「
團子が
貰ひたいね、」
と
根岸の
相坂の
團子屋の
屋臺へ
立つた。……
其の
近所に
用達があつた
歸りがけ、
時分時だつたから、
笹の
雪へ
入つて、
午飯を
濟ますと、
腹は
出來たし、
一合の
酒が
好く
利いて、ふら/\する。……
今日は
歸りがけに
西片町の
親類へ
一寸寄らう。
坂本から
電車にしようと、
一度、お
行の
松の
方へ
歩行きかけたが。――
一度蕉園さんが
住んで
居た、おまじなひ
横町へ
入らうとする、
小さな
道具屋の
店に、
火鉢、
塗箱、
茶碗、
花活、
盆、
鬱金の
切の
上に
古い
茶碗、
柱にふツさりと
白い
拂子などの
掛つた
中に、
掛字が
四五幅。
大分古いのがあるのを
視た、――こゝ
等には
一組ぐらゐありさうな――
草雙紙でない、と
思ひながら、フト
考へたのは
此の
相坂の
團子である。――これから
出掛ける
西片町には、
友染のふつくりした、
人形のやうな
女の
兒が
二人ある、それへ
土産にと
思つた。
名物と
豫て
聞く、――
前にも
一度、
神田の
叔父と、
天王寺を、
其の
時は
相坂の
方から
來て、
今戸邊へ

る
途中を、こゝで
憩んだ
事がある。が、
最う七八
年にもなつた。――
親と
親との
許嫁でも、
十年近く
雙方不沙汰と
成ると、
一寸樣子が
分り
兼る。
況や
叔父と
甥とで
腰掛けた
團子屋であるから、
本郷に
住んで
藤村の
買物をするやうな
譯にはゆかぬ。
第一相坂が
確でない。
何處を
何う
行くのだつけ、あやふやなものだけれど、
日和は
可し、
風も
凪ぎ、
小川の
水ものんどりとして、
小橋際に
散ばつた
大根の
葉にも、ほか/\と
日が
當る。
足にまかせて
行け、
團子を
買ふに、
天下何の
恐るゝ
處かこれあらん。
で、
人通りは
少し、
日向の
眞中を
憚る
處もなく、
何しろ、
御院殿の
方へ
眞直だ、とのん
氣に
歩行き
出す。
笹の
雪の
前を
通返して、
此の
微醉の
心持。
八杯と
腹に
積つた
其の
笹の
雪も、
颯と
溶けて、
胸に
聊かの
滯もない。
やがて、とろ/\の
目許を、
横合から
萌黄の
色が、
蒼空の
其より
濃く、ちらりと
遮つたのがある。
蓋し
古樹の
額形の
看板に
刻んだ
文字の
色で、
店を
覗くと
煮山椒を
賣る、これも
土地の
名物である。
通がかりに
見た。
此の
山椒を、
近頃、
同じ
此の
邊に
住はるゝ、
上野の
美術學校出の
少い
人から
手土産に
貰つた。
尚ほ
其の
人が、
嘗て
修學旅行をした
時、
奈良の
然る
尼寺の
尼さんに
三體授けられたと
云ふ。
其の
中から
一體私に
分けられた
阿羅漢の
像がある。
般若湯を
少しばかり、
幸ひ
腥を
口にせぬ
場合で、
思出すに
丁ど
可い。
容姿端麗、
遠く
藤原氏時代の
木彫だと
聞くが、
細い
指の
尖まで
聊も
缺け
損じた
處がない、すらりとした
立像の、
其の
法衣の
色が、
乃し
瞳に
映つた
其の
萌黄なのである。ほんのりとして、
床しく
薄いが、
夜などは
灯に
御目ざしも
黒く
清しく、
法衣の
色がさま/″\と
在すが
如く
幽に
濃い。
立袈裟は
黒の
地に、
毛よりも
細く
斜に
置いた、
切込みの
黄金が
晃々と
輝く。
其の
姿を
思つた。
燒芋屋の
前に
床几を
出して、
日向ぼつこをして
居る
婆さんがあつた。
店の
竈の
上で、
笊の
目を
透すまで、あか/\と
日のさした
處は、
燒芋屋としては
威嚴に
乏しい。あれは
破れるほどな
寒い
晩に、ぱつといきれが
立つに
限る。で、
白晝の
燒芋屋は、
呉竹の
里に
物寂しい。が、としよりの
爲には
此の
暖な
日和を
祝する。
「お
婆さん、
相坂へ
行くのは、」
「
直き
其の
突當りを
曲つた
處でございますよ。」
と
布子の
半纏の
皺を
伸して、
長閑さうに
教へてくれた。
其を、
四五軒行つた
向う
側に、
幅の
廣い
橋を
前にして、
木戸に
貸屋札として
二階家があつた。
四五本曲つたり
倒れたりだが、
竹垣を
根岸流に
取まはした、
木戸の
内には、
梅の
樹の
枝振りの
佳いのもあるし、
何處から
散つたか、
橋の
上に
柳の
枯葉も
風情がある。……
川も
此の
邊は
最う
大溝で、
泥が
高く、
水が
細い。
剩へ、
棒切、
竹の
皮などが、ぐしや/\と
支へて、
空屋の
前は
殊更に
其の
流も
淀む。
實や、
人住んで
煙壁を
洩るで、……
誰も
居ないと
成ると、
南向きながら、
日ざしも
淡い。が、
引越すとすれば
難には
成らぬ。……
折から
家も
探して
居た。
入つて
見よう……
今前途を
聞いたのに、
道草をするは、と
氣がさして、
燒芋屋の
前を
振返ると、
私に
教へた
時、
見返つた、
其のまゝに、
外を
向いて、こくり/\と
然も
暖とさうな
懷手の
居睡りする。
後生樂な。
嫁御もあらば
喜ばう……
近所も
可し、と
雪にも
月にも
姿らしい
其の
門の
橋を
渡懸けたが、
忽ち
猛然として
思へらく、
敷金の
用意もなく、
大晦日近くだし、がつたり
三兩と、
乃ち
去る。
婆さんに
聞いた
突當りは、
練塀か、
高い
石の
塀腰らしかつたが、
其はよく
見なかつた。ついて
曲ると、
眞晝間の
幕を
衝と
落した、
舞臺横手のやうな、ずらりと
店つきの
長い、
廣い
平屋が、
名代の
團子屋。
但し
御酒肴とも
油障子に
記してある。
案ずるに、
團子は
附燒を
以て
美味いとしてある。
鹽煎餅以來、
江戸兒は
餘り
甘いのを
好かぬ。が、
何を
祕さう、
私は
團子は

