もみばかり、ちら/\と……てふのやうにもやひ……





底本:「鏡花全集 巻十四」岩波書店
   1942(昭和17)年3月10日第1刷発行
   1987(昭和62)年10月2日第3刷発行
初出:「中央公論 第二十七年第四號」
   1912(明治45)年4月
※「き」と「き」、「悚然ぞつと」と「慄然ぞつと」、「ふ」と「ふ」、「ところ」と「ところ」、「もつとも」と「道理もつとも」、「闇夜やみ」と「暗夜やみ」と「やみ」、「ちゝ」と「乳房ちゝ」、「生命いのち」と「いのち」、「ひとつ」と「ひとツ」、「ふたつ」と「ふたツ」、「裸身はだか」と「はだか」、「歴然あり/\」と「歴々あり/\」、「とき」と「爾時そのとき」、「」と「」、「ちつと」と「と」、「呪詛のろはれ」と「呪詛のろはれ」の混在は底本通りです。
※「私」に対するルビの「わたし」と「われら」と「わし」と「み」、「誰」に対するルビの「たれ」と「だれ」、「婦」に対するルビの「をんな」と「をなご」、「乳房」に対するルビの「ちぶさ」と「ちゝ」、「燈」に対するルビの「あかり」と「ともしび」、「電」に対するルビの「いなびかり」と「いなづま」、「掌」に対するルビの「たなごころ」と「たなそこ」と「てのひら」、「首」に対するルビの「かうべ」と「くび」、「矢張」に対するルビの「やつぱ」と「やは」、の混在は底本通りです。
※初出時の表題は「靄」です。
入力:門田裕志
校正:室谷きわ
2022年10月31日作成
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