の
方を
得意とする。これから
土産に
持つて
行く、
西片町の
友染たちには、どちらが
可いか
分らぬが、しかず、
己が
好む
處を
以つてせんには、と
其處で

のを
誂へた。
障子を
透かして、
疊凡そ
半疊ばかりの
細長い
七輪に、
五つづゝ
刺した
眞白な
串團子を、
大福帳が
權化した
算盤の
如くずらりと
並べて、
眞赤な
火を、
四角な
團扇で、ばた/\ばた、
手拍子を
拍つて
煽ぐ十五六の
奴が、イヤ
其の
嬉しいほど、いけずな
體は。
襟からの
前垂幅廣な
奴を、
遣放しに
尻下りに
緊めた、あとのめりに
日和下駄で
土間に
突立ち、
新しいのを
當がつても
半日で
駈破る、
繼だらけの
紺足袋、
膝ツきり
草色よれ/\の
股引で、
手織木綿の
尻端折。……
石頭に
角のある、
大出額で、
口を
逆のへの
字に、
饒舌をムツと
揉堪へ、
横撫でが
癖の
鼻頭をひこつかせて、こいつ、
日暮里の
煙より、
何處かの
鰻を
嗅ぎさうな、
團栗眼がキヨロリと
光つて、
近所の
犬は
遠くから
遁げさうな、が、
掻垂眉のちよんぼりと、
出張つた
額にぶら
下つた
愛嬌造り、と
見ると、なき
一葉がたけくらべの
中の、
横町の
三五郎に
似て
居る。
人を
見ると、
顏を
曲げて、
肩を
斜かひにしながら、
一息、ばた/\、ばツと
團扇を
拍く。
「
子のは――お
手間が
取れますツ。」
「ぢや、
待たうよ。」
と
障子を
入つて、
奴が
背に
近い
土間の
床几にかけて、……
二包誂へた。
處へ
入違ひに
一人屋臺へ
來た。
「
七錢だけ
下さいな。」
奴、
顏を
曲げ、
肩を
斜めにしながら、
一息ばた/\
團扇をばツばツと
煽いで、
「
餌子のはお
手間が
取れますツ。」
「
然う、」
と
云つて
其處に
立つて
考へたのは、
身綺麗らしい
女中であつたが、
私はよくも
見なかつた。で、
左の
隅、
屋臺を
横にした
處で、
年配の
老爺と、お
婆さん。
女が
一人、これは
背向きで、
三人がかり、
一ツ
掬つて、ぐい、と
寄せて、くる/\と

をつけて、
一寸指で
撓めて、
一つ
宛すつと
串へさすのを、
煙草を
飮みながら
熟と
見て
居た。
時に、
今來た
女中の
註文が、
何うやら
子ばかりらしいので、
大に
意を
強うして
然るべしと
思つて
居ると、
「では、
最う
些と
經つて
來ませうね。」
と
一度、ぶらりと
出した
風呂敷を、
袖の
下へ
引込めて、
胸を
抱いて、むかうを
向く。
「へーい、」
と
甲走つた
聲を
浴びせて、
奴また
團扇を、ばた/\、ばツと
煽ぐ。
手際なもので、
煽ぐ
内に、じり/\と
團子の
色づくのを、
十四五本掬ひ
取りに、
一掴み、
小口から
串を
取つて、
傍に
醤油の
丼へ、どぶりと
浸けて、
颯と
捌いて、すらりと
七輪へ
又投げる。
直ぐに
殘つたのに
醤油をつける。
殆ど
空で、
奴は、
此の
間に
例の、
目をきよろつかせる、
鼻をひこつかせる、
唇をへし
曲げる。
石頭を
掉る、
背ごすりをする、
傍見をする。……
幾干か
小遣があると
見えて、
時々前垂の
隙間から、
懷中を
覗込んで、ニヤリと
遣る。
いけずがキビ/\した
事は!……
私は
何故か
嬉しかつた。
客は
私のほかに
三人あつた。
其の
三人は、
親子づれで、
九ツばかりの、
絣の
羽織に
同じ
衣服を
着た
優しらしい
男の
兒。――
見習へ、
奴、と
背中を
突いて
遣りたいほどな、
人柄なもので。
母親は五十ばかり、
黒地のコートに
目立たない
襟卷して、
質素な
服姿だけれど、ゆつたりとして
然も
氣輕さうな
風采。
古風な、
薄い、
小さな
髷に
結つたのが、
唐銅の
大な
青光りのする
轆轤に
井戸繩が、づつしり……
石築の
掘井戸。それが、
廂の
下にあの
傍の
床几に、
飛石、
石燈籠のすつきりした、
綺麗に
掃いて
塵も
留めず
廣々した、
此の
團子屋の
奧庭を
背後にして、
膝をふつくりと、きちんと
坐つて、
頭に
置手拭をしながら、
女持の
銀煙管で、
時々、
庭を
指し、
空の
雲をさしなどして、
何か
話しながら、
靜に
煙草を
燻らす。
對向ひに、
一寸背を
捻つた、
片手を
敷辷らした
座蒲團の
端に
支いて、すらりと
半身、
褄を
内掻に
土間に
揃へた、
九か
二十と
見えた、
白足袋で、これも
勝色の
濃いコートを
姿よく
着たが、
弟を
横にして、
母樣の
前であるから、
何の
見得も、
色氣もなう、
鼻筋の
通つた、
生際のすつきりした、
目の
屹として、
眉の
柔しい、お
小姓だちの
色の
白い、
面長なのを
横顏で、――
團子を
一串小指を
撥ねて、
唇に
當てたのが、
錦繪に
描いた
野がけの
美人にそつくりで、
微醉のそれ
者が、くろもじを
噛んだより
婀娜ツぽい。
髮は
束髮に、
白いリボンを
大きく
掛けたが、
美子も
喜いちやんも
爲なる
折から、
當人何の
氣もなしに
世とゝもに
押移つたものらしい。が、
天の
爲せる
下町の
娘風は、
件の
髮が
廂に
見えぬ。……
何處ともなしに
見る
内に、
潰しの
島田に
下村の
丈長で、
白のリボンが
何となく、
鼈甲の
突通しを、しのぎで
卷いたと
偲ばれる。
此の
娘も、
白地の
手拭を、
一寸疊んで、
髮の
上に
載せて
居る、
鬢の
色は
尚ほ
勝つて、ために
一入床しかつた。
が、
其の
筈で、いけずな
奴が、
燒團子のばた/\で、
七輪の
尉を
飛ばすこと、
名所とはいひがたく
雪の
如しであつたから。
母樣が、
膝を
彈いて、ずらりと、ずらすやうに
跨いで
下りると、
氣輕にてく/\と
土間を
來た。
「
其では、
土産の
包を
何うぞ。」と
奴に
言ふ。
「へーい。」
すとんきような
聲を
出し、

壓へたり、と
云ふ
手つきで、
團扇を
挾んで、
仰向いた。
「
二十錢のを
一ツ、
十五錢のと、
十錢のと
都合三包だよ。」
「
子ならお
手間が
取れますツ。」
と、けろりとして、ソレ、ばた/\ばた、ばツばツばツ。
「
皆附燒の
方さ。」
「へーい。」
「ぢや、
分つたかね。」
と
一寸前を
通る
時、
私に
會釋して
床几へ
返つた。
いしくも
申された。……
殘らずつけ
燒のお
誂へは
有難い、と
思ふと、
此の
方目のふちを
赤くしながら、

こばかりは
些と
擽い。
また
其の

がかりの
三人の、すくつて、
引いて、
轉がして、
一ツ
捻つてツイと
遣るが、
手を
揃へ、
指を
揃へて、ト
撓めて
刺す
時、
胸を
据ゑる
處まで、
一樣に
鮮かなものである。が、
客が
待たうが
待つまいが、
一向に
頓着なく、
此方は
此方、と
澄した
工合が、
徳川家時代から
味の
變らぬ
頼もしさであらう。
處へ、カタ/\と
冷たさうな
下駄の
音。……
母ぢや
人のを
故と
穿いて
來たらしい、
可愛い
素足に
三倍ほどな、
大な
塗下駄を
打つけるやうに、トンと
土間へ
入つて
來て、
七輪の
横へ
立つた、十一二だけれども、
九ツぐらゐな、
小造りな、
小さな
江戸の
姉さんがある。
縞の
羽織の
筒袖を
細く
着た、
脇あけの
口へ、
腕を
曲げて、
些と
寒いと
云つた
體に、
兩手を
突込み、ふりの
明いた
處から、
赤い
前垂の
紐が
見える。
其處へ
風呂敷を
肱なりに
引挾んだ、
色の
淺黒い、
目に
張のある、きりゝとした
顏の、
鬢を
引緊めて、おたばこ
盆はまた
珍しい。……
「
五錢頂戴。」
「へーい。」
「さあ、」
と
片手を
出して、
奴に
風呂敷を
突つけると、
目をくるりと
天井覗きで、
「
子ならお
手間が
取れますツ。」
「あら、
燒いたのだわよ、
兄さん。」
とすつきり
言つた。
奴、
一本參つた
體で、
頸を
竦め、
口をゆがめて、

をつける
三人の
方を、
外方にして、
一人で
笑つて、
「へーい。」
と
七輪の
上を
見計らひ、
風呂敷を
受取つて、
屋臺へ
立ち、
大皿からぶツ/\と
煙の
立つ、
燒きたてのを、
横目で
睨んで、
竹の
皮の
扱きを
入れる、と
飜然と
皮の
撥ねる
上へ、ぐいと
尻ツ
撥ねに
布巾を
掛ける。
障子の
外へすつと
來て、ひとり
杖を
支いて
立つた
翁がある。
白木綿の
布子、
襟が
黄色にヤケたのに、
單衣らしい、
同じ
白の
襦袢を
襲ね、
石持で、やうかん
色の
黒木綿の
羽織を
幅廣に、ぶわりと
被つて、
胸へ
頭陀袋を
掛けた、
鼻の
隆い、
赭ら
顏で、
目を
半眼にした、
眉には
黒も
交つたけれど、
泡を
塗つた
體に、
口許から
頤へ、
短い
髯は
皆白い。
鼠のぐたりとした
帽子を
被つて、
片手に
其の
杖、
右の
手首に、
赤玉の
一連の
數珠を
輪にかけたのに、
一つの
鐸を
持添へて、チリリリチリリリと、
大な
手を
振つて
鳴らし、
「なうまくさんまんだばさらだ、なうまくさんまんだばさらだ、
南無成田山不動明王をはじめ
奉り、こんがら
童子、せいたか
童子、
甲童子、
乙童子、
丙童子、いばらぎ
童子、
酒呑童子、
其のほか
數々二十四童子。」
と、
丁ど
私と
向き
合ひに、まともに
顏を
見る
處で、
目を
眠るやうにして
爽かに
唱へた。
私が
懷の
三つ
卷へ、
手を
懸けた
時であつた。
「お
進ぜ
申せ。」
と、
向うで

をつけて
居た、
其のお
婆さんが
聲を
懸ける。
「へーい。」と
奴が、
包んだ
包みを、ひよいと
女の
兒に
渡しながら、
手を
引込めず、
背後の
棚に、
煮豆、
煮染ものなどを
裝並べた
棚の
下の、
賣溜めの
錢箱をグヮチャリと
鳴らして、
銅貨を
一個、ひよい、と
空へ
投げて、
一寸掌へ
受けながら
持つて
出る。
前後して、
「はい、
上げます。」
と
絣の
衣服の、あの
弟御が、
廂帽子を
横ツちよに、
土間に
駈足で、
母樣の
使に
來て、
伸上るやうにして
布施する
手から、
大柄な
老道者は、
腰を
曲げて、
杖を
持つた
掌に
受けて、
奴と
兩方へ、……
二度頂く。
私も
立つた。
氣の
寄る
時は、
妙なもので……
又此處へ
女一連、これは
丸顏の
目のぱつちりした、
二重瞼の
愛嬌づいた、
高島田で、あらい
棒縞の
銘仙の
羽織、
藍の
勝つた。――
着物は、
茶の
勝つた、
同じやうな
柄なのを
着て、
阿母のおかはりに
持つた、
老人じみた
信玄袋を
提げた、
朱鷺色の
襦袢の
蹴出しの、
内端ながら、
媚めかしい。十九にはなるまい
新姐を
前に、
一足さがつて、
櫛卷にした
阿母がついて、
此の
店へ
入りかけた。が、
丁ど
行者の
背後を、
斜に
取まはすやうにして、
二人とも
立停まつた。
「お
前、
細いのはえ?」
と
阿母が
言ふ。
「あい、」と
頤を
白く、
淺葱の
麻の
葉絞りの
半襟に
俯向いた。
伏目がふつくりとする……
而して、
緋無地の
背負上げを
通して、めりんすの
打合はせの
帶の
間に、これは
又よそゆきな、
紫鹽瀬の
紙入の
中から、
横に
振つて、
出して、
翁に
與へた。
道者は、
杖を
地から
離して、
手を
高く
上げて
禮したのである。
時に、
見るもいたいけだつたのは、おたばこぼんの
小姉さん。
先刻から、
人々の
布施するのと、……もの
和らかな、
翁の
顏の、
眞白な
髯の
中に、
嬉しさうな
唇の
艷々と
赤いのを、
熟と
視めて、……
奴が
包んでくれた
風呂敷を、
手の
上に
据ゑたまゝ、
片手を
服の
中へ
入れて、
其れでも
肌薄な、
襦袢の
襟のきちんとして、
赤い
細いのも、あはれに
寒さうに
見えたのが、
何と
思つたか、
左手を
添へて、
結び
目を
解いて、
竹の
皮から
燒團子、まだ、いきりの
立つ、
温いのを
二串取つて、
例の
塗下駄をカタ/\と――
敷居際で、
「お
爺さん、これあげませう、おあがんなさいな。」
と
出した
時、……
翁の
赭ら
顏は、
其のまゝ
溶けさうに
俯向いて、
目をしばたゝいた、と
見ると、
唇がぶる/\と
震へたのである。
床几の
娘も
肩越に
衝と
振向いた。
一同、
熟と
二人を
見た。
「
南無御一統、
御家内安全。まめ、そくさい、
商賣繁昌。」
と
朗かな
聲で
念じながら、
杖も
下さず、
團子持つたなりに
額にかざして、
背後は
日陰、
向つて
日向へ、
相坂の
方へ、……
冷めし
草履を、づるりと
曳いて、
白木綿の
脚絆つけた
脚を、とぼ/\と
翁は
出て
行く。
「や、
包みなほして
上げようぜ。」
と、
徳は
孤ならず、ちよろつかな
包み
加減。
拔いた
串に
皮が
開いて、
小姉の
手の
上に
飜つたのを、
風呂敷ごと
引奪るやうに
取つて、
奴は
屋臺で、
爲直しながら、
「えゝ……まけて
置け、
一番。」と、
皿から
捻るやうに
引摘んで、
別に
燒團子を
五串添へた。
「
此處へも、お
團子を
下さいな。」
と
櫛卷の
阿母が
衝と
寄つた。
きよろりと
見向いて、
「
子ならお
手間が
取れますツ。」と
又仰向く。
「
否、
燒いたのですよ。」
「へーい。」と
相かはらず
突走る。
「
十錢のを
二包、
二包ですよ――
可いかい。
其から、
十五錢のを
一包、
皆燒いたのをね。」
「へーい、
唯今。」
「
否、
歸途で
可いのよ。」
「へーいツ」
「あのね、
母樣。」と、
娘があたりを
兼ねた
體で、
少し
甘えるやうに
低聲で
言つた。
「
然う……では
其の
十五錢のなかへ、

のを
交ぜて、――
些とで
可いの。」
「
些と、」
と
口眞似のやうに
繰返して、
「へーい。」
「さあ、それぢやおまゐりをして
來ようね。」
「あい、」
と
言つて、
母娘二人、
相坂の
方へ、
並んで
向く。

がかりは
澄ましたもので、
「
家内安全、まめ、そくさい、
商賣繁昌、……だんご
大切なら
五大力だ。」と、あらう
事か、
團子屋の
老爺さまが、
今時取つて
嵌めた
洒落を
言ふ。
「
何を
言はつしやる。」と……お
婆さんは
苦笑した。
あの、
井戸の
側を、
庭を
切つて
裏木戸から、
勝手を
知つて
來たらしい。インキの
壺を、ふらここの
如くに
振つて、
金釦にひしやげた
角帽、かまひつけぬ
風で、
薄髯も
剃らず
遣放しな、
威勢の
可い、
大學生がづか/\と
入つて
來た。
「いや、どつこいしよ。」
と――あの
弟が
居る、
其の
床几の
隅に
腰を
投下すと、
「おい、

のを
一盆。……お
手間が
取れます、
待つてらつしやい。」
と
恐しく
鐵拐に
怒鳴つて、フト
私と
向合つて、……
顏を
見て……
雙方莞爾した。
同好の
子よ、と
前方で
思へば、
知己なるかな、と
言ひたかつた。
いや、
面喰つたのは
奴である。……
例に
因つて「お
手間が
取れますツ。」を
言はない
内に、
眞向高飛車に
浴せられて、「へーい、」とも
言ひ
得ず、
鳶に
攫はれた
顏色。きよとんとして、
小姉に
再び
其の
包を
渡すと、
默つて
茶を
汲みに
行く、
石頭のすくんだ、――
背の
丸さ。
「しばらく、――お
二人しばらく。」
と
後じさりに、――いま
出て
行く
櫛卷と、
島田の
母娘を
呼留めながら、
翁の
行者が
擦違ひに、しやんとして、
逆に
戻つて
來た。
店頭へ、
恭しく
彳んで、
四邊を
見ながら、せまつた
聲で、
「
誰方もしばらく。……あゝ、
野山も
越え、
川も
渡り、
劍の
下も
往來した。が、
生れて
以來、
今日と
云ふ
今日ほど、
人の
情の
身に
沁みた
事は
覺えません。」と、
聲が
途絶えて、チリ/\と
鐸が
鳴つた。
溜息を
深く、
吻と
吐いて、
「
私は
行者でも
何でもないのぢや。
近頃まで、
梅暮里の
溝へ
出て、
間に
合せの
易を
遣つて
居ましたが、
好きなどぶろくのたしにも
成らんで、
思ひついた
擬行者ぢや。
信心も
何もなかつたが、なあ、
揃ひも
揃つた、あなたがたのお
情――あの
娘も
聞かつしやれ。」
と
小姉に
差出した
手がふるへて、
「
老人つく/″\
身に
染みて、
此のまゝでは、よう
何うも、あの
蹈切が
越切れなんだ。――
あらためて、
是から
直ぐに、
此の
杖のなり
行脚をして、
成田山へ
詣でましてな。……
經一口も
知らぬけれども、
一念に
變りはない。
南無成田山不動明王、と
偏に
唱へて、あなた
方の
御運長久、
無事そくさい、
又お
若い
孃たちの、」
とほろりとして、
老の
目に
涙を
湛へ、
「
行末の
御良縁を
祈願します、
祈願しまする。」
明治四十三年一月